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2025年8月アーカイブ

August 22, 2025

「ブックセラーズ・ダイアリー3 スコットランドの古書店主がまたまたぼやく」(ショーン・バイセル)

●スコットランドの名物古書店の店主が日々を綴ったシリーズ第3弾、「ブックセラーズ・ダイアリー3 スコットランドの古書店主がまたまたぼやく」(ショーン・バイセル著/阿部将大訳/原書房)を読む。今回も冴えている。これまでに第1弾第2弾をご紹介しているが、中身は要は日記というか、ブログなのだ。どんな客が来て、どんな本を買った、あるいは売ったという話が中心なのだが、著者の率直なボヤキや日常業務の様子がおもしろい。
●驚くのは奇天烈な客の多さ。日本でも本好きには風変わりな人が多そうだということはなんとなく察せられるが、スコットランドとなるとその数段上を行っている。そもそも普通の人々のわがまま度合いがヨーロッパのほうが日本より高いということもあるかもしれない。たとえば、4ポンドの値札が付いたジョン・ウェインの伝記を持ってきて、ただでいいかと尋ねる客。なぜそう思うのか。定価8.99ポンドの新品同様のペーパーバックを手にして「本当に2.50ポンドなのかい」と客が聞くから、あまりに安くて信じられなかったのかと思いきや、高すぎるから値引きを求めてきたという男性。えー。わざわざ電話してきて「おたくのお店のネット広告を見たら、1817年の競馬記録が200ポンドで売ってるけど、そんな金はないから買わない」と言ってくる人。わけがわからない。世の中にはいろんな人間がいる。
●あと、本の話題が意外とわれわれにも通じる。つまり、スコットランドの話だから知らない本、知らない著者のオンパレードになるかと思いきや(まあ、そういう面もあるんだけど)、知ってる本もたくさん出てくる。たとえば日本でもカルト的な人気がある(ワタシも好きだった)ダグラス・アダムズの小説「さようなら、いままで魚をありがとう」(銀河ヒッチハイクガイドシリーズ)が誤って釣りコーナーの書棚に置いてあったみたいな愉快な話は、日本でもありそう。
●ある常連客についての記述。

二人ともとてもフレンドリーで、熱心な読書家だ──いつも、ぼくが読んでいないことを恥ずかしく思うような本を買っていく。わざとそういう本を選んでいるのではないかと思うほどだ。今日買っていったのは『ユリシーズ』『灯台へ』『ミドルマーチ』(これは読んだことがある)、『キャッチ=22』『おとなしいアメリカ人』(すべてペーパーバック)だった。

この一節は感動した。だって、ぜんぶ日本語訳で読める本ではないか。しかも、どれも文庫で買える。日本の翻訳出版はすごい! と、同時に「読んでいないことを恥ずかしく思うような本」という価値観がかなりの程度、スコットランドと日本で共有されていることも驚き。それが世界文学だといえば、それまでだけど。

August 21, 2025

30周年と20周年

●Jリーグはシーズン中だが、欧州に合わせて夏は移籍可能期間になる。降格圏に沈むマリノスでは、まさしく沈む船から逃げ出すように有力選手たちが去っていった。エウベルは鹿島へ、ヤン・マテウスはカタールへ、アンデルソン・ロペスはシンガポールへ。チームは完全に空中分解した。今年去った選手だけでチームを作ったほうが、今のマリノスよりずっと強そうだ。火中の栗を拾ってくれた大島秀夫監督は立派。
●マリノスは一昨年に創設30周年を迎えたが、当サイトも本日、開設30周年を迎えた(←強引な展開)。日本のインターネット黎明期に生まれた本サイトは、ほとんどの日本企業のサイトよりも古くからネット上に存在している。が、とくに発展することもなく(苦笑)、細々と続いている。初期の頃はページビューが増えるのがおもしろく、一時期は広告などによる収益化の可能性もあると思っていた。しかしある時点で、ページビューは上がればよいというものではないことに気づいて、考えを大きく改めた。これは今のSNSでもそうだけど、必要以上に広まると理不尽な要求をする人や攻撃性の高い人々まで集まってきて、その対応でストレスを抱えることになる。ほどほどのバランスがよい。
●もうひとつ、今年は仕事上の独立20周年でもある。会社を退職して、個人事業主になったのが2005年のこと。この間には東日本大震災とコロナ禍という業界全体を揺るがす大ピンチもあったが、多くの人たちが親切にしてくれたおかげで、仕事が続いている。ご縁に感謝するほかない。今後も変わらずおつきあいください。

