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2024年4月アーカイブ

April 26, 2024

ともに前半で退場者が出た五輪最終予選のU23カタール対ニッポン、ACL準決勝のマリノス対蔚山現代

●今週はミッドウィークにサッカーの国際試合が続いた。どちらもライブ配信では観れなかったのだが、奇しくも前半40分頃に退場者が出て延長戦に入るという展開がまったく同じ。



●ひとつはパリ・オリンピックの最終予選を兼ねたU23アジアカップ準々決勝、U23カタール対U23ニッポン。開催地がカタールなので完全アウェイ。これに勝たないとニッポンは五輪に出場できないのだが、近年、カタールはもはやアウェイで勝てる気がしない相手。久々に五輪出場権を逃すかも、と思っていた。が、1対1で迎えた41分にカタールのゴールキーパーがラフプレイで退場。これで楽になったと思いきや、ひとり少ないカタールが2点目を奪ってリード。その後、ニッポンは2対2に追いつくが90分で決着がつかず延長戦へ。さすがにひとり少ないカタールに余力はなく、延長戦でニッポンが2ゴールを奪って勝利。オリンピック出場に王手をかけた。でも、前半にひとり減ってもカタールはこれだけ戦えるのだから、本当に強い。



●もう一試合はアジア・チャンピオンズリーグの準決勝第2戦、マリノス対蔚山現代。先週のアウェイゲームでは韓国の蔚山が1対0でリード。よく1失点で済んだなという内容だったが、ホームでのマリノスは別のチームのように躍動した。前半30分までに植中朝日、アンデルソン・ロペス、植中朝日と立て続けに3ゴールを奪った。が、ここからがカオス。蔚山に1点奪われた後、前半40分にセンターバックの上島にレッドカードが出されて、PKまで与えてしまう。これを決めて蔚山が2点目。2試合の合計得点が3対3になり、あとはひとすらマリノスが耐え続けた。延長に入っても耐えきって、PK戦に。なんとこの試合、蔚山は43本のシュートを打った。しかも枠内シュートが26本! シュート練習かというくらいに打たれまくったが、マリノスのキーパー、ポープ・ウィリアムはPKを除けば1失点しかしていないわけで、鬼神の働き。J1での実績が乏しい選手だったが、マリノスに来て大ブレイクした感がある。
●PK戦もすごかった。マリノスも蔚山も4人目まで全員が成功して、蔚山の5人目をポープがスーパーセーブ。マリノスは5人目でエドゥアルドが決めて決勝進出。現在のリーグ戦の勢いを考えれば、マリノスのACL決勝進出は驚きだろう。決勝の相手はUAEのアル・アイン。アル・アインは西地区の準決勝で、ネイマールらスターを擁するサウジのアル・ヒラルを破った。

April 25, 2024

クリストフ・エッシェンバッハ指揮NHK交響楽団のシューマン

クリストフ・エッシェンバッハ NHK交響楽団
●24日はサントリーホールでクリストフ・エッシェンバッハ指揮N響。オール・シューマン・プログラムで「ゲノヴェーヴァ」序曲、チェロ協奏曲(キアン・ソルターニ)、交響曲第2番。ときにはかなりアクの強い表現を聴かせるエッシェンバッハだが、今回は作品とぴたりと共鳴して圧倒的なシューマンに。オーケストラからすごい音が出てきた。深くて重厚なのだが、しばしば輝かしい。造形も独特。軋みながら進むといった趣で、どんどん白熱する巨大な音楽。そしてほの暗い。協奏曲のソリスト、キアン・ソルターニは豊かな音色。アンコールに自作を弾くといって、激しいビートに乗せて次々と変化に富んだパッセージを繰り出す。荒っぽい曲だったが、曲名は「ペルシアの火の踊り」と後で知って納得。自身のルーツにちなんだ曲のよう。やはり白眉は交響曲第2番で、胸のすくような爆速スケルツォから、深く没入するような第3楽章へのコントラストが見事。
●で、第3楽章が終わったところで、ホールの天井のほうからゴゴゴゴゴという轟音が聞こえた。あ、地震か、と思ったのだがほとんど揺れを感じない。エッシェンバッハは意に介さない様子で第4楽章に入った。どこか遠くで大きな地震があったのか(また能登じゃないといいけど……)、それとも突風とか竜巻みたいなものが上を通ったのか、いろいろ気になってしまった。でもその場でできることはないので、緊張したまま音楽を聴き続ける。終演後、携帯の電源を入れて、やはり地震だったのだと知るが、茨城県北部震源で大きなものではなかった。東京は震度2だったけど、それであんな音が鳴るとは。
●コンサートマスターを前半は郷古廉、後半は川崎洋介(ゲスト・コンサートマスター)が務めた。前後半で席を入れ替わる珍しい形。後半、しばしば腰を浮かせて全身でリードする川崎氏の姿が熱かった。

