News: 2015年3月アーカイブ

March 31, 2015

METライブビューイング「イオランタ」&「青ひげ公の城」2本立て

METライブビューイング、今週はチャイコフスキーの「イオランタ」とバルトークの「青ひげ公の城」という2本立て。「イオランタ」はなんとMET初演。バルトークも新演出。どちらもマリウシュ・トレリンスキ演出、ゲルギエフ指揮。
●これはもう、あまりに鮮やかな2本立て。「イオランタ」って、盲目のイオランタ姫が父親である王さまによって隔絶された世界で育てられるっていう話なんすよ。イオランタは自分が普通とは違うということを知らないまま育てられている。だれもイオランタの前で光について語ることは許されない。父にとって、それが愛の形。そこに王子さまがやってきて、イオランタは恋をして、これをきっかけに視覚を取り戻してハッピーエンドに至る。チャイコフスキーの音楽はすばらしいんだけど、台本は話の運びがもうひとつで、ストーリーを前に進める原動力に乏しく、平板な予定調和に終わっている。同じように「娘を守ろうとかごの鳥みたいに育ててしまった父親」を描いたオペラに「リゴレット」があるが、「リゴレット」にはあらゆる登場人物にそれぞれの立場からの真実があるのに対し、この「イオランタ」の登場人物には奥行きが感じられない。なるほど、これではMETで100年以上も演奏されなかったわけだと思う。ところが。
●「イオランタ」の後に「青ひげ公の城」を続けることで、一転してこれが真実味のある物語に変貌してしまうんである。演出のトレリンスキは、イオランタの後日譚を「青ひげ公の城」のユディットに見た(!)。鋭すぎる。ユディットが青ひげに「薔薇も婚約者も捨ててきた」って話すのが見事に「イオランタ」のストーリーに呼応してて戦慄。つまり、これは闇の世界で生まれた少女が光を得たことで、また闇の世界に帰る話になっている。光を得た、すなわち世間を知った姫が、次にすることといったら闇を探すことしかない。
●「青ひげ公の城」で描かれる闇はあまりに深い。なんだかアル中の暴力父のもとを逃げ出した娘が、アル中の暴力夫を迎えたみたいな話を思い出す。
●裏を返して、「青ひげ公の城」で語られないユディットの前日譚を、ほのぼのハッピーエンドの「イオランタ」に見出したと考えるとますます強烈(実際には先に「イオランタ」ありきだったにしても)。イオランタはネトレプコ、ヴォデモンはペチャワ。青ひげ公はミハイル・ペトレンコ、ユディットはナディア・ミカエル。「青ひげ公の城」では各部屋を巡るのをエレベーターで下へ下へと移動する形で表現していて、閉塞感がいっそう強まっていた。

March 27, 2015

「ピアニストはおもしろい」(仲道郁代著/春秋社)

「ピアニストはおもしろい」(仲道郁代著/春秋社)●一昨日にも少し触れた仲道郁代さんの最新刊、「ピアニストはおもしろい」(春秋社)。おもしろくて、しかも読みやすい。300ページ強のボリュームがあって、ピアニストになるまでのこと、子育てのこと、楽器のこと、コンサートのこと等々、内容は多彩。いちばんおもしろかったのは子育ての章、特にお子さんが生まれてまもない頃の話で、「娘の生後ほぼ5カ月から公演にはすべて同行するという子連れピアニスト生活が始まった」というくだり。もともと「演奏活動を始めてこの27年間、一週間続けて家にいたことはほとんどない」という演奏家生活のなかで、自分の荷物に加えて、赤ん坊用の日数分のおむつ、離乳食、おもちゃ等々大量の荷物をスーツケースに入れて移動する様子だとか、自分の時間というものがゼロになるから隙間時間が10分でもあったらそこを「休む」のではなく「さらう」(練習)にあてるとか、すさまじい多忙ぶり。でも、持ち時間の隅から隅までが「仕事」と「子育て」だけで埋めつくされる感というのは、一般の働くお母さんから見ても共感を呼ぶ話だと思う。前に見たアルゲリッチのドキュメンタリー映画「アルゲリッチ 私こそ、音楽」でも、娘さんが赤ん坊の頃グランドピアノの下で母親のピアノを子守歌がわりに聞きながら育ったみたいな話があったっけ。
●以前、パーヴォ・ヤルヴィが東響を振りに来たとき、9カ月の赤ちゃんがいっしょで、そのときソリストを務めたベレゾフスキーもやっぱり赤ちゃん連れだったから、楽屋が託児所みたいになってたっていう話のほのぼの感も吉。
●本番での緊張克服の話も印象的だった。これだけたくさんの本番の舞台に立っている人でも、舞台であがるのかと思うと勇気づけられる(?)。あと、まさに一昨日、OEKとの共演を聴いたばかりの曲なんだけど、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番が協奏曲のなかで嫌な曲として挙げられていたのがおかしかった。

