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2017年7月アーカイブ

July 21, 2017

パチューカへ、本田圭佑

メキシコ●近年のサッカー選手の移籍のなかで、最大のサプライズ。本田圭佑がACミランからメキシコの名門パチューカへ。これはまったく予想できない結末だった。ミラン在籍中は何度も移籍のウワサが出ながらも、結局は契約を満了してしまったので、本田獲得のための移籍金はゼロ(これはミランの前に所属したCSKAモスクワを離れるときと同パターン)。つまり、どこのクラブでも無料で本田を獲得できる状態になっていた。ミランでの最後のシーズンはほんのわずかしか試合に出られず、31歳を迎えることに。
●いろんな選択肢があったようだが、自分はこんなふうに予想していた。たぶん、ベストのシナリオはイングランドのプレミアリーグの下位のクラブ。プレミアだったらどのクラブでも本田のサラリーは払えるだろうし、リーグ自体のレベルはイタリアより上になる一方、下位のチームならポジションは奪えるんじゃないか……。いや、でも奪えないかもしれない。本田はきっとワールドカップ2018ロシア大会が終わったら引退するつもりだろうから、移籍先でも試合に出られないとキャリアの最後の2年でなにも残せないことになりかねない。それは絶対に避けたいはず。かといって欧州のマイナーなリーグへ行くと、レベルを落とした感がストレートに出てしまう。そうなると、中国かアメリカ、ひょっとして中東もありうるんじゃないか……?
●想像できるのはせいぜいそこまで。よもやメキシコとは。しかしなるほどとも思うのは、メキシコは国内リーグの経営がしっかりしているらしいという点。代表チームがまずまずの強国でありながら選手の多くが国内クラブでプレイしているという珍しい国だ。背番号は2、というか「02」というのが風変わり。そして2番といえばサイドバック。代表での4番は一般的にはセンターバックの数字だし、どうしてそんな変わった数字を好むんだろうか。
●これで本田の海外でのクラブは4つめ。オランダのVVVフェンロ、ロシアのCSKAモスクワ、イタリアのACミラン、メキシコのパチューカ。特徴的なのはひとつのクラブに意外と長く在籍しているところか。特にロシアではなんども出たがっていたはずなのに移籍交渉がうまくいかず、契約切れの4シーズン目までプレイすることになってしまった。スター選手の割にはローカルなリーグで長く過ごしてきている。ミランでの最後のシーズンを除けば、どのチームでもコンスタントに試合に出場しているのが立派。本来はサイドよりも中央が似合う選手だと思うが、パチューカではどうなるだろうか。

July 20, 2017

スラットキン&デトロイト交響楽団のチャイコフスキー他

●19日は東京オペラシティでふたたびレナード・スラットキン指揮デトロイト交響楽団。こちらは第5回国際音楽祭NIPPONのなかの一公演で、同音楽祭の芸術監督でもある諏訪内晶子がソリストとして登場。前半に武満徹の「遠い呼び声の彼方へ!」とコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲という日米両作品でソロを披露。武満作品でのオーケストラがなんというかカラフルで、この曲に対するイメージが少し変わった。ソロともども豊麗。コルンゴルトはかつてはたまにしか演奏されない曲だったと思うんだけど、近年は盛んに演奏されている感あり。このまま20世紀音楽の基本レパートリーに登録されていくのかも。
●後半はチャイコフスキーの交響曲第4番。強力なブラスセクションあってこその選曲なんだろう。すっかり手の内に入った曲のようで、ピカピカに磨き上げられたブリリアントなチャイコフスキー。この湿度の低い感じのカラッとしたサウンドはなんといったらいいのか、重苦しいメランコリーなんて目じゃないよといった潔さ。スラットキンも自身のオーケストラを率いるとあって、細かな強弱の変化やテンポの揺らし方など演出が効いていて、日本の楽団に客演するときとは一味違ったテイスト。この曲、第3楽章から第4楽章に間髪入れずに続ける指揮者は多いが、スラットキンは第2楽章と第3楽章をつなげて、第4楽章に入る前に一呼吸入れたのがおもしろい。フィナーレは壮麗でパワフル。
●わき上がる客席にこたえて、アンコールは一昨日と同じ菅野よう子「花は咲く」とフェリックス・スラットキンの「悪魔の夢」。後者でスラットキンが手拍子を求めるのも同様。開放的な楽しい気分で締めくくられた。スラットキンに促されて楽員が袖に引っ込み始めると、ささっと拍手が止んでみんな帰りだす。ドワッと盛り上がって、終わったらサクッと帰る。客席までカラッとした雰囲気になっていたのがなんだかおかしい。

