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September 25, 2026

キリンチャレンジカップ2026 ニッポンvsウルグアイ代表

ニッポン!●ワールドカップ北中米大会ではモヤモヤした敗退で終わった日本代表だが、2027年1月のAFCアジアカップに向けて、いよいよリスタート。アジアカップではカタールが2連覇をしており、ニッポンは2011年以来の優勝を目指す。新たな門出だ……と言いたいところだが、諸般の事情で森保監督が半年限定で続投することに。布陣は変わらず、選手の入れ替わりもわずか。このウルグアイ代表戦は気の抜けたビールみたいな試合になるのではないか。と、試合開始前は思っていたのだが、始まってみるとバチバチにやり合う激しいゲームになった。うまい、強い、速い。ハイレベルなプレイの応酬で、親善試合らしからぬ意地のぶつかり合いに。ウルグアイも一部選手は相当熱くなっていた。考えてみれば、両チームの選手ともシーズン序盤で気力も体力も充実している。ニッポンはびっくりするくらいハイレベルだと改めて思ったし(判断のスピードが速く、縦にも速い、簡単にボールを下げない)、一方でウルグアイもモンスターぞろいで、こんな相手に勝つのは並大抵のことじゃないなと思った、勝ったんだけど!
●序盤にニッポンは代表デビューの松木玖生が、右サイドからカットインしてファーに突き刺すシュートで先制。左サイドで中村敬斗がたびたび見せるプレイの逆バージョンみたい。というか、そんなウィンガー調のポジションで使える選手だったとは。所属のサウサンプトン(イングランド2部)でも、このポジションなの?
●しかし、前半42分、ビルドアップ時のミスからボールを奪われて、痛恨の失点。キーパーの早川が一度は足先で防いだが、こぼれ球をアラウホに決められた。後半はニッポンのミスが目立つようになり、厳しい展開になるかと思ったが、ウルグアイがチャンスに決めきれず。後半46分、途中出場の塩貝が上田とのコンビからキーパーと一対一となって、勝ち越しゴール。さらに試合終了直前にも伊東のスルーパスに抜け出した上田が決めて3点目。ニッポン 3-1 ウルグアイ。ウルグアイの監督はディエゴ・フォルラン。
●先発はGK:早川友基-DF:瀬古歩夢、板倉滉、伊藤洋輝-MF:佐野海舟、佐野航大-松木玖生、中村敬斗-堂安律、鈴木唯人-FW:前田大然。途中出場は鈴木淳之介、相馬勇紀、伊東純也、鎌田大地、田中碧、久保建英、上田綺世、塩貝健人。塩貝はパスを出せる場面でも強引な突破でボールをロストしていたが、得点の場面では上田にボールを預けたことでフリーになれた。強引さは持ち味だけど、もっとシンプルにプレーしたほうが点を獲れるはず。前田の前線からの鬼プレスは健在。佐野の兄弟ボランチが実現。代表戦で同じポジションに兄弟で出場した例は過去にあるのだろうか。
●これまでの代表ウィークは一週で2試合を行っていたが、今シーズンからは9月と10月の代表ウィークがひとまとめにされて、二週で4試合になった。移動時間が長い日本代表にはありがたい。反面、各国リーグ戦の中断は長くなる。

September 24, 2026

オーケストラ・アンサンブル金沢 2027/28シーズンプログラム発表 記者会見

オーケストラ・アンサンブル金沢 2027/28シーズンプログラム発表 記者会見
●19日午前、オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の2027/28シーズンプログラム発表記者会見にリモートで参加。会場は石川県立音楽堂の音楽資料室で、広上淳一OEKアーティスティック・リーダー(中央)、表正人石川県立音楽堂館長(右)、床坊剛OEKゼネラルマネージャーが登壇(写真はOEK提供)。現地の会見にリモートも加わるハイブリッド方式で、使用ツールはZoom。
●新シーズンは4月に開幕し、定期公演は3シリーズで計16公演。広上淳一指揮によるベートーヴェン全交響曲シリーズが第1番で完結すると同時に、シューベルト全交響曲シリーズが「未完成」でスタートする(27年9月)。「シューベルトに特別な思い入れがある。全曲演奏は今回が初めて。歳を重ねた今、OEKとともに取り組みたいと思った」とマエストロは語る。目をひくのは初共演の指揮者が4人もいること。しかもその4人がウェイン・マーシャル(27年6月)、濱田芳通(27年10月)、上岡敏之(28年1月)、米田覚士(28年3月)といった陣容で、若手からベテランまで多彩。濱田芳通指揮のバロック・プログラムではカウンターテナーの彌勒忠史も登場して強力。売り出し中の米田覚士はウィーン古典派に武満、プロコフィエフ「古典」を組み合わせる。
●ほかに客演勢ではエンリコ・オノフリ(27年11月)がベートーヴェンの第7番ほか。超久々に登場する小泉和裕(27年10月)もベートーヴェンで、第2番&第6番「田園」。ソリストでは亀井聖矢がカプースチンのピアノ協奏曲第4番で川瀬賢太郎と共演する(28年1月)。これは人気を呼びそう。

