2017年9月アーカイブ

September 29, 2017

パーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団のバルトーク

●28日はサントリーホールでパーヴォ・ヤルヴィ&N響。今月は「ドン・ジョヴァンニ」もあってプチ・パーヴォ祭といった感。おしまいはオール・バルトーク・バルトークで、「弦楽のためのディヴェルティメント」「舞踊組曲」、休憩をはさんで「弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽」。このプログラムはパーヴォにぴったりなのでは。体脂肪率5%ぐらいのキリッと絞った鋭い音で、複雑な音模様をくっきりと描き出す。ライブでこれだけ精緻なバルトークはなかなか聴けない。ヒリヒリするような緊迫感、強靭さに加えて、柔軟さも感じられるのが吉。辛口の2曲の間に「舞踊組曲」が入っているのもうれしい。あの土臭さ、ワイルドさがこんなに洗練されたテイストに。
●前半でチェロの楽器リレーという珍しいシーンあり。大きいので大変。
●たくさんマイクが設置されていて、レコーディングされていた模様。ぜひもう一度聴いてみたい。

September 28, 2017

IIJによるベルリン・フィル超高音質ライブストリーミング配信記者説明会

IIJによるベルリン・フィル超高音質ライブストリーミング配信記者説明会
●27日は紀尾井町サロンホールでIIJのベルリン・フィル超高音質ライブストリーミング配信記者説明会&懇親会。これはすでに始まっている企画なのだが、IIJがハイレゾストリーミングサービスPrimeSeatで、ベルリン・フィルの定期公演をDSD 11.2MHz/1bitという超高音質で日本向けにライブ配信している。今回はその概要説明と収録音源の試聴、トークイベントといった形で記者発表会が開催された。一口にハイレゾといっても、いろんなクォリティがあって、DSD 11.2MHzとなるとわが家には再生環境がないので、試聴できるのが楽しみで足を運んだ。細かい説明はここではしないが、通常のCDクォリティ(PCM 44.1kHz/16bit)の帯域が約1.4Mbpsであるのに対して、一般にハイレゾ音源として流通するPCM 48kHz/24bitは約2.3Mbps、同96kHz/24bitは約4.6Mbps、それに対してDSD 11.2MHz/1bitは約22.6Mbps。よくある「ハイレゾ」と比べても桁違いのデータ量になる。
●で、説明会にはIIJの配信事業推進部の冨米野孝徳氏と西尾文孝氏(写真右)、コルグ 執行役員技術開発部の大石耕史氏、そしてOTTAVAのゼネラルマネージャー斎藤茂氏(写真左)が登壇。配信構成についての技術面での解説や、ベルリンでの収録時の舞台裏についてなど、いろいろなお話をうかがった。当サイトをご覧になる方はコンテンツ面への関心がほとんどだと思うが、第1回はヤノフスキ指揮でブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」他が9月17日の午前2時(日本時間)にライブ配信されている。さすがに時差がキツいので、これを聴ける人はほとんどいないわけで、後日、聴き逃し配信が1週間にかけて配信された。リスナー数については「集計中だが、ライブでは80回ほど再生ボタンが押されている。聴き逃し配信は3000回くらい」だとか。これは意外と多いなと思った。というのも、普通これを聴きたい音楽ファンはベルリン・フィル自身が配信しているデジタル・コンサートホールで映像付きで鑑賞できるわけで(音声は圧縮音源)、わざわざPrimeSeatにやってくる人は「ハイレゾで聴きたい」というはっきりした目的を持った人に限られるので。
●気になる今後の予定だが、プレスリリースにもあるように、12月2日のハイティンク指揮のマーラー/交響曲第9番、2018年2月24日のラトル指揮のヤナーチェク/シンフォニエッタ、4月13日のペトレンコ指揮のフランツ・シュミット/交響曲第4番、6月20日のラトル指揮のマーラー/交響曲第6番「悲劇的」と続く。なお、配信はマルチストリームで提供され、11.2MHz/1bitの最高品質だけではなく、5.6MHz/1bitおよびPCM 96kHz/24bitでも配信される。11.2MHz/1bitは厳しくても、この水準のハイレゾなら多くの人が楽しめるはず。
●なお、この日は試聴イベントとして、ヤノフスキ指揮のブルックナー「ロマンティック」から、ほんのほんのほんのほんのほんの一部だけを、11.2MHz/1bitの最高品質とAAC 384kbpsの圧縮音源で比較することができた。再生機材は立派なハイエンドなものが使われていたんだけど、そうだなー、ここが核心なわけなんだけど、感じたことを端的に3つにまとめるとこんな感じかな。1.なるほどここまで高級機材を使うと、最高品質のハイレゾと圧縮音源の差は感じる。薄いベールを一枚外したかのようなクリアさ、奥行き感、強奏時の雑味のなさ、といったところに差を感知できるかもしれない。 2. これほどの高級機で最高品質のハイレゾを聴いても、好きな音かと言われるとぜんぜんそんなことはない。当然のことなんだけど、このレベルでは音源データのクォリティよりも再生機材(主にスピーカー)の音のキャラクターのほうが、はるかに大きな違いをもたらす。 3. 矛盾するようだが、高品質のオーディオはコンサートホールの客席では絶対に体験できない臨場感(≒音源への近さ)をもたらしてくれる一方、「まるで客席にいるかのような」錯覚は決して起きない、ってことかな。再生芸術はライブとは別種の大きな喜びをもたらしてくれるもの、という日頃からの認識に変わりはない。ハイレゾの広まりは全面的に歓迎なんだけど、その魅力を伝える際の言葉の使い方には細心の注意を払わねば。

