2022年9月アーカイブ

September 30, 2022

ディズニープラスの「オビ=ワン・ケノービ」(デボラ・チョウ監督)

●ディズニープラスでオリジナルドラマシリーズ「オビ=ワン・ケノービ」全6話を観た。舞台設定は「スター・ウォーズ」エピソード3の10年後。つまり新三部作と旧三部作の間の時代を扱っている。新三部作のラストでオビ=ワン・ケノービ(ユアン・マクレガー)はアナキン・スカイウォーカー(ヘイデン・クリステンセン)と凄惨なバトルを演じ、勝利した。アナキンは帝国によりダース・ベイダーとして生まれ変わるが、オビ=ワンはまだその事実を知らない。生き残ったジェダイたちは帝国から追われる身となり、オビ=ワンはライトセーバーを封印し、一市民として身を隠しながら密かに少年ルーク・スカイウォーカーを見守っている。主人公はオビ=ワンだが、幼少期のプリンセス・レイアを巡る物語になっている。監督はデボラ・チョウ。
●という話なので、「マンダロリアン」とは違って、ストーリーはダイレクトに「スター・ウォーズ」本編に直結している。オビ=ワンもアナキンもちゃんと本編と同じ役者が演じているし(回想シーンでは若返っている)、オビ=ワンとダース・ベイダーの直接対決という熱いシーンも用意されているので、本物の「スター・ウォーズ」感があるのが吉。正直なところ、自分のなかではディズニーが作ったエピソード7~9の続三部作は「なかったこと」になっており(思い出すだけでもめまいがしそう)、こちらの「オビ=ワン・ケノービ」を正統な本編に格上げしたいくらいの気持ちだ。「スター・ウォーズ」に必要な明快さ、簡潔さがある。西部劇オマージュが散りばめられていたのもいい。「スター・ウォーズ」のエッセンスは神話+時代劇+西部劇だし。
●ただ、難点もあるんすよねー。話の進行に不自然なところがいくつかあって、少々乱暴なのでは、とは感じた。テレビシリーズだと思えばギリギリ許せるかな。「マンダロリアン」には一歩及ばない。結局のところ、「スター・ウォーズ」は本流のストーリーに近づくほど、すでに完成している作品に無理やりパーツを追加した魔改造感から逃れられなくなるのかも。

September 29, 2022

しゃっくりを止める方法

一杯の水
●先日、これから歯医者さんに行くっていうタイミングで、しゃっくりが始まったんすよ。困るじゃないすか、歯医者さんでしゃっくりは。なんとかしてすぐに止めたい。で、ネットで「しゃっくりを止める方法」で検索すると、「息を止めてがまんする」とか「水を飲む」とか「両耳に人差し指を突っ込む」とかいろいろ出てくるわけだけど、まあ、あんまり効果があった試しがない。でも、ひとつ、やったことがない方法が出てきて、それが「コップの水を反対側から飲む」。えー、ホントかね、と思いつつ試してみたら……なんと、たちまち止まったんすよ、しゃっくりが! わ、まさか本当に止まるとは。
●コップの水を手前からじゃなくて、反対側から飲もうとすると、かがみこんで不自然な体勢なって「ズズズッ」とすする感じになるんだけど、その姿勢がいいみたい。以後、しゃっくりで困ったときは使ってみたい。
●お知らせを。ONTOMOの新連載「心の主役を探せ! オペラ・キャラ別共感度ランキング」第4回はベートーヴェン「フィデリオ」。キャラ視点によるオペラガイド。もうひとつ、大阪の住友生命いずみホールの音楽情報誌 「Jupiter」に、同ホールが新たに始めた「デジタルいずみチャンネル」の紹介記事を寄稿。ホール主催公演の映像をオンデマンドで配信するサービスで、住友生命いずみホールフレンズに入会すると好きなだけ視聴できる。

September 28, 2022

ニッポン代表vsエクアドル代表 キリンチャレンジカップ2022 デュッセルドルフ

●ワールドカップに向けて最後の準備となるデュッセルドルフで開催されたキリンチャレンジカップ、第2戦は対エクアドル代表。森保監督は今回も律義に前のアメリカ戦から選手全員を入れ替えてきた。もう監督の狙いは明らかだろう。毎回、親善試合が2試合あるたびに2チームを用意してきたのは、ワールドカップ本番でもそうするつもりだから。本番でニッポンはドイツ、コスタリカ、スペインと中三日で戦う。これをAチーム、Bチーム、Aチームで戦うのが森保監督の狙いのはず。ABAの三部形式ローテーション戦略だ。だから今回のアメリカは仮想ドイツ、エクアドルは仮想コスタリカとして選ばれた対戦相手だったのだろう。先発の座は11人ではなく、22人。おそらく森保監督はゴールキーパーもふたり使うはず、チームの士気を考えて。
●さて、そんなニッポンBチームのメンバーはGK:シュミット・ダニエル、DF:山根、谷口、伊藤洋輝、長友(→吉田)-MF:柴崎(→遠藤航)、田中碧-堂安(→伊東)、三笘(→相馬勇紀)-南野(→鎌田)-FW:古橋(→上田綺世)。布陣はアメリカ戦と同じ4-2-3-1で、トップ下に南野が入った。戦い方はAチームと同じ。ただ相手が違う。エクアドルはアメリカほど組織的で精力的なプレスをかけてこないが、個の技術では上。基本的にボールをつないで攻めるチームではあるが、アメリカと違って緩急のリズムがあって柔軟。前半はエクアドルが攻勢で、ニッポンが守勢に回る展開だったが、後半になると強度がやや落ちて、ニッポンのチャンスが増えた。ただ両キーパーとも好セーブが多く0対0のスコアレスドロー。ニッポンはシュミット・ダニエルがエネル・バレンシアのPKをストップするなど大活躍。正直なところ、これまでシュミットは代表での好セーブが少なく、セーブ力に疑問を感じていたのだが、これで一気に挽回した感がある。
●試合全体でボール支配率はほぼ五分、パス成功率は両者とも80%を超えていた。親善試合とは思えないしまったゲームだったが、試合内容ではエクアドルがやや勝っていたか。結果的に無失点だったものの、三笘のサイドの守備は気になる。中央も柴崎と田中碧のコンビだと、Aチームの遠藤と守田とはだいぶ差がある感じ。南野は本来中心選手のはずだが、モナコに移籍してから所属チームでも調子は上がらないようで、コンディションがもうひとつ。トップは途中出場の上田が健闘、強度の高さで機能していた。
●で、結論として森保監督のなかでABAの完全ローテーションは「行ける」となったのか「やっぱり厳しいね」となったのか、どうなんでしょね。この2試合を見ると、遠藤航など守りのキープレーヤーはローテーションさせられないんじゃないかと思ってしまうのだが。

