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2017年11月アーカイブ

November 30, 2017

モーム「月と六ペンス」のふたつの新訳

●翻訳小説における「古典の新訳」は、クラシック音楽ファンにとってはすんなりと腑に落ちるものだと思う。同じ名曲を異なる解釈でなんども演奏し、同じオペラを異なる視点からなんども演出するように、古典とは絶えず刷新することで永続的な価値を持ち続けるものという考え方になじんでいる。日本語も絶えず変化する。現代日本語に翻訳された小説は、ある意味で今の小説に生まれ変わるわけだ。
●で、モームの名作「月と六ペンス」の新訳がたまたま2種類ウチにあったので、お気に入りの場所を比べてみる。ひとつは新潮文庫の金原瑞人訳、もうひとつは光文社古典新訳文庫の土屋正雄訳。どちらもとても読みやすいと評判の翻訳。原著は1919年の作。シュトラウスの「影のない女」が初演され、エルガーがチェロ協奏曲を書き、ラヴェルが「ラ・ヴァルス」に取り組んだ年だ。
●あらすじも紹介しておこう。画家ゴーギャンをモデルとした登場人物ストリックランドは、ロンドンで株式仲買人として平凡だが不自由のない暮らしを送っていた。そんな冴えない男が、40歳を過ぎて突如として家庭も仕事も捨ててパリへ出奔する。だれも予想しなかったことにストリックランドは絵を描くことに憑りつかれてしまい、世間の因習とは一切無縁の、狂人とも聖人とも思えるような暮らしを送っていたのだ。絵画へのほとんど本能的な欲望に突き動かされ、あらゆる人間関係を平気で踏みにじるストリックランド。彼はやがてタヒチへと渡る。ストリックランドは名声とは無縁のまま、現地人の妻を娶り、孤独な小さなコミュニティで絵を描き続ける……。物語はストリックランドを追い続ける新進作家である「わたし」の一人称で書かれている。
●まずは書き出しから。

金原訳:

 正直いって、はじめて会ったときは、チャールズ・ストリックランドが特別な人間だなどとは思いもしなかった。いまでは、ストリックランドの価値を認めない人間はいない。価値といっても、偶然の幸運に恵まれた政治家や、栄光を手にした軍人のそれではない。

土屋訳:

 いまでは、チャールズ・ストリックランドの偉大さを否定する人などまずいない。だが、白状すると、私はストリックランドと初めて出会ったとき、この男にどこか普通人と違うところがあるとは少しも思わなかった。
 私はいま「偉大さ」と言った。それは、幸運な政治家や出世した軍人の偉さとは違う。

最初の一文目と二文目の順序が両訳で異なっている。検索してみると、原文は金原訳の順序になっている。原文では最初のパラグラフがかなり長く、金原訳もそれに対応して長い一段落がそのまま続くが、土屋訳ではいきなり3文目で段落を改めて、さらに「私はいま『偉大さ』と言った」と文章を短く切って、文章に起伏をもたらしているのが特徴的。両者とも「いま」は平仮名に開くが、「はじめて」は金原訳は開き、土屋訳は「初めて」と漢字を使っている。

●序盤で「わたし」による作家稼業についてのなかなか味わい部分が独白があるのだが(モーム自身の声だろうか)、そこから短い一文を拾ってみる。

金原訳:

わたしが得た教訓はこれだ。作家の喜びは、書くという行為そのものにあり、書くことで心の重荷をおろすことにある。ほかには、なにも期待してはいけない。称賛も批判も、成功も不成功も、気にしてはいけない。

土屋訳:

とすれば、ここから得られる教訓は一つだ。作家たる者は、創作の喜びと思索の重圧からの解放にのみ報酬を求めるべきであって、評判の良し悪しや売行きの多寡には無関心でいなければならない。

この部分は先ほどの場所とは逆で、金原訳のほうが文章を短く切っている(原文は確認していない)。さすが名訳というか、どちらも実にこなれた日本語でスムーズに読めるうえに、しっかりと読む人の心に引っ掛かりを残す。ここを見ると、カズオ・イシグロの翻訳などで「平たい」と思っていた土屋訳よりも、金原訳のほうがさらにいっそう「平たい」と感じる。ちなみに金原訳は「わたし」だが、土屋訳は(ここでは出てこないが)「私」。

●終盤で、痛ましい事件の後で「わたし」がストリックランドに会った場面から。

金原訳:

作品における悪党は、いうまでもなく当然、作者にとって魅力的な存在だが、法や秩序とはとても相いれない。シェイクスピアはきっと、イアーゴを書きながら心がふるえるほどの喜びを覚えたことだろう。月光と空想を編み合わせてデズデモーナを創ったときには、そんな喜びとは無縁だったはずだ。

土屋訳:

悪党を作り出す作家は、その性格の論理的で完璧であるところに惹かれる。その惹かれ方は、法と秩序の側からすれば懲罰ものだろう。シェイクスピアはイアーゴを創造した。きっと飛び上がるほど嬉しかったと思う。少なくとも、月の光から気まぐれにデズデモーナを織り成したときにはない喜びだったろう。

ここはかなり訳し方が異なる部分。ワタシは金原訳のほうがスムーズに読めるんだけど、土屋訳の味も捨てがたい。金原訳が「月光と空想を編み合わせてデズデモーナを創った」とするところを、土屋訳は「月の光から気まぐれにデズデモーナを織り成した」とする。なお、この直後に金原訳では訳注で「オセロ」についての説明を添えている。土屋訳には訳注入らず。

●全体のページ数を比べてみると、解説等を除いた正味で金原訳は365ページ、土屋訳は392ページ。ただし文字組が微妙に異なる。1行当たりの文字数はどちらも同じなのだが、実は行間が金原訳の新潮文庫版のほうがやや狭く、ページあたり1行多くなっている。それを加味すると、おそらく原稿枚数ではほぼ同じくらいになりそう。本として薄い分、新潮文庫のほうに価格優位と携帯性の高さがある……ってこれは翻訳とは関係ないか。
●という比較、CDの名曲異演の聴き比べにかなり似てる、ノリとして。

