2016年3月アーカイブ

March 31, 2016

フェスタサマーミューザ KAWASAKI 2016 記者発表会

フェスタサマーミューザ KAWASAKI 2016 記者発表会
●30日はミューザ川崎で「フェスタサマーミューザ KAWASAKI 2016」の記者発表会。福田川崎市長をはじめ、関係者がずらりと登壇。今年で12回目。7月23日から8月11日にかけて、首都圏の10のオーケストラがミューザ川崎に登場する。キャッチコピーは「最響(きょう)の夏」。なんだか親近感を覚えるぞ。ぜひ最強に強まっていただきたい最響の夏。
●気になるプログラムから目立ったところを挙げると、まずホスト・オーケストラともいうべき東響。オープニングコンサートで、ジョナサン・ノットがサマーミューザ初登場。これは朗報。ベートーヴェンの「田園」をメインに、ヴィラ=ロボスの「ニューヨーク・スカイライン・メロディ」とアイヴズの「ニューイングランドの3つの場所」を組み合わせる。基本的にこの音楽祭は名曲プログラムが並ぶのだが、そのなかで異彩を放っている。フィナーレは秋山指揮東響でベートーヴェンの交響曲第7番他。新日本フィルは上岡敏之指揮でラヴェル「ボレロ」やシャブリエの狂詩曲「スペイン」など、スペイン情緒プロ。東フィルはチョン・ミョンフンとチャイコフスキーの交響曲第4番他。日フィルはバボラークが指揮台に立つ。ベートーヴェン「英雄」とかウェーバー「魔弾の射手」序曲みたいなホルン成分の濃いプログラムなんだけど、ホルンは吹かずに指揮だけ(そりゃそうか)。この日は仲道郁代ソロでクーラウのピアノ協奏曲も。N響は広上淳一指揮で大河ドラマ「真田丸」や「サンダーバード」「ウルトラセブン」などヒーロー&ヒロイン特集。読響はボブ佐久間、前田憲男他とジャズ。
●来場者アンケートの結果が紹介されていておもしろかったのだが、「よかった理由」として第1位が「入場料がリーズナブル」、第2位が「会場がよい」、第3位が「複数のオケを短期間にたくさん聴ける」。毎年30%近くの方が初来場者だそうで、間口を広げるという点でこれは立派というしか。
●写真は左より大野順二東京交響楽団楽団長、ジャズピアニストの佐山雅弘ホールアドバイザー、福田紀彦川崎市長、指揮者の秋山和慶ホール・チーフアドバイザー、オルガニストの松居直美ホールアドバイザー、吉井實行日本オーケストラ連盟専務理事。
●それから、4歳以上入場可の「こどもフェスタ」も。小川典子による「イッツ・ア・ピアノワールド」や、曽我大介指揮東京ニューシティ管弦楽団他のファミリー向けプログラムが用意される。

March 30, 2016

ニッポン対シリア代表@ワールドカップ2次予選

ニッポン!●さて、2次予選もこれで最終戦。前節の結果、すでにニッポンの最終予選進出は決まったが、シリアはこのグループのなかではもっとも力のある相手なので、結果と内容が問われるところ。ハリルホジッチ監督は先日のアフガニスタン戦ではフレッシュなメンバーをそろえ、4-4-2のフォーメーションを試したが、このシリア戦の先発メンバーを見て納得。つまり、こっちがベストメンバーで、前節は控え組中心だったんすね。本来ならただの消化試合になりかねないところを、ハリルホジッチは選手の競争意識を煽り、このレギュラー組の試合をあたかも重要な一戦であるかのように装うことに成功した。このあたりのマネジメントはさすが。
●で、ニッポンの布陣は4-2-3-1。メンバーはGK:西川、DF:酒井高徳、吉田、森重、長友-MF:山口(→原口)、長谷部-本田、香川、宇佐美(→清武)-FW:岡崎(→金崎)。これがハリルホジッチの現在のベストメンバーなのだろう。試合は前の試合と似たような展開になった。圧倒的にボールを保持するニッポン。ボールがよく回り、次々とディフェンスを崩すが、なかなか決めきれない。前半17分に相手のオウンゴールで得点。キーパーが弾いたボールがディフェンスに跳ね返りそのままゴールに入るという、少しきまりの悪い形だった。ゴールラッシュは相手の運動量が落ちてくる後半21分から。香川が浮き球を胸トラップして、体をひねりながら左足を振り抜いてゴールするという、超美技で2点目。これはめったに見られないスペクタクル。
●シリアはアフガニスタンとは違って、カウンターからの鋭い攻め上がりも見せて、なんどかニッポンのゴールを脅かしたが、そのたびに西川がスーパーセーブ。最後は力尽きて、後半41分に本田、45分に香川、48分に原口にゴールを許した。終わってみれば5対0でニッポンが完勝。なんと、2次予選を通じて無失点。これは立派。
●今の状態は悪くない。ザッケローニ時代のよかった頃の雰囲気が帰ってきている感もある。とはいえ、ここまでは力の差のある相手からどう効率的にゴールを奪うかというレッスンともいえるわけで、2次予選と最終予選の間にかなり飛躍があるのがアジアの戦い。

March 29, 2016

ヨハン・クライフ、さまよえるオランダ人

●3月24日、ヨハン・クライフが世を去った。リヌス・ミケルス監督の「トータル・フットボール」の中心選手として70年代を代表するスーパースターだったが、ワタシはその時代のクライフを見ていない。リアルタイムでクライフを認識したのはバルセロナの監督として。今のバルセロナと比べても遜色ないスター軍団を率いて、攻撃的なサッカーでスペクタクルを披露してくれた。
●クライフは数多くの名言(というか放言)を残しているが、いちばんのお気に入りは、「私はサッカーをはじめて以来多くの選手を見てきたが、全員私よりヘタだった。私はヘタな選手を誰よりも見続けてきた。だから彼らの気持ちはよくわかる」という一言。なんですか、その屁理屈は。クライフにしか言えない。
●以下はクライフが中心選手を務めた1974年のオランダ代表の映像。これを見て驚いた。ボールを保持した相手選手に対してウソみたいな人数で猛然とプレスをかける。そして、爆速でラインを上げる極端なオフサイドトラップ。なるほどー、これは未来のフットボールだ。事実、未来を予告していた。

