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2017年2月アーカイブ

February 28, 2017

時差ボケの有利と不利

●少し前の記事で気になったのがこちら。「東の球団、時差ボケで不利? 大リーグの移動の影響分析」(asahi.com)。米科学アカデミー紀要(電子版)に掲載された論文で、大リーグの過去4万試合以上を対象に分析した結果、「西から東の本拠に戻った球団は勝率が明らかに落ちる」のだという。これは2時間以上の時差がある長距離移動を伴うケースについて見られる現象で、逆に東から西に戻った球団には影響が見られないのだとか。つまり、東への長距離移動は不利だが、西への長距離移動は不利ではない。
●なるほどー。そういえば海外に移動するときも、東に移動するほうが西に移動するよりも時差ボケが大変だって話があったっけ。
●が、要注意なのは、これはホームに戻った場合に限っての話であって、アウェイに乗り込む場合は東西どちらでも影響は見られないのだとか。なぜホームゲームとアウェイゲームで事情が違ってくるのだろうか。アウェイゲームではホテルに宿泊するのに対して、ホームゲームでは自宅に帰るから? いや、それじゃ理由になってないか。いまひとつよくわからない現象だが、どういうメカニズムなんだろう。

February 27, 2017

Jリーグ開幕、DAZNでマリノスvs浦和戦

●ついにJリーグ開幕。J1からJ3まで全試合をDAZNが独占的にインターネット配信するスポーツ・ストリーミング配信の幕開けがここに。さっそくオンデマンドでマリノスvs浦和戦を観戦。ノートPCの小さな画面で見たのだが、このサイズで見る分には画質は上々(動きの素早い場面は不得手だが)。そしてカメラワークやアナウンス、解説は期待以上によくできていて、「バタ臭さ」は皆無。従来のテレビによるスポーツ中継と同じように見ることができた。ただ、時折画質が極端に低下してしまう。これはこちらの環境の問題なんだけど、ごく標準的な光回線+無線LANで起きている。2.4GHz帯の混雑ゆえの干渉が原因だろうか。一度有線で試合を見てどうなるか確かめてみたい。
●で、試合だが、やっぱりJリーグはおもしろいじゃん! いや、それはマリノス者にとって痛快な試合展開だったからで、浦和側から見るとそうでもなかったのかもしれないのだが、逆転また逆転のスペクタクルな試合展開であった。マリノスが序盤にダビド・バブンスキーのゴールで先制すると、後半に浦和がラファエル・シルバの立て続けの2ゴールで逆転。しかし終盤にマリノスがウーゴ・ヴィエイラの同点弾で追いつき、アディショナルタイムで前田直輝が勝ち越しゴールを奪って3対2。ドラマティックな勝利だった。内容的には大半の時間帯で浦和がボールを保持しており、マリノスの攻め手は齋藤学のドリブルくらいしかない。左サイドからの齋藤の崩しから中央に合わせてシュートという、ほとんどパターン練習みたいな形から2ゴールを奪った。内容は褒められたものじゃないが、結果だけが付いてきたという感じ。なぜかこの対戦カードはそうなりがちな印象。
●マリノスはずいぶんメンバーが変わった。中村俊輔だけでなくいろんな選手が去った。これまでのモンバエルツ監督の手腕はまったくいただけないが(成績/予算で換算するとリーグ最低ランクでは?)、世代交代はむしろ遅すぎたくらい。GK:飯倉-DF:松原健、中澤、ミロシュ・デゲネク、金井-MF:喜田、天野純、ダビド・バブンスキー(→前田 直輝)-FW:齋藤学、マルティノス-富樫敬真(→ウーゴ・ヴィエイラ)。天野純や富樫敬真が開幕スタメンを勝ちとった。中町、伊藤翔はベンチ。新外国人選手のダビド・バブンスキー(今年23歳)とウーゴ・ヴィエイラはともにレッドスター・ベオグラードでプレイしていた選手。ミロシュ・デゲネクはクロアチア出身でドイツの2部(1860ミュンヘン)から移籍。昨シーズンからのマルティノスと合わせて、外国人選手が4人いて「ん?」と首をかしげてしまうのだが、ミロシュ・デゲネクがオーストラリア国籍を持っているためアジア枠1にカウントされる模様。セルビアの年代別代表に選ばれた後、オーストラリア代表に選出されている。Jリーグのアジア枠1の活用法として、オーストラリア国籍を持つ欧州出身選手を獲るというのは妙手だと思う。