April 24, 2024

阪田知樹(ピアノ) B→C バッハからコンテンポラリーへ

阪田知樹 B→C
●23日は東京オペラシティのリサイタルホールでB→C(ビートゥーシー)阪田知樹(ピアノ)。全席完売。このシリーズにふさわしい意欲的なプログラムで、バッハとコンテンポラリーという軸に加えてイタリアがテーマになっている。前半がマルチェッロにもとづくバッハの協奏曲ニ短調BWV974からアダージョ、バッハのイタリア協奏曲、ブゾーニ「エレジー集」から「イタリアへ!」、リストのBACHの主題による幻想曲とフーガ、後半がブゾーニの「偉大なるヨハン・ゼバスティアンによる小ソナチネ」、マイケル・フィニッシーの「我ら悩みの極みにありて」(1992)、ビューロー~リスト編のダンテのソネット「いと優しく、いと誠実な」、ポウル・ルーザスのピアノ・ソナタ第1番「ダンテ・ソナタ」(1970)、ジェラール・ペソンの「判じ絵、ローマ」から「ペンナを読んで」(1991〜95)、アイヴズの「スリー・ページ・ソナタ」。多彩。洗練された技巧と音色表現の妙ですべてが聴きものというべき充実度。
●前半、「イタリア協奏曲」が明快でみずみずしい。後半はモダンな作品が並んだが、もっとも印象的だったのはポウル・ルーザスの「ダンテ・ソナタ」。この日のプログラムのなかでは唯一、長めの作品で、2楽章構成。晦渋な作品ではあって正直長さも感じるのだが、なにしろ「地獄篇」なので。第1楽章では強靭な打撃の連続から硬質なリリシズムが立ち昇り、第2楽章では陰鬱さがやがて宗教的恍惚へと昇華される。力量ある奏者あってこその聴きごたえ。続くジェラール・ペソンの「判じ絵、ローマ」から「ペンナを読んで」は音数の少ない抑制的な表現が微細なニュアンスを作り出す。アイヴズ「スリー・ページ・ソナタ」はあらかじめ本編に組み込まれたアンコールかなとも思ったけど、本物のアンコールがあって、レジス・カンポの「星月夜 〜 マルチェロ・バッハによる」。この日の冒頭に演奏されたマルチェッロ~バッハの協奏曲のアダージョの枠組みにゴッホの「星月夜」のイメージを重ね合わせた抒情的な作品で、円環を閉じるようにきれいに終わった。
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●ベルリン・フィルの2024/25シーズン・プログラムが発表された。25年6月に山田和樹がデビュー!レスピーギ「ローマの噴水」、武満徹「ウォーター・ドリーミング」、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」というプログラム。大成功しますように。ほかに日本人では25年3月のメータ指揮の公演で、ソリストとして2011年生まれのHIMARIが登場、ヴィエニャフスキのヴァイオリン協奏曲第1番で独奏を務める。

April 23, 2024

辻井伸行がドイツ・グラモフォンとグローバル契約

辻井伸行がドイツ・グラモフォンとグローバル契約
●22日はサントリーホールのブルーローズ(小ホール)で辻井伸行とドイツ・グラモフォン(DG)のグローバル契約発表記者会見。登壇者は写真左より藤倉尚ユニバーサルミュージック社長兼CEO、ピアニストの辻井伸行、クレメンス・トラウトマン ドイツ・グラモフォン社長の各氏。辻井伸行はDGとグローバル専属契約を結び、2025年初頭にDGデビュー作となるベートーヴェンのピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」をリリースする。また、これまでエイベックスに録音された多数のアルバムもDGより再リリースされるのだとか(配信では旧譜が全世界でDGより再リリース、国内の旧譜CDは引き続きエイベックスで流通)。また、今回の契約を記念して、5月18日にDGの配信サービスであるステージプラスでコンサート映像「辻井伸行プレイズ・バッハ、ショパン&ラフマニノフ」が配信される。
●辻井「子供の頃からDGの録音をたくさん聴いて育ったので、こうしてDGと契約できてとてもうれしく、同時に責任感も感じている。デビューとなる『ハンマークラヴィーア』は大変難しい曲だが、歴史に残るアルバムにしたいと思っている。世界に向けてのスタートラインに立ったと思っており、これからも精進したい」。ブルーローズで会見を行っただけあって、辻井さんの演奏も。リストの「愛の夢」と「ラ・カンパネッラ」。力強くスケールの大きな演奏。
●合わせて、トラウトマン社長よりカラヤンの映像&録音をステージプラスで一挙公開するプロジェクトについても発表された。テレモンディアルの全映像作品とユニテルで制作された大部分のカラヤンの映像がステージプラスで公開されること、またその際に日本語のメタデータも整理されるという。カラヤンの映像がこれだけ長く観られることに感嘆せずにはいられない。

April 22, 2024

Jリーグ、冴えないマリノスと躍進する町田

●マリノスが冴えない。予想通りではあるが、選手層が薄くなったうえに、けが人が多い。試合内容から言っても、ハリー・キューウェル新監督にはよい印象がない。4月10日のガンバ大阪戦が象徴的だったと思うが、この試合は2対0で完勝したように見えて、内容的にはガンバに押されまくって山のようにシュートを浴びた。ボール保持率も五分五分に近かった。耐えて耐えて、決定力の差で勝ったのだが、いつからそんなチームになったのか。ポステコグルー監督時代の狂信的で原理主義的なアタッキングフットボールが懐かしい。ケヴィン・マスカット監督はもう少しバランスを重視したが、それでも1点リードしたら2点リードを狙うという哲学は受け継がれていた。たとえ期待値として損だとしても攻撃的に戦う、なぜならそれがフットボールの本質だから、という哲学。ロマン主義のフットボールだ。4月13日の湘南戦は、控え選手中心ながらも先行逃げ切りに成功するかと思いきや、退場者でひとり減った湘南にゴールを奪われてドロー。そして17日、アジア・チャンピオンズ・リーグ準決勝では、蔚山 0-1 マリノス。キーパーのポープ・ウィリアムのビッグセーブのおかげで1失点で済んだというイメージ。ロマンは機能していない。
●一方、今季のJリーグの最大の驚きは、首位に立つ昇格組の町田! 最初の数試合で首位に立った時点では「まだ始まったばかりだし」と思っていたが、9節まで来て首位なのだから、強さは疑いようがない。黒田剛監督は一昨年まで教師として青森山田高校のサッカー部を率いていた(当然プロ選手の経験はない。欧州や南米では珍しくないが、Jリーグではまだ珍しい)。プロ監督デビューの最初の年でJ2優勝と昇格を果たし、今J1で首位を走っている。どう考えても伝説だ。にもかかわらず、そのサッカースタイルがしばしば非難の対象になる。失点をしないために徹底的にリスクを管理し、無用にボールをつながず、やや荒っぽいファウルが多く、インプレイの時間が短く、ロングスローを多用し、あらゆる局面で勝つための最適化を図る。リアリズムのフットボールだ。黒田監督はヒーローのはずなのに、ヒールめいた雰囲気が漂ってきているのがおもしろいところ。しかし、競技である以上、勝てばそれが正解。非難されるいわれはない。われわれは嫉妬しているのだ。
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●Microsoft Edgeを最新バージョンにアップデイトすると、このサイトにアクセスできなくなるようだ(Cloudflare Forbidden HTTP Response Code:403が出る)。このサイトに限らず、httpのサイトはブロックされる模様。原因は、Edgeの設定>プライバシー、検索、サービス>セキュリティの項目にある「Microsoft Edge セキュア ネットワーク」のようだ。ここが「最適化(推奨)」になっているとhttpのサイトをはじく。この項目を「サイトの選択」にするか、「Microsoft Edge セキュア ネットワーク」をオフにすると、アクセスできるようになる。これはどう対応したらいいものか、困ったもの。いや、サイト自体をhttpsにすればいいのだろうが、簡単ではなさそう……。

