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May 1, 2026

「名局と名曲のあいだ 将棋と音楽の芸術性をめぐって」(佐藤天彦、広瀬大介著)

●令和の奇書が爆誕!「名局と名曲のあいだ 将棋と音楽の芸術性をめぐって」(佐藤天彦、広瀬大介著/アルテスパブリッシング)。将棋の「名局」と音楽の「名曲」という一見つながりそうもないテーマなのに、両者が有機的に絡みあった内容になっている奇跡の一冊。対談形式になっており、お互いが相手の分野に対して造詣が深いから、話がしっかり噛み合う。で、この本、どちらかといえば将棋本なんすよ。そして、ワタシは将棋を指さないので、読んでも理解できないところがたくさんあるわけなんだけど、それでも興味深く読めた。「美しい棋譜」を後世に残す、という考え方が存在することを知る。そして、いま将棋界がAIによって大きく変化しており、棋士の側に危機意識があるという話が刺激的だった。
●AIが完全に人間を凌駕し、一手ごとにAIによる評価値が示されてしまう状況で、人間はどう将棋を指すのか、全員が同じようにAIの最善手を研究して対局に臨んだとして、それは観戦しておもしろいものであり続けられるのか、将棋に本来あったはずの指し手のインスピレーションから生まれる芸術性が損なわれないのか等々といったテーマはどれもおもしろい。そして将棋だけじゃなくて、広瀬さんもモーツァルトの「ジュピター」について突っ込んで語っていて、将棋本でありつつ音楽書でもあって、そこが稀有。
●第1章を読んでて思ったんだけど、将棋の世界で起きていることって、本当にサッカーの世界にそっくりだなと思った。勝負の世界だから勝つことは文句なしに最優先なんだけど、お客さんのほうは天才肌の選手の芸術性や創造性にあふれたプレイや、意外性のあるアイディア、遊び心みたいなものを期待している面がある。でも、今の時代、勝利至上主義が徹底され、統計に基づくゴール期待値が算出されるようになり、守備戦術がどんどん高度化し、フィジカルモンスターが重用され、天才肌の選手は歴史的な存在になりつつある。勝ち負けがある世界はあちこちで似た現象が起きているのかも。
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●ゴールデンウィーク期間の当欄は不定期更新で。ふだんは原則平日更新だけど、暦通りだと5連休になってしまうので。

April 30, 2026

アイヴァー・ボルトン指揮読響のエルガー「ゲロンティアスの夢」

アイヴァー・ボルトン 読響
●28日はサントリーホールでアイヴァー・ボルトン指揮読響。プログラムはエルガーのオラトリオ「ゲロンティアスの夢」。ゲロンティアスにテノールのトーマス・アトキンス、司祭/苦悶の天使にバリトンのクリストファー・モルトマン、天使にメゾ・ソプラノのベス・テイラー。合唱は新国立劇場合唱団。休憩あり、字幕あり。2018年にノット&東響が同曲を演奏して以来の貴重な機会。録音で聴くと晦渋な印象の強い曲だが、ライブだとそこまでとっつきにくい曲ではない。第1部が短めで、休憩を入れて第2部に入るのはわりとフレンドリーな構成。
●第1部の冒頭はかなりワーグナー的で、「パルジファル」の延長上にあるような音楽。第2部では一瞬、ヴェルディの「レクエイム」っぽくなるけど、やっぱり全体はワーグナー的。字幕のおかげでテキストを理解できたのはありがたい。カトリック的な死生観に共感しづらいところがあって、作品との距離を覚える場面も多々あるのだが、音楽はすこぶる魅力的。アトキンスのゲロンティアスはやや抑制的というか、慎重なペース配分を感じたが、声質はすばらしい。対して司祭のモルトマンは圧倒的な声量で威厳たっぷり。ボルトン指揮読響は充実。磨かれた響きで、第2部では大きなクライマックス。
●曲が終わると完璧な沈黙が訪れ、そのあとは大喝采に。ブラボー多数。この作品でこれだけ客席が盛り上がるとは。楽員退出後も拍手が鳴り止まず、ボルトンがアトキンスとテイラーを伴って登場。ボルトンは本当に嬉しそう。

