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2017年10月アーカイブ

October 23, 2017

ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団のリスト、シェーンベルク、ラフマニノフ、ラヴェル

●21日はサントリーホールでジョナサン・ノット指揮東京交響楽団。凝ったプログラムを聴かせくれるこのコンビだが、それにしてもこの日のプログラムは完璧では。リスト「バッハの名による前奏曲とフーガ」、シェーンベルク「管弦楽のための変奏曲」、ラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」、ラヴェルの「ボレロ」という4曲。一曲目、「バッハの名による前奏曲とフーガ」は石丸由佳によるオルガン独奏。オーケストラのコンサートがいきなりオルガン独奏曲で始まるのもおもしろいが、最初からオーケストラはステージ上に陣取っている。そして、曲が終わると拍手を入れずにシェーンベルク「管弦楽のための変奏曲」が続く(つなげて演奏すると事前アナウンスあり。こういうときに全員が拍手を控える客席がなにげにスゴい)。するとシェーンベルク作品のなかにも、リスト作品に続いてBACH主題が現われるのがわかるという趣向。まるで同じ曲の続きを聴いているかのような錯覚あり。オルガンの豪壮な響きで執拗なほどのリストの後で聴くシェーンベルクは爽快。楽器間のバランスが精密にコントールされ、複雑なポリフォニーがカラフルできれいな響きでコーティングされる。
●後半は児玉桃のピアノでラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲。端正で鮮烈、清澄。最後にラヴェルの「ボレロ」。「主題と変奏」というテーマのプログラムで、最後にこの曲を置くのがおもしろい。延々と反復が続く曲だが、音色の変化による変奏ということか。この曲を「平らになったフーガ」として構造化されていると呼んだのはレヴィ=ストロース。そして、細部まで彫琢された東響の演奏が見事。ソロ自慢ではなく、全体が有機的に結び付いたボレロ。なんというカッコよさ。

October 21, 2017

イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル 2017

●20日はサントリーホールでイーヴォ・ポゴレリッチのピアノ・リサイタル。今回のプログラムは前半が古典派プロということもあって、いくらかフレンドリー。クレメンティのソナチネ ヘ長調 op36-4、ハイドンのピアノ・ソナタ ニ長調 Hob.XVI-37、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第23番ヘ短調「熱情」、ショパンのバラード第3番変イ長調、リストの超絶技巧練習曲から第10番、第8番「狩」、第5番「鬼火」、ラヴェルのラ・ヴァルスというプログラム。
●ソナチネで意表をついて脱力して始まる前半も独特だったが、後半のエクストリーム・ショパン、エクストリーム・リスト、エクストリーム・ラヴェルは突き抜けたポゴレリッチ・ワールド。ベースに極端に遅いテンポを設定していったん作品を解体して、ワンブロックずつ独自の解釈で音楽を組み立てて、全体としてまったく聴いたことがないような音楽を生み出すというスタイルは健在。ショパンのバラード第3番、曲が始まった瞬間からきらきらと妖しく輝くような音色でゾクッとさせてくれる。圧巻はラヴェル。追憶のウィンナワルツが緩急自在の暗黒舞踏に。失速して音楽が止まりそうになる瞬間すら陶酔的に感じる。強靭な打鍵が生み出す並外れたダイナミズム。痛快で笑ってしまう。アンコールは渦巻く熱気を冷ますかのようにラフマニノフ「楽興の時」より第5番、ショパンのノクターン ホ長調op62-2。
●独特の解釈と打鍵の強さでは先日聴いたアファナシエフも負けず劣らずだけど、アファナシエフが寝巻で(←違うけど)舞台に出てきてリサイタルから徹底して儀式性を排除しようとするのに対し、ポゴレリッチは儀式性の塊。今回も開演前からニット帽のカジュアルな服装で舞台に出てきて、ピアノに向かって静かにゆっくりと和音を鳴らす、独り言の儀。もうお客さんもわかってて早めにホールに入って聴き入っている人も。すべて譜面あり、譜めくりあり。自分で束ねた譜面を持ってきて、使わないものを床にばさりと置く。拍手喝采にこたえるときは、正面を向いて深々とおじぎ、それからRブロック方向、Pブロック方向、Lブロック方向と四方に向かっておじぎし、最後にまた正面に向く。すべてが様式化している。しかしアンコール後のカーテンコールで、サプライズ。舞台袖からバースデイケーキが運ばれてきた。譜めくりの女性が客席に向かって合図をする。みんなで歌うHappy Birthday to You。この日、59歳を迎えたポゴレリッチのために、事前に段取りが紙で配られていたのだった。花束も贈られ、照れくさそうに笑うポゴレリッチ。リサイタルは儀式で始まり、お誕生日会で終わった。