July 19, 2017

スラットキン&デトロイト交響楽団のアメリカ音楽プロ

●17日は文京シビックホールでレナード・スラットキン指揮デトロイト交響楽団。デトロイト交響楽団は19年ぶりの来日なんだとか。プログラムは堂々たるオール・アメリカ音楽プロ。バーンスタインの「キャンディード」序曲、バーバーの弦楽のためのアダージョ、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」(ピアノは小曽根真)、そしてメインにコープランドの交響曲第3番! このオーケストラ、この指揮者だからこそ聴きたいプログラムが実現。客席が盛況だったのは、筋の通ったプログラムだったからと信じたい。あと、アメリカのオーケストラは全曲をアメリカの音楽で固めたプログラムをツアーで披露できるというシンプルな事実に羨望。
●デトロイトという街の昨今の印象からするとオーケストラはどうなっているのかと心配したくなるが、現在はスラットキン音楽監督のもと快進撃中なのだとか。都合がつかず参加できなかったのだが、先日、日本オーケストラ連盟が「デトロイト交響楽団~コミュニティーとオーケストラ~ 経済が破綻した街で、全米屈指のオーケストラが成し得た奇跡の回復―悪循環をどうやって断ち切ったのかー」というトークセッションを開催していた。なるほど、このオーケストラのサウンドは輝かしい。やはりブラスセクションは強力で、爽快な鳴りっぷり。あと、弦楽器セクションの濃密でしっとりとした質感も予想以上の美しさ。インタビューでスラットキンが「管ばかりじゃなくてウチは弦もいいんだから!」みたいなことを言っていたのを思い出して納得。
●ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」、オーケストラもさすがにうまいんだけど、主役は完全に小曽根真。独自の即興をたっぷりと盛り込んだ特盛版。小曽根版「ラプソディ・イン・ブルー」はすでに何度か聴いているのでもう驚かないが、新鮮さは変わらず。カーテンコールでわざわざ自分でピアノの蓋を閉めて、オーケストラのメンバーを讃える。コンチェルトのソリストというよりは、バンドの仲間たちといった雰囲気。次に姿を見せると今度はスラットキンがピアノの蓋を開いて、アンコールを促した。曲は小曽根自身の「エイジアン・ドリーム」。指揮台に座って耳を傾けるマエストロ。スラットキンは以前より小曽根のファンで、ニューヨークのブルーノートで何度も聴いているという。
●コープランドの交響曲第3番は4楽章制の交響曲。ゆったりとした賛歌のような第1楽章、スケルツォ風の第2楽章、物思いにふけるような第3楽章から、「市民のためのファンファーレ」を用いた第4楽章へと続く。「市民のためのファンファーレ」のほうが先に書かれているので、これは自作の引用ということになるんだけど、壮麗かつ執拗なフィナーレを聴くと、むしろこちらが本体で、有名な「市民のためのファンファーレ」のほうはサブセット版なんじゃないかという錯覚を覚える。
●アンコールの一曲目は菅野よう子「花は咲く」。来日オーケストラがご当地ものを演奏してくれるというのがなんだか懐かしい感じ。でも大阪公演ではまさかの古関裕而「六甲おろし」が演奏されたそう(デトロイトにも同じく「タイガース」があるので)。続いて、マエストロの父フェリックス・スラットキンの「悪魔の夢」。これは底抜けに楽しい曲で、途中でスラットキンが客席に向いて手拍子を求めるという「ニューイヤーコンサート」ばりの演出付き。手拍子を止めるゼスチャーに即座に客席が反応するとサムアップ。ブルックナーやマーラーの「儀式化するコンサート」とはまったく別種の、痛快なコンサートがここに。