August 20, 2025

今年も松本駅からバスで美ヶ原高原へ

美ヶ原高原 王ヶ鼻
●松本まで行って日帰りではあまりにもったいないので、セイジ・オザワ松本フェスティバル「夏の夜の夢」の翌日、直行バスで美ヶ原高原へ。これは昨年と同じパターン。公共交通機関を使って行くにはこの直行バスを使うほかない。松本駅でマイクロバスに乗り、美ヶ原自然保護センターで下車すると、そこはすでに標高1905メートル。楽チンである。ワタシは自然散策をしたいのであって登山をしたいわけではないので、こういうのがいい。ハイキングコース(地図)に添って歩けば、30分ほどで標高2008メートルの王ヶ鼻にたどり着く。涼しい。序盤だけは少し登るが、あとはほとんど平らな散策コースで、のんびり歩ける。完全にハイキングの服装で来ている人もいれば、サンダル履きの人もいる。

美ヶ原高原
●空が近く、山々を見下ろす感じの光景がよい。仮に今、地上がゾンビの群れで埋め尽くされていたとしても、ヤツらはここまで登ってくることはない……。

美ヶ原高原
●王ヶ鼻から美ヶ原牧場へと向かう道。こんな道がずっと遠くまで続いている。広々とした場所にいると、少しは大らかな気分になれる、かもしれない。

美ヶ原高原 牛
●牛さんたちがやってきた。去年も会ったね!とは言ってくれないが、もしかしたら同じ個体と会っているのかもしれない。

美ヶ原高原 牛
●牛さんたちは「さあ、フォトセッションですよ」と言わんばかりに、こんなふうに人間のそばまで顔を出してくれる。もちろん、牛に触ってはいけない。撮るだけだ。

美ヶ原高原
●あたりは牛だらけで、牛の写真を山ほど撮ることになる。昨年もそうだった。昨年、あれだけ牛を撮っておいて、今年もまだ撮るというのか。ここに牛がいなかったら、Windows XPの壁紙みたいだなと思う。

美ヶ原高原 山本小屋ふる里館
●やがてたどり着くのが山本小屋ふる里館。ここを折り返し地点と決めている。ここでソフトクリームを食べてから、来た道を引き返す。山本小屋ふる里館には車で来ている人がたくさんいるので、ほとんどの人は普段着だ。こちらはもう2時間くらい歩いているので、だいぶモードが違うわけだが、気にしない。

美ヶ原高原 ポニー
●これはポニー。「夏の夜の夢」に出てくるのはロバ。惜しい。
●行きも帰りも、たっぷり休憩を入れながら歩く。というのも、直行バスの都合上、滞在時間は6時間25分の決め打ちになる。美ヶ原自然保護センターに到着するのが9時35分、帰りのバスは16時出発。のんびり巡っても、最後は1時間以上あまるので、売店でドリンクなどを飲んで待つことになる。たぶん、これくらいでちょうどいいのだろう。このバスを逃してしまうと普通の方法では下山できなくなるわけで、余裕を持っておいたほうが安心ではある。

