amazon

2020年11月アーカイブ

November 30, 2020

バッハ・コレギウム・ジャパンの「運命」&ミサ曲ハ長調

東京オペラシティのツリーとシンギングマン
●28日は東京オペラシティで鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパン。ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」で始まり、休憩をはさんでミサ曲ハ長調。独唱陣は中江早希(ソプラノ、先日の「リナルド」アルミーダ役でも大活躍)、布施奈緒子(アルト)、櫻田亮(テノール)、加耒徹(バス)。客席は盛況。もちろん入場時の体温チェック等、標準的な感染対策あり。
●ベートーヴェンのほぼ同時期の作品ながら、「運命」は超有名曲、ミサ曲ハ長調はほとんど聴く機会のない作品。一曲目から「運命」というのもなかなかないこと。ほんの4日前に鈴木優人指揮読響で「運命」を聴いたばかりで、たまたま(?)親子「運命」ウィークが実現。といっても際立ったのは、モダン・オーケストラとピリオド・オーケストラの対照であり、色彩感の違い。冒頭の運命の動機から澄んだ響きが聞こえてくる。管楽器の多様なパレットが駆使されて、均質ではない響きがひとつに調和する様が快感。見上げるほど巨大なコントラファゴットは視覚的な存在感もすごい。HIPな演奏様式が広がったとは言っても、ピリオド・オーケストラでベートーヴェンを聴く機会となるとめったにないのが現実。
●ミサ曲ハ長調は、あの「運命」「田園」他が初演された歴史的演奏会でも一部披露されている。エステルハージ家からの委嘱作品で、先人ハイドンと比較されるのはしょうがないとしても、アイゼンシュタットで初演された際にエステルハージ侯から駄作の烙印を押されてしまった気の毒な作品。ハイドン側から見ると、あまりにミサ曲の枠からはみ出しているというか、やんちゃすぎるのだろうか。しかしベートーヴェン側から見ると、後に「ミサ・ソレムニス」という超ド級傑作が生まれているだけに目立たないのもしょうがない。「グロリア」は高揚感にあふれ、「クレド」は起伏に富む。「サンクトゥス」前半など、ところどころ「フィデリオ」を軽く連想。「アニュス・デイ」は風変わりな感じで、エステルハージ侯ならずとも戸惑う。最後、妙に虚無感が漂った終わり方で、「えっ、これで終わるの?」と思う。
●演奏後、鈴木雅明さんがマイクを持って登場し、定期演奏会ながらアンコールを案内、ハイドンの「神の聖ヨハネのミサ・ブレヴィス」より「アニュス・デイ」。安らかな気分で終演。拍手が止まず、ソロ・カーテンコールあり。

November 27, 2020

原田慶太楼指揮NHK交響楽団のアメリカ音楽プログラム

●26日はサントリーホールで原田慶太楼指揮N響。バーンスタインの「オン・ザ・タウン」から「3つのダンス・エピソード」、ジョージ・ウォーカーの「弦楽のための叙情詩」、ピアソラの「タンガーソ」(ブエノスアイレス変奏曲)、コープランドのバレエ組曲「アパラチアの春」、マルケスのダンソン第2番という北中南米アメリカ・プロ。座席は一席空け。楽員入場時は迷うかのように少し間があってから拍手が起きた。普段の重心低めのN響とは一味違った、輝かしく歯切れのよいサウンドを堪能。ほかのオーケストラでも感じるけど、原田さんが指揮台に立つと、輪郭のくっきりした華やかな音色が出てくる。「オン・ザ・タウン」は躍動感がみなぎっていて爽快。ジョージ・ウォーカーはなじみがないが、アフリカ系アメリカ人で2018年に世を去った現代の作曲家なんだそう。なんの先入観もなく「弦楽のための叙情詩」を聴いたが、バーバーの「弦楽のためのアダージョ」を思い出さずにはいられない。ピアソラのオーケストラ曲を聴く機会も貴重。「タンガーソ」、前半のゆったりした部分には音楽院の香りが漂うが、後半はピアソラのタンゴそのもの。アルゼンチンつながりで、マラドーナの訃報を思い出す。
●この日のハイライトはマルケスのダンソン第2番。N響がハジけまくってノリノリのダンスミュージック。冒頭のクラリネット・ソロからあまりに奔放で、ムンムンとした香りがサントリーホールに充満する。「夜の街」ムード全開。こんなに猥雑なムードがN響から生まれてくるとは、なんという痛快さ。本来なら客席からイエーイ!とばかりに歓声があがってしかるべきところだが、このご時世にそれは無理。拍手に留めて、ブラボーは心のなかで。

November 26, 2020

waist-up dressing

オンラインミーティング●いま、ふたたびオンラインのミーティングが増えている。使用ツールは、ZOOMが多くて、あとはTeams等。ZOOMを最初にインストールしたのは4月になってからだと思うが、あっという間に世の中に定着した。
●で、これは個人的に感じていることなんだけど、ZOOMの最初の頃はわりとみんなラフな感じでオッケーっていう雰囲気だった気がする。緊急事態宣言があったりして、どうせ出かけないんだから、普段着でいいよね、みたいな。でも、世の中が動き出して、ZOOMが当たり前になってくると、だんだんきちんとした人、オシャレな人も増えてきて、すっかり外で会うミーティングと変わらない感じになった……と、思う。
●で、自分もZOOMのためにジャケットを着用したり、たまにはネクタイすらしてみたのだが、そんなときに悩むのは下だ。パジャマってことはないんだけど、まあ、ジャージとかでいいわけで、上は外着、下は部屋着みたいな新しいドレスコードが誕生しつつあるのを感じる。これもニューノーマルなのか。
●Oxford English DictionaryのWord of the Year 2020では、今年爆発的に広まった言葉としてUnmute(ミュートを解除する)を挙げたほか、関連してwaist-up dressing、waist-up fashionといった言葉も紹介している。