July 18, 2017

ノット&東響のマーラー「復活」

●15日はミューザ川崎でジョナサン・ノット指揮東京交響楽団。大曲、マーラーの交響曲第2番「復活」をこのコンビで聴けるという喜び。メゾ・ソプラノに藤村実穂子、ソプラノに天羽明惠、東響コーラス。「復活」に先立って細川俊夫のメゾ・ソプラノとオーケストラのための「嘆き」が演奏された。テキストはゲオルク・トラークルが絶望と苦悩を歌ったドイツ語の詩だが、2011年の東日本大震災の津波の犠牲者たちに捧げられた哀悼歌とされており、これが「復活」へと続くこと、震災で被害を受けたミューザ川崎で演奏されることが加わって、さまざまな文脈が浮かび上がってくる。深々とした独唱とオーケストラが織りなす悲痛で精巧な音のタペストリー。むしろ純化された悲しみの音楽として聴く。
●「復活」はノットの棒のもと、生々しくスリリングで、コントラストの鮮やかなマーラー。序盤はもうひとつ焦点の定まらない感も受けたのだが、次第に白熱し、密度の濃い巨大なクライマックスへ。第4楽章「原光」のニュアンスの豊かさ、第5楽章の咆哮、そして崇高な合唱。ほとんどグロテスクなくらいに感情表現の振幅が最大に設定された大作だけど、肥大化することなく、濃密な高揚感が生み出された。バンダが2階の客席通路あたりから聞こえてきて、しかも途中で移動するという立体音響。全曲が終わった瞬間、勢いよく出たまばらな拍手と「沈黙の儀式」を選んだ大多数の聴衆で客席がばらけてしまったのだが、ノットは苦笑気味ですぐにゼスチャーで拍手を促して、そこからは盛大なブラボー。この勢いで終わる曲なら即座に拍手でいいと思うのだが、近年の拍手を待つ習慣がすっかり浸透していて、自分もつい遠慮して待ってしまった。楽員が退出し始めても拍手は止まず、ノットのソロ・カーテンコールに。
●自分はマーラーの交響曲のなかでもこの曲にひときわ愛着を感じるんだけど、その源泉はたぶん中二病的な妄想力。終楽章は審判の日がやってくるんすよ。墓が開き、死者が復活する。奇しくもこの公演の翌日、ゾンビ映画の父として知られるジョージ・A・ロメロの訃報が届いたのであった。安らかに……復活するその日まで。

July 14, 2017

ショーソンと「アルテュス王」とワーグナーと その2

●(承前)以前に書いた記事への補遺を忘れないうちに。ショーソンのオペラ「アルテュス王」では、王妃ギネヴィア(ジェニエーヴル)を巡るアーサー王(アルテュス)と騎士ランスロットの対立と和解、アーサー王の死が描かれる。で、「アーサー王伝説万華鏡」(高宮利行著/中央公論社)を読んでいたら、ショーソンはドビュッシーに対して、こんな手紙を書いているっていうんすよ。

 わたし自身について申しあげれば、第3幕をふたたび、今度はさほどの面倒もなく取り上げました。今書いているものには満足しています。はっきりと脱ワーグナー化していると思います。

じゃあ第3幕だけを聴いてみたらどんな感じがするだろうと思って試してみると、やっぱり自分には思い切りワーグナーの強い影響が感じられてしまって、むしろワーグナーの呪縛の強さを思い知らされるばかり。ただ、音を聴いているだけなので、物語面ではまた別の見方もあるのかも。東京で上演されないものだろうか。
●上記のショーソンがドビュッシーに宛てた手紙が書かれたのは1893年の10月または11月だとか。この年の夏に、ドビュッシーはメーテルリンクから「ペレアスとメリザンド」オペラ化の許しを得ている。ここから実際に「ペレアスとメリザンド」が初演に至るまでには9年もかかることになる。ドビュッシーはアンチ・ワーグナー的な視点から「ペレアスとメリザンド」の物語に惹かれたそうなんだけど、一方でこの話って容易に「トリスタンとイゾルデ」を思い出させるのがおもしろいところ。