September 27, 2022

アレクサンドラ・ドヴガン ピアノ・リサイタル

●26日は紀尾井ホールでアレクサンドラ・ドヴガンのピアノ・リサイタル。なんとまだ15歳ながらザルツブルク音楽祭やアムステルダム・コンセルトヘボウ、パリ・シャンゼリゼ劇場といった大舞台に立ち、ドゥダメル、コープマン、ピノックらとも共演する新星。ドヴガンはロシア出身で現在はスペイン在住。
●プログラムは前半がベートーヴェンのピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」とシューマンの「ウィーンの謝肉祭の道化」、後半がショパンで幻想曲へ短調、バラード第4番、アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ。「指が回る天才少女」的なイメージではまったくなく、成熟度の高い音楽を聴かせてくれる。細身にもかかわらず、打鍵は力強く、楽器を鳴らし切る。ダイナミクスの幅が広く、表現は彫りが深くて多彩。バラード第4番までかなり緊張度の高いピリピリした空気が流れていたが、作品の性格もあってか、最後のアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズではぐっとゆとりのある華やかな雰囲気に。この曲が白眉。続くアンコールも開放感のある流れになって、ラフマニノフの前奏曲第12番嬰ト短調op.32-12、クープランの「鳥のさえずり」、ショパンのマズルカ第13番イ短調op.17-4と続いた。
●ロシアの若い才能がこれからどうなるのか、先行きが見通せる状況ではないが、貴重な才能がこれからまっすぐ伸びてくれることを願う。

September 26, 2022

ニッポン代表vsアメリカ代表 キリンチャレンジカップ2022 デュッセルドルフ

ニッポン!●秋に変則開催されるワールドカップ・カタール大会に向けて、これが事実上最後の準備となるキリンチャレンジカップ2022。なにせ今回は大会直前の合宿期間が設けられず、どこの代表チームもリーグ戦を抜け出して「ぶっつけ本番」で臨む異例の大会。すべてはオイルマネーの力、なのか。
●で、アメリカ代表とエクアドル代表と戦うキリンチャレンジカップ2022、チケット発売のお知らせメールが事前に届いていたが、よく見れば開催地はデュッセルドルフ……。行けるわけないじゃないの。もっとも、どの国も主力は欧州でプレイしているのだから欧州で大会を開催したほうが選手の移動は楽。デュッセルドルフはもともと日本人コミュニティがあり、日本サッカー協会も欧州の拠点をこの地に置いている。スタンドには日本人の姿も多く、チャントが聞こえてくる。
●アメリカ代表はFIFAランク的には日本より上。チェルシーのクリスチャン・プリシッチやドルトムントのジョヴァンニ・レイナら欧州で注目される若い才能が多い(ただしプリシッチは負傷でメンバー外)。かつては同じサッカー新興国としてやや日本がリードしていた印象があったが、日本がぐんぐん伸びている間、それ以上にアメリカも伸びていて、さすがスポーツ大国。欧州でも南米でもない国がワールドカップで初優勝を果たすとしたら、それはアメリカ代表ではないか(カタール大会はアジア北中米勢にも優勝のチャンスがあると見ているのだが、それはまた別の話)。
●久々に対戦したが、アメリカ代表はニッポン代表とよく似ている。前線からのプレスが身上。チームに規律があって、前半から後半まで精力的で組織的なプレスをかけ続ける。このあたりの連動性は、ニッポンも悪くないけどアメリカが一枚上手。よくもまあ、そこまで忍耐強くかけ続けられるなと思うほど。ボールをゴールキーパーからつなぐのも同じ。結果的にどちらもディフェンスラインから一列前にボールを出して選手に前を向かせるまでのプロセスが「詰め将棋」風で、ここがうまくできると即チャンスになるし、ここで一手まちがえると即ピンチになる。そして、ミスが多かったのはアメリカのほう。それがそのままニッポン2対0アメリカという結果に出たゲームだったと思う。ニッポンはかなり厳しいプレスを受けていたにもかかわらず、少ないミスで乗り切った。見事な技術。こういうサッカーを見ていると、ディフェンの選手(キーパー含む)の足元の技術がいかに大切かを痛感する。技術の足りない選手がひとりでもいると、そこが綻びになる。
●ニッポンは4-2-3-1でトップ下を置く形。このトップ下のキープレーヤーに鎌田大地を抜擢。鎌田はフランクフルトでの活躍ぶりを見れば中心選手になっておかしくないのに、森保体制では序列が低かった。まさかこの段階で序列が変わったのか。左に久保建英、右に伊東純也。伊東は右でしか使えないが、久保は左でも使える。所属のレアルソシエダでは左でもプレイしているそう。前線には前田を抜擢。プレスの強度では前田が最強だろう。ただし、この布陣だとエースであるべき南野の居場所がない。フライブルクで復調した堂安もベンチ。
●セントラルミッドフィルダーは遠藤航と守田英正。ここはこのふたりで盤石のはず。守田はポルトガルの名門スポルティングに移籍して、中心選手の座をつかんでいる。ディフェンスラインは左が中山雄太、右が酒井宏樹、センターバックは吉田と冨安のコンビ。ただし後半は酒井が退き、冨安が右サイドバックに入り、伊藤洋輝がセンターに入った。本来なら板倉がセンターバックに入ると思うのだが、負傷で不在。板倉が本大会に間に合うなら、冨安は右で行ける。結果的に無失点で抑えられたのは収穫。
●GK:権田(→シュミット・ダニエル)-DF:酒井(→伊藤洋輝)、冨安、吉田、中山雄太-MF:遠藤、守田-伊東(→堂安)、久保(→三笘)-鎌田(→原口)-FW:前田大然(→町野)。ゴールは鎌田と三笘。三笘は自分の型に持ち込めれば無双。