November 25, 2020

鈴木優人指揮読響&村治佳織のロドリーゴ、ベートーヴェン

サントリーホールのツリー
●24日はサントリーホールで鈴木優人指揮読響。ホール入口脇の滝にツリーが立っていた。今年のクリスマスはどうなるのか、世界的ウイルス禍でサンタさんは活動を自粛するのか、いっそ春に延期してはどうか……などと思いつつ臨んだプログラムは、ベートーヴェンの序曲「レオノーレ」第3番、ロドリーゴの「ある貴紳のための幻想曲」(村治佳織)、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。そういえば今年はベートーヴェン・イヤーでもあったのだ。最初のオーケストラ入場時の拍手はまばら。演奏会の雰囲気は非常時から日常へ回帰しつつある一方、東京の感染者数は急激に増加しており、難しい局面に入ってきた。弦は対向配置、指揮棒あり。
●「レオノーレ」第3番はドラマティック。大臣の到着を告げる舞台裏のトランペット、2度目はかなり近くで朗々と鳴って、いよいよ目の前までやってきたという感。コーダに突入するヴァイオリンのスピード感あふれるパッセージは、最初は少人数で始めてだんだん人数が増えていく劇的仕様。スペインの刑務所から政治犯が解放されるハッピーエンドに続いて、ロドリーゴを聴くというスペインつながりなのか。「ある貴紳のための幻想曲」はガスパル・サンスの楽曲を題材に用いた擬古的なギター協奏曲。録音ではよく「アランフェス協奏曲」とカップリングされる曲だけど、実演で聴く機会は多くない。「貴紳」っていう言葉、この曲で知ったようなものだけど、原語はgentilhombre、英題だとあっけなくgentleman。名訳。ギターはPAありで、自然なバランス。心地よく聴き入る。第2楽章「エスパニョレータとナポリ騎兵隊のファンファーレ」がシチリアーノで始まるのだが、レスピーギの「リュートのための古風なアリアと舞曲」を連想せずにはいられない。古楽の再創造という点でストラヴィンスキー「プルチネッラ」らと似たようなことをやっているはずなのだが、手触りはぜんぜん違って、素朴な温かみがある。アンコールは村治さんが曲名を告げて、大定番のタレガ「アルハンブラの思い出」。
●後半はベートーヴェンに戻って気迫のこもった「運命」。管楽器や打楽器にいくぶん重心が傾き、金管の強奏もあって剛悍な趣。終楽章のリピートありがうれしい。あの流れをぶった切るようなリピートは、第1楽章のオーボエの小カデンツァと並ぶこの曲の快感ポイント。喝采の後は念入りな分散退場で密を避ける。

November 24, 2020

トロールの森 2020

トロールの森 2020
●「トロールの森」は杉並区の都立善福寺公園を中心に西荻窪周辺エリアで展開される国際野外アート展。昨日で日程が終了したのだが、善福寺公園の展示のみ見てきた。公園のあちこちに作品が点在していて、展示を目的にというよりは公園を目的に来た人が、通りすがりに眺めてゆくといった緩い雰囲気。
●「トロールの森」にはこれまでにも何度も足を運んでいるのだが、これまでの印象は薄め。というのも、この公園そのものがとても魅力的で、園内に作品が展示してあっても、周囲の自然がもたらす造形の精妙さと複雑さに対して、作品が弱々しく感じることが多かった。自然といっても都市の公園だから、あくまでコントロールされた自然であって、そういう意味では造園工がアーティストに完勝していたとも言える。ただ、今回は「これはいいな」と思える作品が何点かあって、もしかするとこの企画は年々パワーアップしているのかも?と思った。
トロールの森 自然的距離
●そのひとつ、「自然的距離」(中尾紫香)。つまり、ソーシャル・ディスタンスならぬナチュラル・ディスタンス。樹木の間隔というのはもともとナチュラルなディスタンス以外にありえないわけだが、木々の間に公園の間伐材を詰めて、わざわざ「密」な木の壁を作り出している。人間が離れるなら、木は接近しよう、みたいなおかしさがある。
トロールの森 ウォーターワールド
●もうひとつ、「ウォーターワールド」(栗田昇)。善福寺池の片隅に水車と噴水が設置されている。水車はくるくる回っているし、噴水からは水が噴き出ているのだが、電力等の動力源を用いず、高いところから低いところへ向かう水の流れだけでこれを実現している。現代アートという以上に匠の技。デザインの力。

November 20, 2020

ムーティ指揮ルイージ・ケルビーニ・ジョヴァニーレ管弦楽団公演を東京・春・音楽祭サイトで無料配信

ムーティ指揮ルイージ・ケルビーニ・ジョヴァニーレ管弦楽団
●11月22日(日)と29日(日)、日本時間19時からリッカルド・ムーティ指揮ルイージ・ケルビーニ・ジョヴァニーレ管弦楽団の演奏会が東京・春・音楽祭のサイトで無料配信される。会場はラヴェンナのダンテ・アリギエーリ劇場で、無観客。ラヴェンナ音楽祭公式サイト、イタリアの通信社ANSAサイト内でも同時配信されるそう。このオーケストラは2004年にムーティが創設したユース・オーケストラで、30歳以下のメンバーにより構成される。プログラムは22日がシューベルトの交響曲第8番「未完成」と同第3番。29日はマルトゥッチの「ノットゥルノ」、プッチーニの交響的前奏曲、ヴェルディの序曲&バレエ音楽集。詳細と視聴リンクはこちらへ。
●上記写真はプレス用に配布されたものだが、「マスクを着用して演奏するヨーロッパのオーケストラ」という図は、ほんのわずか前には想像もつかなかった。後で振り返ったときに、2020年特有の光景として思い出されることになるのだろうか……?
●ついでにお知らせをひとつ。東京・春・音楽祭サイトの「作曲家の横顔 ~脇道コラム集」で拙稿「ほとばしるバッハ」全3回公開中。ご笑覧ください。