April 19, 2024

東京・春・音楽祭2024 ヴァイグレ指揮読響のリヒャルト・シュトラウス「エレクトラ」演奏会形式

東京・春・音楽祭 2024 ヴァイグレ 読響 「エレクトラ」
●18日は東京文化会館で東京・春・音楽祭。セバスティアン・ヴァイグレ指揮読響のリヒャルト・シュトラウス「エレクトラ」演奏会形式。本来であれば2022年に読響定期で上演されるはずだった「エレクトラ」だが、コロナ禍の入国制限により実現しなかった。それが今回、東京・春・音楽祭の公演として復活! こんな形で機会が巡ってくるとは。演奏会形式の「エレクトラ」といえば、昨年、ジョナサン・ノット指揮東響で鮮烈な演奏を聴いたばかりだが、今年もまたとてつもない「エレクトラ」を体験することになった。
●歌手陣はエレクトラにエレーナ・パンクラトヴァ、クリソテミスにアリソン・オークス、クリテムネストラに藤村実穂子、オレストにルネ・パーペ、エギストにシュテファン・リューガマー。題名役に人間離れした歌唱が求められるオペラだが、パンクラトヴァは堂々たるエレクトラ。強靭さという点ではノット&東響のクリスティーン・ガーキーに一歩譲るかもしれないが、それでも強烈。ガーキーの怪女ぶりに比べれば、声の温もりもあって、復讐心以前の父への愛を感じさせる。最後の場面、控えめながらも踊ってくれた。あの場面は客席でいっしょに踊りたくなる(ウソ)。アリソン・オークスのクリソテミスもエレクトラに負けていない。ふつうのお母さんになりたいとか言っているけど、実は第二のエレクトラ的な存在なのかも、と思わせる。ルネ・パーペのオレストは格調高い。深い声で空気を一変させる。
●ヴァイグレ指揮読響は凄絶。大編成のオーケストラの咆哮が文化会館の空間に響き渡り、演奏会形式ならではのダイナミズムを堪能。はなはだ苛烈な音楽ではあるのだが、一方で柔らかく官能的な響きも印象的で、表現の幅は広い。このコンビの記念碑的な公演になったのでは(まだもう一公演あるけど)。なんというか、ごうごうと燃えていた。

April 18, 2024

東京・春・音楽祭2024 配信 ネット席でムーティの「アイーダ」

●16日は東京・春・音楽祭でリッカルド・ムーティ指揮東京春祭オーケストラによるヴェルディ「アイーダ」演奏会形式……なのだが、この日は都合がつかない。20日も予定が合わないので、今年のムーティ祭はあきらめるしか。と思っていたのだが、配信でなら半分くらいは聴けそうだったので、「ネット席」から可能な範囲で観ることに。こういうときに配信があるのはありがたい。なお、東京・春・音楽祭の配信はライブのみで、聴き逃し配信はない。
東京・春・音楽祭 LIVE Streaming 2024のサイトにアクセスすると、選択肢がふたつあって、通常の映像とスイッチング映像を選べるようになっていた。最初、意味がよくわからなくて通常の映像を選んだら、固定カメラからの映像で、自分で拡大・縮小するタイプだった。途中からスイッチング映像に変更したところ、一般的な演奏会中継のカメラワークになった。こちらのほうがだんぜんよい。ムーティの表情も見えるし。PCからUSB-DAC経由でヘッドフォン視聴。始まってすぐは字幕が出なかったり、強奏時に音が割れてしまったりとなんらかのトラブルがあった模様。途中から改善された。
●で、何度か席を外さなければならなかったので、演奏についてあれこれ語るわけにもいかないのだが、オーケストラから出てくるひりひりするような音はさすが。N響コンサートマスターの郷古廉が率いる東京春祭オーケストラは、若手の在京オーケストラ楽員とソリストたちを中心とした精鋭ぞろい。ムーティは82歳のはずだが、姿勢がよく、腕もしっかり振られ、統率力に衰えはない。歌手陣はアイーダにマリア・ホセ・シーリ、ラダメスにルチアーノ・ガンチ、アムネリスにユリア・マトーチュキナ、アモナズロにセルバン・ヴァシレ。主役ふたりよりもアムネリスがだんぜん光っていた。
●毎回思うんだけど、終幕で地下牢にアイーダが先回りして入っていたという展開におののく。ど、どこから入ったんすか! 勝手に入れたのなら、ひょっとして出れたりするの? あるいは、これはラダメスの見た幻影で、実体はそこにないのかも。

