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2018年1月アーカイブ

January 31, 2018

クルレンツィスのブルックナー&リゲティ


●テオドール・クルレンツィス指揮SWR交響楽団の1月24日の公演がarte.tvで公開されている(~7月19日まで)。曲はブルックナーの交響曲第9番とリゲティの「ロンターノ」。なんと、この2曲をつなげて演奏するという奇抜な趣向。まさかブルックナーの後にリゲティが来るとは。もしブルックナーが静かに終わったところで拍手やブラボーが出てしまったら決まりの悪い事態になってしまっただろうが、クルレンツィスはスムーズな腕の動きからほとんど間を置かずにリゲティにつなげた。クルレンツィスのカリスマぶりもあって効果絶大。
●第4楽章が完成されなかったおかげで、ブルックナーの交響曲第9番にはいろんな可能性が開けている。作曲者本人が口走ってしまったからと「テ・デウム」をくっつけるくらいだったら、他人の作品をつなげてしまったほうがおもしろい。そういえば、東京交響楽団の新シーズンラインナップ記者会見で、ジョナサン・ノットがブルックナーの交響曲第9番とマーラーの交響曲第10番の第1楽章アダージョを組み合わせる「ダブル未完成プロ」について、ブルックナーを先に演奏して、休憩なしでマーラーを続けるかもしれないというアイディアを披露していたっけ。
●ブルックナーの第9番にはラトル指揮ベルリン・フィルがレコーディングしたSPCM補筆完成版もある。あの再構築バージョンもとても魅力的だと思うのだが、いずれ実演で聴けるだろうか。

January 30, 2018

ゾンビとわたし その35:「新感染 ファイナル・エクスプレス」(ヨン・サンホ監督)

●昔、ゾンビは走らなかった。そのへんをノロノロと歩いていたので、人間はスピードでゾンビを振り切ることもできた。今にして思うとジョージ・A・ロメロ時代のゾンビたちは牧歌的だったとさえいえる。ところが、ダニー・ボイルの「28日後……」やザック・スナイダーの「ドーン・オブ・ザ・デッド」あたりから、ゾンビは全力疾走で追いかけてくるようになった。これは怖い。モーツァルトも裸足で逃げる「疾走する悲しみ」。走らないゾンビをクラシック・ゾンビとすれば、走るゾンビはモダン・ゾンビだ。凶暴さはいっそう増した。
●という前提を念頭に置いていえば、「新感染 ファイナル・エクスプレス」(ヨン・サンホ監督)は「モダン・ゾンビを東アジア的観点で描いた正攻法の傑作」といっていい。これまでの本格ゾンビ作品が開拓してきた黄金パターンがここにある。すなわち、こんな図式だ。

感染者発生→ガブッ!→みんな感染→ゾンビ怖い→人間もっと怖い→愛こそすべて

●結局のところ、黄金パターンを全力で描くことに勝るものはない。そう思わせるほどの説得力があるのだが、先行作品と比べいくらか違うのはやはり舞台が韓国であるということ。アメリカのスーパーマーケットやイギリスの田園地帯で起きるゾンビ禍がどこかリアリティを欠くのに対して、ソウルの高速鉄道を舞台に起きたそれはまったくもって他人事ではない。そういえば日本の「アイ・アム・ア・ヒーロー」(コミックしか読んでないけど)も、物語の始まりは走行する電車のなかで起きたんだっけ。東アジア的なウェットなテイストはどこか自分たちの姿を映すようであり、ゾンビ映画界の日韓戦が実現したかのよう。そして救いのない災厄と人間の醜さを描いているにもかかわらず、完璧な「泣ける映画」になっている。近来まれに見る泣ける映画といってもいい。
●で、これはどれを見ても毎度感じることなんだけど、モダンゾンビって怖すぎるんすよ。もうどうやっても助からない。登場人物たちはかすかな希望にかけて、ギリギリのところを生き抜いていくわけだけど、そこまでやってもそれかよ的なバッドエンドが至るところに待ち構えている。だったら、さっさと噛まれたほうがずっと楽なんじゃね? そう思わずにはいられない。人間たちは必死の形相で逃げてるけど、ゾンビたちは好きなことを好きなようにやってるわけで、日々をストレスなく過ごしている。人がいなければぼうっとしてるし、人がいたら全力疾走して噛みつく。のびのびと自分らしく生きている。いや、生きていないけど。そして人類がひとり残らずゾンビ化した暁には、もはや走る者もいなくなる。地球上の全員がその場でぼんやりとたたずむだけの穏やかで落ち着いた世界がやってくる。ヤツらが到達するのは、そんな争いのない静かな世界なのだ。

>> 不定期終末連載「ゾンビと私
January 29, 2018

ジ Ji

●最近のクラシックのアルバム・ジャケットはアーティスト写真がそのまま載ったような退屈なビジュアルばかり……とお嘆きの方を元気づけてくれそうな新譜がこちら。ワーナーからリリースされたバッハのゴルトベルク変奏曲なのであるが、強烈だ。こいつはぐっと来るぜー。
●ジャケットだけじゃなくて、アーティスト名もインパクト大。ピアニストの名前はジ。一文字だけ。欧文表記だとJi。対検索エンジン的に不利になりそうな名前だが、韓国生まれでアメリカに学んだ売り出し中の若手。ブニアティシヴィリとかアンデルシェフスキといった難しい名前が覚えられない人も大丈夫。ジ。10回繰り返さなくても覚えられる! 演奏的には相当な暴れん坊バッハの予感。
●それにしてもジは短い。短い名前つながりでヨーヨー・マとデュオを組んでみてはどうか。マとジのふたりでマジと読みます、みたいな。

