ドミノ・ピザ

2018年5月アーカイブ

May 21, 2018

パーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団のトルミス、ショスタコーヴィチ、ブルックナー

●18日はNHKホールでパーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団。トルミスの序曲第2番、ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番(アレクサンドル・トラーゼ)、ブルックナーの交響曲第1番ハ短調(リンツ稿)という、日頃耳にする機会の少ない曲が並んだ貴重なプログラム。
●トルミスはパーヴォと同じくエストニア出身の作曲家で、2017年に世を去ったばかり。この序曲第2番は1959年の作品。リズミカルで反復的、スポーティといっていいくらいのエンタテインメント性。結尾で「終わった」と思った後にもう一撃あるという、いじわるなワナ。ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番、第2楽章だけが妙に神妙で真摯な音楽になっているが、トラーゼは最弱音を効果的に使って陶酔的な表現。第3楽章の狂躁とのコントラストが鮮やか。カーテンコールを繰り返した後、パーヴォに「ささ、どうぞ椅子に座って」とばかりに促されて、アンコールとしてスカルラッティのゆったりとしたソナタを一曲。指揮台の隅に腰かけて聴き入るパーヴォ。次第に消え入るような弱音で余韻たっぷり。
●休憩をはさんで(長大な「ブルックナー行列」といいたいところだが、NHKホールはいつもそうかも)、ブルックナーの交響曲第1番。さすがに粗削りで、「つなぎ目」の目立つ仕上がりだと感じるが、脈絡のない気まぐれさは新鮮で吉。パーヴォ&N響のきびきびとして弛緩することのない演奏があってこその楽しさか。交響曲第2番での飛躍を思わずにはいられない。終楽章の冒頭主題のダサカッコよさに身悶え。時代劇のテーマ曲とかに使えないだろうか。コーダは力技のクライマックスだが、一曲目のトルミスとは逆にいくぶん肩透かし気味で曲を閉じる。「あれ?」みたいな一瞬の沈黙をはさんで、大喝采。

May 18, 2018

夢のなかのスタジアム

bus_in_dream.jpg
●先日、本当に見た夢の話だ。ワタシはフランスを訪れており、バスに乗っていた。すると、次の停留所が「ムサシノ・リクジョー・キョギジョー」みたいな発音でアナウンスされた。あ、これって武蔵野陸上競技場のことか。そうそう、あのスタジアムって東京とフランスの境目にあるから、フランス側にもバスが通っているんだった。「次止まります」とフランス語で書いてあると思しきボタンを押して、バス停で降りる。すると、人気のない昼間のスタジアムに着いた。フランス人たちがぽつぽつとまばらに立っている。ここはまだフランス国内なのだ。巨大なコンクリートの柱の足元を歩いていると、いつの間にか国境を越えたらしく、日本の風景に変わった。日本の子供たちが野原で遊んでいる。へえ、ここからだと簡単に帰国できて便利じゃん。パスポート見せずに通ってしまったけどいいんだろうか。ま、いいか、帰国できたわけだし。このバスで帰国するルートはとても便利だ。飛行機を使わずに済む。このお得情報はぜひブログで紹介しよう。いや、待て待て。フランスと日本が地続きになっているわけがないじゃないの。そうだ、これはただの夢だ! なんだ夢かー。せっかくブログのネタにしようと思ったのに、これじゃあ使えない。