October 19, 2017

「爆走社長の天国と地獄 大分トリニータv.s.溝畑宏」 (木村元彦著)

●増補版となって新書化されたのを機に読んでみた、「爆走社長の天国と地獄 大分トリニータv.s.溝畑宏」 (木村元彦著/小学館新書) 。後に観光庁長官も務めることになる溝畑宏氏が大分トリニータを一から立ち上げ、J1昇格、ナビスコカップ優勝を果たし、そしてクラブを去ることになるまでを取材したノンフィクション。大分トリニータって、Jリーグのクラブのなかでもすごく例外的な存在で、自治体が作ったクラブなんすよね。というか溝畑宏という官僚が作ったクラブ。当時、自治省から大分県庁に出向していた氏が並外れた熱意と行動力、そして営業力でクラブを立ち上げた。大分出身者ですらない。前からよく言われてたんすよね、もともとはトリニータって地元のサッカー熱から生まれたクラブじゃないって。メインスポンサーも大分とは関係のない、そして他のクラブではあまり目にしないような業種の企業が付いたりする。ほとんど孤立無援みたいなところからひとりの人間の志によりクラブが誕生して、やがてJ1昇格を果たして本物のサッカー熱を生み出していくというのは奇跡を見るかのよう。
●で、すごいんすよ、溝畑氏。県庁からトリニータに出向していたのに、結局自治省を退職して、自分がトリニータの社長になってしまう。で、クラブ経営の最大の仕事はお金集め。このあたりはクラシック音楽業界と似たところもあるわけなんだけど、入場料収入だけではクラブは成立しない。スポンサーを集めなければいけない。県庁時代からの泥臭い営業スタイルぶりを読むと、サッカークラブの「経営」ってなんなのかと考えさせられる。

繁華街都町では伝説になっているが、宴席では毎回、裸で踊りまくった。「溝畑さんの得意な宴会芸として、陰毛を燃やすのがあるんですが、あのころは生えてくるひまがなかった」。キャリアのプライドはそこになかった。(中略) 明け方までトリニティ(現トリニータ)の仕事をして2時間ほど仮眠して県庁に出勤するという日が続いていた。

●そんな宴会芸、見せてもらっても嬉しくないと思うかもしれないが、現に機能したんすよ! でもこの経営手腕をもってしても苦境に立たされ、結局巨額の私財まで投じることになってしまい、さらにクラブの私物化が問題化する。おまけにクラブが弱体化するとサポーターから暴言を浴びせられ、自宅のFAXにまで「溝畑やめろ」「東京に帰れ」とかすごい量が送られてくる。サッカーって最終的に勝ち負けがあるから、どんなに経営者やスポンサーが尽くしていても、負けるとこうなるという悲しさ。
●あと、シャムスカについての話がおもしろかった。他クラブのサポから見ると、シャムスカ監督時代の大分ってマジカルな強さがあったじゃないすか。まさに名将。でも最後は負け続けて解任される。そのシャムスカが内側からどう見えていたのかというあたり。後任のポポヴィッチへの評価の高さも印象に残る。