January 26, 2018

浜離宮ランチタイムコンサート 安藤赴美子ソプラノ・リサイタル

●大雪の後、晴れの日が続いて雪はそれなりに融けてきたが、東京では48年ぶりの寒波がやって来て、やたらと寒い。朝出かけると気温は氷点下。地球温暖化と見せかけて氷河期が来そうな勢い(ウソ)。
●25日は午前中から浜離宮朝日ホールへ。11時30分開演のランチタイムコンサートで安藤赴美子ソプラノ・リサイタル。ピアノは河原忠之。ランチタイムコンサートとはいえ途中で休憩が入り90分コースで聴きごたえがある。「朝と昼」というテーマで歌曲とオペラの聴きどころを並べたプログラム。前半は歌曲でトスティの「アマランタの4つの歌」より「暁は光から影を分ける」、レオンカヴァッロの「2つのセレナード」より「フランスセレナータ」、プッチーニの「太陽と愛」(朝の歌)、リヒャルト・シュトラウスの「明日」。後半はオペラでヴェルディ「オテロ」より「柳の歌~アヴェ・マリア」、ボーイト「メフィストフェレ」より「いつかの夜暗い海の底に」、プッチーニ「蝶々夫人」より「ハミング・コーラス」(ピアノ独奏)+「かわいい坊や」。豊麗でのびやかな声を堪能。急用が入ってしまい最後まで聴けなかったのだが、こういったテーマ性のあるプログラムはとてもおもしろい。
●曲間にトークが入って、安藤さんによれば「夜の曲はたくさん見つかるけど、朝の曲は案外少ない」。まあ、やっぱりそうなのかなと思う。夜はいろんなドラマが起きそうだけど、朝は作曲家もなんだか苦手そうだし(←偏見)。歌曲やオペラ以外でも朝の曲は夜に比べると断然少なそうで、エルガー「朝の歌」、ラヴェル「道化師の朝の歌」、ハイドンの交響曲「朝」(朝昼夕の3部作だけど)、やや無理やりでヨハン・シュトラウスのワルツ「朝の新聞」……あとはなんだろう。「道化師の朝の歌」も早起きというよりは朝帰りってニュアンスだろうか?

January 25, 2018

仲道郁代記者会見

仲道郁代記者会見 2018年1月
●24日はアークヒルズ・クラブで仲道郁代記者会見。昨年デビュー30周年(!)の節目を迎え、これまでを振り返りつつ、これからの10年に向けてのプランを語ってくれた。スゴいんすよ、なんと10年かけるリサイタル・シリーズの曲目が一通り発表されていた。2種類のシリーズがあって、ひとつはベートーヴェン中心のプログラム。2027年の演奏活動40周年、さらにはベートーヴェン没後200年に向けての新シリーズということで、ベートーヴェンのソナタとこれに関連した前後の作曲家の作品でプログラムが組まれたシリーズ。2018年は「パッションと理性」という題で、ベートーヴェンの「熱情」とブラームスのピアノ・ソナタ第3番他が演奏される。で、2019年、2020年……と続いていって、2027年は「生と死の揺らぎ」の題でショパンの「葬送」とベートーヴェンの「ハンマークラヴィーア」の組合せ。10年先まで曲目が決まっているなんて!
●シリーズはもうひとつあって、こちらはピアノの響きがテーマとなっているようで、2018年はプレイエルで弾くショパン、2019年はシューマン、2020年はドビュッシー……と続いて、2027年は「変奏曲を極める」。こちらのシリーズも10年分のプログラムが発表されていた。10年間、この通りにプランが進むんだろうか……きっと進むにちがいない。
●この両シリーズ、名前がない。会見後の懇親会で仲道さんに「どうして名前がないのでしょう」と尋ねたら、「ほしいですよね。なにかいい名前はありませんか?」。
●会見で印象に残った仲道さんの言葉。「この30年間とても充実した年月を送ってこれた。支えてくれたみなさんに感謝している。30年間ずっと多忙が続いてきたので、もはやそれが日常になってしまっている。もう舞台の上に住んでしまいたい。それくらいピアノが好き」「30年前に演奏しているときはどんな感じになるかと問われて、イタコのようと答えた。今もそれは変わらない。演奏中は無になれる」「24時間、ピアノのことばかり考えている」
●近く開催されるところでは3月16日に東京芸術劇場で「仲道郁代 ピアノ・フェスティヴァル」がある。こちらは「5台ピアノの響演」。仲道郁代、上原彩子、小川典子、金子三勇士、清水和音、萩原麻未の6人が一堂に会する。「名手たちの60指、乱舞!」というキャッチコピーが秀逸。

January 24, 2018

「いくさの底」(古処誠二著/KADOKAWA)

●「このミス」で上位に入っているのを見て年末年始に読んだ「いくさの底」(古処誠二著/KADOKAWA)なんだけど、なんとなく気になって、途中から拾い読みで再読してしまった。とてもよくできたミステリで、再読すると「あ、なるほど、だからここはこんなふうに書かれていたのね」ともう一度味わうことができる。舞台は第二次大戦中のビルマの小村。この山岳地帯の村に警備駐屯することになった日本軍に、通訳として主人公の民間人が同行している。隊の少尉が何者かによって殺され、いったいだれがなんのために、というところから話がスタートする。戦時下の特異な状況を背景にした謎解きが鮮やかで、戦争小説としてもおもしろい。血なまぐさい戦闘シーンは一切なく、むしろ戦闘が起きていないときの戦場の描き方として秀逸。
●特異な状況を設定して閉鎖的な人間集団を描くという点では先日の「屍人荘の殺人」と同じなんだけど、あちらがジャンル小説のパロディ的な装いをまとっているのに対して、こちらは真に迫ったタッチ。実質的な探偵役ともいえる「副官」が、ずっと物語の背景にいたまま真相に迫るという趣向も吉。