November 29, 2017

エマニュエル・パユ SOLO

●28日は東京オペラシティでエマニュエル・パユの「SOLO」と題された無伴奏フルートのリサイタル。ベルリン・フィルは帰国してしまったが、パユはまだ日本でソロ活動が残っている(一方、樫本大進はフィリップ・ジョルダン指揮ウィーン交響楽団来日公演にソリストとして出演。居残り組っていうとヘンか)。大ホールで無伴奏フルートのリサイタルが成立するというのも十分すごいのだが、なんと休憩なし。短いプログラムなのかなと思いきやそうでもなくて、アンコールが終わって20時40分だったから、20分の休憩を入れれば普通の長さのコンサートになっていた。それでも休憩なしで一気に吹き切るパユ。全体をひとつの大きな作品のように聴いてほしい、という意図なんだろうか。客席はしっかり埋まっていてさすがの人気。
●で、無伴奏なので現代作品メインに古楽成分少々といったプログラム。武満徹の「声」(ヴォイス)、マラン・マレ「スペインのフォリア」、ピンチャーのBeyond (A System of Passing)、フェルーの3つの小品、ヴィトマンの小組曲、C.P.E.バッハの無伴奏フルート・ソナタ イ短調、武満徹の「エア」。武満で始まり武満で終わるのは、このホールが「タケミツ メモリアル」だから。マレはヴィオールではおなじみの曲だけど、無伴奏フルートでも演奏できるとは。官能性よりも清冽さが前面に出る感。ピンチャーは強烈にモダンな曲。特殊奏法の連続で、鋭い楔を打ち込むように激しく息を吹き込みながら、目まぐるしい勢いで突進する。激辛。フェルーは20世紀前半の民謡風、東洋風の歌の音楽。ヴィトマンの小組曲はその名の通りにアルマンド、ラメント、サラバンドの3曲からなる擬古的な装いを持つ。ヴィトマンからC.P.E.バッハにつなぐ流れがおもしろい。C.P.E.バッハで調性音楽に戻ってほっとするというんじゃなくて、むしろその独自性が際立ち、また新たに見知らぬ光景に出会ったような気分にさせてくれる。
●アンコールにヴァレーズの「密度21.5」、そしてドビュッシー「シランクス」という、無伴奏フルートならこれという2曲。帰り道のアンコール曲掲示板を見て「21.5ってなに?」と話している声が聞こえてきた。えーと、プラチナの密度なんだっけ。パユのフルートはなにでできているんだろう。(パユは違ってたけど)もし木製のフルートだったら密度はせいぜい1前後くらいだろうか。世界のどこかにフラウト・トラヴェルソのための Density 0.9 みたいな曲を書いている人がいるにちがいない。

November 28, 2017

サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィル

記者会見の翌日、23日はミューザ川崎でサイモン・ラトル指揮ベルリン・フィル。このコンビ最後の来日ということもさることながら、やはりベルリン・フィルを聴けるというのは特別な体験。ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」(1947年版)、チン・ウンスクの「コロス・コルドン」(委嘱作品、2017年ベルリンで初演)、ラフマニノフの交響曲第3番というプログラム。前半から「ペトルーシュカ」というごちそう感が半端ない。鮮やかで切れ味鋭いストラヴィンスキー。チン・ウンスク作品は色彩感豊かな10分強ほどの小曲。ラフマニノフの第3番もベルリン・フィルのようなウルトラ・ヴィルトゥオーゾ集団が演奏すると土臭さはすっかり洗い落とされ、洗練された音響彫刻のよう。世界に超一流と呼ばれるオーケストラはいくつかあるけど、そのなかでもベルリン・フィルだけは別次元のうまさという気がする。驚異的な解像度、緻密さ。弦楽器は各パートがまるでひとつの楽器みたいな緊密さで鳴っていて、あたかも巨大な弦楽四重奏(いや五重奏か)。一方で管楽器のソロはオレがオレがの超絶腕自慢大会。視線や体を動かしたりしながら演奏中のコミュニケーションもすごく盛んで、特にフルートのパユとオーボエのマイヤーのノリノリの掛け合いは視覚的にも楽しませてくれる。あ、ついでに主要首席奏者をメモっておくと、クラリネットはフックス、ホルンはドール、トランペットはヴァレンツァイ(「ペトルーシュカ」でのソロは怪物)、ティンパニはゼーガース、コンサートマスターは樫本大進、その隣にやはり第一コンサートマスターであるノア・ベンディックス=バルグリー。
●ラフマニノフのキレキレのフィナーレの後、盛大な拍手のなかでカーテンコール。ラトルがメッセージを述べ、最高の聴衆、そして最高のコンサートホールとミューザ川崎を讃えて、アンコールへ。プッチーニの「マノン・レスコー」間奏曲。これがもうエグいほどエモーショナルな演奏で、ベルリン・フィルが全力で弦楽器を鳴らし切っている姿に震撼。ラトルのソロ・カーテンコールあり。これが最後ということもあってか、いつにもまして客席前方に集まる人が多く、何人かは舞台上のラトルと握手することに成功。スターだ。
●なお、この日と同プログラムのアジアツアーでの別公演がデジタルコンサートホールで公開されている。
●ラトルがベルリン・フィルの首席指揮者に就任したのは2002年のこと。ラトルといえばベルリン・フィル、ベルリン・フィルといえばラトル。もう自分にはラトルとベルリン・フィルの音楽のつなぎ目がすっかり見えなくなっている。これからそれぞれに新しい門出が待っているわけだけど、どうなることかとワクワクせずにはいられない。

November 27, 2017

「マンガで教養 はじめてのクラシック CD付」(監修:飯尾洋一、マンガ:IKE/朝日新聞出版)

マンガで教養 はじめてのクラシック CD付●お知らせを。朝日新聞出版の「マンガで教養」シリーズの一冊として、拙監修による「はじめてのクラシック」を刊行。マンガとイラストは「運命と呼ばないで ベートーヴェン4コマ劇場」(NAXOS)でもおなじみのIKEさん。IKEさんとは以前に大阪のいずみホール音楽情報誌Jupiterでの連載でもコンビを組ませていただいた。画力の高さに加えて、ご自身が熱心なクラシック音楽ファンであるIKEさんだからこそ可能になった一冊。執筆陣にはワタシのほか、飯田有抄さん、長井進之介さんの心強いおふたりにもご参加いただいた。感謝。
●CD付きで音源はNAXOSさんの提供。よくばって約30曲の聴きどころを収録した「音のカタログ」風の作り。好きな曲を見つけるには、さわりだけでも実際に聴いてもらうのが一番。複数音源のある曲については音源の選択から関わった。
●この「マンガで教養」シリーズ、これまでに刊行されているのが「やさしい落語」「やさしい歌舞伎」「やさしい仏像」「やさしいワイン」といったラインナップ。企画段階でこれらの既刊本を手にして、なるほど「興味はうっすらあるけど、自分にはその分野の常識がなくて手掛かりがない、なんだか不安である」といった人の背中を押すための本なのだなと解して、取り組んだ。マンガに加えて写真、イラスト、図表が多数活用されて編集部は粉骨砕身の一冊。売れますように!