October 18, 2017

ジョナサン・ノット&東京交響楽団の2018/19シーズンラインナップ記者会見

ジョナサン・ノット●17日は大久保の東京交響楽団クラシック・スペース100でジョナサン・ノット&東京交響楽団の「シーズン5」2018/19シーズンラインナップ記者会見。会見場には配布資料を乗せた譜面台と椅子が並べられ、プレス陣がそこに座る方式。もう5シーズン目というのが驚き。大野楽団長「ノット監督のもと、私たちは幸せな日々を過ごしている。プレーヤーたちからも幸せだという声が聞こえる。最強で無敵の監督を迎えた。自分も以前はプレーヤーだったが、かつては指揮者とオーケストラには壁があったように感じる。オーケストラが先生の言うことを聞くといった感じで、ときには『それはどうかな?』と思うようなことであっても、先生が言うのだからと思って聞いていた。しかし、ノットにはみんなといっしょに音楽を作っていこうという意識がある」
●新シーズンのラインナップはこちらに。今回も非常に意欲的なプログラムが並んでいる。ノット指揮のプログラムからいくつか注目公演を選んでみると、まずは2018年のマーラーの交響曲第10番アダージョとブルックナーの交響曲第9番を組み合わせた、ダブル未完成プロにしてダブル最後の交響曲プロ。ノット「指揮者にはマーラーが得意な人とブルックナーが得意な人に分かれる傾向がある。自分はどちらもいっしょにやりたいと思い、ふたりの未完の曲を並べた。曲順をどうしようか、迷っている。マーラーを演奏して、休憩をはさんでブルックナー。これが普通だ。しかし、ブルックナーを演奏して、2分ほどのインターバルをはさんでマーラーを演奏するという方法もありうる」
●2018年12月はヴァレーズの「密度21.5」(無伴奏フルート)と「アメリカ」、R・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。ノット「ヴァレーズの音楽の純粋さはハイドンに近い。コンサートをまず無伴奏のフルートで始めて、次に巨大編成の曲を続ける。今シーズンはオーケストラの楽員のソロを聴いてもらえる曲をたくさん選んだ。この日はフルートと、R・シュトラウスでヴァイオリンのソロを聴ける」。2018年11月はブラームスのピアノ協奏曲第2番とラフマニノフの交響曲第2番。ブラームスではチェロのソロがあることも選曲理由のひとつに挙げられていた。ブラームスのピアノ独奏はヒンリッヒ・アルパースという人。ノットがバンベルクで聴いたときに「突き抜けるような感動があった」という。ほかにエルガーのオラトリオ「ゲロンティアスの夢」や、モーツァルトの「フィガロの結婚」演奏会形式も楽しみ。
●ノット以外の指揮者陣では、飯森範親によるヘンツェ「交響的侵略 マラトンの墓の上で」とウド・ツィンマーマンのオペラ「白いバラ」演奏会形式という攻めたプログラムが目をひく。客演指揮者陣ではウルバンスキ指揮によるショスタコーヴィチの交響曲第4番、ダン・エッティンガーによるベルリオーズ「幻想交響曲」も。
●東響とサントリーホールによる「こども定期演奏会」(小学生以上対象)にジョナサン・ノットが初登場するのも興味深い。こういった公演に音楽監督が登場すると、シリーズ全体にかける意気込みが一段と強く伝わってくる。

October 17, 2017

ノーベル文学賞にカズオ・イシグロ

●今さらの話題だけど、2017年のノーベル文学賞がカズオ・イシグロに決定。これはびっくり。近年のノーベル賞というと、縁のない人ばかりだった(去年のボブ・ディランも。どんな詩を書いたのかぜんぜん知らない)。それが急にカズオ・イシグロ。2010年のバルガス=リョサ以来、久々に知ってる人気作家が受賞したという感じ。
●で、せっかくなので好きなカズオ・イシグロ作品を挙げてみる。まず1位は月並みだけど「日の名残り」。どうしても挙げざるを得ない。イギリスの名家の執事を主人公に、とても美しくてノスタルジックな物語が紡がれていって、それが心地よいんだけど、次第に一人称で語られる物語と客観的現実の間にずれがあることがわかってくる。最後まで読み終えて呆然。容赦なく苦くて、意地が悪い。完璧な小説というほかない。あと、執事の主人公がご主人様の車に乗る場面があるじゃないすか。あのはらはらさせる意地悪さも秀逸。
●2位は「充たされざる者」。これはカズオ・イシグロ作品のなかではもっとも長く、しかも読みづらい小説。ただ、世界的ピアニストが主人公ということで音楽ファンの興味をそそるかも。テーマは夢。眠っているときの夢には、絶対にありえない不条理が当たり前に起きる一方で、やたらと具体的でディテールがリアルなことがあるじゃないすか。それを小説化したらどうなるか。ほかの作品と違って粗削りで読者を選ぶが、一種の悪夢がこれほど見事に言語化されていることに驚嘆する。たとえるなら高級なJ.G.バラードとでも。
●3位は「わたしたちが孤児だったころ」。ほかの多くの作品と同様に、ここでも記憶やアイデンティティがテーマになっている。「日の名残り」と同様、とても読みやすくて美しく、そしてやはり底意地が悪い。探偵小説風の体裁も吉。
●あと、番外で短篇集だが「夜想曲集」も傑作ぞろい。副題に「音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」とあるように、音楽ファンならより楽しめることは確実。このなかで特に好きなのは「チェリスト」。チェリスト志望の若者が謎の女教師に出会い個人レッスンを受ける。女はどうやら世界的な大家らしい。その批評は辛辣だが的確で、若者はレッスンにのめり込む。で、どうなったかというと……。同じ短篇集の「モールバンヒルズ」にも音楽家が出てくる。どちらも(多くの他の長編もそうだけど)、「美しく切ない物語」みたいな外枠のなかに、おかしくて苦い真実が描かれていて、読んでいて身悶えしそうになる。「痛い」ミュージシャンを描くと、一段と筆が冴えわたる。