August 19, 2025

セイジ・オザワ松本フェスティバル 2025 ブリテン「夏の夜の夢」

セイジ・オザワ松本フェスティバル ブリテン「夏の夜の夢」
●17日は松本へ。セイジ・オザワ松本フェスティバルでブリテンのオペラ「夏の夜の夢」(まつもと市民芸術館)。演出・装置・衣裳はロラン・ペリー。フランスのリール歌劇場のプロダクションを使用。沖澤のどか指揮サイトウ・キネン・オーケストラ。歌手陣は後述。演出、音楽ともに最高水準で、これだけすべてがそろったオペラに接する機会はめったにないこと。なによりブリテンの独創性と来たら。1幕と2幕を続けて、25分の休憩1回をはさんで3幕を上演する形式。
●第1幕、幕が開いたときは舞台中央にベッドが置かれ、装置らしい装置が見当たらず、この瞬間は「えっ、それってぜんぶは登場人物の夢だったっていうパターン?……」と一瞬だけ心配になったものの(そもそも「夏の夜の夢」なんだから夢にちがいないのだが)、それは杞憂で、舞台上のすべてが美しく、これ以上はないという完璧な演出。鏡と光の使い方が効果的で、「夏の夜の夢」の世界を描くのに一切の不足を感じさせない。上からするすると降りてくるパックが本物のパックだった。この役は歌手ではないのでいろんな演出が可能だと思うけど、フェイス・プレンダーガストという人が演じていて、ダンサーと呼んだらいいのか軽業師というべきなのか、年齢も性別もわからない妖しい人外といった様子で、パックそのもの。このオペラには3層にわたって登場人物たちがいて、オベロンら妖精たちの世界と、ハーミアら恋する人間の若者たちの世界と、コメディを演じる職人たちの世界がある。パックを筆頭に人外の登場人物たちは垂直方向の移動が多く、人間は水平方向に移動する。歌手の演技が練られていて、所作が音楽に合致しているのに感心。まずブリテンの音楽ありきで、その音楽が身体表現に落とし込まれている。オペラの様式的オートマティズムで隙間を埋めない。職人たちの演技がおかしすぎる。歌手としても役者としても第一級。
●ブリテンの音楽が神がかっている。オーケストレーションがふつうではない。管楽器の編成はかなり小さくて、フルート2、オーボエ1、クラリネット2、ファゴット1、ホルン2、トランペット1、トロンボーン1。一方で打楽器は多種多様で、チェンバロ/チェレスタ、ハープ2も加わる。撥弦楽器類が多く、きらきらとした音色でファンタジーの世界へ誘う一方、弦楽器の柔らかい「フニャ〜ン」の妖精感もすごい。昨年のブラームスの重厚な世界とはまるっきり違った、室内楽の延長みたいな小アンサンブルなんだけど、こういう音楽でもやっぱりサイトウ・キネン・オーケストラは並外れている。このオペラ、これで3つめのプロダクションに接することができたけど、音楽がいっそうフレッシュに感じる。
●鏡の使い方が巧みで、終盤に客席に照明を当てて、舞台上の鏡に客席を映す仕掛けがあった。これも秀逸なアイディア。この手法自体は前にもなにかで見た記憶があるような気がするんだけど、なんだったか思い出せない。ともあれ、「夏の夜の夢」にはふさわしい趣向。
●歌手陣も充実。オーベロンにニルス・ヴァンダラー、タイターニアにシドニー・マンカソーラ、シーシアスにディングル・ヤンデル、ヒポリタにクレア・プレスランド、ライサンダーにデイヴィッド・ポルティーヨ、ディミートリアスにサミュエル・デール・ジョンソン、ハーミアにニーナ・ヴァン・エッセン、ヘレナにルイーズ・クメニー、ボトムにデイヴィッド・アイルランド、クインスにバーナビー・レア、フルートにグレン・カニンガム、スナッグにパトリック・グェッティ、スナウトにアレスデア・エリオット、スターヴリングにアレックス・オッターバーン。このオペラ、オーケストラは小編成で済むけど、歌手はたくさん必要。OMF児童合唱団は最高だった。影の主役。