November 24, 2017

サイモン・ラトル&ベルリン・フィル来日公演記者会見

ベルリン・フィル来日公演2017記者会見
●いよいよサイモン・ラトル&ベルリン・フィルが来日中。公演に先立って22日、記者会見が開かれた。普通の記者会見とは違って長い3部構成になっていたので、ここに書き留めておこう。
●まず、最初に来日公演についての記者会見ということで、サイモン・ラトル、オーケストラのインテンダントであるアンドレア・ツィーツシュマン(写真右)、オーケストラ代表としてチェロ奏者のクヌート・ウェーバー(左)が登壇。ラトル「日本に来るとツアーに来ていることを忘れてしまう。みなさまの温かさは格別。私とベルリン・フィルとともに来日するのは今回が最後になる。プログラムにはなにか新しいことを提供できないかと考えた。最後の2シーズンで短い新曲を15曲委嘱して、自分たちはこれを『タパス』のシリーズと呼んでいた。そこからチン・ウンスクの作品を今回のツアーのプログラムに選んだ。彼女は韓国の作曲家だがベルリン在住でありベルリンの作曲家といってもいい。それから、このオーケストラでなにが聴きたいだろうかと考えて、ブラームスの交響曲第4番をまっさきに思いついた。この曲は私のキャリアのなかでも特に大切な曲。ストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ』は『春の祭典』や『火の鳥』に比べると近年のベルリン・フィルではあまり演奏されていないので、私自身へのご褒美として選んだ」
サイモン・ラトル/ベルリン・フィル来日公演2017記者会見
●質疑応答で、「かつて、ベルリン・フィルの指揮台に立つのはお腹を空かせた虎の檻に入るようなものとたとえていたが、今ではどう感じているか」との質問に対して、ラトル「今だってベルリン・フィルはお腹を空かせた虎のような存在。ずっとそうであってほしい。触るとやけどをするようなオーケストラだ。彼らのうち、だれひとり自分の仕事だから演奏している人はいない。みんな自分が演奏しなかったら世界が終わると思って演奏している」
ベルリン・フィル・メディア記者会見2017
●第1部の記者会見が終わった後、第2部として今度はベルリン・フィル・メディアの会見に。こちらはベルリン・フィル・メディア取締役のロベルト・ツィンマーマン(左)とソロ・チェロ奏者のオラフ・マニンガーが登壇。ストリーミングパートナーにIIJ、テクノロジー・パートナーにパナソニックを得たことと、日本市場の重要性について語り、さらに4Kの高画質映像のデモンストレーションが行われた。すでに音声のハイレゾについては従来よりベルリン・フィルは積極的に取り組んでおり、当欄でも何度かご紹介しているが、映像についてもクォリティが追求されている。また、ベルリン・フィル・レコーディングとして最新タイトル「ジョン・アダムズ・エディション」が発売され、こちらの紹介も行われた。ラトル、キリル・ペトレンコ、ドゥダメル、ギルバート、アダムズ自身と5人の指揮者によるジョン・アダムズの作品集で、演奏自体はこれまでDCHでも配信されている。これが今回もCD、ブルーレイビデオ、ハイレゾ音源ダウンロード用コード、ジョン・アダムズのドキュメンタリー映像などがセットになって豪華パッケージでリリースされた。
●第2部が終わった後、プレス陣は二手に分かれることになり、この後に続くベルリン・フィル団員による学校アウトリーチ活動を取材したい人は学校行きのバスに乗り、ジョン・アダムズのドキュメンタリー映像を見たい人はその場で上映会に参加するという流れに。ワタシは映像を見せてもらうことにした。このドキュメンタリーも「ジョン・アダムズ・エディション」も十分興味深い内容なので、これはまた改めて。
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●おまけでベルリン・フィルとは関係ない宣伝を。ワタシがナビゲーターを務めるFM PORTの番組「クラシック ホワイエ」(毎週土曜22:00-23:00)、明日の回はカズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞を勝手に祝う特集ということで、カズオ・イシグロ作品のなかに登場する音楽や作曲家、あるいは小説内世界にぴったりの曲を(やや強引に)紹介するという内容で、おしゃべりしている。新潟県外の方は要ラジコプレミアムだが、会員の方はぜひお聴きいただければ。タイムフリーというサービスが始まって、放送終了後一週間はオンデマンドで聴けるようになった。便利。

November 22, 2017

METライブビューイング「ノルマ」新演出

METライブビューイングの2017/18シーズンが開幕。シーズン最初の作品はベッリーニの「ノルマ」。デイヴィッド・マクヴィカーの新演出で、指揮はカルロ・リッツィ。ソンドラ・ラドヴァノフスキーが題名役、ジョイス・ディドナートがアダルジーザ役初挑戦、ジョセフ・カレーヤがポッリオーネを歌う。ここ数シーズンに自分が見たMETライブビューイングのなかでは一二を争う見ごたえのある舞台だった。
●なんといっても作品が持つ力が圧倒的。イタリア・オペラで愛と憎しみのアンビバレンスについてこれほど核心を突いた作品をほかに知らない。非常に大きくて重いテーマを扱った作品なんだけど、それにふさわしい奥行きの感じられる脚本があって、緻密で詩情豊かな音楽が添えられている。これを強力な歌手陣が歌えば、悲劇が悲劇として成立する。
●オペラって、しばしば悲劇が喜劇になっちゃうじゃないすか。この「ノルマ」だって、危険なところはあるんすよ。第1幕でポッリオーネがノルマとアダルジーザに鉢合わせする場面があるじゃないすか。つまり、二股をかけていたダメ男が、相手の女性ふたりにバッタリと会ってしまい、ぜんぶバレるという最悪最低に落ち着かない場面。当然修羅場になるわけなんだけど、あの鉢合わせするところで客席から少し笑いが漏れていたと思う。ワタシも笑った。ところが、そのままだとダメ男とダメ女のドタバタ劇になりかねないのが、なんと、第2幕では崇高な愛の形を描いた重厚な悲劇になっている! ズシリと心に響く結末でありつつ、観る人がいろんな解釈ができて、さまざまな可能性について思いを巡らさずにはいられない。つまり名作。もちろん、ベッリーニの音楽が傑出しているからなんだけど。
●METって五面舞台なんすね。舞台がエレベーターみたいな感じでガーッって上にあがると、下から別の舞台が出てくるんすよ! そうやって地上の世界と地下みたいな世界(大木の根っこの中?)、巫女であるノルマと母であり女であるノルマを描き分ける。大仕掛けだけど、スペクタクルのための仕掛けではなくドラマ上の必然が感じられるのが吉。ていうか、羨望。