July 13, 2017

「N響 午後のクラシック」のハイレゾ配信~第3回はトン・コープマンのモーツァルト

以前にもお伝えした「N響 午後のクラシック」だが、第1回、第2回に続いて、第3回はトン・コープマンのモーツァルト。映像ハイレゾ音源で現在公開中。期間限定なので興味のある方はお早めに(第3回は8月末まで)。曲は「魔笛」序曲、フルートとハープのための協奏曲、交響曲第41番「ジュピター」、そしてアンコールも。ゲスト・コンサートマスターをライナー・キュッヒルが務めている。会場はミューザ川崎。
●キュッヒルがコンサートマスターで、指揮がコープマンという組合せが興味をひくが、やはりコープマンならではのモーツァルトになっている。透明感のあるみずみずしい弦楽器のサウンドが美しい。「ジュピター」終楽章のコーダをもう一回聴きたくて思わず巻き戻してセルフ・アンコールしてしまう。ビバ、テクノロジー。
●映像はすぐにウェブ上で見ることができるが、ハイレゾ音源の再生にはIIJのPrimeSeatを要インストール。古いバージョンをお使いの場合は、バージョンアップを要求される。映像を取るか、ハイレゾを取るかはお好みで。
●DAZNでサッカー見てても感じるけど、従来のテレビのコンテンツがネットに勢いよく流れ込んできていて、だんだん「テレビ受像機」ってものが「イエデン」みたいなポジションになりつつある感じ。

July 12, 2017

反田恭平のフォトブック「SOLID」

●世界文化社から反田恭平のフォトブック「SOLID」が刊行。反田さんの演奏シーンやオフショット満載。写真がメインではあるんだけど、ロングインタビューがあったり、ファンからの質問に答えるページがあったりと、趣向が凝らされている。
●帯コメントを寄せた関係で見本をいただいたのだが、最初は「ピアニストのフォトブックなるものが成立するとは!」と驚いたものの、一通り眺めて合点がいった。かつてはこういうのって、LPレコードがある程度その役割を果たしていたんすよね。主にジャケット・サイズの大きさがそれを可能にしていたと思うんだけど、音だけじゃなくてモノとして眺める楽しみ、見たり読んだり触ったり開いたりする喜びがファン心理を満たしてくれていた。それがCDになると小さなジャケットになって希薄化し、さらにはストリーム配信が広がると、もはやデータが流れるばかり。だったらモノの部分を音源から独立させてしまう考え方があってもおかしくないわけで、配信時代の味気なさを解消してくれるのがこの一冊なのかも。

July 11, 2017

ミンコフスキ指揮東京都交響楽団のハイドン&ブルックナー

●10日は東京文化会館でマルク・ミンコフスキ指揮都響。ハイドンの交響曲第102番とブルックナーの交響曲第3番初稿というプログラム。ブルックナーの交響曲第3番というと初稿、第2稿、第3稿とあって、少し前に高関健指揮東京シティ・フィルで第2稿の演奏が話題を呼んでいたが、今回は初稿。「一粒で二度おいしい」ならぬ「一粒で三度おいしい」ブルックナー。異稿がいっぱいあるってお得だねっ! ミンコフスキのブルックナーというだけでも十分に新鮮味はあるんだけど、そこにきて初稿とは。
●初稿には全体にゴツゴツとした粗削りの手触りがあって、制作途中の曲を聴いているというような感が強い。やっぱり改稿するたびに曲は洗練されていくんだなと思う。ただ、おもしろさとなると話は別。ワーグナーの引用も、引用がないほうが作品の普遍性は高まりそうではあるけど、一方で引用があるほうが今っぽいというか、作品を重層的に聴ける。
●ブルックナーの珍しい異稿というと、ロジェストヴェンスキー&読響での第5番シャルク版が記憶に新しいところで、あのときはシャルク版ということに加えてロジェストヴェンスキーの想定外の遅さが特異な世界を作り出していた。その点でいうと、今回のミンコフスキは想定外の速さが別世界に連れて行ってくれた。特に終楽章。猛然と前進するアレグロのダイナミズムは、ハイドンの交響曲が持つ終楽章の推進力の時を超えたエコー。あのコーダでのせわしないほどに煽り立てる高速の指揮棒と来たら。
●鳴り止まない拍手にこたえて、ミンコフスキのソロ・カーテンコールあり。客席にインバルの姿も。レパートリー的に重なってるけど、芸風的にぜんぜん重なってない(たぶん)。
●どういうわけか、最近うっかり気がつくとブルックナーを聴いている気がする。中毒性があるので、ほどほどにしておかないと。

