2004年3月アーカイブ

March 31, 2004

サリエリ その2 - サリエリは18-19世紀の泉重千代だった

サリエリはホントはこんな顔だった●まず、昨日の激烈なサリエリへの賛辞の主についての解答である。実は引用中に「オペラ座」とあるので、パリでのことだとわかる(この時代に黙って「オペラ座」と書いたら、パリ・オペラ座のことだ)。正解はベルリオーズ。彼の「回想録」からの引用だった。
●さて、ここで「えっ!?」と思った方もいらっしゃるのではないだろうか。ベルリオーズとサリエリは時代が重なっているのか、と。重なっているのだ。グルック、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、ベルリオーズ、シューベルト、リスト、以上全員とサリエリの生涯は重なっている。初めて18世紀から19世紀にかけての音楽史年表を見た方は必ず驚愕する。この時代の「西洋音楽史」では、ものすごい勢いで新しい音楽語法やスタイルが発明され、ギュンギュンと時代が進んでいたのだ。ベートーヴェンの「第九」からベルリオーズの「幻想交響曲」まではたったの6年、「幻想」からワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」までだって35年でたどり着く。21世紀のワタシたちは50年も前に書かれた作品を「現代音楽」などと呼ぶほど呑気で牧歌的だが、18-19世紀は目もくらむようなスピードで時代が動いていた!
●そして、もう一つ重要なことがある。サリエリは18-19世紀ウィーンの泉重千代だった。彼は74歳で没した。昨日からご紹介している「サリエーリ モーツァルトに消された宮廷楽長」に、こういう記述がある。

当時のウィーン人の平均寿命は男性が36歳から40歳、女性が41歳から45歳だったから、サリエーリは充分長寿者だったのだ。

ええっと、驚天動地、こりゃマジっすか。ワタシらは認識を改めねば。35歳で死んだモーツァルトや38歳で逝ったメンデルスゾーンを早世といってはいけない。平均寿命と変わらないではないか。一方、74歳のサリエリは統計的には並大抵の長寿者ではないということになる。
●どうやらサリエリ最大の悲劇はここにありそうである。この音楽史的に激動の時代にあって、これほど長生きしてしまうということは、自分の傑作が古びて時代に取り残されていくことをリアルタイムで経験するということである。大作曲家にはなったものの、地位と社会的名声より作品寿命のほうが短いという恐るべき事態。これでは作品が忘れられるのも無理はないではないか。
(この話題、明後日に続く。明日は別の話題になる)
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たった24時間限定のクイズなのに回答してトラックバックしてくださったガーター亭別館擬藤岡屋日記に深く感謝。

March 30, 2004

評伝「サリエーリ」(サリエリ) その1

「サリエーリ」(サリエリ)●作曲家サリエリの名を知ることができたのは、映画「アマデウス」のおかげである。「アマデウス」は映画だからもちろんフィクションなのだが、その主人公サリエリの人物造詣は実に魅力的なものであった。
●では史実における作曲家サリエリは魅力的だったのか。この本格評伝「サリエーリ モーツァルトに消された宮廷楽長」(水谷彰良著/音楽之友社)を読むと、彼の生涯が映画に劣らず興味深いものだったことがわかる。それは「サリエリによるモーツァルト毒殺説」のためなどでは断じてない。ワタシの知る限り、映画「アマデウス」を観てこの俗説を信じた人などいないし、それは映画のなかですら中心的なテーマではない。一言でいえば毒殺説などどうでもいい。それよりも、18世紀末から19世紀のウィーンにおいて、圧倒的な名声を得ていた大作曲家サリエリが、なぜ忘れられた存在になったのかということのほうが、はるかに興味を惹く。
●実際、この本を読んでいておもしろいのは、第一にサリエリが栄華を極めるまでの成功譚であり、次にその後、時代がサリエリからロッシーニらへ移っていく件である。えっ、サリエリなんて、単に権謀術数に長けただけのいやらしい作曲家だろうって? チッチッチッ、そりゃ違う。本書で引用されているサリエリ激賞の証言に耳を傾けてみよう。

ある晩、私はオペラ座へ行った。サリエリの「ダナオスの娘たち」が上演されていた。そこには荘厳、舞台の輝き、オーケストラと合唱団の壮大な響き、ブランシュ夫人の悲壮な演技と見事な声、デリヴィスの崇高な荒々しさがあった。(中略) 私が混乱と興奮で陥った忘我状態は言葉で表せそうにない。山奥の湖で小舟しか見たことのなかった船乗り志望の若者が、大海を進む三層ブリッジの大型船に突然乗せられたようなものなのだ。その夜は一睡もできなかった。

はい、それではここで問題です(えっ、クイズなのかよっ!) 上の尋常ではない賛辞を述べている「船乗り志望の若者」とは誰か。ヒントとしては、彼はこのサリエリ体験の後、大作曲家としてその名を歴史に残したってこと、あともう一つ、「私が混乱と興奮で陥った忘我状態」ってあたりにキャラが出てるなってこと。
●その答えは、そしてサリエリ話の続きは、また明日

March 29, 2004

レアル・マドリッドvsモナコ(チャンピオンズ・リーグ)