●こんなスゴい戦術があるなら、みんな採用しそうなものだけど、ここまで極端なものは現代では見かけない。「クライフがいないと実現できないから」とはよく言われるが、実際のところ、こんなに選手が密集していればどこかに広大なスペースがあるわけで、相手がこう来るとわかっていればいろんな対処の仕方がありそうなもの。で、この極端さを、もっとモダンで、普遍性のある形に練りあげたのがアリゴ・サッキのプレス戦術(和製用語でいうゾーン・プレス)。前線から絶えずプレスをかけ、コンパクトな陣形でゾーン・ディフェンスを敷き、オフサイドトラップをしかける。ACミランで一世を風靡した。現代のサッカーで猛威を振るうハイプレスからのショートカウンターは、これの「普通の選手でも実現可能なサブセット版」みたいなものというか、ジェネリック戦術とでもいうか。結局のところ、トータルフットボール以降のサッカーの守備戦術は、ハイプレスと局面での数的優位を、いかに普通の選手でも可能にしていくかということに腐心してきたとも思える。
●ヨハン・クライフのニックネームは「空飛ぶオランダ人(フライング・ダッチマン)」、すなわち「さまよえるオランダ人」。幽霊船に乗ってまた帰ってきそうな名前だが、魂は救済されただろうか。イニシャルはJ.C。イエス・キリストと同じだ。名前からして時代を背負って立つことを運命づけられていた……というのはウソだ。だって彼の息子で同じくサッカー選手になったジョルディ・クライフもJ.C.なんだし。ジョルディはそのサッカー選手としての才能を母親から受け継いだと言われたものだった。

March 28, 2016

LFJの「0歳からのコンサート」

●今年、東京のラ・フォル・ジュルネでひとつ気になる変化がある。記者会見では話題に出なかったが、これまで毎日朝イチでホールAで開催されていた「0歳からのコンサート」が、今年は最終日5月5日の一回しか開かれない。ホールAの入り口にベビーカーがずらりと並ぶ光景は最終日にしか見られなくなりそう。
●となると、乳幼児連れのファミリー層は最終日以外は足を運びづらくなるんじゃないだろうか。つまり、ほかにいくらキッズ向けのプログラムなどがあるといっても、これまでの例からすると有料公演のチケット/半券を最低一枚は持っていないとなにかと不自由するはずなので。最終日の「0歳からのコンサート」のチケットを持っていて、なおかつ初日や二日目にも来るという人は無問題だが……。
●実は「0歳からのコンサート」でなくても日中の公演はどれも「3歳以上入場可」となっているのだが、普通の公演で幼児を見かけた記憶はあまり多くない。3歳とか4歳児連れであっても、あえて「0歳からのコンサート」に来場していた人が少なくないのでは? 「0歳からのコンサート」が減ったことで、通常公演(特に午前の時間帯)に3歳児や4歳児を連れた親子の姿が増えることになるのか、それともこの年代のファミリー層の足が遠のくことになるのか、少し注目している。

March 25, 2016

ニッポン対アフガニスタン代表@ワールドカップ2次予選

ニッポン!●あれ、今ワールドカップ予選ってどうなってたっけ……あ、そうそう、2次予選の途中だった。しかもまだ突破してないんだった。久々の試合なので、状況を忘れかけているではないの。初戦でいきなりシンガポールと引き分けてしまったのが誤算だったが、その後は順調に勝ち続けている。
●で、アフガニスタン戦。このグループ内でも下位の相手だけにどういうメンバー選考もありえたわけだが、ハリルホジッチ監督はメンバーとフォーメーションの両方にテストの要素を取り入れた。ニッポン代表が4-4-2で戦うのはいつ以来か。もっとも、中盤の4は長谷部、柏木、原口、清武とかなり攻撃的で、攻めている時間がほとんどだっただけに4-3-3とそう変わらない。守備に関してはあまりテストにならず。キーパーに東口を起用したが、何回ボールに触っただろう。
●GK:東口-DF:酒井宏樹、吉田、森重、長友-MF:長谷部、柏木(→香川)、原口、清武-FW:岡崎(→ハーフナー)、金崎(→小林悠)。本田はベンチに温存(ミランで出ずっぱりなので疲労気味)。プレミアリーグで首位を走るチームのストライカーがいるというニッポン代表→レスターの岡崎。前半の途中まではボールを保持するもゴールを決めきれないじれったい展開だったが、前半43分に長谷部からのパスを受けた岡崎がシュートを決めて先制。後半からは相手ディフェンスに粘りがなくなり、ボールを回し放題になってゴールラッシュに。清武、オウンゴール、吉田、金崎とゴールが決まって5対0。美しいパス交換から相手ディフェンスを崩す場面が何度も見られたし、どれもナイスゴールだった。
●とはいえ、これをもって4-4-2が機能するというのはナンセンスだろう。最終予選でこんなに守備が緩い相手と戦う機会はないはず。むしろ、収穫は5点目のような形、つまりペナルティエリア内でハーフナーがヘディングで落としたボールを金崎が泥臭く押し込むようなプレイかも。これだったら最終予選でも確実に「使える」戦術だと思うので。
●ハーフナー・マイクはスペインやらフィンランドやらオランダにわたって、ずいぶん精悍な感じになってきた。マリノス時代は線が細いイメージだったけどもう別人。

March 24, 2016

「翻訳百景」(越前敏弥著/角川新書)