April 28, 2026

ACLでのJリーグ勢の健闘、浦和対マリノス戦

●今季のアジア・チャンピオンズリーグ・エリートは町田ゼルビアが決勝まで進み、サウジアラビアのアル・アハリに延長戦の末に惜しくも敗れた。これは偉業。町田のサッカー(つまり黒田剛監督のサッカー)にはぜんぜん共感できないが、準々決勝でサウジのアル・イテハド、準決勝でUAEのシャバーブ・アル・アハリを破って決勝まで進んでいるのだ。桁違いの資金力で欧州や南米から名選手を買い漁る中東のタレント軍団に対して、「選手を売る側」に立つJリーグのクラブが、アウェイでこれだけ戦えるのは異常事態といってもいい。しかも黒田監督は青森山田高校の指導者からの転身。ロングスローの多用など、「部活サッカー」などと揶揄されたが、考えてみれば「トーナメントの一発勝負」の経験値はプロの監督のだれよりも多い。アジアナンバーワンを決める大会だったはずなのに、サウジアラビアで常時開催されるなど、資金力の差からまったくフェアではない大会になってしまったが、これだけJリーグ勢が強いのは想定外だろう。ヴィッセル神戸も準決勝まで勝ち進んだのは立派。もしJリーグ勢同士の決勝になっていたら痛快だった。



●それだけJリーグのレベルが上がっているわけで、先週末の浦和対マリノス戦をDAZNで観ても、一昔前とは異次元のサッカーをしていると痛感。両チームともボールホルダーへのプレッシャーが厳しく、前を向く時間を与えない。フィジカルが弱いとなにもさせてもらえないし、瞬時の判断力は必須。よくこれでボールをつなげるものだと感心する。球際の激しさでマリノスが半歩勝った試合で、結果は浦和 2対3 マリノス。最近、マリノスは負けてばかりなのだが、珍しく勝った。
●マリノスはすっかりボールを保持しないチームになり、後方からのビルドアップも放棄している。パスは1試合でわずか319本、しかも成功率65.8%。五分五分の競り合いを承知で早めに前線にボールを送っているのだ。もちろん保持率はどの試合でも低い。マリノスの攻撃は相手のボールを奪うところから始まる(あるいは五分五分のボールを奪ったところから始まる)。ハイプレスからのショートカウンターよりも、むしろ深い位置で奪ってからのカウンターが目立つ。基本的に守備が弱いので、だいたい負けるが、たまに勝つ。勝っても負けても、ポステコグルー監督時代の華麗なアタッキングフットボールが恋しくなる。

April 27, 2026

マイケル・ティルソン・トーマス

●長らくマイケル・ティルソン・トーマスは「若々しさ」「清新さ」のシンボルのような存在だったので、そんな人物にも老いが訪れ、ついに世を去るということが信じがたい。サンフランシスコ交響楽団での功績は文句なしに大きく、来日公演も記憶に残ってはいる。とはいえ、いま思い出すマイケル・ティルソン・トーマスは、もっと若い頃の颯爽とした姿だ。録音はたくさん残っている。思い出深いディスクをいくつか挙げて、追悼したい。
●まずは、ロンドン交響楽団とのブラームスのセレナーデ第1番。自分にとって、この曲のファーストチョイスだった。溌溂としてエネルギーにあふれていて、シンフォニック。第1楽章はなんど聴いてもワクワクする。その後、この曲を何回かライブで聴いているが、なぜかこの録音で受けた印象ほどオーケストラがきれいに鳴らない。
●こちらはセント・ルークス管弦楽団とのベートーヴェン「英雄」。オリジナルのジャケットには若くてカッコいいティルソン・トーマスの姿が載っているのだが、廉価盤シリーズで買ったので、こちらのジャケットでなじんでいる。20世紀後半の重厚な巨匠主義的な演奏の反対側にあるキレのある機敏なベートーヴェンとして気に入っていた。いま聴いたらどう感じるのか、怖いような楽しみなような……。きっと色褪せていないと信じる。
●これぞ、ティルソン・トーマスだ!と言えるのは、この路線だろう。ロンドン交響楽団との「ストラヴィンスキー・イン・アメリカ」。こういうジャケットは今となっては貴重か。なじみの薄かったアメリカ時代のストラヴィンスキーの作品がまとまっているので飛びついた。ストラヴィンスキー編のアメリカ国歌や「サーカス・ポルカ」のような楽しい小品から、バレエ音楽「アゴン」まで。ピエール・モントゥー80歳のための「グリーティング・プレリュード」(ストラヴィンスキー流ハッピーバースデー)には笑った。
●ティルソン・トーマスのディスクを語るうえで、挙げないわけにはいかないのが、ニュー・ワールド・シンフォニーとのヴィラ=ロボス「ブラジル風バッハ」だろう。しばしばクラシックのワースト・ジャケットとしてネタにされるという点で、殿堂入りを果たした名盤。ブラジルだからというだけで過剰なまでに熱帯化されており、巨大なバナナの葉を背景にカラフルなオウムといっしょサングラスをかけてポーズをとる。こんな姿が似合う指揮者がほかにいるだろうか。
●いちばん有名なブラジル風バッハ第5番をルネ・フレミングが歌っている。気品のあるクリーミーボイスで、まったく非熱帯的だが、そこがいい。