レアル・マドリッドが嫌いな人間でも、サッカーが好きなら彼らのスペクタクルに魅了されてしまう●あまりにもおもしろい試合に出会うと、これは誰か優れた脚本家が筋書きを用意したのではないかという気になる。レアル・マドリッドvsモナコには、ありとあらゆる「因縁」が詰め込まれていた。
●モナコのスペイン人フォワードのモリエンテスは、かつてのレアル・マドリッドのエース・ストライカー。ロナウドがその座を奪うと、失敬なオーナーから不要の存在と言い放たれ、マドリッドを離れなければならなくなった。実績のある選手だけに移籍金・年俸も高額で、移籍はなかなか決まらず、結局フランスのモナコにレンタル移籍することになった(モナコというクラブはフランス・リーグに参加している)。モリエンテスがピッチ上で復讐を果たすためには、モナコがチャンピオンズ・リーグを勝ち進んで、レアル・マドリッドと戦うしかない。そして、準々決勝まで勝ち進んできた。
●モナコを率いる監督はデシャン。つまり、レアル・マドリッドのジダンとは、かつてフランス代表およびユヴェントスでチームメイトだったデシャンである。ジダンが自由自在に攻撃を組み立てる間、いつもその後ろでチームのバランスに気を配り、声を上げて味方を鼓舞し、相手からボールを奪うために体を張って戦った。日本で言えば超「柱谷」。
●試合が行われたマドリッドのサンチャゴ・ベルナベウは7万5000人を収容可能な巨大スタジアムである。モナコのスタジアムに何人入るかは知らないが、シーズン会員はダバディによればたったの900人! 世界一サポーターが多いクラブ対世界一サポーターが少ないクラブの対決といってもいい。
●そんなわけで、神様は試合をおもしろくしたくなった。この重要な試合で先制点はアウェイのモナコが奪った。ゴールを決めたのはレアル・マドリッドが触手を伸ばしているといわれるセンターバックのスキラッチ。できすぎている。そして、そこから本来のショウが始まり、ジダン、フィーゴ、ロナウドらが次々と超人技を連発して、レアル・マドリッドが4点取った。その中には主審にPKを見逃された直後のジダン怒りのゴールがあった。フィーゴのPKを相手GKのローマが止めたが、跳ね返ったボールを再びフィーゴがヘディングで押し込むという、「らしくない」ゴールもあった。ロナウドのゴールはあまりにも完璧で、テレビの前でみんな笑ってしまったにちがいない。4-1。
●これでも十分だが、もう一点入った。モナコのモリエンテスがヘディングでゴールを決めて4-2。ささやかな復讐を果たしたモリエンテスは天に向かって祈りと感謝を捧げた。マドリッドの人々はここで立ち上がって、かつての英雄モリエンテスに拍手を送った。なんと上品な人々なんでしょうか。でも賭けてもいいが、これは3点リードが2点リードになっただけだったから拍手したんである。富は人を寛容にする、と。
●モリエンテスのゴールはモナコにかすかな希望を残した。自分たちのホームで(サポーターのいないホームで)2-0か3-1で勝てばいい。厳しいが可能性はある。それにしても、これ、ワタシは日曜日の深夜のフジテレビで観たのだ。試合は火曜か水曜だったはず。昨年地上波放映権をとったTBSに比べると、フジテレビの冷淡さはあんまりじゃあありませんか。

March 28, 2004

ここにかちりと鳴らしなさい

spam缶。spamメール以前はspamといえばこれだった●脱力系のスパムとしては有名らしいので、みなさまも受け取っていらっしゃるかもしれませんが、ウチにも来てるですよ、これ。

From: チームスティーブン・シガール
Subject: ハリウッド・スター、スティーブン・シガールとパートナーに!

 これだけでも怪しさ全開だが、味わい深いのは本文最後の一文だ。

取除きなさいか ここにかちりと鳴らしなさい。

 うひゃひゃひゃひゃ。To be Removed, click here みたいなスパム定型文を機械翻訳させたんだろうなあ。「ここにかちりと鳴らしなさい」。ああ、スパム外人さんにもこの日本語と英語の隔たり具合を味わってほしいぜ!

March 26, 2004

「ボルヘスとわたし ― 自撰短篇集」 その2

ボルヘス。名声とともに緩慢な失明が訪れた●すまぬ、昨日に続いてもう一回だけボルヘスのことを。許せ。
●この「ボルヘスとわたし ― 自撰短篇集」(ちくま文庫)に収められた自伝風エッセイにはおもしろいエピソードがいくらでも含まれている(彼の短篇そのものと同じくらいに)。
●「名声を期待したこともなければ、追求したこともない」というボルヘスならではなのだが、物書きをやったり編集者をしたりしているうちに、彼も生活のために定職に就かなければならないことに気づいた。で、友人の紹介で物淋しい郊外の小さな図書館の「一等補佐員」とかいう地位を得る。「一等」というからには下に「二等」や「三等」があるのだが、それでもしょせん「補佐員」、上を見れば「一等」「二等」「三等図書館員」がいる! 月給は米ドルにして70~80。人は山のようにいるが、仕事らしい仕事はないという職場で、職員たちはサッカーの話題や猥談に興じてばかり。そんな場所でボルヘスは「濃厚な不幸の九年」を耐えた。
●と聞けば、なるほどボルヘスの下積み時代かと思うでしょ。ところが、この時点で彼はもう(図書館以外では)かなり有名な作家になっていたというのである。同僚の一人が百科事典の中に「ホルヘ・ルイス・ボルヘス」という名を見つけ、しかも生年月日まで「一等補佐員」のボルヘスと同じだというので不思議がっていたという。可笑しすぎる。
●この短篇集の中でワタシが特に気に入ったのは、「入り口の男」、「じゃま者」「二人の王様と二つの迷宮」。「めぐり合い」も傑作、これは「短刀に魂宿る」という古典的テーマを扱った名品で、「ブロディーの報告書」(白水Uブックス)にも所収されているのを、ずっと前に当欄でご紹介したことがある。

March 25, 2004

「ボルヘスとわたし―自撰短篇集」

「死ぬためには、ただ生きてさえいればいいのね」と女の声が言うと、また別の女が同じく思いに沈んだ調子で言った、「あれほど尊大な男だって、もう蠅を集めることきりできやしないんだわ」
(「バラ色の街角の男」~「ボルヘスとわたし」所収)

