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2022年2月アーカイブ

February 28, 2022

鈴木秀美指揮神戸市室内管弦楽団の「コジ・ファン・トゥッテ」

神戸文化ホール
●週末は神戸へ。神戸文化ホールで鈴木秀美指揮神戸市室内管弦楽団のモーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」(演奏会形式/抜粋)。「よりぬき コジ・ファン・トゥッテ」と題されているのだが、かなりのところまで欲張って収めた2時間半で、朝岡聡さんの語りでストーリーを補強したこともあり不足感はなし。オーケストラの後ろに一段高いステージを組んで、歌手がしっかり演技もするセミステージ方式。なんと、これが神戸市室内管弦楽団の定期演奏会として開催されている。1981年に神戸室内合奏団としてスタートした同楽団は、2018年にホルンとオーボエを加えて神戸市室内管弦楽団と改称、2021年より鈴木秀美が音楽監督に就任している。
●序曲からオーケストラが精彩に富んでいて引き込まれる。HIPなスタイルでオペラを聴ける機会は貴重。モーツァルトのオペラはオーケストラの軽やかさと躍動感があってこそ。歌手陣も充実。中江早希のフィオルディリージ、染谷熱子のドラベッラ、伊原木幸馬のフェルランド、加耒徹のグリエルモ、氷見健一郎のドン・アルフォンソ、宇佐見朋子のデスピーナ。個々のアリアも重唱の楽しさもたっぷり。大活躍中の中江早希、加耒徹はさすがの存在感。たぶん初めて聴いたと思うけど、伊原木幸馬は甘くリリカルな声質が魅力。全体に若々しさ、軽快さがあったのが吉。特に変装後のフェルランドとグリエルモの口説き合戦が秀逸。ふたりともチャラチャラした感じの調子こいた若者に変身していて、ホント、この話はそういうノリだよなあと痛感する。「コジ」はこの二人の役柄にオッサン感が出ると、なんか不潔な感じの話になるのがヤなんすよね。チャラい若者だから成立する。
●客席の雰囲気がいくぶん大らかな感じなのもよかった。アリアの後、ぜんぶ後奏が終わるのを待たずに拍手が出る感じとか、カーテンコールで出てしまったブラボーの掛け声とか(係員が飛んでこなくてほっとした)。
●ダ・ポンテ三部作はどれもそうなのだが、ストーリーのひきが強く、最初はドラマにぐっと引き込まれるのだが、途中からもうモーツァルトの音楽がすべてで話はどうでもよくなってくる。「フィガロ」がいちばんその傾向が強いけど、「コジ」でもやっぱりそうなる。

February 25, 2022

井上道義指揮東京フィルのエルガー、クセナキス、ショスタコーヴィチ

●24日は東京オペラシティで井上道義指揮東京フィル。エルガーの序曲「南国にて」、クセナキスのピアノ協奏曲第3番「ケクロプス」日本初演(大井浩明)、ショスタコーヴィチの交響曲第1番という強烈なプログラム。3曲それぞれまったくテイストが違うが、すべてがハイテンションで、すべてがメインプログラムといった様相。エルガーの「南国にて」は序曲と言いながらも実質的には交響詩と呼ぶにふさわしい規模を持った作品で、風光明媚な南国で過ごす高揚感、そして陶酔感が伝わってくる。ほとんどリヒャルト・シュトラウス的な音のタペストリー。
●続くクセナキスは今年生誕100年。こんな機会でもなければ聴けないピアノ協奏曲第3番「ケクロプス」。独奏は大井浩明。これまでにクセナキスのピアノ協奏曲第1番「シナファイ」、第2番「エリフソン」を弾き、これでクセナキスの3曲を制覇した世界で唯一のピアニストになるという。ケクロプスといえば半獣半人だが、音響的なイメージはさらに巨大な怪獣級。ゴジラ並みの音像がオペラシティの空間で暴れ回る。「春の祭典」を思わすような原初的なエネルギーがほとばしり、剛建な音塊が驀進するのだが、総体としての響きは美しく、荒々しさを突き抜けるリリシズムを強く感じる。エルガーとはまた違った形の陶酔感というか。この曲、おしまいのところは怪獣というよりマシーン感というか、蒸気機関車感がないっすか。スチームパンク風ケクロプスを想像。客席の反応は上々。なにしろこのプログラムで3会場3公演を開くので、さすがに客席は埋まってはいないが、拍手に熱がこもっていた。カーテンコールを一通りくりかえし、客電がついて休憩かなと思ったところでもまだ拍手が止まず、大井がもう一度登場。従来ならブラボーが飛び交う場面。
●後半のほうが短いプログラムで、ショスタコーヴィチの交響曲第1番は切れ味鋭く鮮烈。東フィルのサウンドは明るいと改めて感じる。まったくの偶然だが、ロシアによるウクライナへの大規模な侵攻が始まったその日に聴くショスタコーヴィチ。葬送行進曲風主題など、複雑な思い。曲が終わった後、マエストロのトーク。「今はいい時代じゃないね」というウクライナ情勢を念頭に置いた言葉ではじまり、「一曲目の『南国にて』と似たような題の曲」ということで、予想外のアンコール、ヨハン・シュトラウス2世のワルツ「南国のばら」より。南国で始まって南国に終わるというまさかの展開。

