News: 2014年3月アーカイブ

March 31, 2014

メキシコ音楽の祭典「室内楽の夕べ」

メキシコ音楽の祭典「室内楽の夕べ」●28日は東京オペラシティでメキシコ音楽の祭典「室内楽の夕べ」。この日がリサイタルホールで「室内楽の夕べ」、30日がコンサートホールでホセ・アレアン指揮東フィルによる「オーケストラ・コンサート」という2回構成。「オーケストラ・コンサート」のほうは、チャベスのピアノ協奏曲日本初演やレブエルタス「センセマヤ」「マヤ族の夜」などが並んで猛烈に魅力的なプログラムだったのだが、あいにく都合がつかず、28日の「室内楽の夕べ」のみ参戦。
●ポンセ、チャベス、レブエルタスをはじめ、H.バスケス、ベラスケス、L.A.バスケス、ルイス・アルメンゴールら、未知の作品をたっぷりと聴くことができた。それぞれ作風は多彩で、ラテン・アメリカの香りを濃厚に漂わせるサロン音楽的な作品もあれば、メキシコ民俗音楽に西欧モダン風味がかけあわさったような作品もあり。ギター編、ヴァイオリン編、ピアノ編、メゾソプラノ編と続く、よい意味で芸達者が集ったバラエティ・ショー。最後はアンコールに「ベサメ・ムーチョ」だったし。
●この日の白眉はアドリアン・ユストゥスのヴァイオリン。ポンセの「ソナタ・ブレーベ」、レブエルタス「3つの小品」、ベラスケス「序奏と舞曲」(無伴奏)、ポンセ「ガヴォット」を聴かせてくれたんだけど、雄弁でチャーミング、聴き手の懐に飛び込んでくるような歌心にあふれたヴァイオリンだった。ピアノはゴンサロ・グティエレス。
●昨日30日の「オーケストラ・コンサート」はTwitterを見てるとスゴく盛りあがっていた模様。少し悔しい。猫も杓子もメキシコ音楽だってくらいの熱風が吹いているわけだが、ここで自分が見てる世間はリアル世間のほんのひとかけらを拡大鏡で眺めたものだってことは承知してる。

March 27, 2014

新国立劇場「死の都」

●24日昼は新国立劇場でコルンゴルトの「死の都」。今シーズン最大級の話題作。この日が楽日だったので、話題作だけにすでにSNS経由でさんざん評判を目にしていて、ぜんぜん新制作のオペラを見るという気分にならない。ネタバレ感全開。今はそういう時代なのだなあ。すでにこのブログに書く時点で遠い過去の話をするような気分になってしまう。
ヤツらがよみがえる●で、「死の都」、やっぱりスゴいっすよ、このオペラ。なにせ題名が「死の都」。原題は The City of the Dead だねっ! 美しいブルージュの街が死者で埋め尽くされる世紀末ゾンビ・オペラ。パウルは亡くなった奥さんの姿を街で見かける。「あれはマリー!」。しかしマリエッタが冷たく言い放つ。「違う、あれは元マリーなの。さあ、頭を狙って撃つのよ!!」
●↑ウソです。原題はDie tote Stadt。ゾンビは出てきません。代わりに幽霊が出てくる。パウル(トルステン・ケール)は亡くなった奥さんマリーに瓜二つな踊り子マリエッタ(ミーガン・ミラー)に出会い、家に招く。亡き妻の姿をマリエッタに重ね、現実と妄想の境界上で狂気に囚われるパウル。まさにサイコ野郎。しかしそんな男とわかって誘惑するマリエッタもかなりいかれている。終幕の修羅場で(これはカルメンとドン・ホセの世紀末バージョンだと思う)、マリエッタが襲いかかるパウルに向かって「あなた頭おかしいの?」と言う場面では、思わず笑ってしまった。いや、最初からよく知ってるでしょうに、この人の頭がおかしいのは!
●で、演出はカスパー・ホルテンで、フィンランド国立歌劇場からのレンタルのプロダクション。ホルテン演出の秀逸なところは、亡き妻マリーの亡霊を黙役としてずっと舞台に立たせていたところ。亡霊なので、パウルには見えているけど、他人には見えない(でも途中からマリエッタにも見えてくる)。ゾンビものではなく、幽霊ものだった。演出としては「夢オチ」が鮮やかに決まっていたが、「夢オチ」そのものは現在の私たちにとって受け入れられる物語作法ではないので、あの夢から帰った現実も夢だったとか、そこから本当の悪夢が始まるとか、見る人なりになにか解釈を加えておきたくなる。ともあれ、男の妄執が完璧に描かれているという点でこれ以上見事なオペラがあるとも思えない。舞台はとても美しかったけど、大がかりな場面転換がないのは寂しかったかな。
●音楽的にはR・シュトラウスの影響が色濃く、管弦楽は華麗で官能的。主役二人の声楽的な負担は相当なもの。ヤロスラフ・キズリング指揮の東響は正直言って精彩に富んだものとはいいがたかったが、この作品の実演に接する貴重な機会だったのでプロダクション全体としては十分な手ごたえ。平日の14時開演だが、お客さんはしっかり入っている。しかもリタイア層ばかりかと思えばぜんぜんそんなことはなくて、現役世代も多数。普段足を運ぶ公演とそんなに違いを感じないような気すらするんだけど、作品のせいなのかな。
●会場で販売されていた広瀬大介さんによる対訳(500円也)をゲット。これはすごく嬉しい。検索可能なテキストデータも付いて来たら最高にありがたいけど……それは無理?