July 10, 2017

週末フットボール通信~Jリーグ2017シーズン中盤戦

●ウィークデイにACL組の試合が行われたので、この週末の試合でJ1は全チームとも18試合を消化して足並みがそろった。折り返し地点を過ぎたところで、1位セレッソ、2位鹿島、3位川崎、4位柏の並びに。ここまでを見ると、「順位」と「得失点差の順」が割と乖離しているのが特徴的。勝負は時の運だけど得失点差は実力(だと思っている)。得失点差の順だと1位セレッソ(+19)、2位川崎(+16)、3位がガンバと浦和(+13)。1位は変わらずセレッソだが、ガンバと浦和の地力が順位に反映されていない感じ。
●マリノスは得意とする広島相手にホームで引分け。終盤に先制点を取って、本来なら自慢の守備力で守り切るという形に持ち込んだが、終了間際に失点してしまった。自分たちの形にはめ込みながら勝利を逃したという勝負弱さに上位との差を感じる。
J2は1位湘南と2位福岡が2強。これを少し離れて徳島と長崎が追いかける展開。J1から降格してきた名古屋は……どどーん、7位に沈んでいる。おまけに22試合も戦って得失点+3。風間八宏監督は自ら主導権を握るサッカーを志向しているのだろうが、ゴールも多いが失点もやたらと多い。J2の昇格プレイオフに意味があるとすれば、こういうときに目先の結果より理想を優先したチーム作りなのできっと終盤戦で実を結ぶはずと期待できるところか。

July 7, 2017

「スペース・オペラ」(ジャック・ヴァンス著/国書刊行会)