February 24, 2022

プーシキンの「モーツァルトとサリエリ」

●先日、ムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」の原作を読もうと思い「プーシキン全集〈3〉民話詩・劇詩」(北垣信行 栗原成郎 訳/河出書房新社)を手にしたと書いたが(プーシキンの原作とムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」)、この本には悪名高いモーツァルト毒殺説に加担した戯曲「モーツァルトとサリエリ」も含まれている。一場面のみの短い作品なのでさらっと読める。サリエリ視点で書かれており、楽天的なモーツァルトと親しく会話をした末に、モーツァルトの杯に毒を盛る。才能について思いを巡らすサリエリ。これを読むと、なるほど、映画にもなったピーター・シェーファーの戯曲「アマデウス」は、プーシキンが着想元なのだと腑に落ちる。ミロス・フォアマン監督の映画「アマデウス」で描かれるサリエリとモーツァルトの巧みな人物造形は、そのままプーシキンの戯曲にまで遡れる。
●それにしてもプーシキンが「モーツァルトとサリエリ」を書いたのは1830年なのだから、サリエリが世を去ってからわずか5年しか経っていない。当時、噂になっていた毒殺説というホットな話題に飛びついたといったところだろうか。プーシキンは「ボリス・ゴドゥノフ」でも、ボリスが幼い皇位継承者ドミトリーを暗殺したという説に立脚しているので、陰謀説成分多め。
●このプーシキンの戯曲を後にオペラ化したのがリムスキー=コルサコフ。1898年初演。原作が短いのでオペラも一幕もので、ワタシは一度も観たことがない。短いのでダブルビルでなにかと組み合わせて上演することも可能だし、実際に上演されてもいるのだろうが、なにしろサリエリとモーツァルトの男ふたりで会話しているばかりなので、曲として楽しめるかというと微妙な気がする。モーツァルトが自作のレクイエムをピアノで弾く場面があって目立つのだが(原作でもある)、そこが聴きどころというのもおかしな話だし。録音では容易に聴ける(ChandosのCD。ジャケがなんとも)。


February 22, 2022

君はBruckner 8、僕はRonald 9

●ある本を探そうと思って検索したら、たまたま引っかかったのがこちらのシャツ。Brucker 8。いったいこれはだれがどういう目的で買うものなのか、見当もつかないのだが、なるほど似たようなシャツはワタシもいくつか持っている。たとえばRonald 9とか、Nakata 7とか、Ronaldinho 11みたいなヤツだ。でも Brucker 8は持っていない。Brucker 5は売ってないかと探してみたがなかった。いや、買わないけど。
●こちらは Mozart 38。なかなかよいチョイスだと思う。しかし同じメーカーの商品一覧を眺めると、Mozartは38と31と29があって、なぜか39、40、41はない。どういうこだわりなのか謎。そしてメーカー情報が一切見つからないのが気になるが(日本じゃない気がする)、Amazonが出品者ということなら大丈夫なのかな、返品無料なんだし。どうなんだろ。いや、買わないけど。Schubert 9でさりげなくシューベルト協会にケンカを売ってるあたりは好ましいのだが。あ、でもこれ、背中じゃなくて胸にプリントなのか。そこはやや惜しい。いや、買わないけど。

February 21, 2022

2022年のJリーグ開幕。マリノスvsセレッソ大阪 J1リーグ第1節

●まだまだ寒いがJリーグが開幕。日産スタジアムの入場者数は約1万4千人。マリノスはシーズンオフにずいぶん選手の出入りがあった。チームの屋台骨ともいえる選手たち、前線の前田大然、中盤の扇原、センターバックのチアゴ・マルチンスが移籍してしまった。ポステコグルー監督に引っ張られてスコットランドのセルティックに行った前田はしょうがないとして、チアゴ・マルチンスがニューヨーク・シティに移ったのは誤算。ほかにもティーラトン、天野純(韓国にローン)ら実績豊富な選手もいなくなった。代わりに新戦力として鹿島から永戸勝也、鳥栖からエドゥアルド、徳島から藤田譲瑠チマ、仙台から西村拓真、中国の武漢からアンデルソン・ロペスを獲得。うーん、いい選手たちを得たとは思うが、抜けた選手たちが戦術面で絶対的な存在だったので、今季はがまんの展開が続くかも。
●で、開幕スタメンを見たら新戦力がひとりもいなかった……。どうやりくりしたかといえば、岩田を畠中と並んでセンターバックに置き、左右のサイドバックは松原と小池、中盤に喜田と渡辺皓太、トップ下にマルコス・ジュニオール、左に仲川輝人、右に水沼宏太、トップにレオ・セアラ。右の仲川を左に使ってなんとかしたが、駒不足の感は否めず。ACLも戦うのに。
●苦手なセレッソ大阪相手にマリノスはケヴィン・マスカット監督のもと、昨季からの継続性を重視した攻撃サッカーを展開。ボールはよく回るし、ほとんどの時間帯で攻めていたといってもいいくらいだが、相手のディフェンスを混乱に陥れる場面は少なく、特に前半はセレッソのゲームプランにハマってしまった感触も。コーナーキックから失点で1点先制されたが、後半に仲川とアンデルソン・ロペスがゴールを奪って逆転、これで勝利も同然と思っていたら90分にまたもコーナーキックからなんと清武に頭で決められて追いつかれた。2対2のドロー。アンデルソン・ロペスは1ゴール1アシストの大活躍だが、先発でもフィットするのかどうかはまだなんとも。前田大然の驚異的なスプリント回数とチアゴ・マルチンスの広大なスペースをカバーするスピードがなくても、この戦術は機能するのかどうか、まだ確信が持てない。
●ところでセレッソ大阪の小菊昭雄監督にはプロ・サッカー選手の経歴がない。外国人監督では珍しくないが、日本人監督では少数派。大卒後にセレッソの下部組織にアルバイト採用され、そこからスカウト、コーチを経て監督にまで上り詰めたという叩き上げ。元名選手にはない、経験の深さが強みだろう。