January 23, 2018

東京の積雪2018

雪道
●久々に東京は大雪。昨日夕方の時点でこれくらい積もっていたが、その後さらに降り続け、午後9時頃で東京都心で20cmの積雪。2014年2月以来の大雪だとか。天気予報通りの展開で、「不要不急の外出は控えるように」のお達し。午後4時前くらいの段階ではまだ都内の電車はそれほど混乱していないように見えたのだが、そこから一斉にみんな早々に帰宅モードへ。帰宅指示が出た会社も多かったようで、あっという間に電車と駅が混雑し始めて、渋谷他で駅構内への入場規制が行われた。各所の駅でホームや構内に人があふれ、何本を電車を見送ってからやっと乗れるといった様子。なんというか、これから積もる雪に対してみんなが一斉に正しく行動した結果、人が多すぎて混乱が始まったかのよう。
●東京は雪対策ができていないとは言われるけど、仮に雪なんか降ってなくてもみんなが一斉に同じ行動をとったら都市機能が麻痺するんじゃないだろか。人が多いのと、都市圏が巨大なのとで。震災直後、コンビニの棚がすっからかんになっていたのを思い出す。
●2014年の大雪では、あまりの吹雪で渋谷であやうく遭難しかけたのだった(前が見えなくなった)。前回の大雪が念頭にあって夜に出かける予定を断念したのだが、はたして正解だったのかどうか。

January 22, 2018

シルヴァン・カンブルラン指揮読響、イザベル・ファウスト

●19日はサントリーホールでシルヴァン・カンブルラン指揮読響&イザベル・ファウスト。前半にブラームスのヴァイオリン協奏曲、後半にバッハ~マーラー編の「管弦楽組曲」からとベートーヴェンの交響曲第5番「運命」という変則ドイツ3大Bプロ。超名曲の間に一曲面妖な曲が入ると、こんなにも新鮮なプログラムになるとは。というか、ファウストのソロのおかげか。ブラームスのヴァイオリン協奏曲をまずは巨大なロマン主義的怪物曲として愛好してしまった自分にとって、とても清新な演奏で、夾雑物を取り除いた等身大のブラームス。ティンパニとともになじみのないカデンツァが始まってびっくり。これはブゾーニの作。ハーディングとの録音でも使っていたので事前に聴いていれば予測できたのだろうが、知らずに聴いて得した気分。そういえばファウストはノット&東響とベートーヴェンの協奏曲を演奏したときに、同曲のピアノ協奏曲版編曲に由来するティンパニ付きカデンツァを使っていたっけ。アンコールにクルタークの「サイン、ゲームとメッセージ」から「ドロローソ」。
●バッハ~マーラー編の管弦楽組曲は第1曲を除く第2曲から第4曲を演奏。バッハの管弦楽組曲第2番と第3番から曲を選んで管弦楽組曲に合体させてしまうというキメラ的怪作。第2曲は「ロンドとバディネリ」。管弦楽組曲第2番のロンドとバディネリが合体しているんだけど、バディネリの後にまたロンドに戻る三部形式になっていて、格闘技でめったに見られない大技が決まったのを目にしたかのような謎の快感あり。最後はベートーヴェンの「運命」。前のめりに直線的に進むスマート・ベートーヴェン。第1楽章終盤でのティンパニとか第4楽章の金管でびっくりクレッシェンドが出てきたりと、茶目っ気も。第4楽章はリピートあり。うれしい。キレのあるベートーヴェンだったが、終わった後のカンブルランはもうエネルギーを出し尽くしたといった風。

January 19, 2018

ダーヴィト・アフカム指揮NHK交響楽団、N響の2018/19シーズン

●評判のダーヴィト・アフカムがN響に初登場。35歳、ドイツ生まれ。なぜかインド系のように記憶していたけど微妙に違っていて、お父さんがイラン生まれでインド育ち、お母さんがドイツ人なのだとか。長身痩躯。以前に一度聴いたのはロンドン交響楽団とのキッズ・プログラムみたいな公演だったので、ほとんど初めて聴くようなもの。盛りだくさんの楽しいプログラムで、前半にリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番(小山実稚恵)、後半にシュトラウス「ばらの騎士」組曲、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」。選曲が官能的というか華やかな割には、アフカムの指揮ぶりは生真面目な印象。シュトラウスの両作品はパーヴォとのレコーディングがまだ記憶に新しいところではある。ダイナミックな「ラ・ヴァルス」が爽快。小山実稚恵さんは細部まで彫琢された円熟のモーツァルト。軽快さと情熱の絶妙のバランス。ソリスト・アンコールにショパンのマズルカ イ短調op67-4
●少し前にN響の来季ラインナップが発表されたが、攻めたプログラムが多くてびっくり。ブロムシュテットはついにステンハンマルの交響曲第2番を振ってくれる。パーヴォのシベリウス「クレルヴォ」やプロコフィエフの交響曲第6番、ニールセンの交響曲第2番「4つの気質」、広上淳一指揮のコープランドのオルガン交響曲(鈴木優人)とアイヴズの交響曲第2番、エド・デ・ワールトのジョン・アダムズ「ハーモニーレーレ」、山田和樹の平尾貴四男&矢代秋雄&シェーンベルク、等々。フルシャのヤナーチェクの「シンフォニエッタ」&ベルリオーズの「クレオパトラの死」(ヴェロニク・ジャンス)、ソヒエフのベルリオーズ「イタリアのハロルド」(佐々木亮)&グリエールのハープ協奏曲(メストレ)といったプログラムも。これは楽しみ。かつてない刺激的なシーズンになりそうな予感。
●ちなみにパーヴォは2019年の2月9日と10日にハンス・ロットの交響曲第1番を振るんだけど、2月9日(土)はなんと川瀬賢太郎指揮神奈川フィルも同じ曲を演奏するという、まさかのハンス・ロットかぶり。ただ、神奈川フィルは昼の公演、N響は夜の公演で重なってはいない。ということは、ハンス・ロットの交響曲第1番を一日に2回聴くこともできそうなのだが、さて。

