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December 15, 2025

ファビオ・ルイージ指揮NHK交響楽団のニールセン「不滅」他

ファビオ・ルイージ N響
●12日はNHKホールでファビオ・ルイージ指揮NHK交響楽団。プログラムはショパンのピアノ協奏曲第2番(エリック・ルー)、ニールセンの交響曲第4番「不滅」。巨大なNHKホールでチケットは完売。ニールセン人気が大爆発!(違います)。前半のソリスト、長身痩躯のエリック・ルーは今年のショパン・コンクールの優勝者。あらかじめ優勝者が出演することが決められており、だれがこの日に出演するかはコンクールの結果が出てからわかるという恒例の方式。今回は新しい才能が発掘されたというよりは、すでに実績のある成熟した人が優勝したという感が強い。曲がはじまってすぐ、まだオーケストラの提示部でぐらぐらと長めに揺れた。オーケストラは平然と演奏を続けたが、数日前に青森県八戸市で最大震度6強の地震があったばかりなので、大地震かもしれないと緊張する。こういうときに震源地だけでもわかればと思ってしまうが、わかったところでなにができるというわけでもない。落ち着かない気持ちのまま聴くことに。エリック・ルーは洗練されたピアニズムを披露してくれたが、そんなこともあって、音楽に集中できず。アンコールにバッハのゴルトベルク変奏曲のアリア。モダンピアノならではの強弱を生かしたエモーショナルなスタイル。リピートで控えめに装飾に変化を付ける。ショパンと地続きのしっとりしたバッハ。休憩に入って急いで確認したら、震源は茨城県南部で最大震度4だった。
●後半のニールセン「不滅」は聴きもの。この曲、自分は思い入れがあるので、聴けるチャンスがあればなるべく聴きたいと思う曲。N響は2021年6月にパーヴォ・ヤルヴィと「不滅」を演奏していて、そのときも鮮烈な名演だった。ルイージとパーヴォ、わりとレパートリーが重なるが、ルイージは首席指揮者を務めるデンマーク国立交響楽団とDGからニールセンの交響曲全集をリリースしていて、これは新たな十八番なのだろう。ルイージの「不滅」もエネルギッシュなんだけど、前任者に比べると横に流れる音楽というか、より抒情性が際立っている感。ふたりのティンパニ奏者(どちらも客演だった)の応酬はキレッキレ。輝かしい生の賛歌に圧倒される。
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●また今年もNHKホール前の代々木公園ケヤキ並木で「青の洞窟」が開催中。赤﨑勇、天野浩、中村修二の3氏により至難と思われた青色LEDが開発されたことで、白色LED照明が実現し、世界を変えたことに思いを馳せる年に一度のお祭りである(←ウソ)。

December 12, 2025

「世界終末戦争」(マリオ・バルガス=リョサ)

●文庫化に少し遅れてKindle版が出たので、ようやく読んだ、マリオ・バルガス=リョサ著「世界終末戦争」(旦敬介訳/岩波文庫)。なにせ大作なので、以前のハードカバーだとその厚みに怯んでしまって手が出なかったが、Kindle版だとひょいと取り出して電車のなかでも読めるのが吉。手軽だ。だが、内容は凄絶。ラテンアメリカ文学といってもこの小説は完全にリアリズムで書かれているばかりか、そもそものストーリーが史実に即しており、登場人物も多くは実名。19世紀末のブラジル北東部の最貧地帯に起きた現実の出来事をなぞっている。しかし、その現実が人間の想像力を超越している。
●物語はキリストの再来とも思われるような放浪の聖人が現れるところから始まる。その予言者はコンセリェイロ(教えを説く人)と呼ばれ、彼を慕った人々が貧しい辺境の地カヌードスに集落を作る。コンセリェイロのもとに使徒たちが集い、教えを広め、人々が次々とやってくる。やがて貨幣経済を否定し、近代化した中央政府を「アンチ・キリスト」と呼んで拒絶する数万人規模のコミュニティが誕生する。カヌードスの人々にとって、このコミュニティは宗教的理想郷だが、中央政府から見れば反乱勢力。さらにコンセリェイロへの絶対的な信仰は、既存の教会とも折り合わない。やがて政府は討伐部隊をカヌードスに送るが、住民は死を一切恐れない宗教的熱狂と深い山地に住む者たちならではのゲリラ戦術によって、政府軍を打ち負かす。やせ細り困窮した者たちの反撃に驚いた中央政府は、さらに大規模な軍隊を派遣するが、それでもカヌードスの反撃は熾烈を極め、両者に大勢の犠牲者を出しながら戦いは泥沼化してゆく。
●バルガス=リョサは対立する両者の物語を丹念に描き出す。登場人物の多くは実在の人物らしいが、一種の語り部として創作されたのが「近眼の記者」という登場人物。眼鏡がなければなにも見えない近眼だが、政府軍に随行したこの記者がもっとも多くを目にすることになる。小説中で名前が一度も出てこず、常に「あの近眼の記者」のように三人称で呼ばれる。おそらくあらすじを眺めると、コンセリェイロを慕う貧しい人々の側に共感して読みだすことになると思うが、彼らの敵に対する残虐な戦いぶりを読めば、熱狂的宗教者たちこそが非人道的になれるのだということも感じずにはいられない。彼らにとってもっとも大切なのは死後の救済であって、それゆえにアンチキリストに対する容赦は一切ない。
●山中を歩む政府軍の兵士たちは、先発隊が無残な姿で殺されているのを目にする。