April 17, 2024

「街と犬たち」(バルガス・ジョサ/寺尾隆吉訳/光文社古典新訳文庫) その3

●(承前 その1 / その2)しつこくもう一回だけ、バルガス・ジョサの「街と犬たち」について。「街と犬たち」(旧訳は「都会と犬ども」)は軍人学校の生徒たちを描いた物語なので、若いうちは当然のごとく生徒たちの視点で読む。生徒たちは子どもで、士官たちは大人。そんなふうに見える。でも、年を重ねて読むと、違った景色が見えてくる。士官だって若いのだ。とくに士官たちで唯一、内面が描かれているガンボア中尉は、夫人が初産だというのだからおそらくかなり若い。まだ自分の職業人生が将来どうなるかまったくわからない段階の若者なのだ。
●生徒たちから見ればガンボア中尉はもっとも厳格な教官であり、この学校で唯一、畏れられている。どんな悪ガキも彼の前では背筋を伸ばす。軍規を丸暗記するほど規律を重んじる人物で、生まれながらの軍人だ。だから、生徒たちはガンボア中尉のことだけは信頼しており、アルベルトは彼にジャガーの殺人を告発する。学校全体としては、あれは偶発的な事故だったと穏便に済ませようとしているのに、ガンボア中尉は規律にのっとって殺人の疑いがあると報告書を提出する。この展開が巧妙だと思うのは、ここで多くの読者はガンボア中尉に共感してしまうと思うんすよね。生徒目線で読んでいるので、こいつだけは一本筋が通っているから、腐敗した軍人たちの世界で正義を貫いてくれるだろう、と。でも、一方で大人目線だとこんな見方もできる。ガンボア中尉みたいな杓子定規な人物は、たいてい他人を幸福にしない。現実と折り合いをつけなければならないのに、状況を無視してルールを振りかざす人物になにが達成できるだろうか。こういう部下を持ったら苦労は多い。上司のガリド大尉はガンボア中尉を諭す。

軍人たるもの、何よりもまず、状況に応じて現実的な選択をせねばならない。無理に現実を法に合わせるのではなく、逆に、法を現実に合わせるべきなんだ。

 それでもガンボア中尉は自分の考えを曲げない。そして、妻からの手紙を手にして思う。「男の子だったら軍人にはするまい」。実家にいる妻は体調不良と出産への不安、夫が不在であることの寂しさを手紙で訴えている。
●ガンボア中尉は上官からの忠告に従わずに筋を通した結果、とんでもない僻地に左遷されることになる。これで軍人としての未来は閉ざされた。それと同時に女児が誕生したという電報を受け取る。まるで正義を貫いたことに対する祝福であるかのように。母子ともに健康だ。おそらくガンボア中尉が首都リマに戻ることはないだろうが、その先に希望が待っていることを予感させる。バルガス・ジョサはこれを27歳で書いた。

April 16, 2024

「交響曲 名盤鑑定百科」(吉井亜彦著/亜紀書房)

●実物を手に取って一瞬、虚を突かれたが、よく考えてみるとこういったディスクガイドは今だから意味があるのかもしれないと思ったのが、「交響曲 名盤鑑定百科」(吉井亜彦著/亜紀書房)。先月発売ばかりの本だが、これは1997年に春秋社から刊行された「名盤鑑定百科 交響曲篇」を出発点に、その後なんどか改訂された後、版元を変えて復刊されたもの。交響曲100曲について著者が計6000枚もの膨大な数のディスクを聴き、それぞれに短い一言レビューを寄せている。さらにディスクには推薦や準推薦といった評価が添えられる。著者の名前を「レコード芸術」誌の音楽評論で目にしていた人は多いと思うが、いろんな点でかつての「レコ芸」文化を受け継いだ一冊。同曲異演のなかから推薦盤を選ぶという発想そのものが「レコ芸」の文化だろう。
●世の中からCDショップが次々と減り、従来名盤とされたディスクも品切になり、中古でしか手に入らない音源ばかりになって、どうなるのかなと思っていたら、SpotifyやApple Musicが勢力を増し、本格的なストリーム配信時代が訪れた。すると、過去から現在までの膨大な数の音源が廉価ですべて聴けるようになり(聴けない音源もあるけど、それはともかく)、今のリスナーはサービス契約初月から一生かけても聴ききれないコレクションを等しく手にすることになった。となると、あまりに音源が膨大すぎるがゆえに、なにを選ぶか、ガイドが必要になる。それがプレイリストだったりするわけだけど、交響曲みたいな大曲だとまだまだ本のガイドは有用だろう。以前は限られたお金をうまく使うためにガイドに頼ったけど、今は時間をうまく使うためのガイドが必要なんだろうなと感じる。

April 15, 2024

ピョートル・アンデルシェフスキ ピアノ・リサイタル

●13日は紀尾井ホールでピョートル・アンデルシェフスキのピアノ・リサイタル。プログラムは前半にベートーヴェンの6つのバガテルop126、ショパンの3つのマズルカop59、シマノフスキの20のマズルカop50より第3、7、8、5、4曲、後半にバルトークの14のバガテル、バッハのパルティータ第1番。得意のレパートリーがずらり。すべて小曲からなるミクロコスモス的なプログラムで、舞曲的な性格の曲、民謡由来の曲などを中心としつつ、全体がひとつのバガテル集のような趣。どれも楽しんだが、圧巻は後半のバルトーク。振幅の大きな表現で、こんな曲だったのかという発見あり。バッハは快活でウィットも十分。以前の印象に比べると、奔放とまでは言わないにせよ、自由度が高くなっている気がする。
●アンコールは3曲。バッハのパルティータ第6番のサラバンド、平均律クラヴィーア曲集第2巻の前奏曲ヘ短調、バルトークの「シク地方(チーク県)の3つの民謡」。最後はしみじみした気分で終わる。
●椅子が3段重ねだった。ピアノ椅子ではダメなのだろうか。
最近リリースされたアルバムでは、ヤナーチェクの「草陰の小径」第2集、シマノフスキのマズルカ、バルトークのバガテルが組み合されている。Spotifyで聴く人はこちら

April 12, 2024

豊田市美術館 「未完の始まり:未来のヴンダーカンマー」展とコレクション展

豊田市美術館
一昨日に書いたように、7日は日帰りで豊田スタジアムに遠征したのだが、試合の前に豊田市美術館に足を運んだ。これは2年前の遠征時とまったく同パターンで、豊田市美術館の展覧会スケジュールと名古屋グランパスのホームゲームが重なる日程を選んだのだ。豊田スタジアムの豪勢さにも圧倒されるが、同様に豊田市美術館もぜいたくな空間で、この街の充実した文化資本に驚嘆せずにはいられない。