September 21, 2026

ロレンツォ・ヴィオッティ指揮東京交響楽団のフランツ・シュミット「7つの封印の書」

ヴィオッティ 東京交響楽団
●19日はサントリーホールでロレンツォ・ヴィオッティ指揮東京交響楽団。フランツ・シュミットのオラトリオ「7つの封印の書」を、ルイージ指揮N響の一週間後に聴くことになろうとは。なんという偶然。N響の側にはルイージの最重要レパートリーを創立100年に演奏するという動機があるわけだが、東響にとってこの曲は自分たちが日本初演を担った作品。しかも新シェフのヴィオッティはかつてアーノンクール指揮のもとで同曲の合唱を歌った経験がある。両者ともに必然の「7つの封印の書」。
●ふだん聴くチャンスのない作品だけあって、2度目に聴いたほうがより作品に親しめることはまちがいない。なにしろルイージ&N響の最上級の演奏で予習しているわけで、こんなに贅沢な話もない。環境がもたらす違いとしては、NHKホールではオルガンが天の高みで鳴るイメージだったが、サントリーホールでのオルガンはあらゆる音響の中心に位置する巨大な存在。ヴィオッティ指揮東響は明るさと温かみ、豊かさを感じさせるサウンド。見通しがよく、響きは明快。東響コーラスの次第に高まる「ハレルヤ」は鳥肌もの。フランツ・シュミットの音楽は簡明さと複雑さの両極から感情を揺さぶってくる。荘厳さ以上にエモーショナルな要素を感じた。ヨハネにマキシミリアン・シュミット、神の声にフランツ=ヨゼフ・ゼーリヒ、ソプラノにクリスティーナ・ランツハマー、メゾソプラノにカトリオーナ・モリソン、テノールにパトリック・グラール、バスバリトンにクレシミル・ストラジャナッツ、オルガンに大木麻理。
●N響とは違い、こちらは休憩あり。作品本位で考えれば休憩なしに理があるとは思うものの、現実的には休憩ありが親切。休憩なしだと終盤に席を立たざるを得ない人が少なからず出てしまうので。心配事がひとつ減る分、演奏に集中できるのは大きな利点。
●で、この曲、音の構築性や音響美だけで楽しむことも不可能ではないけど、フランツ・シュミットの音楽はテキストと分かちがたく結びついている。2度目に聴いて改めて強く感じたのは「ヨハネの黙示録」の二元論的な世界観。善/悪、神/サタン、神に忠実な者/そうでない者、命の書に記された者/火の池(炎の海)に放り込まれる者。常に世界は二分され、中間的な立ち位置を許さない。世界に神の裁きが下され、災厄で人々は滅び、死後に復活し、命の書に記された者は永遠の命を手にするが、そうでないものは火の池へ。救われる者とそうでない者は厳しく峻別される。前回も書いたけど、ここは信仰とヒューマニズムの間の緊張関係があらわになる部分だ。ある意味、こういった二元論は時流に即しているとも言える。だが、そんな世界で自分はきっと火の池に放り込まれる側になると予感する者は、これをどう受け止めればいいのか。その摩擦はどこまで行っても残るんじゃないかな。20世紀の宗教音楽でこの曲の対極に位置するのが、死後に敵との邂逅が待つブリテンの「戦争レクイエム」だと思う。
●世間は五連休。いつも当欄は暦通りの更新だけど、ずいぶん間が空いてしまうので中日に更新。