人体が奇妙な果実となってウンブラーナやファヴェーラの木にぶらさがり、長靴やサーベルの鞘、軍服、軍帽が枝に揺れているのだ。死体のいくつかはすでに眼球や内臓、尻、腿、性器を禿鷹についばまれ、齧歯類にかじられて骸骨と化してきており、その裸形は、亡霊のような木々の緑灰色と土の暗黒を背景に浮きたって見える。

●人間と人間の戦いであると同時に、これは飢えと渇きとの戦いでもある。両者ともずっと飢餓と戦っている。やたらとそこらに生えている草を口に吸って喉の渇きを癒すみたいな場面が出てくる。政府軍は食糧の後方支援をあえてにできるわけだけど、その食糧がなにかといえば牛たち。牛を連れてくる。でも雇った道案内がカヌードスの人間だったりして、牛たちが途中で奪われたりする。食べるものがなくて、政府軍側はどんどん士気が低下し、しまいには「みんなそこらでつかまえた山羊や犬を食らい、それでも足らず、火であぶった蟻を飲み込んで飢えをしのいだりしている」。がりがりに痩せて動けない者同士の戦いになってくる。
●この雨が降った場面の描写とか、すごくない?

 もう、何時間降り続いているだろう? 日暮れとともに、前衛部隊がカヌードスの高地を掌握しはじめるころに、降りだしたのだ。すると連隊じゅうに形容しがたい爆発が起こり、兵卒も将校も、誰もが跳ねまわり、抱きあい、軍帽で水を飲み、両手を広げて天の嵐に身をさらし、大佐の白馬もいななき、鬣を振り、足もとに泥がたまってくるとそのなかで蹄をあわただしく踏みならす。近眼の記者はただただ頭をもちあげ、目を閉じ、口を、鼻を開き、とても信じられぬまま、自分の骨に当たって跳ねる水滴にうっとりしてすっかりわれを忘れ、幸福にひたる、そのため、銃声が耳に入らず、自分のすぐ横で兵士がひとり叫び声をあげて地面に転がり、苦痛にあえぎながら顔を押さえているのにも気がつかない。周囲の混乱に気づくと、しゃがみこみ、書きもの盤と鞄をとって顔を覆う。この情けない弾よけの陰から彼はオリンピオ・ジ・カストロ大尉が拳銃を撃っているのを、そして兵士たちが物陰を求めて駆けまわったり、泥のなかに飛びこんだりしているのを目にする。
●こちらは下巻の表紙なのだが、これは近眼の記者がバンドネオンを弾いているのかな。小説内でバンドネオンは出てこなかったと思うのだが……。映画化とかドラマ化された際の写真なんだろうか。

●バルガス=リョサ(バルガス・ジョサ)関連の過去記事一覧

「フリアとシナリオライター」(マリオ・バルガス=リョサ著/野谷文昭訳/河出文庫)
バルガス・リョサ vs バルガス・ジョサ vs バルガス=リョサ
「街と犬たち」(バルガス・ジョサ/寺尾隆吉訳/光文社古典新訳文庫)=「都会と犬ども」の新訳
「街と犬たち」(バルガス・ジョサ/寺尾隆吉訳/光文社古典新訳文庫) その2
「街と犬たち」(バルガス・ジョサ/寺尾隆吉訳/光文社古典新訳文庫) その3
「緑の家」(バルガス=リョサ著)