November 21, 2017

ダニエレ・ガッティ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

●20日はサントリーホールでダニエレ・ガッティ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団。2016年秋に新たに第7代首席指揮者に就任したガッティと同楽団のコンビがツアーに選んだ2種類のプログラムはいずれもドイツ・オーストリア系のレパートリーで組まれていた。この日は前半にベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(フランク・ペーター・ツィンマーマン)、後半にブラームスの交響曲第1番。
●この日、公演に先立って昼に開かれた記者会見はインターネットでも生中継されていた。ガッティと並んで登壇したヤン・ラース楽団事務局長によれば「楽員は25か国の出身者からなり、この数年間にメンバーの若返りも進み、優秀な若手奏者も加わっている。ソロ・ティンパニ奏者の安藤智洋さんもそのひとり」。1991年東京生まれ。この若さでコンセルトヘボウ管弦楽団のソロ・ティンパニ奏者とはすごい。この日はベートーヴェンといい、ブラームスといい、冒頭でティンパニが重要が役割を果たす曲が並んでいて、まるで凱旋公演のようだったのでは。特にブラームスでは、重い音、柔らかい音、硬質な音を細かく使い分けて存在感大。
●前半の主役はフランク・ペーター・ツィンマーマン。トゥッティの部分でも演奏に加わって、オーケストラのメンバーと盛んにコミュニケーションをとりながら、ときには思い切りアグレッシブな表現で熱量のある音楽を作り出す。つややかな音色も魅力。アンコールにバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番からアレグロ。後半のブラームスはガッティ節とでもいえばいいのか、かなり個性的なブラームス。ところどころたっぷりと念入りに歌う濃厚な表現が前面に出る一方で、全体の響きは剛健質朴とした感で、ヤンソンス時代とはずいぶんカラーが異なる。弦楽器の配置はヴァイオリンを左右に分けた対向配置で、コントバラスは上手側。前日の川崎公演のマーラーでは(ワタシは聴けなかったけど聞いた話では)コントラバスを下手に置き第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンと並べる最近大流行のマーラー時代の配置だったそう。そこまで細かく変えてどう違うのかはわからないが、ガッティのこだわりなのだろうか。ファゴットとクラリネットの配置が通常と逆なのはこのオーケストラではいつものこと。オーケストラのアンコールはなかったが、それでも終演は21時を過ぎていた。

November 20, 2017

ソヒエフ&N響のプロコフィエフ「イワン雷帝」

イワン雷帝●17日はNHKホールでトゥガン・ソヒエフ指揮NHK交響楽団によるプロコフィエフ(スタセヴィチ編)のオラトリオ「イワン雷帝」。ソヒエフとベルリン・ドイツ交響楽団の録音がソニーから出ているが、ライブではまったく聴いたことのない曲。これは貴重な機会。もともとエイゼンシテイン監督による映画「イワン雷帝」のためにプロコフィエフが書いた音楽を、作曲者の没後にアブラム・スタセヴィチがオラトリオに編曲した。東京混声合唱団(かなり大編成だったが)、東京少年少女合唱隊にメゾ・ソプラノのスヴェトラーナ・シーロヴァ、バリトンのアンドレイ・キマチが加わるという一大スペクタクル(独唱陣の出番が少なくてもったいない)。しかし、ソヒエフは大音響で圧倒しようというのではなく、響きのバランスを美しく保ちながら、ていねいに作品を彫琢するといった趣き。約70分、休憩なしでこの一曲のみだが、ボリュームは十分。
●で、今回の公演では語りとして歌舞伎俳優の片岡愛之助が起用されたのが大きな特徴。もともと映画音楽でありストーリー性はあるのだが、なじみの薄い題材だけあって曲だけ聴いていても、なかなかストンと腑に落ちない。そこに日本語の語りが入ることでイワン雷帝の人物像がはっきりと浮かび上がってくる。というか、これがもう身振り手振りも交えての思い切り芝居がかった語りで、ほとんど主役級の大活躍。この語りでずいぶん救われた気がする。エイゼンシテインが二代目市川左團次率いる一座によるソ連初の歌舞伎公演を観劇し、その影響として映画「イワン雷帝」に歌舞伎の所作を思わせるカットが多数用いられることになった、という歴史的経緯を念頭に今回歌舞伎俳優が起用されたということなのか。

November 18, 2017

東京オペラシティ B→C 周防亮介、W杯ロシア大会出場国決定

●14日は東京オペラシティのB→C(バッハからコンテンポラリーへ)で周防亮介の無伴奏ヴァイオリン・リサイタル。プログラムはシュニトケの「ア・パガニーニ」、バルトークの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ、尹伊桑の「大王の主題」、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調、イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第5番ト長調。もっとも新しい作品でも1982年のシュニトケなので「コンテンポラリー」とはいいがたいのだが、しかしこのシリアスなプログラムは魅力的。無伴奏ヴァイオリンのためのレパートリーの豊かさを痛感する。切れ味鋭く、雄弁でスケールの大きなソロ。バルトークとかイザイとか、本当にうまい。アンコールはがらっと雰囲気を変えて、タレガ(R.リッチ編曲)の「アルハンブラの思い出」。ていうか、雰囲気変わりすぎ。
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ワールドカップ2018ロシア大会の出場国がすべて決定。自分内下馬評を覆して、オーストラリアは北中米4位ホンジュラスとのプレイオフを勝ち抜いて出場権獲得。イタリア、オランダ、アメリカ、チリが敗退する一方、アジアは5カ国も出ててスマンって感じだが、でもイタリアだって仮にアジア予選を戦ったらそれほど簡単でもないんじゃないの、とも思う。

November 16, 2017

レオニダス・カヴァコス&エンリコ・パーチェ

●13日はトッパンホールでヴァイオリンのレオニダス・カヴァコスとピアノのエンリコ・パーチェ。前半にヤナーチェクのヴァイオリン・ソナタ、シューベルトの幻想曲ハ長調、後半にメシアンの「主題と変奏」、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第10番ト長調。シューベルトからメシアン、ベートーヴェンと続く「主題と変奏」プログラムという趣向。カヴァコスのヴァイオリンが最強に強まっている。恐ろしくパワフルで輝かしい音色、キレキレのテクニック、すさまじい集中力。メシアンでたっぷりとヴィブラートをかけて朗々と楽器を鳴らし切ると、ホールが響きで飽和してまるでオルガンを聴いているかのような気分になる。あと、ベートーヴェンの終楽章の変奏。各変奏の性格付けのコントラストが鮮やかで、こんなにエキサイティングに聴ける曲だったとは。アンコールにベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第8番の第3楽章、ドホナーニのハンガリー牧歌。
●カヴァコスってビジュアル的にもカッコいいんすよね。アキバ系とか言われがちだけど、あれは半歩先を行くオシャレ長髪&メガネ。そのうちみんなマネするようになる、きっと。
●自分の記憶ではカヴァコスの名が日本で最初に話題になったのは、BISレーベルにシベリウスのヴァイオリン協奏曲の知られざるオリジナル版を世界初録音したときなんだけど、あのころの写真を見るとまるっきりカッコよくない。加齢とともにカッコよくなったというべきか、オーラが発せられるようになったというべきか。
●最近の録音と若い頃の録音。