ボルヘスとわたし●ガルシア・マルケスと並びラテン・アメリカ文学の代名詞ともいえるホルヘ・ルイス・ボルヘスの自選短篇集「ボルヘスとわたし」(ちくま文庫)。短篇なので読書の谷間に少しずつ読んで行こうと思っていたら、読み終えるのに一年以上かかってしまった。しかしこの自選短篇集は「自選」ならではのおもしろさに満ちている。何しろ作品のためのページは半分ほどで、残り半分は自伝風エッセイと作者による作品解説なんだから、ボルヘスがどういう人物だったか、これほどよく伝わる短篇集はない。
●ボルヘスって、とにかく饒舌な人なんすね。作品が短いせいもあって、時には作品解説が作品自体と同じくらい長くなってしまいかねない(笑)。この饒舌さはアイザック・アシモフさえも超越している。「言わなくてもいいのに」っていうくらい説明しちゃうのだが、もともとここにある短篇の多くでは、作者のイマジネーションが生んだ物語と「昔、ブエノスアイレスでこんなことがあってなあ」という伝承とが境界レスであるため、短篇を読んでいてもエッセイを読んでいても、抱く印象は驚くほど似ている。自作に対して饒舌な人物というと、それだけで「ダメな人」の烙印が押されてもしょうがなさそうなものであるが、この自伝風エッセイを読めば、誰もがボルヘスに深い敬意を抱くことになるにちがいない。
●白人社会のアルゼンチンに生まれ、第一次大戦前後をヨーロッパで過ごしたボルヘスは、ヨーロッパ文学を敬愛し、少年の頃から虚弱で図書館にこもる本の虫だったが、作品にしばしば表れるアルゼンチンの「ガウチョ」は、ナイフと豪胆さで己の価値を示す荒くれ者である。マチスモ(南米的な「男らしさ」)はボルヘス作品のキーワードであると同時に、ボルヘスという人物の実像とはきわめて縁遠いものであったようだ。(つづく)

「その晩から兄弟はフリアナを共有することになった。コスタ・ブラーバの人々の、それほど厳格とも思えない貞操感さえ蹂躙した、この奇妙な関係の詳細は誰にもわからないだろう」(中略)
「気性の荒い場末では、男は決して他人に対し - いや自分自身に対しても - 女が肉欲と所有の対象以上のものでありうることを認めてはならなかった。ところが二人は恋に落ちてしまったのだ。だから二人は心に恥じるところがあった」
(「じゃま者」~「ボルヘスとわたし」所収)
March 24, 2004

新着クラシック系ブログ

movabletypeの管理画面●blogってのは必ずしもテーマを一つに絞ったものじゃないから「クラシック音楽系ブログ」なんていうのを定義することはできないんだけど、でもやっぱり「クラシック系」っていう概念は「あり」っすよね。ってことで、リンク集 Webzine のブログの項に、またいくつか新着サイトを登録しておいた。巡回したいサイトを見つけたら、その都度、ここに載せていくつもり。断りなしで載せちゃいましたので、ご連絡差し上げる代わりに各々トラックバックしておきます(トラックバック本来の用途とは違うけど)>掲載サイトの皆様。
●それにしても最近、あちこちプロバイダやらオンラインサービスで「ブログ」の提供が始まっていてスゴい勢い。なかでもniftyの「ココログ」は見かける機会が多く、敷居の低いシステムが巧く作られたのだろうなと感じる。
●サーバーを借りている方は、プロバイダなどに頼らずに自力でインストールすれば、苦労も多いが、楽しみも増す(かもしれない)。ワタシがここで使っている MovableType を使えばよい。日本語化手順やインストールについてはこちらを参考にするが吉。

March 23, 2004

ラーメン屋のカウボーイ

行列のできないラーメン屋が吉●繁盛しているラーメン屋に入った。
ワタシ:「えーっと、ラーメン!」
おばちゃん:「はーい、ラーメン一丁!
隣に座った女性:「ラーメンください」
おばちゃん:「はーい、ラーメン一丁!
むっつりした若い男:「ねぎラーメン……」
おばちゃん:「はーい、ラーメン一丁!
●あ、ヤバい、おばちゃん、ラーメンじゃなくて、ねぎラーメンだよ、と客はみな心の中で叫んだ。しかし誰も声を発することはできない。そしてワタシは急いで目の前のラーメンを食べた。すると、右隣の女性も急ぎだした。左のオジサンも懸命に食べている。誰も声を発しない。おばちゃんとねぎラーメンを頼んだお兄さんを除いた全員が、一刻も早くこの場を立ち去ろうとしている。来るべき、恐ろしい修羅場から逃れようと。

March 22, 2004

黙殺されるゴール、唸るブーイング

realmadrid●スペイン・リーグのアスレチック・ビルバオvsレアル・マドリッドには参った。最初、ビルバオが2点取って、こりゃなんじゃと思っていたら、不調だったラウールが2点取って追いついた。おお、これはまた「王者に勝てる!」と期待させておいた後に、完璧に絶望させる例のレアル・マドリッドの試合になるのかと思った。が。
●なんと、その後、ビルバオがさらに2ゴールを決めて、4-2。なんすか、そのサッカーは。ケガのロナウド以外はベスト・メンバーだったのに。
●しかし、スペインはどこも客席のサポーターが素晴らしいっすね。これはもうサッカーの基本だと思うんだが、ホームの客は敵にゴールを決められたら黙殺しなければならない。ラウールの2ゴールに対して、ビルバオの人々はなにごともなかったようにふるまった。見事である。「あーあ」と嘆息したり、「おおおーーー!」と驚嘆したりしてはならない。ましてや「キャー!」などと叫ぶのは論外。テレビを見ている人が「あれ?今のゴール決まったみたいだけど、取り消されたのかな?」と一瞬疑問に感じるくらい、シラッとするのが理想である。この辺のマナーはJリーグにも浸透しつつあるところ。
●と書いていて思い出した。欧州のサポーターはブーイングも上手いっすよね。腹の底から唸り声を出す。われらがニッポン代表戦だと、客席からはるか遠くの敵チームに向かって親指を下に突き出して手を振るブーイングをやってる人たちがいるんだが、あれはかなり恥ずかしい。そんなささやかなゼスチャー、絶対にピッチ上から見えないし、見えたとしても脅威に感じるどころかかわいすぎる(笑)。わからないようにブーイングするくらい内気なら、ブーなんかしなくていいんだってば。