October 16, 2017

拙著「クラシック音楽のトリセツ」中国語版が刊行

「クラシック音楽のトリセツ」中国語版●拙著「クラシック音楽のトリセツ」(SB新書)の中国語版が刊行された。日本語版は新書だが、中国語版は新書よりも大きめの判型で、凝った装幀になっている。
●しばらく前に日本の版元から中国版の翻訳権について諸条件の確認があったのだが、こういうものは実際に刊行されるかどうかは別の話だから……と気長に待っているうちに、すっかり忘れた頃に突然著者見本が送られてきた。まさか拙著が翻訳されるとはといった感じだが、自分では何もしていない。日本の版元があって、その向こうに翻訳エージェンシーがいて、中国の版元があって、訳者がいて……といった感じで、最初から最後までずっと向こう側で話が進んで、出来上がって初めてこんなになってたんだと知る。後半の名曲紹介コラムとか、ローカルなギャグもあったような気がするんだけど、いったいどうやって訳したんだろう……。ともあれ、翻訳には感謝するのみ。
●中身はまったく読めないけど、なにが書いてあるかは知っているという不思議。

October 13, 2017

新国立劇場「フィデリオ」制作発表

新国立劇場「フィデリオ」制作発表
●12日は新国立劇場のホワイエで「フィデリオ」制作発表記者会見。前日の「神々の黄昏」に続いて、また初台へ。新制作「フィデリオ」は開場20周年記念特別公演として2018年5月から6月にかけて上演される。演出はカタリーナ・ワーグナー。リヒャルト・ワーグナーのひ孫にあたり、バイロイト音楽祭総監督でもある。指揮は飯守泰次郎芸術監督。写真は左よりドラマツルグのダニエル・ウェーバー、演出のカタリーナ・ワーグナー、フロレスタン役のステファン・グールド(現在上演中の「神々の黄昏」でジークフリートを歌っている)、指揮の飯守泰次郎。公演ではリカルダ・メルベート(レオノーレ)、ミヒャエル・クプファー=ラデツキー(ドン・ピツァロ)、妻屋秀和(ロッコ)、黒田博(ドン・フェルナンド)らが出演。
●大きな見どころとなりそうなのは演出。具体的なネタバレは避けるとしながらも、斬新なアイディアが採用されることが示唆されていた。ダニエル・ウェーバー「新しい視点で登場人物の関係をもう一度見直したい」。カタリーナ・ワーグナー「(このオペラでテーマとなる)自由についての認識や、自分の置かれた環境をどう認識するのか、同じものを見てどう理解するかは人によって違う。このオペラではレオノーレは女性でありながら男性として登場する。レオノーレを男性として見ることについてもいろいろな見方がありうる」。
●飯守泰次郎「『フィデリオ』は欧米の劇場でも節目に上演される特別な作品。自由、平等、博愛といったベートーヴェンのテーマが凝縮されている。ベートーヴェンはワーグナーと並んでこれまで自分がもっとも深く掘り下げてきた作曲家。『フィデリオ』には声楽的というよりは器楽的なところもある難しい作品だが、望みうる最高のフロレスタンであるグールドさんをはじめ、すばらしいキャストが集まった」。グールド「フロレスタンは2006年にも新国立劇場で歌っている。今回はより心理的な舞台となる。以前よりも一段と発展させたフロレスタンを歌えるのを楽しみにしている」