豊田市美術館 「未完の始まり:未来のヴンダーカンマー」 ガブリエル・リコ 「頭のなかでもっとも甘美な」
●で、企画展は「未完の始まり:未来のヴンダーカンマー」展。70年代後半から80年代前半生まれの5人のアーティストたちの作品が集められている。5人の国籍はさまざま。上の写真はメキシコのガブリエル・リコによる「頭のなかでもっとも甘美な」。手彩色によるセラミック製。メキシコ的な色彩感と土の香りにポップさが一体となった作品がいくつか。ほかにリゥ・チュアン、タウス・マハチェヴァ、田村友一郎、ヤン・ヴォーの作品。全体に映像作品多め。

豊田市美術館 コレクション展
●企画展の規模はそれほど大きくはなく、コレクション展と新収蔵品展のほうがより時間をかけて見ることになる。コレクション展の一角には、上のように肖像画が一面に集められている場所があって、ここにクリムトやシーレ、藤田嗣治、奈良美智、イケムラレイコらの作品が集中展示されている。充実したコレクションを一定の「編集」センスにもとづいて並べる。なんというか「全部盛り」感が強烈。

豊田市美術館 エゴン・シーレ 「カール・グリュンヴァルトの肖像」(部分)
●上記のなかの一枚、エゴン・シーレの「カール・グリュンヴァルトの肖像」(部分)。

豊田市美術館 庭園
●あと、庭がすごいんすよ。広々としていて、たまたま桜も満開で、ベンチもあってのんびりできる。日曜日なのにぜんぜん混んでいない。これが都内にあったら、とてもこうはいかない。快適。
●最寄り駅は豊田市駅ないし新豊田駅。駅から見ると豊田市美術館は南西、豊田スタジアムは東で、方角がぜんぜん違う。美術館からスタジアムまでは徒歩で30分ほど。歩きたくない場合は、いったん駅に寄って路線バスを使う手もある。前回はタクシーを使ってワープしたのだが(この美術館にはタクシー乗り場がある)、今回は歩いた。やはりサポ集団に交じって歩いたほうが気分はあがる。

April 11, 2024

東京・春・音楽祭2024 東博でバッハ 鈴木大介(ギター)

東博
●9日は東京・春・音楽祭2024のミュージアム・コンサート「東博でバッハ」。東京国立博物館の平成館ラウンジで、鈴木大介によるバッハの無伴奏チェロ組曲&リュート組曲(ギター版)全曲演奏会の第2夜。プログラムは前半がリュート組曲 第2番ロ短調BWV997(原曲:ハ短調)、組曲変ロ長調BWV1010(原曲:無伴奏チェロ組曲第4番変ホ長調)、後半が組曲ト短調BWV1011(原曲:無伴奏チェロ組曲第5番ハ短調&リュート組曲第3番ト短調)、組曲ニ長調 BWV1012(原曲:無伴奏チェロ組曲 第6番ニ長調)。第1夜は行けなかったので知らなかったのだが、なんだかワイドなギターだなと思ったら8弦ギターだった(通常は6弦)。ギターについては門外漢で、ふだんからギターによるバッハになじんでいない自分にはその革新性みたいなものがよくわからないので、純粋にバッハの音楽を味わう気持ちで聴く。
●おもに擦弦楽器のチェロで弾かれる曲を撥弦楽器のギターで弾くとなれば、最大の違いは音の減衰。むしろチェンバロ的、いや強弱があるという意味ではフォルテピアノ的な響きで、鍵盤楽器のための組曲を聴くような感覚に近づく。響きは豊か。低音がしっかりと響く。最初のリュート組曲のみフーガが入って、ここは峻厳だが、基本は前奏曲プラス舞曲尽くしで、全体としては慈しむようなバッハ。白眉は最後の組曲ニ長調で、最初の前奏曲から南国的とでも言いたくなるような開放感が立ち昇ってくる。もともとチェロで聴いても祝祭性を感じる曲だが、それが一段と際立っていた。ガヴォットで外からドーンと大きな音が聞こえたのは雷だったのだろうか。バッハを通じた自然との交感だ。閉館後の博物館なので、そのうち館内での運搬ノイズみたいなものも聞こえてくるが、それもジーグの高揚感に呼び起こされた一種の音楽みたいに思えてくる。館内の収蔵品もバッハを楽しんでくれているといいのだが。
●アンコールは2曲。無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調BWV1005より第3楽章、G線上のアリア。カーテンコールで写真を撮れたのだが、座席の関係でうまく撮れず失敗……。
●ふだんは入れない夜の博物館。収蔵品は見れないが、場の雰囲気だけでもワクワクする。

April 10, 2024

豊田スタジアムでJ1リーグ 名古屋vs福岡戦

豊田スタジアム
●7日、思い立って豊田スタジアムに日帰り遠征。J1の名古屋グランパス対アビスパ福岡を観戦。このスタジアムは2年ぶりの再訪となるが、これまでに自分が足を運んだなかでは最上級のスタジアム。球技専用の大型スタジアムはこうあるべきという姿が実現していて、首都圏のサッカーファンにとって羨望の的。前回はバックスタンド3階だったが、今回はメインスタンドの3階。急勾配で上からピッチを覗きこむような感覚がある。とても見やすい。自分はほとんどの場合、バックスタンド側に座るのだが、今回は帰りの電車がぎりぎりになりそうだったので、少しでも早く退出できるようにメインスタンド側を選んだ。アディショナルタイムを厳密にとるようになってから、サッカーの試合時間は長くなったので、その影響も大。
豊田スタジアム ゴール裏
●こちらはホームのゴール裏。もともと可動式だった屋根は、コスト削減のために固定型に変わった(1回の開閉で100万円かかった)。で、ホームのゴール裏には写真のように屋根がかかっているのだが、アウェイ側にはない。これは先日ご紹介した本、「コンサートホール×オーケストラ 理想の響きをもとめて 音響設計家・豊田泰久との対話」の話とも微妙にかかわってくるのだが、ホームのゴール裏のサポは声の「返り」がある。音が反響してピッチにもよく届く。一方、アウェイ側はまったく反響がなく、音が響かない。音響面で明確にホームアドバンテージがある。
豊田スタジアム 外観
●こちらはスタジアムの外観。試合を観戦するうえで、外側のデザインはあまり関係がないわけだが、スタジアムの横に河川敷が広がっていて、試合前にここでボールを蹴っている親子連れなどがいて、大変よい。サッカー観戦にボールを持っていくって最高じゃないだろうか。
●で、試合なのだが、ほとんど見どころのない0対0に終わってしまった。トホホ……。長谷川健太監督率いる名古屋は、ユンカー、ランゲラックを欠く布陣。3-4-2-1でトップに永井謙佑。長谷部茂利監督の福岡も3-4-2-1で、がっつりと膠着状態がほぼ90分にわたって続く展開。名古屋はリスクを抑えて、終盤で勝負をかけるというプランだったと思うのだが、後半21分に左サイドに入った山中亮輔(元マリノス)が突破口になったものの、決定機までは至らず。枠内シュートは名古屋が1、福岡が2。少々寂しい試合ではあったが、スタジアムの満足度がこれを補ってくれた。
豊田大橋
●行きと帰りに通る豊田大橋。動物の骨がモチーフなのだとか。スタジアムとともに黒川紀章の建築で、デザインに共通性がある。