February 18, 2022

「ジョン・ウィリアムズ ライヴ・イン・ベルリン」

●昨年10月に開かれたジョン・ウィリアムズ指揮ベルリン・フィルのライブ録音が、CD他のフィジカルでもリリースされた。すでにベルリン・フィルのデジタル・コンサート・ホールでライブ映像は観ているわけだが、こうしてパッケージ用に整えられたレコーディングにはまた別の感動がある。ライブ映像はコンサートの興奮を記録して伝えてくれるものだが、一方、時間をかけて編集された「音源」こそが(CDであれストリーミングであれ)プロダクトとしての最終形であるという気持ちも強いので。「スーパーマン」冒頭を聴いてゾクッとする。全般に「タメ」多め。
●それにしてもフィジカルの世界は細分化されている。同じ「ジョン・ウィリアムズ ライヴ・イン・ベルリン」と題された商品が、ユニバーサルミュージックの商品ページには5種類も載っているんすよ! いちばん豪華なのがDELUXE EDITIONで、CD2枚にBlu-rayが付いている。CDはMQA-CD&UHQCD仕様で「ハイレゾCD」を謳っていて、そのあたりは深入りしたくないのだが、普通のCDプレーヤーで普通のCDとして再生可能。映像が必要ない人は通常盤を購入すればいい(こちらもMQA-CD&UHQCD仕様)。で、このDELUXE EDITIONと通常盤について、それぞれの輸入盤も掲載されている。これで合計4種類。では残りもう1種類がなにかといえば、輸入盤のBlu-ray Audio+Video。Blu-rayが2枚入っていて、CDは入っていないわけだ。Blu-ray Audioという需要があることに感心。
●なんというか、マニアックだなって感じる。結局、フィジカルもストリーミングもマニアが求めるものであって、一般人はYouTubeで間に合ってるということなのかも。
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●今週末のテレビ朝日「題名のない音楽会」は、クセナキス生誕100年を記念して「クセが強いのにクセナキスの音楽会」。松平敬さんと神田佳子さんの「カッサンドラ」より等、地上波民放では激レアなので観るが吉。関東は土曜午前10時から。

February 17, 2022

彩の国さいたま芸術劇場 近藤良平芸術監督就任&2022年度ラインナップ発表記者会見

彩の国さいたま芸術劇場 近藤良平芸術監督就任就任&2022年度ラインナップ発表記者会見
●14日昼は彩の国さいたま芸術劇場の近藤良平芸術監督就任&2022年度ラインナップ発表記者会見。現地参加とリモート参加を選べたので、ありがたくリモートで。 Zoomウェビナーを使用。2022年4月より芸術監督に就任する振付家・ダンサーの近藤良平が抱負を語った。コンドルズ主宰として広く知られる近藤良平は、初代の諸井誠、2代目の蜷川幸雄に続いて3代目の芸術監督。作曲家、演出家と来て次は振付家・ダンサーということで、各分野からバランスよく人選された感。
●近藤「僕はダンスが専門。ダンスには社会を変える力があると信じて向き合ってきた。この力を通じて楽しい芸術文化をお届けしたい。劇場は芸術文化のサンクチュアリ(保護区)のような存在。みなさんと夢を共有したい」。合わせて2022年度ラインナップのラインナップも発表された。大きなテーマとして掲げられたのは「クロッシング!」。アーティストが交流して創作物を作る、自分のジャンルだけではなくいろんな人とクロスする、多くの人々が劇場で出会う、そんな意図を込めてのクロッシング。埼玉県と他地域とのクロッシング、オンラインを含めてのクロッシングも意識される。新芸術監督の任期はひとまず1期3年だが、長期的なスパンが前提になっているそう。
●そんな新たなキーワードを掲げて、演劇やダンスの意欲的な新企画が紹介されたのだが、音楽に関して言えば2022年度は従来からの継続性が重んじられたラインナップになっている。目をひいたところでは、5月の加藤訓子「META-XENAKIS~クセナキス生誕100年を祝う」、7月のピアノ・エトワール・シリーズで三浦謙司ピアノ・リサイタル、9月のクロノス・クァルテット「ブラック・エンジェルズ」、12月のバッハ・コレギウム・ジャパン「第九」など。なお、10月3日から2024年2月29日まで、彩の国さいたま芸術劇場は大規模改修工事に伴って休館となる。この間の音楽公演は埼玉会館で開催される模様。
●休館中は「埼玉回遊」と名付けた企画を立ち上げて、県内の各地を巡るようなアイディアもあるという。小回りの利くこういった企画のほうが、音楽でも独自色を出しやすいかもしれない。