September 27, 2017

バイエルン国立歌劇場「タンホイザー」、ペトレンコ指揮、カステルッチ演出

●25日はNHKホールでバイエルン国立歌劇場によるワーグナーの「タンホイザー」。キリル・ペトレンコ指揮、ロメオ・カステルッチ演出。初来日となったキリル・ペトレンコの指揮についに接することができた。今後ベルリン・フィルのシェフになることを考えると、オペラを聴ける機会は当面なさそうなので、これは貴重。鬼才による演出ということで話題性十分。クラウス・フロリアン・フォークトのタンホイザー、アンネッテ・ダッシュのエリーザベト、エレーナ・パンクラトヴァのヴェーヌス、マティアス・ゲルネのヴォルフラムとキャスト充実。
●もっとも印象に残ったのはペトレンコとオーケストラ。鳴らさず、美しく響かせる。ピットからまろやかで整ったサウンドが聞こえてきて、これが舞台上の声とぴたりと調和する。これだけ声楽と管弦楽が一体となって響くオペラを今までに聴いたことがあっただろうか。音量的なダイナミクスは控えめなので、もっと熱量が欲しくなる瞬間もあるにはあるのだが、物理的な音の強さではなく、音楽の中身の雄弁さによって熱狂を呼び起こすことに成功していた。フォークトの甘く透明感のある声によるタンホイザーと合わせて、作品観を更新してくれたかも。それと、ゲルネのヴォルフラムがすばらしい。こんなに深みがあって豊かな声が聴けるとは。自分の理解では「タンホイザー」とは「モテ男がモテない男たちの嫉妬に抑圧されて破滅する」というオペラなのだが、そのモテない界代表であるヴォルフラムの歌がカッコよくてなんだか悔しい。
●で、物議をかもしそうなのはロメオ・カステルッチの演出。弓と矢、円盤、肉、カーテンといったモチーフがシンボリックに使用されているようだが、全般に自分の視力では舞台の細かいところまではよく見えなかったり、読めない文字があったりと、どこまで受け止められたのかはかなり怪しい。1幕冒頭、ヴェーヌスは肉塊の怪物みたいになって登場する。ブヨブヨしたたるんだ巨大肉の装置に固定されて歌うヴェーヌス。こういう不気味な生命体って、「アイアムアヒーロー」とかに出てこなかったっけ。こんな醜悪なヴェーヌスだったら、そりゃタンホイザーもエリーザベトのもとに帰りたくもなるか。とはいえタンホイザーは最後にはまたヴェーヌスへの道を探すことになるわけだから、このヴェーヌスが大いなる快楽を与えてくれる存在であることもたしかなんだろう。
●最大の驚きは第3幕。あれは「地獄の沙汰も金次第」ってことなのかなあ、タンホイザーはローマで救済されずに帰ってくるじゃないっすか。で、舞台上にふたつの棺が並べられ、遺体が運ばれる。舞台上にはタンホイザーもエリーザベトもいるんだけど、これはふたりとももう亡くなったっていう意味なんすよね? で、遺体がなんどもとりかえられる。膨張した死体、腐敗した死体、そして骨になり、灰になり……。そこで字幕に「一年が経ち、十年が経ち」とか出ているうちはいいんだけど、そのうち「一万年が経ち」とか言われて、唐突にタイムスケールが拡大する。いや、死体の分解にそんなに時間かかんないし、何万年も経ったら文明滅んでるし、もうタンホイザーやらエリーザベトの愛なんてどうでもよくね?ってくらいに時が経ってた。一万年前ってマンモスいたっけ? その間、歌っているヴォルフラムは時間軸の外側の存在。時の経過が一年とか十年だったら、これはふたりはもう死んでいてあとはヴォルフラムの想念を描いているのだと解するところだけど、もはや「2001年宇宙の旅」のラストシーンくらいのぶっ飛んだ超越感。ごめん、カステルッチ、わかってあげられなくて。もうヴォルフラムが進化してスターチャイルドになって宇宙空間から地球を見つめる図しか思い浮かばない。

September 26, 2017

バッハ・コレギウム・ジャパンのモンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」

●24日は東京オペラシティでバッハ・コレギウム・ジャパンのモンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」。鈴木雅明指揮BCJによる18年ぶりの再演。あらゆる煩悩がぎっしり詰まってそうなパーヴォ&N響のスクリャービンの交響曲第2番からうってかわって、モンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」というジェットコースター的な急展開を体感する。物理的音響として大編成のはずのスクリャービンがその作品世界に比してむしろ控えめなくらいに感じられたのに対して、少人数のはずのモンテヴェルディが作品内容に対してむしろ十分に大きく壮麗であると感じさせるパラドックス。祈りの音楽であるにもかかわらず(いや、だからこそ?)モンテヴェルディからも官能性が漂ってくるということを発見。ソプラノにソフィ・ユンカー、松井亜希、アルトに青木洋也、テノールに櫻田 亮、谷口洋介、中嶋克彦、バスにシュテファン・フォック、加耒 徹、コルネット&トロンボーンはコンチェルト・パラティーノ。磨き抜かれたみずみずしい祈りの音楽、圧巻の独唱陣。
●ところで宗教音楽である以上、非キリスト者にはなにかしら疎外感が残されないとウソだと思うのだが、この作品であればワタシらにとっての「聖母マリアの不在」ということになるだろうか。聖母っていないんすよね。地母神ならいなくもないけど、意味合いがぜんぜん違う。あと、聖母がいるなら聖父はいないのかというと、いない。お母さんはいるけど、お父さんはいないっていうんすよ、「スターウォーズ」のアナキン・スカイウォーカーに父親がいないように。じゃあ、聖母マリアにお父さんはいるのだろうか(いるみたい)。あるいは聖母マリアのお母さんは聖婆なのか。と、気になる異教徒。