「翻訳百景」(越前敏弥著/角川新書)読了。Kindleアプリをインストールして以来、気軽に読めそうな新書の類をさくさくと購入するようになってしまった。その分、買ったまま読まずに放っておく電子積読の量も増えた気がするのだが、この一冊はすぐに読んだ。すぐれた翻訳家が書く本がおもしろくないはずがない。
●内容は著者のブログ等をまとめたもので、実用的な翻訳指南書ではなく、翻訳書を読む人なら楽しめる多彩な内容のエッセイ集。どの章も興味深かったが、いちばん強烈だったのは、「すぐれた編集者とは」の章で、著者がデビュー作でお世話になった東京創元社の担当編集者がゲラ(校正紙のこと)にどんな赤字を入れたかが紹介されているところ。この赤字が質量ともにすさまじくて戦慄する。文庫の組版で「ほとんど毎行に書きこみがあった」うえに、「癪でたまらなかったが、書きこみのほとんどが正鵠を射ていた」。こんなにありがたい編集者、なかなかいないと思う。出版業界から一歩外に出れば、「編集者」という仕事がなにをしている人なのかなかなかわかってもらえないわけだが(本を書く人でもないし、印刷をする人でもない。じゃあなにをするの?というお決まりのパターン)、これを読めば編集者が一冊の本に対してどれほど決定的な役割を果たすかがよくわかるはず。
●あと、文芸翻訳の仕事に向く条件として「日本語が好き」「調べ物が好き」「本が好き」という三つの必要条件が挙げられているのも印象的だった。まあ、当然のことなんだろうけど……。文芸翻訳ならずとも、翻訳はやっぱり日本語表現に対する強い関心があって成立するものだと思う。専門書の場合は明快さへのこだわりというか。
●著者の代表作はベストセラーとなった「ダ・ヴィンチ・コード」他。ワタシはダン・ブラウンは一冊も読んでいないのだが、著者の訳書ではロバート・ゴダードの「惜別の賦」「鉄の絆」、ジェレミー・ドロンフィールドの「飛蝗の農場」あたりは読んでいる(ということにこの本の途中で気づいた)。第3章「翻訳者の道」の「わたしの修業時代」では、どうやって翻訳家になったかが綴られていて、これもかなりおもしろい。このなかにあった衝撃の一言を拾っておくと、「締め切りは『守る』ものではなく、『攻める』もの」。ドカーン! これは以前当欄で書いた拙論「〆切安心理論」の親戚筋みたいなものだが、より表現としてカッコいい。この一言は心に刻んでおきたい。が、はたして使う機会はあるだろうか?

March 23, 2016

東京・春・音楽祭~ディスカヴァリー・シリーズ vol.3 レスピーギ

東京春祭2016●20日夜は東京・春・音楽祭~ディスカヴァリー・シリーズ vol.3 「レスピーギ/ローマ3部作を生んだ作曲家の知られざる素顔」(上野学園 石橋メモリアルホール)。毎年行われているレクチャー・コンサートのシリーズで、今回はレスピーギがテーマ。「ローマの松」等、大編成のオーケストラ作品ばかりに目が向きがちなレスピーギだが、室内楽曲にもこんなに多彩な作品があるという趣旨で、ヴァイオリン・ソナタ ロ短調、「古風な5つの歌」より第1曲「ときおり耳にするのだ」と第5曲「エンツォ王のカンツォーネ」、「グレゴリオ旋法による3つの前奏曲」より、ダンヌンツィオ「楽園詩篇」より4つの抒情詩、「ドリア旋法の弦楽四重奏」が演奏された。久保田巧(ヴァイオリン)、寺嶋陸也(ピアノ)、与儀巧(テノール)、成田伊美(メゾ・ソプラノ)他。トークと企画構成は原口昇平さん。トークは落ち着いたもので、第1回の頃より話と演奏のバランスが練れていた。
●どれもこれも初めて生で聴く曲ばかりで得難い機会となった。知られざる曲には知られないだけの理由があるのが普通なわけで、次々と未知の傑作を発見したとまでは言わないが、いずれも演奏水準が高く聴きごたえ大。作品として力があるのはヴァイオリン・ソナタ ロ短調で、本当に立派なロマン派ソナタなのだが、フランクやブラームスといった先人たちの影響が色濃く、よくできているけれどどこか借り物ゆえの落ち着かなさも感じる。同じようなことはドビュッシー風味の漂う歌曲にもいえる。なんという器用さ。それに比べると、古楽への関心が原動力となって生まれた「グレゴリオ旋法による3つの前奏曲」や「ドリア旋法の弦楽四重奏」は、自分の道を切り拓いた感があって、作曲家の素顔に触れた実感がわく。

March 22, 2016

東京ヴェルディvs徳島ヴォルティス@味の素スタジアム

東京ヴェルディvs徳島ヴォルティス 味の素スタジアム
●味スタに足を運んだのは、たぶん9年ぶり。J2の東京ヴェルディvs徳島ヴォルティス。近年はサッカー観戦といえばご近所JFLか出張先ばかりだったが、突発的に思い立って飛田給。駅からスタジアムに向かう道すがら「うわー、ここ、昔はよく来たなあ」と懐かしい気分に。味スタなんていつでも来れると思っていたら、9年も来ていなかったという。いつでも来れる=いつになっても来ない。いつでもできる=いつになってもやらない。人生の真実。
●JFLばかり見てたので、久々にJ2を見たらレベルが高い。技術的な差よりも、フィジカルの差が大きい。いちばん違うのは選手の体つき。JFLは運動神経の発達した常人がやってるイメージだけど、J2はプロ・スポーツ選手という別の人類がやっている感じ。もちろんJ1と比べたら見劣りするんだろうけど、何事も上から見るのと下から見るのではぜんぜん風景が違って見えるもの。
●天候にも恵まれて、味スタは超快適。なにしろ心配なくらいガラガラだ。Jリーグの入場者数は無慈悲な実数カウントなので、3813人と発表された。スタジアムの収容人数の10分の1以下。わざわざ入場口からスタジアムの反対側まで歩いてバックスタンド中央に座ったところ、恐ろしくぜいたくな人口密度の低さのなかで落ち着いて観戦することに。さすがにゴール裏はにぎやかだが(ヴェルディにもちゃんと本物のサポーターが育っている)、この付近は静かで、ブルックナーの交響曲でも聴けそうなくらい(ややウソ)。当ブログの古い記事を参照したら、9年前に来たときもヴェルディはJ2にいて、対札幌戦で1万2000人ほど入っていたと書いてあった。ちなみに3813人はJ2の昨季の平均観客数6800人と比べても大きく下回っている。
●試合はお互いにかなり慎重な戦いぶりで好機が少なかったが、前半に徳島が2度ほど決定機を得た。山崎凌吾のヘディングをヴェルディのキーパー柴崎貴広が好セーブ。ヴェルディはドウグラス・ヴィエイラとピニェイロのブラジル人コンビと10番の高木善朗といった攻撃のタレントを有するものの、ダイナミズムを書いた散発的な攻撃に留まる。しかし前半終了近くでドウグラス・ヴィエイラが負傷退場してベテランの平本一樹が投入されると前線が活性化された。後半32分に平本がペナルティエリア左からクロスをファーに送るとフリーの高木が難なく合わせて先制ゴール。徳島は渡大生と山崎凌吾の2トップを交代して対抗しようとするが、功を奏さずに1対0。ヴェルディはこれで2勝2敗、徳島は1分3敗で金沢と並んで最下位に。
●10年近くも放っておいていうのもなんだが、味スタのヴェルディ戦はかなりおすすめ。配られていたチラシを手にすると、「4年越しの東京クラシック、ここに復活!」と記されている。そう、次節、3月26日はここ味スタで東京ヴェルディvs町田ゼルビアの「東京クラシック」が開催されるのだ! これはすばらしい、すばらしすぎる! J1のあのクラブなど東京には存在しないかのような、この潔さ。そうこなくちゃ。町田ゼルビア、ついにJ3からJ2に帰ってきたんだよなあ。おかえり、そしておめでとう。サッカーの下部リーグが持つ物語性の豊かさをかみしめる。