May 17, 2018

新国立劇場「フィデリオ」演出家カタリーナ・ワーグナー記者懇談会

カタリーナ・ワーグナー
●新国立劇場開場20周年記念特別公演として、まもくなく上演されるベートーヴェン「フィデリオ」(5月20日~6月2日)。その演出家カタリーナ・ワーグナーとドラマツルグのダニエル・ウェーバーとの記者懇談会が16日に開かれた。カタリーナ・ワーグナーはバイロイト音楽祭総監督であり、作曲家リヒャルト・ワーグナーのひ孫。
●今回の新演出について活発に質問が寄せられた。いくつか要点を挙げると、まず、時代や場所については、特定のどこでもないような設定になる。音楽のないセリフの部分は大幅にカットされるが、プロットの展開上必要なところだけは残される。そして、結末の部分には余白が残される。つまり、見る人がそれぞれに考えさせられるようなオープンな結末になる。それと、このオペラでたびたび議論になる「女性が男性に変装する」という部分について、ほんの少しだけ趣向を明かすと、あえて変装する様子を見せるような演出になっている。「演出はたったひとつのアイディアだけでは足りない。作品すべてを満たせるようなアイディアのある作品だけを取り上げたいと思っている」(カタリーナ・ワーグナー)。説得力のある斬新な演出を期待してよさそう。
●新国立劇場についてカタリーナ・ワーグナーが語った点もまとめておこう。「このオペラでは特に合唱に魅力を感じる。新国立劇場の合唱団は本当にすばらしいので、ますます合唱のシーンにひかれるようになった」「演出家にとっては、劇場の姿勢も大切。そのプロダクションを世に出したいという強い姿勢がないといけない。新国立劇場はすべてのスタッフが高度にプロフェッショナルな仕事をしていて、しかもフレンドリー。あまりにも完璧な仕事ぶりなので、怒りの感情を忘れてしまうほど」。この「怒りの感情を忘れてしまう」というフレーズがなんだかおもしろい。
●東京ではつい先日まで、たまたまチョン指揮東フィルの「フィデリオ」演奏会形式が上演されていたわけだが、「フィデリオ」台本のトンデモぶりについてここで書いた。でも、カタリーナ・ワーグナーとダニエル・ウェーバーの「フィデリオ」には一本筋の通った現代性があるんじゃないかな、と期待を煽られる。ワクワク。

May 16, 2018

ルービックキューブ、今どきの

ルービックキューブ、今どきの
●ルービックキューブは知らない間に進化を遂げていた。最初に発売された当時は猫も杓子もこの六面体に夢中になる特大ブームが訪れて、正規品だけでは供給が追い付かず、いくぶん雑な作りの偽物が横行したという記憶があるが、それから38年。今ではさまざまなメーカーから多種多様のキューブが発売されているばかりか、根本的な動作原理が進化したらしく、一昔前のものとは違って「ヌルヌル」と動くっぽい。
●ということで、買ってみたのは Newislandスピードキューブ。競技用(ってなんなんだ)をうたっているだけあって、ヌルヌルと動く。回りすぎるくらい回る。きっちりと角がそろってなくても、えいやで回ってしまいそうな滑らかさ。自分が以前から持っていたものと比べると、ほんの少しサイズが小さく、配色が微妙に違うのだが、こちらが世界標準らしい。あと、この商品がいいと思ったのは、各面にシールが貼ってあるのではなく、プラスチックそのものが着色されているので、シールが剥がれて汚くなる心配がない。インテリア的に使うのにも吉かと。
●親切にも6面完成攻略書までついているのだが、こちらは読まずに、子供の頃に覚えたそろえ方を記憶の奥底から呼び戻してみる。

May 15, 2018

ARK Hills Music Week 2018 ~ サントリーホール ARKクラシックス 記者会見

ARKクラシックス 記者会見
●14日、サントリーホールのブルーローズ(小ホール)にて、ARK Hills Music Week 2018 ~ ARKクラシックスの記者会見。毎年に秋に開催されている「アークヒルズ音楽週間」が今年より ARK Hills Music Week と名称を変更するのだが、そのオープニングを飾るコンサートシリーズとして「サントリーホール ARKクラシックス」が新たに始まることとなった。主催はサントリーホールとエイベックス・クラシックス。アーティスティック・リーダーとして、写真左より三浦文彰(ヴァイオリン)と辻井伸行(ピアノ)。10月5日から8日にかけて全9公演。三浦文彰と辻井伸行によるフランクのヴァイオリン・ソナタをはじめ、シューベルトの「ます」、ショパンのピアノ協奏曲第2番室内楽版など、室内楽が中心。出演者はほかにユーリ・バシュメット&モスクワ・ソロイスツ、ザ・ベース・ギャング(コントラバス四重奏)、ヴィキングル・オラフソン、川久保賜紀、遠藤真理、三浦友理枝他。
●三浦文彰と辻井伸行のおふたりは以前より交流があり、プライベートでもカラオケや食事にも行くという間柄。三浦「10年前くらいからヨーロッパで室内楽を演奏する機会が増えてきた。日本でももっと室内楽を演奏できればと思っていたが、今回このような機会が実現してうれしい。室内楽ではお互いがお互いをよく知ることが大切。辻井さんは自然体で多忙なスケジュールをこなす一方で、本番での集中力はすごい」。辻井「三浦さんとはとても気が合う。室内楽は音と音による会話がおもしろい。オーケストラと合わせるのとはちがった楽しさがある」
●4日間で9公演だが、そのうち10月6日(土)は昼から夜にかけて5公演が開催される。9公演中6公演は休憩なしの1時間プログラム。アークヒルズと近隣でもさまざまな無料コンサートやイベントが開催されるということなので、合わせて楽しめるようになっている。カラヤン広場で無料のパブリック・ビューイングも。ヴィキングル・オラフソンはDGからフィリップ・グラスの作品集をリリースしている売出し中のピアニストで、やはりフィリップ・グラスを弾く。