April 9, 2024

東京・春・音楽祭2024 アンサンブル・アンテルコンタンポラン I Classics of the 20th Century

●8日は東京文化会館小ホールで東京・春・音楽祭2024の「アンサンブル・アンテルコンタンポラン I Classics of the 20th Century」。2夜にわたるシリーズ公演で、この日の第1夜がClassics of the 20th Centuryで、言い方はおかしいが「現代音楽のクラシック」と呼ぶべき巨匠たちの作品が並ぶ(第2夜はFrench Touch)。プログラムは前半がクセナキスの「ルボン」、ウェーベルンの「9つの楽器のための協奏曲」、リゲティの無伴奏ヴィオラ・ソナタより第1楽章と第2楽章、ヴァレーズの「オクタンドル」、後半がドナトーニの「マルシェ」、エリオット・カーターのダブル・トリオ、ホリガーの「Klaus-Ur」、ブーレーズの「デリーヴ I」。ホリガーのみ存命作曲家。ジョージ・ジャクソン指揮アンサンブル・アンテルコンタンポランの演奏で、ヴィオラはオディール・オーボワン、ファゴットはマルソー・ルフェーヴル、打楽器はオーレリアン・ジニュー、ハープはヴァレリア・カフェルニコフ。客席はしっかり埋まってた。
●比較的短い作品ばかりで、編成も多彩なので、聴きやすいプログラム。アンサンブル・アンテルコンタンポランとしての公演ではあるけど、むしろソロ作品のインパクトが大。冒頭、クセナキスの「ルボン」の精密に荒ぶるパーカッション無双、ドナトーニの「マルシェ」でハープが醸し出す幻想味と硬質な詩情、この日の圧巻というべきホリガーの「Klaus-Ur」におけるファゴットの超絶技巧と特殊奏法。ホリガー作品は超越的ながらも楽器が楽器だけにそこはかとなくユーモアが漂っていて、妙におかしい。ヴァレーズ「オクタンドル」で、なぜか客席が拍手のタイミングを逸してしまい気まずい沈黙が訪れてしまった。指揮者の身振りが曖昧だったせいなのか、謎。
●Classics of the 20th Centuryというタイトルに少し考えこんでしまった。かつて新しかった作品が時を経たとき、どんな運命をたどるのか。時を経ても演奏頻度が保たれる曲がやがて「クラシック音楽」に登録され、そうでないものは歴史の彼方に忘れ去られる……と単純にはいかないのが現代なのかなと。もっと並列化するというか、ロングテール化するというか。

April 8, 2024

トッパンホール ランチタイムコンサート 北村陽(チェロ)

●5日はトッパンホールのランチタイムコンサートで北村陽のチェロ。少年期から注目を集めていたチェリストが、立派な若者に育ってトッパンホールの舞台に登場。プログラムはバッハの無伴奏チェロ組曲第5番ハ短調よりサラバンド、リゲティの無伴奏チェロ・ソナタ、三善晃の「C6H」(1987)、コダーイの無伴奏チェロ・ソナタ。とてもランチタイムコンサートとは思えないような歯ごたえのある本格派無伴奏プロ。休憩なしで1時間強だが、通常の夜の公演と変わらないくらいの内容の濃さがあった。鮮やかなテクニックに加えて、表現のスケールが大きく、燃焼度も高い。音色は深くつややか、パワーも十分。
●三善晃の「C6H」、変わったタイトルだけど、1986年に発見された星間分子に由来するのだとか。炭素原子6つと水素原子1つ。なぜこの曲名なのかはわからないが、宇宙空間とちがって重力も風も感じられるような曲想。連想するのは旅、かな。
●リゲティもすごかったが、圧巻はおしまいのコダーイ。冒頭からぐいぐいと攻めるチェロで、これほどの熱さを持った曲だったとは。強烈にして強靭で、作品世界の広大さを改めて知った思い。アンコールに「鳥の歌」。弾く前のあいさつで「来週20歳になる」と話していて、まだそんなに若いのかと驚愕。
●桜が咲いたが、曇天だともうひとつ桜を眺めようという気分にならない。「映えない」からかな。

April 5, 2024

「コンサートホール×オーケストラ 理想の響きをもとめて 音響設計家・豊田泰久との対話」(豊田泰久、林田直樹、潮博恵著/アルテスパブリッシング)