September 22, 2022

「ガルシア=マルケス中短篇傑作選」(ガブリエル・ガルシア=マルケス著/野谷文昭訳/河出文庫)

●ガルシア・マルケスの中短篇10篇を年代順に並べた新訳アンソロジー「ガルシア=マルケス中短篇傑作選」を読む。大半の作品は過去に読んでいるはずだが、せっかく文庫で出たので買ってみた。そもそも何十年も前に読んだ作品が多く、中身はかなり忘れているわけで。最初の一篇が名高い「大佐に手紙は来ない」。この中篇を始め、初期作はどれもリアリズムにもとづき、ラテンアメリカのやるせない現実が描かれている。後味は苦い。それが後の作品になると「巨大な翼をもつひどく年老いた男」や「エレンディラ」のように、魔術的リアリズムや神話的な要素が目立ってくる。「百年の孤独」のガルシア・マルケスは後半にいるわけだが、中短篇に限って言えば前半のほうがより味わい深い。
●「大佐に手紙は来ない」で、なんの手紙を待っているかといえば、退役軍人への恩給の支給開始を知らせる手紙。老いた主人公はかつての革命の闘士。今は妻とともに体の不調を耐えながら極貧の暮らしを送っている。家にある売れるものはすっかり売ってしまい、残るは亡き息子が残した軍鶏のみ。軍鶏の餌にもらったトウモロコシを粥にして食べるほどの窮状だが、大佐は必ず恩給がもらえるはずと信じて、毎週金曜日になると郵便局に手紙を受け取りに行く。もちろん、大佐に手紙は来ない。大佐は一本筋を通した生き方をしてきたにちがいない。そして、とうに世の中から忘れ去れているのだ。
●とても短い話だけど「ついにその日が」も忘れがたい。歯医者小説の傑作。ある日、横柄な町長が親知らずを抜いてくれと訪ねてくる。よほどの痛みに耐えかねた様子。だが、この町長はかつて歯科医の同志20人の命を奪った仇敵。歯科医は「化膿しているから」といって麻酔をせずに歯を抜く。淡々とした筆致がよい。
●一本だけ選ぶなら「この町に泥棒はいない」。無謀でマッチョな若者が出来心から町のビリヤード場に盗みに入る。しかし金目のものはなく、ボール3個だけを盗む。犯人としてよそ者の黒人が捕まる。だって、この町に泥棒はいないから。主人公の転落が描かれているのだが、弱い者は弱さゆえに愚かさから逃れられず、強い者はそれを見逃さない。町に立ち込めるヒリヒリした空気が伝わってくる。

September 21, 2022

セバスティアン・ヴァイグレ指揮読響の「ドイツ・レクイエム」

●20日はサントリーホールでセバスティアン・ヴァイグレ指揮読響。前半にダニエル・シュニーダー作曲の「聖ヨハネの黙示録」日本初演、後半にブラームスの「ドイツ・レクイエム」という宗教音楽プロ。ソプラノにファン・スミ、バリトンに大西宇宙、新国立劇場合唱団の声楽陣。
●前半のダニエル・シュニーダー、未知の曲なのでブラームスの前座くらいに思っていたら、ぜんぜんそうではなく30分あるがっつりした曲で、声楽陣も入る。前後半とも歌いっぱなしの新国立劇場合唱団がこの日の主役といってもいいくらい。シュニーダーはスイス生まれのアメリカで活動する作曲家で、「聖ヨハネの黙示録」(2000)はミルウォーキー交響楽団の委嘱作なのだとか。であれば、晦渋な現代曲ではなく、楽しい曲なんじゃないかなと予想していたら、期待通りのおもしろさで、ブラームスとはまったく対照的。さまざまなスタイルが渾然一体となっていて、無理やりたとえるならオルフ「カルミナ・ブラーナ」の聖俗をひっくり返してブリテンとジョン・ウィリアムズとハンス・ジマーを掛け合わせたみたいな感じ? 歌詞に「悪魔の数字は666」とか出てきて、一瞬「エクソシスト」かよ!と心のなかでツッコミを入れてしまったが、それを言うなら「オーメン」だ(ダミアン……)。最後はゆったりとした心地よい南国的なリズムに乗ってカリビアンな気分で終わる。
●後半の「ドイツ・レクイエム」はヴァイグレの本領発揮。合唱団は約60名程度、P席に市松模様の散開配置なので、響きの密度という点では難しさもあったと思うが、澄明な歌唱でこの作品ならではの鈍色のロマンティシズムを存分に伝えてくれた。独唱陣もきわめて高水準で、もっと出番が欲しいほど。この曲、レクイエムではあるけれど、自分にとってはかなり早くから好きになった曲なので、宗教曲ゆえの疎外感よりも懐かしさを伴って聴ける曲。この渋いカッコよさは微妙に中二病的ななにかを刺激する。フーガ成分高めだからなのか。第2曲は後の交響曲第1番第1楽章を先取りしていると感じる。全般に漂う「モテない」感にカッコよさの源泉があると思うのだが。曲が終わると完全な静寂が訪れ、長い長い余韻を味わった後に拍手。