March 26, 2014

大井浩明/ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ連続演奏会最終回、スダーン&東響オペラシティシリーズ

●21日は大久保の淀橋教会で「大井浩明/ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全32曲連続演奏会」最終回の第8回。ソナタ第30番、31番、32番。使用楽器は1802年ブロードウッド68鍵、イギリス式シングルエスケープメントアクション。端整な第32番はシリーズの掉尾を飾るにふさわしい心揺さぶる名演だった。
●このシリーズ、足を運ぶたびにフォルテピアノの響きの質がいかにモダンピアノから遠いかに毎回驚いているような気がするが、今回もそう。ソナタ第30番の第1楽章とか、空高く飛んでいくみたいな雄大な曲想を勝手に思い描いていたら、耳に聞こえる音像は物理的に驚くほど小さい。しかし音域ごとの音色の劇的な違いや、響きの明瞭さがもたらす質感など、モダンピアノには求めようがないニュアンスの豊かさがあって、楽器依存の音楽なのだなと改めて感じる。ベートーヴェンをオーケストラのピリオド楽器演奏、あるいはモダン楽器のピリオドアプローチによる演奏を聴いても(そういう機会が増えたせいもあるけど)、もはやそこまでとまどいは感じないんだけど、こと鍵盤楽器に関してはベートーヴェン存命中にリアルタイムで技術革新が進んでいたこともあってか、作曲者が思い描いていたであろうものとわたしたちが抱く作品観との深い溝を実感する。
●っていうか、ピアノっていう楽器、モーツァルトのときもベートーヴェンのときもショパンのときもずっと楽器に変化が起き続けてきたのに、むしろこの半世紀以上の「変化のなさ」のほうが異常なのかも。発音メカニズムの根本的変化、音色の劇的な変更といったメジャーバージョンアップがあっておかしくないのに、なぜ変化しなくなってしまったんだろう……といえば、それはレパートリーの固定化と表裏一体なのか。
●淀橋教会は寒い。なので中でもコートを脱がずにそのまま聴く。「神にはなんでもできるのです」みたいな貼り紙が掲げられていて、自分すっかり異教徒。近所のお寺さんには「他力とは如来の本願力なり」って書いてあったんですけど。
●翌22日、今度はピート・クイケンのフォルテピアノを聴く。東京オペラシティでユベール・スダーン指揮東響。ハイドンのピアノ協奏曲ハ長調(XVIII-5)と比較的よく演奏されるピアノ協奏曲ニ長調(XVIII-11)。しかし座席からステージの距離が遠かったため、空間の大きさのなかにすべてが飲みこまれていくかのよう。体積比で淀橋教会の100倍はあるんじゃないだろうか。ステージ脇のバルコニー席か1階前方ならまったく違ったものが聴けたのかも。作品としてはこのハ長調からニ長調への飛躍も大きいけど、逆説的に後期交響曲への飛躍がいかに神がかり的かを示しているような……。で、後半は交響曲第104番「ロンドン」。スダーンの求めるピリオド奏法が完全にオーケストラに浸透していてすばらしい完成度。これは会心の出来では。躍動感と愉悦にあふれた最強に強まったハイドン。