November 15, 2017

ベルギー代表vsニッポン@親善試合

ベルギー●ベルギーのヤン・ブレイデルスタディオンで開催された対ベルギー戦。デブライネとかルカクとかビッグクラブで活躍するタレントが並び、現在FIFAランキング5位に立つ最強国とアウェイで戦えるという貴重な機会。結果としては1対0でベルギーが勝利したのだが、内容的にはむしろアウェイでこれだけのクォリティで戦えるニッポンのたくましさのほうを感じた。先日のブラジル戦は永久に背中が見えない個の力の差を痛感し、前半で3失点してゲームが終わってしまったという試合だったが、このベルギー戦はまったく違う。拮抗した戦いのなかで前半をスコアレスで終え、後半に両チームが選手交代を繰り返して事実上のテストモードに入った終盤での1失点で敗れたにすぎない、ともいえる。負けたは負けたにはちがいないんだけど、希望が持てる。
●ニッポンのメンバーはGK:川島-DF:酒井宏樹(→酒井高徳)、吉田、槙野、長友-MF:山口、井手口、長澤和輝(→森岡亮太)-FW:浅野(→久保)、原口(→乾)-大迫(→杉本)。ポイントは長谷部の不在。本大会でも長谷部がいないケースは大いに考えられるが、その代役として長澤和輝が代表初出場。落ち着いたプレイぶりで、高いレベルの相手とも戦えることがわかって大きな収穫。中盤は底に山口、インサイドハーフに井手口と長澤という形で、ここはハリルホジッチ監督の考えが伝わる部分。かつてはこのポジションに香川が置かれたりしていたが、強い相手と戦うときはここに井手口や長澤のような対人プレイに強く、ボールを奪えて、運動量も豊富な選手が必要になってくる。中盤でボールを奪い、なおかつ奪った後にいかにミスなく前にボールを繋げるかが生命線。センターバックの吉田の相棒はここに来てベテラン槙野が定着の予感。守備陣はベルギー相手に非常に組織立った連動性を見せていた。攻撃陣では大迫のポストプレイは頼りになる。パスはよくつながるが、最後に強引にシュートに持ち込めるタレントがいないのが辛いところ。ベルギーもニッポンも相手にプレッシャーを精力的にかけ続ける緊迫感のあるゲームだったが、後半途中からはラインが間延びして大味な試合展開になってしまった。
●このメンバーでこれだけできるのなら、本田、香川、岡崎が本大会でもメンバーに選ばれない可能性は十分ありそう。
●で、ブラジル戦となにが違ってたんだろうか。たぶん、ブラジルはベルギーよりもずっと強かったというのが納得できる説明。ベルギーは世界最強クラスだが、実は今のブラジルはそのレベルすら超越する異次元の強さだった、ということ。一方、もうひとつの可能性としては、ブラジルが相手だとハリルホジッチもザッケローニやオシムあたりもたぶんみんな言ってきたように「相手をリスペクトしすぎる」。ニッポンはブラジルと戦うといつもとても脆いチームになる。しかし、ベルギーが相手だと善戦する。というか、実は今回初めて負けた。過去4回戦ってニッポンの2勝2分(そのうち1引分けはワールドカップだ)。かつてはベルギーは今ほど強くはなかったが、しかし2013年のアウェイの親善試合でもニッポンは勝っている。FIFAランキングとはまた別の強さのスケールがあるような気がしてしょうがない。

November 14, 2017

マレク・ヤノフスキ&N響のヒンデミット&ベートーヴェン

●11日夜はNHKホールでマレク・ヤノフスキ指揮NHK交響楽団。前半がヒンデミットの「ウェーバーの主題による交響的変容」と「木管楽器とハープと管弦楽のための協奏曲」、後半がベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。東京・春・音楽祭で圧倒的なワーグナーを聴かせてくれたコンビが定期公演でも実現。
●断然おもしろいのはヒンデミットの「木管楽器とハープと管弦楽のための協奏曲」。ソリストがフルート(甲斐雅之)、オーボエ(茂木大輔)、クラリネット(松本健司)、ファゴット(宇賀神広宣)、ハープ(早川りさこ)という陣容。この曲、たぶん初めて聴いた。バロック音楽的というかコンチェルト・グロッソ的な意匠に、ヒンデミットの職人芸が醸し出す淡々とした運動性とユーモア、乾いたリリシズムが込められる。終楽章にメンデルスゾーンの「結婚行進曲」が織り込まれていて、作曲者から妻への銀婚式プレゼントになっているという趣向も、なんだか頑固オヤジが照れくさそうにやってるみたいな味わいがあって吉。うっすらと類似性を感じて、バルトークの「管弦楽のための協奏曲」とどっちが先なんだっけと思って調べてしまった。バルトークは1943年/45年改訂、ヒンデミットは1949年と少しだけ後。ひとつだけ惜しいのは、この曲はもっと小さな空間向けの作品なのかなとも思う、しょうがないけど。
●後半のベートーヴェン「英雄」は木管倍管編成。かつてのN響を思わすような重厚なサウンド。精悍で格調高く、緊密。

November 13, 2017

トリトン晴れた海のオーケストラ 第3回演奏会

●11日は第一生命ホールで「トリトン晴れた海のオーケストラ」第3回演奏会。矢部達哉コンサートマスターのもと、首都圏オーケストラの名手たちを中心とした指揮者を置かない室内オーケストラ。プログラムはオール・モーツァルトで、前半に「フィガロの結婚」序曲、オーボエ協奏曲(独奏:広田智之)、後半にセレナータ・ノットゥルナ ニ長調 K239、交響曲第39番。小気味よく精彩に富んだモーツァルトを満喫。このプログラムだと、前半に主役を務めたオーボエが後半ではお役御免になるんすね。代わって後半はティンパニ(岡田全弘)が大活躍。あれはバロック・ティンパニって呼んでいいんだろうか。セレナータ・ノットゥルナではセンターに配置されて両側のアンサンブルを司る。交響曲第39番でも第1楽章冒頭すぐにティンパニが鋭く楔のように打ち込まれて、一気に全体がひきしまった感。第3楽章のひなびたトリオでクラリネットが装飾を入れるのも吉。第4楽章で次第に音楽が白熱して、幸福感と高揚感で満たされてゆく様はまさにモーツァルトを聴く醍醐味。アンコールにディヴェルティメントK334の有名なメヌエット。
●いろんな表現の可能性がありうるモーツァルトで、指揮者を置かない。となると、みんなの共通認識にあるぼんやりとした平均値のモーツァルト、肉でも魚でもないモーツァルトになったらどうしようという心配があるわけだけど、このオーケストラではそれは杞憂。はっきりとした顔のあるモーツァルトになっている。じゃあ、それがだれのモーツァルトなのかっていうと、ひとまずはコンサートマスターのモーツァルトなのかなとは思うんだけど、それだけでもないはず。いろんなプレーヤーたちのアイディアなりスタイルなりが刺激しあって、ひとつの答えに到達するものなんだろう。でも、それって指揮者がいても同じことが言えるような気もする。指揮者がすべてを制御することは不可能だし、指揮者がいてもプレーヤー間で触発されて生まれる表現だっていくらでもあるだろう。場合によっては指揮者がいるのにオーケストラ側がハンドルを握ってしまうようなことだってなくもない。となると指揮者がいる/いないというのは視覚的には明確な違いだけど、音楽的にはいる/いないの境目は曖昧なものなのかも。
●トリトン晴れた海のオーケストラ、今後は2018年から2020年にかけて全5回でベートーヴェンの交響曲チクルスを開催するそう。第一生命ホールで「第九」ってスゴくないすか。