March 18, 2016

アンナ・ネトレプコ記者懇談会

アンナ・ネトレプコ記者懇談会
●16日夕方はコンラッド東京で来日中のアンナ・ネトレプコ記者懇談会。今回のコンサートで共演するテノールのユシフ・エイヴァゾフ(左)と指揮のヤデル・ビニャミーニ(右)とともに登壇。会見の模様はYouTubeでも生配信された。
●ネトレプコは今回のプログラムについて「日本の聴衆のみなさんはオペラをとても愛しており、理解も深い。今回のプログラムには美しく、有名な曲が並んでいるが、歌手にとっては難しいプログラム。ユシフのようなすばらしいテノールがいて可能になった。『アンドレア・シェニエ』の二重唱は初めて歌う」と語ってくれた。
●エイヴァゾフ「日本に来るからには簡単なプログラムでは満足してもらえないと考えて、このような曲目になった。私にとっては初めての来日だが、昨日の名古屋でのコンサートは進むにつれて熱気が増して、すばらしい一夜となった」。ビニャミーニ「オーケストラ(東フィル)は柔軟性に富んでおり、とてもすばらしい」。ちなみにビニャミーニはこの後、新国立劇場で「アンドレア・シェニエ」を振る人だ、ということに会見が終わってから気がついた。

March 17, 2016

東京・春・音楽祭2016開幕~ムーティ&日伊国交樹立150周年記念オーケストラ

東京春祭2016●今年も東京・春・音楽祭が開幕。これから約一か月にわたって上野のコンサートホールや美術館、博物館の文化施設等を会場に多彩な公演が開催される。
●開幕を祝うのはリッカルド・ムーティ指揮日伊国交樹立150周年記念オーケストラで、これはムーティが10年以上にわたって育ててきたイタリアの若手奏者たちによるルイージ・ケルビーニ・ジョヴァニーレ管弦楽団と、日本の若手トップ奏者たちとが一緒になった特別編成のオーケストラ。昨日16日と本日夜(こちらは池袋の芸劇)の2公演。バスにイルダール・アブドラザコフ、合唱は東京オペラシンガーズ、東京少年少女合唱隊。
●前半はヴェルディの「ナブッコ」序曲、同第1幕より「祭りの晴着がもみくちゃに」、「アッティラ」第1幕 よりアッティラのアリアとカバレッタ「ローマの前で私の魂が~あの境界の向こうで」、「運命の力」序曲など、ヴェルディのオペラから。こういう臨時編成のオーケストラでもムーティが振るとはっきりとムーティのサウンドになる。指揮者の一挙一動にオーケストラが鋭敏に反応するのがすごい。彩度の高さとしなやかさを兼ね備えた輝かしいサウンド、切れ込みの鋭さと情感の豊かさは、まさにムーティ。指揮のマジックを目の当たりにした思い。
●後半はボーイトの「メフィストーフェレ」プロローグ。実演で初めて聴いたけど、こんなに豪壮なスペクタクルだったとは。合唱、児童合唱、金管のバンダ、オルガンなども加わって、壮麗な音の饗宴。ボーイトといえば作曲家でありながらヴェルディの台本作家として歴史に名を残した人という感もあるが、こんな強烈な作品を作曲する力量を持っていながら、よく台本作家を務められたものだと思う。ほんのわずかに運命が違っていたらイタリア・オペラに別の歴史をもたらしたのかも。
●会場内では日伊国交樹立150周年を記念したリッカルド・ムーティの記念切手が発売されていて、飛ぶように売れていた。演奏前にこの記念切手の贈呈式や、イタリア文化財文化活動省副大臣と文化庁長官の挨拶などセレモニーがあった。少々長い挨拶を受けてムーティが「今日の主役は音楽なのだが、ほんの二言だけ」と簡潔なメッセージ。「政治家は言葉を使います。言葉は混乱を招いたり、裏切ったりもする。しかし音楽は絶対に裏切りません」。カッコよすぎじゃない?

March 16, 2016

「スター・ウォーズ[フォースの覚醒]予習復習最終読本」(河原一久著/扶桑社)

●そろそろ「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」について思い切りネタバレありで語りたいところじゃないだろうか。
●実は映画館で2回見たのだが、なんとなくモヤッとしたところもあって、「フォースの覚醒」のみならずシリーズ全体を復習しておきたい気分になっていたところにこの心強い一冊。「スター・ウォーズ[フォースの覚醒]予習復習最終読本」(河原一久著/扶桑社)。これはたいへんすばらしい。書名からもわかるように「フォースの覚醒」公開前の予習および旧作の復習のための一冊として発売されたものだが、こうして最新作を見た後に読んでも十分楽しめる。スター・ウォーズ・ファンなら知っておきたい裏話なども豊富にある。
●で、改めてこの本で復習したのだが、「フォースの覚醒」はエピソード6「ジェダイの帰還」から30年後の物語なんすね。エピソード3と4の間(つまり旧3部作と次の3部作の間)は約20年の隔たりがあったが、それ以上の時の隔たりがある。「ジェダイの帰還」はハッピーエンドで終わって、ここで帝国軍は敗北している。その帝国軍の生き残りが最高指導者スノーク率いるファースト・オーダーで、この30年の間に特盛バージョンのデススター(なんて言ったっけ?)を作るくらい勢力を回復したということらしい。
●あと「ジェダイの帰還」の後、帝国軍と反乱軍が最終決戦を戦ったのが惑星ジャクーで、ここで帝国軍のスター・デストロイヤーがジャクーに不時着して、その後救援を待つも見捨てられてしまい、結局人々は荒廃したジャクーに入植した。それが「フォースの覚醒」に登場するジャクーの人々なんだとか。どかーんとスター・デストロイヤーが砂に埋もれているのは、そういうことなのね。
●この本には旧作のあらすじも紹介されていて、あらためて読むと、最初の3部作と次の3部作でずいぶんテイストが違うなと思う。正直、次の3部作のストーリーは息苦しい。サイドストーリーが膨れあがって、神話的な簡潔さに話を収めるわけにはいかなくなっているというか。で、その割にいちばんインパクトがあったのは「アナキンとパドメのお花畑ゴロゴロ」だったりする。でもあのお花畑ゴロゴロってジョージ・ルーカスの実体験なんだって。そう知ると許せる……わけないか。