August 15, 2025

「刑事コロンボとピーター・フォーク その誕生から終幕まで」

●これは驚きの一冊。デイヴィッド・ケーニッヒ著「刑事コロンボとピーター・フォーク その誕生から終幕まで」(町田暁雄著/白須清美訳/原書房)。ミステリドラマの大傑作、「刑事コロンボ」シリーズがいかにして誕生し、ひとつひとつのエピソードがどう作られたかをたどる。著者はもちろん「刑事コロンボ」の大ファンであるわけだが、秀逸なのはこれがファンブックにはなっておらず、丹念な取材と一次資料をもとにひたすら事実を追いかけているという点。よくもまあ、ここまで個々のエピソードの成立を克明に追いかけられたものと感心するばかり。自分はごく普通の「刑事コロンボ」好きであって、熱心なファンとは言えないが、それでも読みだすと止まらなくなる。
●とくに一本一本を作る制作過程が興味深い。この業界ではそれが常識なのかもしれないけど、だれかのメモ書き程度のアイディアから始まって、脚本家が書いて、別の脚本家が書き直して、脚本家じゃないだれかが書き足したり削ったりして、長いプロセスをたどって撮影まで行く。と思えば、撮影現場でさらに書き直しがあったり。だれをプロデューサーにするのか、監督はだれを雇うのか、キャスティングはどうするのか、音楽をだれにするのか、人の出入りが激しい。最初期にスティーヴン・スピルバーグが一回だけ監督を務めているのは有名な話だけど、いろんな人がやってきては去ってゆく。でも、コロンボ役のピーター・フォークだけは変わらないし、変えられない。
●で、誕生した当初は「刑事コロンボ」は原作者のリチャード・レビンソンとウィリアム・リンクのものだったと思う。それが進むにつれて、ギャラの高騰とともにピーター・フォークのものに変わってゆく。途中からはピーター・フォークが全権を握って、気に入らないシーンがあれば何度でも撮り直し、製作費も膨れ上がってゆく。スタイルを確立し、ファンが定着し、勢いのある時代が続いた後は、ゆっくりと下り坂を降りていく。終盤の作品はあまり記憶に残っていないんだけど、ある頃からコロンボの老いが目立ってきたのは覚えている。かつての盟友たちが次第に引退し、人が少しずついなくなり、やがてピーター・フォークが取り残されるような雰囲気になるのが味わい深い。
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●18日(月)の当欄はお休みです。お盆休み。

August 14, 2025

新国立劇場 細川俊夫 オペラ「ナターシャ」(創作委嘱作品・世界初演)

新国立劇場 ナターシャ
●13日は新国立劇場でオペラ「ナターシャ」。細川俊夫作曲、多和田葉子台本という国際的に評価の高いふたりがタッグを組んだ委嘱新作。大野和士芸術監督による日本人作曲家委嘱作品シリーズとしては第3弾になる。11日が初日で、この日が2公演目。この後、さらに2公演が予定されている。演出はクリスティアン・レート、ピットには大野和士指揮東京フィル。以下、これから観る人の興をそがない範囲で。
●だいぶ前の記者会見だったかな、難民となったウクライナ人のナターシャと日本人の少年アラトが出会うというストーリーの骨格を耳にしていたので、「ボーイ・ミーツ・ガール」的な枠組みで話が進むのかなと思い込んでいたのだが、ぜんぜん違っていて、実際にはダンテの「神曲」地獄篇だった。ナターシャ(イルゼ・エーレンス)とアラト(山下裕賀)のふたりで地獄めぐりをする。地獄めぐりには案内人が必要だが、ここではメフィストの孫(クリスティアン・ミードル)がその役を担う。
●ふたりが巡る7つの地獄は「森林地獄」「快楽地獄」「洪水地獄」「ビジネス地獄」「沼地獄」「炎上地獄」「旱魃地獄」。地獄の描写はしばしば戯画的で、あえて類型的な表現がとられている。たとえば「ビジネス地獄」には、目の部分が「$」になった覆面を被った男たちが床から頭を出してなにやら忙しそうな手付きをしているところに、大きな書類の束を抱えたいかにもOL然とした女性があわあわと小走りにステージを横切ったりする。「ジャラジャラ」みたいなお金の擬音表現も含めて、現代というよりはIT化以前の昭和のオフィスのイメージで拝金主義をからかう。「快楽地獄」には「ポップ歌手」(森谷真理、冨平安希子)が登場。ここもレトロ調で、快楽といいつつ場末のキャバレーみたいなわびしさも漂わせる。「沼地獄」では原発の写真が大写しになる。
●なお、「沼地獄」は「沼にハマる」という意味ではなく、「炎上地獄」も近年のいわゆる「炎上」による地獄のことではない。
●細川俊夫の音楽は部分的にはかなり意外な作風も見せるものの、冒頭の海の情景をはじめ、細川俊夫の音楽を聴きたいと思って来場する人は十分に満たされると思う。東フィルが好演。精緻で洗練されている。そしてこのオペラでは電子音響(有馬純寿)と映像がとても重要な役割を担っている。電子音響がオーケストラと歌手とつなぎ目なく調和して、ひとつの音響空間を形作る。
●多言語も本作のテーマのひとつ。もっとも、自分は日本語は日本語として聴き、外国語はどんな言語であれ字幕の日本語でしか理解していないのだが。ドイツ語はドイツ語だとは認識できるけど、ウクライナ語はウクライナ語だとはわからない。
●「神曲」地獄篇に着想を得た作品はポップ・カルチャーの世界も含めてたくさんある。ワタシが好きだったのはラリー・ニーヴン&ジェリー・パーネルの小説「インフェルノ SF地獄篇」。酔っぱらって事故で死んだ主人公が地獄めぐりをさせられるのだが、本物の地獄だとは信じられず、地獄テーマパークだと信じ込もうとする……みたいな話だったかな。あ、これは余談。