September 25, 2017

パーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団のロシア音楽プロ

●22日はNHKホールでパーヴォ・ヤルヴィ指揮N響。グリンカの「幻想的ワルツ」、デニス・コジュヒンの独奏でラフマニノフのピアノ協奏曲第4番(1941年版)、スクリャービンの交響曲第2番。オール・ロシア音楽プロだが、それぞれ有名曲から一歩ずらした曲をそろえて新鮮。グリンカの「幻想的ワルツ」はパーヴォにとって「子供の頃から大好きだった」という一曲。チャイコフスキーらのロシアのワルツの源流に位置するような作品で、優美でありメランコリックでもあり。ラフマニノフのピアノ協奏曲第4番は、生ではたぶん以前一度聴いたきりかも。N響にとってもこれが初演だったとか。第2番や第3番とは作風が違っていて、考えあぐねながら書いたような労作感あり。手触りとしては旧作の協奏曲よりも交響的舞曲のほうが近い。輝かしく、カッコいい。コジュヒンは気迫のソロ。アンコールにスクリャービンの練習曲op2-1。後半のプログラムの橋渡しをするような曲を選んでくれてうれしい。
●で、スクリャービンの交響曲第2番。後期ロマン派風の濃厚な官能性を基調に、ロシア的な土臭さや自然賛歌、熱っぽいヒロイズムなどさまざまな要素が長大な交響曲のなかに盛り込まれている。ベートーヴェンの「運命」的なドラマもあれば、中間楽章でフルートが鳥の歌をさえずるような「田園」風味もあり。この曲も以前に一回だけ聴いた記憶があるんだけど、パーヴォ&N響は情念の爆発よりは切れ味の鋭さが魅力。この曲、もっと演奏されておかしくない。この後、作曲家は神秘主義路線に進むことになるわけだが、この第2番の時点では20世紀を代表するポスト・マーラー的な交響曲作家になる可能性もあったのだろうか。といっても、この第2番は1901年作曲だからまだまだマーラーは健在で、交響曲第5番を書いている頃。そう考えても、先駆的なんだかそうじゃないんだかよくわからないが……。100年前のゼロ年代で見れば、「法悦の詩」が1905~08年作曲で、マーラー「千人の交響曲」が1906~07年作曲、シェーンベルクの「グレの歌」が1900~11年。似たような方向を向いて走っていた線路が、それぞれ分かれてぜんぜん別の駅に向かっていく様子を思い浮かべる。

September 22, 2017

山下達郎「あなたの歌を聴きに来ているのではない」事件

●山下達郎の名言が続いている。先日ここで話題にした「あなただけ拍手のタイミングがおかしい」事件に快哉を叫んだ方も多かったと思うが、今回はライブで歌手に合わせて合唱するお客について、「ダメです。一番迷惑。あなたの歌を聴きに来ているのではない」とバッサリ。
●うん、クラシックでもお客さんには歌ってほしくない。「第九」の終楽章で客席から「フロイデ!」とか歌わないでほしい。いや、いないけど、そんな人。ちょうどバイエルン国立歌劇場が来日中だが、いくら好きだからと言って「タンホイザー」でローマ語りを歌ってほしくない。いや、いないけど、そんな人。
●以前、ウィーン国立歌劇場で「カルメン」を聴いたとき、隣の知らないおばちゃんが歌い出したことがあったんすよ! どの曲だったか忘れたけど、おなじみのメロディを歌わずにはいられないといった楽しそうな表情で。ぱっと見、日焼けしたスペイン系の恰幅のよいおばちゃんだったので、「ああ、この人、きっと若い頃はカルメンみたいな魔性の女だったのかな」と思ってしまった。でもダメです、一番迷惑。次に同じ機会があったら、心を山下達郎にして言いたい。あなたの歌を聴きに来ているのではありません。

September 21, 2017

アーセナルvsロンドン交響楽団

エミレーツ・スタジアム●かつてイングランドのフットボール・スタジアムではフーリガンたちが猛威を振るっていた時代があった。でも、近年はスタジアム内での暴力事件のニュースをめったに聞かない。どうやってフーリガンを抑え込んだのか。いろいろ理由はあるのだろうが、よく指摘されるのは、観戦チケットの価格が容赦なく上がったからという話。じゃあ、今はいったいいくらなのか。
●プレミアリーグのアーセナル(ロンドン)を例に見てみよう。チケットは対戦相手の人気によって何種類かのカテゴリーに分けられる。たとえば11月、トッテナム戦は最上級のカテゴリーAに設定される。いちばん高価なUpper TierのCentre Upper Backで97ポンド、いちばん安価なLower TierのGoal Lowerで65.5ポンド。今はずいぶんポンドが安くなっていて151円/ポンドで換算すると、15,000円から10,000円といったところだ(千円未満四捨五入、以下同様)。えっ、そんなに? ずいぶん高い。サッカーの試合が最安席で1万円って。対戦相手を選べばもっと安くなるだろうか。ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン戦であれば一段下のカテゴリーBで観戦できる。たしかにぐっと安くなる。といっても、最高56.5ポンドから最低37.5ポンドなので、9,000円から6,000円程度。最高席はともかく、最低席が高い。Jリーグだったら2,000円台でも観戦できるよ?
●なるほど、これなら暴れたいだけのフーリガンは来ない。来るわけがない。ていうか、普通のファンだって大変だ。これ、たった1試合の価格なんすよ。しかも諸手数料なしの。そして、そんなチケットが大人気で簡単にはゲットできなかったりする。
●ちなみにロンドン交響楽団のチケットはどうなっているのか。サイモン・ラトルが指揮する9月のストラヴィンスキー/三大バレエの価格を見ると、55ポンドから15ポンド。8,000円から2,000円といったところだ(N響定期と似たようなもの)。最安席で比較するとアーセナルvsトッテナム戦の4分の1以下。リッチな人はスタジアムでサッカー観戦を楽しみ、庶民はオーケストラを聴く。あのフーリガンの荒くれ者どもは、いったいどこにいったのか。コンサートホールでストラヴィンスキーやブルックナーを聴いて、憂さを晴らしているのだろうか?

September 20, 2017

週末フットボール通信~ブンデスリーガのビデオ判定編

●香川vs大迫の日本人対決を期待しつつ週末のブンデスリーガ、ドルトムント対ケルンをDAZNのハイライトで見たら(香川は出場せず、大迫のみ先発)、1試合のなかで2度もビデオ判定からゴールが生まれる場面があった。前半アディショナルタイム、コーナーキックからの競り合いで、ケルンのキーパーがファンブルし、ドルトムントの選手がこれを押し込んでゴールするも、主審はファウルの笛を吹いてノーゴールと判定した。ところがビデオ・アシスタント・レフェリーによって映像が確認され、ゴールが認められることに。さらに後半にもビデオ判定でドルトムントにPKが与えられるシーンがあった。試合は5対0でドルトムントが圧勝。こういうのって、主審の気分はどうなんすかね。「ビデオ判定がなかったら誤審していた」って言われてるようなもので、なんだか凹みそう。
副審の旗●とはいえ、ビデオ判定の導入は英断だと思う。なにしろ、生身の人間の審判が一瞬ですべてを判断しなければいけないのに対し、映像を見る視聴者たちはいろんなアングルからくりかえしその場面をスロー再生できるという、恐ろしく非対称な状況にあったわけで、これまで審判vs視聴者の戦い(?)は圧倒的に後者が有利だった。この状態で審判が誤審を非難されるのはあまりに不条理というもの。で、どんな状況でビデオ判定が導入されるのかと思ったら、ブンデスリーガの日本語サイトにちゃんと導入基準が掲載されていた。基本はゴールシーン、レッドカード、PKにかかわるプレイと、カードを与える際の選手の取り違え防止が対象。
●ケルンは最初のビデオ判定を巡って激しく抗議をしていた。ビデオ判定そのものに異論があるわけではなく、ボールがゴールラインを割る前に主審が笛を吹いてしまったのでその時点で選手たちは動きを止めてしまった、それなのにビデオ判定後にゴールが認められるのはおかしいという理屈がある模様。今シーズンは実運用で問題点が洗い出されることになりそうだが、さっそく微妙なことになっている。これ、本当にうまくいくのだろうか。