photo © Zani-Casadio

November 19, 2020

新国立劇場「アルマゲドンの夢」

新国立劇場「アルマゲドンの夢」
●18日は新国立劇場で藤倉大作曲の新作オペラ「アルマゲドンの夢」。西村朗「紫苑物語」に続く、大野和士芸術監督による日本人作曲家への新作委嘱シリーズ第2弾。台本はハリー・ロス、演出はリディア・シュタイアー。原作はSFの祖、H.G.ウェルズによる短篇小説(既訳邦題は「世界最終戦争の夢」)。13日のゲネプロ・レポートをONTOMOに書いたので、一通りのご紹介はそちらをご覧いただくとして、以下は本番を観て思ったことを列挙。なにしろ新作、しかも情報量の多い舞台なので、やはり2回目があると格段に親しめる。
●まず、ウェルズの原作なんだけど、事前に読んでおく必要があるかないかといえば、ないと思う。むしろ事後に読むとおもしろいかも。オペラ化にあたって、新しいアイディアがふんだんに盛り込まれているし、原作から削った要素も大きいので、ウェルズを念頭に見るとかえって混乱しかねない。でも、原作を読めばさらに楽しめるのもまちがいないところで、そのあたりは「ボエーム」とか「マノン・レスコー」のような名作オペラと同じ。
●いちばんオペラと原作と大きく違うのは、主人公とヒロインの立ち位置。原作での主人公は、政治の表舞台から退いて恋人との愛に生きる男であって、無責任にのほほんと過ごしているうちに、かつて自分の配下にいた男が独裁者となって、強権的な全体主義国家を築く。オペラでは、主人公はもっと普通の男。台本のハリー・ロス言うところの「行動を起こさず、現実逃避をして生活している」「リベラルなエリート」が投影されている。一方原作では名前もなかったヒロインは、エリート政治家の娘であり、行動する女性。
●このオペラは通勤電車のシーンから始まるわけだけど、電車の音とか「軍靴の足音」みたいなものとかシュプレヒコールとか、わりと反復的というか律動的なモチーフがたくさんある。藤倉大のオペラといえば、以前に東京芸術劇場でレム原作の「ソラリス」が演奏会形式で上演されたけど、ソラリスの海や宇宙船内の密室に比べると、「アルマゲドンの夢」は音楽が具体的な情景と結びつきやすい。そして、思った以上にユーモアの要素がある。あと、無伴奏の合唱ではじまる。合唱が陰の主役。電車オペラでもあり合唱オペラでもある。
●台本は英語なんだけど、日本語字幕は作曲者と台本作家の監修を受けたもの。となると、これ以外の日本語字幕はない。新国立劇場は英語字幕も出る。平易な言葉を使うというポリシーははっきりしている。だから日本語字幕の言葉も平易。
●で、これって政治オペラでもあるんすよね。藤倉作品としては意外というか、台本のハリー・ロスの視点ではあるんだろうけど、原作にない政治性を帯びている。実はゲネプロを観たときは、ハリー・ロスがどこに焦点を当てているのか、いまひとつピンと来なかった。というのも、問題意識の所在が少し違うみたいなので。これは長くなる話だから簡潔に言うと、ハリー・ロスはジョンソン=悪を自明とする側から描いているけど、今わたしたちが目にしているのは、ジョンソン的な指導者のほうが実は国民は豊かで健康的で幸福な暮らしを享受できるのではないかという価値観の台頭であり、そこに現実の裏付けがないと言い切れない難しさがあるということ。
●休憩なしで100分。将来的にレパートリー化されれば、ダブルビルも可能かもしれない。たとえばもう一本は、現実と虚構つながりで「道化師」とか。あるいは疎外された個人つながりで「青ひげ公の城」とか。