May 14, 2018

マリノスvsガンバ大阪、戦術さえ機能すればもはや勝点などどうでもいい

トリコロール●さて、残留争いを戦うマリノスは下位同士の直接対決、マリノスvsガンバ大阪戦。J1ではどうやら広島がぶっちぎりの1位でリードしているそうなのだが、そんな頂上の出来事などわれわれの眼中にはない。ハイライン、ハイプレス、ゴールキーパーとディフェンスラインの一体化を掲げ、ポステコグルー教祖のもと「機能すると勝てず、機能しないと勝てる」ポストモダン戦術によってJリーグを席巻するマリノス。こんなサッカー、見たことない。今年のマリノスさんは強いですねえ。対戦相手が口々にそう言い続けて3勝5分6敗で15位。戦術が特殊すぎて孤高の存在、いや孤低の存在になりつつある。
●で、ガンバ大阪戦。またゴールキーパーの飯倉がやられた。戦術の都合上、毎試合6~7キロは走らなければならないというウチのキーパーは、かなりの時間帯でゴールをがら空きにしてディフェンスラインに加わってゲームの組み立てに参加している。だから対戦相手は毎試合のように臆面もなく超ロングシュートを狙ってくる。ふふ、なんと安直な考え、そんな超ロングシュートがそうそう入るわけがなかろう……といいたいところだがっ! これが入るんだっ! 本当に容赦なく入るっ! こんどは藤本淳吾にハーフラインよりずっと手間から60メートル弾を決められたよっ! もう今季3本目じゃないか超ロング入れられたの。恐ろしい、Jリーグのレベルは高い。今季のマリノスはこんなふうにボカスカと失点している。対戦相手の高笑いが聞こえてくるようだ。
●一方、マリノスは天野純の完璧なフリーキックで1点を返した。このキック、左足で蹴って左から巻いてゴール左上に入るというキックで、あの位置から決められるレフティはそうそういない。しかし、よく考えてみよう。マリノスは特殊戦術のおかげでかなりの時間、ボールを支配し、主導権を握って攻撃し続けていたわけだが、ゴールが入ったのは戦術とは無関係な天野純の超絶技巧のおかげなんである。戦術が機能すると失点はするが得点はできず、戦術と無関係なシーンで得点が生まれる。なんという倒錯的戦術なのか。1対1でドロー。
●しかし勝点など気にしてどうする。今われわれはこのうえなくエキサイティングな戦術を完成させつつあるのだ。この美しいアタッキングフットボールのためなら、J2に落ちようが、J3に落ちようが関係ない。ポステコグルー監督には地獄の果てまでこのチームを率いていただきたい。もはやありきたりのサッカーでは、刺激に乏しく満足できない。これは伝説だ。なぜほかのチームはウチの戦術をマネようとしないのだろうか?