February 24, 2017

ミハイル・プレトニョフ指揮東京フィルのストラヴィンスキー&プロコフィエフ

●23日は東京オペラシティでミハイル・プレトニョフ指揮東京フィル。ストラヴィンスキーのロシア風スケルツォ、アンドレイ・イオニーツァのチェロでプロコフィエフの交響的協奏曲(チェロ協奏曲第2番)、ストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」(1945年版)というおもしろいプログラム。もしこのコンサートにキャッチを付けるなら「自作の再創造」だろうか。ストラヴィンスキーのロシア風スケルツォは最初にポール・ホワイトマンのジャズ・バンド用に書いたジャズ版を、一般的なオーケストラ用に編曲した曲。プロコフィエフの交響的協奏曲は作曲者が若きロストロポーヴィチとの出会いをきっかけに旧作のチェロ協奏曲第1番を作り直して生まれ変わった作品、ストラヴィンスキーの「火の鳥」1945年版は人気の高い1919年版を編曲しなおした作品。特に後の二者は若き日の作品を後の円熟した筆で書き直すという共通項を持っている。プレトニョフならではの切り口というべきか。
●しかもプロコフィエフの交響的協奏曲もストラヴィンスキーの「火の鳥」1945年版も、せっかく作り直した割にはそんなに演奏されないっていうところもいっしょなんすよね。でもこの日の客席は盛況。プロコフィエフでは2015年チャイコフスキー国際コンクール第1位のアンドレイ・イオニーツァが鮮烈な技巧を披露。それにしてもこの曲、というかプロコフィエフの晩年の作品全般に思うんだけど、若いころの奔放で爆発的な創作力、自信満々の天才ぶりみたいなのがすっかり影をひそめて、晦渋な職人芸の世界にこもっているかのよう。あるいは老いなのか、どうか。ソリスト・アンコールが2曲も。バッハの無伴奏チェロ組曲第3番のサラバンドとプロコフィエフのマーチ。
●「火の鳥」1945年版は昨秋にヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団で聴いたばかり。そのときも感じたけど、1919年版に比べるとより硬質というかドライなイメージ。終曲で主題を一音一音短く切るところが顕著な違いではあるんだけど、あの部分はむしろ楽しい。燦然とした明るい「火の鳥」だった。プログラムの後半に置くのにほどよいボリューム感があるのも吉。とはいえ、いまひとつ作り直す必然みたいなものが見えにくいというか、「1919年版があんなにすばらしいのにどして?」って思いは残る。これに1910年全曲版などもあって「火の鳥」のバージョンは錯綜しているが、だったら毎年のようにアップデイトして「火の鳥」ver8.1とか「火の鳥」ver10とか量産してくれてもよかった(ウソ)。

February 23, 2017

パーヴォ・ヤルヴィ&N響のマーラー「悲劇的」

●22日は横浜みなとみらいホールでパーヴォ・ヤルヴィ&N響。サントリーホールが休館中の間、N響定期のBプロはお休み。その代わり、今月は「N響横浜スペシャル」として横浜みなとみらいホールで2公演が開かれることに。このホールでN響を聴くのがなんだか新鮮。遠いのでかなり余裕をもって現地に到着したんだけど、みなとみらい駅の改札で駅員さんに「コンサートホールはどちらですか」と尋ねている年配男性がいた。わかる。ホールは駅直結なんだけど、駅空間が巨大すぎて一瞬どこの案内を見たらいいのかわからなくなる。長いエスカレーターをのぼって、2017年みなとみらいへの旅。
●プログラムは武満徹の「弦楽のためのレクイエム」とマーラーの交響曲第6番「悲劇的」。休憩なし。続く欧州ツアーでも演奏するプログラムで、コンサートマスターふたりがそろい踏み。チェロの首席もふたり並ぶという豪華仕様。「弦楽のためのレクイエム」は思った以上に振幅の大きな音楽。いつにも増して精緻な響き。マーラーとつなげて演奏することまではしなかったが、両曲が並ぶことで哀悼と破滅というストーリー性が際立つ。「悲劇的」もこれまでのパーヴォのマーラーと同様、引き締まったサウンドによる筋肉質な推進力にあふれた音楽。このコンビの最初の記念碑的な「巨人」を思い出す。うねるような悲劇的情感が噴出するというよりは、精密で高純度なスペクタクルで、カタストロフに向けて一直線に驀進する。いつも楽章の配置が問題になる曲だが、第2楽章にスケルツォ、第3楽章にアンダンテ。終楽章のハンマーは2回。弦楽器の配置はこれまで同様に対向配置でいちばん下手にコントラバス、さらにハープ3台も。
●休憩がなく普段よりは早めの終演だが、帰り道はみなどことなく急ぎ足のような。東京から足を延ばしたということか、あるいは「悲劇的」第1楽章のきびきびとした行進曲のリズムが頭にこだましていたのか。

February 22, 2017

テープ起こしプレーヤーの無償提供

株式会社アスカ21が文字起こしに特化した音声再生ソフト「テープ起こしプレーヤー」を無償提供。気になってダウンロードしてみた。ぱっと触ってみた第一印象だけを言うと、音声再生中にPlay/Stopボタンを押すと自動的に数秒巻き戻るという仕様が便利そう。「今のところをもう一回聴きたい」というときにPlay/Stopボタンだけで済む。場合によってはこの機能だけでも通常のプレーヤーより便利かもしれない。あと、自分なりのキー設定は必須か。試してないけど「ノーマライズ」とか「オートマキシマイズ」は録音の環境が今一つだったときに役立つかも。
●このソフトウェアを公開している会社は、テープ起こしを請け負ってくれるところなんすね。ユーザーがソフトの力を借りて自力で起こしてみて、「あー、これは便利だなあ」と実感するけど、でもやっているうちにだんだんへこたれてきて「やっぱり、もうイヤだ~」となって外注に出したくなるというビジネスモデルなんだろうか。笑。でも、それってリアル。もっとも、聴き慣れない固有名詞や専門用語が連発されるような分野では、外注は困難だと思うけど。
●「テープ起こし」の「テープ」とはいったいなんのことなのか。という疑問が昨今ありうる。