March 20, 2004

ブログの読み方、基本のご案内

info●業務連絡みたいなものなんだけど、一応。
●このページの右側にあるMonthly Archives、これまでタイトル一覧の表示がかなり遅かったのだが、仕様変更してぐっと軽くなった。当欄のバックナンバーをご覧になるときにお使いください。
●バックナンバーについては右欄の検索窓より全文検索も可能です。
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●続いて、おさらい。時々記事の下に TrackBack (1) などと表示がある。これはブログの機能で、トラックバックなるものが記事に1本付いているよという意味である。クリックすると、ワタシの書いた記事に関連付けられる別のブログの記事へのリンクが出てくる。これはワタシがリンクを張ったのではなく、その別のブログを書いた方が張っているのである。おなじみさんからのトラックバックもあれば、見知らぬ方からトラックバックがあって、おもしろい。
●ワタシが日々巡回しているブログ、およびブログ以外のウェブマガジンについては、右欄のCLASSICAボタン下にある [L I N K S] に載っている。今後もクラシック系で、更新頻度が高く、興味深いブログを見つけたら随時追加していくつもり。現在掲載されているブログはどれも強くオススメ。

March 19, 2004

U23五輪最終予選ニッポンvsUAE

UAE●先日のレバノン戦に続いて、今日も対戦国の国歌は中鉢聡さん。しかも本日はアラブ人風のコスチュームで登場、オペラ歌手の本領発揮か(笑)。どこの国の国歌でも見事に歌いきってしまうのは立派だが、ぜひ次は君が代を聴かせていただきたいもんである。
●で、試合内容だが、平山のセンター、脇に大久保、田中を配するアタッカー陣が機能、守備陣も危なげなく、3-0と完勝。途中で一人退場者が出たことを考慮に入れても、やはりUAEの若年層はかつてより相対的に力が落ちている気がする。一昔前の中東の勢力図は忘れたほうがいいかも。レバノンだって未来への可能性が見えたし、バーレーンに至ってはオフトがやってきた頃のニッポンを見るかのような勢いだ(今日、レバノン相手に勝ち切れないというツメの甘さも含めて、かつてのニッポンみたい)。
●ワールドカップに比べれば重要度はぐっと落ちるが、しかしそれでも五輪本大会の出場権を得たのは嬉しい。この試合、結果も内容も完璧だった。が、ちょっと気になったのは大久保と平山のプレイ・スタイル。UAEの10番は、報復行為のためにレッドカードを出されたのだが、これは大久保の大げさなアクションに主審が欺かれたと見た。まるでシメオネではないか。申し訳ない気がする。さらに長谷川健太さんも指摘していた場面だが、相手が一人少なくこちらはリードしている後半、まったく無意味な挑発を相手選手にするあたり、不必要であり、見ていて悲しい。弱い敵に対しとる態度としては、フル代表のナカタと対極にある。平山もファウルが多い。癒し系キャラと思っていたがどうやら誤解で、かなり肘や腕が出てしまうタイプのようである。「現役高校生」みたいなキャッチフレーズがヘンな方向に働かないことを祈る。
●といっても、まだU23なので、今後どう変わるかわからない。若者を侮るくらい愚かなことはない(あっという間に成長するから)。大久保だっていつかはナカタになるかもしれない。昔「オレ、知ラネー」だった中田が、ナカタに変貌したように。

March 18, 2004

化けものの出る前の音楽

「私の美の世界」●よく指摘されるが、20世紀の「現代音楽」というのはホラー映画などで使われることが多い。ホラーに限らなくても、映画で恐怖、緊張、不安などを表現する場面となると、リゲティやペンデレツキ、バルトークなんかが流れてくるわけだ。音楽ファンとしてはどうかとも思うんだが、確かに今にもなにか出てきそうな恐ろしげな音楽も多いわけで、無理もないかなとは思う。
●で、いきなり古い本で恐縮だが、森茉莉の「私の美の世界」(新潮文庫)のなかに武満徹と会ったときの話が載っていておもしろい(60年代に書かれたものだが、森茉莉自身は当時の現代音楽に特に明るいわけではない)。

この武満徹という、長曾禰虎徹(ながそねこてつ)とか、飛騨匠(ひだのたくみ)、なぞの如きニュアンスのある名を持つ一人の音楽家の創造した音楽が、何を現わしたものであるかについて、かねて私は脳細胞をなやましていた。或る日彼の音楽の中の一つを聴いた時、私は想った。<これは何かの化けものの出る前の音楽である>と。そうして更に聴いていると、化けものも、又別の何ものも、出て来なくて、とうとう終いまで、化けものの出る前のもやもやだけだったのである。
(中略)
氏は「それで別に間違いではありません。そういうもやもやしたものを表わしたのですから」と言い、私を安心させた。(「私の美の世界」森茉莉/新潮文庫)

●やっぱり「これは何かの化けものの出る前の音楽である」と思われちゃったわけだ(笑)、武満徹ですら。微笑ましくもあり、同時になんらかの本質を突いているようにも思える。
●ところで森茉莉は対談のために武満徹と会ったらしいのだが、その対談自体はどこかに載ってるんでしょうか。調べてみたら、森茉莉は武満と会った直後に、「音楽の友」のために三宅榛名と対談しているらしい(「アイヴスを聴いてごらんよ」、68年9月号、未確認)。武満との対談は別媒体向けなのかなあ?