May 11, 2018

チョン・ミョンフン指揮東フィルの「フィデリオ」演奏会形式

●10日は東京オペラシティでチョン・ミョンフン指揮東フィルのベートーヴェン「フィデリオ」演奏会形式。今月は新国立劇場でも「フィデリオ」が上演されるので、初台駅のあっち側とこっち側で「フィデリオ」を聴くことができるという僥倖。東フィルはすでにBunkamuraとサントリーホールでも「フィデリオ」を演奏していて、これが3公演目。5月の東京は「フィデリオ」大強化月間なのだ。
●で、東フィルの「フィデリオ」だが、「フィデリオ」序曲ではなく「レオノーレ」序曲第3番で開始された。この序曲、あまりにも完璧な作品なので使わないのはもったいないし、かといって使うとそれ自体でドラマが完結してしまっていて浮いてしまうという悩み深い存在だが、これを冒頭に持ってくるとは。いきなりクライマックスみたいな開幕。20世紀巨匠風の雄渾なベートーヴェン。序曲の後、いったん指揮者が袖に帰って、そうだ、これは演奏会形式なのだと思い出す。以降、音楽のないセリフの部分を割愛してサクサクと進む。先日のパーヴォの「ウエスト・サイド・ストーリー」なんかもそうだったけど、あらかじめストーリーを知っていないとなにが起きているのか理解できないわけだが、演奏会形式とはそういうものといえばそういうものか。合唱は東京オペラシンガーズ。
●レオノーレにマヌエラ・ウール、ロッコにフランツ=ヨーゼフ・ゼーリヒ、ドン・ピツァロにルカ・ピサローニ。みんなすばらしいんだけど、2幕でフロレスタンのペーター・ザイフェルトが第一声を発声した瞬間にガラッと世界が変わった。みずみずしい美声でまだまだ声は若々しく、声量も表現力もずば抜けている。オーラすごすぎ。フィナーレではパワフルな合唱とオーケストラが高らかに勝利を告げて、圧倒的な高揚感。客席の盛り上がりぶりは大変なもので、盛大なブラボーとスタンディングオベーション。今年自分が足を運んだ公演では最高の熱狂度か。これは東フィルの東京オペラシティ定期シリーズの一環として開かれた公演なんだけど、東フィルのお客さんは若い人もかなり多い。あとなぜか外国人率がとても高い。
●で、ここからはベートーヴェンに苦情だ。あのさ、このオペラってゾンライトナーって人が台本を書いてるんだけど、作曲する前にどうしてこれにダメ出ししなかったのよ? おかしいでしょ、これ。オペラには奇妙な台本がいくらでもあるけど、そのなかでも「フィデリオ」は群を抜いてひどいと思う。男女の入れ替えとかは別にいいんすよ、それは様式だから。いちばんよくないのは、最大の山場であるはずのレオノーレが自分の正体を明かして、ドン・ピツァロからフロレスタンを守ろうとする緊迫の場面で、さあ、この窮地をいったいどうやって抜け出すのかなという劇的展開が期待されるところを、「正義の大臣、到着しました~」っていうのんびりしたトランペットひとつで解決してしまっているところ。19世紀にもなって、広げた風呂敷をデウス・エクス・マキナで畳まないでほしい。いくらテーマと主張が高邁であっても、そこに有効なプロットを肉付けしなかったら物語は成立しないんだと台本作家に言いたい。
●じゃあ、あの場面、どう展開すればいいのか。ドン・ピツァロがふたりとも殺してやろうとナイフを持ってレオノーレに襲いかかる。しかし、そこに飛び出たのがロッコだ。この物語で唯一善と悪の間で葛藤を見せる生きた人物がロッコ。ロッコは身を挺してレオノーレを守り、身代わりになって死ぬ。なぜそんなことをするのかと動揺するドン・ピツァロ。レオノーレはロッコの死体からナイフを抜く。そしてドン・ピツァロの心臓を一突き。レオノーレは言う。「これがレオノーレのキッスよ!」(←それは違うオペラだ)。
●でも、いくら台本の代案を考えても、ベートーヴェンの曲はだれも書けないんすよね。台本はいくらでも直せるけど、ベートーヴェンが曲をつけたらもうだれにも直せない。この音楽は神の領域。

May 10, 2018

「そしてミランダを殺す」(ピーター・スワンソン著/創元推理文庫)