●ジャック・ヴァンス著の「スペース・オペラ」(国書刊行会)を読了。以前に当欄でご紹介した「宇宙探偵マグナス・リドルフ」「天界の眼 切れ者キューゲルの冒険」と並ぶジャック・ヴァンス・トレジャリー全3巻が完結。今回は音楽ネタ、しかもオペラ・ネタとあって、かつてないほど本サイト読者向きの内容。荒唐無稽なホラ話テイストの異世界冒険譚を楽しめる方はぜひ。
●で、これはホントにスペース・オペラ、すなわち宇宙歌劇団の話なんすよ。オペラ界の有力パトロンであるお金持ちのマダムが地球の芸術を宇宙に知らしめようと思い立って、歌手や指揮者、オーケストラを集めて宇宙歌劇団を結成する。で、文化背景のまったく異なる異星の知的種族たちを訪れて、ワーグナーとかモーツァルトとかロッシーニとか、人類が誇るオペラの名作を上演してみせる。はたして音楽芸術は種を越えて感動を呼び起こすのだろうか……?
●もちろん、そこに待っているのはヴァンスらしいイジワルな展開だ。お金持ちのマダムの期待は次々と裏切られるに決まっている。最初に訪れたのは惑星シリウス。マダムは4本腕と4本脚に頭2つを持つ知的種族ビザントール人を相手にどのオペラを上演しようかと迷う。で、ビザントール人は地下のあなぐらを住居としていることから、彼らになじみやすいようにとベートーヴェンの「フィデリオ」を選ぶ。だって、地下牢の場面がたくさんあるから! 笑。また、音楽的能力が高度に発達したある種族の前では、「セビリアの理髪師」を上演するも不評を買い、続けさまに「トリスタンとイゾルデ」を上演するが和声進行が単調だと批判され、ならば最後の手段とばかりにへろへろになりながら「ヴォツェック」を上演する……。
●ヴァンス本人はジャズの人で、コルネットやウクレレを演奏するそうで、劇場に通うようなオペラ通には思えないんだけど、作品の選択とかちゃんとわかっている感じ。他人に取材しただけでこんなふうに書けるだろうか。 あと、この宇宙歌劇団にはひとり異星の文化に通じた音楽学者が随行してアドバイザーを務めているんだけど、彼が旅に出る前に講釈をする。全音階はたまたま人類が見つけて使っているものじゃなくて、普遍性のある体系なんだ、なぜなら振動数の比率が2対1でオクターブができて、3対2で五度ができて、その五度の関係を積みあげていくとうんぬんかんぬんで、ほら全音階が必然的にできる、地球以外の知的生命体もドレミファソラシドを発見して不思議は何もないんだよ、みたいなことを話す場面があるんすよ。これはわかる。自分も似たようなことを考えることがあるんだけど、振動数の比率から生じる協和・不協和という概念は人類固有のはずはないだろうし、全音階までは行かなくても五音音階だったらどんな種族でも必然的に見つけてしまいそうな気がする。だから可聴域は違うだろうけど、異星人の使う音階はそんなに人類と基本原理は変わらないんじゃないかな……みたいなことなんだけど、これを登場人物に語らせるとは。ヴァンスは専業作家になるまでに船員だの鉱夫だのいろんな職業を転々としてたそうだけど、根はインテリって感じがする。
●で、本書には表題作「スペース・オペラ」以外に中短篇4作が収められていて、実はこれが表題作以上におもしろい。特に「海への贈り物」と「エルンの海」。この卓越した異世界描写はヴァンスならでは。

July 6, 2017

ハーゲン・クァルテット シューベルト&ショスタコーヴィチ・ツィクルス III

●5日はトッパンホールでハーゲン・クァルテット。シューベルト&ショスタコーヴィチ・ツィクルスが三日間にわたって開催されていたのだが、その最終日のみを聴く。ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第15番変ホ短調とシューベルトの弦楽四重奏曲第15番ト長調というダブル「第15番」プロ。どちらも作曲者の最後の弦楽四重奏曲。
ショスタコーヴィチ●ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第15番は全6楽章で構成され、そのすべてがアダージョ。それぞれエレジー、セレナード、間奏曲、夜想曲、葬送行進曲、エピローグと性格付けされているものの、ゆっくりとした楽章だけで全曲が構成されるというのは異例。となれば連想するのは、ハイドンの「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」。あの曲もがすべての楽章がアダージョだけでできていて、実際の礼拝に使うためにその条件で曲を書かなければならなかったハイドンがさんざん知恵を絞った末に、聴衆を退屈させない自信作ができた、みたいなエピソードがあったと思う。ハイドンの曲にも弦楽四重奏版があるわけだし、ショスタコーヴィチがハイドンを意識しなかったはずはないと思う。ショスタコーヴィチの終楽章のおしまいで痙攣するみたいなトレモロが出てくるけど、あれはハイドンの終楽章に出てくる「地震」の場面に呼応してるんじゃないだろか。
●一方、シューベルトの弦楽四重奏曲第15番は1826年の作曲ということで、「ザ・グレート」と同時期。どっちが先なんだろう。古典的な4楽章構成で50分級の大作。その外形だけ見ると「ザ・グレート」のような果てしなく続く終わりなき喜びの歌を期待してしまうが、「ザ・グレート」とは似ても似つかない音楽で、むしろベートーヴェンの後期四重奏曲集のほうを向いている。
●ハーゲン・クァルテットの演奏は壮絶。急激なダイナミクスの変化、荒々しさや切れ味の鋭さなど、全般にコントラストを最大まで振り切ったような演奏で、崖っぷちを全力疾走するみたいなエクストリーム感満載。シューベルトとショスタコーヴィチという驚くべき組合せからしてそうなんだけど。Myrios Classicsによる録音あり。いずれリリースされる模様。