March 17, 2004

ヒマな人

●夜、若者がケータイにしゃべっていた。「あー、オレ、今日ヒマでさー、もう死んでいいってくらいヒマ」。
●死ぬなよ、そんなんで。

March 16, 2004

U23五輪最終予選ニッポンvsレバノン

レバノン●ニッポンvsレバノンの話をする前に確認させていただくと、やっぱりバーレーンは強かったんである。UAEに2-0で完勝。ニッポンのライバルはUAEではなくバーレーンだったのだ。本来公正を期するなら両試合は同時刻に開催されるべきで、先にバーレーンの結果を知ることができるニッポンは有利。最終戦どうなるかわからないが、ホームでの試合開催権を持たないバーレーンの健闘は立派というほかない。バーレーン・サッカーの未来は明るい。
●で、明白に力が落ちるのがレバノンである。少々ニッポンが雑なサッカーをしてしまっても、そこにつけこむだけの個人能力がない(ただ一度のシュート・チャンスに見事なゴールを奪った10番の勇者を除く)。阿部のフリーキックで先制、その後もたついて後半に追いつかれ、大久保のヘディングで逆転という劇的な展開で、アグレッシヴな内容もよかったが、勝点ではバーレーンに並んでいる。得失点差で有利とはいえ、最終戦の相手を考えるとニッポンはUAEに勝たなければ五輪出場は難しい。五輪のサッカーにニッポンが出場しなかったとしたら、ずいぶん寂しいよなあ(まあちょっと前までは出場できなくて当たり前だったんだけど)。あ、今日のMVPは今野。
●明るい材料は、うまく選手をローテーションしながら使えていること。平山は、ディフェンダーを押さえようと使う「手」に対してファウルを執拗にとられたり、いらだって故意に相手にエルボーを食らわせたり(平山クンもああいうことするのね)、散々だったと思うのだが、今日の役目はこれで十分。これで最終戦は高松を万全の状態で使える。結果オーライだが那須も休めた。
●それにしても相変わらず、この世代の選手たちは自陣ゴール前で大きくボールをクリアしないっすね。「傲慢世代」というか、「レアル・マドリッドの見すぎ世代」というか。おかげで余計なピンチを招いていて著しくリアリズムを欠くけど、「サッカーの楽しさ」的には一概に否定できないので、内心は微妙。

March 16, 2004

Re:ベートーヴェンVS不良少年

「ベートーヴェンVS不良少年」(拍手は指揮者が手を下ろしてから)は実に愉快な話っすね。イギリスであちこちでたむろするクソガキどもに困っていたんだけど、クラシック音楽をかけるようにしたらみんな退散してくれたと(笑)。わかるなあ。
●ワタシだってクソガキの頃だったら、クラシックがかかっているとそれだけで逃げ出したくなるような気がしたもん。もう最凶にカッコ悪くてヤな感じだから→クラシック。もちろんシェーンベルクやバルトークに頭痛めてるんじゃなくて、ベートーヴェンやモーツァルトで十分逃げ出したくなるわけだ。
●それがいまやワタシは「クラシック以外の音楽はこの世から消えても特に困らないなあ」などととんでもなく偏狭なことを思ってるわけで、このイギリスのクソガキどもからも未来のクラヲタが誕生する可能性は十分ある(って違うか)。
●しかし不良少年も動物並の扱われようで、ちょっと気の毒っすね。早く立派なクラヲタになって、オーケストラ音楽が流れてきたら激しく指揮マネして逆襲してやってください>ガキども。

March 15, 2004

U23五輪最終予選ニッポンvsバーレーン

案外バーレーンが勝ち抜くかも●やれやれ。正直なところ、UAEでの戦いは何があるかわからないと思っていたが、日本に帰ってきての最終予選。これはもうバーレーン相手には4-0くらいで勝つだろうなんていう傲慢な予想をしていたわけだが……。絶句。0-1で負けたよっ! シンジラレナーイ!(ジローラモさん風に)
●バーレーンにはこれで1分1敗なんだから、完敗。ていうか、バーレーンはUAEより強いんじゃないの。現在、ニッポン、UAE、バーレーンがすべて同勝点で並んだわけで、こう考えると非シード国のバーレーンの強さが際立っている。中東の勢力図もずいぶん塗り替えられつつあるということで、アジアの戦いに予定調和を期待してはいけない。
●それと、やはりニッポンは弱い。レバノン相手には個人能力で圧倒できたけど、バーレーン相手にそれはムリ。
●あとは山本監督にも心配なところがあって、前半ダラリとしたゲーム展開になったときに、ハーフタイムのロッカールームの魔術がない。後半、いきなり選手が熱く燃え上がったりしない。あらゆる面でトルシエの影響(あるいは模倣)の見られる山本監督にあって唯一マネできないのが赤鬼と化すことだろう。
●で、ここはひとつ、山本監督の通訳としてダバディを再び呼び寄せてみてはどうか。
(ハーフタイムのロッカールーム)
山本監督:「前半はよくやっていたが、相手の攻撃を恐れていてラインを引きすぎていたから後半は修正しよう」
ダバディ:「オマエタチワ、ホントウニ、オリンピックニイキタイノカー!
山本監督:「ルーズボールは思い切ってとりに行け」
ダバディ:「モット、タタカエ、 キモチデ、負ケルナー!
山本監督:「前田はもっと前からプレスをかけなさい」
ダバディ:「マエダー! オマエハ イツカラ スターニナッタノダ! ディフェンスハ コウヤッテヤルンダー」(どーんと前田の胸を突く)
●ということで、どうか(ダメだよ)。