February 16, 2022

ブースター接種 モデルナ→モデルナ→モデルナで3回目

自衛隊大規模接種センター
●11日、自衛隊大規模接種センターで3度目の新型コロナワクチンを打ってきた。これで3回ともすべてモデルナになったわけだが、3回目はこれまでの半量なのだとか。2回目の後は38.9度まで発熱して、全身がガタガタ震えるくらいの悪寒があったりと、かなりの副反応があったわけだが、今回はなにもないといいな……と思っていたら、なるほど、ちょうど半量程度の副反応があった。発熱したけど37度台後半から38.0度くらい。そんなにしんどいわけでもないが、普通に過ごすのもムリなので一日ぐったりすることに。でもぐったりしながらも、確定申告は済ませた。
●今回、自治体から接種券が届いた時点では、ワタシら一般枠は前回接種から7か月後に打てるとなっていた。となると、自分は最速でも3月。地元の集団接種にいったん3月で予約したが、自衛隊なら6か月後に打てると知り、予約を変更してスケジュールを早めた。その後、自治体も前倒ししてきて、モデルナに限っては6か月後に打てることになった。ここで自衛隊をキャンセルして地元で打つ手もあったのだが、なんというか、遠くても知っている場所がいいという気持ちが働いて、また大手町合同庁舎まで行ってきたのであった。
●それと、ここは最寄り駅が竹橋なので、行ったついでに近代美術館に寄れるのが利点。注射だけのために出かけるのでは気持ちが盛り上がらないわけで、なにか娯楽がセットで欲しくなる。

February 15, 2022

尾高忠明指揮大阪フィルのブルックナー

●2月14日はバレンタインデー。この日にふさわしいスイートな体験、耳で味わう自分チョコとしてふさわしい音楽はなにかといえば、それはブルックナーしかないっ! ということで、サントリーホールで尾高忠明指揮大阪フィル東京定期へ。曲目はブルックナーの交響曲第5番のみ。完璧だ。聴くだけでモテそう。
●大フィルはたぶんこの20年以上聴いていないと思うので、もはや初めても同然だったのだが、さすが関西の雄、高機能かつパワフルなサウンドを轟かせてくれた。準備万端に仕上げられており、本番に一段テンションを上げて豪壮に鳴らしたといった様子。全体に高水準なのだが、特に弦楽器の厚みが印象的。後ろのプルトまで一丸となってぐいぐい弾く。金管はここまで鳴らす必要はないとは思ったけど、そこはブルックナー観によるのか。壮大で剛悍な音のドラマに圧倒される。在京オケで聴く尾高さんのイメージとは少し違うんだけど、大フィルとのコンビになるとこういった化学反応が起きるのかという点でも興味深い。曲が終わった後は完璧な静寂が訪れ、一呼吸、二呼吸くらい待ってから盛大な拍手。楽員が退場しても拍手が鳴りやまず、指揮者のソロカーテンコールへ……と思ったら、コンサートマスターの崔さんと一緒に登場。

February 14, 2022

井上道義指揮読響、服部百音のショスタコーヴィチ

●天気予報通り、雪が降った10日、足元に気をつけながらサントリーホールへ。この日は本来なら読響定期でヴァイグレ指揮でシュトラウス「エレクトラ」演奏会形式が予定されていたのだが、入国制限により歌手陣が来日できず中止になり、代わって井上道義指揮でショスタコーヴィチ・プログラムが組まれた。前半がヴァイオリン協奏曲第1番(服部百音)、後半は交響曲第5番。前半は服部百音の独奏が壮絶。尋常ではない集中力で作品にのめり込む。本人にとって特別な作品であることが伝わってくる。コーナーぎりぎりを攻めるアグレッシブさがあって初めて実現する崖っぷちのショスタコーヴィチ。本来作品自体がそういうものなのだと教えてくれるような稀有な凄演で、これまでに聴いたこの曲の記憶を上書きしてしまった(意外と演奏機会は多い)。
ショスタコーヴィチ●この曲、ソリストに大変な負担を強いるが、初演の際、さすがのオイストラフも「せめて汗を拭くための休息がほしい」と作曲者に懇願したことから、ショスタコーヴィチは第4楽章の冒頭にほんのわずかにソリストの休みを作った。まさにその逸話を思い起こさせるように、ここで服部百音はハンカチで汗をぬぐったのだが、そこで肩当が落ちるハプニングがあった。あ、これは間に合わないと思ったが、すばやくリカバーしてギリギリ演奏に復帰するというよもやの離れ技。なにせ東京に雪が降るんだからこれくらいのことは起きて不思議はない。終わって放心するような演奏だったが、ソリストアンコールがあって、シューベルト~エルンストの「魔王」。
●後半の交響曲第5番も緊迫感にあふれ、前半に続いて鮮烈な演奏。骨太のタッチで描きあげる強靭なドラマ。本来の定期演奏会が中止になり特別演奏会として開催された公演で、しかも荒天も重なったのだが、客入りはよく、客席は大喝采(といっても声は出せないわけだが)。最後はマエストロのソロカーテンコールに。くるりと2回転して見せるなど、照れ隠しようなポーズを連発して喝采に応えた。