 エトヴィン・フィッシャーかどなたか大家がこの曲については、「最初のソロを弾いた後、オーケストラの演奏の間ずーっと、自分がいかに下手に弾いたかを反芻させられるからとてもつらい」と、どこかに書いておられた。(同感だ!)

●それだけあのピアノだけで弾く冒頭のニュアンスが難しいということなのか。

March 25, 2015

オーケストラ・アンサンブル金沢第31回東京定期公演

●24日はサントリーホールで井上道義指揮OEK。ペルト「フラトレス」、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番(仲道郁代)、シューベルトの交響曲第8番「グレイト」という魅力的なプログラム。ペルトの「フラトレス」はいろんなバージョンがあるが、この日は独奏ヴァイオリン(コンサートマスターのアビゲイル・ヤング)と弦楽オーケストラのための版。静謐な祈りのひととき。もっともペルトの音楽にはなかなか共感できないのだが……。仲道さんのベートーヴェンは第1楽章、第2楽章ともにかなり遅めのテンポで、じっくりと情感豊かに歌ったロマン的な演奏で、作品の抒情的な性格が強調されていた。仲道さんといえば近著「ピアニストはおもしろい」(春秋社)が刊行されて、会場でも販売されていた模様。実はこの本、今読んでいる。とてもおもしろい。
●後半のシューベルトが聴きもの。なにしろOEKなので編成が小さい。休憩が終わって場内にもどったときに、舞台上に並ぶイスの数の少なさに覚悟みたいなものを感じる。弦楽器は8-8-4-4-3、だったかな? この曲でヴィオラ4人というのは視覚的なインパクトもなかなか。もっともシューベルトの生前にこの曲が演奏される機会があったとしたら(実際にはなかったわけだけど)、これくらいのサイズだろうか。同じ場所で在京オケが「グレイト」を演奏すればコントラバスだけで8人くらい並びそうなもの。いつものようにヴァイオリンは左右に対向配置。おかげで非常に見通しの良いくっきりとしたサウンドが生まれ、「グレイト」に漠然と抱く豊満さみたいな印象が後退し、代わって凛々しさが前面に出てきた。男前のシューベルト。終楽章は少人数ながら渾身のクライマックス。フルートに特任首席奏者の工藤重典氏。トロンボーンはもともと団員がいないので、常にエキストラ。マエストロに大病の後といった雰囲気はまったく感じられない。最後はマイクを持って、「新幹線で金沢に来てください」。CD化のための録音あり。