March 15, 2016

LFJ金沢2016の独自色

LFJ金沢2016●今年のラ・フォル・ジュルネ金沢は4月28日から5月5日にかけて開催される。本公演は5月3日から5日。テーマは東京やナントと同じく「自然と音楽 - ナチュール」。とはいえ、近年ますます独自色を強めつつあるLFJ金沢だけに、今回も他では見かけないアーティストが登場する。バボラーク・アンサンブルによるブラームスのホルン三重奏曲やベートーヴェンの六重奏曲、ベルリン・フィル第1ヴァイオリン奏者の町田琴和とOEKメンバーによるヴィヴァルディ「四季」、韓国から招かれるプチョン・フィル等々。OEKのヴェルディ「椿姫」ハイライトとか、池辺晋一郎が金沢生まれの詩人室生犀星の詞に曲を付けた合唱曲を指揮するとか、恒例の「能舞とクラシック」もある。ていうか、いつのまにかルネ・マルタン企画よりも地元独自企画のほうが公演数が多くなってないすか! この公演制作力はすごい。
●で、このビジュアル。一瞬、いつものLFJのイジー・ヴォトルバさんのイラストだと思うが、いやいや待て。東京ではすでに昨年からヴォトルバさんのイラストは使わずに、新しいビジュアル路線を展開している。でもLFJ金沢は、ウチはヴォトルバさんのイラストが気に入っているから変わらずこっちで行きますよ、と考えて独自にイラストをお願いしているのだろうか。金沢駅前の鼓門がしっかりフィーチャーされている。

March 14, 2016

フットボール系あれこれ~凱旋行進曲、全とっかえ、武蔵野シティ

●先週のチャンピオンズリーグ、チェルシーvsパリ・サンジェルマンの試合映像を見ていたら、チェルシーの敗退が濃厚となった状況で、「アイーダ」の「凱旋行進曲」のチャントが聞こえてきた。これはチェルシー・サポが歌っていたという理解でいいんすよね? もう勝ち抜け条件とかは別にして、ただひたすら力を尽くそうよというニュアンスだろうか。
●J2の第3節、JEF千葉がスタメン全員を移籍組で戦ったのがおもしろい。シーズンオフに24人もの選手を退団させ、新たに19人と契約したという、リセット技みたいなチーム編成が話題を呼んだが、本当に先発全とっかえというのは珍記録ではないだろうか。ちなみに試合は横浜FC相手に1対0で勝利。ここまで2勝1敗というのは悪くない。もし昇格できたら新たな伝説の誕生になる。
●JFLでは東京武蔵野シティFCがホーム開幕戦を迎えた。横河武蔵野FC改め、東京武蔵野シティFC。J参入を目指すということで、チーム名から企業名がなくなったということのようだが、この「シティ」という一言にもやもやする。呼称としては「武蔵野」でいいんだろうけど、FCを添えようと思うと「武蔵野FC」ではなく「武蔵野シティFC」になるわけだ。武蔵野「市」だから「シティ」なんだろうけど、なんだか「シティ」って口にするのが妙に恥ずかしい。いや、マンチェスター・シティだって「シティ」ではあるが……。試合結果はホンダロック相手にドロー。今日は寒かったのと確定申告の追い込みもあって観戦は断念。気温が15度を超えたらぜひ観戦したいと思う軟弱者。