●最近読んだミステリのなかでも、とりわけ感心したのが、ピーター・スワンソンの「そしてミランダを殺す」(創元推理文庫)。実に手際よく、鮮やかなページターナー。といっても、なにか驚くべきような大ネタがあるとか、重厚な読みごたえがあるというのではまったくない。むしろ逆。できのいい海外ドラマをカウチで寝そべって眺めているような気安さがあって、なにも身構えずに楽しめるのが吉。ぜんぜん話は似てないけど、たとえるなら「刑事コロンボ」の傑作回くらいの感じ。
●男が空港でたまたま会った美女と殺人計画を練るというのが事の発端で、男女4人の思惑が交錯して、女が浮気して、男も浮気を企んで……って、あれ、なんだか暗黒の「コジ・ファン・トゥッテ」みたいじゃないの。これってシンクロニシティ?
●話の閉じ方がうまい。絶妙。

May 9, 2018

METライブビューイング「コジ・ファン・トゥッテ」

●8日は東劇でMETライブビューイング「コジ・ファン・トゥッテ」。お目当てはフェリム・マクダーモットの新演出。コニーアイランドの遊園地を舞台にした50年代レトロアメリカン・テイストがカッコいい。おまけで見世物小屋の大道芸人たちが加わっておもちゃ箱をひっくり返したような賑やかさ。火吹き女に蛇つかい女、小人、ひげ女、剣食い兄妹……。みんな本物。黙役なのにオーラが半端ではない。遊園地テーマのセットもMETならではの手のかかったもの。歌手たちの動きもよく練られていて、1幕のモーテルの部屋で扉を開け閉めしながら出入りする場面の手際の良さに舌を巻く。こういうのを見てしまうと、もう並の演出には耐えられなくなるんじゃないかと心配になるほど。
●歌手陣では2組4人のカップルをアマンダ・マジェスキー(フィオルディリージ)、セレーナ・マルフィ(ドラベッラ)、ベン・ブリス(フェルランド)、アダム・プラヘトカ(グリエルモ)が好演。みんな歌も演技も達者。異質なのはケリー・オハラのデスピーナで、通常なら若い小娘的な役柄のところを、モーテルの掃除のオバチャン的な役柄になっていて、若い娘に説教する成熟した女性といった感。所作のモッサリ感がかなり気になるんだけど、そういうデスピーナもありうるのか。ドン・アルフォンソのクリストファー・モルトマンはいかにも老獪。指揮はデイヴィッド・ロバートソン。マッチョなモーツァルトで、もう少し軽快さやスピード感が欲しくなるが、立派ではある。
●「コジ・ファン・トゥッテ」って、きわどいテーマを含んでいるわけだけど、この演出はコメディに徹している。なにせ、実際に笑える。これはオペラでは貴重。安い笑いを強要したりせず、気の利いたさらっとした笑いを散りばめているのが吉。で、ハッピーエンドなんだけどハッピーエンドになるわけがない結末の解釈は、聴衆の側に委ねられる。どうするんすかねー、これからこの4人は。
●開幕前に流れるMETのプロモーションビデオみたいな映像から、レヴァインの姿が消え、代わってネゼ=セガンが映し出されている。当初の予定を早めて音楽監督に就任。幕間にピーター・ゲルブとの対談コーナーもあって、もうすっかりMETの顔といった様子。フィラデルフィア管弦楽団の音楽監督も務め、ベルリン・フィルにも客演し、八面六臂の活躍ぶり。

May 8, 2018

ラ・フォル・ジュルネTOKYO2018を振り返る その2

●LFJ2018、音楽面については昨日振り返ったので、続いてイベント全体について。今年の開催結果が報告されているので、昨年と比較してみよう。

[2018年 モンド・ヌーヴォー 新しい世界へ]
来場者総数(のべ人数)432,000人
チケット販売数 119,177枚(有料チケット総数 182,007枚)
販売率 65.5%

[2017年 ラ・ダンス 舞曲の祭典]
来場者総数(のべ人数)422,000人
チケット販売数 115,778枚(有料チケット総数 141,574枚)
販売率 81.8%