September 20, 2022

ファビオ・ルイージ指揮N響のリヒャルト・シュトラウス・プロ

ファビオ・ルイージ NHK交響楽団
●16日はNHKホールでふたたびファビオ・ルイージ指揮NHK交響楽団。この日はC定期なので、19時30分開演で休憩なしのプログラム。普段よりも遅く開演して同じくらいに終わるイメージなのだが、18時45分から「開演前の室内楽」がある(約15分、演奏中出入り自由)。これを聴きたい人はいつもと同じか、少し早いくらいの時間に来場すればいい。遅く来てもいいし、早く来てもいいという巧妙な設定。早く来た人は「開演前の室内楽」の後に長めの空き時間ができるが、本編に休憩がないのでバランスは取れていると思う。ただし喫茶コーナーはまだ閉じたまま。自販機を活用するしか。
●開演前の室内楽はチェロ四重奏でジョゼフ・ジョンゲンの「4本のチェロのための2つの小品」作品89。トーク入り。事前の発表から急遽メンバーがひとり変わって、辻本玲、市寛也、中実穂、渡邊方子の四重奏。このコーナーはふだんあまり聴く機会のない作品を聴けるのが楽しみ。「伝説」「踊り」と題された2曲からなり、リヒャルト・シュトラウスとドビュッシーが混在しているみたいな作風。
●本編はオール・リヒャルト・シュトラウス・プログラムで交響詩「ドン・フアン」、オーボエ協奏曲(エヴァ・スタイナー)、歌劇「ばらの騎士」組曲。中くらいの長さの曲が3曲並んでいる。曲の性格の違いもあって、前週の就任披露初日のヴェルディ「レクエイム」ほど緊張した空気にはならず、開放的な雰囲気。勢いよく「ドン・ファン」で始まって、一転してオーボエ協奏曲では室内楽的な親密な音楽。ソリストのエヴァ・スタイナーはルイージが首席指揮者を務めるデンマーク国立交響楽団の首席奏者なのだとか。「ばらの騎士」は流麗で華やか。ルイージは指揮台で踊るかのような動作でオーケストラをドライブする。この組曲、オペラのエッセンスをコンパクトにまとめていて本当に楽しめるんだけど、最後の取って付けたようなコーダが謎。
●シュトラウスは前任パーヴォのレパートリーでもあった。こうして重なっているレパートリーを聴くと、パーヴォとルイージの違いを感じずにはいられない。パーヴォは彩度とシャープネスをぐっと上げて、ビートを縦に打ち込む明快な音楽、ルイージは横の流れがしなやかで、その場で湧き上がる感興やライブ感を大切にした音楽作り。ルイージにはオペラの演奏会形式もやってほしいなと思う。
●今シーズンより、終演時のカーテンコールの撮影が可能になったので、今回も撮ってみた。インスタに最適なおみやげ。

September 16, 2022

パーヴォ・ヤルヴィ指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団のジョン・アダムズ・アルバム

●指揮者界のレコーディング・チャンピオンである父ネーメ・ヤルヴィには及ばないものの、息子パーヴォ・ヤルヴィの録音点数も相当なものだと思う。ドイツ・カンマーフィル、シンシナティ交響楽団、フランクフルト放送交響楽団、パリ管弦楽団、NHK交響楽団と、シェフを務めたオーケストラでそれぞれに応じた作曲家のアルバムを制作し、現在音楽監督を務めるチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団とはチャイコフスキーに続いて、ジョン・アダムズ・アルバムをリリース。チューリッヒでジョン・アダムズというのは意外な選択だけど、楽しい曲がそろっている。
●で、「スロニムスキーのイアーボックス」「トロンバ・ロンターナ」「ロラパルーザ」は他でも聴く曲だけど、「私の父はチャールズ・アイヴズを知っていた」っていう曲が入ってるんすよね。ワタシは初めて聴いた。全3曲で30分近くある。特に第1楽章「コンコルド」が思いっきりアイヴズ調でかなりおかしい。第2曲「湖」、第3曲「山」と続く。「山」はジョン・アダムズ自身の登山体験に基づいているそうで、21世紀の「アルプス交響曲」と名付けたくなるような神々しい瞬間がやってくる。
●それにしてもジョン・アダムズの父親がアイヴズと面識があったとは。いったいどういうつながりなんだろ……と思ったら、なんと、別に知り合いでもなんでもないって言うんすよ! ただ「私の父はチャールズ・アイヴズを知っていた」という曲名を付けただけ。ジョン・アダムズによれば、自分と父の親子関係と、チャールズ・アイヴズとその父ジョージの親子関係には似たところがあるそうで、もし出会う機会があれば親同士がよい友達になったんじゃないかという。どちらの父親も芸術肌でビジネスセンスに乏しく、夢見がちで、息子を触発することには長けていて、ニューイングランドの小さな街での暮らしを気に入っており、ソローの思想に賛同していたのだとか(Hallelujah Junction: Composing an American Life / John Adams を参照)。でも、だからといってそんな混乱を招くような曲名を付けるかね……。


September 15, 2022

苦戦しつつも勝点3、京都サンガvsマリノス J1リーグ 第26節

●一時、勝利から見放されていたマリノスだが、9月7日の湘南戦、10日の福岡戦とホームで連勝し、14日はアウェイで京都戦。厳しい戦いの末、結果は京都1対2マリノス。これで3連勝。現在、ふたたび首位に立っている。2位の川崎がアウェイ名古屋戦で引き分けたこともあり、勝点差は5に広がった。
●DAZNで京都戦を観たが、京都の精力的なプレスに苦しんでマリノスがボールを持てない。いつになくロングボールに逃げる場面が目立つ。京都の選手は自信を持ってプレイしている様子で、とても下位のチームとは思えない。ただ、前半、コーナーキックでエドゥアルドをマークが見失ったため、マリノスが1ゴールを奪う。
●後半、京都のキーパー上福元がパンチングで弾いたボールを、エウベルがペナルティエリア手前からダイレクトで技巧的なループシュート。ゴールマウスにカバーの選手が入っていたが、その頭の上を超えてゴールに吸い込まれた。いくらエウベルでもそうそう決まらないシュートだろう。これで2点目。そこから京都が少しペースダウンした時間帯もあったと思うが、両監督による積極的な選手交代の応酬の結果、京都がふたたび試合の主導権を取り返した。マリノスは前線をエウベル→水沼宏太、マルコス・ジュニオール→渡辺皓太、仲川輝人→吉尾海夏と入れ替えていったのだが、これが機能せず。吉尾はアカデミー育ちの選手なので期待しているけど、もっとガツガツと熱く攻めないと。
●後半42分、京都がコーナーキックのこぼれ球から1点を返す。本来、勝っていても攻め続けるのがマリノスだが、京都の圧力に耐えきれず、時計を進めるプレイが目立ち出す。チームの哲学を放り出してでも、目の前の勝点3を守ろうとする非常事態。なんとかそのまま逃げ切れたものの、内容的には曹貴裁監督率いる京都の狙い通りの展開だったのでは。ボール支配率は五分五分、シュートは京都が18本、マリノスは8本。スプリント回数でも京都が上回っていた(ああ、スコットランドに去った前田大然……)。楽観的に考えれば、こういう「やられた」試合でも勝点3を取ることが優勝への必須条件、悲観的に考えればチームの根幹となる戦術が揺らいでいる。さて、どちらなのか。