March 24, 2014

山根一仁の無伴奏ヴァイオリン・リサイタル、B→Cで近藤那々子

●このところの一週間、すさまじい勢いでコンサートに通い詰めることに。偶然あれもこれもと集中してしまった。律儀に遡って追いかけるの巻。
●20日はトッパンホールで山根一仁の無伴奏ヴァイオリン・リサイタル。95年生まれの新鋭。こんなにキレキレのヴァイオリン、聴いた記憶がないというくらいの強烈な公演だった。前半のノン・ヴィブラートのタルティーニ、ビーバーの間にはさまれた、イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第6番の鮮やかさ、後半の鋭利なベリオのセクエンツァ第8、そしてバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番の終曲高速プレストから、すかさず拍手を遮ってなだれこんだクレイジーなエルンスト「魔王の主題による大奇想曲」。技巧が非常に高いということだけでなく、身体的なキレが絶対にオッサンには不可能なシャープさで、唖然とする。アンコールは、パガニーニのカプリース第24番とミルシテイン「パガニーニアーナ」と怒涛のダブル・パガニーニ攻め。アグレッシブで、ほとんど陶酔的、クリスティアーノ・ロナウド級に。18歳って。
●18日は東京オペラシティでB→C、フランクフルト歌劇場管首席奏者である近藤那々子のオーボエ(ピアノは竹沢絵里子)。鮮麗、爽快。改めてオーボエは独奏曲のレパートリーに恵まれているなと感じる。編曲であるバッハはともかく、ケクランのオーボエ・ソナタや、パスクッリのドニゼッティの「ポリウート」による幻想曲、現代作品でシルヴェストリーニ「うつろう時」、西村朗の独奏オーボエのための「迦楼羅」など、多彩で、楽しい。ボリュームのあるプログラムだったけど、最後のケクランまで一気呵成に聴かせてくれた。ビバ、ケクラン。
●今週末のJ3。グルージャ盛岡 6-1 J-U22選抜。ぐわわわ。3部リーグ相手にサンドバッグ状態になるエリートたち。自信を失いかけない。サッカーって怖い。

March 20, 2014

アンドラーシュ・シフのリサイタル

●19日は東京オペラシティでアンドラーシュ・シフのリサイタル。メンデルスゾーンとシューマンを組み合わせたプログラム。前半にメンデルスゾーン「厳格な変奏曲」ニ短調、シューマンのピアノ・ソナタ第1番嬰ヘ短調、後半にメンデルスゾーンの幻想曲op.28、シューマンの交響的練習曲(1852年版)。ピアノはベーゼンドルファー。くっきりとした輪郭を持つ端正な音楽でありながら滋味豊か、制御された詩的情緒がもたらす愉悦を満喫。作品としてはシューマンのピアノ・ソナタ第1番が断然おもしろい。交響的、ではなく交響曲的で、いずれ生み出すことになる偉大な交響曲に向けての野心的な予告作でもある。
●交響的練習曲という作品がすごく苦手で、あの耳にこびりつく終曲でリサイタルが終わるのだけが惜しいなあ……と勝手なことを思っていたら、本編の後に充実した「第3部」がはじまった。アンコール5曲。メンデルスゾーンの「無言歌」より「甘い思い出」と「紡ぎ歌」、シューマンの「アラベスク」、そしてシューマンの幻想曲から第3楽章! ああ、幻想曲、全曲聴きたかったけど、でもこれだけでも聴けてよかった。アンコールに入ってから、一段と儀式的な雰囲気が増し、祈りの音楽へと溺れてゆく。だれもが幻想曲でおしまいだと思い、スタンディングオベーションが続いた後、最後にバッハのパルティータ第4番のサラバンド。しみじみ。余韻だけでご飯3杯いけそう。