December 12, 2025

11月の代表親善試合、ニッポンvsガーナ、ニッポンvsボリビア

国立競技場
●先月の代表戦についてなにも書かないまま、12月中旬に突入してしまった―。今さらだが、フル代表の試合についてはなんらかの記述を残しておきたいので、メモ書き程度に結果だけでも書いておこう。
●まず11月14日のガーナ戦(豊田スタジアム)。ニッポン 2-0 ガーナ。完勝。前半10分に南野、後半15分に堂安がゴール。ほとんど相手に決定機を作らせない試合だったが、かなりガーナのコンディションやテンションが低かった。佐野海舟が大活躍。先発は以下。GK:早川友基-DF:渡辺剛、谷口彰悟、鈴木淳之介-MF:佐野海舟、田中碧-堂安律、久保建英、南野拓実、中村敬斗-FW:上田綺世。途中出場で菅原由勢、安藤智哉、藤田譲瑠チマ、佐藤龍之介、北野颯太、後藤啓介。
●続いて11月18日はボリビア戦(国立競技場)。ニッポン 3-0 ボリビア。こちらも完勝。ゴールは前半4分に鎌田、後半26分に途中出場の町野、後半33分に同じく途中出場の中村敬斗。ガーナ戦から先発を大幅に入れ替えた。先発。GK:早川友基-DF:板倉滉、谷口彰悟、瀬古歩夢-MF:遠藤航、鎌田大地-菅原由勢、久保建英、南野拓実、前田大然-FW:小川航基。途中出場で藤田譲瑠チマ、堂安律、中村敬斗、町野修斗、上田綺世、後藤啓介。
●今、オランダリーグのゴールランキングでは、フェイエノールト所属の上田綺世がぶっちぎりでトップを走っている。ここまで18ゴールで、2位に8点差。今シーズンの全ゴールシーン集はこちら

December 10, 2025

キリル・ゲルシュタイン×藤田真央 デュオ・リサイタル

●9日はサントリーホールでキリル・ゲルシュタインと藤田真央のピアノ・デュオ。全席完売、客席の雰囲気もじわっと熱い。プログラムは前半がシューベルトの創作主題による8つの変奏曲、シューマンの「アンダンテと変奏曲」、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」、後半がブゾーニの「モーツァルトのピアノ協奏曲第19番の終曲による協奏的小二重奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」。変奏とダンスをキーワードにしたプログラム。ラヴェルとラフマニノフで藤田が第1ピアノを務めた。シューベルト、シューマンは親密。ラヴェルは外連味がなく颯爽として明瞭。ブゾーニがおもしろい。モーツァルトのピアノ協奏曲第19番の終楽章を2台ピアノ用に編曲しているのだが、協奏曲をいったん解体してデュオに再構築したような趣で、ふたりの応酬を楽しめるという点ではこの日のプログラムで随一。ブゾーニがこの曲を選んだのは対位法的な絡み合いに惹かれてのことか。師弟コンビながら両者の異なる持ち味がよく出ていたと思う。剛のゲルシュタインと柔の藤田というか。
●メインプログラムはラフマニノフの「交響的舞曲」。音色表現が多彩で、曲名通り、すこぶるシンフォニック。この曲はオーケストラで聴いても大傑作だと思うが、2台ピアノでも輝かしくスリリング。ラフマニノフにはラフマニノフなりの20世紀のモダンなスタイルというものがあったのだろうと感じる。体感的にはあっという間に終わって、この後にアンコールが4曲も。ドビュッシーの「リンダラハ」、ラフマニノフのピアノ連弾のための6つの小品より第4曲「ワルツ」、ドヴォルザークのスラヴ舞曲第2集から有名な第2番、同じ曲集からそんなに有名ではない第5番。連弾になるとグッとリラックスしたムードになって、アンコールらしくなる。ゲルシュタインはタブレット+フットスイッチだったが、藤田は紙の楽譜+譜めくりあり。カーテンコールで藤田が楽譜を手にして登場するたびに、会場が「わっ」と盛り上がる。
●客層はふだんのサントリーホールのオーケストラ公演とはまったく違って、圧倒的に女性が多い。オーケストラでブルックナーをやると2回の男性用トイレにリンツまで届くかのような果てしない行列ができるが、これが逆転する。もしこのふたりでブルックナーの交響曲の2台ピアノ版を演奏したら、ちょうど半々くらいの男女比になるのではないかと思いつく。