August 14, 2025

アーティゾン美術館 「彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術」展

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●予備知識ゼロでアーティゾン美術館の「彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術」展(~9/21)へ。アボリジナルのアートと聞いて、なんとなく想像していたようなスタイルの作品もあれば、地域性はあるものの完全に現代アートというほかない作品もあって、バラエティに富んでいた。

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●エミリー・カーマ・イングワリィの「アライチー」(1995頃)。先住民文化に由来する装飾模様から生み出された抽象画というのは予想の範囲内だろう。いくつもあったイングワリィ作品はどれも力強く、そして洗練されいる。

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●こちらはイワニ・スケースの「えぐられた大地」(2017)。42個のガラス管みたいなのが並んでいて、しばらくすると緑の蛍光色に光る。ぼんやり眺めていると「きれいだな」で終わるのだが、これはウラン資源採掘によって引き起こされた環境汚染をテーマにしており、ガラスの形はアボリジナルの伝統的な食料であるブッシュバナナを模していると知ると、穏やかな気分ではいられない。ウランと核兵器、そして作者の祖先の土地で行われたイギリスによる核実験といったテーマを内包する。

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●これは楽しい。壁にずらりと色とりどりの正方形の薄いフィルムのようなものが並んでいる。マリィ・クラークの「私を見つけましたね:目に見えないものが見える時」(2023)。レコード・ジャケットを連想する人もいるかもしれないが、実はこれは28cm角のアセテート紙に印刷された顕微鏡写真。地元の河川に生える葦の細胞を顕微鏡スライドに載せて染色している。バリエーションは無数にありうる。

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●アップにしてみると細胞だっていうことがよくわかる。科学実験風で、ほのかにノスタルジーも漂う。「子供の科学」的な何か。