April 24, 2026

阪田知樹 記者懇親会

阪田知樹 記者懇親会
●22日は表参道のスタインウェイ&サンズで、ジャパン・アーツによる阪田知樹記者懇親会。デビュー15周年とリスト・コンクール優勝から10周年の節目を迎え、11月10日オペラシティでのオール・リスト・プログラムによるリサイタルや、この春と秋の全国リサイタルツアーへの意気込みを語ってくれた。
●すでに海外20か国以上で演奏し、ピアノ協奏曲のレパートリーは50を超えるという阪田知樹だが、作曲活動も盛ん。7月に世界初演される神奈川フィル委嘱作品では、ソプラノの森谷真理が独唱、自身が指揮を務める。ほかに11月には群響で委嘱作品が米田覚士指揮で初演される。作曲はまったくピアノ曲に偏っていないが、いずれはピアノ協奏曲も書きたいという。目指す理想像はピアノ、作曲、指揮などすべての領域で実績を残す「コンプリート・ミュージシャン」と話していたのが印象的だった。これが本来の音楽家の姿であり、かつては作曲も演奏もいっしょのものであって、分業化が進んだのは長い音楽の歴史のなかではごく最近のことにすぎないと語る。
●一通りの質疑応答の後、演奏も。ラフマニノフ~阪田編の「ここはすばらしいところ」、リストの「忘れられたワルツ」第1番。至近距離で聴く貴重な機会。耳福。

April 23, 2026

東京芸術劇場ナイトタイム・パイプオルガンコンサート Vol.55 山田由希子

東京芸術劇場 パイプオルガン ルネサンス/バロック面
●22日はかなり久しぶりに東京芸術劇場ナイトタイム・パイプオルガンコンサート。19時30分開演で20時30分終演、休憩なしという少し特殊なスタイルの演奏会で「遅く始まって早く終わる」のが特徴。平日対応のひとつの形。オルガンは山田由希子。松本市音楽文化ホールのホールオルガニストで、ローザンヌ国際バッハ・コンクール第3位、バチェーノ国際オルガン・コンクール優勝他の受賞歴。
●近年、芸劇はオーケストラのコンサートだと反響板を下ろしてオルガンが見えないことがほとんどだが、ここのオルガンはルネサンス/バロック面とモダン面の2面構成になっている。この日は上のようなルネサンス/バロック面で始まって、途中でオルガンが回転して(3分かかる)モダン面に変わった。うっすら漂う変形合体ロボ感。
●プログラムはパブロ・ブルーナの「第1旋法による右手のティエント」、ベームのパルティータ「主イエス・キリストよ、われらを顧みて」、バッハのコラール「おお人よ、汝の罪の大いなるを嘆け」BWV622、トッカータとフーガ ニ短調「ドリア調」BWV538、オルガンの回転をはさんでヴィエルヌのオルガン交響曲第3番より第4楽章アダージョ、トゥルヌミールのテ・デウムによる即興曲(デュリュフレ復元版)。最初のブルーナはルネサンス・タイプ(A=467Hz)、ベームとバッハはバロック・タイプ(A=415Hz)、ヴィエルヌとトゥルヌミールはモダン・タイプ(A=442Hz)のオルガンを使用、それぞれ調律も異なる。この変幻自在さも合体ロボ的。バッハのトッカータとフーガ ニ短調「ドリア調」は、あの超有名なトッカータとフーガ ニ短調とは別の曲ということで、「ドリア調」の愛称をつけて区別されている。といってもこの曲は別にドリア調ではなくてふつうにニ短調で、一種の誤解から付けられた愛称のようだが、どうしても超有名なあちらの曲と区別する必要があるので、愛称は必須。超有名なあちらが「本当にバッハなの?」的な疑念から逃れられないのに対して、こちらの「ドリア調」は堂々たるバッハ。フーガに入ると、ぐっと張りつめた雰囲気になり荘厳。
●ヴィエルヌとトゥルヌミールは、ふだん自分が聴かないロマン派オルガン音楽の世界なので新鮮。ワーグナーの楽劇に出てきそうな瞑想的なヴィエルヌから、一転して重厚壮大なトゥルヌミールへとなだれ込む場面がハイライト。トゥルヌミールのテ・デウムによる即興曲は、弟子のデュリュフレが1955年から58年にかけて採譜したものなのだとか。オルガンの世界では20世紀以降も即興演奏が創作の源となっていることに思いを馳せる。
●下は反転したモダン面。こちらのほうがなじみがあると思う。
東京芸術劇場 パイプオルガン モダン面