July 5, 2017

ネルソン・フレイレ ピアノ・リサイタル

●すっかり老巨匠という言葉が似合うようになったネルソン・フレイレ。日本でのリサイタルは12年ぶりなんだとか。プログラムは前半と後半が相似形をなしていて、前半はバッハ~ジロティ編の前奏曲ト短調BWV535、バッハ~ブゾーニ編のコラール「主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる」と「来たれ、創り主にして聖霊なる神よ」、バッハ~ヘス編の「主よ、人の望みの喜びよ」、そしてシューマンの幻想曲ハ長調。後半はヴィラ=ロボスの「ブラジル風のバッハ」第4番より前奏曲、ヴィラ=ロボスの「赤ちゃんの一族」より「色白の娘(陶器の人形)」「貧乏な娘(ぼろ切れの人形)」「小麦色の娘(張りぼての人形)」、そしてショパンのピアノ・ソナタ第3番ロ短調。前後半でバッハをヴィラ=ロボス、シューマンをショパンで対照させるという仕掛け。とてもいいプログラム。シューマンとショパンで前後半ともにクライマックスができるのも吉。各々の作品のロマン性や華やかさを滋味豊かで温かみのある音色で大きく包み込んだようなピアノを堪能。
●ヴィラ=ロボスの「赤ちゃんの一族」、ワタシは初めて聴いたんだけど、当初の予定ではドビュッシーの「子どもの領分」を演奏すると発表されていたのが急遽この曲に変更になった。ドビュッシーも楽しみだったんだけどより貴重なヴィラ=ロボスになってラッキー、くらいに考えていたんだけど、この「赤ちゃんの一族」ってもうひとつの「子どもの領分」みたいな作品だったんすね。人形を通じて描く子供の世界。趣向も曲想もドビュッシーに似ていて、こういうのは「リスペクト」って言えばいいのかな。最近、録音でヴィラ=ロボスの弦楽四重奏曲をまとめて聴く機会があったんだけど(第17番まである)、最初の第3番までくらいはドビュッシーらフランス音楽の影響が強く感じられたのを思い出した。
●アンコールも次々と。この選曲がまたすばらしい。グルック~スガンバーティ編「精霊の踊り」、グリーグ「トロルドハウゲンの婚礼の日」、ブラームスの間奏曲op118-2、ヴィラ=ロボス「子供の謝肉祭」第1番「小さなピエロの仔馬」。肩の力が抜けた上機嫌のグリーグ、陰影に富んだブラームス、どれも味わい深く、全体を通して喚起させるのは、うっすらとしたノスタルジー。