November 11, 2017

ニッポンvsブラジル代表@親善試合

ブラジル●フランスのリールで、ニッポンvsブラジル代表の親善試合が実現。今回の欧州遠征はブラジルとベルギーという現在世界最強クラスの二か国と欧州で戦える貴重な機会。もうどこもワールドカップ本番までに試合ができる機会は限られているので、メンバーも本大会仕様のはず。先にブラジルの先発メンバーだけでも書いておくと(記念に)、GK:アリソン-DF:ジェメルソン、マルセロ、チアゴ・シウバ、ダニーロ-MF:カゼミーロ、フェルナンジーニョ、ジュリアーノ、ウィリアン-FW:ジェズス、ネイマール。監督はチッチ。
●ニッポンはハリルホジッチ監督が思い切って香川、本田、岡崎のビッグスリーを落選させたこともあって、攻撃陣の世代交代がいくぶん進んだ陣容に。GK:川島-DF:酒井宏樹、吉田、槙野、長友-MF:山口、長谷部(→森岡亮太)、井手口(→遠藤航)-FW:原口(→乾)、久保(→浅野)、大迫(→杉本健勇)。
●それで試合なんだけど、キックオフ早々に現実を思い知らされたというか。差はあって当然なんだけど、想像以上にブラジルが強い。もともとブラジルが上手いのは百も承知だが、チッチ監督のブラジルにはこれまでのブラジルにないリアリズムに徹した強さを感じる。ブラジル代表が2点リードしてても、まだ前線の選手がニッポンのディフェンスに勤勉にプレスをかけてくるんすよ! いやー、やっぱりワールドカップでドイツ相手に1対7で敗れたという歴史的屈辱が効いているんだろうか。そして、恐ろしいのはカウンターアタックの切れ味。戦慄。ニッポンがたまに攻撃するじゃないすか。人数をかけて攻め込んだときに、攻めきれなかったときが恐怖。シュートまで持ち込めるかな、あ、打てなかった、ボールを奪われた、そこからカウンターが発動して猛スピードでニッポンのゴールに襲い掛かる。怖すぎる。守ってるときより、攻めてるときのほうが失点しそうで怖い。途中でマルセロがルーレットで井手口をもてあそぶかのように交わすシーンがあったじゃないすか。あれが従来のブラジルのイメージなんだけど、そっちは怖くない。マルセロだってリードしてるからああやって遊んだだけで、試合開始直後は容赦のない戦いをした。つまり、弱い相手にも前線からプレスをかけるし、高速カウンターで仕留める。
●そんなわけで、ビデオ判定によるPKだの、不運だといいわけしようと思えばできなくもない事件はあったものの、前半で3失点したのは力の差そのもの。前半はニッポンが前からのプレスが弱くてやられたが、後半は積極的なプレスが実って無失点で抑えながら1点を返した、という見方もあるのかもしれない……が、そうかなあ? 0対3になった時点で試合は実質的に終わっていたというか、ブラジルはもう心の中で帰り支度をしていたんだと思う。後半のニッポンのゴールはコーナーキックから槙野が頭で合わせたもの。
●印象に残ったのは井手口。いいほうでも悪いほうでも目立っていた。ブラジルが相手でも奪い切る守備ができるのはスゴい。でも奪った後のミスが目立つし、失点につながるミスもあった。後半から出た浅野の仕掛けは目立っていた。ただし先発であれができるかどうか。ゴール前のフリーキックを吉田が蹴ったのには驚いたけど、バーを叩いてあわやという惜しいキックだったのにはもっと驚いた。酒井宏樹には武闘派の頼もしさと、ビデオ判定でどれだけカードをもらうかわからないという不安の両方を感じる。

November 9, 2017

定額制ストリーム音楽配信Amazon Music Unlimitedが国内で提供開始

●遅まきながらといった感じではあるが、アマゾンが定額制ストリーム音楽配信Amazon Music Unlimitedの国内提供を開始した。同種の配信サービスとしては、すでにApple Music、Google Play Music、Spotify、Naxos等があるわけだが、もうひとつ選択肢が増えた。料金プランはいろいろあるけど、シンプルに個人月額だと980円。料金はどのサービスも大差はないので、ここはあまり問題ではないはず。
●アマゾンといえばすでにプライム会員向けにオマケでついてくるPrime Musicというサービスがある。今回のAmazon Music Unlimitedはそれとは別のサービス。Prime Musicの楽曲数が「100万以上」と、他社のサービスに比べると極端に少なかったのに対して、Amazon Music Unlimitedは4000万以上の楽曲を配信する。
●じゃあ、その「4000万以上」ってのは多いのか少ないのか。サービスに加入しなくても検索するとどういう音源があるのかはわかるようなので、思いつくままにクラシックのアーティスト名を何人か入れて、どれくらいヒットするかをApple Musicと比較してみた。結論としては、現時点ではApple Musicの優位は揺らがないといったところ。中堅レーベルで差が出る感じ。
●今のところ、音源のタイトル数およびクラシックの新譜の分量と一覧性で、定額制ストリーム音楽配信ではApple Musicがファーストチョイスか。とはいえ、Appleにも弱点はあって、Windows版のiTunesはソフトウェアとしての作りが迷走気味。これに愛想をつかしてSpotifyなりGoogleなりAmazonなりに逃げるという人がいても十分理解できる。あと、クラシックのみでよければ、唯一メタデータの日本語対応ができているNaxosがあればいいという考え方もあるとは思う。どこと契約しようが、長年かけて築いたCDライブラリをはるかにしのぐ巨大ライブラリが一瞬で手に入ることには変わりはないわけで、これから聴く人には最高のパラダイス。