February 21, 2017

かぞえてんぐとカウント伯爵

●NHK Eテレ「おかあさんといっしょ」で、だいすけお兄さん卒業にともなって「かぞえてんぐ」コーナーも終了するという。かぞえてんぐは数を数えるのが大好きという天狗キャラ。数えているうちにテンションが上がってくる暴走気味のノリが特徴的なのだが、これってまさしくセサミストリートのカウント伯爵が元ネタではないの。と、最初に見たときから思っていた。
カウント伯爵●カウント伯爵の本来の名は Count von Count。Count(伯爵)を数えるにかけているのだが、さすがに日本語ではそこまで訳出できない。数を数えずにはいられない性分で、なんだって数えてしまう。よく好きな数字は~とかいって、その日の気分で任意の数字を挙げていたような気がするのだが、カウント伯爵にとって特別に大好きな数字は34,969なのだとか(BBC News)。34,969……なんで?と思うが、34,969は187の二乗だから好きだという。じゃあ、187はなんなんだ。はっきりしないが、17*11という素数同士の積になっているのがカッコいいから、という説に説得力を感じる。
●カウント伯爵は吸血鬼キャラ。吸血鬼には「数を数えたくなる」習性があることから、このようなキャラクターが生まれたのだろう。この習性を利用した吸血鬼対策として、ケシの種など細かなものを大量に撒いておくと、吸血鬼が思わず数えてしまい、数えているうちに夜が明けるというものがある。吸血鬼に限らず、怪異の多くには「数えずにはいられない」習性があるようで、一説によれば節分の豆まきも鬼に豆を数えさせるためなのだとか。
●ちなみにゾンビの直接的ルーツはリチャード・マシスン著の吸血鬼小説「地球最後の男」にたどり着くのが定説だと思うが、となると、ゾンビにも「数えたくなる」性質はないのだろうか。もしそうであれば、さっそく多量の豆やら種を用意しておくのだが。

February 20, 2017

東京芸術劇場「蝶々夫人」全国共同制作プロジェクト

●18日は金沢で初日を観た笈田ヨシ演出「蝶々夫人」を、もう一度。同じプロダクションではあるが、この日は題名役が小川里美さんで、オケは読響。あとは指揮者も含めて同じ。同じ演出、同じ指揮者であっても、主役の歌手とオーケストラが違えばずいぶん雰囲気が違ってくるなと実感。中嶋彰子蝶々さんで強く感じられた「失敗した女の崖っぷち感」はいくぶん薄まり、代わって蝶々さんの少女性が顔をのぞかせる。こちらも見事。本筋の部分では変わりはないのだが、幕切れのポーズも少し違う。室内オケであるOEKが精悍でシャープなサウンドを聴かせてくれたのに対し、読響は厚みのある豊麗なサウンド。第1幕は鳴らしすぎた感もあったが、停滞しないバルケの指揮は吉。
●演出面については金沢初演の際に書いた通りなんだけど、全公演終わったのでネタバレ的なことも書くと、第2幕に入って蝶々さんが姿を見せたときに「えっ?」ってなるんすよね。モンペみたいなのを履いてて。一瞬、これ誰?みたいな。でも、そうであるべき。だってこのウチ、3年も男がいないんだし、すかんぴん寸前だし、蝶々さんが着飾ってるわけがない。生活に疲れてなきゃおかしいもの。あ、あと第1幕の終わり、蝶々さんとピンカートンがラブシーンになって、「あれ、どこまで脱ぐの?」ってドキッとするじゃないすか。主にピンカートンについての心配なんだけど。笑。ワイシャツ脱いだら、下着がランニングシャツでオッサンの汗臭さが伝わってくる。15歳の嫁とランニングシャツ。なんだか妙に鮮烈。
●記者会見の際に指揮のバルケから話が出たが、ピンカートンの妻ケイトが蝶々さんと対面する場面のみブレシア再演版が用いられたということで、この役の存在感が通常よりも大きくなっている。彼女の人物像は旦那とは対照的に「しっかり者」っていうことなんすよね。旦那は逃げる。ケイトは向き合う。この場面によって、不在のピンカートンの人物像が一段深く描かれる、ということなのだろう。しかしケイトもイヤな女なんじゃないかな。だって、「この子の未来のために」みたいなことを言って、生きてる母親から子供を奪うってのはどうなのか。どす黒い善意を感じる。
●それと結末で、蝶々さんは死ぬところまでを見せていない。舞台上では死なないんすよ。死ぬ覚悟までは見せるが、その先は描かないという、開いた結末になっている。これがこの作品を救っていると思う。亭主に捨てられたからといって、幼い息子がいるのになんの逡巡もなく母親が死ぬなんて物語をワタシは受け入れられない。幕が下りた後に、蝶々さんにはたとえヤマドリにすがってでも息子とともに逞しく生き抜くという可能性が一分でも残されていてほしい。全世界全劇場の蝶々さんに言いたい。幼子のそばで死ぬな! どうしても死ぬってのなら子供を笑顔でアメリカに見送ってから死んでくれ。

February 17, 2017

「竜を駆る種族」(ジャック・ヴァンス著/早川文庫)