January 18, 2018

Googleマップのタイムライン

Googleマップ●特に新しい機能ではないのだが、「未来に来た感」があるのが、Googleマップのタイムライン。よくできていて感心する。自分がいつどこにどうやって移動したかをすべて記録してくれるライフログで、Googleのアカウントにログインした状態のスマホなりタブレットなりを持ち歩いてれば勝手に機能する。「え、そんな機能あったの?」と思った方は、Googleマップのメニューからタイムラインを選べば表示される。
●だれもがGPS機能の付いた端末を持参して移動するこの時代、そりゃ移動履歴の記録くらいできて当然かもしれないが、このタイムラインは移動手段が徒歩なのか電車なのか自転車なのかバスなのか車なのかといったことも推測してくれるし、少し立ち寄ったお店なんかもかなりの精度で店名まで出してくる。スマホ等で写真を撮っていれば、写真まで移動履歴のなかに表示してくれて、「ああ、あのときはこうだったね」と思い出せる。複数の端末でGoogleアカウントにログインしていて、片方を家に置き、片方を持ち出したときでも、きちんと外出を記録してくれる(もし両方を別人が持って移動したらどうなるのかは知らない)。ああ、便利だ……いや、便利ってのとは少し違うか。
●過去何年もわたって自分がいつどこにいたかという情報を、すべてGoogleという企業に提供していることになる。気持ち悪いと思えば、ロケーション履歴をオフにすればいい。でも、そうはしないんすよ。それどころか、積極的にもっと正しい情報を提供したいという謎の欲望がわいてくる。ときどきGoogleが不確かな記録を補おうと「3日前のこの時間にいたのはこのお店?」みたいに尋ねてくるんだが、それに対して嬉々として正しい情報を教え込みたくなる自分がいる。どうしてなんすかね。
●こういう記録をだれもが持っているという前提だとミステリ小説なんかに出てくる「アリバイ」の概念もずいぶん変わりそう。あ、でも、これって端末の移動を記録しているだけで、それを持参しているのが本人かどうかはわからないか。記録の編集もできてしまうし、ログオフして移動したら記録は残らない。でも、そのあたりを巧妙に用いたトリックとか、ありそうな気がする。

January 17, 2018

「スターウォーズ/最後のジェダイ」のオリジナル・サウンドトラック

●「スターウォーズ/最後のジェダイ」、映画本編の感想は先日書いた通りなのだが、今回は映画を見る前にオリジナル・サウンドトラックをCDで購入した。音楽を聴くだけならApple Music等の有料ストリーミング配信で聴けばいいのだが、「映画を楽しむ」というイベント気分を盛り上げるにはまだまだ物理ディスクは有効だ。なんといっても、手で触れるし。それに「スターウォーズ」シリーズそのものが懐古趣味と隣り合わせなので、やはり紙のブックレットが欲しくなる。映画本編からの写真が何点も掲載されていて、写真のチョイスにも納得感あり。映画を見終わった後、ジョン・ウィリアムズの音楽を流しながらブックレットを開いて、「ああ、この場面はあれがああでこうしたんだよなー」と余韻に浸るためのお土産として満足。
●輸入盤のジャケットは上にあるようにシンプルなロゴのみのデザインになっている。国内盤だとドーンと主要キャラクターたちの絵柄が載っていて、初回特典としてステッカーなどのオマケが付く。どちらがいいかは好みの問題ではあるけど、自分は輸入盤のように宇宙空間背景で中央に大きくSTAR WARSロゴが入っているほうが気持ちが高まる。
●で、オーケストラだが、以前は「スター・ウォーズ」といえばロンドン交響楽団だったのだが、前作から事情が変わった。特にオーケストラの名前は記載されず、代わりにメンバー表が載っている。つまりハリウッドのスタジオ・オーケストラということになるかと思うのだが、何人かの名前をググってみると、それぞれのメンバーがどういう人たちか、ある程度はわかる。1番ホルンはLAフィル首席のアンドリュー・ベイン。コンサートマスターはロングビーチ交響楽団で長年コンサートマスターを務めるロジャー・ウィルキーという人。第2ヴァイオリンのトップはLA室内オーケストラ所属、1番オーボエはオレンジ郡のパシフィック交響楽団首席奏者、といったように近隣オーケストラに所属する人たちがいる一方、大活躍の1番トランペットは主に映画やテレビで活躍するレコーディング・アーティストのようで、人材の豊富さを感じさせる。こういったことも簡単にわかる時代になった。

January 16, 2018

きちんとスマホ対応、レスポンシブデザインでモバイルフレンドリー続編

css_code.jpg●年末年始の間に当ブログを突貫工事でようやくスマホ対応させた。いわゆるレスポンシブデザインとやらでグーグル先生の診断サイトで「モバイルフレンドリー」のお墨付きをもらえてほっとしたのであるが、そうはいってもあれは応急処置。その場しのぎの対応だったので、もう一度cssファイルを見直して、今回ようやく納得のいく形で調整することができた。これで狙った通りのデザインで読めているはず。たぶん。きっと……。ほうら、小さな画面でもこんなに読みやすく!
●なにを直したか、例によってほとんどの方は関心がないと思うが、未来の自分のために書き残しておこう。まず先日の突貫工事では、この画面の横幅をピクセル数で絶対指定してしまっていた。これだと機種によって両サイドの余白がまちまちで、見た目が美しくない。そこで、これを相対指定に書き換えた。っていうか、どう考えても最初からそうすべきだったのに、なぜ思いつかなかったんだろ。たとえばこんな感じ。