March 12, 2016

新国立劇場「イェヌーファ」

●11日は新国立劇場でヤナーチェクの「イェヌーファ」。最終日の平日マチネにようやく滑り込んだのだが、もう圧倒されっぱなし。ブリテン「ピーター・グライムズ」以来の衝撃。これがオペラだ、って気がする。クリストフ・ロイ演出でベルリン・ドイツ・オペラで2012年に初演されたプロダクションで、キャストもシュテヴァ役以外は当時と同じなんだとか。この方式はいいっすね、これだけのクォリティで観られるんだったら。オケはトマーシュ・ハヌス指揮東響。
●怖い話なんすよ、「イェヌーファ」。先日、ヤナーチェクの伝記映画「白いたてがみのライオン」を見せてもらったじゃないすか、ここの中劇場で。その印象からすると、いかにも閉鎖的な田舎の村で起きそうな事件で、舞台イメージとしては水木しげる級のおどろおどろしさなんだけど、この舞台は真っ白すっきりモダン仕様。男たちもスーツ姿で都会風。真っ暗な舞台を矩形で真っ白に切り取って、妙な潔癖さと閉塞感が同居している。イェヌーファ(ミヒャエラ・カウネ)とその厳格な継母コステルニチカ(ジェニファー・ラーモア)の母娘関係は、スティーヴン・キングの「キャリー」の母娘を連想させる。コステルニチカはみんなからコステルニチカ(=教会のおばさん)と呼ばれ、本当の名前で呼んでもらえない。そして、いつも鞄を抱えている。あの鞄は罪のシンボルだろうか。その鞄を持って、どこにでも行ってしまえばどうなのか。しかし彼女はどこにも行かない。
●美しい娘イェヌーファの周囲にはふたりの男がいる。イェヌーファはイケメンのシュテヴァ(ジャンルカ・ザンピエーリ)と恋仲になり、彼の子を宿す。イェヌーファはシュテヴァに結婚を求める。しかし継母コステルニチカは酒癖の悪いシュテヴァとの結婚を思いとどまらせようとする。イェヌーファに思いを寄せていたラツァ(ヴィル・ハルトマン)は、嫉妬のあまりイェヌーファの顔にナイフで傷をつける。コステルニチカはイェヌーファを世間から隠し、ひそかに子を産ませる。彼女はシュテヴァを呼んで、イェヌーファと赤ん坊に会わせようとするが、シュテヴァは赤ん坊の顔すら見ようとしない。もう彼はイェヌーファとかかわり合いたくないのだ。すでに別の婚約者までいる始末(お前はモラヴィア版ピンカートンかっ!)。コステルニチカはこう考える。かくなるうえは、イェヌーファとラツァをくっつけるしかない。だが、そのためには……。彼女は赤ん坊を抱えて雪と氷で覆われた野外へとでかける。そして、ひとりで帰ってくる。「私の赤ちゃんはどこ?」とうろたえるイェヌーファに向かって、コステルニチカはこう言う。「お前は何日も高熱でうなされて幻覚を見ていたのだね。赤ん坊が死んでしまったことを覚えていないのかい?」。コステルニチカが凶行に及ぶ場面が恐ろしい。波打つような管弦楽のうねりは川の流れだろうか、水車小屋の水車の動きだろうか。ヴァイオリンがかん高く赤ん坊の泣き声を発する。
ヤナーチェク●伝記映画で描かれたヤナーチェクは、必ずしも実際のヤナーチェクと同じではないかもしれない。だから、あの映画で描かれた作曲家を仮想ヤナーチェクと呼ぶことにしよう。ヤナーチェクは実際にふたりの子供を亡くしている。仮想ヤナーチェクはひとりめの子の悲劇について、妻に責があるようになじっていた。ふたりめはまさに「イェヌーファ」の作曲と並行して、病で旅立ってしまう。仮想ヤナーチェクにとって、コステルニチカはその妻だったのだろうか。その後、仮想ヤナーチェクはまったく妻のことなど顧みずに、次々と若い女性に熱を上げるようになる。とりわけ人妻カミラへの情熱は常軌を逸しており、その燃え上がる恋の炎は創作活動にも火を付け、晩年の傑作群を生み出すことになる。あれを見て思ったのは、仮想ヤナーチェクはバトンを渡すべき子を失った結果、自らバトンを持ってふたたび青春期からを生き直したのだな、ということ。
●この物語の結末には、一応の救いが訪れる。コステルニチカの罪が明らかになるが、ラツァはすべてを知ったうえで、それでもなおイェヌーファを愛し、ふたりで生きることを決意する。ここには多少の余白が残されていると思う。ラツァはイェヌーファの顔に傷をつけたことにいまだに自責の念を抱いている。この罪の意識が原動力となっている限り、ラツァとイェヌーファの前途は決して明るくないことを予感させる。ラツァはそもそも「シュテヴァが愛しているのはイェヌーファの美しい頬だけだ」と挑発してイェヌーファの顔に傷をつけたのだが、ではラツァが愛しているのはイェヌーファの傷だけなのではないかという疑念がわいてくる。ラツァとシュテヴァはまるっきり対照的な男であるが、彼らは一人の男が持つふたつの面を描き分けたにすぎない存在のようにも思える。罪を認めたコステルニチカは、イェヌーファを愛していたようにふるまっていたが、自分が本当に愛していたのは自分自身だったと悔いる。しかし、ここにも逆説を感じずにはいられない。たとえ実母だって、そんな問い(お前が愛したのは娘なのか、わが身なのか)を自らに投げかけて平気でいられるだろうか。ここに顕わになっているのは、歪んだ愛ゆえに持ちうる絶対的な力強さだと思う。

March 10, 2016

新国立劇場「サロメ」

●9日は新国立劇場でR・シュトラウスの「サロメ」へ。ヤナーチェクの「イェヌーファ」で話題が沸騰している新国だが(←自分の視界のなかで)、並行して「サロメ」も始まった。「イェヌーファ」は明日の最終日に行く予定。
●サロメのカミッラ・ニールント、ヘロデのクリスティアン・フランツ、ヘロディアスのハンナ・シュヴァルツ、ヨカナーンのグリア・グリムスレイ他、充実のキャスト。注目は指揮のダン・エッティンガー。最初、てっきりオケは東フィルかと思ったら、東響なんすよね。エッティンガー指揮東響という珍しいコンビが実現した。アウグスト・エファーディング演出の再演。皇太子殿下ご臨席。
●「サロメ」といえば昨年末にデュトワ&N響の演奏会形式を聴いたばかり。あのときは演奏会形式なのにドラマ性の強さ、各キャラの立ち方が印象に残ったけど、この日は劇場で観ているのにむしろ交響詩を聴くかのように響きの快楽に浸った感。東響の豊麗なサウンドを堪能。
ビアズリーのサロメ●エッティンガーの音楽作りは、鋭く緊迫したもの。一方、舞台上にあったのは血生臭くない「サロメ」だと感じた。過激なエロス&バイオレンス路線に対して無関心な、おどろおどろしさが強調されない「サロメ」。さらに「7つのヴェールの踊り」は妖艶ではなく、むしろ少しコミカルというか(微妙にラッキィ池田入ってた)、あえていえばかわいげがあった。こうなると急にヘロデの視線が父性的なものに思えてくる。あ、ヘロデって妻の連れ子に対する邪な思いから踊りを求めたのではなく、これはお父さんが大好きな娘に「ねえねえ、かわいいから、踊ってよ」ってせがむときの態度じゃないの。だから、娘に駄々をこねられたときに、「そんなのはいけないことだから、エメラルドとかクジャクでがまんして」って諭す。「ハーゲンダッツ、買ってくれるって約束したよ! 買って、ねえ買って!」「ダメダメ、お前はまだ子供なんだからチロルチョコかビックリマンチョコにしなさい」みたいな。家族っていろんな形があるんだよなあ、ほのぼの。演出意図にはぜんぜんないかもしれないけど、ファミリードラマとしての「サロメ」がありうると知った。

March 9, 2016

佐渡裕&東京フィルのラフマニノフ

●7日はサントリーホールで佐渡裕指揮の東フィル。ジョン・アダムズの「議長は踊る」、キース・エマーソン(吉松隆編)の「タルカス」、ラフマニノフの交響曲第2番というプログラム。「タルカス」は2010年に藤岡幸夫指揮東フィルが初演して話題を呼んだが、こんなふうに定期演奏会のなかの一曲として別の指揮者でさりげなく再演されているのがスゴい。ワタシはプログレ原体験がないので、原曲への思い入れはないんだけど、ジョン・アダムズと並列されているのが肝なのかな、とプログラムだけを見て思った。つまり、ほぼ同年代の作曲家による20世紀後半の管弦楽曲で、それぞれ出自はまったく違うんだけど、到着点は存外近い、みたいな意図。でも、聴いてみるとそういう狙いでもないのかも。この「タルカス」って「山あり山あり」の曲っすよね。オケの定期で聴くと、やっぱり「山」すぎて異次元の大盛り感な気も。
ラフマニノフ●お目当ては前半だったが、後半が期待を上回る見事な出来栄え。ラフマニノフの交響曲第2番、近年は結構演奏機会が多い曲だけど、これだけの高揚感はなかなか味わえない。第3楽章では弦楽器の精妙な響きに聞きほれる。
●ラフマニノフは交響曲第2番、第3番、交響的舞曲、「死の島」といった管弦楽曲がいいと思う。本人があまりに卓越したピアニストだったばかりにピアノ曲の人気が高いけど、あと100年もしたら時代を代表する管弦楽曲の作曲家とみなされ、ピアノ曲はその陰にかすむんじゃないだろうか、という可能性を思いつく。