March 24, 2015

低音デュオ第7回演奏会

セルパン●20日夜は杉並公会堂小ホールで低音デュオ第7回演奏会へ。松平敬(バリトン)+橋本晋哉(チューバ/セルパン)というずっと気になっていたユニットをようやく聴くことができた。神長貞行「デジタル・ボックス1」、河添達也「異考共生の断章II~カンツォーナ2015」(委嘱初演)、川島素晴「Das Lachenmann III」(新ヴァージョン委嘱初演)、近藤譲「花橘 3つの対位法的な歌と2つの間奏」、湯浅譲二「ジョルジョ・デ・キリコ」(委嘱初演)、湯浅譲二「天気予報所見」。これら現代作品のほかに、ギヨーム・ド・マショーら中世・ルネサンス期の作品もさしはさまれ、セルパン(ヘビみたいな形状のあの楽器:写真)のまろやかな音色もたっぷり堪能。
●開演前のアナウンスが人工音声で妙に味わいがあって、この時点からおかしかったのだが、本編も笑いやナンセンスの要素が豊富で、前のめりになって楽しんだ。川島素晴「Das Lachenmann III」は作曲家ラッヘンマンの名に「笑う人 Lachen mann」をかけていて、声によるさまざまな笑いをチューバが模倣するという趣向。舞台上の二人の真剣な名演(名演技というか)が効いて、場内は大ウケ。湯浅譲二「天気予報所見」はもともとはバリトンとトランペットのための作品で、これをバリトンとチューバで演奏したことがきっかけで低音デュオが結成されたとか。天気予報のテキストに対して内容と無関係な感情表現が付与される。聴きごたえがあったのは湯浅譲二「ジョルジョ・デ・キリコ」。キリコの絵画そのものが題材となっているわけではなく、「ジョルジョ・デ・キリコ」というポール・エリュアールの詩が用いられているのだが、そうはいってもキリコと言われたらキリコの絵を思い浮かべるしかないわけで、おまけに低音デュオといいながら歌もチューバも高音頻出で、この針の振り切れた感が彩度マックスのキリコの超現実感と呼応する。アンコールにパラレリウスの「花咲き乱れ」。楽しすぎる。
●8月にはコジマ録音から低音デュオのファーストアルバムがリリースされるそう。

March 23, 2015

東京・春・音楽祭、開催中

東京・春・音楽祭2015●20日昼は東京・春・音楽祭のミュージアム・コンサートへ。東京都美術館講堂で「新印象派~光と色のドラマ」展 記念コンサートとして尾池亜美さんのヴァイオリン・リサイタル(ピアノ:佐野隆哉)。ミュージアム・コンサートは上野一帯で開催される東京・春・音楽祭ならではのシリーズで、美術館や博物館を会場に、それぞれの企画展などに連動した公演が開かれている。休憩なしの一時間に、ブーランジェの「2つの小品」より「コルテージュ」、ドビュッシーのヴァイオリン・ソナタ、イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第4番、シマノフスキの「神話 3つの詩」より「アレトゥーザの泉」、ショーソンの「詩曲」、イザイの「サン=サーンスのワルツ形式の練習曲によるカプリス」と、ぎっしりと詰めこんだサービス満点プログラム。すばらしい。評判を耳にして気になっていた尾池さんのヴァイオリンもやっと聴けて満足。まっすぐで伸びやか、雄弁、爽快。スケールの大きさを感じる。
●会場への道すがら、上野公園の噴水前広場から、すさまじくテンポを変動させる過激な「フィガロの結婚」序曲が聞こえてきた。近づいてみると、小さなオーケストラが陣取って、変幻自在のタクトに必死に食らいついている。これは「指揮者はあなた! Conduct Us in 上野公園」という催し。指揮台では推定3歳くらいのマエストロが棒を振っていた。だれでも指揮できるというイベントなんだけど、平日昼間ということもあって、次々と幼児が指揮台に立つ(というか、親御さんが立たせる)。みんな無条件にかわいい。

March 19, 2015

ノット&東響の「パルジファル」、ヤノフスキ&ベルリン放響のブルックナー

●少し遡って14日はジョナサン・ノット指揮東京交響楽団へ(サントリーホール)。ベルクの「抒情組曲」より3つの小品(弦楽合奏版)、ワーグナーの「パルジファル」抜粋という魅力的なプログラム。「パルジファル」の歌手は、パルジファル役にクリスティアン・エルスナー、クンドリ役にアレックス・ペンダ(アレクサンドリナ・ペンダチャンスカ)。第1幕への前奏曲、第2幕途中からおしまいまで、「聖金曜日の音楽」を抜粋。前半のベルクからひりひりとするような緊張度の高い音楽が続き、後半で儀式性と官能性が全開になるという組合せの妙。東響の潤いのあるサウンドを存分に堪能。十分に豊かだけど、決して重くない。ノットが隅々までアンサンブルを掌握している感があって、このコンビが熟成の度を深めつつあるのを感じる。質の高さに比して空席がやや目立つのが唯一惜しいんだけど、川崎だとまたちがった雰囲気なんだろうか。
●18日はマレク・ヤノフスキ指揮ベルリン放送交響楽団(サントリーホール)。ブルックナーの交響曲第8番一曲のみのプログラム。遅刻しないように余裕を持って会場へ。気になる(?)ブルックナー行列は開演前にしっかりとできていた。ヤノフスキ、これまでになんどか聴いた範囲ではいろんな印象がまだら模様に入り混じっていて、迷った末に足を運んでみたら、最近聴いたなかではもっとも充足度の高いブルックナーになった。特に第3楽章のアダージョ以降、ぐっと精妙さを増した感。金管は力強いけど咆哮せず、木管、弦との間に絶妙のバランスを保ちながら、質朴剛健とした頂点へ。美しすぎる。演奏後、カーテンコールが延々と続いて、こんなに拍手が続くとむしろ一般参賀になりにくいんだけどなあと思ったが、それでも熱心なお客さんが残って、ヤノフスキのソロ・カーテンコールに。