August 12, 2025

フェスタサマーミューザ2025 フィナーレコンサート 原田慶太楼指揮東京交響楽団

原田慶太楼 東京交響楽団
●11日はミューザ川崎でフェスタサマーミューザ2025のフィナーレコンサート。開幕に続いて東京交響楽団が登場、正指揮者の原田慶太楼が指揮。プログラムは芥川也寸志の「八甲田山」(1977)より第1曲「八甲田山」(タイトル)、第10曲「徳島隊銀山に向う」、第37曲「棺桶の神田大尉」、第38曲「終焉」、バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番(服部百音)、ニールセンの交響曲第4番「不滅」。日本、ハンガリー、デンマークの20世紀音楽を集めたプログラムのテーマは「生きる力」。
●芥川作品で「八甲田山」は意外な選曲。純管弦楽作品での洗練されたテイストとはまったく異なる昭和歌謡的な世界。真夏に思いを馳せる雪中行軍。たっぷりエモーショナルな演奏。バルトークでは服部百音が渾身のソロ。燃え尽きるかのような献身性で作品に向き合う。非常に完成度が高く、オーケストラともども雄弁。とりわけ第2楽章冒頭の抒情性が印象に残る。アンコールにファジル・サイ「クレオパトラ」から。得意のレパートリーで、これも鮮やかな技巧。
●この日の東響の弦楽器は対向配置ではなく、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、コントラバスと並ぶ標準的な配置。ニールセン「不滅」の初演時に合わせたそう。二組のティンパニも左右に分けるのではなく、中央奥と、下手側中ほどに配置。作曲者の意図は第2ティンパニはなるべく客席の近くに配置するということだったが、さすがに指揮者のそばに置くのは無理があるので、この位置にしたのだとか。たしかに左右のステレオ効果とは違った、縦方向での遠近感は客席にも伝わってきた。第1楽章冒頭から猛烈なテンションでスタート。第2楽章の木管アンサンブルのひなびた味わいが吉。終楽章は一気呵成。重厚というよりは輪郭のくっきりした硬質なサウンド。アンコールには原田がこの音楽祭のフィナーレにはこの曲と決めているらしい山本直純「好きです かわさき 愛の街」。川崎市民の歌ということなので、お祭りの締めくくりにはこれしかないということか。芥川ともども昭和の香り。

August 8, 2025

フェスタサマーミューザ2025 太田弦指揮九州交響楽団

サマーミューザ 九州交響楽団
●7日はミューザ川崎でフェスタサマーミューザ2025。福岡から九州交響楽団が初登場。指揮は首席指揮者を務める太田弦。プログラムは前半が小出稚子の「博多ラプソディ」、ビゼーの「カルメン」から第1幕への前奏曲、ハバネラ、セギディーリャ、第2幕への間奏曲、ジプシーの歌(ソプラノは高野百合絵)、後半はショスタコーヴィチの交響曲第5番。福岡というと人口減少に悩む日本にあって例外的に元気な街で、発展を続けているというイメージがあるのだが、オーケストラも勢いがあり、上り調子といった様子。とてもうまい。このクオリティだったら、定期会員のお客さんは毎回が楽しみなのでは。
●この公演については別の場所でも書くので、ここでは違った角度から書くと、ショスタコーヴィチの交響曲第5番は昨年4月の太田弦首席指揮者就任記念の定期演奏会でもとりあげられた作品で、CDにもなっている。会場でも販売されていて、お土産に最適。ショスタコーヴィチに引用されているということで「カルメン」を組合わせたおもしろいプログラム。高野百合絵のカルメンが歌も身のこなしも完璧にカルメンで、前半から会場がドッと沸いていた。劇場のオーラをまとった人というか、同じことをできる歌手はあまりいないと思う。太田弦指揮九響は前後半とも切れ味鋭く明瞭なサウンド。ていねいで、音楽の流れに無理がない。アンサンブルがしっかりしていて、強奏時でも響きのバランスが保たれている。管と弦のバランスも上々。ショスタコーヴィチは十分にドラマティックだが、端正といってもいいくらいで、とくに第3楽章が好印象。終演後は大喝采で、拍手が止まず、楽員がみんな退出するのを待ってから太田弦がにこやかに登場し、ソロカーテンコールに。さらにコンサートマスターも呼び込んで、ふたりそろって拍手を受けていた。

August 7, 2025

北澤美術館 特別展「万国博覧会のガレ」

●諏訪の話題をもうひとつ。4年ぶりに北澤美術館を訪れた。ここもハーモ美術館と同じく企業の創業者が築いたコレクションが公開されている。中心となるのはアール・ヌーヴォー、アール・デコのガラス工芸。現在は大阪万博にちなんだ特別展「万国博覧会のガレ」が開催中。1855年から1900年までの間にパリで5回開かれた万博を通じて、ガラス工芸家エミール・ガレが収めた成功の軌跡をたどる。で、とてもたくさんの作品が展示されているのだが、目を引いたのはジャポニズムの影響。