March 8, 2016

ラ・プティット・バンド「マタイ受難曲」

●5日は東京オペラシティでシギスヴァルト・クイケン&ラ・プティット・バンドの「マタイ受難曲」。字幕付き。歌手は第1群と第2群に各パート1名ずつ計8人のソリストを置くOVPP(One Voice Per Part)方式。プラス、ペトロやユダ、女中等で男声2、女声1が加わって声楽は計11人のみ。クイケンはいちばん下手側でヴァイオリンを弾いて、ごくたまに指揮の動作をする(途中でヴィオラ・ダ・ガンバも弾いてびっくり)。そういえばプログラムにはどこにも「クイケン指揮」とはうたっていないのだった。音楽監督&ヴァイオリンの位置づけ。ごく小編成での「マタイ」であるが、サイズに不足を感じることはまったくない。求心的なカリスマが率いるというよりは、自然体のバッハ。とはいえ第2部のドラマには圧倒される。
●非キリスト者が受難曲にどう向き合えばいいのか、というかねてからの問いがあって、ひとつの答えとしては仮想クリスチャン視点で聴く、というのがあると思う。ハリウッド映画で第二次世界大戦の場面になっても、主人公のヒーローに共感してアメリカ人視点で映画を見るのに近い感じ。もうひとつは、物語を抽象的で普遍的な祈りの感情みたいな枠にいったん閉じ込めてしまって、器楽作品同様にバッハの音楽として聴く、という形。これは葛藤が少ない。たぶん、通常はこの方法で乗り切っている。しかし字幕が持つ力は侮れず、この立ち位置がとれなくなったとき、自分の異教徒ポジションががぜん顕在化することがある。つまり、イエスに共感する理由がひとつもなくなる。自明のはずの物語の前提が崩れ、彼らはなぜ危険なカルト集団ではないのか、「やっぱ、そこはバラバでしょ!」と民衆と声を合わせかねない自分を発見する。あっちの神さまと、こっちの神さまは違うし。でもそうなるとテキストとバッハの敬虔な音楽とで衝突が起きるんすよね。この居心地の悪さを解決する方法はいまだ見つけられていない。だいたい墓からよみがえって復活するというのは現代的な理解ではどう考えてもゾン……、あ、いやいや、なんでもないっす。

March 7, 2016

ツィガーン&読響のスペイン・プロ

●4日は東京芸術劇場でユージン・ツィガーン指揮読響。ビゼー「カルメン」組曲から、ファリャ「三角帽子」第2組曲、ロドリーゴのアランフェス協奏曲(朴葵姫)、ラヴェルのボレロという変則スペイン・プログラム。一歩まちがえると微温的な名曲演奏会になりかねないプログラムだが、思いのほか聴きごたえがあって充足。「カルメン」組曲の冒頭からひきしまったサウンドが引き出されて、最後の「ボレロ」まで緊張感が途切れることがなかった。開放的な楽しさ。
●ツィガーンはアメリカ人の父と日本人の母を持つ34歳の若手。長身痩躯で遠目にも見栄えがする。鋭く明快な棒でオーケストラを統率した。堂々たるもの。プログラムのおかげなのか、朴葵姫効果なのか、この芸劇シリーズの客層なのか、客席は若者多め(自分比)。指揮者もソリストも若いことで、華やかな雰囲気が生まれてくるものだなと実感。ツィガーンはいずれ重めのプログラムでもぜひ聴いてみたい。
●芸劇は反響板を下していた。オルガンを使わないときはこれでよさそう。改装後の芸劇はかなり気に入っている。端的に言って、祝祭性よりも機能性という潔さ。開場前に着いても腰掛ける場所とWi-Fiに困らない快適さとか。
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ニコラウス・アーノンクール逝去。86歳。ピエール・ブーレーズに続いて、また時代を動かした音楽家が世を去った。音楽界にどれだけ大きな影響を与えたか、計り知れない。

March 4, 2016

日本フィル記者会見~創立60周年記念事業他

日本フィル記者会見 平井理事長
●4日は日本フィル記者会見へ(サントリーホール リハーサルルーム)。平井理事長のみが登壇で、アーティストがだれもいないという珍しい形の記者会見にもかかわらず盛況だった。最初の話題はいきなり経営状況について。年間13億円というオーケストラの収入の内訳が円グラフで示される。事業収入が7割、法人・個人からの寄付が合わせて2割弱。補助金は国からの1億円のみ。当欄では細々とした数字は挙げないが、自治体や放送局などの母体を持たない自主団体として楽団を運営することの大変さが伝わってくる。年度ごとの損益の変化も示されていた。なお、10年間にわたる債務超過はすでに2012年度に解消されている。今後の経営目標として、芸術性と社会性をともに追求していくこと、財政強化と処遇改善の2点が挙げられていた。楽団が黒字になるか赤字になるかは、ほんのわずかな違いで変わってくる、紙一重なのだ、という話が特に印象に残った。
●指揮者陣について。すでに発表されているとおり、今後はピエタリ・インキネンが首席指揮者を務める。ラザレフは桂冠指揮者兼芸術顧問へ。両者とも来日回数が多少増減するだけなので、あまり変わったという印象はない。新しいニュースとしては、正指揮者の山田和樹と2022年8月まで契約を長期延長したこと。2012年の就任なので計10年にわたる関係が築かれることになる。これは朗報。心強いというか。
●60周年記念事業としてそれぞれの指揮者陣の公演がいくつか。ごく一部のみを挙げると、インキネン就任披露は9月27日にワーグナーの「ジークフリート」「神々の黄昏」抜粋をサイモン・オニールとリーゼ・リンドストロームを迎えて。また2017年5月には「ラインの黄金」全曲(演奏会形式)も予定される。山田和樹は藤原歌劇団の「カルメン」を指揮。日フィルがピットに入るのは20年ぶりだとか。