November 18, 2020

ニッポンvsメキシコ代表、グラーツでの親善試合

メキシコ●本日早朝のニッポンvsメキシコ戦を録画観戦。以下、結果バレするので、これから録画観戦する方はご注意を。グラーツでの無観客試合で、相手は強豪メキシコ。メキシコ代表にはプレミアリーグのウォルバーハンプトンのラウル・ヒメネスやナポリのロサノなどもいるが、実は国内組も多い。メキシコは国内リーグが充実しているらしく、伝統的にそんなイメージ。メキシコとオーストリア間の渡航制限はどうなってるんすかね。ニッポン代表は全員欧州の選手。層は格段に厚くなったが、一方で所属チームを見るとプレミアリーグやビッグクラブで常時出場しているレベルの選手はひとりもいないとも言える。布陣は4バックに戻った。GK:シュミット・ダニエル-DF:酒井、冨安、吉田、中山雄太-MF:遠藤航、柴崎(→橋本拳人)-伊東(→三好)、鎌田(→浅野)、原口(→久保建英)-FW:鈴木武蔵(→南野)。
●序盤はひたすら押し込まれる展開。メキシコの精力的なプレスに苦しんで、ニッポンはほとんどボールを前に運べない。しかし10分過ぎ、鎌田からの細かいパスで鈴木がキーパーと一対一のチャンスを作ったあたりから流れがニッポンに。原口のミドルや、鈴木武蔵のシュート、こぼれ球に対する伊東のシュートなど、次々と決定機を作る。前半は特にニッポンの右サイドに大きなスペースがあり、ここで伊東が躍動する。中盤の遠藤航、柴崎のコンビも攻守にわたって機能し、鎌田もクリエイティブなワンタッチ・パスを見せるなど、見ごたえあり。質の高いプレスをする相手に対して、こんなふうに流れを取り戻せるのかと感心。振り返ってみればここで一点でも決めていればというところだったが、メキシコのベテランキーパー、オチョアがナイスセーブを連発した。
●後半は流れががらりと変わる。メキシコのマルティーノ監督はサイドバックの選手を交代し、伊東に破られていた左サイドをふさぎ、中盤はダブルボランチで守備を強化。しばらくすると霧が濃くなり、ピッチが見えにくくなる。ニッポンが鈴木武蔵と柴崎を下げて、南野と橋本を投入した直後あたりから、序盤と同じく一方的なメキシコのペースに。日本の守備陣が落ち着きをなくしつつある中、後半18分、ゴール前の混戦から抜け出したヒメネスが技巧的なトゥーキックでキーパーの肩の上を抜いて先制ゴール。ここで濃霧のためボールをカラーボールへ変更。続いて後半23分、スルーパスにディフェンスラインの裏を抜け出したロサノが一対一を冷静に決めて追加点。短時間のうちにメキシコが試合を決めてしまった。この後、ふたたびニッポンが流れを押し戻せればよかったのだが、メキシコがペースを握り続けたようで、ニッポン0対2メキシコ。実のところ後半途中からは濃霧のため、なにが起きているのかさっぱりわからず。サッカーを見ているんだか、霧を見ているんだか。なかなか日本では見られない光景。終わってみれば順当に力の差を見せつけられた試合ではあるが、前半にあれだけできたのは予想以上の健闘。つまるところ、決定機に決められるかどうかという、永遠の課題が浮き彫りになった試合でもある。

November 17, 2020

録画に失敗したニッポン対パナマ戦なのだが

●さてウィーン・フィルはひとまず無事に日本から帰国したわけだが、ニッポン代表は現在もオーストリアに滞在中である。親善試合、ニッポン対パナマでは南野のPKで1対0で勝利した。次は日本時間で18日早朝に今回の遠征の目玉、メキシコ戦がある。パナマにしてもメキシコにしても日本と事情は同様で、渡航制限があるため、代表戦をヨーロッパで組んでいる(ちなみにメキシコは先に韓国と試合をしている)。
●で、本来なら当欄でニッポン対パナマを振り返るところなのだが、なんと録画予約を失念しており、慌てて試合の途中から録画することに。おまけに録画を見る前に結果を知ってしまい、がっくり。テンションが上がらずぐずぐずしているうちに次のメキシコ戦が迫ってきた。
●が、それよりも問題なのはニッポン代表のジャージだ! チラッと録画を見て、ワタシはテレビの前で崩れ落ちそうになった。なんすか、あれは? シャツ・パンツ・ソックスが白・白・赤。赤いソックス、ありえない。ニッポン代表の色は青、そして白。地の色で許せるのはそのどちらかのみ。赤は韓国の色。赤は北朝鮮の色。赤は中国の色。アジアは赤い代表チームだらけで、そのなかでわれわれは独自の青を選んでいる。もちろん、ワンポイントや模様の一部で赤を使うのは問題ない。しかしシャツ・パンツ・ソックスの地の色は青か白だ。ときどきニッポン代表を赤化したい勢力が出てくるようなのだが理解に苦しむ。だいたい、一度、赤に変えてひどい目にあったじゃないの。赤ジャージの横山ジャパンがW杯1990イタリア大会アジア一次予選で敗退して以来、代表では赤は呪いの色。八咫烏は青空で羽ばたいてほしい。

November 16, 2020

熊倉優指揮NHK交響楽団&藤田真央のシューマン、メンデルスゾーン他

熊倉優指揮N響
●14日はNHKホールで熊倉優指揮N響。ゲスト・コンサートマスターに白井圭。N響の客席は今も一席空け。客席に若い女性の姿が目立つのだが、これは藤田真央効果? プログラムは前半にメンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」、シューマンのピアノ協奏曲(藤田真央)、後半にバッハ~レーガーのコラール前奏曲「おお人よ、おまえの罪に泣け」、メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」。ウイルス禍による編成上の制約もあってか、ここ最近は珍しい曲を聴く機会が多かったのだが、久々に有名曲が並んだプログラム。「フィンガルの洞窟」はかなり遅いテンポでじっくりとスタート、海蝕洞の威容に心がざわめくかのよう。シューマンは藤田真央にぴったりのレパートリー。よどみなく音楽が流れ、詩情豊か。澄んだ音色でみずみずしい音楽が紡ぎだされる。タッチが繊細なのでNHKホールの巨大な空間にニュアンスが埋もれてしまった感も否めないが、これは彼に限ったことではなく。アンコールはシマノフスキの4つの練習曲作品4の第3曲。
●「イタリア」はとりわけ弦楽セクションの底力を感じる立派な演奏で、豊かな中音域に支えられた厚みのある響きが印象的。しなやかで快活、けれんのない健やかなメンデルスゾーン。決して微温的なメンデルスゾーンに陥らず、血の通った音楽になっていた。指揮の熊倉優が1992年生まれという若さにもびっくりだが、藤田真央は1998年生まれ。そしてN響も今やかなり若い集団なので、客席含めてすべてがフレッシュ。

November 13, 2020

東京国立近代美術館 MOMATコレクション 「今」とかけて何と解く?