●今、自分内ジャック・ヴァンス・ブームが到来中。国書刊行会の「宇宙探偵マグナス・リドルフ」「奇跡なす者たち」に続いて、早川文庫の「竜を駆る種族」をゲット。といっても、ずいぶん古い本で、古書でしか手に入らないと思う。2006年刊行となっているが、これは1976年に刊行されたものを復刊したもの。原著は1962年。すでに半世紀以上前に書かれた古典ということになる。ヒューゴー賞受賞作。
●やはりこれも異文化異世界ものなのだが、基本設定に関するアイディアの部分はさすがヴァンス!おもしろい!と思えるのだが、プロットは弱いと思う。これは別の一冊「ノパルガース」にもいえるんだけど、これだけ秀逸なアイディアがあれば、もっと話を膨らませることができるはずなのに、なにか「長い話を書くことに対するメンドくささ」みたいな気分が漂っているというか……。でも基本設定は無茶苦茶おもしろいので、そこのところだけ紹介しちゃう。
●舞台となる惑星では人類最後の生き残りと思われる人々が住んでいる。彼らは「竜」を戦士として操っているのだが、その「竜」というのは、かつて異星から攻めてきた爬虫類型異星人を捕虜として捕え、そいつらを何世代にもわたって人工交配して品種改良した種族なんである。いろんなタイプの竜がいて、それぞれ獰猛な戦士なんだけど、人間にすっかり飼いならされている。
●ところが、爬虫類型異星人がまたこの惑星に攻めてくる。で、爬虫類型異星人もやはり捕虜としてかつて人類をとらえていたので、その人類を品種改良した者たちを奴隷として使役したり、軍隊を編成させたりしている。つまり、こっち側と同じことをやってるわけ。この発想が秀逸。だから戦闘になると、人類は爬虫類型異星人を品種改良した竜に戦わせ、爬虫類型異星人は人類を品種改良した亜人みたいなのを戦わせるという、なんとも倒錯的な状況が生まれる。
●で、人類の側は、敵の爬虫類型異星人のことを「ベイシック」って呼んでいるんすよ。つまり、自分たちの操る竜の原種であるから「ベイシック」。ってことは、先方からすれば自分たち人類だって「ベイシック」ってことになるわけで。こういう少しブラックなセンスが味わい深い。

February 16, 2017

ラ・フォル・ジュルネ2017、今年のプログラムを眺めて

ラ・フォル・ジュルネラ・フォル・ジュルネ2017、「ぴあクラシック」の原稿用に記者会見資料一式を入手。まずはざざっと今年のプログラムを眺めてみた。今回のテーマは「ラ・ダンス 舞曲の祭典」。バロック期の舞曲から民俗舞踊由来の作品、バレエ音楽、ボーダーレスな作品など、いくらでも広がりそうなテーマ。備忘録として、気になる演目をいくつか(プログラムは今後変更の可能性あり)。
●5月4日。ホールAの遅い時間帯にラヴェルのボレロ(ピアノ&オーケストラ版)というのがあるのはなに? 小曽根真とロフェ指揮ロワール管弦楽団。ピエルロ&リチェルカール・コンソートはパッサカリア、シャコンヌ、フォリアなどの舞曲プロ。ピアノではネルソン・ゲルナーがアルベニスの「イベリア」から3曲、ルイス・フェルナンド・ペレスがファリャ。この日以外のプログラムでもいいが、なにかを聴ければ。
●5月5日。ホールAで井上道義指揮シンフォニア・ヴァルソヴィアでグラスの2つのティンパニとオーケストラのための幻想的協奏曲。しかし同じ時間帯の裏番組で、マタン・ポラトとアルデオ四重奏団らによるショーソンのヴァイオリン、ピアノ、弦楽四重奏のためのコンセールが重なっている。どうしたものか。マタン・ポラトのピアノはどこかで一公演は聴きたい。この日のルイス・フェルナンド・ペレスはグラナドス。ベレゾフスキーとギンジンという大男ピアノ・デュオで、ケージの2台プリペアド・ピアノのための3つのダンス。そんなのやるんだ。これも裏番組でヴォロディン&小曽根真のデュオがあるのだが。というか、ペレスも重なっていて悩む。プソフォス四重奏団のシマノフスキの弦楽四重奏曲第2番+ジョン・アダムズ「舞曲についてのジョンの書」抜粋というのも目をひくが、これはG409なので席数が少ない。
●5月6日。オネゲルのオラトリオ「ダヴィデ王」。今のところ今回のハイライトはここか。ロイス指揮でシンフォニア・ヴァルソヴィアのメンバーとローザンヌ声楽アンサンブル他。あとはベレゾフスキーとリス指揮ウラル・フィルでハチャトゥリアンのピアノ協奏曲他。タン・ドゥン、ヴィクトロワとの組合せで、なんというか、お得感あり。
●期待以上にいい感じのプログラムになっている気がする。テンション上がってきた。

February 15, 2017

DAZNを体験する (2)