February 10, 2022

ミケル・バルセロ展 ~ 東京オペラシティアートギャラリー

ミケル・バルセロ展
●東京オペラシティアートギャラリーで開催中のミケル・バルセロ展(~3/25)。実はもう2回、足を運んでいる。場所柄、コンサートの開演前に寄れる便利さもあるのだが、そうでなくてもまた来たくなる場所になっているし、できればもう一回行きたい。遠目に心地よく、近寄って見れば生々しく、ときどき血なまぐさい。動物成分高め。

ミケル・バルセロ 銛の刺さった雄牛
●いくつか異なる系列の作風があるが、特に惹かれたのが「闘牛」テーマ。これは「銛の刺さった雄牛」(2016)。オペラ「カルメン」終幕に登場する闘牛士たちが束になって襲いかかっても、ここまで牛は刺されない。牛受難曲。牛の磔刑図。

ミケル・バルセロ とどめの一突き
●こちらは「とどめの一突き」(1990)。闘牛場を上空から眺めた構図になっていて、今だったらドローン視点と言いたいところだが、90年代にそんなものはない。小さく描かれる闘牛士と牛。赤い布が見える。この一突きとほとんど同時に、キャンバス外ではドン・ホセがカルメンを刺しているはずである。

ミケル・バルセロ 午後の最初の一頭
●これも闘牛なのだ。「午後の最初の一頭」(2016)。豆粒のような牛、そして右方に少し離れた場所に立つ闘牛士。クライマックスはこれからだが、観客の高まる興奮が水しぶき状の形態で闘牛場に投影される。

ミケル・バルセロ イン・メディア・レス
●「イン・メディア・レス」(2019)。中央に闘牛士と牛。ここから同心円状にぐるぐると筆の跡が走っている。闘牛士はわずかに覇気を欠いているかもしれない。思い出すのはヘミングウェイの短篇「敗れざる者」。闘牛士の黄昏。

February 9, 2022

ユベール・スダーン指揮札幌交響楽団の東京公演2022

●8日はサントリーホールで札幌交響楽団東京公演。当初予定では札響首席指揮者マティアス・バーメルトが指揮をする予定だったが、入国がかなわず、代役としてユベール・スダーンが登場。今やデスピノーサ、アクセルロッドと並ぶ「全日本首席客演指揮者」のひとりとして昨年から日本に滞在して獅子奮迅の活躍。プログラムはベルリオーズの「ロメオとジュリエット」より「愛の場面」、伊福部昭の「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲」(山根一仁)、シューマンの交響曲第2番。曲目の変更はなかったそう。まさかスダーンが伊福部を振ることになろうとは。そしてワタシは先日のN響から2公演続けて、シューマンの2番を聴くことになるという奇遇。
●ベルリオーズは弦楽器のシルキーな質感が印象的。伊福部作品は鮮烈。山根一仁がキレッキレの入魂のソロ。一段とスケールアップした感がある。アップデイトされた21世紀日本の土俗性を堪能。この「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲」、着想元はラヴェルの「ツィガーヌ」なのかなと思った。ロマの民俗的な要素が日本の北の大地に置き換えられ、換骨奪胎されているというか。
●後半、シューマンの交響曲第2番は先日の下野&N響とはまったく異なる設計思想。あちらは緻密で夾雑物をそぎ落としたようなモダンなシューマンだったが、こちらはより伝統的な重々しい響きによる巨大な音楽。情熱がほとばしる。第1楽章リピートあり。ティンパニはバロック、下手奥の配置。終演後は拍手が鳴りやまず、マエストロのソロカーテンコールに。この光景は久々かも。
片栗粉●帰り際、出口を出たところでお土産として片栗粉が配られていた。なんというお得感。うれしい、今すぐ唐揚げを揚げたくなるくらいに。これって水溶き片栗粉にしなくても振りかけるだけでいいタイプのやつだから、麻婆豆腐なんかにも便利なんすよね。ビバ、ホクレン。