今回は丸の内エリアと池袋エリアでの分散開催となったので、その影響がどういうふうに出ているのかなと思ったのだが、来場者総数とチケット販売数は昨年を上回り、販売率は下がった。チケット販売数は昨年から約3%ほどの増。分散開催になり公演数が増え、分母の有料チケット総数が大きく増えているため、販売率はぐっと下がっている。「人は増えたけど人口密度は薄まった」というのは肌で感じたところと一致しているかな。
ロッシーニバーガー
●丸の内エリアでは、地上広場で初登場の「俺のフレンチ」がフォワグラとトリュフソースのロッシーニバーガーを販売。1個1000円也。これが大人気でいつ店の前を通りかかっても行列ができているか、売り切れ。早期にオペラ作曲家から引退して食通として名を馳せたロッシーニは、料理の世界にもロッシーニ風ステーキといった名を残しているわけだが、そんな逸話にちなんでのしゃれっ気のあるメニュー。これまで屋台村は音楽祭とは別個に勝手に繁盛しているみたいな感じだったが、やっぱり音楽祭と連動したメニューがあると盛り上がる。もっとも、行列に並ぶのが苦手な自分は結局ロッシーニバーガーをあきらめて、ケバブを食べていたというチキン。
●今回、東京国際フォーラムにOTTAVAのブースがなかったじゃないすか。あそこにOTTAVAのブースがないと、すごくひっそりした感じになる。あのブースから音楽祭が得ていた「お祭り感」は大きかったんだなと気づく。