March 18, 2014

シャイー&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

●17日はリッカルド・シャイー指揮のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団へ(東京オペラシティ)。前半がメンデルスゾーンの序曲「ルイ・ブラス」とベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」(ネルソン・フレイレ)という、「らしい」選曲、後半はショスタコーヴィチの交響曲第5番という意外な選曲。オーケストラからも前後半でずいぶん違った響きが聞こえてきた。弦楽器は対向配置。
●ゲヴァントハウス管弦楽団のサウンドは、昔に比べたら重心の軽い音になったっていう人が多くて、たぶん、そうなんだろう。でも前半を聴くと、やっぱり重厚で暗い音だと感じる。ローカリズム健在。ところどころティンパニに煽り立てるようなアクセントが添えられたりするものの、オーソドックスな20世紀後半スタイルの堂々たるベートーヴェン。フレイレのソロは華麗。
ショスタコーヴィチ●でも圧巻は後半のショスタコーヴィチ。一段と精妙さを増して緻密なサウンドが作り出され、マーラーのように懊悩と歓喜、アイロニーが多義的に交錯する繊細で鋭敏な響きの芸術。頻繁に演奏される曲にもかかわらず、新鮮な気持ちで聴きとおせた。冴え冴えとした首席フルートがすばらしい。祈るような第3楽章は鳥肌。で、この曲って第4楽章に入ると憂鬱な気分になるんすよね。冒頭の強制行進曲、本当によくできてる。働け、働けって意に添わない労働を無理やりやらされている感が満載で、牢名主みたいな上司のもとでサビ残させられるみたいなイヤな感じの交響曲ナンバーワン。ある意味、最強に今日的なのかも。
●アンコールはなし。曲が終わった後、思ったほど客席がわかずやや意外な感じがあったんだけど、客席の照明がついた後も残った人たちで拍手が続き、やがて徐々に拍手が強まってシャイーの一般参賀に。そう来なくては。

March 17, 2014

彩の国で北村朋幹ピアノ・リサイタル

●15日は彩の国さいたま芸術劇場音楽ホールで北村朋幹ピアノ・リサイタル。91年生まれの若さながら、今回も練られたプログラムで、シューマンの「4つのフーガ」、ベリオの「セクエンツァIV」、スクリャービンのピアノ・ソナタ第10番、休憩をはさんでベートーヴェンのピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」。フーガで始まりフーガで終わる。スクリャービンで頻出する昆虫の羽ばたきのような(おののき身震いするかのような?)トリルが「ハンマークラヴィーア」の終楽章を予告する。
●前回、トッパンホールで聴いたリサイタルもそうだったけど、リサイタル全体がひとつの作品になっているかのよう。ベリオとスクリャービンは拍手を入れずにつなげて演奏。トッパンでも前半の曲目を全部つなげて弾いていて、このあたりは客席次第なわけだけど、不思議とうまく舞台と客席で息が合う。アンコールにまさかのバッハのシンフォニア ト短調(←「インヴェンションとシンフォニア」の)と、ベートーヴェン「11のバガテル」第11曲。冒頭のシューマンから詩情の豊かさにすっかり魅了された。ベリオにおいてすら情感にあふれている。鋭く耳をつんざくような轟音はない。若武者が勢い込んで挑むベートーヴェン。みずみずしい。また彼のピアノを聴きたくなる。初々しさと老成の混淆に引きつけられるのかも。
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●本日朝の3時間ほど、当サーバーがダウンしていた模様。失礼いたしました。NTTPCのサーバーなんだけど、品質保証制度がある割には意外とよく落ちる、でも引っ越す労力を考えるとなかなか動けない。このドメイン名になってから、今までに2回引っ越しているのではあるが……。うーむ。