●昨日はラ・フォル・ジュルネ2017の記者会見の日。例年なら会見の模様をここでお伝えするところなんだけど、今年は同時刻にANAの機内オーディオプログラムの収録(パーソナリティは松尾依里佳さん。オススメ)が先に入っていたため参加できず。うーむ、残念。公演内容や聴きどころなどはすでに公式サイトにあがっているので、音楽祭の全体像はそちらを見ながら把握すればよいとして、質疑応答の様子だけでもだれかこそっと教えて!
●で、一昨日の「DAZNを体験する (1)」の続き。PCのモニターでサッカーを見る分には便利だが、テレビにHDMIケーブル経由で出力するのは画質的に厳しいなというのがひとまずの感触。改めて感じるのは、静止画やゆっくり動く映像はとても美しいのに、素早く動いている映像はぼやけていてなにがなんだかわからんな、ということ。これは動画圧縮技術の宿命なんだろうか。でも、スポーツ中継っておおむね素早く動いているときに肝心なことが起きているんすよね。希望的観測として、人間の目のほうが慣れて対応できるんじゃないか、ってのはある。情報の欠損を脳が補う、みたいなサッカー観戦者進化論。見える、見えるぞ、オレにはクリスチャーノ・ロナウドの超高速で蹴り出される右足太腿の筋肉の盛り上がりが、くっきりと!
●あと、欲しいのは見逃し配信での「早送り機能」だ。30秒の「巻き戻し」(死語?)機能はあるけど、早送りはない。早送りがほしい。サッカーの見方としては邪道なんだろうけど、アウト・オブ・プレイの時間をなるべくすっ飛ばしたいと思ってしまうので。
●もうひとつ顕在化したのが無線LANの問題。光回線だしおおむね無線でもスピードは十分以上に出ているんだけど、ときどき極端に速度が低下したり、ひどい場合は止まったりする。これは近隣の電波との干渉のせいじゃないだろうか。チャンネルごとにどれだけ電波が飛んでいるか、アプリで確認すると、2.4GHz帯の1~13チャンネルにすさまじい数の電波が密集している。本質的な解決策としては5GHz帯を使うべきなのだろうが、ノートPC側が対応していないのだなあ。これはDAZNの問題じゃなくてこっち側の問題なんだけど、人口密集地域ではそうなりがちかも。工夫の余地があるのかどうか、目下の課題。
●日本語中継そのもののクォリティはテレビと同等でこちらは無問題。アナウンサーも解説者もいて、きちんとしている。
●任意の場所でメンバー表を出す機能があったらうれしい。

February 14, 2017

今年のグラミー賞

●ニュースを見てたら、内田光子グラミー賞受賞という見出しが目に入った。あ、そういえば以前、小澤征爾受賞のときもニュースになったっけ。いつの間にグラミー賞のクラシック部門がニュースになるようになったんだろう。自分の記憶では、以前は業界内でも話題にならず、「グラミー賞にクラシック部門ってあるの? ていうか、グラミー賞ってなんの賞?」くらいの感じだったと思うんだけど。でも、おめでたいことではあるし、クラシックのアルバムが一般向けのニュースに載るんだから、ありがたいことと喜ぶべきか。受賞アルバムはDECCAのドロテア・レシュマンが歌うシューマン&ベルクの歌曲集。ジャケット写真の歌手とピアニストの位置関係が絶妙。
●で、そもそもグラミー賞ってどんな賞なのか、さっぱりわからないので公式サイトに行って、WINNERSと書かれたページを見て驚いた。す、すごい、これは。1. Record Of The Year に始まって、その後、5. Best Pop Solo Performance とか 6.Best Pop Duo/Group Performance とか延々と各部門の発表が続くんだけど、部門数が細分化されていてとてつもなく数が多い。ページをうんと下にスクロールしてもクラシック部門が出てこない。13.Best Metal Performance、14. Best Rock Song、15.Best Rock Album、16.Best Alternative Music Album……(まあ、この辺よりクラシックが下なのはしょうがない)……35.Best Latin Jazz Album、36.Best Gospel Performance/Song、37.Best Contemporary Christian Music Performance/Song……(おいおい、まだ出てこないぞ。それにしても音楽ジャンルが細分化されているのだなあ)……55.Best Children's Album、56.Best Spoken Word Album (Includes Poetry, Audio Books & Storytelling)、57.Best Comedy Album(おいおい、そんなのよりクラシックは下なのかよっ!)……67.Best Album Notes(なんだその賞は)……68. Best Historical Album(クラシックかと思ったら違うよっ!)……73.Best Engineered Album, Classical。やったー、来たよ、クラシックが。でもなんでBest Engineeredが最初に来るのよ。75.Best Orchestral Performance。はい、出ました。アンドリス・ネルソンス指揮ボストン交響楽団によるショスタコーヴィチの交響曲第5番、第8番、第9番(ドイツグラモフォン)。件のドロテア・レシュマン&内田光子のシューマン&ベルクは 80.Best Classical Solo Vocal Albumに挙がっていた。
●やっと75番目の部門賞でようやくクラシックのアルバムを発見したわけだが、なんだかこれって悔しいぞ。Best Children's AlbumとかBest Comedy Albumとかより注目度は低いの? ぜんっぜんこの賞の仕組みがわかってないんだけど、1.Record Of The Yearにクラシックのアルバムが選ばれる可能性はゼロなの? シューマン&ベルクの歌曲集がアデルっていう人を差し置いて全世界を席巻することはないわけ? あ、そこの方、笑わないで。本当は知ってる、ないって。ワタシは縦スクロールすることに疲れただけ。

February 13, 2017

DAZNを体験する (1)