March 13, 2004

マリノスvs浦和レッズ@J開幕

●Jリーグ開幕。しかし今季、マリノスは開幕前からアジアの公式戦をムチャクチャなスケジュールで戦わされて、すでに疲労気味、コンディション調整もチーム作りも失敗している……ような気がする。去年優勝しちゃうと、もう今年はいいかなという気になってしまうあたり、自分的には「常勝」からは遠い。
●レッズはアレックスやら酒井やらが加入して強烈なチームになっていた。これで五輪組が加わるとかなり層が厚い。つうか五輪組いなくても強い。ほかにも名古屋、鹿島あたりも新戦力が充実してそうだが、でも単に今日の試合見ただけでファーストステージの優勝はジュビロと予想。
●で、マリノスvsレッズ、ホームで開幕戦を引き分けてしまった。結果もだが、試合内容的に凡戦気味だったのが痛い。なんか、去年よりつまらないチームになっている気がするのだが、気のせいであることを願う。
●スポーツニュース見ただけだけど、注目のイルハン@神戸、なんか体がもっさりしてないっすか。特にお腹のあたり。

March 12, 2004

発動、さいたま初号機

やっぱりキーボードは変態アサインが基本だぜ先日書いたようにウチのPCが逝ってしまったんである。オロオロと狼狽しつつ、モニタなどは使い続けることにして、本体のみ、激安ショップ・ブランドの組立て品を取り寄せた。これまではNECやDELLのような大手メーカー品を使っていたのだが、今回は埼玉にある有限会社のお品物(別に本質的な違いはない、たぶん)。いつも自分のマシンにはMobyやJean、Dmitriなどといった名前をつけてきたのだが、少し気分を変えて「さいたま初号機」と名付けることにした(ウソ)。
●で、この一週間ほど悪戦苦闘して、ようやく新たなPCの環境を構築。はー、やれやれ、マトモなPC環境がないと、ホント、落ち着かない。度の合ってないメガネを付けて生活しているようなもんだ(ってなんだよそりゃ)。
●考えてみりゃ、壊れたPCから救い出したハードディスクを、新マシンにつなげてそこからブートするのが楽チン(死語)だったんだが、ワタシがPCの蓋を開けるたびに呪いがひとつかけられそうな不吉な予感ありありで、苦手なことはしない。HALにコトバを教えるチャンドラ博士のごとく、まっさら無垢なWindows XPに一つ一つ必要なソフトウェアをインストールしていった。しかし、これはなかなか手がかかる。
●メールひとつ送受信するのも大変。まずキーアサインを変更するちょっとしたフリーソフトがないと何も打てない。IMEも自分用に徹底的にカスタマイズしないといけない。長年かけて鍛え上げられた自分専用の日本語ユーザー辞書がないと不自由だ。メーラーだってシェアウェア、ダウンロードしなければいけない。そして、スパム振分け用にPOPFileがないととてもじゃないが受信する気になれない。たかだかメール送受信にこれだけの儀式を必要とするのかよっ!
●なんだか自分が不自由でカッコ悪く思えてきた。ワタシは今後一生自分のマシンをカスタマイズし続けなければいけないのか。買ったままのPCを立ち上げてOutlook Expressでメールを読み書きできるほうが毅然として立派に見える。よし、決めた。せめてESCキーと「半角/全角」キーの入れ替えをするのはやめよう。IMEをAltキーで立ち上げるのももう止めにしよう。あ、でもCtrl+Cはコピーじゃなくて「一画面下に移動する」だよな。コピーはCtrl+K+Kの2ストローク、ペーストはCtrl+J、Ctrl+Sは「カーソル右移動」、ファイル保存はF10で……。

March 11, 2004

ジョナサン・カラー「1冊でわかる 文学理論」

文学理論●「われわれは作曲家のしもべにすぎません。彼らが楽譜に残したことを忠実に再現するのがわれわれの使命なのです」。あまり耳にしたくない演奏家や指揮者の言葉である。作品の「意味」とはなにか。

「何が意味を決定するのだろうか。われわれは、まるで話し手の意図が意味を決めるかのように、発話の意味はそのひとが意図する意味だと言ったりすることがある。(中略) またときには、コンテクストが意味を決定する。つまり、特定のある発話が何を意味しているのかを知るためには、それが現れる状況や歴史のコンテクストを見なければならないと言ったりもする。批評家の中には、テクストの意味とは読者の経験するもののことだと主張する人もいる。意図、テクスト、コンテクスト、読者--どれが意味を決定するのだろうか」(「言語、意味、解釈」~ 「1冊でわかる 文学理論」 ジョナサン・カラー/岩波書店)

 生前のラフマニノフの見事な演奏を聴いたとしても、ラフマニノフ弾きはそのコピーを身につけるために演奏家人生を費やしたりはしない。常に再解釈と再創造が繰り返され、「意味」はコンテクストによって変容し、「意図」に束縛されることはない。しかしなぜ音楽の人々は「意図」から離れることをさも罪であるかのごとく語るのか。と思っていたら、これは音楽ばかりの話ではなく、ジョナサン・カラーがこの入門書でちゃんと読み手を勇気づけてくれている。

「意図が意味を決定するという考え方を弁護する批評家は、もしこれを否定してしまうと、読者を作者の上に置くことになり、解釈においては『何でも通る』という御達示を出すことになるのではないかと恐れているようだ。しかし、ある解釈を見つけても、その妥当性を他の人々に説得しなければならず、それができないのなら、その解釈は捨てられることになる。『何でも通る』とは誰も主張しない。作者にしても、作品の元来の意味だと思われるもののゆえにではなく、果てしない思考を鼓舞し、さまざまの読みを生じさせる創造の力をとらえてたたえられる方がよくはないだろうか」(同上)

 それでもなお「意図」を頂点に置くと明言する人々が絶えないのは、受け手の批評能力への不信の表れなのだろうか。これは微妙で、どちらとも言いがたい。「意図」の再現を解釈と述べる人々も実際にはコンテクストから逃れられるわけではなく、言動は一致しないことが多い。少なくとも一つ確かなことがある。意味はコンテクストに縛られるが、コンテクストは無限である。だから、10年前の作品も300年前の古典も、再現されるたびに等しく現代のわれわれの音楽となる。聴衆は博物館の埃まみれの展示品を楽しんでいるわけではない。