東京国立近代美術館
●まだ本格的な寒さはこれからなのに、この数日で感染者数が急増している。このままだとこの冬はふたたび「あれもこれも自粛」に逆戻りしかねない。もっともなにをすればいいのか、以前よりはわかっているわけだから、先手を打つことはできる……のか?
●で、東西線に乗る用事があったので、ついでに竹橋に寄って東京国立近代美術館のMOMATコレクションへ。常設展だが、11月3日から展示替えがあって、内容が刷新されている。特集テーマは「『今』とかけて何と解く?」。現在のウイルス禍をふまえて、たとえば「ディスタンス」を切り口とした作品が集められた部屋があるなど、所蔵作品でこれだけ時宜を得た展示ができるのがスゴい。ここはMOMATパスポート等、手軽に「年パス」を持てるので、隙間時間を作って寄り道できるのが吉。今日は4階だけ見て帰ろうとか、なんなら特定の一枚だけ見て帰ろうみたいな発想がありうる。なにより空いているので、のんびり鑑賞できる。一時、密を避けるために事前予約が必要だったが、今はぶらっと立ち寄れるようになった。
●MOMATコレクションはほとんどの作品が写真撮影可。以下は宇佐美圭司「ドーム・内なる外」。

November 12, 2020

ほうじ茶ラテ、あるいはほうじ茶オレ

お茶とミルク
●最近、気に入っているのがほうじ茶ラテ。ほうじ茶のティーバッグが買ったままほとんど使われないままになっていたのに気づき、もしや?と思って試してみると、これがいい。飲むとほっとする。カップに牛乳を1/3くらい入れて、レンジで1分ほど温める。それからティーバッグを入れ、熱湯を注ぐ(ミルクティーもそうやって入れている)。で、さらに自分はスティックシュガーを加える。甘さが加わることで、いくぶん堕落したムードの飲み物になるのが好ましい。
●いや、待てよ。ほうじ茶ラテと言ったが、ほうじ茶オレではないのか、これは? カフェラテとカフェオレはぜんぜん別の飲み物だ。ワタシの理解では、カフェラテはエスプレッソにスチームミルクが入っている。カフェオレはコーヒーと温めたミルクが合わさったものだ。この場合、自分が飲んでいるのはほうじ茶ラテなのか、ほうじ茶オレなのか。ほうじ茶にはエスプレッソという概念はないと思うし、ミルクは普通に温めただけだから、どちらかといえばほうじ茶オレなのではないか。オレのラテは実はオレなのか。
●いやいや、それも違うだろ、ラテはイタリア語でオレはフランス語で意味は一緒だろう。カフェラテとカフェオレの本質的違いは、豆の焙煎度やミルクの温め方ではなく、コーヒー+ミルク飲料をイタリア風の様式で飲むかフランス風の様式で飲むか、といった話では。バッハにたとえるなら、イタリア協奏曲かフランス風序曲なのか。そう考えれば、ほうじ茶ラテなのかほうじ茶オレなのか、おのずと答えは出る。これはイタリアでもなくフランスでもなく、日本様式の飲み物だ。以後は「ほうじ茶牛乳」と呼ぶことにしたい。

November 11, 2020

ワレリー・ゲルギエフ指揮ウィーン・フィルのプロコフィエフ&チャイコフスキー

●ニッポン代表がオーストリアで合宿をしている今、オーストリアからはウィーン・フィルが来日している。ニッポン代表の選手たちは全員が欧州在住だが、ウィーン・フィルは正真正銘の来日公演。先日の「ウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン 2020」オンライン記者会見でも述べられていたように、メンバーは来日前から継続的になんどもPCR検査を受け、チャーター機で来日し、バスや新幹線の車両を貸し切って移動、日本入国後もホテルと会場を往復するのみで、外食もしないし人とも会わないという「一種の隔離状態」を全員が受け入れている。ウイルス禍以降、ずっとオーケストラの来日は不可能だったわけだが、日墺両政府のバックアップを受けてウルトラCでの来日が叶った。ウィーン・フィルはウィーン・フィルにしかできないことを行っている。
●で、今回はゲルギエフが指揮ということで、ロシア音楽がプログラムの柱。プロコフィエフ&チャイコフスキー・プロを聴いた。プロコフィエフのバレエ音楽「ロメオとジュリエット」からの4曲、同じくプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番(デニス・マツーエフ)、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。ステージ上にはウイルス禍以前と同様にぎっしり楽員たちが並ぶ。マスクを着用して入場し、演奏時は外す。コンサートマスターはシュトイデ、その隣にダナイローヴァ。ゲルギエフの指揮棒はお団子用の竹串みたいなもの。こうして本来の姿のウィーン・フィルを日本で聴いていることに、タイムスリップしたかのような錯覚すら感じる。豊麗で絢爛たるウィーン・フィルの響きは健在。
●驚いたのはマツーエフ。曲がプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番ということで、強靭な打鍵で暴れまくるのかと思いきや、パワー一辺倒ではぜんぜんなく、むしろ軽快なほど。結果として、作品の荒々しさや執拗さに向こうにある、清冽なリリシズムが伝わってくる。それにしても、この曲をこんなに軽々と弾いてしまうとは。
●ゲルギエフとウィーン・フィルの「悲愴」は以前にも聴いた。プログラムノートで確かめたら2004年。けっこう昔だから記憶などまったくあてにならないが、凄絶な名演だったという印象が残っている。が、今回の「悲愴」は別の味わい。喜びや悲しみの感情表現の幅を極大にするようなアプローチではなく、エネルギーはあっても咆哮せず、一瞬一瞬の美に浸るかのよう。第1楽章のおしまいに、これほど明白なノスタルジーを感じたことがあるだろうか。第2楽章以降は楽章間で棒を下ろさず、一瞬の間で次の楽章へと進み、一貫性のあるストーリーを作り出す。第3楽章の音量的なクライマックスにあってもゲルギエフの上半身は脱力して煽らず。行進曲よりもスケルツォの性格を強く感じる。あくまでクライマックスは終楽章で、ゲルギエフの身体は大きくしなり、音楽の流れは伸縮自在。悲劇的な結末を受け入れるのではなく、運命に抗い、もがきながら、これを制圧するといった物語性を読みとる。現在の特殊な状況下ゆえか、感じられるのは慈しみ、そして運命の超克。沈黙と喝采の後、まさかのアンコールへ。「悲愴」の後に演奏できる曲があるとは。曲はチャイコフスキーの「眠りの森の美女」より「パノラマ」。遅いテンポで淡々と演奏され、舞踊性はきわめて希薄、寂寞としてどこか現実離れした儚い音楽として響く。退出時、楽員たちはふたたびマスクを着用。現実が帰ってきた。拍手は鳴りやまず、ゲルギエフのソロ・カーテンコールとスタンディングオベーション。