March 3, 2016

アレクサンドル・タローの「ゴルトベルク変奏曲」

●2日はトッパンホールでアレクサンドル・タローのバッハ「ゴルトベルク変奏曲」。これ一曲のみのプログラムで、モダンピアノの機能性を十全に発揮させた眉目秀麗なバッハ。ペダルもフル活用して、ダイナミクスの幅もしっかり取って、変奏ごとに多彩な表情を次々と繰り出してくる。フレーズを大きくとってゆるやかにクレッシェンドしてゆくようなしなやかな歌いまわしだとか、意表を突いた声部の強調だとか、インスピレーションに富んだ自在の演奏で、体感的にも実測的にもあっという間に終わった。譜面、譜めくり、あり。
●演奏時間は長くも短くもなりうる曲だけど、リリースされたばかりの録音でもCD1枚に収まってるわけだし、でもはたしてこの曲の後にアンコールを弾くかな?と思っていたら、スカルラッティのソナタ ニ短調 K9を弾いてくれた。
●タローって1968年生まれだっていうんだけど、ずいぶん若々しい。ビバ痩身。前にラ・フォル・ジュルネでマリー=カトリーヌ・ジローが来日したときに、フランス・ピアノ界にはタローさんジローさんがいるっていう話になって、じゃあサブローさんはいないのかと考えたのだが、サッカー選手のシモン・サブローサしか思いつかなかった。シモン・サブローサん。ポルトガル人だけど。

March 2, 2016

FC今治の挑戦

●BSスカパー!の番組「FC今治の挑戦」がおもしろい(ネット上でも無料で視聴可)。元日本代表監督の岡田武史が四国リーグに所属するFC今治のオーナーになって、将来のJリーグ入りを目指している。四国リーグっていうのは、J1、J2、J3、JFLの一つ下の地域リーグ(このカテゴリーになると全国リーグではなく、地域ごとのリーグ戦になる)。つまり5部リーグということになる。
●ここに岡田武史オーナー(株式の過半を取得したのだとか)、さらには吉武博文、大木武といったニッポン代表クラスの指導者たちが理想のサッカーを目指して集まった。理想の戦術メソッドを構築し、強くて、しかも見ていておもしろいチームを作る。5部だから選手たちはアマチュア。スポンサーから大金をもらって上の選手を買って勝つといった無意味な戦い方はしていない。岡田武史オーナーのフットボール理念を現実の形にするためのクラブというか。選ばれし人だけが身銭を切って挑戦できるリアル「サカつく」。
今治といえばタオルだったが、これからはサッカー、かも?●この今治FCだが、もともと四国リーグでは強豪である。昨年はめでたく優勝を果たした。で、JFL昇格への挑戦権を手にしたわけだが、昇格を賭けて臨んだ全国地域サッカーリーグ決勝大会で、1次ラウンドで早々に敗退してしまった。この全国地域サッカーリーグ決勝大会っていうのが、ホントに過酷な大会なんすよね。JFL昇格は、ほかのどのカテゴリーの昇格よりも厳しいのでは。だって、金土日で3日連続の3連戦で戦うんすよ! プレミアリーグが牧歌的に見えるような超過密日程。なにせ選手たちはアマチュアで仕事もあるわけで、セントラル方式で週末に集中開催するしかない。参加12チーム中昨年は2チームがJFLに昇格を果たした。なんというか、技術とか戦術以外の部分、タフネスとか時の運で勝負が決まる大会という印象だ。逆に言えば、JFLのチームにとって、もしひとたび地域リーグに降格してしまうと、次に戻ってくるのは至難の業。
●おもしろかったのは、FC今治がこの地獄の3日連続3連戦で選手をローテーションさせたこと。第1戦で辛勝すると、第2戦で大幅に選手を入れ替えた。これって、選手層の厚いニッポン代表とかビッグクラブがやるような戦い方じゃないすか。普通、5部リーグのチームはそんな戦い方はしないというか、できないと思う。ド根性肉弾戦で3連戦をボロボロになりながら戦いそうなもの。で、この策が奏功せず、FC今治は敗退してしまった。だからローテーションがダメだというのはただの結果論であって、この戦い方が合理的なのかどうかはなんともいえない。
●四国では容易にゲームの主導権を握れるFC今治が、全国大会に出ると、普段は戦わないような手強い対戦相手が続々出てきて苦戦するというのも、当然といえば当然なんだけど、サッカーのおもしろさがあらわれていると思う。この決勝大会のさらに上にいるのがJFLのチーム、つまり横河武蔵野FCみたいなチームなわけだ。JFLとかJ3といったカテゴリーがどれだけ上位にあることか。ここから見ると、J2なんて化け物集団、J1は神々の世界みたいな感じになる(JFLを見慣れている自分としてはもともとそういう認識なんだけど)。
●ところがテレビでJ1の中継とか見ると、「あーあ、イングランドとかスペインに比べるとレベル低いよな~」的なサカヲタ視点がむくむくと湧いてくるのを止められない。もうこれこそファンの身勝手さ。J1は神々の世界じゃなかったのかよ!

March 1, 2016

山田和樹&日フィルのマーラー5番

●27日はオーチャードホールの山田和樹マーラー・ツィクルスへ。プログラムは武満徹の「ア・ストリング・アラウンド・オータム」(ヴィオラ:赤坂智子)とマーラーの交響曲第5番。マーラーを番号順に3曲ずつ3年をかけて演奏するというツィクルスが進行中で、今年はその第2期。常に武満作品もあわせて演奏されるので、マーラー・ツィクルスでもあると同時に裏武満ツィクルスにもなっている。人の目に映る秋の景色から自然を仰ぎ見るような繊細な武満作品と、世界を俯瞰して自然も人間もすべてを描き切ろうとする巨視的なマーラー作品の対比におもしろさを感じる。
●マーラーの交響曲第5番は遅めのテンポでじっくりと進められ、第4楽章アダージェットに至っては、ほとんど止まりそうになるほど。アダージェットはヴィブラートを抑制気味で耽美一辺倒ではない美しさ。終楽章は力強いフィナーレが築かれ、客席からは盛大なブラボーが寄せられた。アイディア豊富な一方で正直なところ消化不良というか粗削りな感も否めなかったのだが、攻めたマーラーであることはたしか。できることならもう一度聴いてみたいもの。マイクがたくさん立っていたので、レコーディングされている模様。
●次回は3月26日に武満「ノスタルジア」+マーラーの交響曲第6番「悲劇的」という組合せ。

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