September 19, 2017

バイエルン国立歌劇場2017日本公演 開幕記者会見

バイエルン国立歌劇場2017日本公演 開幕記者会見
●17日は東京文化会館の会議室でバイエルン国立歌劇場2017日本公演開幕記者会見。同劇場の音楽総監督であり、今回「タンホイザー」を指揮するキリル・ペトレンコをはじめ、タンホイザー役のクラウス・フロリアン・フォークト、エリーザベト役アンネッテ・ダッシュ、ヴェーヌス役エレーナ・パンクラトヴァ、ヴォルフラム役マティアス・ゲルネ、そして劇場総裁のニコラウス・バッハラーが登壇。三連休の中日の夕方、しかも台風の影響で天候も荒れ模様だったにもかかわらず、驚くほど大勢のメディア関係者・ジャーナリストが出席していた。豪華キャストがそろっていたが、取材陣の関心はもっぱらキリル・ペトレンコに集中。まあ、しょうがない。バイエルン国立歌劇場の音楽総監督であり、次期ベルリン・フィルの首席指揮者が、今回ようやく初来日を果たしたのだから。しかもメディアからの個別インタビューはすべて受けていない。「これは日本に限った話ではなく、欧州でもどこでもマエストロはインタビューは受けない」(バッハラー総裁)。もうこの会見以外でペトレンコの声を聴くチャンスはないといった状況。
●オーケストラ・コンサートを終えた直後の会見とあって疲れていたとは思うが、ペトレンコはにこやかな、しかしはにかんだような表情で登場。「初めて日本に来ることができてうれしく思う。日本に来て4日目になるが、とてもすばらしい国だと感じている。特に食事が本当においしい」といった挨拶から始まった。挨拶以外にペトレンコが語った言葉はそれほど多くはない。印象に残ったのは指揮に対するモットーとして挙げたこんな言葉。「私はどんなリハーサルでも公演でも、十分な準備をして真摯に立ち向かいたい。もっとも大事にしているのはリハーサル。リハーサルでオーケストラとひとつになることができれば、本番では指揮者がなにもせずに済むのがいい」。そのペトレンコのリハーサルについて、歌手からは「リハーサルにはだれのためにもならないリハーサルと、多くを学べるリハーサルがある。ペトレンコのリハーサルは後者。そしてそのリハーサルが本番につながる」(フォークト)、「これほど楽譜をよく読む指揮者はいない」(ゲルネ)。
●インタビューを好まないことについて、ペトレンコははこう語る。「いちばんの理由は、自分の仕事についてきるだけ語らないほうがよいと思うから。指揮者の仕事は指揮台で伝えるもの。それに、私の仕事には秘密があったほうがよいのです」

September 16, 2017

読響の新首席客演指揮者に山田和樹。ダブル首席客演指揮者体制に

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●14日は東京芸術劇場で読響の記者懇談会。事前の案内では、今年4月に首席客演指揮者に就任したコルネリウス・マイスターと、新たに関係が深まる山田和樹さんが登壇すると書かれていて、山田和樹さんにはどういうタイトルが付くんだろう?と思っていたら、なんと、2018年から首席客演指揮者に就任するのだとか。つまり首席客演指揮者がふたりになる! ダブル首席客演指揮者体制という意外な展開に。読響の津村浩事務局長とともに並んで登場。
●山田和樹さん「すでに日本フィルで正指揮者を務めているので、在京オーケストラのふたつのポストを兼務させていただくことになった。喜びとプレッシャーを感じている。学生の頃に読響のリハーサルをなんども見学させていただく機会があり、多くを学んだ。そのオーケストラの指揮台に立てることになったのは本当に光栄なこと。読響の特徴を一言でいえばパワフル。特に低弦の響きはヨーロッパでもなかなか聴けない」
●コルネリウス・マイスター「読響とは最初の共演でアルプス交響曲、今回はベートーヴェンの田園、そしてマーラーの交響曲第3番といったように自然をテーマにした曲を取り上げてきた。音楽の背後にある感情や自然、人間性をとらえることが大切。世の中に正確に演奏できるオーケストラはたくさんあるが、作品の本質にまで迫れるところは多くない。読響はそれが可能なオーケストラ」
●で、山田和樹指揮読響の2018年シーズンのプログラムだが、少し先の2019年1月に3つのプログラムが組まれている。名曲シリーズではサン=サーンスの「オルガン付き」(前半に演奏する)とレスピーギの「ローマの祭」他を組み合わせた「祝祭」プロ、土日マチネーではリムスキー=コルサコフの「シェエラザード」にラヴェルを組み合わせた「色彩」プロ、定期演奏会では諸井三郎「交響的断章」と藤倉大のピアノ協奏曲第3番(日本初演)、ワーグナーの「パルジファル」第1幕への前奏曲、スクリャービンの交響曲第4番「法悦の詩」という「快楽」プロと、三者三様。「読響では2週間で集中的に3つのプログラムを組まなければならないので、企画力が鍛えられる」とおっしゃるのだが、これは楽しみ。