北澤美術館 「万国博覧会のガレ」
●これはガレの獅子頭「日本の怪物の頭」(1876)。口をぱっくりと開けたジャパニーズ・モンスター。獅子頭を透明なガラスで作るとは。

北澤美術館 「万国博覧会のガレ」
●こちらも見るからに日本風だが、北斎漫画から鯉のモチーフを借りている。ガレ「鯉文双魚形花瓶」(1879-89)。2匹の鯉の形の器に、鯉が描かれている。二重の鯉。

北澤美術館 「万国博覧会のガレ」
●そのへんの公園の池にいそうなカモだ。ガレ「鴨型手付籠」(1879-89)。色合いが日本の焼き物。

北澤美術館 「万国博覧会のガレ」
●伊万里焼をイメージしたというガレ「羊歯文伊万里風縁飾皿」(1900)。これもガラスなのだ。その辺の古いお家の食器棚に眠ってそうな趣あり。

北澤美術館 「万国博覧会のガレ」
●こちらはルネ・ラリックの立像「噴水の女神、メリテ」(1924)。この流れで見ると、もはや菩薩像にしか見えない。東博の法隆寺宝物館の1階に紛れ込んでいてもおかしくない気がする。

August 6, 2025

クァルテット・インテグラのバルトーク、ヤナーチェク、ベルク

●5日はTOPPANホールでクァルテット・インテグラ。各地で40度を超える気温が観測された猛暑の一日。都内はそこまでは行かなかったものの、夕方になっても蒸し風呂のような暑さ。汗だくになりながら神楽坂駅からTOPPANホールに歩く。そしてこの日のプログラムも熱い。前半にバルトークの弦楽四重奏曲第2番、ヤナーチェクの弦楽四重奏曲第1番「クロイツェル・ソナタ」、後半にベルクの「抒情組曲」。ひりひりするような超高密度プログラム。全席完売。3曲とも恐るべき完成度で、三澤響果、菊野凜太郎(ヴァイオリン)、山本一輝(ヴィオラ)、パク・イェウン(チェロ)の4人が凄まじい集中度で各々の作品世界に入り込む。1910年代から20年代の3曲が時代順に並んでいるのだが、バルトーク、ヤナーチェク、ベルクと進むにつれてロマン性が高まってゆくように感じられるのがおもしろいところ。
●前回このクァルテットを聴いたのは昨年のHakuju Hallのリクライニング・コンサートで、新メンバーのパク・イェウンが加わって、新しいカラーがもたらされたところだった。そのときはまだ3+1という印象を拭えなかったけど、今回はもう完全に4人が一体になっていた。
●ヤナーチェクの「クロイツェル・ソナタ」は、トルストイの小説に託した作曲者のカミラへの情念が伝わってくるかのよう。ヤナーチェクがぶっ飛んでいるなと思うのは、トルストイの「クロイツェル・ソナタ」を読んで、不貞のために刺された妻のほうの立場に寄り添っているところ。そんな読み方がありうるとは。作曲当時のヤナーチェクは69歳。社会通念から自由になれば、38歳年下の人妻カミラが自分のもとにやってくると夢想していたのだろうか。
●アンコールにハイドンの弦楽四重奏曲ロ短調Op.33-1より第4楽章。思い切りはじけて、幕切れは楽しく。

August 5, 2025

夏休み2025 諏訪湖

諏訪湖
●三日間の夏休みをとって、今年も諏訪湖へ。すっかり気に入ってしまい、これで4年連続だ。湖も山もあって景色が美しい。人が少ないので、どこに行っても人込みも行列もなく、開放感がある。東京から中央線一本で行ける気軽さも吉。標高が高い分、気温が低い。やることもだいたい決まっている。諏訪湖の遊覧船に乗る、レンタサイクルで諏訪湖畔を走ってハーモ美術館に行く、北澤美術館に行く、すわっこランドでプールで泳いで温泉に入ってご飯を食べる、サマーナイト花火を眺める、ポケモンGOで当地の個体値のよさげなポケモンをゲットする、くらすわで休憩する、駅前のツルヤでお土産を買う。