●話題の本、「コンサートホール×オーケストラ 理想の響きをもとめて 音響設計家・豊田泰久との対話」(豊田泰久、林田直樹、潮博恵著/アルテスパブリッシング)を読む。豊田泰久氏といえば、サントリーホールやフィルハーモニー・ド・パリ、ハンブルクのエルプフィルハーモニーなど、現代を代表するコンサートホールの数々を手がけてきた音響設計家。コンサートゴアーにとっては神様みたいな人だが、世界的音楽家からも絶大な信頼を寄せられている。そんな豊田さんと林田直樹さんによるオーケストラのサウンドを巡る対談集。ふたりの対談に加えて、合間に潮博恵さんによる俯瞰的な視点からのコラムが収められている。
●とくにおもしろいと思った点を挙げると、「お客さんの側の音響とステージ上の音響とどちらを優先するのか」問題。この問いに対する答えを、豊田さんですら長い間持っていなかったというのだけど、最近は自分なりの答えが見えたって言うんすよ。どちらをとるかとなったら、「ステージ上の音響が重要だ」と。その答えにたどり着くまでのロジックが、すごく興味深いと思った(第2章)。
●あと、第7章のミューザ川崎の話。ワタシは知らなかったんだけど、当初は税金を投入する公共のホールだから、プロオーケストラのためだけに作るんじゃ説明が難しいのでアマチュアにとって最高の音響を作ってほしいという要望があったのだとか。いかにもって感じだけど、それに対して豊田さんは、そんなものはありえない、いいホールを作っていいオーケストラをどんどん呼んでほしいとリクエストしたそう。結果的にこれが大成功したのはまちがいなく、ラトルもヤンソンスもあちこちでミューザ川崎がすばらしいって絶賛してくれたし、それを目にした聴衆も川崎に世界最高水準のホールがあることをあらためて実感できた。川崎という街の印象すら変わるほどのインパクトがあったと思う。川崎にウィーン・フィルやベルリン・フィルを継続的に呼ぶ背景にはそんな戦略性があったのかと腑に落ちた。
●音響についての工学的な話は意外と少なくて、音響よりも音楽寄りの話題が中心。音響設計そのものはサイエンスとテクノロジーの世界だと思うけど、その先のアートの部分、おもにオーケストラと指揮者による音楽作りに焦点が当たっている。

April 4, 2024

クラウス・マケラ、2027/28シーズンよりシカゴ交響楽団の音楽監督に

クラウス・マケラ
●ちょうど4月3日に日付が変わったところで、知らないアメリカのPR会社から、CSO names next MD と題された英文メールが届いた。ほとんど眠りかけていたところだったけど、えっ、と思って開いてみると、クラウス・マケラの顔写真が。2027/28シーズンからムーティの後を継いでシカゴ交響楽団の音楽監督に就任するという。びっくり。だって、同じシーズンからロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者を務めるのではないの。欧州と北米で最強クラスのオーケストラを同時に率いるとは。まだ28歳。つい3年前にパリ管弦楽団の音楽監督に就任したばかりなのに、どんどん先々に輝かしいキャリアが敷かれていく。この若さと勢いは前例が思いつかない。
クラウス・マケラ
●どうしてこんなメールが来たのかなと思ったけど、かなり前にシカゴ交響楽団の広報をしている人と名刺交換をしたことがある気がするから、そのおかげなのかな。ちゃんとプレス用の写真がいくつもダウンロードできるようになっていて、どれもカッコいい感じだったので、せっかくなので使わせてもらうことに。
●20世紀後半以降のシカゴ交響楽団の歴代音楽監督を振り返ってみると、クーベリック(1950-1953)、ライナー(1953-1962)、マルティノン(1963-1968)、ショルティ(1969-1991)、バレンボイム(1991-2006)、ムーティ(2010-2023)、マケラ(2027-)。ムーティが就任したときはかなり意外な感じがしたけど、そこそこ長期政権になった。こうしてみるとショルティはレコーディング・ビジネスの黄金時代とそっくりそのまま重なって、DECCAに残した充実したカタログはストリーミング時代の今でも生きていると感じる。バレンボイム時代も録音はErato/Teldecにそこそこあるけど、配信でのプレゼンスはそれほどでも。ムーティからは自主レーベルの時代で、もうマーケットが変質して、ざっくり言えばライブをして録音を売る時代から、録音をしてライブを売る時代になったというイメージ。

photo © Todd Rosenberg

April 3, 2024

山田和樹指揮モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団記者会見

山田和樹 モンテカルロ・フィル 記者会見
●この5月に山田和樹指揮モンテカルロ・フィル来日公演が開催される。ソリストは藤田真央。プログラムは2種類あり、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番&ベルリオーズの幻想交響曲他と、ラヴェルのピアノ協奏曲&サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付」他。
●で、少し前の話題だけど、2月5日に日本公演に向けた記者会見が行われたので、ZOOMで参加。壇上には芸術監督兼音楽監督である山田和樹さんひとりが座って語る形式だったのだが、語り口が率直で、とても興味深い話だったので記しておく。「今回のツアーをとてもうれしく思っている。うれしいという言葉の背景にはいろんな思いがつまっている。現在、このオーケストラの音楽監督として8シーズン目を迎えているが、最初は3年契約で、そこから契約を延長してきた。通常だったら最初の任期で辞めなければならなかったような出来事があった。今にして思うと当時、自分は音楽監督の仕事をまったくわかってなかった。モナコはフランス以上にフランス語の国で、英語の併記を許してくれない。言葉の問題による誤解など、いろんなことがあった。はっきり言えば、オーケストラは最初の延長を望んでいなかった。最初の延長時は仲が良くなかったけど、誤解を解いていこうとひとつひとつ自分ががんばることで、楽団員も心を開いてくれるようになった。モナコでは音楽監督の権限が強い。(首席指揮者を務める)バーミンガム市交響楽団などは楽員の採用時に出席の義務もなく、音楽面に集中していればいい。でも、モナコではまったく違う。採用権も拒否権もある。一方で組合も強い。人事に着手したら猛反発をくらった。でも今では苦労をともにしたなどという単純な言葉ではくくれないような仲間になった」
●「バーミンガムでは楽員はみんなカズキと呼ぶけど、モナコはだれひとりそう言わない。メートル・ヤマダと呼ぶ。モナコの気質は、まったく21世紀のオーケストラのものではない。気質も音も時間が止まってしまっているようなところがある。モナコという街がそうなっている。サウンドも20世紀そのまま。よくオーケストラの個性がなくなったといわれるけど、古き良き時代の音がそのまま残されている。団員のほとんどがフランス人で、特に管楽器は100パーセント近くがフランス人。彼らが最高の演奏をしたときは世界一のオーケストラだと思うが、そのスイッチがどこにあるかはわからない。でもスイッチが入れば、まちがいなく世界一のオーケストラになる」
●あと、印象的だった言葉はこの一言。「(自分が)音楽監督であれゲストであれ、日本のオーケストラであれ海外のオーケストラであれ、そのオーケストラのいちばんいいところを出したいと思っている」。