@media screen and (max-width: 460px) {
#container-inner {
width: 96%;
}
}

で、このときにまちがえやすいのだが、96%というのは親要素に対する割合であって、画面全体に対するものではない。だから外枠を96%に指定して、その内側ぴったりに文章を入れる箱を置くなら、箱の横幅は100%と指定すべきなんである(未来の自分、なにを言ってるか、わかるかな?)。最初はうっかりまちがえて余白だらけになってしまったぜー。
●続いて、写真等の画像について。このブログで現状使っている写真は最大で横幅411ピクセルとしている。これはいかにも石器時代のブログの仕様だが、今はそこは置いておく。で、平均的なスマホの画面だと写真が全部入りきらず、右側だけが切れてしまう。年末年始の突貫工事では「ま、それくらい平気だろ」と思っていたのだが、んなわけないんである。この問題にはきちんと対処する方法があって、imgタグに対して「横幅が収まりきらないときのみ縮小する」と指定すればいい。以下のようにすると、きれいに写真が収まった。

@media screen and (max-width: 460px) {
img {
max-width: 100%;
height: auto;
}
}

●あとは細かいところだが、スマホとミニタブレットの境目を460pxで判定することに微調整。それとスマホでは画面最上部のバナー広告を非表示にした。どうせだれもバナーなんて見てない。バナー要素adに対してこうすればOK。

@media screen and (max-width: 460px){
.ad {display:none}
}

●なお、巷にあふれる多種多様なスマホから、どう見えているかというクロスデバイスチェック(って言うの?)については、Chromeに標準装備されている「デベロッパーツール」を使った。最初からメニューにGalaxy S5とかiPhone Xとかいろんな機種がセットされていて、それぞれの機種からどう見えるかをチェックすることができる。なんて便利なの。今頃になってスマホ対応など周回遅れもいいところだが、それでもやったほうがいいに決まっている。

January 15, 2018

広上淳一指揮N響&五嶋龍のバーンスタイン生誕100年プロ

●12日、NHKホールで広上淳一指揮NHK交響楽団へ。ソリストの五嶋龍がN響と初共演。「バーンスタイン生誕100年」と銘打たれた公演で、プログラムはバーンスタインの「スラヴァ!(政治的序曲)」、バーンスタインのセレナード(プラトンの「饗宴」による)、ショスタコーヴィチの交響曲第5番という「政治的な」プログラム。冒頭「スラヴァ!」の曲名はバーンスタインの盟友ロストロポーヴィチの愛称であると同時に、ムソルグスキーのオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」で戴冠する皇帝ボリスへの民衆の喝采の言葉。そしておしまいのショスタコーヴィチの交響曲第5番では輝かしい体制賛美が装われるという、ねじれた円環のようになっている。パロディ的な行進で始まって、パロディ的な行進で終わる。
●と言っても、純粋に聴いて楽しいプログラム。「スラヴァ!」で演説の録音が紛れ込むのもレトロ調で可笑しい。白眉はバーンスタインのセレナード。五嶋龍が明快で歯切れのよいソロを披露。バーンスタインのセレナードといえば、かつてお姉さんの五嶋みどりが作曲者と共演した際の「タングルウッドの奇跡」がよく知られている。もっとも、ニューヨークに生まれ住むヴァイオリニストがバーンスタインの曲を弾くことになんの不思議もない。龍さんは「題名のない音楽会」で司会を務めていた間は番組企画に応じてクラシックからアニソンまでずいぶんといろんな曲を弾いてくれたわけだが、納得の曲目で満を持してのN響定期デビュー。ベテランの多い聴衆も大喝采でソリストを讃えていた。