諏訪湖
●自分は車を運転しないと固く心に決めているので、公共交通機関がないとどこにも行けないのだが、諏訪は工夫すれば問題ない。バス(入口と出口が同じタイプの小型バス)とレンタサイクル、徒歩でだいたいなんとかなる。スマホアプリの信州ナビのおかげだ。最初は疎らなバスの時刻表を見て無理ゲーだと思ったが、今やすっかり慣れた。タクシーはたまに使う程度。
●都内との標高差は750メートル前後なので、気温差にすると諏訪は都心より4.5度ほど低くなる。加えて、ヒートアイランド現象が起きづらいことや湖の冷却効果を見込むと、もう一息下がるかもしれない。が、都心が39度になれば5度低くても諏訪も34度になるわけで、それはぜんぜん涼しくない。やっぱり日が高い時間帯は暑いのだ。午前中や夕方は快適なので、屋外の活動は時間帯を選ぶ。

ハーモ美術館
ハーモ美術館。月曜日も開いているのがありがたい。アンリ・ルソー、グランマ・モーゼス、マティス、シャガール、ルオーなどのコレクションがある。落ち着く場所。

August 1, 2025

偉大なるロジャー・ノリントン

●ロジャー・ノリントンが2025年7月18日、91歳で世を去った。引退したのは2021年11月。ピリオド楽器オーケストラのロンドン・クラシカル・プレイヤーズを創設して、80年代から90年代にかけて旋風を巻き起こした。この頃は「録音で聴く指揮者」であって、アーノンクール、ブリュッヘンらと並ぶ古楽の大スターとうい認識だった。その後、シュトゥットガルト放送交響楽団(SWR)の首席指揮者を務めて、モダンオーケストラにおけるピリオド・アプローチの実践で新時代を築いた。録音もたくさんある。で、日本の聴衆にとってありがたかったのは、NHK交響楽団にもたびたび客演してくれたこと。なかでもベートーヴェンは忘れがたい。これまでにN響で聴いたベートーヴェンのなかで、まちがいなく最高の体験だったと思う。真摯なもの、深遠なものには必ずユーモアが備わっているという確信を持った。
●ノリントンとN響がロバート・レヴィンのソロでベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番を演奏したとき、第1楽章でレヴィンは見事な自作のカデンツァを演奏した。すると、第1楽章が終わったところでノリントンはレヴィンに向かってニコニコしながら「パチパチ」と音を立てて拍手をした! 楽章間の拍手は控えましょうという世の中で、指揮者が率先して拍手するという荒技。客席からも追随してパラパラと拍手が出て、これは「ピリオド聴法」だなと思った。
●ノリントンはよく客席を向く。N響でのベートーヴェンの交響曲第8番で、第1楽章でも第2楽章でも終わるところで客席を向く。「ほら、これ、おもしろいよね」という表情だったと思う。聴衆とコミュニケーションをとり続けた指揮者だった。カーテンコールでも両手を大きく広げて「どうだー!」とポーズを決めてくれたりとか。ステージ上ではいつも上機嫌。そういうところが知的だなと思った。
●あとは「第九」を振る前のインタビューも忘れられない。インタビュアーはオヤマダさんだったかな?(違ってたらゴメン)。たしか、「第九」でもベートーヴェンのメトロノーム指定を守るんですか、みたいな質問だったと思う。もしそうなら高速「第九」になって60分くらいで終わる。もちろん、ノリントンの答えは「イエス」。そして、こう言ったのだ。「だからみなさん、今日は早く帰れますよ!」。最高じゃないだろうか。
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●4日(月)のブログ更新はお休みです。プチ夏休み。


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