※ 明日の更新は夜のニッポンvsブラジル代表戦の後を予定しています。

November 8, 2017

ドキュメンタリー映画「新世紀パリ・オペラ座」(ジャン=ステファヌ・ブロン監督)

映画「新世紀パリ・オペラ座」
●プレス試写でドキュメンタリー映画「新世紀パリ・オペラ座」(ジャン=ステファヌ・ブロン監督)を見た。これは良作。ジャン=ステファヌ・ブロン監督はまったくオペラには縁がない人で「80年代のポストパンクの流れにあるロックを聴いて育った」というのだが、とてもそうは思えないほどよくできていて、音楽の使い方も秀逸。音楽監督のフィリップ・ジョルダン(写真)やヨナス・カウフマン、ブリン・ターフェル、オルガ・ペレチャッコといった歌手たちも登場するが、映画の主役ともいえるのはオペラ座総裁のステファン・リスナーであり、さらにいえば劇場で働く無名の人たち。総裁がストで頭を抱えていたり、メディア対応とかチケット価格設定についての打ち合わせの場面とか、劇場の裏側をふんだんに目にすることができる。
●さらりとあちこちにユーモアが散りばめられているのが吉。合唱団の練習に一年間かけたという(ホントに!?)シェーンベルクの「モーゼとアロン」が出てくるんだけど、演出はカステルッチ(先頃来日したバイエルン国立歌劇場の「タンホイザー」を演出した人)。このオペラには「黄金の子牛」が出てくるのだが、本物の牛を使おうということになって、ウェブブラウザで写真を見ながら牛の品定めをしているシーンには爆笑。「こいつじゃなきゃ迫力が出ない」みたいなことを言って選ぶんだけど、しかしあんな巨体を舞台に出演させるとは怖すぎる。自分だったら絶対に共演したくない。内容の薄い会議とかやれやれな対立の場面なんかも笑いどころとして入っているんだと思う。けっこうカオス。
●同じ劇場を題材にした名作に、鬼才フレデリック・ワイズマンの「パリ・オペラ座のすべて」がある。あちらがバレエが中心で、かなり観客を選ぶタイプの芸術作品だったのに対し、このブロンの「新世紀パリ・オペラ座」はオペラが中心で、音楽好きならだれもが楽しめるようなバランスのよさがある。編集も巧みで、退屈な場面がない。ほかにも子供たちの教育プログラムの場面とか、ロシアの田舎から抜擢されてパリにやってきた若い歌手ミハイル・ティモシェンコのくだりとか、あれこれと考えさせられる。

12月9日(土)Bunkamuraル・シネマほか全国順次ロードショー/配給:ギャガ/photo © 2017 LFP-Les Films Pelleas - Bande a part Films - France 2 Cinema - Opera national de Paris - Orange Studio - RTS
November 7, 2017

「オーケストラ解体新書」(読売日本交響楽団編/中央公論新社)

●オーケストラの内側を語った案内書はこれまでにもあった。しかし当のオーケストラの事務局が編者となって書かれた本はそうそうないのでは。「オーケストラ解体新書」は読響事務局による渾身の一冊。コンサートがどうやって作られるのか、名指揮者たちが音楽を生み出す現場の様子、楽団員はどんな日常を送りなにを考えているのか等、音楽ファンが知りたいと思うことがぎっしりと詰まっている。
●なんといっても事務局という内側からの視点がふんだんに盛り込まれているのがおもしろい。世間の多くの人はオーケストラ=プレーヤーと思いがちなんだけれど、実際に楽団を運営するのは事務局の人々。演奏会の企画立案から出演者との交渉、楽器運搬の手配もあれば、チケット販売から助成金獲得まで、膨大な仕事がある。そんな様々な背景や裏話のひとつひとつがおもしろく読めて、なおかつその向こう側にある楽団の持つ志みたいなものが伝わってくるのが本書の魅力。あと、オーケストラ事情に詳しい人には、「へー、読響ではそんな風になってるんだ」的な興味深さもあるかも。おまけのカンブルランのインタビューも出色。
●オーケストラ内幕本では、自分のなかではアンドレ・プレヴィン編の「素顔のオーケストラ」がこの分野の伝説的名著に君臨している。これは40年近く昔の本なので今では入手困難だと思うけど、大らかに裏話が書かれていて、野次馬的な興味もひく本だった(記憶では)。プレヴィン編ってなってたけど、実際に執筆した人はだれだったんだろ。ひそかにワタシは「あの本の日本版を作れないかなあ……」と野望を抱いていた頃もあったけど、あるときそれは不可能だと悟った。というのも、仕事でオーケストラの楽団員に取材する機会はあっても、それらはいずれも公演のプロモーションのためのものばかり。宣伝になるから先方も取材に協力してくれるわけだし、こちらも原稿をどこかに掲載してもらえるから取材できる。そうでないならムリな話。しかも、なにか裏話を聞けたとしても、本にするとなれば各方面の許諾が必要になる。プレヴィン本にあったような指揮者や楽団を揶揄するような話とか、いまどき載せられるだろうか。そう考えると、楽団自身が編者になるという発想は目からウロコって感じだ。もちろん、そこには「よい話しか書けない」という制約は発生するわけだが、この現場感はそれを補って余りある。