November 10, 2020

フットボールvsウイルス 2020秋

●オーストリアでの話だが、ザルツブルクで所属選手6人から新型コロナウイルスの陽性反応が出てしまった。これにともなって所属の奥川雅也のニッポン代表への初招集がどうなるか微妙な情勢に。先週末、ザルツブルク対ラピド・ウィーンの試合に向けてPCR検査を受けた際は選手全員が陰性だったが、代表戦ウィークに向けてまた検査をしたところ、今度は6人もの選手が陽性になってしまったという(奥川本人が陽性だったわけではない)。PCR検査で陰性といってもその時点限りでの話であって、その翌日に感染することだってありうる。いま代表はグラーツにいるので、移動はオーストリア国内で済むのだが。
●その奥川雅也は先日、チャンピオンズ・リーグで王者バイエルン・ミュンヘン相手にゴールを決めた。すごい! これはDAZNでハイライトを見なければ……と思ったら、なんと、DAZNからチャンピオンズ・リーグの試合が消えているんすよ! えっ、放映権取ってたじゃないの。どうやらDAZNは密かに放映権を返上していたようで、なんの発表もなく配信を止めてしまった。ヨーロッパ各国がふたたび無観客試合に戻っているウイルス禍の現状からして、配信を止めたほうが得策というビジネス上の判断なのだろうか。「ウイルス禍 黙って消える チャンピオンズ・リーグ」(←五七調で)。
●毎週2試合という異常なハイペースで試合を消化するJリーグだが、先週末はほぼ試合がなかった。なぜなら、本当は7日にルヴァンカップの決勝、柏vs東京戦が国立競技場で予定されていたから。しかし柏レイソルに多数の陽性者が出たことから試合が延期されてしまった(現状選手4名、チームスタッフ11名)。柏は11月14日のリーグ戦も中止に。代替開催日は未定。

November 9, 2020

寒くなると

●だんだん、肌寒くなってきた。いろいろなスケジュールと合わせて考えると、今季のサッカー観戦はもうないか、がんばってもあと一試合か。で、寒くなると気になるのがウイルス。冬になると換気をしなくなるので、常時「三密」のうちの「密閉」が成立してしまう。12月からの忘年会・新年会シーズンでどこまで感染が広がるか、大いに気になるところ。



●で、現状を確認しておこう。都内の新規陽性者数は上記の通り(出典は東京都の対策サイト)。曜日によるばらつきをなくすために7日移動平均を見る。まだそれほど顕著ではないが、10月下旬からはゆるやかながら上昇トレンドに入っている。数字が実態から2週間遅れることを考慮すると、気候が肌寒くなってきた影響はこれからか。
各国の人口あたり新規感染者数の7日移動平均
●続いて各国の人口あたり新規感染者数の7日移動平均(画像だとつぶれるのでリンク先推奨。出典はourworldindata.org)。フランスの急勾配に息をのむ。現在、ウィーン・フィルが来日中でもあるのでオーストリアも加えてみたが、こちらも厳しい。第一波では優等生だったオーストリアがこんなことになっていたとは。欧州各国では程度の差はあるにせよふたたびロックダウンが実施されている。これに比べるとアジア・オセアニアはほとんどゼロに貼り付いているように見えるが、欧州に比べて数字が極端に小さいからそう見えるだけで、アジア&オセアニアの国々のみのグラフを見れば、日本のグラフが上向きになっている様子がわかる。
アジア・オセアニアの人口あたり新規感染者数の7日移動平均
----------------
●演奏会でお腹が空くという経験はだれもが身に覚えがあると思う。特にオペラの長丁場はそう。ONTOMOに三大「お腹がすくオペラ」を寄稿した。もちろん、あのオペラも入っている。ご笑覧ください。