March 17, 2015

「クラシック音楽のトリセツ」(飯尾洋一著/SB新書)

クラシック音楽のトリセツ●本日発売の拙著新刊をご案内します。ソフトバンククリエイティブのSB新書より、「クラシック音楽のトリセツ」が刊行されました。クラシック音楽を聴きたい、コンサートに行きたい、でもなんだか約束事やら暗黙の了解がたくさんありそうで、どうもハードルが高いなあ……と感じている人のために「トリセツ」があったらいいんじゃないか、という発想から出発した入門書です。なにかひとつ未知の新しい楽しみを見つけてその世界に浸ろうと思ったら、経験によって少しずつその世界の常識やルールとされるものを会得していくのが王道なのでしょうが、そういうプロセスを省略して近道をするための実用的でなおかつ「読める」ガイドブックを書こうと考えました。なので、すでに熱心に聴いていらっしゃる人にとっては、知っている事柄ばかりでしょうし、「それは違うんじゃないかな」と思うようなこともあるかもしれません。本当に入門書なので。
●本の後半1/3には、東急沿線スタイルマガジンSALUSで連載していた「ちょっとニュースなクラシック」(2回の連載の最初のほう)という名曲コラムを再録しています。フリーペーパーに書いていた読み物なので内容は完全に一般向けなのですが、こちらはすでにクラシック音楽になじんでいる方も読むことのできるコラムだと思います。当ブログをご覧いただいているような方はきっと後ろの1/3を楽しめるのではないかという気がするのですが、1/3のために一冊買ってほしいとお願いするのは厚かましい……といいつつ宣伝。
●単著としてはこれで4冊目になります。今、書籍って一日に平均230冊くらいのペースで発売されているんだそうです。一年に8万点強。そんななかで本を出しても、人の目に触れる機会というのはなかなかありませんし、ましてや「本を売る」というのは並大抵のことではありません。それなのに、なぜみんな(著者も編集者も出版社も)大変な思いをしながら本を作るのか。不思議ですよね。でもそれを不思議と思わない人だけが、出版の世界に生きているのでしょう。