March 9, 2004

「恐怖」 筒井康隆

恐怖●しばらく前にN響アワーのゲストとして筒井康隆が呼ばれていた。画面のなかに池辺晋一郎さんと筒井康隆が収まっている構図がなんだかスゴくて、絵柄の全然違う漫画家が描いた二大人気キャラクターを共演させた企画みたいに見えたんである。風貌云々じゃなくて、天才二人は一画面に要らないっつうか、会話ぎこちないつうか。
●で、文庫新刊の「恐怖」(筒井康隆/文春文庫)。主人公の作家の住む姥坂市で連続殺人事件が起こる。どうやら犯人のターゲットは市内の文化人。次に殺されるのはオレなのか。メタミステリー的な遊びの要素もあるけど、恐怖におののく作家の妄想には何年か前の老人小説の傑作「敵」との共通項も多い。筋立てとはほとんど無関係な「薔薇の少女」が最後に登場し、ロマンスの可能性をかすかに示唆するのだが、これは「あったかもしれないしこれからあるかもしれない最大の恐怖」への入り口なんだろう。これはこれで十分に堪能したけど、未読ならまず「敵」を先にオススメ、強く。
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●と、書きつつもだな、今、新たなPC環境を構築するために悪戦苦闘中(時間が足りねえー)。しょうがないので、モニタやらメモリやら使えるものは引き続き再利用することにして、とにかくPC本体だけは激安ショップブランド品(ていうの? お店で組み立ててくれるヤツ)を急遽調達。またその話は後日にでも。

March 8, 2004

唐突ブラックアウト

hard disc drive●はうう、もうダメ。先日ケータイが土左衛門になったばかりだというのに、今度はPCが逝ってしまった。視界の隅で画面がふと真っ黒になったと思ったら、なぜか勝手に電源が落ちている。で、これがもうウンともスンとも言わない。ワタシはPCをかなり長く使い倒すほうなので、寿命はとっくの昔に来ているという認識はあった。しかし、ついさっきまではバリバリとHTMLやらJPEGやらを吐き出していた老PCが(人類にたとえると推定年齢108歳、なんとなく)、突然パタリと倒れてしまう。なんと儚いのか。これを見て、ワタシは日々を精一杯生きることの大切さを知った……というのはさすがにウソで、「うわ、明日からどうしよう、データは生きているのか」と大パニック状態。
●結局、右往左往しながらも何とかデータを助け出すことができた。日頃、Windowsマシンの弁当箱みたいなデザインはどうにかならんかとブツブツ文句を垂れてたりするが、こういうときは単純な共通規格で組み立てられていることが幸いする。ワタシはハードウェアの扱いが大変苦手なのだが、やむをえない、筐体を開きハードディスクを救出、蛮勇を奮ってこれを別マシンにつないだ。PCを自作するような方から見ればなんでもないことなのだろうが、ワタシにとっては難事である。筐体の内部の電源ケーブルを付けたりはずしたりするなんて、もう気分は爆弾処理班。
●元のPC自体は電源まわりが壊れたのか、もしかしたら単にケーブル一本がつながっていないだけのことかもしれないが、なにしろ自力ではどうにもならない上に、推定年齢108歳である。天寿は全うした。さらば、パソ爺。この後が大変……(嘆息)。

March 6, 2004

U23五輪最終予選UAE vsニッポン

UAE●おおっと、先日書いた通り、高松がヒーローではないですか。しかし田中達也に脱帽。なにしろ5日間で3試合なんていうムチャクチャな日程で、よくあれだけ走った。今日も2点とも田中達也から生まれた。体にキレがなくて前半から疲労が見えてたから、ワタシだったら後半頭から田中を下げて前田か坂田を出してしまってたと思う。山本監督も偉い。
●しかし、UAEは恐れたほどの強さでもなかった。確かにカウンターの鋭さは絶対にニッポンにはマネのできないものだったけど、ホームで戦っているのに後半15分過ぎくらいから疲れてきているんだもんなあ。パワーでもニッポンが勝っていて、中東にしてはフィジカルが弱い。高さもない。技術とスピードはある。勝点でリードしていることで、UAEのほうがプレッシャーに屈したのではないかという気も少しした。
●松井はプレイスタイルがジダンっぽくなってきた。先発の山瀬はちょっとボールタッチが少なすぎ。トゥーリオは意味レスに上がりすぎ。でもまあ、試合終了直前、相手が疲れたところにポンポンと2ゴール決めるなんて、ニッポンらしからぬ見事さではないですか。立派。

March 5, 2004

「エレンディラ」

エレンディラ●薄い短篇集なのだが、本屋でガルシア・マルケスの「エレンディラ」(ちくま文庫)を見かけた。なかなか表紙が美しい。ワタシはこれを昔、サンリオ文庫版で読んだ。ただし読んだのは10代の頃で、内容を忘れているどころか、いったい何をどう読んでいたのかもはなはだ怪しい。冒頭の短篇「大きな翼のある、ひどく年老いた男」には、その題にのみ覚えがある。
●「大きな翼のある、ひどく年老いた男」とは、地上に落ちてきた天使のことを指す。天使だが、ひどく年老いた男であり、みすぼらしく、何一つ威厳を感じさせない。ぬかるみでもがいているこの天使を引きずり出した男は、金網の小屋に牝鶏といっしょに閉じ込める。つまり、天使は身元不明の小汚い老人としてしか扱われない。
●地元の神父はローマと手紙をやり取りして、翼のある老人の本性についての決定を待つ。

「囚人にへそがあるかないか、そのことばはアラム語と関係があるかないか、針の穴を何度もくぐることが可能か否か、翼のあるノルウェー人にすぎないのではないか、といった程度の調査で時間は食われていった」