February 8, 2022

諏訪内晶子 国際音楽祭 NIPPON 2022 オンライン記者会見

諏訪内晶子 国際音楽祭 NIPPON 2022 オンライン記者会見
●7日昼、ヴァイオリニストの諏訪内晶子が芸術監督を務める「国際音楽祭 NIPPON 2022」のオンライン記者会見が開かれた。登壇は諏訪内晶子、二瓶純一ジャパン・アーツ代表取締役社長、音楽祭プロデューサーの山田亮子同社取締役の各氏。2月8日より約一か月間、東京、名古屋、陸前高田の各地で7企画10公演が開かれる。主な公演を挙げると、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータを2回に分けて演奏する諏訪内晶子ヴァイオリン・リサイタル、尾高忠明指揮NHK交響楽団と諏訪内晶子の共演によるデュティユーのヴァイオリンと管弦楽のための夜想曲「同じ和音の上で」&ブラームスのヴァイオリン協奏曲、「クラシック」と「モダン」の2公演にわたって開催される「諏訪内晶子室内楽プロジェクト」、「ブラームス室内楽マラソンコンサート」他。
●「諏訪内晶子室内楽プロジェクト」ではマーク・ゴトーニ(ヴァイオリン)、鈴木康浩(ヴィオラ)、イェンス=ペーター・マインツ(チェロ)、阪田知樹(ピアノ)が共演。「クラシック」ではフランクのピアノ五重奏曲のほか、ファニー・メンデルスゾーン、クララ・シューマンの作品も。「モダン」では望月京の委嘱新作、バツェヴィチのピアノ五重奏曲第2番他。サブテーマとして女性作曲家の作品にも光を当てる。
●諏訪内さんが現在使用する楽器は1732年製作のグァルネリ・デル・ジェズ「チャールズ・リード」。以前はストラディヴァリウスを長く弾いていた。諏訪内「ほとんどのレパートリーをストラディヴァリウスで弾いてきたが、楽器が変わっただけで音楽は大きく変わる。楽器の潜在能力が異なる。ストラディヴァリウスは、もともとあるものをどうやってできるだけ崩さずに聴いてもらうか。一方、デル・ジェズはただそのまま弾いただけでは音が出ないので、奏者が掘り下げて、イメージした音に近づいていかなければならない。それを続けていると、イメージした以上の音が出てくる」
●会見の使用ツールはYouTubeで、一方通行の配信。質問は事前に送信する方式。話を聞く前に質問を求められるのはなんだか奇妙な感じもするが、時間が押す心配はなくなる。

photo © その江

February 7, 2022

下野竜也指揮NHK交響楽団と小林愛実のシューマン

シューマン●5日は東京芸術劇場で下野竜也指揮NHK交響楽団。オール・シューマン・プログラムで、前半に「序曲、スケルツォとフィナーレ」作品52より「序曲」、ピアノ協奏曲(小林愛実)、後半に交響曲第2番。序曲+協奏曲+交響曲という基本の3点セットでありながら、序曲が一ひねりしてある。この曲、「序曲、スケルツォとフィナーレ」として演奏すると3楽章の「隠れ交響曲」みたいな感じだが、序曲だけを抜き出して演奏すれば序曲として機能することを知る。
●当初の予定ではイゴール・レヴィットの独奏とパーヴォ・ヤルヴィ指揮でブラームスのピアノ協奏曲第2番が演奏されるはずだった。レヴィットが聴けないのは残念だが、代わりにショパン・コンクール以来初めて小林愛実を聴けるのはうれしい。繊細で流麗なシューマン。パワフルなタイプではないので、会場がNHKホールでなく芸劇だったのは幸い。ソリスト・アンコールはショパンのワルツ変イ長調作品42。ショパンとなれば水を得た魚で、磨きに磨きをかけたきらびやかさ。
●後半のシューマン第2番は快演。引きしまった響きによるキレのあるシューマン。もともと渋味のある色彩感を持つ曲だが、楽器間のバランスが良好で見通しがいい。第1楽章はリピートあり。第2楽章は白眉。終楽章は喜びの音楽でありつつ寂しさを感じさせるのがこの曲の魅力。神がかり的な傑作であることを改めて感じる。客席は盛況。
●今月の定期公演は本来ならパーヴォ・ヤルヴィの首席指揮者として最後の公演になるはずだった。一時は3つのプログラムのうち1つは予定通りの公演が可能かと思えたが、結局すべての公演で来日できず。来シーズンの予定を見るとパーヴォの登場は2023年4月。さすがにその頃にはウイルス禍も下火になっていると思いたい。