September 14, 2022

映画「ブレット・トレイン」(デヴィッド・リーチ監督)

●映画館で「ブレット・トレイン」(デヴィッド・リーチ監督)。原作が伊坂幸太郎で、主演がブラッド・ピット、物語の舞台が日本の新幹線のなかということしか知らずに見た。ブラッド・ピットは殺し屋の役。東京発の新幹線に乗って、ブリーフケースを盗んで次の駅で降りるだけの仕事を引き受けたが、列車内に次々とあらわれる曲者たちに命を狙われる、というギャグ調クライムアクション。洗練された作り込みでガイ・リッチー、バイオレンスと饒舌さでタランティーノを思わせるテイスト。殺し屋のひとりがなにかにつけて物事を「きかんしゃトーマス」にたとえるのがおかしい(これは原作由来なのだとか)。あと、列車内で殺し屋同士でバチバチ戦ってるところで、近くの乗客から「しーっ」と注意されると、すみませんとにこやかに謝ったりとか、日本社会の特徴を正しく理解したうえでの笑いが散りばめられている。あえて誇張された「エセ日本」的な要素がたくさん盛り込まれている。
●あまり細かいことを気にせずに見るべき話なのだが、ブラッド・ピットから連想したのは映画「ワールド・ウォーZ」。ゾンビ映画で主人公がゾンビ禍を生き延びるのはありだとは思うが、いくらなんでも飛行機が墜落したのに主人公が無事だったというのは禁じ手だろうと思った。そんな前例があったよなあ……と思い出す。
●伊坂幸太郎の原作は「マリアビートル」だそう。英訳されて英ダガー賞翻訳部門の最終候補に残ったというからスゴい。

September 13, 2022

マルクス・シュテンツ指揮新日本フィルの創立記念演奏会再現プログラム

●12日はサントリーホールでマルクス・シュテンツ指揮新日本フィル。新日フィルの定期演奏会はかなり久々。50年前の創立記念コンサートを再現するという趣旨で、ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」、ラヴェルの組曲「マ・メール・ロワ」、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」というプログラムが組まれた。たしかに今だとこういう選曲にはならないかも。1972年の演奏会では小澤征爾が指揮しているが、そこまで再現するわけにもいかず、マルクス・シュテンツが指揮。コンサートマスターは西江辰郎。
●前半、「ローマの謝肉祭」からオーケストラを鼓舞して、かなり熱量のある演奏。「マ・メール・ロワ」は少し独特でカラフルというよりはスモーキーなテイスト。後半の「英雄」がシュテンツの真骨頂だろう。たくましく、力感あふれるベートーヴェン。ぐいぐいとオーケストラを引っ張って聴きごたえ大。要所でぐっとテンポを落とすなど、しばしばテンポやダイナミクスを大胆に操作するが、奇抜だとはまったく感じず、むしろ20世紀の伝統に則った説得力のある演奏だと感じる。管楽器の強奏も効果的。シュテンツは指揮棒を使わず。
●シュテンツはタングルウッドでバーンスタインと小澤に師事しているのだとか。それでこの人選なのかと納得。もっともシュテンツから連想するのは小澤よりもバーンスタインのほうで、舞台にも客席にも全方位に熱を放射していた。指揮姿も少しバーンスタインを思わせる。小柄なバーンスタインと違ってシュテンツは大男ではあるけれど。

September 12, 2022

ファビオ・ルイージ指揮N響のヴェルディ「レクイエム」~ファビオ・ルイージ首席指揮者就任記念

ファビオ・ルイージ N響
●10日はNHKホールでファビオ・ルイージ指揮N響。ルイージの首席指揮者就任記念公演であり、今シーズンの開幕公演。会場は改修工事を終えたNHKホールで、ずいぶん久しぶり。原宿駅から開放的なムードの代々木公園を通って歩く。プログラムはヴェルディ「レクイエム」。就任披露といっても時節柄そう祝祭的なムードには浸れないので、今にふさわしい選曲か。ルイージはこの曲を「哀悼についての作品ではなく、希望と美に満ちた作品」とも語っている。
●冒頭はホールの空調の音にかき消されそうなくらいの繊細なピアニッシモ。そこからみるみるうちに大きなドラマが立ち昇る。かつて聴いたことのないほど細部まで神経の行き届いた、緻密でしなやかなヴェルディだったと思う。新国立合唱団による合唱もきわめて高水準で、オーケストラと完全に融合してひとつの音楽を作り出す。そして独唱者陣が超強力。ソプラノにヒブラ・ゲルズマーワ、メゾ・ソプラノにオレシア・ペトロヴァ、テノールにルネ・バルベラ、バスにヨン・グァンチョル。この雄弁な独唱陣のおかげで際立つのが、この曲のレクイエムとしての特異性。一幕物のオペラを演奏会形式で聴いているとしか思えなくなる。歌詞は典礼文であってどこにもストーリーがないはずなのに、重厚な人間ドラマに触れたかのような錯覚を起こす。いや、錯覚ではないのかも? 「ディエス・イレ」は壮大ではあるけど、決してスペクタクルに偏重していない。
●今季より終演後のカーテンコールの撮影が許可されることになった。他の在京オーケストラに先駆けての英断で、大吉。第一に、写真をSNSに載せることで拡散し、特に若い層に対してオーケストラの存在を知ってもらうきっかけができる。これまでコンサートホールは極端に「閉じた存在」で、その内側の熱狂がなかなか外側に伝わらず、この状態で「オーケストラの公共性」云々と言ったところでなあ……と居心地が悪かったのだが、SNSにたくさん写真が載ればひとつ「窓」ができる。第二に、写真は自分自身への最高のお土産になる。Googleフォトは毎日のように「n年前の今日の思い出」をスマホで見せてくれるが、こんなにも演奏会に足を運んでいるにもかかわらずその痕跡が不自然なほどない(まるでアリバイ工作でもしているかのように)。スマホ時代のライフログに、コンサートも加わってくれるとうれしい。