January 12, 2018

新国立劇場2018/2019シーズンランナップ説明会&記者懇談会

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●11日、新国立劇場2018/2019シーズンランナップ説明会&記者懇談会が開催。オペラ、舞踊、演劇全ジャンルについての説明会がCリハーサル室で1時間半にわたって行われ(全ジャンルだとプレス側がこんなに大勢になるんだという大盛況ぶり)、その後各ジャンルごとに分かれて芸術監督を囲んでの記者懇談会へという流れ。写真は左より小川絵梨子次期演劇芸術監督、大野和士次期オペラ芸術監督、大原永子舞踊芸術監督。普段は縁がない演劇やバレエのお話も聞けたのが吉。
●で、オペラ。大野新体制への期待が猛烈に高まった。新シーズンのラインナップをぱっと見た感じだとそこまで大きく変わった感は伝わらないかもしれないが、それは過半がレパートリー公演になるというオペラ劇場の必然があるわけで、説明会を聞くと、これまでの不満が一気に解消されるんじゃないかというくらいに期待を持てた。
●大野監督が掲げた主な目標は5つ。まずはレパートリーの拡充。年間3公演だった新演出を4公演に増やす。そして、新国立劇場の公演が世界初演出になるプロダクションを制作し、現在まさに世界のオペラ界を席巻しているような旬の演出家を起用する。また、これまでにも20世紀のすぐれた作品を上演してきてはいるが(ヤナーチェクとかブリテンとかコルンゴルトとか)、海外の劇場からのレンタルの関係で一回限りの上演で元の劇場に帰ってしまうことが多かった。それを上演権を買う形にして、くりかえし再演できるようにしたい、という話。これは大歓迎。近年の演目でいえばヤナーチェク「イェヌーファ」みたいな圧倒的な舞台がそれっきりというのはもったいなさすぎたので。
●2番目は日本人作曲家委嘱作品シリーズの開始。1シーズンおきに日本人作曲家に新作オペラを委嘱する。で、その制作過程では、従来になかったような作曲家と台本作家、演出家、芸術監督の間での協議を重ねる。そして海外の劇場で上演されるような日本のオペラが生まれてくることを目指す。特に大野さんは新作オペラで作曲家と台本作家が意見を戦わせるようなプロセスが必須と見ているようで、モーツァルトとダ・ポンテ、ヴェルディとピアーヴェ、シュトラウスとホフマンスタールのような共同作業を実現したいそう。まずは最初のシーズンで西村朗作曲、石川淳原作の新作「紫苑物語」が初演されるのだが、すでに作曲家と大野監督、台本の佐々木幹郎、さらには演出の笈田ヨシ(!)とで喧々諤々の議論が重ねられているのだとか。
●3番目は、ダブルビル(2本立て)新制作と、バロック・オペラの新制作を1年おきに行うこと。1年目のダブルビルはプッチーニの「ジャンニ・スキッキ」とツェムリンスキーの「フィレンツェの悲劇」。フィレンツェという街をキーワードにふたつの作品が並べられている。これは楽しみっすよね。ダブルビルのいいところは演目の多様性が実現するところ。定番の組合せも悪くはないけど、こういった新鮮な組合せを期待したいもの。以前、METライブビューイングでチャイコフスキー「イオランタ」&バルトーク「青ひげ公の城」のダブル・ビルという斬新なアイディアが披露されていたのを思い出す。組合せ次第で古典作品に新しいコンテクストが生まれるのがダブルビルの魅力。それからバロック・オペラについては大劇場で上演し、ピットには東フィルや東響が入るそう。バロック・アンサンブルを招く手もありそうなものだが、大野さんのイメージではモダン楽器のオーケストラがガット弦を用いたり、バロック・ティンパニを用いたりするような形で、アイヴァー・ボルトン指揮でバイエルン国立歌劇場が上演していたようなバロック・オペラのスタイルが念頭にある模様。
●4番目は旬の演出家と歌手をリアルタイムで届けたいということ。新シーズン最初の「魔笛」はウィリアム・ケントリッジ、「紫苑物語」は笈田ヨシ、「トゥーランドット」はスペインの演出家集団「フーラ・デルス・バウス」の芸術監督アレックス・オリエといったように。歌手については国際的な歌手に加えて、重要な役にも優秀な日本人歌手を起用したいとも。
●5番目は積極的な他劇場とのコラボレーション。海外の歌劇場との共同制作を通して、日本初のオペラ新演出が世界に広まるという新時代を切り開きたい、と。
●以上、5つの目標が掲げられていたのだが、全体としていえば、これらがレパートリーの多様化につながることがいちばんうれしい。定番の名作も劇場には必須だけど、やはり税金を注ぎこむ国立の劇場であるからには、なにかを「開拓する」という機能を担ってほしいもの。
●余談。大野さんはずっと前に、オペラの台本を書いてほしいとカズオ・イシグロに手紙を書いたことがあるのだとか。丁重なお断りの返事が返ってきたそうだけど、惜しいなー。せめて既存作品をオペラ化することはできないものだろうか。日本の劇場がやるなら「わたしたちが孤児だったころ」でどうだろう。

January 11, 2018

Jリーグの2018年シーズン監督人事を横目で見る

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●サッカーファンにとって、シーズンオフがいちばんワクワクできる時期。気になる監督人事から。
●北海道コンサドーレ札幌の新監督にミハイロ・ペトロヴィッチ就任。広島、浦和と日本で長く活動する名将だけに、浦和を解任された時点でJのクラブから誘いがあることは予想されたが、札幌とは。代表選手が何人もいるようなクラブではなく、J1定着を目指すクラブでどれだけできるか。このチャレンジは興味深い。
●ヴィッセル神戸の監督は昨シーズン途中に暫定監督に就任した吉田孝行が続投。吉田孝行といえば選手時代に、消滅した横浜フリューゲルスや、マリノス、大分、神戸で活躍。おもしろいのはヘッドコーチとしてゲルト・エンゲルスが呼ばれたというニュース。ゲルト・エンゲルスって、吉田孝行がフリューゲルスでプレイしていた頃の監督ではないの。クラブ消滅を目前にして「だれでもいい、助けてくれ!」と日本語で叫んだスピーチはJリーグ史に残る印象深い場面。その後、浦和などJリーグの監督を務めていたが、日本を離れた後はモザンビーク代表の監督を務めていたのだとか。しかし代表監督まで経験している人がアシスタントになるのって、どうなんだろう。元教え子を立派に育て上げるための最適の人選といえる一方、なにかあったらすぐにこの人を監督に昇格させればいいという「次の一手」も見え隠れしているような気もしてなんだか落ち着かない。
●J1初昇格を果たしたV・ファーレン長崎はもちろん高木琢也監督が続投。新戦力として、徳永悠平、徳重健太、中村北斗の国見高出身トリオを獲得したというニュースが流れてきて、「おっ!」と思った。高木琢也監督も国見高校出身。というか、もともとV・ファーレン長崎というクラブ自体が国見高校関係者が設立にかかわっていて、小嶺忠敏が初代社長を務めていたはず。クラブチームがユースチームなど下部組織を設立して選手を育成する仕組みを持つJリーグにあって、逆に高校の部活サッカーからJリーグクラブが生まれ、国見出身者たちがクラブに集まっている現状がおもしろい。逆襲の部活サッカー。

January 10, 2018

写真集 Moving Music / Die Berliner Philharmoniker & Sir Simon Rattle(モニカ・リッタースハウス/Alexander Verlag Berlin)