「クラシック音楽のトリセツ」 amazon.co.jp丸善ジュンク堂ネットストア

March 16, 2015

錦織健プロデュース・オペラ/モーツァルト「後宮からの逃走」

●13日は錦織健プロデュース・オペラVol.6 モーツァルト「後宮からの逃走」へ(東京文化会館)。歌手自らがプロデュースし、オペラの楽しさをより幅広い層に向けて伝えるという志の高いシリーズで、東京の2公演を含めて全国各地で計8公演も開かれるというのが立派。歌手陣は佐藤美枝子(コンスタンツェ)、錦織健(ベルモンテ)、市原愛(ブロンデ)、高柳圭(ペドリロ)、志村文彦(オスミン)、池田直樹(太守役、台詞のみ)。現田茂夫指揮東京ニューシティ管弦楽団。
●特徴的だったのは、台詞を日本語で語っているところ。歌は原語だけど、台詞になると日本語になるというハイブリッド方式で、最初は違和感があったが、すぐに慣れた。喜劇的な作品に限っていえることだが、日本語台詞によって言葉のおかしさによって客席から笑いを取ることができるという優位を実感。レチタティーヴォだとそうもいかないかもしれないが、台詞ならこの方式もありかなと思う。
●佐藤美枝子さんのコンスタンツェは圧巻。全般に歌手陣の好演の一方で、「後宮からの逃走」元来の台本の起伏のなさ、余白の大きさも改めて感じる。このストーリー、キリスト教文化とイスラム文化の対立を背景とした取扱い注意物件だが、プロットはほとんどなんのひねりも意外な展開もなく、するすると一直線に太守の赦しに帰着してしまう。で、じゃあつまらないかというと、そんなことはまったくなくて、むしろ精彩に富んだオペラという印象がある。よくよく考えてみると「フィガロの結婚」だって、プロットは序盤こそ冴えているけど、途中からグダグダになっていて(っていう私見)、終幕の展開には目を覆いたくなる。にもかかわらず、オペラとしては人類史上最強クラスの神作品。モーツァルトの恐るべき天才性。なんとなれば音だけで成立してしまう。じゃあ、だったら台本はなんなのか……ということをいつも考えてしまうのだが。
●で、つらつらとこの日の演出とは無関係に「後宮からの逃走」について思ったことをメモしておくと、これはもう一つの「コジ・ファン・トゥッテ」であること。ともに二組のカップルが出てくる(それをいえば「魔笛」だってそうなんだけど)。「コジ・ファン・トゥッテ」では、貞節という概念をせせら笑うように、フィオルディリージとグリエルモ、ドラベッラとフェルランドの二組の恋人たちは互いに相手を交換した。一方、「後宮からの逃走」では、逆に恋人たちは命がけで貞節を守る。ベルモンテとコンスタンツェはともに死ぬ覚悟を見せる。ペドリロとブロンデはコミカルな存在だが、果敢で、勇気がある。
●そこで、この両者の登場人物は本質的に同じ人物であると考えてみたらどうだろう。フィオルディリージとグリエルモはもうひとりのベルモンテとコンスタンツェであり、ドラベッラとフェルランドはもうひとりのペドリロとブロンデである、と。つまり、命の危機に瀕してはどこまでも誠実で高潔な恋人たちも、大人の遊びの文脈では(と「コジ」を解するけど)いとも容易に恋人を交換してしまう。「男女はみんなこうしたもの」。
●もうひとつ思うのは、トルコ側の登場人物像について。太守セリムは単に「寛大な精神を持った高徳の人」ではない。たしかに最後にセリムは寛大な計らいをしてくれるのだが、そこまではコンスタンツェに対して「オレのものにならないのなら力づくでも」と脅しているんだから、この人は心の弱い人間であるはず。本当は最初から己の欲望に負けているんである、それもかなり堂々と。最後は体面を保つために、欲をあきらめたにすぎないとも見ることができる。一方、オスミンは粗野な小悪党のようでいて、人生を謳歌している人なんじゃないだろうか。後宮の番人としてこれまでにも楽しんできたからこそブロンデに言い寄るのだろうし、ペドリロに酒を勧められて飲んでしまうのも、それまでに散々禁を破って飲んでいるからだろう。オスミンにしてみれば、セリムは優柔不断で頼りなく、コンスタンツェやブロンデは不自由な女たちでしかないのかもしれない。