September 14, 2017

ソフィア・コッポラ演出の映画「椿姫」


●映画「ソフィア・コッポラの椿姫」が10月6日(金)よりTOHOシネマズ日本橋にて2週間限定で公開される。これはローマ歌劇場でのヴェルディ「椿姫」公演を映像化した純然たるオペラ映画。映画監督として知られるソフィア・コッポラが初めてオペラの演出に挑戦したことで話題を呼んだ公演で、来年2018年9月にはローマ歌劇場がこのプロダクションを携えて来日公演を行なう。ソフィア・コッポラは「ロスト・イン・トランスレーション」や「マリー・アントワネット」(これは見た)の監督・脚本・製作で大活躍中。父は映画「地獄の黙示録」他で知られるフランシス・フォード・コッポラ。父コッポラはオペラの演出はしていないと思うが(違ったらゴメン)、祖父のカーマイン・コッポラは作曲家であり、NBC交響楽団でフルート奏者も務めていたというから、ソフィアがオペラの演出を手がけても不思議はないだろう。ヴァレンティノの創業者であるヴァレンティノ・ガラヴァーニが衣装を、さらに映画「バットマン ビギンズ」や「ダークナイト」を手がけたネイサン・クロウリーが舞台美術を担当したということで話題性十分。
●で、キャストはヴィオレッタがフランチェスカ・ドット、アルフレードがアントニオ・ポーリ、ジェルモンがロベルト・フロンターリ。指揮はヤデル・ビニャミーニで日本では新国立劇場で「アンドレア・シェニエ」を指揮したり、ネトレプコのコンサートで共演したりしている人。事前に映像を見る機会を得たが、アントニオ・ポーリの甘い声が印象的。フランチェスカ・ドットは強い意志をみなぎらせたキツめのヴィオレッタ。主役ともいえるソフィア・コッポラの演出は、意外にもというべきだろうか、オーソドックスな正攻法による「椿姫」。ひょっとしてポップでガーリーなヴィオレッタとかあるのかなと思っていたら、格調高いテイストだった。初めて「椿姫」を見る人でも安心。
●「椿姫」って、アルフレードのぼんくらぶりがたまらない。あの経済観念のなさときたら。でも若いというか、幼いっていう描写なんすよね。こんなダメ男に限って、賭け事では大勝ちするところにリアリティを感じる。プロヴァンスのドサ健と呼びたい。

September 13, 2017

The Best of Applause

The Best of Applause●Apple Musicの機能を使って、The Best of Applause というプレイリストを作ってみた。情熱的な拍手、期待感に満ちた拍手、静寂からゆっくりと立ち昇る拍手、意外な展開を見せる拍手など、クラシック音楽ファンならだれもが夢中になってしまうような、そんな名拍手を集めた。クライバー、アバド、小澤、チェリビダッケ、ベネディッティ・ミケランジェリなど、偉大な巨匠たちに捧げられた、歴史的名拍手の数々がここに。これを聴けば、きっとあなたも今すぐ拍手をしたくなる!

Apple Music : The Best of Applause

September 12, 2017

N響スペシャル モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」(演奏会形式)

●11日は横浜みなとみらいホールでパーヴォ・ヤルヴィ指揮N響のモーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」(演奏会形式)。これはすばらしかった。パーヴォ&N響の小気味よくメリハリの効いた緻密なモーツァルトに、みずみずしく清新な歌唱を聴かせる芸達者ぞろいのキャストたち。こんな演奏を聴いてしまうと、並の公演に足を運べなくなってしまう。ドン・ジョヴァンニにヴィート・プリアンテ、レポレッロにカイル・ケテルセン、ドンナ・エルヴィーラにローレン・フェイガン、ドンナ・アンナにジョージア・ジャーマン、ドン・オッターヴィオにベルナール・リヒター、騎士長にアレクサンドル・ツィムバリュク、ツェルリーナに三宅理恵、マゼットに久保和範。
●ステージ手前に長椅子を並べただけ、それに照明の演出が付くという、これだけ簡素な演出が付くだけで、こんなにも生き生きとした舞台になるとは(ステージ演出は佐藤美晴)。衣装、演技あり。演奏会形式という不足感はまったくなく、一方で音楽的な充実という点で得られるものは大。あと、カッコいいんすよ、ほとんどの歌手が。単にルックスということじゃなく、演技というか所作がスタイリッシュ。舞台はこうでなくては。そしてどの役柄にも現代人から見たときの真実味がある。レポレッロは卑屈なだけの従者じゃないし、ドンナ・エルヴィーラは「被害者の会」を結成しそうな小うるさい女ではない。それぞれに確かな自尊心を持ったキャラクターとして描かれている。あと、このドン・ジョヴァンニとこのレポレッロなら、服装をとりかえてまちがえられるのも納得。レポレッロが主人のカタログを帳面ではなく電子デバイスで管理するのは現代の演出としては当然だと思うが、スマホやタブレットではなくノートPCを使ってるあたりに、ワタシはぐっと来る。ドン・ジョヴァンニとレポレッロのスマホでの会話シーンとかもかなりおかしい。細かいけど、画面をタップしてからハンズフリー通話をするあたりとか。
●でも、なにがいちばんすごいかといえば、モーツァルトの音楽だ(そりゃそうだ)。「ドン・ジョヴァンニ」って恐ろしいほどの名曲だと改めて実感。奇跡。そして「ドン・ジョヴァンニ」「フィガロ」「コジ・ファン・トゥッテ」「魔笛」、どれを聴いても共通して感じるのは、音楽は空前絶後の天才っぷりなのに、ストーリーは最初のヒキが強い割に、進むにつれてグダグダになって途中からどうでもよくなる。どう考えてももっと整理整頓できたと思うんすよ。ホントのところ、この脚本でいいと思ったのか、モーツァルトは。優秀な編集者に脚本に赤字を入れてもらいたい。あの場面とあの場面はカットして、代わりに別の展開を用意してほしいとか夢想する。でも、どうにもならないんすよね。天才の音楽が付いてしまっているから。