May 7, 2018

ラ・フォル・ジュルネTOKYO2018を振り返る その1

ラ・フォル・ジュルネTOKYO2018 東京芸術劇場
●今年から主催者側の体制が変わり、丸の内エリアと池袋エリアの2か所で並列開催されることになったLFJ。いろんなことが一新されて、新たに誕生したものもあれば失われたものもある。いうなれば音楽祭のメジャー・バージョンアップ。でもナント側でのLFJはなにも変わっていないわけで、コンテンツは同一だけど、ローカライズのあり方がバージョンアップしたと考えればいいのだろう。
●で、聴いた公演に関して言えば、とても楽しめた。体力的なことも考えて「朝から晩まで」と欲張らなかったのがよかったかも。初日は有楽町→池袋、二日目は有楽町、三日目は池袋。以下、特に印象的だった公演のみ備忘録的に。
●初日は、東京国際フォーラムの展示ホールで「題名のない音楽会」の収録があり大盛況。石丸幹二さんの人気ぶりを改めて実感。ルネ・マルタンも登場して、何人かのアーティストを次々と紹介してくれたが、いちばん目をひいたのはマリー=アンジュ・グッチ。なにを弾くのかと思ったら、サン=サーンスのピアノ協奏曲第5番「エジプト風」の終楽章と思しき曲を弾きはじめた。あの協奏曲、「トッカータ」というソロの曲として再利用されていたんすね。初めて聴いたかも。演奏後に一言求められて、なんと、日本語による自己紹介を敢行。日本で演奏することが決まったからと日本語を勉強してきたのだとか。まだ20歳。
●その後、池袋に移動して東京芸術劇場地下のシアターウエストで、そのグッチのリサイタル。ショパン、ラフマニノフと来て、メインはプロコフィエフのピアノ・ソナタ第6番。強靭な打鍵から透き通った音色が生まれてくる。キレも重みもあり、技巧は鮮烈、堅牢。アンコールにラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲から弾きはじめて、ついさっき有楽町で聴いたサン=サーンスと合わせて「今にも協奏曲を弾くぞ」感がひしひし。この人もあと何年かしたら「忙しくなってLFJを卒業するアーティストたち」の一員になってしまうのだろうか。ところでこの人の姓の綴りは Nguci で、だれも読み方がわからなかったのだが、2月のナント・ツアーで関係者が本人に確認したら「あの有名ブランドと同じ発音」ということで「グッチ」と日本語表記されることになった次第。
●二日目はたくさん聴いた。ホールCでベレゾフスキーとギンジンの巨漢デュオがバルトークの2台ピアノと打楽器のためのソナタを演奏(パーカッションは安江佐和子、藤本隆文)。合わせてラフマニノフの交響的舞曲もやはり2台ピアノと打楽器版で演奏されたのだが、これはどういう編曲なんでしょ。しかし恐るべきパワーを誇る大男たちでも打楽器の音量には打ち勝てないのであった。同じくホールCでラルス・フォークトは純然たる指揮者として、自身が音楽監督を務めるロイヤル・ノーザン・シンフォニアを指揮。室内オーケストラの機動力が生かされた清新で軽快なモーツァルトとストラヴィンスキー。ホールB5でルーカス・ゲニューシャスがヒンデミットの「ルードゥス・トナリス」全曲。これは強烈。くらくらとするようなニュアンスの豊かさとダイナミズム。LFJとしては長めの公演で、大曲を聴き切った満足感。譜面台にタブレットを置いて、フットスイッチでセルフ譜めくり方式。吉。アンコールにデシャトニコフの「ブコビナの歌」前奏曲を弾いて、小さな会場がわき上がった。夜はふたたびホールB5でルイス・フェルナンド・ペレスでアルベニスの「イベリア」全曲演奏のvol.1とvol.2。得意の「イベリア」とあって、圧倒的な熱量と官能性。最後はよれよれになりながらゴールのテープを切ったという風。ペレスはむらっけのある人だと思うんだけど、気持ちが乗ったときの攻めの姿勢は本当にすばらしい。この曲集にみなぎる怪物的ローカリズムとロマンにあらためて圧倒される。アンコールでモンポウの「子供の情景」より「庭の乙女たち」とソレールのソナタを一曲。夜遅くになったがお客さんは大満足だったはず。
●三日目、この日は唯一東京芸術劇場のコンサートホールで「0歳からのコンサート」が開催された。角田鋼亮指揮兵庫芸術文化センター管弦楽団で、司会は中村萌子。これほど会場のすぐれた音響効果がものをいう公演もないと実感。東京国際フォーラムのホールAと比べると客席とステージの距離がはるかに近いことと、客席数が半分以下であることの相乗効果で迫力が増し、舞台と聴衆の結びつきがぐっと強まっていた。司会と指揮者のトークもよく客席の心をつかんでいて感心するばかり。しかも、コルンゴルトが11歳で書いたというバレエ「雪だるま」序曲とか、同じくコルンゴルトの「シュトラウシアーナ」とか、ツェムリンスキーの「時の勝利」からの3つのバレエ音楽から第3番とか、そんな珍しい曲も聴けてしまう。ストラヴィンスキーの「サーカス・ポルカ」で、音楽に合わせて子供たちがゾウさんのマネをするとかいう趣向なんかも、ストラヴィンスキーが草葉の陰でどんな顔をしているかと思うと実に痛快。そして公演を通して聞こえる大勢の赤ちゃんたちの泣き声ほど希望にあふれた環境音はなく、立ち上がって赤ちゃんを抱っこしてあやす親御さんたちの姿はこのうえなく眩しく、感動的な光景だった。

May 2, 2018

ベルリン・フィルの2018/19シーズン

ベルリン・フィルの2018/19シーズンが発表されたので眺めてみる。キリル・ペトレンコは来季になってもまだ「次期首席指揮者」。それなりに出番は増えているが、プログラムの数はかなり限られている。オープニング・コンサートにシュトラウスの「ドン・ファン」「死と変容」とベートーヴェンの交響曲第7番を指揮、ツアーではこのプログラムに加えてすでにDCHでも公開されているユジャ・ワンとのプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番とフランツ・シュミットの交響曲第4番をくりかえし指揮。2019年3月になってコパチンスカヤとのシェーンベルクのヴァイオリン協奏曲とチャイコフスキーの交響曲第5番。ワンシーズン経ってもこれくらいしかDCHのアーカイブが増えないわけで、渇望感が煽られるところではある。
●その分、客演指揮者の数は多めか。デビューを果たすのがヤクブ・フルシャとミヒャエル・ザンデルリング、コンスタンティノス・カリディス。あとはドゥダメル、ハーディング、ネルソンス、ガッティ、ロト、ビシュコフ、オラモ、パーヴォ・ヤルヴィ、ゲルギエフ、イヴァン・フィッシャー、バレンボイム、ソヒエフ、ヤンソンス、ギルバート、ヤノフスキ、ネゼ=セガン、メータ、ハイティンク、ブロムシュテット。作曲家枠(?)でジョージ・ベンジャミンも。もちろんラトルも登場。こうして並べると、けっこう日本のオーケストラと縁の深い人も多いなと感じる。
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●さて、明日から三日間はラ・フォル・ジュルネTOKYO。今年は行ってみないとわからないことがいくつもあってドキドキする。有楽町と池袋、行先をまちがえないようにせねば!