February 4, 2022

新装版「クラシックBOOK この一冊で読んで聴いて10倍楽しめる!」発売

●拙著「クラシックBOOK この一冊で読んで聴いて10倍楽しめる!」(三笠書房)が新装版で発売されたのでお知らせを。2007年に文庫で発売されたワタシの書籍第一作が、新たに単行本として生まれ変わった。この入門書はとてもよく売れたのだが、さすがに時が経ち、何年か前から品切状態になっていた。復刊にあたっては、一部内容の古くなった章を削り、代わりに二作目の「クラシックの王様 ベスト100曲」から一部を加え、あとは冬季五輪を見すえてフィギュアスケート関連の名曲についてほんの少しだけ新規に原稿を書き足した。また、文庫版では付録としてシングルCDがついていたが、これが通常サイズのCDになり、収録時間も増えた。最初に文庫本で出て、その後単行本で出し直すというのは普通の本と順序が逆で珍しいパターン。デビュー作がもう一度日の目を見ることになってありがたい。
●で、出し直すにあたって、改めて校正するチャンスがあったのだが、これにはびっくり。すっかり内容を忘れていたのと、文体が今と違いすぎて、とても自分が書いた原稿だとは思えない。なにせ15年経ってる。文体というか、書き手の「キャラ設定」が違っていて、やや恥ずかしい。でも下手に直そうとするとつぎはぎだらけのおかしなことになってしまうので、最小限の改稿に留めた。一度世に出たものだし、数年前まではまだ流通していたわけだから、取り繕わないほうがいいかな、と。売れますように。

February 3, 2022

新国立劇場 ワーグナー「さまよえるオランダ人」デスピノーサ指揮、シュテークマン演出

新国立劇場 ワーグナー「さまよえるオランダ人」
●2日は新国立劇場でワーグナー「さまよえるオランダ人」。マティアス・フォン・シュテークマンの演出で、2007年以来、これで4度目の上演。同じ演出を過去にも観ている。入国制限によりキャストは国内組に変更、指揮はガエタノ・デスピノーサ(去年からずっと日本にいるのでもはや国内組)、ゼンタに田崎尚美、オランダ人に河野鉄平、エリックに城宏憲。ダーラントは妻屋秀和。マリーの山下牧子は「都合により」出演できず、代わって金子美香が舞台袖で歌い、演技は澤田康子(再演演出)が務める変則的な対応になった(カバーの歌手も別途いる)。感染者数が急増している今、オペラのような関わる人数の多い公演が無事に開催できたことはなにより。客席も盛況に見えた。ピットには東京交響楽団。序曲は通常のバージョン。休憩あり方式。
●シュテークマンの演出は伝統的なスタイル。だからワーグナーの音楽を安心して楽しめるとも言えるし、乙女の自己犠牲という今日性を失った物語がそのまま差し出されたとも言える。田崎尚美のゼンタが圧巻。豊かな声量で、信念の人を表現。河野鉄平のオランダ人は毅然としてカッコいいのが吉。そう、フライング・ダッチマンはカッコよくなければ。
●で、久しぶりにこの作品を観て感じたのは、「さまよえるオランダ人」ってパッチワーク的だなということ。純ワーグナーと未ワーグナーが混じり合っているというか。エリックという役柄におもしろさを感じる。単にゼンタにふられるだけの役なんだけど、ゼンタとオランダ人が救済や誠の愛というワーグナー的な世界に生きているのに対して、エリックはイタリア・オペラから迷い込んだような現世的な人物なのが可笑しい。ダーラントのお金大好きパパっぷりも同じで、彼らは現実世界を生きている。というか、ゼンタとオランダ人だけが観念の世界を生きている。で、水夫たちや猟師、糸紡ぎの女たちは「労働」に勤しんでいる。第2幕冒頭で、女たちが糸車を回しているのに、ゼンタがそれを止める場面があったのがすごく印象的だった。労働を一種の信仰が侵す場面で、人と人は分かり合えないことをこれほど端的に示すシーンもない。人の仕事に手を出すな。狂信的な女性をこちら側に戻すにはどうしたらいいのか。もうエリックに全面的に共感するしかない。
●デスピノーサの指揮がいい。適度に煽り、ときに粘る。先日の読響とのコンサートでも感じたけど、勘所を押さえた語り口で楽しませてくれる。デスピノーサは昨年からずっと日本に滞在して各地のオーケストラで代役を引き受けていて、「さまよるオランダ人」に続いて同劇場で「愛の妙薬」も指揮することになった。もうアクセルロッドと並んで「全日本首席客演指揮者」のタイトルを差し上げたいくらいの気分。あるいは「全日本常任指揮者」でもいいのか。