September 9, 2022

東京オペラシティアートギャラリー「ライアン・ガンダー われらの時代のサイン」落穂拾い

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先日もご紹介した東京オペラシティアートギャラリーの「ライアン・ガンダー われらの時代のサイン」展(~9/19)の2回目を見てきた。というのも、普通ではない展示物がいくつかあって、一回目にいくつも作品を見逃してしまったから。配布される紙のガイドを確認しないと絶対に見つけられないものがある。たとえば、上の写真のように天井に風船がはりついている。これは「摂氏マイナス267度 あらゆる種類の零下」と題された作品。一見、ヘリウムガスを入れた風船のようだが、実際にはファイバーグラス製。でも、これなんかは見つけやすいほうなのだ。上を見上げれば見つかるのだから。
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●ほら、これとか。別作品の額の上にちょこんと乗ってるんすよ。銀で鋳造した細い葉巻の吸い殻。「時間を逆行しながら過ごす」というわかるようなわからないようなタイトルの作品。
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●これは部屋の片隅に落ちているマッチ箱。えっ、そんな。「世界に対する真実」と題されている。拾ってみたくなるけど、その勇気はない。
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●こちらも片隅に落っこちている系の作品で、「僕たちはここではたくさんのドルを持ってはいなかった」と題されている。2032年から降ってきた25ドル硬貨という設定。だいぶインフレが進んでいるようだ。これも拾いたくなるが、床に接着されているらしい。
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●こっちは普通に見つかる作品なんだけど、椅子の上で蚊がヒクヒクって動いている。前回見たときは蚊がなぜか動いていなかった。2回目に見たらちゃんと動いていた。もちろん本物ではなく、仕掛けがある。「すべては予定通り」という題がおかしい。
●ほかにも額の上に乗ってるチューインガムとか、ぐったりと横たわるハツカネズミなんかもある。ひとつ、「首にかけた重石(時間を無駄にしなかった証)」という作品がどうしても見つからない。うーんと困って立ちすくんでいたら、目の前にいた監視員のお姉さんが、親切にも教えてくれた。なんと、そのお姉さんが身に着けているネックレスが作品だったのだ!(なので、写真は遠慮した……)
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●でも、もっと難度が高かったのがこちら。作品リストの最後にある「郵便配達人は二度ドアをたたく」。なんの変哲もないふたつの輪ゴムに見えるけどブロンズ製。ガイドの作品地図を一生懸命見つめて、おかしい、この場所はほぼ入口じゃないか、ほとんど受付の位置に作品があるというのか?……と思ったら、受付のカウンターのなかに各種パンフなんかと並んでこれが置いてあったという。いやいや、大半の人は見つけられないって。アートギャラリーに来たのに、テーマパークで遊んでいるかのような楽しさ。

September 8, 2022

アントネッロ リコーダーコンソートTOUR 2022

●7日は五反田文化センターの音楽ホールで「アントネッロ リコーダーコンソートTOUR 2022」。濱田芳通率いるアントネッロの富山、札幌、東京、名古屋と巡るツアーの一公演。濱田芳通、浅井愛、大塚照道、織田優子によるリコーダー四重奏に高本一郎のリュート、立岩潤三のパーカッションが加わる。プログラムはルネサンス期から初期バロックの作品集。創意とサービス精神に富んだプログラムですこぶる痛快。リコーダーのアンサンブルでこれだけ多彩な表現ができることに感嘆。
●前半は4つのブロックに分かれていて、クレマン・ジャヌカンらの「フランス・ルネサンスのシャンソン」、ハインリッヒ・イザークらの「メディチ家の謝肉祭」、ミヒャエル・プレトリウスらの「三十年戦争前夜と戦時下の宮廷音楽」、トーマス・シンプソンらの「エリザベス朝の古謡」。リコーダーで各国を巡る旅。「グリーンスリーヴス」がこれだけおもしろく聴けるとは。合間に挟まれる濱田さんのトークも独特の味わいとおかしさがあって絶妙のバランス。
●後半は「17世紀イタリア、バロック時代の夜明け」で、ダリオ・カステッロとタルクィーニオ・メールラの曲を中心に。メールラのカンツォン「夜うぐいす」「ラ・メールラ」「めんどり」という3曲の並びがあって、この「ラ・メールラ」とはツグミのことなんだとか。つまり、鳥の曲が並んでいる。各曲とも鳥の鳴き声を模倣してから曲に入るんだけど、すごい、リコーダーってそんなことができるんだ。いや、そういえばリコーダーの語源は鳥のさえずりが云々という話がなかったっけ……。アンコールはスコット・ジョプリンの「ザ・ラグタイム・ダンス」。がらりと雰囲気が変わって、開放的な楽しさ。
品川区 観光大使 シナモンロール
五反田文化センター、ぜんぜんなじみのない場所だったんだけど、音楽ホールはびっくりするほど立派な小ホール。駅からかなり歩くけど、「文化センター」という名称に反して本格的な音楽専用ホールだった。で、これは品川区立の建物なので、図書館やプラネタリウムも含まれている。そして、ワタシはこの会場で初めて知ったのだが、品川区はシナモンロールが観光大使を務めているのだ! これはまさか「しながわ」に「シナモン」という「しな」つながりなんだろうか。そして「品川観光」という言葉に先端的なマイクロツーリズムの香りを感じる。心のなかの「いいね」ボタンをタップした。

September 7, 2022

「マリス・ヤンソンス すべては音楽のために」(マルクス・ティール著/小山田豊訳/春秋社)