November 6, 2020

ベルリン・フィル・レコーディングスのオンライン記者会見

ベルリン・フィル・レコーディングス オンライン記者会見
●遡って30日夕方は、ベルリン・フィル・レコーディングスのオンライン記者会見。出席者はベルリン・フィルのソロ・チェロ奏者兼メディア代表のオラフ・マニンガー(右)とベルリン・フィル・レコーディングスのレーベル・マネージャーであるフェリックス・フォイステルの両氏。日本側からはキング・インターナショナルが司会進行し、音楽評論家の山田治生さんが代表質問するという形。少し変則的で、ベルリン・フィル・レコーディングスのおふたりと通訳の城所さん、日本側スタジオをそれぞれリモートでつないだ映像を、われわれはYouTubeの配信で見るという形。リモートのリモートというか、メタリモート会見みたいな感じでおもしろかった。視聴者は30数名ほど。
キリル・ペトレンコ&ベルリン・フィル ファースト・エディション●テーマはこのたび新たにリリースされた、「キリル・ペトレンコ&ベルリン・フィル ファースト・エディション」。ベートーヴェンの交響曲第7番および第9番「合唱」、チャイコフスキーの交響曲第5番および第6番「悲愴」、フランツ・シュミットの交響曲第4番、ルーディ・シュテファンの一楽章の管弦楽のための音楽が収録されている。例によって、豪華パッケージによる重量感のあるBOXセットで、音楽CD、音声トラック&コンサート映像を収めたブルーレイ・ディスク、24bit/192kHzのハイレゾ音源をダウンロードするためのURLとパスワード、DCHの7日間無料チケットがセットになっている。
●マニンガー「ペトレンコはこれまでほとんどCDを録音してこなかった。だから今回の録音は貴重なもの。ペトレンコとの最初の録音でなにを世に問うべきかを熟考した結果、彼がベルリン・フィルでなにをしたいかを伝えるものにしようという答えが出た。われわれにとっても中核的なレパートリーであるベートーヴェン、ペトレンコのルーツを反映したチャイコフスキー、そして音楽をよく知っている日本の聴衆にとっても新鮮であろうシュミットとシュテファンという選曲になった。ペトレンコはわたしたちを自分の世界へと連れて行ってくれる音楽家。オープンでなにも隠さず、作品がどのような精神的な背景から生まれ、どのような物語を持っているかを示してくれる。それが頭でっかちではなくエモーションと結びついている点が、私たちをインスパイアする。ペトレンコとベルリン・フィルの間の化学反応が、これらの録音にはっきりと現れている」
●ベルリン・フィル・レコーディングスのタイトルはいつも美麗な装幀に目を奪われるが、今回のアートワークはローズマリー・トロッケルによるもの。マニンガー「日本のみなさんにはわかってもらえると思うが、私たちはこうした商品を作るときに、物として美しいもの、価値があるものを作りたいと思っている」
●今後のタイトルとしては年末にマーラーの交響曲全集が予定されている。といっても、以前のブルックナーの交響曲全集と同じように、曲ごとに指揮者が異なる形での全集。またペトレンコとの次のエディションについては、彼がとりあげるレパートリーから本当に良かったと思えるものをピックアップするということで、交響曲全集のような形ではなく、演奏会での録音を集めたモザイクのようなものになるという。さらには現在のウイルス禍について、「この数か月で学んだことはフレクシブルに考えるということ。これまでは数年間をかけてプランを立てていたが、今の状況ではそうはいかない。ペトレンコとすばらしい演奏が生まれたら、たとえば一枚だけであってもリリースする可能性もある。明日どうなるかわからないのだから、レーベルとしてもフレクシブルでなければならない」

November 5, 2020

「ウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン 2020」オンライン記者会見

「ウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン 2020」オンライン記者会見
●4日夕方、来日したウィーン・フィルのオンライン記者会見に参加。登壇者はダニエル・フロシャウアー楽団長とミヒャエル・ブラーデラー事務局長。ウィーンからANAのチャーター便で福岡に直行しての会見。なお、使用ツールはBluejeansで、約50名ほどが参加。
●フロシャウアー楽団長「全員がここ福岡に到着できてうれしく思っている。今回は非常に特殊な条件下でのツアーになった。日奥両政府、クルツ首相の支援に感謝したい。私たちは世界中が注目するツアーを行おうとしている。未来に向けてのレールを敷いていると言ってもいい。今回は大変厳しい安全対策をとっている。先週だけでも私たちは4回のPCR検査を受けた。フライト前にも全員が検査を受け、到着時も検査を受けて問題なく入国できた。ウィーン・フィルの音楽をみなさんに届けること、そのクォリティに妥協しないことは私たちの責務だと考えている」
●ブラーデラー事務局長「日本滞在中の行動様式についても厳しいルールを設けている。われわれは2週間の滞在中もある種の隔離状態にある。会場とホテルを移動するだけで、外食もしないし、人とも会わない。メンバー全員がこの厳しいルールを受け入れた」
●ザルツブルク音楽祭に出演した際、ウィーン・フィルの楽団員はのべ700回を超える検査を行ったそう。今回、出発前日に1名の無症状陽性者が出たことから、医師と相談の上、当人とその接触者がツアーを見合わせた。医師が求める以上の基準であらゆるリスクを排除して出発したという。
●フロシャウアー楽団長「9月に入って外務省とも相談し、どういう条件を満たせばいいのか医師も含めて検討した。安全なツアーを実現するためにあらゆる手段を尽くしてきた。未来に向けてのビジョンを示したい。今回の決断を私たちは勇気ある決断と位置付けている」
●なお、今回のプログラムにはストラヴィンスキー「火の鳥」全曲やリヒャルト・シュトラウス「英雄の生涯」といった大編成の曲も含まれているわけだが、オーケストラの配置は通常通り。全員が定期的に検査を受けているので通常配置で問題ないという結論。また奏者間の距離をとると「明らかにクォリティに影響が出る」ため、通常配置でウィーン・フィルとして最高の響きを実現しなければならないと述べられた。