●Jリーグ開幕が近づいてきたので、ようやくDAZNの無料体験に申し込んだ。いよいよスポーツ中継はテレビ放送ではなくネット配信で見る時代が到来……なのか。「国内外年間6000以上の主要スポーツの試合映像が見放題」とうたわれているだけあって、コンテンツは豊富。サッカー以外にもバレーボール、テニス、モータースポーツ、バスケットボール、アメフト、さらにはダーツやスヌーカーまである。試しにアイスホッケーと自転車競技の試合を適当に再生してみたら、英語中継だった……。さすがにそうなるか。サッカーの主要リーグは日本語中継になっている。
●サッカーはJ1、J2、J3ぜんぶ中継されるというが、海外リーグは見れる(ら抜き)ところと見れないところがある。リーグ戦で取り扱っているのは、ドイツのブンデスリーガ、イタリアのセリエA、フランスのリーグアン、オーストラリアのAリーグ、ベルギー・プロリーグ、スコットランドのプレミアリーグあたり。で、カップ戦だとイングランドのFAカップやスペインのコパデルレイなんかも入っている。つまり、イングランドやスペインのリーグ戦はない(そっちを見たい人はスポナビライブへ)。いちばん人気の二大リーグがないのが惜しいといえば惜しいのだが(もちろんチャンピオンズリーグもない)、Jリーグはここにしかないし、日本人選手が多数活躍しているブンデスリーガもあるわけで、日本のサッカー・ファンにとっては魅力的なラインナップともいえる。マルセイユの酒井とかヘントの久保も見れるんだし!(微妙?)。もちろんライブでなくても、見逃し配信でオンデマンドで見ることが可能。
●で、あれこれチラ見して、ひとまず頭を抱えているのは、ずばり、画質。デスクトップPCやノートPCで見る分には十分に高画質なんだけど、ノートPCからHDMIケーブルでテレビにつなげてみると画質が低いと感じてしまう。一昔前だったらこれくらいでも許せたのかもしれないけど、現在のテレビ放送の水準にはまったく及ばない。うーん、こうして考えるとテレビって偉大だ。ダウンロードもなんにもしてないのに、あんなに高画質の映像が瞬時に映るなんて!
●で、自分のなかではHDMIケーブルでPCからテレビに出力するのは「ない」と結論が出た。見るのならPCで見る。PCの小さな画面で見る分には意外とキレイとさえいえる。しかし、ホントに見るだろうか? 今さら、小さな画面で見るっていうのはどうなんだろう。先進的な技術によって後退しているみたいに見えるっていうのは、なんであれ黎明期には珍しいことではないんだろうけど……。
●結論は持ち越し。

February 10, 2017

ヴィヴァルディ派

●PCでウェブを閲覧する際に、あなたはどのブラウザを利用しているだろうか。ワタシはしばらく前までFirefox派で、今はChrome派に改宗した。心情的にはずっとFirefoxに共感を寄せてきたのだが、Chromeは便利だ。IE派も依然多いとは思うが、Windows10からはIEに代わってMicrosoft Edgeがデフォルトのブラウザになった。Edgeは今のところシンプルすぎるものの、可能性は感じている。
ヴィヴァルディ●しかし、そんなメジャーな存在に背を向けて、少数派でありたいと思う人もいるんじゃないだろうか。だったら、Vivaldi を選ぶという手もある。スマートで柔軟なブラウザとして評判を呼んでいて、サイトから受ける印象もかなりいい。というか、なにより名前だ。なんで、Vivaldiなんだろう。
●Twitterの公式アカウントに名前の由来が書かれていた。「覚えやすくて、世界中で知られている、革新的な名前を探して、Vivaldiに行きつきました。Vivaldiの音楽は当時とても革新的だとされていたんですね。革新的なブラウザを作っていきたいという思いが詰まってます」。おお、やっぱりそうなんだ! ダウンロード、してみる?

February 9, 2017

新国立劇場「蝶々夫人」

●先日の金沢での笈田ヨシ演出「蝶々夫人」に続いて、8日は新国立劇場で「蝶々夫人」。勝手に「蝶々夫人」祭り絶賛開催中。こちらは何度も再演されている栗山民也演出。指揮はフィリップ・オーギャン。短期間に異なるプロダクションで「蝶々夫人」を目にすることになったわけだが、演出と指揮が対照的なアプローチだったので、とても同じ演目を観たとは思えないくらい手触りが違う。笈田ヨシ演出が現代人にとって共感可能なリアルな蝶々さんとピンカートンを描いていたのに対し、こちらは伝統的で様式化された「蝶々夫人」とでもいうか。舞台上にドンと大階段を設置し、大空間なのに簡素な舞台でずいぶんそっけなく壁面が広がっているなと思ったら、要所で登場人物の影を壁面に映し出す趣向になっている。オーギャンの指揮はプッチーニの音楽の持つ甘美さをたっぷりと伝えるもの。金沢でのバルケのきびきびとしたシャープなプッチーニとは好対照。ピットには東京交響楽団。
●で、今回は題名役が安藤赴美子さん。日本人歌手が主役を歌う貴重な機会だったわけだけど、蝶々夫人の少女っぽい初々しさや信念の強さが、みずみずしい声から伝わってくる。舞台姿も美しく、納得の蝶々さん。このオペラで唯一バランスのとれた大人の役柄、シャープレス(甲斐栄次郎)が醸し出す信頼感は絶大。リッカルド・マッシ(ピンカートン)、スズキ(山下牧子)、ゴロー(松浦健)他。
●で、作品についてなんだけど、オーソドックスな舞台で観て改めて思うのは蝶々さんの不条理。純粋な愛を貫いた人物として共感を寄せることは、自分には無理。だって、幼子がいるのに自ら命を絶つんすよ?(しかも子供のすぐそばで)。いかなる自分内倫理基準に照らしても受け入れられない結末。坊やのために、ヤマドリに助けを求めることはできないものか。いや、でもヤマドリは最低の男かもしれん。しかしヤマドリが無理なら第2ヤマドリ、第3ヤマドリを探せないのか。3年間もただ待つだけってのを「信じてる」とするなら、この人のなかではピンカートンはなにをしていることになっていたのか。手紙も来ないんすよ。もうこっちから捨ててやるくらいのことを言っていい。一念発起して「美人教師蝶々さんが教える英会話教室」とか開いたら商売繁盛したんじゃないか。など、余計な雑念がどんどん入ってくる。
●ピンカートンがただの邪悪な存在だと、このオペラはおもしろくない。彼は凡庸なだけ。むしろ「悪」という信念を欠いているのがピンカートンの弱さ。