October 12, 2017

新国立劇場「神々の黄昏」 ゲッツ・フリードリヒ演出

新国立劇場「神々の黄昏」
●11日は新国立劇場でワーグナー「神々の黄昏」。休憩込みで上演時間6時間ということで、14時開演でも終演は20時。気合を入れて臨む。今回のゲッツ・フリードリヒ演出(フィンランド国立歌劇場のプロダクション)による「ニーベルングの指環」だが、足を運べたのは「ワルキューレ」と「神々の黄昏」のみ。半分しか観れなかったのだが、それでもなんといっても「指環」、世界の終焉に立ち会ったという感慨深さは半端ではない。泣けるオペラのナンバーワンはなんたって「指環」だ。
●飯守泰次郎指揮で、ピットに入るのは読響。大変すばらしい。この日の真の主役では。シンフォニックに鳴らし切った、豪快で起伏に富んだワーグナー。こういうスケールの大きなワーグナーを聴いたのは久しぶり。歌手陣はジークフリートにステファン・グールド、ブリュンヒルデにペトラ・ラング、ハーゲンにアルベルト・ペーゼンドルファー、グンターにアントン・ケレミチェフ、グートルーネに安藤赴美子、アルベリヒに島村武男、ヴァルトラウテにヴァルトラウト・マイヤー(第1幕のカーテンコールで大喝采)他で万全。全体に尻上がりに調子を上げていった感。開演前にペーゼンドルファーが気管支炎であるが歌うというアナウンスがあったが、途中でそんなことも忘れてしまった。これまであまり意識していなかったグートルーネという役柄に共感を持てたのが収穫。
●で、ゲッツ・フリードリヒ演出なんだけど、一言でいえばレトロフューチャーなテイスト。暗くシリアスなトーンのなかに妙にコミカルな部分もあったりもしたんだけど(拡大鏡とか、毛布にくるまるところとか)、最後のブリュンヒルデが「まだ生きてますよ」みたいなのはなんなんすかね。グンターとグートルーネの兄妹に、ジークムントとジークリンデとの相似性を描いているのはおもしろかった。
●「指環」って、「ワルキューレ」「ジークフリート」はそれぞれに愛の物語なんだけど、「神々の黄昏」は憎しみと復讐、滅びの物語だから、ホント、やるせない。ヴォータンは愛の力で自由な人間を生んで、そして失敗する。アルベリヒは愛を断念しながら隷属的な子を産み、そしてある意味で成功した。ジークフリートがすっかりダメ男になり、ブリュンヒルデが復讐心を燃え上がらせるという、この悲しさ。なぜそうなったかといえば、指環の呪いなんだけど、この話、最初から最後まで主要人物たちはずっと場当たり的に生きている。欲しいものを欲し、愛する者を愛し、憎む者を憎む。そんななかで、ほとんど唯一、一手先二手先を読んで行動しているのがハーゲン。第2幕冒頭のハーゲンとアルベリヒの悪魔的対話のシーンからもハーゲンの自信と狡猾さが伝わってくる。でもそれってなぜかといえば、ハーゲンは一度も指環を手にしていないからなんすよね。真に権力を手にしていないから、賢く振舞える。そして最後の最後に指環を手にできるというところで水に沈む。ほとんど完璧に計画通りに事が運んだはずなんだけど、彼には指環を手にした後のビジョンが見当たらない。そこがまた物悲しい。

October 11, 2017

ヴァレリー・アファナシエフ ピアノ・リサイタル

●ニッポン代表の親善試合を気にしつつも、10日は浜離宮朝日ホールでヴァレリー・アファナシエフのピアノ・リサイタルへ。プログラムは前半にシューベルトの4つの即興曲D899から第1曲、第3曲、第4曲、ラビノヴィチの「悲しみの音楽、時に悲劇的な」(1976)、後半にブラームスの4つのバラードと2つのラプソディ。大曲がなく、小曲の集積からなるプログラム。全体を貫くキーワードは反復、同音連打、メランコリーといったところだろうか。
●すごいんすよ、アファナシエフは。袖からフラッとやってきて、なんだか自宅の練習室に置いてあるピアノに向かうみたいに、さっくり弾き始める。儀式性ゼロ。ていうか、あの衣装、一応黒ではあるんだけど、なんか寝巻っぽくない? これほど「自然体」という言葉が似合わない人もいないんだけど、ものすごい日常感。ちらりと0.3秒くらい客席のほうを向いて愛想笑いを浮かべて、さっとピアノに向き合ったら「なにもかもにすっかり倦んでいる」とばかりの老人の表情を浮かべて弾き始める。しかしそのタッチの強靭さ、そしてベーゼンドルファーから紡ぎ出される音色の多彩さと来たら! 強靭な打鍵によるダイナミズム、ときに思いきり入る謎のタメ。筆圧の強さがひりひりするような緊張感を生み出す。各曲のおしまいの和音をたっぷりと鳴らし切って、だらりと手を垂らしながら放心して聴き入るような姿。なんだかいろんな意味で解放されている。アンコールは2曲。21時前に余裕を持って終わった。かつてのような異常に遅いテンポ設定ではないので。
●サイン会あり。新譜は「テンペスト~プレイズ・ベートーヴェン2」(ソニークラシカル)。こちらはベートーヴェンのソナタ第1番、第7番、第17番「テンペスト」という3曲。大勢のファンが並んでいた。