March 13, 2015

調布音楽祭2015記者会見

調布音楽祭2015記者会見
●12日は調布音楽祭2015の記者会見へ(調布市文化会館たづくり)。6月25日から28日にかけて調布市グリーンホール他での開催。鈴木優人エクゼクティブ・プロデューサーのもと、本格的なクラシックの音楽祭としてスタートして3年目を迎える。監修はバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)の鈴木雅明音楽監督。協力に桐朋学園大学。鈴木父子は調布在住ということで、地元調布に密着した音楽祭ながら、BCJをはじめとするトップレベルのアーティスト陣の出演を実現している。音楽祭のコンセプトは3つ。「バッハの演奏」「アートとの連携」「次世代への継承」。本格的な公演のほかにキッズ向け公演や、無料で楽しめるミュージックカフェなどもあって、手作り感とクォリティの高さが共存しているのが特色だろう。
●で、今年のラインナップだが、目を引くのはプレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管弦楽団が参加すること。一見、調布音楽祭らしくない人選だし、すぐそばの都心では年がら年中世界的巨匠の公演は開かれているわけでなにも調布でなくても……と戸惑ったが、プログラムはこの音楽祭のための独自のものになっていて、プレトニョフの弾き振りによるモーツァルトのピアノ協奏曲第24番と、チャイコフスキーの交響曲第5番。「鍵盤楽器奏者が作ったオーケストラであるなどBCJと共通点が多い」というロシア・ナショナル管弦楽団、結成もBCJと同じく1990年。プレトニョフの弾き振りに、モダンオケというパラレルな世界でのBCJとの類似性を見出すことができるのかも。
●例年フィナーレ公演を飾るBCJは、ヴィヴァルディの「四季」を演奏する。BCJの「四季」は珍しいのでは。ヴィヴァルディにバッハ、マルチェッロ、ヘンデルを加えた「協奏曲の花火大会のような」(鈴木優人プロデューサー)プログラム。「四季」は4曲をそれぞれ別のヴァイオリニストが独奏を務めるという趣向で、高田あずみ、寺神戸亮、若松夏美といったおなじみのメンバーに加えて、活躍中の気鋭、白井圭が参加する。白井圭さんはバロック・ヴァイオリンを若松夏美さんに師事していて、モダンもバロックも同じように弾けるのだとか。
●大バッハをはじめバッハ・ファミリーの音楽が演奏される鈴木雅明&優人の「二代」チェンバロ・リサイタルや、調布の名刹である深大寺の本堂で演奏される寺神戸亮のバッハ無伴奏など、バッハ色も十分。音楽祭として、昨年より一回り成長した感が伝わってきた。
●会見資料の登壇者欄に「鈴木雅明監修(ビデオメッセージ)」とあったので、録画が再生されるのかと思っていたら、Skypeで日米間をつないでのリアルタイム登壇だった。その手があったとは。

March 10, 2015

METライブビューイング「ホフマン物語」

●9日は東劇でMETライブビューイング「ホフマン物語」。なんといっても作品がすばらしい。悲劇とも喜劇とも異なるオペラ的な類型に留まらない、暗黒の幻想譚。オムニバス形式で詩人ホフマンの見果てぬ恋を描くわけだが、特にアントニアの幕にはぞくぞくする。歌うことで死ぬというアンチオペラ的なヒロインや、邪悪な「ミラクル博士」(!)といった設定が秀逸。オッフェンバックの音楽もすばらしすぎる。
●「ホフマン物語」は昨年Bunkamuraの大野和士指揮フランス国立リヨン歌劇場(ロラン・ペリー演出)のすぐれた舞台を見たばかりだが、METはバートレット・シャーの演出。十分なリソースを注ぎこめるMETならではの舞台で、こちらも見ごたえあり。リヨン歌劇場ではオランピア、アントニア、ジュリエッタ、ステッラの四役をパトリツィア・チョーフィが一人で歌った。このMETの舞台でも当初ヒブラ・ゲルツマーヴァが四役を歌う予定だったが、オランピア役はエリン・モーリー、ジュリエッタ役はクリスティン・ライスに譲ることに。これは大正解では。エリン・モーリーのオランピア役(機械仕掛けの少女)は歌も演技も見事。ゲルツマーヴァのオランピアなんて想像がつかない、体格的に。そもそも「4人が本当はひとりである」ってことは最後に歌詞で歌って明かされるんだから、なにも無理して一人で歌わなくても、と思ってしまう。
●ホフマン役はヴィットーリオ・グリゴーロ。甘い声が心地よく、キャラクターも役柄に合っている。悪魔の化身はトーマス・ハンプソン。本来適役だったんだろうけど、さすがに声も容貌も老いて、悪魔というよりはお爺ちゃんに。幕間インタビューでカメラに向かって孫娘に挨拶していて、リアルお爺ちゃんだったのだ。時は流れる。ニクラウス役はケイト・リンジー。ボーイッシュな雰囲気を出せるということでズボン役の多い人なんだけど、METの舞台でみかける女性歌手のなかでは屈指の美女だと思う。なんだか不条理だなあ。
●オランピアは機械仕掛けの人形なので、本質的には量産可能のはず。そんなことを示唆するように、舞台上には実際のオランピア以外にオランピアの姿をしたダンサーがあらわれたり、マネキンの部品が見えたりする。ホフマンは「人形に恋したっていいじゃないか」と歌う。これって「エヴァンゲリオン」の綾波レイだなと思う。