February 2, 2022

ニッポン対サウジアラビア@ワールドカップ2022カタール大会 アジア最終予選

ニッポン!●ワールドカップ最終予選は先日のホーム中国戦に続いて、ホームのサウジアラビア戦。このグループでサウジアラビアは頭一つ抜き出ての首位。アウェイのサウジアラビア戦でニッポンは0対1で敗れており、そのときはスコア以上の差を感じた。で、今度はホームにサウジアラビアを迎えたわけだが、形勢はすっかり逆転、なんと、ほとんどチャンスらしいチャンスを与えることなく、2対0で完勝したのだった。序盤こそ、サウジの強さが垣間見えたものの、前半20分にアルマルキが負傷退場した後は、ずっとニッポンのリズムで試合を進めていた。
●特にキーとなったのはニッポンの右サイド。伊東が縦横無尽の活躍。前半32分、スピードで相手を置き去りにして、低い高速クロスを入れると、中央で受けた南野が落ち着いてシュート、相手キーパーにあたったボールがゴールマウスに吸い込まれた。2点目は後半5分で、ハイプレスからボールを奪った後、流れてきたボールを伊東が豪快に右足を振りぬいて、ズドンとゴール左上に突き刺すビューティフル・ゴール。これはスーパープレイ。よく見るとディフェンスの股下を抜いて蹴り込んでいる。サウジラビアにとって伊東のサイドは本来ならアルシャハラニの攻め上がりを期待していたはず。伊東のスピードのおかげでアルシャハラニが守備に追われる展開になったのが大きかった。
●森保監督はあくまでも継続性を重んじる采配で、先発メンバーは前の中国戦と変わらず、交代選手までだいたい同じ。GK:権田-DF:酒井、板倉、谷口彰悟、長友(→中山雄太)-MF:遠藤(→原口)、守田、田中碧-FW:伊東、南野(→浅野)-大迫(→前田大然)。まあ、前の試合で勝ったのだから、同じメンバーが出るのは自然なことではある。この日も「リリーフ左サイドバック」のように中山が長友に代わって途中出場した。が、この試合に関しては中山はもうひとつで、長友が内容で上回っていたのはたしか。こうなると森保監督は正しかったということになるのだが、一周回って、じゃあ長友の後継者は中山でいいのか、やっぱり本職の左サイドバックが必要なんじゃないかというスタート地点に立ち返ってしまう。だれか左サイドバックのスペシャリストがレギュラーになり、守備のオールラウンドなバックアッパーとして中山が控える、という形がいいんじゃないか。太古のオフトジャパン以来の「左サイドバックの選手層が薄い」問題が2022年の今も続いている。
●右サイドバックでは酒井も久しぶりに元気なプレイ。ある時期から酒井はもう燃え尽きたように感じていたのだが。しかしベテランになればかつてのようなパッションが失われるのは自然なことで、そういう選手の数がこのチームに多すぎるんじゃないかと、この日の完勝を目にしてもなお感じている。というのも、気がつけば伊東28歳、南野27歳、遠藤28歳。「下の世代」と思っていた選手たちがピークの年齢に達しつつある。世代交代が進まない。
●さて、ニッポンが勝点3をゲットした後、オーストラリアはアウェイでオマーンと戦って2対2のドロー。オーストラリアは2度にわたってリードするが追いつかれるという惜しまれる展開。また、中国はアウェイのベトナム戦で完敗。やはりどこもアウェイでは苦労する。これでグループBは1位サウジアラビア(勝点19)、2位ニッポン(勝点18)、3位オーストラリア(勝点15)で残り2試合。オーストラリアが少し引き離されたが、彼らはホームのニッポン戦を残している。

February 1, 2022

プーシキンの原作とムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」

●先日、METライブビューイングでムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」初稿を観て以来、これってプーシキンの原作はどうなっているのかな、というのが気になっていた。現在入手容易な日本語訳が見当たらなかったので、図書館頼みで「プーシキン全集〈3〉民話詩・劇詩」(北垣信行 栗原成郎 訳/河出書房新社)収載の「ボリス・ゴドゥノフ」を読んでみた。ムソルグスキーはこれをもとに自らオペラの台本を書いたわけだが、なるほど、おもしろい。ただし、背景となるロシアの歴史に自分は疎いため、先にプーシキンを読んでもまったく楽しめなかったと思う。すでにムソルグスキーのオペラを観ているから、楽しめる。文中にボリスが登場するたびに、頭の中にはルネ・パーペの顔が浮かぶし、シュイスキーが出てくればマクシム・パステルが浮かぶ。なんというか、大河ドラマを観た後で原作を読んでるような感じ?
●ムソルグスキーのオペラはプーシキンの原作に対してかなり忠実で、この原作がオペラの理解を助ける部分も大いにある。プーシキンはボリスが幼い皇位継承者ドミトリーを暗殺したという立場に立っているが、史実としては謎のまま。ボリスが狡猾な権力者であったのと同時に、ドミトリーを僭称した破戒僧も恐ろしく知恵が回る人物だったとも感じる。読んでいてなるほどと思ったのは、「ユーリイの日」についての注釈と解説。この時代のロシアでは年に一度、「ユーリイの日」の前後一週間は農民が別の地主のもとに移動する権利を持っていた。ところがこれをボリスは廃止してしまう。ボリスとしては中小の地主たちの便宜を図ったんである。つまり、移動の自由があると裕福な地主に農奴を奪われてしまうから、それを止めさせようとしたわけだ。大企業の好き放題にさせず、中小企業を守る。今風にいえばそんな感じかもしれないが、農民たちはたまったものではない。どんなブラック地主からも逃げられなくなったわけで、これは完全に奴隷状態に置かれることを意味する。
●偽ドミトリーが皇帝になれたのには、たまたまそのタイミングでボリスが急死したからでもあるだろうが、それも反ボリス勢力を巧みに取り込んでこそ。ポーランドで偽ドミトリーは全ロシアをローマ・カトリックの支配下に置くことを約束して、国王や貴族、イエズス会司祭の後押しを得たという。偽ドミトリーは戴冠後、「ユーリイの日」を復活させるが、ロシア正教会からの反発もあって、あっという間に反対勢力に殺害されている。

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