February 8, 2017

ロナルド・ブラウティハムのモーツァルト&ベートーヴェン

●7日はトッパンホールでロナルド・ブラウティハムのリサイタル。フォルテピアノはアントン・ヴァルター1800年頃モデル、ポール・マクナルティ2002年作。前半がモーツァルトでピアノ・ソナタ第5番ト長調K283、ロンド イ短調K511、ピアノ・ソナタ第12番ヘ長調K332、後半がベートーヴェンでピアノ・ソナタ第8番ハ短調「悲愴」、第18番変ホ長調、第17番ニ短調「テンペスト」。セルフ譜めくり。
●モーツァルトは両ソナタの対照的なキャラクターが印象的。ソナタ第5番は牧歌的というか、晴朗さをベースとしながらも、どこか糸の切れた凧のような気まぐれさが吉。第2楽章の空虚で漂うような雰囲気とか。一方、第12番の魅力はニューロティックなテイストだと思う。第1楽章冒頭とか第3楽章冒頭とかの落ち着かない感じが楽しい。しかしブラウティハムの演奏は節度があって、むしろ端整。
●後半のベートーヴェンはぐっと音楽のスケールが拡大する。音域ごとの音色の多彩さ、ニュアンスの豊かさ、「テンペスト」のペダル効果やレチタティーヴォ風のブツブツつぶやく独り言(?)等もりだくさんだが、いちばん楽しかったのは第18番終楽章の終楽章かな。この曲の悪ノリ気味の酔っぱらいみたいな弾けっぷりはベートーヴェンの真骨頂って気がする。アンコールは「エリーゼのために」。本編からすると、ずいぶんと情感豊かな演奏。
●フォルテピアノでのベートーヴェン、音楽的なスケールは大きい一方、物理的な音量は(普段同じ場所で耳にするものに比べて)小さい。目下のところ、この認知的不協和がマイ課題。

February 7, 2017

「奇跡なす者たち」 (ジャック・ヴァンス著/国書刊行会 未来の文学)

●先日読んだジャック・ヴァンスの「宇宙探偵マグナス・リドルフ」が楽しすぎたので、読みそびれていた「奇跡なす者たち」(国書刊行会)をようやくゲット。こちらは短篇集なのだが、もうなんといったらいいのか、絢爛たる異世界描写にくらくらする。ヴァンスは出来不出来がそこそこ大きい作家だと思うが、最高到達点の高さは尋常ではなく、特にこの本では「月の蛾」(1961)と表題作「奇跡なす者たち」(1958)が突き抜けた傑作だと思う。歴史的名作といってもいい。
●音楽ファンにとりわけオススメなのは「月の蛾」。登場する架空の楽器群がもたらすイメージの豊饒さと来たら。舞台となるのは独自の文化を発展させた異世界で、人々はみな種々の小型楽器を携帯し、会話の際には必ずこれらの楽器による伴奏を添えることと定められている。どの楽器を選び、どんな調子で演奏するかは相手と自分との関係性や状況によって厳密に決まるものであり、この星に赴任してきたばかりの主人公のような外星人にとってはきわめてハードルが高い。しかもこの星では、人前に姿を見せるときは必ず仮面を付けなければならない。素顔を見せるのは恥辱とされるのだ。仮面にはそれぞれに意味があり、付ける者の位を暗示する。仮面や楽器の選択を誤って礼を失すれば命を落としかねないというほど、ハイコンテクストな文化が育まれている。文化人類学ならぬ文化異類学的な設定の妙はヴァンスならでは。おまけに幕切れが実に鮮やか。この短篇は以前、別のアンソロジーで読んだことがあるのだが、今回再読して改めてその巧妙さに唸らされた。
●「奇跡なす者たち」も抜群のおもしろさ。孤立した異世界もので、舞台設定にだけ触れると、この星では呪術が高度に発展しており、戦ではいかに卓越した呪術師を自軍に擁するかが勝敗を分ける。一方、科学やテクノロジーはすっかり退潮し、太古の昔のものとされている。この世界では呪術とは論理的で実証可能な現実であり、科学というのは理論を欠いたいかがわしい秘術とみなされているという逆転の設定が秀逸。
●ヴァンスはもう少し読んでみよう。