March 13, 2014

下野&読響でドヴォルザークの「レクイエム」

ドヴォルザーク●12日は下野竜也指揮の読響定期でドヴォルザークの「レクイエム」。3月に弔いの音楽を聴く機会が増えるのは自然なことだが、ドヴォルザークとは。先日のMETライブビューイング「ルサルカ」、東京のLFJでたぶん聴くであろう「スターバト・マーテル」と合わせて、今年はドヴォルザークをたくさん聴く年になるのかも。LFJ新潟やLFJ金沢でもドヴォルザークは主役級扱いなので、そちらであまり普段演奏されない室内楽を聴く手もありうる。
●で、ドヴォルザークの「レクイエム」。100分近い大作、休憩なし。中嶋彰子、藤村実穂子、吉田浩之、久保田真澄(当初予定されたバスの妻屋秀和が体調不良で交代)の独唱陣と国立音楽大学合唱団を得て、情感豊かでスケールの大きな音楽が繰り広げられた。「レクイエム」とはいいつつも、ドヴォルザークらではの親しみやすく抒情的なメロディにあふれ、一方で終盤にはブルックナー的な宗教的恍惚感も訪れるという、様々な容貌を持つ作品。イングリッシュ・ホルン大活躍。ヴァイオリン・ソロはゲストコンサートマスターの長原幸太。
●充実した演奏に圧倒されつつも、ドヴォルザークという作曲家と自分との距離も改めて感じる。ドヴォルザークって、ごく一部の作品以外は決してフレンドリーな作曲家じゃないな、と。「ルサルカ」でも感じるんだけど、瞬間瞬間の美しさとは別に、作品全体を束ねる文脈にどれだけ寄り添えるのかっていうのが試金石かなあ。

March 11, 2014

調布音楽祭2014記者会見

調布音楽祭2014記者会見
●10日は調布音楽祭2014の記者会見へ(調布市民文化会館たづくり)。今年は期間を2日間から3日間に拡大して、7月4日~6日にかけて、調布市グリーンホールと調布市民文化会館たづくりを会場として開催される。主催は調布市文化・コミュニティ振興財団。総合プロデューサー・ディレクターに鈴木優人さん、監修に鈴木雅明さん(鈴木父子は調布にお住まいなんだそうです)。バッハの演奏が音楽祭の柱となるわけだが、加えて今回は副プロデューサーにピアニストの森下唯さんが名を連ねる。写真は左より、鈴木雅明、沙羅(アーティスト・イン・レジデンス、木版画家)、鈴木優人、森下唯、調布市文化・コミュニティ振興財団の吉田常務理事、同財団阿部珠子主査の各氏。
●注目の公演内容は、バッハ・コレギウム・ジャパンによるバッハのブランデンブルク協奏曲全曲、佐藤俊介&鈴木優人によるバッハのヴァイオリン・ソナタ全曲、桐朋学園オーケストラによるドヴォルザークの交響曲第8番他(指揮者未定)、望月哲也テノールリサイタル「詩人の恋」、森下唯&ピアニート公爵ジョイントリサイタル他。森下唯さんは「生き別れの兄」であるピアニート公爵と夢の共演(?)を果たす。モーツァルト~アルカン編のピアノ協奏曲第20番、伊福部昭のピアノ組曲他。えっ、ピアニート公爵ってなんのことかって? それは……特に知らなくていいと思う! ちなみに、鈴木優人さんと森下唯さんは小学生以来の友人だとか。「学習塾で知り合った悪友同士が、今こんなふうに調布の街を巻き込んで音楽祭を開くことになって感慨深い」(鈴木優人さん)。
●通常の公演以外にも、たとえば桐朋の在学生&卒業生が次々出演する入場無料で入退室自由のミュージックカフェ(もちろん飲食可能)や、キッズ向け公演など、ほどよいサイズで音楽祭らしい企画がそろっている。東京には都心を舞台とした音楽祭がいくつもあるが、調布のような多摩エリアで開催するとなればそれらとはまったく異なる地元密着型の音楽祭へと育っていくことが期待できる。この記者会見にも手作り感があふれていて、アーティストと調布市が二人三脚で音楽祭を作っている雰囲気が伝わってきた。調布といえば、なんといっても深大寺と味スタ(FC東京)であるが(←私見)、これに音楽祭が加わって調布三大名物になるくらいに長く続いてほしいと願う。