May 1, 2018

マリノスvs鹿島アントラーズ、オレたちはカルトだ

トリコロール●ったく、日本サッカー協会に代わってハリルホジッチ前監督にお詫びしたい。いいのか、あれで。いいわけない。言いたいことは山ほどあるが、そこはぐっとこらえて、Jリーグだ。試合が終わったと思ったら、もう次の試合がやってくる。ワールドカップイヤーのうえにゴールデンウィークだ。盆と正月がいっぺんにやってきた。そんな嵐のようなリーグ戦で、わがマリノスは華々しい過激戦術を敢行してひそかに残留争いに巻き込まれつつある。Jリーグ創設時の「オリジナル10」のなかで、一度もJ2降格を経験していないのが、マリノスと鹿島アントラーズ。そんな両者がぶつかったマリノスvs鹿島アントラーズ戦。こちらも低迷しているが、鹿島まで低迷しているではないの。常勝軍団がこんなところにいるとは。
●さて、試合だ。試合前のインタビューで語っていたようにポステコグルー監督は、相変わらずハイライン、ハイプレス、異常ゴールキーパーポジションの戦術を貫徹するようである。が、どうだろうか、これまでよりも少し選手間の距離は広めなのでは。そして、攻め込まれたときは場合によってはクリアもやむなしという常識的な判断がほんの少しではあるが垣間見えた気がする。もちろん、ゴールキーパーの飯倉はこの日も走り回っている。自分たちがボールを保持している場面では、キーパーはディフェンス・ラインの一員としてビルドアップに参加する(だからゴールはガラ空きだ。今日もまた超ロングシュートを狙われてあわや)。そうすることでフィールドプレーヤーの数を11対10の数的優位に保つというのがポステコグルー戦術の肝。これによってマリノスはボール保持率を飛躍的に高めることができる。
●ところが、この鹿島戦、マリノスのボール保持率はちっとも上がらない。鹿島もまた前線からプレスをかけ、積極的なアタッキング・フットボールを目指してきた結果、ボール保持率もパスの本数もほぼ拮抗するという展開になってしまった。これは焦った。なにしろ今までなら楽にボールを持てたのに、この相手だと半分は相手にボールを持たれ、半分の時間は攻められてしまうのだ。いつもと同じ戦術で戦っているつもりが、こちらの目指すサッカーが体現できない。すると、どうなったか。ずばり、3対0で完勝してしまった! ゴールは遠藤渓太、天野純(俊輔ばりのフリーキック)、中町公祐(仲川の完璧なアシスト)。戦術がうまく機能しなかったら勝てたのだ。 ぐわぉ! どこまで倒錯的なんだ、ポステコグルー監督の戦術は。戦術が正しく機能すると負ける。機能しないと勝つ。ハハハ、これが負けるための戦術、ポストモダン・フットボールというものなのだよ。そんな監督の高笑いが聞こえてきそうである。事実、試合後のインタビューで監督はこう語っている。「うれしい結果になったが、非常に難しい試合になってしまった。ここ数試合と比べるとあまりコントロールできていなかった」。その「ここ数試合」でわれわれはずっと勝てなかったわけだが。
●負けても強気だったポステコグルー監督は、鹿島相手に完勝して反省している。そう、われわれは勝敗など眼中にない。順位もだ。大事なのは戦術を機能させること。これはカルトだ。革命的戦術のためなら勝敗がなんだというのだ。理想のフットボールの実現にむけて、われわれはポステコグルー同志とともに力強く歩みたい。伝説は続く。

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