March 9, 2015

サロネン&フィルハーモニア管弦楽団来日公演と「究極のプログラム」コンテスト

●先週は6日サントリーホールと7日東京芸術劇場と続けてサロネン指揮フィルハーモニア管弦楽団へ。
●6日はブロンフマンの独奏でチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」(1910)。ブロンフマンは剛腕で火の玉のようなソロ。もっとも数日前のリサイタルで壮絶なプロコフィエフ「戦争ソナタ」3曲を聴いたばかりなので、チャイコフスキーでは少し物足りないか……と思っていたら、アンコールでプロコフィエフのソナタ第7番終楽章、さらにショパンの練習曲Op.10-8と2曲も弾いてくれて、あたかもリサイタルのハイライトシーンを聴かせてくれたかのよう。後半の「火の鳥」が白眉。細部まで趣向が凝らされていて、鋭敏なリズムとクリアな響きで色彩豊かに描かれたストラヴィンスキー。キレキレのティンパニ奏者が存在感を放っていた。2階席のトランペットは終曲のおしまいでも参加してリアル・サラウンド状態に。フィルハーモニア管弦楽団はスーパー・オーケストラではないかもしれないけど、キャラクターを持ったすごく魅力的なオケなんだなと実感。アンコールにラヴェルの「マ・メール・ロワ」から第5曲「妖精の園」。
●7日はシベリウスの「トゥオネラの白鳥」、ヒラリー・ハーンのブラームスのヴァイオリン協奏曲、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。ヒラリー・ハーンは人外魔境の域。「英雄」ではバロック・トランペット&バロック・ティンパニが用いられていたんだけど、にもかかわらず全体としてはまったくモダンなスタイル。アンコールはシベリウス「悲しきワルツ」。前夜は盛大な一般参賀があったが、この日の客席はそこまでには至らず。
●今回の来日にあわせて、招聘元のジャパン・アーツがTwitterアカウントで「皆で考える究極のプログラム」コンテストを開催していたのがおもしろかった。サロネンに振ってほしい演目を投稿して、それに対してサロネンが受賞者を選び、コメントをくれるという企画。いろんな人が投稿した結果、1位に選ばれたのが日本フィルの公式アカウントだったという結果も、すごく今っぽいなあと感じる。フラットだからこそ、そうなるというか。しかも、「選ばれても実際には演奏されません」って書いてあるのに、予想外に盛りあがった。なんといっても、サロネン本人がコメントをくれた(しかも受賞者にサロネンのサイン入り指揮棒が贈呈された!)のがいいっすよね。受賞者、日フィルなんだけど(笑)。いっそ、振りに来ない?

March 6, 2015

ラトルがロンドン響へ、ベルリン・フィルは5月11日に団員投票を実施

●今月3日、サイモン・ラトルがロンドン交響楽団の音楽監督に就任すると発表された。契約は2017年9月から。今のロンドン響の首席指揮者はゲルギエフ。
●まず実感するのは、ベルリン・フィルのシェフにも「次のポスト」があるという時代になったということか。今後、だれがベルリン・フィルの後継者になっても、もう終身指揮者みたいなことにはならないだろうし、期限があって当然のポストとみなされることになりそう。あと、このニュースがぱっと一斉にいろんな英メディアに出たのも印象に残った。事前にプレスリリースが配布されていて、情報解禁日時に合わせて予定稿がすっとアップロードされた感。
●で、ラトルが去った後、ベルリン・フィルを継ぐのはだれなのかについては、5月11日に団員の無記名投票が行われると、公式に発表された(Twtterの日本語アカウントでも)。決定後、結果はすぐに公表されるそう。全世界的にクラオタにとって5月11日がXday化する。ドゥダメルなのか、ティーレマンなのか、ネルソンスなのか、アラン・ギルバートなのか、ハーディングなのか、それともひょっとしてベテラン勢なのか……。
●ベルリン・フィルの音楽監督にも「任期」が意識されるようになったという意味では、このオーケストラも普通のオーケストラになったのかと一瞬思うが、よく考えてみると自分たちの投票でシェフを決めることができるというのは、やっぱり別格。だって先方から、「は? そんな勝手に選ばれましたって言われても困るんすけど。こっちも予定あるし」なんて言われない前提があるわけだし。
●指揮者の人は5月11日に携帯電話がつながるようにしておかないと。「あ、もしもし、オレオレ、ベルリン・フィルだけど……」。