April 22, 2026

目黒区美術館 「岡田謙三 パリ・目黒・ニューヨーク」

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●目黒区美術館の「岡田謙三 パリ・目黒・ニューヨーク」展へ。なじみのない美術館だったけど、行ってみたらとても居心地のよい場所だった。岡田謙三(1902-1982)の1920年代のパリ、帰国後の目黒区自由が丘、50年代以降のニューヨークでの3都市にわたる創作活動をふりかえる。上は「花売り」(1936)。なんとも言えない目つき。序盤はこんな作風なのに、これがどんどん変遷してゆく。

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●こちらは「高原」(1939)。大作。神話的な光景で格調高い。こんなにクラシックなスタイルから、どんどんモダンなスタイルに変わってゆく。

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●「シルク」(1947)。画風が一気に新しくなっている。サーカスという題材もモダンな感じ。

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●で、こちらは「五人」(1949)。ぐっと抽象度が増して、研ぎ澄まされた雰囲気に。わ、そんな方向に進化するとは。見ていてテンションが高くなる。

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●本領はさらにその先にあって、これが「雲と子供」(1966)。完全に抽象画になる。油彩なんだけど切り絵みたいな雰囲気で、色調も日本的。アメリカで自身の作風を「ユーゲニズム」(幽玄からの造語)と称したそうなんだけど、なかなかにキャッチー。

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●こちらはタイトルも抽象化していて「重」(1965)。これも油彩。最終形態まで進化した感。「重」って、どういう意味なんだろう。概念としての重さ、重力のようにも思えるし、単に「お重」みたいにも見える。

April 21, 2026

「不死の島へ」(クリストファー・プリースト)

不死の島へ プリースト●最近読んだ本でぶっ飛んでいると思ったのが、クリストファー・プリースト著「不死の島へ」(古沢嘉通訳/東京創元社)。一昨年世を去ったイギリスの作家クリストファー・プリーストの小説は、これまでにも「夢幻諸島から」「双生児」「魔法」などを当欄で紹介している。SFやファンタジーといったジャンル小説の枠組みで刊行されているものの、いずれもが「小説についての小説」や「現実と虚構の境目」といったテーマを扱ったメタフィクション。今回の「不死の島へ」もまさしくそう。
●主人公はロンドンに住む若者。人生に挫折してロンドンを去り、知人の別荘に引きこもって孤独な執筆作業に没頭しながら、自己と向き合う。自分とは何者か。それを書くためには物語が必要(だからこそ世の人々は小説を書いたり読んだりするわけだ)。そこで、彼は「夢幻諸島」(ドリーム・アーキペラゴ)なる架空の世界を舞台に、自己の物語を書く。夢幻諸島とはもうひとつの地球にある赤道近辺に散らばる無数の島々のことで、それぞれの島には独自の文化が花開いている。この世界で主人公は宝くじにあたり、不死になる処置を受ける権利を獲得する。不死になるとは、すなわち生きる意味を問い直すこと。主人公はその処置を受けるべきか、悩みながら恋人とともに島々を巡る。
●この島々への旅が実に魅力的に描かれているのだが、夢幻諸島とはプリーストが別の作品でもたびたび登場させている世界であり、その様子は連作短編集「夢幻諸島から」でたっぷりと描かれている。ふむふむ、なるほど主人公は作者プリースト自身の投影であり、小説が生まれるプロセスを書いた小説なのだね……と納得しながら読んでいると、途中からの展開に不意を突かれることになる。読書の楽しみを損なわない程度に書くと、夢幻諸島側の主人公は架空の都市ロンドンを舞台とした物語を書いているのだ。現実と思った側と虚構と思った側が鏡合わせになっており、その両者が侵食し、どちらが小説内現実なのかが揺らぎ始める。プリーストの真骨頂だ。
●先に「夢幻諸島から」を読んでいる人は、「ああ、これはあの島だね」と記憶を掘り起こしながら読める。でも、未読なら「不死の島へ」を読んだ後に「夢幻諸島から」を読むという楽しみが待っている。読む順番はどちらでもいいと思う。

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飯尾洋一(Yoichi Iio)

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