October 10, 2017

リッカルド・シャイー指揮ルツェルン祝祭管弦楽団

●6日はサントリーホールでリッカルド・シャイー指揮ルツェルン祝祭管弦楽団。プログラムは前半がベートーヴェンで劇音楽「エグモント」序曲と交響曲第8番、後半はストラヴィンスキーのバレエ「春の祭典」。精鋭たちが集ったスーパーオーケストラということで、もう「エグモント」序曲の冒頭から別世界。異次元の高性能ぶり。先日の記者会見でシャイーもルツェルン・フェスティバル総裁ミヒャエル・ヘフリガーも口をそろえて、このオーケストラはソリストを招かない、自分たちのサウンドを聴いてほしいから、という趣旨の発言をしていたが、まったくもって納得。
●会見ではベートーヴェンの交響曲第8番は作曲者のメトロノーム指定のように速いテンポに挑むということだったが、この曲、高速テンポの演奏が増えてきて近年はそうそう速さを感じなくなってきたかも。推進力があってスリリングで、しかも重量感のあるベートーヴェン。しかしよりエキサイティングだったのは後半の「春の祭典」。冒頭のファゴット、これを思い切りソリスティックに吹いていて意表を突かれる。これだけ大編成でありながら緻密で、色鮮やか。豊麗さと解像度の高さを両立させた驚異のアンサンブル。むしろこうなると「春の祭典」が美形すぎるとすら感じる。
●休憩中にすでにネタバレしていた感じだが、アンコールではストラヴィンスキー「火の鳥」から「魔王カスチェイの凶悪な踊り」。本編よりいくらか開放感が増して、爽快の一語。最後、ほんの一瞬だけど、「この続きも演奏するんじゃないか」という錯覚を覚えて、拍手を躊躇してしまった。シャイーのソロ・カーテンコールあり。

October 7, 2017

リャン・ツァン指揮上海フィルハーモニック

●5日は東京オペラシティでリャン・ツァン指揮上海フィルハーモニック管弦楽団。これは毎年開催されているアジア・オーケストラ・ウィークのなかの一公演。アジア太平洋地域のプロ・オーケストラが年ごとに複数団体招かれるもので、今年は上海フィル、マレーシア・フィル、そしてホスト・オーケストラとして関西フィルが参加。
●で、上海フィル(旧称は上海放送交響楽団)を初めて聴いたんだけど、うまい! 特に弦がいい。次いで木管。このアジア・オーケストラ・ウィーク、うっかりすると「進境著しいアジアの楽団がどこまで来たか」とつい無条件で先行者の目線で見てしまいがちだったんだけど、もうそんな時代ではないと認識を改める。すでにレベルは十分高いし、さらにまだまだ行けそうなポテンシャルまで感じる。あと、伝わってくるのはローカリズムよりも、むしろグローバリズム。楽団に固有のキャラクターがあったとしても、そこに中国的とかアジア的とか、そんなラベルを貼る気がしない。
●プログラムは芥川也寸志の弦楽のための三楽章「トリプティーク」、ショパンのピアノ協奏曲第2番(ジェ・ヤン)、ドヴォルザークの交響曲第8番。ジェ・ヤンの流麗で情感豊かなソロも見事。特別すごいコンクール優勝歴があるわけではないんだけど、それでもこのレベルの高さ。リャン・ツァンの指揮ぶりは非常に明快で、ドヴォルザークの交響曲第8番では起伏に富んだ音楽を作り出していた。音楽の表情は「濃い」と思うんだけど、落ち着き払ってオーケストラをコントロールしていて、力みがない。アンコールは前半のソリスト、後半のオーケストラともに「お国もの」だったが、このアンコールがなかったら特にこの公演が「アジア・オーケストラ・ウィーク」の一環だなんて感じなかったと思う。むしろステージより客席がアジアだった。