February 6, 2017

BCJのベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」

●3日は東京オペラシティでバッハ・コレギウム・ジャパンのベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」。記念碑的名演っていう言葉はこういう日のためにあるのかなと思った。作品の破天荒な巨大さ、内在するエネルギーの大きさ、情熱と共感の豊かさがひしひしと伝わってくるような特別な公演。いつにもまして精妙で、力強い。合唱もすごい。ソプラノにアン=ヘレン・モーエン、アルトにロクサーナ・コンスタンティネスク、テノールにジェイムズ・ギルクリスト、バスにベンジャミン・ベヴァン。コンサートマスターは寺神戸亮さんでベネディクトゥスの綿々と続くソロは立奏。しみじみ聴き入る。オーケストラのメンバーを見ると、トロンボーンに南西ドイツ放送交響楽団の清水真弓さんの名も。客席はびっしりと満員。これで一回だけの演奏会とはもったいないとも思うが、先に録音をしてから本番に臨んだ模様。休憩なしで濃密。
●「ミサ・ソレムニス」の好きなところベスト3を選ぶとしたら? まずはキリエで冒頭から合唱が登場するまでのドラマティックな展開、グロリアは爆発的な冒頭からずっとカッコいいけど、やっぱりフーガの眩暈がするような高揚感か。終結部の畳みかけるような迫力は尋常じゃない。クレドは冒頭主題がベートーヴェンならではダサカッコよさで、後半のテンションの高さがすさまじい。ベネディクトゥスの清澄さもマストだけど、アニュス・デイの後半、一瞬このまま安らかに終わるのかなと思ったらトランペットが鳴りだして不穏な空気が流れて、最後にはふたたび平和が訪れるという展開もいい。あ、3つになってないか。

February 3, 2017

ベルリン・フィル八重奏団のシューベルト

●31日は東京オペラシティでベルリン・フィル八重奏団。メンバーが超強力。樫本大進、ロマーノ・トマシーニ(ヴァイオリン)、アミハイ・グロス(ヴィオラ)、クリストフ・イゲルブリンク(チェロ)、エスコ・ライネ(コントラバス)、ヴェンツェル・フックス(クラリネット)、シュテファン・ドール(ホルン)、モル・ビロン(ファゴット)。まさに極小ベルリン・フィルといった洗練されたアンサンブル。この団体、フルトヴェングラー時代からあって80年以上も続いているそうなんだけど、プログラムに載っていた樫本大進インタビューによれば「公演数は年間で片手に収まるくらい」なんだとか。メンバー全員のスケジュールを合わせるのが大変で、日本はかなり前から日程が決まるので唯一ツアーが可能になっているそう。2011年に来日した際に今回と同じシューベルトの八重奏曲を聴いたが、そのときからはメンバーが刷新されている。
●で、曲はニールセンの「軽快なセレナード」(甲斐なきセレナード)、ドヴォルザーク(シェーファー編)の5つのバガテルOp47(八重奏版)、シューベルトの八重奏曲ヘ長調D803。シューベルトの八重奏曲は「ベートーヴェンの七重奏曲のような作品を書いてほしい」という依頼にこたえて書かれたということで、ベートーヴェンにヴァイオリン1が加わった編成。編成や楽章構成などベートーヴェンの七重奏曲と似た雰囲気で気軽な室内楽のような構えを見せつつも、中身はもっとシンフォニックで、あと一歩で交響曲というところまで迫っている。
●この曲を聴くとベートーヴェンの交響曲第7番を連想する。八重奏曲第1楽章の序奏は交響曲第7番の第2楽章に似ているし、八重奏曲第3楽章のスケルツォ部分の執拗に反復されるリズムは交響曲第7番の第1楽章主部を、八重奏曲終楽章の序奏は交響曲第7番第3楽章のトリオを思わせる。でも聴き終えたときの感触は「グレート」みたいな「天国的な長さ」、つまり、尽きることのない喜びのほうなんだけど。

February 1, 2017

爺写真密度について

●CD棚の整理をしていて、あれこれとジャケットを眺めていると、改めてウチの棚には爺の写真が多いと思う。どんなマニアなのかと思うくらい大勢の爺がそこに。もし単位体積あたりの爺写真密度を算出するとすれば(単位は爺/㎥)、クラシック音楽愛好家のCD棚はおおむね一般家庭における最高水準の密度になるんじゃないだろうか。
●とはいえ、すべての棚で高い爺密度を記録しているわけではない。やはりオーケストラ曲の数値が断然高く、次にピアノ曲が高そう。逆にオペラの棚はかなり数値が低い。作曲家別配置で見れば、ブルックナーのエリアの爺密度が驚異的に高くなっている。次点はベートーヴェンだろうか。バッハは微妙なところで、例の有名な肖像画も爺写真にカウントするとすればそこそこ行くかもしれない。あのバッハは何歳なのだろうか?
●一方、バッハを別として、バロック音楽以前は急激に爺密度が下がるような感触がある。これを簡単に可視化する方法がないかなーと思ったんだが、Google画像検索は代替手段として使えるかもしれない。

ブルックナー Bruckner CD
バッハ Bach CD
ラモー Rameau CD

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