September 11, 2017

Bunkamura バッティストーニ指揮東フィルの「オテロ」演奏会形式

●8日はBunkamuraでバッティストーニ指揮東フィルのヴェルディ「オテロ」(演奏会形式)。ライゾマティクスリサーチによる映像演出が付くということで話題を呼んだ公演なのだが、いざ始まってみればバッティストーニ指揮東フィルのよく鳴る雄弁なオーケストラが主役だった感。歌手陣はフランチェスコ・アニーレのオテロ、エレーナ・モシュクのデズデーモナ、イヴァン・インヴェラルディのイアーゴ。モシュクは初のデズデーモナ役だというのだが、とてもそうとは思えない見事さ。カーテンコールでの一番人気はインヴェラルディのイアーゴか。可能な範囲でそれぞれ演技をしながらの歌唱だが、演技の濃淡はけっこうばらつきがあったと思う。安定の新国立劇場合唱団。
●「オテロ」については比較的最近、新国立劇場でマリオ・マルトーネ演出があったが、そのときにも書いたように、エミーリアが事件の真犯人ともいえるわけで、彼女がハンカチの行方をさっさとだれかに報告しておけば、こんなことにはならなかった。もう一回書く。

オテロ 「あのオレが贈ったハンカチをどこにやった!」
デズデーモナ 「あら、あのハンカチならイアーゴに無理やり奪われたってエミーリアが言ってましたよ」
オテロ 「へー、そうなんだ」

●ね。報告、連絡、相談。オペラには「ほう・れん・そう」で助かる命がたくさんある。
●それと毎度の「オペラは見たままに理解する」キャンペーン絶賛開催中なので、今回もそういう目で見た。演奏会形式だからそうなんだけど、アニーレのオテロは顔を黒く塗っていないし、オテロにしてはかなり老いている。そう、オテロはムーア人ではなく老人だった(とあえて理解する)。栄光をつかむのが遅すぎた英雄が、老いからくる弱さと戦うオペラとして見直すと、いくつか話の筋道がすっきりしてくる。たとえば昔贈ったハンカチに異様にまでに拘泥するあたりは、若さへの執着を表現しているんすよ!
●さて、いちばん気になっていたライゾマティクスリサーチの映像演出だが、白と黒を基調とした(オテロだから?)幾何学的な映像がホール内にプロジェクションマッピングされたもので、主に抽象的な絵柄で嵐だったり登場人物の心理だったりが表現されていた。想像していたよりはずっと控えめな表現で、もっと好き勝手にやってくれてもよかったのでは? でも、方法論としては興味深いし、共感できる。というのも彼らは制作過程で、「オテロ」の鑑賞者の反応をなんらかの方法で測定して数値化するとか、演奏中の指揮者の身体の動きなどをセンサーで情報化するみたいなアプローチを試みていたようなので。つまり通常の演出家のように、確固たる視点を持って作品に踏み込むといったものとぜんぜんちがうやり方から出発しているがゆえに、なにか新しい表現が生まれるのではないかという期待があった。なんというか、洗練されたスマートなアルゴリズムが、経験豊富なその道のベテランの知恵を軽々と凌駕していくような痛快さを見たかったわけだ。その意味では先端テクノロジーを駆使して出力した Hello world といった感もあって、その先をもっともっと突きつめたところに広大な沃野が広がっているんじゃないか、と思っている。千里の道も一歩から。

September 8, 2017

Android用の折り畳み式携帯キーボード

●最近導入した新ツール、Android用の折り畳み式携帯キーボード。いろんな製品が出ているようだが、評判のよいiCleverのIC-BK06を選んでみた。とてもコンパクトで軽い。最初に設定さえすれば、あとはパカッと開くとBluetoothでつながってくれるし、閉じれば電源が切れる。充電式。7インチのタブレットにつなげて使っている。
●普段、出先でも仕事ができるように基本的にはノートPCを持ち歩いているのだが、結局一日持ち歩いて使うチャンスがなかったみたいなときもあるわけで、そんなときはけっこう徒労感がある。ノートPCも一昔前に比べれば軽量化してるんだけど、そうはいっても重いし、大きい。だったら「使うかどうかわからないけど、使うとしても短時間」みたいなときは、携帯キーボードで済ませられないかと思った次第。現在絶賛試行中。
●今のところ、まだ慣れていないのだが感触は悪くない。キーボードはしっかりと押さないと入力されないタイプ。あと、英語配列なので記号や機能の割当が慣れ親しんだものと少し違う。このあたりは習熟が必要。タイプミスが激増してしまっているのだが、ただ予測変換のおかげでずいぶん助かってはいる。
●もうひとつ課題はAndroid用の日本語エディタの選択か。日本語の文章を書くためのエディタで、なおかつ大きなサイズのファイルを迅速に開けるものをまだ見つけていない。大きなファイルを扱わないならJota+やJotterPadでよさそうなんだけど……。
●「キーボードなんかなくてもフリック入力でいいじゃん」という見方もあるだろうが、外付けキーボードのいいところは画面が広く使えるところ。画面からソフトウェア・キーボードがなくなると一気に広々する。そんなわけで、今日のこの記事は携帯キーボードで書いてみた。

September 7, 2017

カスプシク指揮読響&クレーメルのヴァインベルクとショスタコーヴィチ

●6日は東京芸術劇場でヤツェク・カスプシク指揮読響。前半はギドン・クレーメルのヴァイオリンでヴァインベルクのヴァイオリン協奏曲(日本初演)、後半はショスタコーヴィチの交響曲第4番という激烈なプログラム。ヴァインベルクは近年クレーメルが力を注ぐポーランド生まれのソ連の作曲家。あらかじめ録音で少し聴いて、なるほどこれはショスタコーヴィチにずいぶん似てるな、これではショスタコーヴィチの陰に隠れるのもしょうがないかも……と思ってたら、クレーメルによればヴァインベルクがショスタコーヴィチに影響を及ぼしてもいるのだとか。ペシミズムと歪んだ笑い、ユダヤ調の民俗音楽、はりつめた緊迫感と抒情性。やっぱりすごく似てる。ヴァインベルクになくて、ショスタコーヴィチにあるのはなんなんすかね。クレーメルはもう70歳。もちろん全盛期と同じはずはないんだけど、70歳になっても変わらず音楽の伝道師であり続ける姿に凄みを感じる。アンコールにヴァインベルクの「24のプレリュード」から、第4番と第21番。後者にはショスタコーヴィチのチェロ協奏曲の主題が出てくるが、これを選ぶということはヴァインベルクのほうが先だったってこと?
ショスタコーヴィチ●後半はショスタコーヴィチの交響曲第4番。大編成による長大な交響曲。最強奏では芸劇の空間が飽和ほどの凶暴な音圧。この曲、いろんな過去作品がちらちらと垣間見える曲なんだけど、特に第3楽章はぶっ飛んでいる。冒頭の葬送行進曲がマーラーの「巨人」第3楽章っぽかったり(マーラーではコントラバスだけど、ここではファゴット)、マーラーを連想させるところがいくつもあって(「巨人」や第7番「夜の歌」)、終結部はチェレスタが「大地の歌」を思わせる一方で、コントラバスの重い足取りはチャイコフスキーの「悲愴」終結部風でもある。あと、続く交響曲第5番と共通する要素もかなり多い。同じような素材から、暴れん坊スタイルで形成された第4番と、お行儀よしスタイルで作り直された第5番、みたいな兄弟風の性格を感じる。
●終演後は長い沈黙が訪れて、その後に大ブラボー。カスプシクはいつもショパン・コンクールでピアノ協奏曲の伴奏をしている「いい人オーラ」全開のオジサン(そしてときどきLFJに出てくる人)かと思いきや、こんなにねっとりしたショスタコーヴィチを振ってくれて、これが本領なのか。ていうか、ショパン・コンクールは5年に1回しかないんだから、いつもショパンの伴奏ばかりしてるわけがないじゃないの。