October 5, 2017

ルツェルン祝祭管弦楽団来日公演記者会見@アーク・ノヴァ

シャイー ルツェルン祝祭管弦楽団来日公演記者会見
●4日はルツェルン祝祭管弦楽団来日公演記者会見へ。場所は東京ミッドタウン芝生広場に設置されたアーク・ノヴァ。アーク・ノヴァとは東日本大震災の復興支援のためにルツェルン・フェスティバルが考案した移動式コンサートホールで、中から空気でふくらませて設置する方式。入退場には回転ドアを一人ずつ通らなければらならず、エアロックを通過する気分。座席はベンチシート。オーケストラの公演に先立って、このアーク・ノヴァでも小さな編成のコンサートがいくつか行われている。ルツェルン祝祭管弦楽団は6日のサントリーホール公演を皮切りに、通常のコンサートホールで公演を行なう。
●会見には同楽団の音楽監督リッカルド・シャイー(中央右)、ルツェルン・フェスティバル総裁のミヒャエル・ヘフリガー(左)、ツアーおよび音楽祭のスポンサーであるアデコ株式会社代表取締役社長の川崎健一郎氏(右)らが登壇。
●シャイー「トスカニーニによって設立され、アバドによって生まれ変わったオーケストラを、こんどは私が将来に向けて引き継ぐ大切な役割を任された。このオーケストラには最高の音楽家たちが集まっており、彼らのサウンドをできるだけたくさん聴いてもらうために、ソリストはめったに招かない。今回の来日公演ではふたつのプログラムを用意した。ベートーヴェンの交響曲第8番はとても難しい作品。なぜならベートーヴェンのメトロノーム指定は非常に速く、わたしたちはこれに果敢にチャレンジしようと思っている。ベートーヴェン自身が感じていた鼓動が伝わるだろう。これにストラヴィンスキーの『春の祭典』を組み合わせた。精鋭ぞろいのこのオーケストラで聴けば多くの発見があるだろう。もうひとつのプログラムはリヒャルト・シュトラウス。3つの交響詩のどれもが美しく、そしてきわめて難しい作品ばかり。『ツァラトゥストラはかく語りき』『死と変容』に続いて、最後に『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』を演奏するのは、演奏会を悲劇的な雰囲気で終えたくなかったから。この曲はシュトラウスの自画像的な性格を持っている」
●さらにルツェルン祝祭管弦楽団について、こんなことも。シャイー「伝統あるオーケストラでは、伝統の影を無視することは難しい。それが私の仕事の大変なところのひとつ。でもこのオーケストラにはそれがない。とてもオープンで、どのような解釈であっても、まずはやってみようという姿勢を持っている。それでいて、彼ら独自のサウンドがある。これはアバドが成し遂げた奇跡というべきだろう」
●シャイーの言葉は非常に明快で、常に理路整然としていたのが印象的だった。

October 4, 2017

劇団民藝「33の変奏曲」(モイゼス・カウフマン作、丹野郁弓演出)

●3日は紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAで劇団民藝の「33の変奏曲」(モイゼス・カウフマン作、丹野郁弓演出)。以前、当欄でご紹介したベートーヴェンの「ディアベリ変奏曲」を題材とした演劇で、現在上演中(10月8日まで)。思った以上に「ディアベリ変奏曲」に踏み込んだ作品で、なるほど、これは音楽ファンにとって興味をひく舞台になっている。
●同じ舞台でふたつの時代の出来事が並行して描かれるという趣向。ひとつは現代のニューヨーク。音楽学者キャサリン(樫山文枝)は「なぜベートーヴェンがディアベリのあのような凡庸な主題をもとに大変奏曲を書いたのか」を研究している。キャサリンは難病にかかっており、残された時間のなかで研究を進めるべくドイツへと渡り、「ディアベリ変奏曲」のスケッチに触れる。もう一方の時間軸は19世紀前半のウィーンで、ベートーヴェン(西川明)と秘書シントラー(みやざこ夏穂)、楽譜出版者のディアベリ(小杉勇二)の物語が描かれる。ベートーヴェンもまた耳疾におかされ、聴力が完全に失われるなかで後期の傑作群に取り組む。
●舞台中央の奥にピアノが置かれて、実際にここでストーリーに応じて「ディアベリ変奏曲」からのあちこちが演奏されるのがいい。キャサリンが「ディアベリ変奏曲」のスケッチを見る場面では、映像で映し出された手稿譜を実際に演奏して音にしてくれるのが効果抜群。ベートーヴェンとディアベリのやりとりでは「会話帳」も出てくる。「会話帳」に書くのは会話の相手であって、ベートーヴェン本人は基本的に書かないという一方向性も、劇のなかでさらりと言及される。ディアベリ変奏曲が当初多数の作曲家に一曲ずつの変奏を依頼した作品であったこともしっかりとストーリーに組み込まれていて、とてもよくできている。
●あまりに音楽史寄りだとそれだけでは一般性を欠いてしまうのだろうか、現代の側ではキャサリンとその娘クララ(桜井明美)と恋人の看護師(大中耀洋)のストーリーが進み、病や死がテーマとなっているのだが、そこにどれくらい興味と共感を持てるかで見る人を選びそう。いちばんの見どころは第1幕の終わりで、過去のウィーンの登場人物、現代のドイツの登場人物、現代のニューヨークの登場人物がそれぞれに別個に会話をしながらも、一部のセリフが重なったり、ずれたりして、あたかも「会話の対位法」みたいな離れ技を披露する。変奏曲の終盤に訪れるフーガのように。