photo © 松尾惇一郎

April 2, 2024

「街と犬たち」(バルガス・ジョサ/寺尾隆吉訳/光文社古典新訳文庫) その2

●(承前)後にノーベル文学賞を受賞することになるバルガス・ジョサ(バルガス・リョサ)だが、「街と犬たち」(旧訳では「都会と犬ども」)を書いたのは27歳の年で、これが長篇デビュー作。とてもそうは思えない成熟度。軍人学校が舞台となっているのだが、「犬」というのは下級生のことを指している。人間より下、というニュアンスなのか、上級生の虐めの対象になっている。本物の犬も出てくる。犬の名前は「マルパペアーダ」(旧訳では「ヤセッポチ」)。この犬は生徒のひとりにすっかりなついているのだが、ときには虐められたり、その生徒の欲望のはけ口になったりする(ほかには鶏も同じ目にあっている)。一方、生徒たちのヒエラルキーの頂点に立っているのはジャガー(という愛称の少年。こうしてみるとこの小説は動物成分が高い)。ジャガーは喧嘩上手で、下級生の頃から決して上級生に屈することがなかった。ジャガーの周りには取り巻きができる。ところが終盤、ある事件をきっかけに密告者ではないかと疑われ、ほかの生徒たちから孤立する。動物のジャガーも群れを作らないそうなので、ジャガーはジャガーらしく生きることになったともいえる。
●物語のなかで生徒たちにひとり犠牲者が出る。演習中に銃弾に当たり、当初は不幸な事故として処理されるのだが、ある生徒からこれはジャガーによる殺人だという証言が出てくる。ジャガーは疑いを否定し、身の潔白を主張する。結局、これは事故だったということで片付くのだが、後になってジャガーは士官に対して、本当は自分が殺したのだと罪を告白する。で、ここで問題になるのは小説の読み方で、ジャガーは罪を犯したと素直に解釈しても話は成立するが、実はジャガーは殺してはおらず、あえて罪を被ったのだという読み筋もおそらく成立する。前回、訳者解説にとてもおもしろいエピソードが紹介されていたと書いたのはその点で、作者のバルガス・ジョサはあきらかにジャガーが殺したという前提で話を書いていたようなのだ。バルガス・ジョサがあのロジェ・カイヨワと会ったとき、カイヨワは「街と犬たち」を大絶賛した。彼はとりわけジャガーの「英雄」らしいふるまいに感銘を受けたというのだ。しかしバルガス・ジョサは意味がわからず、「英雄? どういうことですか、人を殺した悪者ですよ」と尋ねたところ、カイヨワはこう言ったという。

「君は自分の小説のことがまったくわかっていない。ジャガーは犯してもいない殺人の罪を被ってクラスメートを守った英雄じゃないか」

自信満々のカイヨワに対して、バルガス・ジョサはジャガーが殺人を犯したのかどうか、わからなくなってしまったというのだ。
●すごくいい話だと思ったし、本来、作品とはそういうものだと思う。ジャガーは殺したのか、殺していないのか。その正解は作者が決めることではない。ひとつの作品の読み方はいくつもあり、読み方は時とともに変化したりもする。AとBの解釈があるとして、「Bは説得力がない」という主張は成立しても、「作者がAだと言っているからBはまちがい」という主張は成立しない。音楽作品の解釈も同じだと思っている。(→つづく

April 1, 2024

Gmailの容量を空ける

Gmail●Gmailの容量が残り数パーセントになってしまったので、古いメールを削除することにした。いずれは有料プランに移行するしかないとは思っているのだが、もう少し粘ってみる。以下、備忘録的に。基本的な考え方はふたつある。ひとつは巨大なメールを抽出して削除する。もうひとつは不要な大量のメールを削除する。
●まず、巨大なメールの抽出。Gmailの検索ボックスに以下のような条件を入れて検索。たとえば10メガバイト以上のサイズで、2年以上前のメール。

larger:10m older_than:2y

該当したメールを一括削除してもいいし、抵抗があるなら取捨選択してもいい。一括削除するなら、リストアップされたメールを全選択し、これだけだと1ページ目のメールしか選択されていないので、さらに「この検索条件に一致するすべてのスレッドを選択」して、ごっそり削除する。

●次に、不要な大量のメールを削除する。Gmailが勝手に「プロモーション」に分類してくれるメールは、ほとんどの場合、削除しても困らないメール。ある程度、新しいものは残すことにして、古いメールだけを削除する。たとえば「5年以上前のプロモーション」だったらこんな感じ。

category:promotions older_than:5y

これで膨大な数のメールをゴミ箱に送れる。ゴミ箱に入れただけだとGmailの容量はすぐには空かなくて、30日後に自動的に削除される。どれだけ空いたか確かめるために手動で削除してもいいのだが、うっかりまちがえることもあるので放置しておくほうが安全。と、言いつつ成果を確かめたくてすぐに削除してしまうのだが!
●自分の場合はGmailはおもに検索用&スマホ用で、複数アドレスに届くすべてのメールをGmailに転送している。なので、メール本体はPCにあり、さらにPCのバックアップも外部ストレージにあるので、削除しても本当にデータが失われるわけではない。だからまあそれほど慎重にならなくてもいいとは思うのだが、もう少しきめ細かく不要なメールを選ぶなら、検索演算子に

is:unread (未読)
has:attachment (添付ファイルがある)

なども使えそう(参照:Gmailで使用できる検索演算子)。
あとは、特定のアドレスからの古いメールを対象にするなら、

from:info@hogehoge.com older_than:3y

みたいに検索して一括削除しても吉。
●というわけで、95%を超えていたストレージの使用量が、なんとか80%台まで回復した。当分はこれでいいかな。

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