September 6, 2017

サウジアラビア対ニッポン代表@ワールドカップ2018最終予選

サウジアラビア●マイガッ! 朝起きて、テレビを起動してハードディスクの録画一覧を確認したとき、あるべきものがないことに気づいて天を仰ぐサッカー・ファン。記憶を遡るが、たしかに、たしかにワタシはサウジ対ニッポン戦の録画予約をしたはずなのであって、なにが起きたのか理解できない。もしかして試合は中止になったのか? いや、そんなことはない。裏切りの東芝レグザ。放映時間の変更があったのか、ほかの録画設定と重複があったのか……しかし今さら原因を確かめてもしょうがない。お前の操作方法はWindows 10よりはるかに難しいぜっ! ていうか、DAZNに慣れた今、「試合を見るためにあらかじめ録画予約が必要」という条件がサッカーファンを陥れるワナにしか思えない。ワナワナ。
●そこで代替的手段により長めのハイライトを見て、以下メモ。とにかくニッポンはこの消化試合に負けたんである。サウジアラビア 1-0 ニッポン。先にオーストラリアがタイに辛勝しており、サウジは勝てばW杯出場決定、引分けか負ければオーストラリアが出場決定という状況。サウジは全席を王子が買い取って無料開放して超ウルトラアウェイのプレッシャーを作り出す作戦。背水の陣を敷くサウジと消化試合のニッポンという極端な状況の違いがあるわけだが、ハリルホジッチ監督はサウジにもオーストラリアに対してもフェアな戦いをしたと思う。つまり、勝つための戦いをした。ただし、ケガ人が多く、キャプテン長谷部と香川はすでに離脱、大迫もメンバー外に。長谷部がいないため、キャプテンとして本田を先発させたが、本田のコンディションも十分ではなく前半で退いてしまう。ハリルホジッチ監督によれば想定内というのだが。本田や岡崎、原口、柴崎の起用はオーストラリア・サイドから見て納得のメンバーのはず。GK:川島-DF:酒井宏樹、吉田、昌子、長友-MF:井手口、山口、柴崎(→久保)-本田(→浅野)、原口-FW:岡崎(→杉本)。
●後半18分に失点するまでは、ニッポンのチャンスも十分にあった模様。ほとんどゴールしていてもおかしくないという決定機もあった。一方、川島のスーパーセーブに救われる場面もあり、紙一重の勝負という展開。失点場面はラインの裏への浮き球にアルムワラドが抜け出て、右足で豪快にニアをぶち抜いた。これは完璧なシュート。先制された後は酷暑のなかで運動量も落ち、さらにサウジのお家芸の時間稼ぎもあってチャンスの数はぐっと減ってしまう(戦況を伝えるテキスト速報に「GKのアルムアイフが味方に靴ひもを結び直してもらう」と記述されているの見て苦笑。どんな試合レポートだ)。なお、前後半に給水タイムが設けられていた。
●さて、これでグループBはニッポンとサウジアラビアがW杯出場決定。古豪サウジは3大会ぶりの出場。そしてオーストラリアは3位に終わってしまい、これから長いプレイオフを戦うことになった。グループAは韓国がアウェイのウズベキスタン戦をスコアレスドローで耐えきって2位に。イランとともに出場決定。3位争いは大激戦だったがシリアが滑り込んだ。この後、オーストラリアとシリアがアジア5位の座をかけてプレイオフを戦い、その勝者が北中米カリブ海4位とのプレーオフを戦う。かつてオーストラリアがオセアニアからアジアに編入してきた際は、突如ワンランク上の最強国が登場したように感じられたが、切磋琢磨した結果、こんな状況に。オーストラリアが弱体化したのではなく、アジアの水準が上がったのだと信じたい。

September 5, 2017

写真のジオタグとGeosetter

●スマホ等のGPSを内蔵したカメラで写真を撮ると、その撮影場所の緯度や経度を示す情報、すなわちジオタグが付いてくる(PCで個別ファイルのプロパティを見れば付いているかどうかわかる)。このジオタグのおかげで写真と撮影場所が紐づけられるようになったので、たとえばGoogle Photo等のサービスに写真をアップロードすると、なにもしなくても先方はジオタグから撮影場所を特定してくれるわけだ。ただし、主要SNSではアップロードされた写真からこれらの位置情報は削除されることになっていると思う。
●で、写真にいつもジオタグが付いてくることに対してうっすらと不安だな、なんだか気が抜けないなと感じることがある一方で、逆に従来のデジカメで撮影した写真にジオタグが付いていないことが不便だと感じる機会もなくはない。GPSの付いていないカメラで撮った写真なんだけど、なんらかの理由でジオタグを付けて保存しておきたいなー、というようなケース。
●そんなときに使えるのがGeosetter。試してみたが、Google Mapと連動していて、自由にジオタグを編集できる。場所をGoogle Mapから選ぶだけなので、東京で撮影した写真にニューヨークの位置情報を付けるとか、好き勝手なこともできるわけだ。ドイツ産のフリーウェアだが、インストール時に日本語も選べるのが吉。