October 3, 2017

ピョートル・アンデルシェフスキ映像上映&記者懇談会

ピョートル・アンデルシェフスキ
●2日はすみだトリフォニーホールでピョートル・アンデルシェフスキの映像上映&記者懇談会。映像とは、なんとアンデルシェフスキが自ら監督・撮影した「私の名はワルシャワ」という35分ほどの映像作品。登場人物などは一切おらず、故郷ワルシャワのさまざまな風景を切り取って、そこに歴史の痕跡や現在のあり方などを映し出すというもの。音楽ももちろんアンデルシェフスキが選び、本人のCD録音からショパン、シマノフスキ、ウェーベルンらの音楽が添えられている。たとえるなら……テロップのない名曲アルバムみたいな感じ? 「私の感情と強いつながりを持つ街がワルシャワ。ヒトラーにより消滅させられた街が今も生まれ変わって存在している。過去の歴史を忘れてはいけないという私の強い思い、瞑想のような感情をどう語るべきかを示したのがこの映画である」(アンデルシェフスキ)。この映像を既出のアルバム FANTAISIES のボーナスDVDでご覧になった方もいるだろう。
●で、アンデルシェフスキは来年3月17日、すみだトリフォニーホールの大ホールでリサイタルを開く。オール・バッハ・プログラムで、平均律クラヴィーア曲集第2巻より前奏曲とフーガ6曲(番号未定)、イギリス組曲第3番ト短調および第6番ニ短調が予定される。ワタシは次の予定が迫っていたので話題がリサイタルに入ったところで途中退出しなければならなかったのだが、配布資料のコメントでアンデルシェフスキはこう述べていた。「コンサートの演目はときには2、3年前、あるいはそれ以前に決定されることもある。数年前から内容が定められたコンサートで、奏者には果たしてどれほどの表現の余地が残されているだろうか。生演奏でなにより優先されるのは、その瞬間が生き生きと息づいていること。だからこそ私には公演の日が迫ってからプログラムを決定できる環境がきわめて重要である」と。

October 2, 2017

アンサンブル・ウィーン=ベルリンを彩の国さいたま芸術劇場で

彩の国さいたま芸術劇場音楽ホール●30日は彩の国さいたま芸術劇場音楽ホールでアンサンブル・ウィーン=ベルリン。もともとウィーン・フィルとベルリン・フィルのメンバーを中心に設立された木管五重奏団だが、2014年からは完全にメンバーが若返って以下のような現メンバーに。フルートのカール=ハインツ・シュッツ(ウィーン・フィル)、オーボエのジョナサン・ケリー(ベルリン・フィル)、クラリネットのアンドレアス・オッテンザマー(ベルリン・フィル)、ファゴットのリヒャルト・ガラー(ウィーン交響楽団)、シュテファン・ドール(ベルリン・フィル)。初代メンバーに比べると「ベルリン・フィル度」が強くなったともいえるが、ウィーン勢vsベルリン勢と見ると、どうだろう。オッテンザマーは所属はベルリン・フィルだけど出自はウィーンの名門一家ということで半々にカウントすると、うまい具合に2.5対2.5でバランスしているともいえる。
●曲はすべて20世紀作品。ツェムリンスキーの「ユモレスク」、バルトーク(マーク・ホプキン編)のルーマニア民俗舞曲、ヒンデミットの「小室内音楽」op24-2、リゲティの「6つのバガテル」、ドビュッシー(ヨアヒム・リンケルマン編曲)の「子供の領分」、フランセの木管五重奏曲第1番、ベリオの「オーパス・ナンバー・ズー」(作品番号獣番)。みんなが知っているような曲はほとんどなく、曲目としてはけっこう渋めなわけだが、まったく無問題。全席完売。スーパースターたちの演奏に接しようと多数つめかけた中高生たちが固唾をのんで舞台を見つめている感。レ・ヴァン・フランセ公演でもそうだけど、木管五重奏での客席の若さと熱気は頼もしいかぎり。
●「ユモレスク」、晩年のツェムリンスキーにこんなとぼけた雰囲気の曲があったとは。ユーモアという意味ではヒンデミットとフランスの曲もユーモラス。というか、ベリオやドビュッシーもそう。プログラム全体を貫くトーンがユーモア。「子供の領分」ではピアノ曲を木管五重奏に割り振る編曲の妙を楽しむ。各楽器のつなぎ目のなさに感嘆。リゲティ作品はピアノ曲「ムジカ・リチェルカータ」からの作曲者自身による抜粋編曲。ベリオの「オーパス・ナンバー・ズー」(作品番号獣番)は、演奏の合間に各奏者のナレーションが入るわけだが、なんと、これが谷川俊太郎の日本語訳。全員、日本語で、しかも表情豊かに読んでくれた。すばらしすぎる。もっとも言葉はけっこう肝心なところが聞き取れなかったのだが……。発音の敢闘賞はジョナサン・ケリーに。アンコールにブリッチャルディの「セビリアの理髪師による幻想的なポプリ」から、それとベリオの「オーパス・ナンバー・ズー」より「ねずみ」をもう一度。

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