July 4, 2017

クリスチャン・ヤルヴィ サウンド・エクスペリエンス2017記者発表

クリスチャン・ヤルヴィ サウンド・エクスペリエンス2017記者発表
●3日は、すみだトリフォニーホールの開館20周年記念コンサートとして11月3日に開催される「クリスチャン・ヤルヴィ サウンド・エクスペリエンス2017」の記者発表へ。場所はヤマハ銀座コンサートサロン。すでにチラシ等では「クリスチャン・ヤルヴィ・プロジェクト2017」として発表されているが、公演の名称が変更になった。壇上には写真左よりピアニストのフランチェスコ・トリスターノ、通訳の久野さん、企画協力のサウンド&ヴィジュアル・ライター前島秀国さん、そしてスクリーンに投影されているのはSkypeの画面上のクリスチャン・ヤルヴィ。現在ローマに滞在中ということで現地は朝7時にもかかわらず参加してくれた。ほかにすみだトリフォニーホールのプロデューサー上野喜浩さんが臨席。
●今回の公演で演奏されるのは3曲。クリスチャン・ヤルヴィ作曲の「ネーメ・ヤルヴィ生誕80年のためのコラール」、フランチェスコ・トリスターノ作曲のピアノ協奏曲「アイランド・ネーション」、ワーグナー~デ・フリーヘル編のオーケストラル・アドヴェンチャー「ニーベルングの指環」。クリスチャン・ヤルヴィは新日本フィルを指揮する。自作自演による2曲の日本初演と、ワーグナーの「指環」ハイライトを組み合わせたプログラム。
●クリスチャン・ヤルヴィ作曲の「ネーメ・ヤルヴィ生誕80年のためのコラール」は名指揮者である父の生涯を題材とした伝記的性格を持ちつつ、息子から見た父の姿も表現されたという作品(ちなみに兄はパーヴォ・ヤルヴィという指揮者一家)。民俗音楽の要素も取り入れ、歴史的に複雑な背景を持つエストニア人のメンタリティや文化を反映しているという。フランチェスコ・トリスターノ作曲のピアノ協奏曲「アイランド・ネーション」はクリスチャン・ヤルヴィからの依頼がきっかけで書かれた作品で、ピアノ・パートはふんだんに即興的な要素を持っている模様。クリスチャンの言葉によれば「オーケストラが作り出す完璧なベッドの上でピアニストが自由に寝っ転がることができる」。
●デ・フリーヘル編によるオーケストラル・アドヴェンチャー「ニーベルングの指環」は以前より知られている編曲だが、「歌なしで『指環』のドラマが見事に盛り込まれた60分で、『指環』への最高のイントロダクション」(クリスチャン)。彼はすでにバルト海フィルハーモニックを指揮して同曲の録音をソニーからリリースしている(国内盤は今秋発売予定)。北欧神話に由来する「指環」はバルト海文化圏とつながりを持っているという。
●当初、クリスチャン・ヤルヴィはビデオメッセージでのみの参加ということになっていたのだが、急遽Skypeでの参加が決まったのだとか。回線が細く、時折途切れたりもしたが、Skypeは十分に役割を果たしてくれていたと思う。どこにいてもネットさえあればつながってしまう今の時代ならではの記者発表。そのうち壇上もプレス側も全員Skypeで参加することになるのかも。

July 3, 2017

パーヴォ・ヤルヴィ&N響の「ザ・グレート」

●30日はNHKホールでパーヴォ・ヤルヴィ&N響。前半がシューマンの「ゲノヴェーヴァ」序曲、チェロ協奏曲(ターニャ・テツラフ)、後半がシューベルトの交響曲第8番(第9番)「ザ・グレート」。シューマンが見出した「ザ・グレート」にシューマン自身の作品を組み合わせたプログラム。それにしてもシューベルトやメンデルスゾーンの天衣無縫ぶりと比べると、シューマンはその正反対で至るところ縫い目だらけの労作って感じがする。あのチェロ協奏曲を「徹底して快活な作品」と呼んだシューマンに「快活」の定義を問いただしたい。そして、そんな気難しいシューマンの作品をたまらなく魅力的に感じてしまう。前半、ソリストのアンコールはバッハの無伴奏チェロ組曲第1番のプレリュード。なんという軽快さ、そしてユーモア。
●シューベルトの「ザ・グレート」は歯切れよく推進力にあふれた出色の快演。隅々までシャープに磨き上げられ、引き締まったサウンドで前へ前へと進む。執拗な反復にスポーティな心地よさを覚えるほど。脳内NHKホールではみんな立ち上がって踊り出していた。「ザ・グレート」の父はベートーヴェンの交響曲第7番、遠い末裔はラヴェルの「ボレロ」。客席の反応はここ最近のパーヴォ&N響コンビではピカイチ(死語?)。シューマンいうところのシューベルトの「天国的な長さ」、すなわち「もう終わるんじゃないかと心配しなくてもいい」という持続する喜びに全力で共感できる。もっと長くてもいいし、もっとリピートしてくれてもいいってくらいに。

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