November 6, 2017

クリスチャン・ヤルヴィ サウンド・エクスペリエンス2017

●3日はすみだトリフォニーホールで「クリスチャン・ヤルヴィ サウンド・エクスペリエンス2017」。クリスチャン・ヤルヴィ(パーヴォの弟、ネーメの息子)が新日本フィルを指揮する一公演に「サウンド・エクスペリエンス」という題が付いているのは、「これまでのコンサートとはまったく異なる新しいアプローチを通じて、パーソナルかつエモーショナルな体験を聴衆に提示する」(クリスチャン・ヤルヴィ)から。プログラムは前半にクリスチャン・ヤルヴィ自身が作曲した「ネーメ・ヤルヴィ生誕80年のためのコラール」(日本初演)、フランチェスコ・トリスターノ作曲のピアノ協奏曲「アイランド・ネーション」(日本初演、ソロはもちろん作曲者自身)、後半にワーグナー~デ・フリーヘル編曲の「ニーベルングの指環」オーケストラル・アドベンチャー。
●前半はそれぞれ自作自演の曲が並んだことになる。父兄弟の3人がそろって世界的指揮者というヤルヴィ家のクリスチャンが父を讃える祝祭的な家族の肖像で幕を開け、続いてフランチェスコ・トリスターノが登場。以前の記者発表にあったように、ピアノ・パートの多くが即興という協奏曲。なのだが、これはなんて形容すればいいのかなー、オーケストラを使ったテクノ? クラシックしか知らない自分にはうまく表現できないんだけど、クラブ・ミュージック? たぶん、これはじっと客席に座って耳を傾けるという音楽ではなく、椅子を取っ払って立ち上がって体を動かしながら楽しむような音楽じゃないかって気がする。しかしここはコンサートホール、お客さんたちは微動だにしない。延々と曲が続いて、最後の最後になってクリスチャン・ヤルヴィが客席を向いて熱く激しく両手を叩いたら、堰を切ったように手拍子が始まって……すぐに曲が終わった。なんだか、自分らノリが悪くて、うまく「サウンド・エクスペリエンス」できなくてスマン!って感じだ。これ、客席はどういう振る舞いが期待されていたんだろ。「ラデツキー行進曲」みたいになってしまってゴメン。なんにせよ、客席で率先してなんらかのアクションを起こすのは難しいものではある、昨今コンサートホールで激高する人々をたびたび目にしているので。アンコールにフランチェスコ・トリスターノのソロ、2曲。「パストラル」と「ラ・フランシスカーナ」。
●後半はワーグナー~デ・フリーヘル編曲の「ニーベルングの指環」オーケストラル・アドベンチャー。これは以前よりある編曲だが、クリスチャン・ヤルヴィの目指すところは重厚長大でズシリとお腹に響くような伝統的なワーグナーとはまったく違う。事前にバルト海フィルハーモニックとの録音を耳にして期待したのは、歯切れよく、タメない引きずらないワーグナーであり、もしかすると前半の音楽につながるようなダンサブルなくらいに躍動感あふれるワーグナー。半ば期待通りだけど、もっとその先があったはずという感も。
●プログラムノートといっしょに配布された紙片に予告あり。「クリスチャン・ヤルヴィ サウンド・エクスペリエンス2019」詳細近日発表とか。すみだトリフォニーホールのFBページによればマックス・リヒターが来日するそう。

November 2, 2017

ハリルホジッチ、欧州遠征のニッポン代表メンバー発表

ニッポン!●今月のニッポン代表の欧州遠征は、対戦相手がブラジルとベルギー。ハリルホジッチ監督ならずとも「世界の二強」と言いたくなるような最強国と、日本を離れて戦う貴重な機会。ワールドカップ本番でもシードの関係上、同じグループにこのクラスの相手が少なくともひとつ(もしかしたらふたつ)入ってくるわけで、アジア内の戦いでは決して実現しないテストが可能になる。最大の注目点は、W杯予選で成功したオーストラリア戦のような戦術を採用するのかどうか(たぶん、する)、そしてそれがどの程度通用するのか。あえて相手にボールを持たせ、前線の選手から激しいプレスをかけて、ボールを奪ったら手数をかけずにカウンターで攻めるという、強い相手に立ち向かうときの現代の標準戦術。もちろん、相手が上手いのでオーストラリア戦のようにはいかない。オーストラリアは後ろの選手の足元がもうひとつでこちらのプレッシャーに対してボールを失う場面が多々あったが、同様のシーンがブラジル相手に起きることなどほとんど期待できない。しかも、ボールを持たせておけばいずれ網に引っかかるだろうと思えたオーストラリアと違って、持たせた結果、コテンパ(死語)にやられる可能性があるのがベルギーやブラジル。しかし、それでもこれが勝点を得る確率を最大に高める戦い方であるとするのが、今の多くの監督の考え方。ハリルホジッチ以前のアギーレだって、当初からそんな戦い方をイメージしていたはず。
●で、メンバー。本田、香川、岡崎の三大スターが落選した。一方、長谷部や長友は残っている。攻撃陣を刷新し、若い選手に遠慮なくやらせたいということか。若手の登用だけではなく、復帰組も目立つ。GK:川島(メッス)、東口(ガンバ大阪)、西川(浦和)、DF:長友(インテル)、槙野(浦和)、吉田(サウサンプトン)、酒井宏樹(マルセイユ)、酒井高徳(ハンブルガー)、車屋(川崎)、昌子(鹿島)、三浦弦太(ガンバ大阪)、MF:長谷部(フランクフルト)、倉田(ガンバ大阪)、山口(セレッソ大阪)、森岡亮太(ワースランドベベレン)、長沢(浦和)、遠藤航(浦和)、井手口(ガンバ大阪)、FW:興梠(浦和)、乾(エイバル)、大迫(ケルン)、原口(ヘルタ)、杉本(セレッソ大阪)、久保(ヘント)、浅野(シュツットガルト)。
●浦和とガンバ大阪勢が多い。森岡はベルギーで絶好調。長澤はサプライズ。攻撃陣のビッグスリーが呼ばれない一方、吉田と長谷部は代わりの効かない選手という感じ。しかし慢性的に膝のコンディションに苦しむ長谷部が、本大会を万全で迎えられる可能性はどれくらいあるんだろう。つい前回大会を思い出す。

November 1, 2017

バッハ・コレギウム・ジャパン第125回定期演奏会 ルター500プロジェクト 5

●31日は東京オペラシティで鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパン。宗教改革500周年を記念したルター500プロジェクトのシリーズ最終回。今回も練られたプログラムで、まず前半にルターのコラール「われらが神こそ、堅き砦」が歌われ、続いてアグリコラ、ヨハン・ヴァルター、ブクステフーデのオルガン独奏版、シャイン、カルヴィジウス、プレトリウス、ハスラー、バッハによる「われらが神こそ、堅き砦」が奏でられ、バッハのカンタータ第79番「主なる神は太陽にして楯なり」が演奏される。後半はオルガン独奏の「いざ、すべての者よ、神に感謝せよ」に続いて、カンタータ第192番「いざ、すべての者よ、神に感謝せよ」、そして最後にカンタータ第80番「われらが神こそ、堅き砦」で閉じられるという趣向。完璧な調和、壮麗でドラマティックなバッハ。最後のカンタータ第80番「われらが神こそ、堅き砦」が傑作すぎて鳥肌。
●演奏に先立って鈴木雅明さんがステージにマイクを持って登場した。「さて、今日はなんの日でしょうか?」。ここはBCJの定期演奏会。この日のプログラムノートにあるように500年目の宗教改革記念日だ。「宗教改革記念日とお答えになった方は優等生です。今日はハロウィーンでもあります」。ここで客席から笑いが起きる。それから宗教改革とハロウィーンはまったく無関係でもないというお話が続いた。初台は渋谷と違って仮装した群衆も見当たらず平和。この一帯はハロウィーン勢よりも宗教改革記念日勢が勝ってた。
●元ネタよりも先にメンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」に親しんでいる自分は異教徒。メンデルスゾーンいないのに、すごいメンデルスゾーン度。

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