December 9, 2025

東京オペラシティ アートギャラリー 「柚木沙弥郎 永遠のいま」他

柚木沙弥郎 こいのぼり
●東京オペラシティアートギャラリーで開催中の「柚木沙弥郎 永遠のいま」(~12/21)へ。オペラシティでの演奏会の前にすでに2度足を運んでいるのだが、「作る」エネルギーに圧倒される。染めもの、版画、ガラス絵、商業シーンでのグラフィックデザインなど、幅広い作品が展示されており、そのほとんどがポジティブなオーラで包まれている。ジェダイか、というくらいに。101歳まで生きて、生涯現役のアーティストだったというのもすごい。柚木沙弥郎の読みは「ゆのき さみろう」。展示は上の一点「鯉のぼり」を除いて撮影不可。

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●上のフロアでは、いつものように寺田コレクションによる収蔵品展が開かれていて、毎回のことながら見ごたえ大。このなかに黒っぽい作品(←もっと言い方あるんじゃない?)ばかりを集めた一角があって、おもしろい。これって「編集」だなと思う。

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●そのひとつ、白髪一雄の「貫流」(1973)。実物は立体感がある。

December 8, 2025

Jリーグは「北関東の三冠」、マリノスのJ1残留

スタジアムの風景
●今季のJリーグは鹿島が9年ぶりに優勝。かつての「常勝軍団」が帰ってきた。7月末にJ1の1位が神戸、J2の1位が水戸、J3の1位が八戸になって、「神戸/水戸/八戸」のトリプル「戸」が実現するかもと書いたが、結局、優勝できたのはJ2の水戸だけだった。J1を鹿島、J2を水戸、J3を栃木シティが制して「北関東の三冠」に。水戸は26年間もJ2に留まった末に、初のJ1昇格。来季はJ1で鹿島との茨城ダービーが実現する。J3優勝の栃木シティはJFLから昇格したシーズンで即座にJ3優勝を果たしてJ2へ。先にJリーグ入りしたJ3の栃木SCを追い越してしまった。栃木にふたつもJリーグのクラブがあるのは驚きだが、栃木SCは宇都宮市が本拠、今回J3優勝を果たした栃木シティFCは栃木市が本拠。栃木市だから「栃木シティ」なのかな。
●マリノスは一時はJ2降格が決定的だと思ったが、最終盤になって大島秀夫監督のもと、割り切った「ボールを持たないサッカー」に大転換を果たして、ウソのように勝ち点を積み上げて15位フィニッシュ。名古屋と東京ヴェルディより上になるとは。最終節は鹿島に敗れて目の前で優勝を決められてしまったものの、その前に浦和、広島、京都、セレッソ大阪相手に4連勝して、終わってみれば得失点差は「-1」まで改善した。「アタッキングフットボール」をかなぐり捨てたら、ウソみたいに簡単に得点を取れるようになったという、フットボールの大いなる矛盾。
●キーパーからボールをつないでビルドアップしてチャンスを創造することに比べれば、リスクを取らずに後ろからボールを大きく蹴るのは効率的だ。前に蹴って味方につながればオッケー、相手に奪われても守備陣形は整っている。ハードワークしていれば、いずれ相手がミスをしてチャンスがやってくる。キックオフではボールがタッチラインを割るように相手陣地奥深くに蹴り出して、ボールを譲る。サッカーは陣取り合戦なので、前に蹴るのは本質的に理にかなっている。そもそもマリノスは日産時代から堅守の伝統があり、アタッキングフットボールはポステコグルーの置き土産にすぎない。今後も「ボールを持たないサッカー」を続ければ、残留争いなどをせずに、以前のように毎シーズン10位前後に落ち着くチームになるだろう。ただ、ファンとして、それがうれしいことなのかどうかは、よくわからない。たとえJ2に落ちてでも1試合に600本以上のパスを回し続けるという考え方もありえただろう。これはフィロソフィの問題。