●ヤンソンスが卓越した指揮者であることはまちがいない。でもエゴを押し出すタイプの人ではないし、あちこちで物議をかもす人でもない。だから、ヤンソンスの音楽はともかく、ヤンソンスの評伝はそんなにおもしろくはならないんじゃないか……と先入観を持ちながら読みはじめたら、これがずいぶんとおもしろいんである。「マリス・ヤンソンス すべては音楽のために」(春秋社)はマルクス・ティールというドイツの音楽ジャーナリストが書いた評伝で、生前のヤンソンス本人から承諾を得ているそう。この本のおもしろさはかなりのところ著者の驚異的な取材力と筆力に拠っている(それと滑らかな訳文も)。
●この本の前半は知られざるヤンソンス、後半はみんなが知っているヤンソンス。よりおもしろいのは前半。レニングラード・フィルの話とか、オスロ・フィルとの初期の関係、それと意外だったのはBBCウェールズ交響楽団との強い結びつき。毎年4週間の客演を4年間という契約だったそうだけど、特にタイトルはなかったのかな……。このオーケストラでのチャイコフスキーの交響曲全集の録音が、ヤンソンスのキャリアにおけるもっとも重要な企画のひとつになったという。さらにベートーヴェンの交響曲全曲の映像を収録して注目を浴び、ロンドンに活躍の場を広げる。BBCウェールズ交響楽団とはソ連の各都市を巡るツアーにも出かけるんだけど、レニングラード公演だけは首席指揮者の尾高忠明が指揮台に立った。なぜかというと、ヤンソンスはレニングラードに住居があり、ソ連当局の規定で自分の街で外国のオーケストラを指揮するのは禁じられていたから。尾高忠明がヤンソンスの家に泊めてもらったという話も載っている。
●ピッツバーグ交響楽団の首席指揮者時代の話も知らないことばかり。ヤンソンスはその後のバイエルン放送交響楽団とロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の兼任時代の印象が強すぎて、彼にピッツバーグ時代があったことを忘れがち。で、偶然ではあるけど、ヤンソンスはピッツバーグでもバイエルン放送交響楽団でもマゼールの後を継いだことになるんすよね。マゼールとヤンソンスはまったく対照的なキャラなので、この本ではどうしてもマゼールは悪役に描かれてしまう(才能はすごいけどエゴが……みたいなトーン)。ヤンソンスは楽員と信頼関係を結び、敬愛される。ワタシはマゼールの音楽のほうがずっと好きなんだけど、その通りだろうなあと頷きながら読んでしまった。
●後半ではベルリン・フィルのシェフ選びの話題も出てくる。著者が新しいシェフの選任をコンクラーベにたとえているのが、日本のファンと同じでおかしい。ヤンソンス側の視点からすると、自分がOKすればベルリン・フィルはすぐに受け入れてくれただろうけど、バイエルン放送交響楽団を見捨てることはできなかったという話。このあたりも興味深い話がいくつも記されている。

September 6, 2022

福岡対名古屋、暗黙のルールと無抵抗ゴール献上

●ここのところサッカーの話題が出てこなかったのは、マリノスの苦境のためだ。8月以降、一勝もしていない。7月末の段階ではリーグ優勝の可能性がかなり濃厚に思え、なおかつACLとJリーグ杯でも勝ち残っていた。が、8月、ACLもJリーグ杯も敗退し、リーグ戦は首位陥落、先週末の久々のリーグ戦でも東京相手に引き分けてしまった。これまでどうやってあんなに勝てていたのか、不思議に思えてくる。
●で、その話はともかく、週末のJリーグで物議をかもしたのが福岡対名古屋戦。福岡のクルークスが倒れたのを見て、名古屋のレオシルバがボールをタッチラインの外に出した。福岡の選手は暗黙のルールにのっとって、スローインでボールを名古屋のキーパー、ランゲラックに返そうとした。が、このボールを福岡のルキアンがカットしてクロスを入れると、よりによって先ほどまで倒れていたクルークスがゴールを決めてしまった。ランゲラックは大激怒してルキアンに詰め寄る。名古屋の選手たちも長谷川監督も猛抗議。だが、ルール上、ゴールを取り消す方法はない。どうしたらいいのか。
●福岡の長谷部監督と名古屋の長谷川監督が話し合い、福岡は無抵抗で名古屋にゴールを献上することにした。名古屋のキックオフから永井謙佑が棒立ちの選手の間を縫ってゴールにボールを流し込んだ。ビデオゲームで対戦相手が操作を放棄したときのような、異様な光景。ルキアンはまったく納得がいかないようだったが、長谷部監督はこれが唯一の選択肢と決断したのだろう。これは仕方がない。ルキアンのプレーはサッカーの競技規則には反していないが、競技の外側にある人と人の間のルールに反している。かつてプレミアリーグでも似たような事件がベンゲル監督時代のアーセナルにあったと記憶するが、ベンゲルもフェアプレイを優先させたはず。
●ただ、この場面には伏線があったんすよ。その前に福岡のディフェンスとキーパーが交錯して倒れた後、こぼれたボールを拾った名古屋がゴールを決めている。ルキアンとしては「そっちがやったのだから、こっちもやらせてもらう」という意図があったのかもしれない。だが、これは福岡の味方同士の交錯でボールがこぼれたのだから、そこで名古屋の選手がプレイを放棄するわけにはいかないし、こういった不運なアクシデントからの失点はサッカーでは珍しくない。そもそもこの場面が先にあって福岡に負傷退場者が出たからこそ、レオシルバは紳士的にボールを外に出したのだと感じた。だれにとってもうれしくない偶然がいくつも重なった末に、無抵抗ゴール献上シーンが生まれてしまった。試合結果は福岡 2-3 名古屋。福岡の選手たちにとってはメンタルのコントロールが難しかったと思う。

September 5, 2022

山田和樹指揮日本フィルの貴志康一&ウォルトン

●2日はサントリーホールで山田和樹指揮日本フィル。貴志康一のヴァイオリン協奏曲(田野倉雅秋)とウォルトンの交響曲第1番という攻めたプログラム。日フィル定期は同一会場2公演あるわけで、これで客席が埋まるかといえば埋まらない。でも、強い信念が伝わってくる。ともに1935年に書き上げられた作品ながら、その手触りはまったく違う。
●貴志康一のヴァイオリン協奏曲は、ロマン派協奏曲の枠組に日本の民謡風の楽想が織り込まれたもの。スタンダードな形態にローカルな素材の融合が図られているという意味では王道。26歳でこの曲を書いて、28歳で早世してしまったので、本来であればこの先に独自の世界が切り拓かれていたはずと思わずにはいられない。日本フィルのソロ・コンサートマスター、田野倉雅秋が渾身のソロ、カデンツァも鮮烈。
●後半、ウォルトンの交響曲第1番は最強に強まっていた。エネルギッシュで輝かしく、前へ前へと進む力にみなぎっている。レトロフューチャー風味のスーパー・ポジティブ・シンフォニーで、中二病がぶり返してきそうなカッコよさ。パワフルではあるけれど、決して荒っぽくならず、バランスが保たれていたのが吉。前半ソリストがそのままコンサートマスター席に座って獅子奮迅の働き。ニールセン「不滅」ばりの2台ティンパニも熱い。この曲、前回聴いたのはたぶん2013年の尾高忠明指揮N響。もっと聴きたくなる。
●熱心な拍手が続き、楽員退出後、まずはコンサートマスターが登場、続いて指揮者が姿を見せて、ふたりでカーテンコール。充実の一夜。