●ローマの決定を待つまでもなく、天使に会おうと物見高い人々は集まってくる。

「カリブ海じゅうの不幸な重病人たちが全快を願って訪れた。子供のときから心臓の動悸を数え続けて、今では数のほうが不足しはじめた哀れな女。星の動く音が苦になって眠れないジャマイカの男。夜中になると起きだして、目覚めているあいだに作ったものを壊してしまう夢遊病者」……

●なんつう豊かな想像力の奔流なのだ。「星の動く音が苦になって眠れない」んすよ。「魔術的リアリズム」なんて言いだすまでもないようなほんの一端だが、圧倒的であり、しかもこの短篇集の共通モチーフは「死と孤独」だったりする。
●「大きな翼のある、ひどく年老いた男」は牝鶏小屋の見世物として、捕まえた男の財布を潤わせる。が、しばらくして移動サーカスに混じってやってきた「父母に背いたために首から下を毒蜘蛛に変えられてしまった哀れな女」に人気を奪われ、人々から忘れ去られる。春になると(ラテン・アメリカ文学なので12月である)、天使は飛び立つ練習を始め、ついには飛び去る。日常の障害に過ぎなかった薄汚い老人の天使が、飛び去るときに「水平線の彼方の想像の一点」となり、その一瞬だけもしかすると畏敬のこもっているかもしれない眼差しで見つめてもらえる。日常のなかではたとえ奇蹟を行って見せても、見世物になる薄汚い老人でしかなかったのに!

March 4, 2004

U23五輪最終予選レバノンvsニッポン

レバノン●初戦、バーレーン相手に引き分けてしまったニッポンU23、さすがにこのレバノンには勝たないと後が苦しい。平山vs田中達也のツートップ、トップ下は松井。右サイドには石川を先発させ、徳永を右センターバックに下げた攻撃的布陣。
●レバノンもレベルは上がっているが、まだまだ技術面での安定感がない。ニッポンにもミスは結構多かったのだが、最終的に個人勝負で勝ててしまうので、終始ゲームを支配。田中のゴールが決まるまでは少々時間がかかったものの、相手を無失点に抑えた上で4-0で大勝。完璧。
●それにしても3点目と4点目は唖然とするほど見事。高松の胸トラップしてから、左足で目の前のキーパーの股下にズドン!と決める強烈なゴール、あれなんて日本人のゴールとは思えないっすよ。もう今にも嗅ぎ慣れない体臭が匂ってきそうで素晴らしすぎる>高松。平山は魚や野菜を食べていそうだが、高松は肉ばっか食ってると思うね(←ムチャクチャ言うなよ)
●4点目の石川はもっとスゴい。右足で豪快に振りぬいたボレーのミドル。ゴールマウスの上のほうを閃光を発しながらぶち抜いた。これも日本人じゃない。こんなのさ、ちょっと前までスペイン・リーグ・ハイライトとかじゃなきゃ見れなかった。それがニッポンのU23だもんな。ま、このスゴいプレーと脱力プレーの差が大きいところがU23とも言えるけど。
●試金石は次。UAEのホームゲームとなる。あのスタジアムがアラブ人で一杯になる。個人的には高松に期待。逆境を苦にしないタイプと見た。

March 3, 2004

イ・タ・す・ぎ・る!

washer●洗濯機「ガーー、ゴッ、ガーー、ゴッ、ガーー、ゴッ、ガーー、ゴッ」
(ふー、今日は疲れたなあ。なんかストレス解消しなくちゃ……)
●洗濯機「ガーー、ゴッ、ガーー、ゴガッ、ガーー、ゴガッ、ガーー、ゴガガッ
●洗濯機「ガーー、ゴツガッ、ガーー、ゴツガッ、ガーー、ゴッツガンッ、ガーー、ゴッツガンッ
(あれ、なんかゴツって音が洗濯機からするなあ。なんかヘンなもん入れたっけ)
●洗濯機「ガーー、ゴツゴツンガッ、ガーー、ゴツゴツンガッ、ガーー、ゴツゴツンガッ、ガーー、ゴツゴツンガッ
(む、そういえばオレ、まさかケータイ、ズボンのポケットに入れたまま洗濯機に放り込んだりしてないよな……)
●洗濯機「ガーー、ゴツゴツンガッ、ガーー、ゴツゴツンガッ、ガーー、ゴツゴツンガッ、ガーー、ゴツゴツンガッ
(してないしてない、ケータイはテレビの上に置きっぱなしだったっけ。でも一応確認しておくか、あっ、でもテレビの上を探して見つからなかったりしたら怖すぎだな。うん、先に洗濯機のズボンを確かめてしまおう)
●洗濯機「ガーー、ゴツゴツンガッ、ピピピッ」
(よし、一時停止オッケー。えっとズボンズボン、そうそうこいつのポケットが……)
(……か、角張ってる……)
(……し……)
(……………)
「ウオオオオオオオオ、オレのお気に入りのケータイ、ざぶざぶと洗われて、中から水が出てくる出てくる、しかも液晶画面にたっぷんこっと水が入ってて、いまピカッて一瞬光ったらもう電源つかない、絶対つくわけない、でもほうら、アタックなら基盤の隅まで真っ白、っていうか笑えない、これマジにイ・タ・す・ぎ・る!!」

March 1, 2004

ニセバッハたち

●うは、これは売り切れる前にダイソー行かねば!

バッハの謎 (萬華鏡@誘拐かすてえら)
「100円ショップダイソーにて、バッハのミニ胸像を発見。 一目で大バッハ(バッハ一族の長)だと分かるんだけど、S.T.Bach と名前が彫られている」

 バッハ一族のことだから、一人くらいニセバッハが含まれていてもオッケーな気がする(笑)。というか、昔、冗談音楽やってた方がいたっけ→ P.D.Q.バッハことピーター・シックリー教授。「アイネ・クライネ・ニヒト・ムジーク」とか。

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