September 4, 2017

33の変奏曲

●自分は演劇に関してはまったくの門外漢なのだが、このタイトルは気になった。劇団民藝が紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAで上演する「33の変奏曲」(9月27日~10月8日)。つまり、これってベートーヴェンの「ディアベリのワルツによる33の変奏曲」のことではないの。現代のニューヨークで音楽学者キャサリンはなぜベートーヴェンがディアベリの凡庸なワルツをもとに大変奏曲を作ったのかを研究している。一方、1819年のウィーンで、ベートーヴェンはディアベリ変奏曲の作曲に没頭している。どうしてそんな曲で変奏曲を書いているのか、理由は秘書シントラーにもわからない。キャサリンとベートーヴェン、ふたりの人生が時空を超えて交錯する……といったあらすじ。モイゼス・カウフマン作、訳と演出は丹野郁弓。
●登場人物にベートーヴェンとシントラーがいるというだけでもかなり気になるんだけど、そこに現代の音楽学者キャサリンを絡ませるというのは、どんな展開なんすかね。ベートーヴェン「これってもしかして?」 キャサリン「私たち……」 「入れ替わってる〜!?」(←んなわけない)。
●スケジュールを眺めてびっくりしたんだけど、期間中は毎日上演があるんすね(普通そんなもの?)。オペラだったらありえないけど、演劇だと可能なのか。それにしてもすごい、体力的にもメンタル的にも。

September 1, 2017

ニッポン対オーストラリア代表@ワールドカップ2018最終予選

ニッポン!●祝! ニッポン代表、ワールドカップ2018ロシア大会出場決定。さいたまにオーストラリアを迎えたこの試合、試合終了後にしみじみと振り返りたくなるような好ゲームだった。2対0。これだけ狙い通りの完勝はめったにないのでは。
●まず、このゲームの前日に波乱があった。サウジアラビアがアウェイのUAE戦でまさかの逆転負け。先制するもUAEのスーパーゴールが飛び出して個の力に屈した形。これは予想外の展開で、ニッポンにもオーストラリアにも追い風となった。
●で、ニッポン代表の先発。GK:川島-DF:酒井宏樹、吉田、昌子、長友-MF:長谷部、井手口、山口-浅野(→久保)、乾(→原口)-FW:大迫(→岡崎)。交代はいずれも終盤。ここのところ両サイドの攻撃を担ってきたのは久保と原口だったが、所属チームでの調子も見て浅野と乾に。浅野はスピード、乾はテクニックが高い選手だが、高さのない選手が多くなった。現在のオーストラリアが高さの勝負を挑んでこないという前提あっての選考なんだろう。一方で中盤は長谷部、井手口、山口というボールを奪うための布陣。結果的に香川、本田、岡崎がすべて先発から外れるという世代交代が印象付けられる形になった。ハリルホジッチ監督の狙い通りにチームが機能して、オーストラリアにボールを持たせて、前線からプレスをかけて、ボールを奪ったら縦に速い攻撃をするという、いかにも今風のサッカーに。伝統的にポゼッション重視だったニッポンが、ホームでオーストラリアに6割のポゼッションを許したのだから、変われば変わるもの。
●もっとも、これはニッポンが変わった以上に、オーストラリアが変わったからこそ実現した戦術なのだろう。本来、勝点の状況を見れば、オーストラリアにとって「負けなければOK」という試合。たとえ引分けでも次のホームでのタイ戦で勝利すれば(まず勝てる相手)、最終節のサウジアラビア対ニッポンの結果のいかんにかかわらずワールドカップ出場が決まる。多くの監督はこの状況で堅守速攻の低リスク戦略をとるはず。フィジカルの強さで守って、相手のゴール前にロングボールを供給して高さで勝負でいい。にもかかわらず、オーストラリアは今の「自分たちのサッカー」、つまりゴールキーパーからパスをつないで、ボールをキープして、すばやくボールを回すスタイルにこだわった。アンジェ・ポステコグルー監督の鉄の意志を感じる。これはおそらく正しい。オーストラリアは高さ勝負の東アジア専用戦術を磨いたところで、世界に出れば高さなど武器にならない。速いボール回しで自分たちが主導権を握るサッカーを築かない限り未来は開けないと考えて現行戦術を突き通している。目先の結果だけが求められる外国人監督にはできないことだろう。
●おかげでニッポンの戦術はぴたりと噛み合った。なにしろ相手はゴールキーパーからボールをつなぐのに、キーパーの足元は不安定。前線からの守備が効きまくっていた。涼しい気温も味方に。井手口の走力は驚異的。終盤になってもがんがんスプリント可能。おまけに中に切れ込んでゴールという2点目まで奪って、文句なしのマン・オブ・ザ・マッチ。乾は技術は抜群なのだが、ゴールに結びつけるための実効性が低いのが難点。しかし守備ではかなり奮闘した。酒井宏樹の強さも頼りになる。長谷部は珍しく前半でボールをロストしまくって冷や汗。所属チームでディフェンスラインの真ん中を務めているためか、中盤でのプレイスタイルを忘れたかのような不出来。大迫は屈強なディフェンスを相手にしてもボールを足元に収められる。ドイツでポストプレイに一段と磨きがかかったようで、あれだけ収まるなら岡崎の先発はなくなる。前半の先制点は長友の完璧なクロスから、ラインの裏に飛び出た浅野がフリーで足で合わせてゴール。なぜかスピラノヴィッチが試合後にあれを「ラッキーゴール」と呼んでいたのだが、どう見てもニッポンの狙い通りの形だし、ディフェンスが浅野を見失ったのが失点の原因だと思う。
●さて、これで現時点の順位は1位ニッポン(勝点20)、2位サウジアラビア(勝点16)、3位オーストラリア(勝点16)。サウジは得失点差で2ゴール分、オーストラリアをリードしている。前にも書いたように、最終節も同時キックオフではなく、先にオーストラリア対タイの試合が行われるので、サウジはその結果を見てからニッポン戦に臨める。これは少し居心地の悪い日程だ。オーストラリアは、サウジがニッポンに勝った場合に備えて、タイ相手になるべく点差をつけて勝ちたい。ニッポンはサウジ相手に勝点が取れれば、オーストラリアにアシストを決めてあげることができるわけだが、周りの状況など考えず、強豪との貴重な強化試合として選手や戦術をテストすることになるのだろう。

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