September 2, 2022

東京文化会館 新作オペラ「note to a friend」デヴィッド・ラング、笈田ヨシ オンライン記者会見

「note to a friend」デヴィッド・ラング、笈田ヨシ オンライン記者会見
●23年2月4日と5日に東京文化会館小ホールで上演される新作オペラ「note to a friend」のオンライン記者会見が8月中旬に開かれた。作曲および台本のデヴィッド・ラング(写真:左)がニューヨークから、演出の笈田ヨシ(右)がパリから参加するということで、会見スタート時刻が21時。すごい、パリとニューヨークと東京がZoomで結ばれるとは! 時代は変わる……。
●このオペラは東京文化会館とジャパン・ソサエティー(ニューヨーク)の共同制作によるもので、来年1月にジャパン・ソサエティーで世界初演した後、東京文化会館で日本初演される。題材となっているのは芥川龍之介作品で、主に「或旧友へ送る手記」および「点鬼簿」。日本を題材にした作品を日本人ではないアーティストに委嘱しようというジャパン・ソサエティーの意図のもと、ラングに新作オペラを打診したところ、ラング側から芥川の名が挙がった。
●ラング「私は読書家であり、日本文学をたくさん読んでいる。15歳で映画『羅生門』を観て以来、芥川作品のファンになった。特に『或旧友へ送る手記』には強い衝撃を受けた。この作品で芥川は人生について知的な考察を述べている。私はこの登場人物を使いたいと思った。これは芥川の伝記ではないが、彼がなぜ自殺したのかを説明している。芥川にはとても印象深いエンディングを持った作品がある。『藪の中』で死人がよみがえって自分のことに話す部分があるが(つまり映画『羅生門』で使われているスタイル)、そこから芥川がよみがえって自分の死について語るという物語の展開を着想した。日本文化における自殺がどういうものか、自分がわかっているとは思っていないが、芥川の『或旧友へ送る手記』と『点鬼簿』、それに『藪の中』の最後の部分を使って、私が考える死との対話を描きたいと思った」
●笈田「デヴィッドのような作曲家と仕事ができることをうれしく思っている。台本もすばらしく、演出できるのが楽しみ。オペラの台本はメロドラマだったり単純だったりして知的な興味を持てるものが少ないが、この台本には深い味がある。すばらしい音楽と台本を通して、どうやって人生を語ることができるか、人間を語ることができるのか。人間の美しさ、悲しさ、おもしろさ、人生のいろんなことを表現するのが自分の仕事だと思っている。日本人にだけに理解できるオペラにはしたくない。人間ならどうやって生きるのか、人間であることのドラマを音楽を通じて表現したい」
●出演はヴォーカルがセオ・ブレックマン、アクターがサイラス・モシュレフィ、ヴァイオリンが成田達輝、関朋岳、ヴィオラが田原綾子、チェロが上村文乃。ワタシはよく知らないのだが、セオ・ブレックマンはオペラ歌手ではなく、ジャズ・ヴォーカリストなのだそう。デヴィッド・ラング(デイヴィッド・ラング)の作品はラ・フォル・ジュルネで何度かとりあげられていたと思う。

September 1, 2022

堤剛80歳記念コンサート

●31日はサントリーホールで堤剛80歳記念コンサート。今年80歳を迎える堤剛のもとに若手からベテランまで日本のチェリストたちが集結して祝うスペシャル・コンサート。もちろん、80歳で現役チェリストでありサントリーホール館長でもある日本のレジェンドを讃える公演ではあるのだが、それ以上にチェロという楽器の魅力と可能性を伝えるべく、ソロからアンサンブルまで多彩なレパートリーがとりそろえられていたのが大きな特徴。チェロそのものが真の主役。
●前半にダヴィドフ「賛歌」(山本祐ノ介指揮日本チェロ協会チェロ・オーケストラ)、武満徹の「オリオン」(海野幹雄&海野春絵)、細川俊夫の「線II」(山澤慧)、三善晃の「母と子のための音楽」(鳥羽咲音&鳥羽泰子)、間宮芳生のチェロと尺八のための「KIO」(堤剛&坂田誠山)他、後半はどれもチェロ・アンサンブルの曲でヴィラ=ロボス「ブラジル風バッハ」第1番、クレンゲル「賛歌」、ハイドンのチェロ協奏曲第1番(チェロ四重奏版)より第1楽章。これだけのチェロ作品を一度に聴ける機会は貴重。堤剛、山崎伸子、植木昭雄、笹沼樹、髙橋麻理子、西谷牧人、濱田遥、堀了介、山本裕康、新倉瞳、上村文乃、上森祥平、向山佳絵子、長谷川陽子といったそうそうたるチェリストたちが出演。
●三善晃の「母と子のための音楽」は国立成育医療センターの院内音楽として書かれた曲なのだとか。なので、とても優しい音楽。なんと、演奏者は本当の母と子。細川俊夫作品で2本目の弓が出てきて「おお!」と思った。間宮芳生作品は尺八とチェロというまったく異質な音色を持つ楽器の対話がおもしろい。ヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ」第1番、フーガで終わるという点で、この曲集では珍しくバッハ成分を感じさせる。ハイドンのチェロ協奏曲第1番はダグラス・ムーアの編曲。4人でも不足を感じさせない。最後は花束贈呈、スピーチの後、アンコールとして堤さんがバッハの無伴奏チェロ組曲第3番よりブーレを演奏。80歳を「出発点」と語る姿はこのうえなく偉大。

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