March 4, 2015

イェフィム・ブロンフマンのプロコフィエフ

●3日はトッパンホールでイェフィム・ブロンフマンのリサイタル。プロコフィエフのピアノ・ソナタ第6番、第7番、第8番という「戦争ソナタ」3曲。休憩は第7番の後に。最初の第6番の冒頭から、久しく聴いていないような豪壮華麗なサウンドが聞こえてきてノックアウトされる。なんという強靭な打鍵。でもフィジカルで圧倒する押しつけがましさがまったくなく、むしろ情感豊かに感じられる。ピアノって、本当はこんな音がするんだ、というくらいの感動がある。これで第6番とか第7番の終楽章をバリバリ弾く無双プレイ。ブロンフマンのために書かれた曲なんじゃないかと錯覚する。
●ソナタ第9番まであるプロコフィエフのピアノ・ソナタ。といっても第8番でも1944年完成なので、交響曲でいえば第5番の直前あたり。晩年の作品はなにかが枯れたようにも感じられるプロコフィエフだけど、この時期はまだ元気。第6番、第7番、第8番、どの曲も猛烈にカッコいい。第8番の終楽章もすごくカッコいい。でも軽くズッコケ系入っている。すなわち、ダサカッコいい。
●アンコールはスカルラッティのソナタ ハ短調K11とショパンの練習曲ヘ長調 Op.10-8。うってかわって、弱音の繊細な表現を聴かせる。心憎いというか。
●ブロンフマンはさらに本日もすみだトリフォニーホールで同じプログラム。2日の武蔵野市民文化会館小ホールと合わせて、首都圏で「戦争ソナタ」3公演。さらに6日のサロネン&フィルハーモニア管弦楽団ともチャイコフスキーで共演する活躍ぶり。

March 3, 2015

アンドレアス・オッテンザマー&ホセ・ガヤルド

●遡って先週26日はアンドレアス・オッテンザマーのクラリネット(トッパンホール)。父エルンストと兄ダニエルがウィーン・フィルの首席クラリネット奏者、そしてアンドレアスは2011年に22歳の若さでベルリン・フィルの首席クラリネット奏者に就任したという名門一家。うまくて、若くて、知的で、イケメン。まぶしすぎる。休憩時の男性トイレががらがら。
●ウェーバーの大協奏的二重奏曲、ブラームスのクラリネット・ソナタ第1番といった独墺系レパートリーに、アルゼンチン出身のホセ・ガヤルドがピアノということで、ピアソラ、ガルデル、アンヘル・ビジョルドといったタンゴの作曲家たちも加わった多彩なプログラム。鮮烈。そして楽しい。さらにハンガリーのレオ・ヴェイネルの作品も。レオ・ヴェイネルの「ペレグの新兵募集の踊り」という曲があって、原題を見たら「ヴェルブンク」を訳出して「新兵募集の踊り」としてあった。もともと酒場で新兵を募るための音楽と踊りがヴェルブンク(チャールダーシュの原型)。通じない言葉だから、こうして日本語化するのも一手なのか。
●プログラムの前半の終わりにアンヘル・ビジョルドの「エル・チョクロ」が置かれていて、この一曲だけピアノのソロとなっていた。ピアノのソロが一曲入るのはいいとして、それを前半の終わりに置くものだろうか?……と思っていたら、ここで予想外の寸劇が始まった。ピアノのホセ・ガヤルドが演奏しはじめると、途中で袖からオッテンザマーがそっと登場してクラリネットで参加する。ガヤルドが驚いて「おいおい、これはピアノだけの曲だぞ」と小芝居が始まる。「わかったよ」とオッテンザマーがひっこんで、ガヤルドがもう一度演奏を始めると、またオッテンザマーが袖からそっとあらわれる。今度はクラリネットを持っていない。そのまま背後からピアニストに忍び寄って……なんと、ピアノの椅子に座って連弾になった。笑。実はピアノとチェロも相当な腕前なんだとか。どこまで優秀なんすか、この人は。

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