●うーむ、これは立派な写真集だ。ズシリと重い1650gの Moving Music / Die Berliner Philharmoniker & Sir Simon Rattle。つまりベルリン・フィルの写真集なんである。スゴくないすか。歌手の写真でもなく、指揮者の写真集でも(ほぼ)なく、オーケストラの写真集。写真家はモニカ・リッタースハウスという人で、昨年のラトル&ベルリン・フィル記者会見にも随行していて、壇上から紹介されていた。10年以上にわたって、本番からツアー、舞台裏に至るまで、さまざまな場面でベルリン・フィルのメンバーを撮影している。アジアも含めて世界各地を訪れるベルリン・フィルの姿がここに。もちろん、ラトルも撮影されているし、ほんの少しだけ客演指揮者も写っているが、主役はオーケストラ。ワタシの感覚としては、これはかなり作家性の感じられる写真集で、一枚一枚の写真がとても雄弁で、かつ美しくデザインされている。写真から漂うテーマは、プロフェッショナリズム、チームワーク、神秘性、ユーモア、スター性、孤独、そして喜びといったところだろうか。こんなによくできているんだから、表紙と背表紙に写真家の名前を入れてくれればよかったのに(扉には入っている)。
●今のベルリン・フィルを見ていると、歌手がスターの時代、ソリストがスターの時代、指揮者がスターの時代に続いて、オーケストラがスターの時代が来つつあるという気配をうっすらと感じる。その場合、個のプレーヤー(コンサートマスターや首席奏者)ではなく、オーケストラそのものがスターになるはずという確信を、この写真集は抱かせる。
●たとえば、今日からベルリン・フィルとウィーン・フィルのメンバーが全員総とっかえしたとして、昨日までベルリン・フィルのファンだった人はどっちのファンになるか。え、そんなのウィーン・フィルのファンになるに決まってるって? いやいやいや、そうとも限らないんでは。つまり、マリノスとFC東京の選手が全員総とっかえしたとしても、ワタシはマリノスのファンであり続けることは確実なんすよ。プレーヤーの継続性より、クラブのアイデンティティのほうが優先される領域なので。

January 9, 2018

ミステリ批評家ハロルド・ショーンバーグ

●ハロルド・C・ショーンバーグといえばニューヨーク・タイムズで長年活躍した高名な音楽評論家。日本でも「ピアノ音楽の巨匠たち」をはじめ著書が翻訳されているが、著書を読まずとも名前をどこかで目にしているクラシック音楽ファンは多いはず。が、この人が同時に覆面ミステリ批評家としても活動していたことを知っているだろうか。ワタシは偶然知ったのだが、ニューゲイト・キャレンダーの筆名で同じニューヨーク・タイムズのミステリ書評を担当していたというんである。
●どうやってそれを知ったかというと、 ドナルド・E・ウェストレイク著の「踊る黄金像」(木村仁良訳/早川書房)の訳者あとがきにそう書いてあるのを見つけたから。こんな記述だ。

ホセとエドワルドとペドロが飛行機に乗っているとき、「台詞にSの音がないのに、非難の歯擦音を出すのは人間にとって不可能だが、エドワルドはその不可能を実行」する。Sなしの歯擦音を出す(ヒス)は不可能だとしつこく主張しているのは、「ニューヨーク・タイムズ・ブック・レヴュー」のミステリ書評子ニューゲイト・キャレンダーである。キャレンダーはいちおう覆面書評子だが、その正体は音楽評論家のハロルド・シェンバーグなのだ。ミステリ小説の中で音楽や音楽家の話が出てくると、ミステリのことなどはそっちのけで、音楽関係の間違いをアラ捜しする……
(ええい、率直に言ってしまおう)キラワレ者である。

●と、こんな感じで書かれていて、ミステリ批評家としての芸風もなんとなく伝わってくる。Wikipedia英語版でのハロルド・シェンバーグの項によれば、20年以上もニューゲイト・キャレンダー名義でミステリ書評をしていたというのだから、この分野でも十分に実績豊富といっていい。ニューゲイト・キャレンダーという筆名もなんだかいわくありげ。チェス・プレイヤーとしても大した腕前だったというから、ずいぶんとなんでもできる人である。

January 5, 2018

映画「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」

●ようやく映画館で観た、「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」。同シリーズのエピソード8。監督は前作のJ・J・エイブラムスとは変わってライアン・ジョンソンに。ちなみにエピソード9ではJ・J・エイブラムスが再登場するそう。それにしても先日の「ブレードランナー2049」も長かったが、これも2時間30分超の大作。せめて延々続く予告編を免除するとか、トイレ休憩を入れてほしくなる。だいたい課金モデルなのにCMをたくさん見なきゃいけないのはどういうことか(って、これは前にも言ったか)。以下、ネタバレ若干ありで。
●で、今回の「最後のジェダイ」。ひとつひとつのシーンはよくできているし、従来のマッチョな物語が女性やマイノリティが活躍する多様性のある物語に生まれ変わっているのは大歓迎、映像表現や細かなプロットから旧作へのリスペクトが感じられるのも吉。しかし、もっと驚くような、ダイナミックな展開が欲しかったとも思う。前作「フォースの覚醒」は過去作品のリメイク的なところもあったが、新たな三部作の一作目でもあるし、主要登場人物が刷新されていることで救いがあった。となれば今作には「起承転結」の「転」を期待したいところ。ところがむしろ新キャラクターより旧キャラクターのほうが目立っている。そして主人公レイの両親はだれなのかという点や、敵の大ボスであるスノークがあんなことであんなになってしまうとか、広げたと思われた風呂敷が早々と畳まれている。
●いちばん気になったのは自己犠牲のシーンの多さ。外伝的な位置づけの「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」はワーグナーのオペラ以上に「みんな死ぬ」という話でどうかと思ったが、エピソード4の前史であるという点で耐えた。でも正史のほうでもこんなに自己犠牲が続くようでは、レジスタンスが細っていくのも無理はない。そもそも彼らの側の正義ってなんだったのよ。狂信的なカルト集団とどう違うのか。
●それからフォース。従来設定と辻褄が合わないくらい応用力のある力になっている。特にレイアが九死に一生を得る場面が理解できない。あと、大詰めのルーク。カイロ・レンとの対決シーンは大変カッコいいのだが、その種明かし部分でワタシゃ思わず吹き出したよっ! あれってどうなの。そんなフォースってあり? あの是非について、だれかと語り合いたい。
●自分が期待していたのは、カイロ・レンがライトサイドに目覚めてジェダイとなる一方で、レイがダークサイドに落ちて敵の大ボスになるくらいの落ち着かない展開だったかも。あと、全般に「家族の物語」ではなくなってきた分、このシリーズにあった神話性が薄れている。
●ルークとレイの掛け合いでユーモラスな場面があったのはとてもいい。あの場面って、いかにも父と娘って感じなのに、それなのに、それなのに……。