November 4, 2020

ヘンデル「リナルド」 鈴木優人プロデュース BCJオペラシリーズ Vol.2

バロックRPG リナルド
●3日は東京オペラシティで鈴木優人指揮バッハ・コレギウム・ジャパンによるヘンデルのオペラ「リナルド」(セミステージ形式)。神奈川県立音楽堂に続く東京公演、客席はよく入っていた。体温、手指消毒、連絡先記入、セルフ半券もぎり、時差退場等、現在の標準的な感染対策あり。歌手陣は当初の予定からオール国内組に変更され、リナルド役には当初エウスタツィオ役だった藤木大地が抜擢された。森麻季(アルミレーナ)、中江早希(アルミーダ)、大西宇宙(アルガンテ)、波多野睦美(魔法使い)、久保法之(ゴッフレード)、青木洋也(エウスタツィオ)他。カウンターテナーが3人(リナルド、ゴッフレード、エウスタツィオ)もいる重心の高いオペラ。随所に工夫が凝らされていて、バロックオペラを上質のエンタテインメントに昇華させた見事な舞台で、休憩2度をはさんで4時間の長丁場を飽きさせない。名アリア「私を泣かせてください」を頂点に森麻季がさすがの歌唱。ナチュラルに漂うお姫様キャラ感。藤木大地のリナルドはこの演出(後述)にぴったり。敵方も充実、大西宇宙のアルガンテは立派、声でも演技でも忘れがたいのがアルミーダ役の中江早希で、第2幕の怒りの表現に大喝采。アルミーダは「夜の女王」直系のご先祖様って気がする。嵐のようなチェンバロ・ソロをはじめ器楽も見せ場満載。そして「リナルド」という作品に改めて魅了される。サービス満点のヘンデル。若き日に持てるすべてをつぎ込んだ渾身の作といった感。
●演出は砂川真緒、ドラマトゥルクに菅尾友。これが秀逸。会場内の至るところに上記写真のようなポスターが貼られていた(これ自体、RPGのパロディとして最高におかしい)。主人公リナルドは胸にRの文字が入ったトレーナーを着た、いくぶんオタクっ気のあるゲーマーなんである。そしてRPG「リナルド」の世界で、オペラの物語が展開する。これは実に納得のゆくアイディア。勇者、姫、剣と魔法の世界が現代においてもっとも親しまれているのはRPGの世界にほかならない。ゲーム機のコントローラーを握れば、みんなが勇者になれる。「リナルド」という古い物語にメタフィクションという形の現代性をもたらしたうえで、主人公とヒロインのフィジカルな接触を最低限に済ませるウイルス禍に応じた演出にもなっている。なによりいいのは、キリスト教徒対イスラム教徒というセンシティブにならざるを得ない対立の構図を話の本筋から外せる点。最後にムスリムたちを改宗させて「ハッピーエンド」とする居心地の悪さが解消される。最後の場面、リナルドはオペラ内世界から現実世界に帰ってきて満たされつつも寂しさを感じるような終わり方になるのかなと予想したら、そこは少し違っていて、音楽に合致した円満なフィナーレだった。
●ところでこのRPG「リナルド」はどんなテイストのゲームなのか。自分の想像ではドラクエ風でもなく、ファイナルファンタジー風でもない。ダークファンタジーの要素があって、しかもスタイリッシュ。ずばりメガテンこと「女神転生」のイメージだ。もっとも、胸にRのロゴは、ポケモンのロケット団そのもので、「愛と真実の悪を貫くラブリーチャーミーな敵役」感が半端ない。

November 2, 2020

東京武蔵野シティFC vs FCマルヤス岡崎 JFL第26節

musashino202010.jpg
●31日、久々の武蔵野陸上競技場へ。JFL(日本フットボールリーグ)の東京武蔵野シティFC対FCマルヤス岡崎を観戦。先日の味スタでのヴェルディvsジュビロ戦に続いて、ウイルス禍以降、2度目のサッカー観戦。雲一つない快晴で、絶好のサッカー観戦日和になった。寒いのは嫌なので観戦するなら今のうち。ちなみに入場時は氏名と連絡先を書いたカードを渡し、手指を消毒、チケットを自分でもぎる方式。席は一席空けで、発声を伴う応援は禁止。もともとこの競技場は鳴り物禁止なので(近隣住宅地への配慮のよう)、手拍子でしか応援できない。当然アルコールも売っていない。観客席はおとなしく、平和だ。観客は391名。
●で、東京武蔵野シティであるが、将来のJリーグ参入を断念したこともあってか、なかなか難しい時期にあるようで、今季は下位に沈んでいる。しばらくぶりに観戦すると、知ってる選手の名前がずいぶん減った。一方、マルヤス岡崎もやはり苦戦が続いている。本来なら下位同士の直接対決という緊迫感のある状況なのだが、今季はウイルス禍に応じた特別ルールで降格がない。下位チームは目標を持ちづらいシーズンになっている。
●武蔵野はもともと守備のチームであるが、それにしても割り切った戦い方で、守備はセーフティファースト、中盤を省略してボールを前線に送るが、ワントップにまったくボールが収まらないため、攻撃はほぼサイドからのクロスのみ。ほとんどの時間、自陣でプレイする我慢の展開。岡崎は交代枠をうまく使いながら終盤にかけて攻勢を増し、アディショナルタイムの試合終了直前に江口和磨が見事なゴールを決めて土壇場で勝利をたぐり寄せた。武蔵野 0-1 岡崎。なにしろ前回のヴェルディvsジュビロ戦がJ2とは思えないパスゲームだったこともあってか、見どころの乏しいゲームに映ったことは否めず。それでも気候の良い日の観戦は喜びであるが。
●前後半とも飲水タイムが入った。暑くなくても飲水タイムが入るのは、選手たちが自分のボトルからしか水を飲めないためなのだろうか。従来のように手近のボトルから水を飲むことは、もはや考えられない。しかし、飲水タイムがあることで、サッカーの試合が前後半の2分割ではなく、4分割になったと感じる。

このアーカイブについて

このページには、2020年11月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2020年10月です。

次のアーカイブは2020年12月です。

最新のコンテンツはインデックスページへ。過去に書かれた記事はアーカイブのページへ。