March 10, 2014

LFJ新潟と公開録音プレイベント

新潟日報メディアシップ
●9日は日帰りで新潟へ。LFJ新潟プレイベントとして、FM PORT番組「クラシックホワイエ」公開録音に出演した。会場は新潟日報メディアシップ(写真)。ゲストに新潟出身の音楽ライター高野麻衣さんを招き、司会はFM PORTナビゲーターの遠藤麻理さんが務めてくださった。
●こういう入場無料/予約不要のトークショーを開催すると、いったいどれくらいの人数のお客さんが入るものなのか、事前に予測するのはなかなか難しい。20人くらい集まってくれれば御の字かなと思っていたら、蓋を開けてみたら200人もの方が来てくださった。これにはびっくり。LFJへの関心の高さを実感する。
LFJ新潟は本公演の会期が4月25日~27日までで、東京や金沢よりも一週早く開かれる(25日は夜の一公演のみ)。テーマは「三都物語 ウィーン・プラハ・ブダペスト~ドナウとモルダウの間で」。メインとなる会場はりゅーとぴあで、すばらしい音響のコンサートホールと能楽堂が使われるというあたりは金沢と似た条件。じっくりプログラムを眺めてみたが、ルネ・マルタンのLFJらしいプログラムと、新潟ゆかりのアーティストや、踊り文化コラボ企画、アマチュアの参加などの新潟独自色がバランスよく融合されている。オケはOEK、群響が参加、来日組はピアノのジャン・デュベ、ジュシアーノ、クラリネットのラファエル・セヴェール、チェロのドマルケット、ヴァイオリンのマリナ・シシュ、プラジャーク弦楽四重奏団、ムジカーシュ他。26日のセヴェールとプラジャークによるブラームスのクラリネット五重奏曲は聴きものか。

March 6, 2014

LFJ新潟プレイベントとして、3月9日13時30分~クラシックホワイエ公開録音を開催

●あべしっ! 昨晩のニッポン代表vsニュージーランド代表の録画を忘れていたではないか。しかし前半17分で4点取ってしまうという特殊な展開だったそうで、あまりテストにはならなかったかも? 中盤の底は青山敏弘と山口蛍で、遠藤も長谷部もいないパターンにJリーグ組を起用したのが興味深い。ドイツで活躍中の細貝じゃなくて。
lfj新潟2014●告知を。今週末3月9日(日)13時30分より、LFJ新潟のプレイベント、FM PORT「クラシックホワイエ」公開録音に出演します。場所は新潟日報メディアシップ1階エントランスホール、入場無料、予約不要。普段の放送ではワタシの一人しゃべりなんですが、この日はゲストとして、新潟出身の音楽ライター高野麻衣さんが出演してくれます! 司会はFM PORTナビゲーターの遠藤麻理さん。心強い限り。
●話題はLFJの楽しみ方、今回のテーマや新潟での注目公演についてなど。高野さんもワタシも今年のナントのLFJを取材しているので、現地での収穫も。
●高野麻衣さんとは昨年の東京のLFJでも「乙女のクラシック」トークショーでご一緒させていただいた。高野さんの乙女な切り口と自分のオッサン視点とじゃどれだけ話が噛みあわないことかと心配してたら、意外にもすんなり噛みあったんすよね。今回のナント取材でも、お互いにぜんぜん違う公演に足を運んでいたと思うし、着目点もまったく異なっていたはず。なので、今年のLFJ新潟のプログラムが高野さんからどう見えているのかなというところもぜひ聞いてみたいところ。乞ご来場。