December 5, 2025

ファビオ・ルイージ指揮NHK交響楽団の藤倉大、フランク、サン=サーンス

ファビオ・ルイージ NHK交響楽団
●4日はサントリーホールファビオ・ルイージ指揮N響。プログラムは藤倉大「管弦楽のためのオーシャン・ブレイカー~ピエール・ブーレーズの思い出に~」(2025/N響委嘱作品/世界初演)、フランクの交響的変奏曲(トム・ボローのピアノ)、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」。藤倉大の「オーシャン・ブレイカー」は雲の本にインスピレーションを受けたという作品。光を反射してきらめく響きの海をたゆたうような作品で、波あるいは雲に身を任せるように聴く。フレッシュな響き。オーケストラには名技性も求められ、洗練された音色と音の運動性に妙味。作曲者臨席。15分ほどの作品。
●フランクの交響的変奏曲は今やめったに演奏されない作品になっているが、15分ほどの曲尺が中途半端で現代のコンサートのフォーマットにはめづらいという点もあるのだと思う。その点、この日はぴったり前半に収まる。この一曲のためにイスラエル出身の新鋭、トム・ボローが出演。渋い味わいがあり、ピアニストが映えるタイプの曲ではないが、本来はスター性のあるタイプか。アンコールにバッハ~ラフマニノフ編の無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番よりガヴォット。明瞭で輝かしい。
●後半のサン=サーンス「オルガン付き」は壮麗さと情熱をあわせもった名演。これまでに聴いたこのコンビの演奏で最上の体験。とくにしなやかでキレのある弦がすばらしい。第1楽章前半からうねるような響き。コンサートマスターは川崎洋介。ルイージと同期して、腰を浮かせながら熱くリードする。白眉は第1楽章後半のアダージョか。オルガンは近藤岳。第2楽章後半は必ず盛り上がる鉄板のクライマックスともいえるし、同時に必ずいくらかの空虚感を残す音楽ともいえる。そこが好き。拍手はすぐに収まりかけたが、やがてふたたび高まってルイージのソロ・カーテンコールに。
●世間的には些細なことだが、この曲には「表記の揺れ」問題がつきまとう。大方の音楽誌は「サン=サーンス」の「オルガン付き」。だが、N響表記は「サン・サーンス」の「オルガンつき」。トレンドでいえば、N響表記のほうが今風だと思う。外国人名の「-」を、日本語で「=」ないし「=」に置き換える習慣は廃れつつある気がする。ぜんぶ「・」にして、リムスキー・コルサコフとかガルシア・マルケスにしたほうがすっきりするんだけど、従来から「=」を使っていると検索性を保つためにそう簡単にはやめられないというのが正直なところ。

December 4, 2025

秋の落穂拾い、「第九」の季節

ボンのミュンスター広場のベートーヴェン像
●落穂拾いをいくつか。先月のティーレマン指揮ウィーン・フィルの来日公演で、書こうと思って忘れてたことなんだけど、カーテンコールでティーレマンがドシン!と指揮台に飛び乗るじゃないすか。そのタイミングに合わせて、楽員たちも足でドン!と鳴らすのをやってて、場内「ふふ」ってなったのだった。フォルカーさんの記事で思い出した。ティーレマンもまんざらじゃなさそうな表情だったのが印象的。指揮台が壊れないかとはらはらした。
●新国立劇場のリチャード・ジョーンズ演出「ヴォツェック」、もう上演が終わったので書くけど、ラストシーンが子どもたちによる冒頭の髭剃りシーンの再現になってたんすよ。冒頭シーンとまったく同じ構図と衣装で、子どもたちが同じ所作をする。つまり貧困の再生産を描く。「ホップホップ」をヴォツェックの子が歌うんじゃなくて、子どもバージョンの大尉が歌ってたと思う。「ヴォツェック」の円環構造を明確に視覚化した鮮やかな幕切れであるという人もいれば、あざとく感じる人もいたようで、賛否両論だった模様。あと、今回の「ヴォツェック」で怖かったのは集団のダンスシーン。
●12月は「第九」の季節。「ぶらあぼ」に「第九と日本の100年物語──どのようにして日本人は年末に第九を聴くようになったのか」を寄稿した。日本の年末「第九」の風習について、近年、不思議なネット記事を目にすることが増えてきたので、あらためて整理しておこうと思って書いた。

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飯尾洋一(Yoichi Iio)

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