January 4, 2018

「屍人荘の殺人」(今村昌弘著/東京創元社)

●デビュー作で「このミステリーがすごい!2018年版」第1位、「週刊文春」ミステリーベスト第1位、「2018本格ミステリ・ベスト10」第1位の三冠を達成してしまった「屍人荘の殺人」(今村昌弘著/東京創元社)。あまりの評判のよさにつられて読んだが、これはもう驚愕の一冊。大学ミステリ研の登場人物たちが、「雪山の山荘」ならぬ夏合宿のペンションで外界から閉ざされた環境に置かれ、そこで密室殺人が起きる。文体や人物描写もまったくジャンル小説的で、古典的な本格ミステリのパロディのように始まるのだが、途中で世界が一変してしまう。登場人物のひとりにまるでワタシ自身のような人が出てきて、これは自分のために書かれたミステリとしか思えなかった。
●で、うっかりamazonのカスタマーレビューを読むとぜんぶネタバレを書いている困った人がいるので、版元の紹介文を読んで買うと決めたらさっさと買うのが吉。自分は本格ミステリ・ファンではないので、トリックに関してはいくらよくできていても「んなことするヤツがいるかよ」と突っ込まずにはいられないのだが(エレベーターのあれとか)、それでもまったく問題なく楽しめた。ミステリ側からだけではなく、別のジャンルの側から眺めたときにもクラシカルなテイストがあって、読みたかったのはこれだ!と快哉を叫びたくなる。爽快。

January 3, 2018

謹賀新年2018 ~ レスポンシブデザインでモバイルフレンドリー編

●謹賀新年。元日は天皇杯決勝でマリノスがセレッソ大阪と戦い、タイトル獲得を夢見たものの、延長戦で力尽きてしまった。相手が一枚上手だった。うまくて、ハードワークするチーム。水沼の活躍に複雑な心境になる。マリノスは去った選手がよく育つクラブ。トホホ。
餅つき●さて、年末の間に今さらながら当ブログをスマホ対応させた。いわゆるレスポンシブデザインで、モバイルフレンドリーに。今までだって適度に拡大したり横にしたりすればスマホでも読めなくはなかったが、これからはすっきりスマホ向けに最適化された画面で読める(たぶん、大方の環境では)。どうやってモバイルフレンドリーにすればいいのか、その対応法を新たに覚えるのが億劫でどうにも腰が重かったのだが、一念発起して久々にcssファイルを開いてみたところ、すっかり文法を忘れていてぜんぜん読めなくて焦った。でもまあ、やってみるとなんとかなる。完璧にしようとするとなにかと大変そうだが、個人サイトなんだから突貫工事でおおざっぱに対応するという程度でいいだろうという姿勢。なんどか試行錯誤した後、グーグルの「モバイルフレンドリーテスト」でOKが出てくれて、ほっ。
●以下、ほとんどの方は関心ないと思うけど、なにをやったかだけ記しておこう。まず「レスポンシブ ウェブ デザイン」にあるように、ページが各種デバイスに対応していることをブラウザに知らせるために、各ページのヘッダに一行メタタグを追加する。

<meta name="viewport" content="width=device-width, initial-scale=1.0">

続いて、メディアクエリを用いてcss内に必要に応じてスマホ用の記述を加える。ウチのブログの場合は7インチとかの大きい画面ならデスクトップ用と同じ画面を表示させても問題ないと判断して(右側のメニューエリアが切れて表示されても文章は読めるし、まれに必要なときのみ横スクロールすればいい)、画面表示が横500ピクセルまでの場合のみ、スマホ向けのデザインを適用させる。たとえば、今この文章が書かれているエリアであれば、デスクトップ用の記述の後に @media screen and (max-width: 500px) などと続けて、スマホ用の記述を書く。以下の部分は、スマホ用にフォントを一回り大きくして、かつ行間をやや狭めると指定している部分。

.asset-content {
font-size: 89%;
margin: 5px 0;
line-height:180%;
}

@media screen and (max-width: 500px) {
.asset-content {
font-size: 100%;
margin: 5px 0;
line-height:150%;
}
}

●これはほんの一例で、ほかにもページレイアウトの横幅を狭め、右側のメニュー欄は本文のお尻に続く形にし、なるべく狭い画面を有効に使えるように左右の余白をギリギリに近いくらいにまで狭めるなど、細部を調節してみた。ただ、それでもまだいろいろと不完全なところはあって、たとえば固定幅で指定している横幅いっぱいの写真などはスマホでは右端が切れてしまうし、スマホでも機種によってはまだ左右の幅が広すぎるかもしれないのだが、最終的には「ま、それくらいはいいだろ」と大らかな気持ちで手を打つことに。
●どうしてこうして逐一なにをしたかを書いているのかというと、きっと数年したら自分のやったことをさっぱり忘れてしまっているだろうから、後から思い出せるように書いている。苦笑。まー、ホントによく忘れるんだ、これが。以前ほど技術的な面に労力をかけられなくなっているので、なんでもかんでも自分でやってしまおうというのは本当は得策ではない。でも、なかなかねえ……。

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