March 5, 2014

METライブビューイング「ルサルカ」

●4日は東劇でMETライブビューイング「ルサルカ」。ドヴォルザークって実はオペラ作曲家なんすよね、10作以上も書いているんだから。有名な逸話に、ブラームスがドヴォルザークについて「あいつがゴミ箱に捨てたメロディだけで交響曲を一曲書ける」と言ったってのがあるけど、実際にはドヴォルザークはゴミ箱に捨てる余裕なんかなかったにちがいない。こんなにも大量の美しいメロディをオペラに注ぎ込まなきゃいけなかったんだから。
●題名役はルネ・フレミング。前日がスーパーボウルで国歌を歌った日らしく(そうなんすよ、オペラ歌手では初めてだとか)、幕間のインタビューでスーザン・グラハムからその話題を振られていた。しかし米国外でMETライブビューイングを見ている人は、スーパーボウルと言われてもなんのことだかわからないのでは。アメリカン・フットボールっていう奇抜なスポーツがあるらしいんすよ。「フットボール」なのに主に手でボールを運ぶというポストモダンすぎる競技がっ!
●で、王子役がピョートル・ベチャワ。歌も人物造形もすばらしい。魔法使いイェジババはドローラ・ザジック。最強の怪女役。指揮がヤニック・ネゼ=セガンというのも豪華。メリハリの効いたシンフォニックなドヴォルザーク。
ルサルカ●この「ルサルカ」は数ある水の精伝承のヴァリエーションのひとつであるわけだけど、改めてよくできた台本だと再認識。なにが秀逸かっていうと、ルサルカが人間になることで口がきけなくなるという設定。舞台上にプリマドンナがいるのに、歌わせないってどんなオペラ! これは現代的な見方をすれば、ルサルカを「異邦人(外国人)」として描いているともいえる。人間界にやってきた水の精は、外国に憧れてやってくる少女のようなものだが、その土地の言葉を話せず、夢として描いていた幻想は現実に打ち砕かれる……というように。なかなか現代的なテーマじゃないすか。
●本筋としては、水の精を通して見た人という存在の忌まわしさ、愛と呪いの一体性を描いたダーク・ファンタジー。外国の王女の熱い情熱によってルサルカを裏切る王子は、フォースの暗黒面に落ちたルーク・スカイウォーカーだ。音楽はドヴォルザークの交響曲とまったく同じテイストなので、親しみやすい。ここでヴェルディなら血わき肉躍るスコアが用意されるなというドラマティックな場面でも、ほんわかとひなびた田舎風味が入ってきて、悲劇的興奮だけにとどまらないのが楽しい。
●演出はオットー・シェンク。ト書き通りと思われる保守的なスタイルで、わかりやすいとも言えるし、古色蒼然としているとも言える。こうして見ると、新国立劇場で見たポール・カランの演出は創意に富んだものではあったのだなあ……。演技の面でもオペラ的オートマティズムが発動しすぎって気はするけど(2幕の森番と少年のやり取りとか、まったく間がもたない。あそこは森番か少年のどちらかになにか仕事をさせるべきでは)、音楽的には非常に充実。泣ける。ダメ男オペラの系譜にも属する傑作。

March 4, 2014

エッティンガー指揮東フィルとコルサンティア

●3日はサントリーホールでエッティンガー指揮東フィル定期。ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(アレクサンダー・コルサンティア)とチャイコフスキーの交響曲第4番というプログラム。ラフマニノフの3番は、ナントのLFJでヨーゼフ・モーグの清冽な演奏を聴いて感銘を受けたばかりだけど(LFJ東京でもオススメ)、まるで違うタイプの名演をまた耳にすることになった。コルサンティアはグルジア出身。気迫のこもったスケールの大きな怪演に震撼させられる。オーケストラも細部まで彫琢されていて伴奏に留まっていない。協奏曲でこれだけ噛みあった演奏はめったに聴けないのでは。後半のチャイコフスキー第4番も秀逸。ところどころでタメを効かせたエッティンガー節も効果的、オーケストラの機能性も想像以上に高くて、近年聴いたなかではもっとも魅力的なチャイコフスキーのひとつだった。これでもっとエッティンガーが振ってくれればなあ……とは思う、常任指揮者だし。
●サントリーホールと六本木一丁目駅の間を結ぶアークキッチン経由の新ルートだが、終演時の人の流れを見ると利用率は5割前後といったところだろうか。思ったほどではない。気づかれていないのか、好かれていないのかは不明。

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