September 18, 2026

東京都現代美術館「多田美波―光、凛と ゆれる」

mot2026tada1.jpg
●東京都現代美術館の「多田美波―光、凛と ゆれる」展へ。抽象彫刻家・造形作家の多田美波(1924–2014)の大規模個展。初期の絵画から「光造形」と呼ばれるシャンデリアなどの照明作品も含む約70点が展示。なかには現存しない作品の再制作、再構成も含まれている。上の写真は、中央の「スペース・アイ No.4」(1975)などが集中的に展示されている一室。柔らかい光と反射、透明感、くすんだ色調が作り出す心地よい空間で、ここでゆっくりと時を過ごしたくなる。

mot2026tada2.jpg
●これは「周波数 37303030MC」(1963/東京国立近代美術館蔵)。意味ありげな周波数の数字を添えた作品がいくつもあるのだが、共通する最初の3桁「373」は「美波」だろうから、さしたる意味はないのかも。「373」に続く「03030」は「オッサン、オサレ~」だろうか(きっと違う)。

mot2026tada4.jpg
●これは床に大きく広がる「オートシンクローネ」(1973/2026)。10×10のユニットの集合体で、それぞれにポコッとした半球状のふくらみがある。水泡のような、気泡のような。半球に周囲の像がさまざまな模様で映りこむ。オリジナルは現存せず、残された型と設計図から再制作されたそう。無機的な質感から有機的なイメージが立ち昇ってくるおもしろさ。

mot2026tada3.jpg
●初期の絵画なんだけど、なにを描いているか、わかるだろうか。ぱっと見、工場とか鉄塔のイメージか。正解は変電所。1950年代に変電所を題材にした絵画をいくつも描いていたという。当時の変電所は、今よりずっと存在感のあるものだったのだろう。産業と労働のシンボルか。

mot2026tada5.jpg
●天井からぶら下がっているのが、「翔」(1986/2026)。その名の通り軽やかな飛翔感が漂うが、ステンレス製で総重量360kgと聞くと、真下にいるのが落ち着かなくなる。もともとは神奈川県南足柄市市庁舎の天井に設置されていたが、近年に撤去され、今回再制作されたもの。
●多田美波作品は各地のホテルや公園、駅、劇場などにも残されている。知らず知らずのうちに目にしているわけだが、ワタシらにとって、いちばんなじみ深い場所に展示されているのは、以下の作品では。東京芸術劇場コンサートホールの1階席ロビーにある「調」(1990)。先日、サラダ音楽祭に足を運んだついでに撮ってきた。
geigeki2026tada.jpg

September 17, 2026

JPEG画像をMozJPEGで圧縮する

美ヶ原高原の写真 圧縮時サンプル
●Squooshというツールを使うと、JPEG画像を品質を保ちながら圧縮率を高めることができる。これまでこのサイトではSquooshでMozJPEGというエンコーダーを選んで、画像を圧縮してきた。かなりファイルサイズが小さくなるし、標準のJPEGと完全に互換性があるので、使わない手はない。SquooshはGoogleの提供。MozJPEGはMozillaの開発。安心して使える。
●で、Squooshで満足していたのだが、GUIで圧縮後の画質を確認しながら使えるのは便利な反面、いくつもある写真を一枚ずつ圧縮するのは面倒だ。圧縮時の品質はデフォルトの75の決め打ちでかまわないので、複数ファイルを一括でパッと圧縮させたい。どうするのがベストか。こういうときはAIの出番だ。ChatGPTとGeminiの両方に相談すると、いろんな解決策を提案してくれた。MozJPEGだと意外と既存ツールが少なく、自分の求める用途にはぴたりとはまらない。小さな専用アプリを作るという考え方もあるが、なるべく簡便で、なおかつ保守性が高い方法がよいので、最終的に採用したのはWindowsのバッチファイルを使うやり方。ChatGPTにバッチファイルまで書いてもらった。
●事前準備として必要なのは、Windows用のMozJPEGの圧縮&展開用のツールを入手すること。mozjpeg-windowsにビルド済みのバイナリがあるので、mozjpeg-x64.zipをダウンロードして展開しておく。実際に使うのはcjpeg-static.exeとdjpeg-static.exeの2ファイル。それぞれ圧縮と展開のための実行ファイルで、コマンドラインから動作する。ファイル名に「-static」が付いているのは実行に必要なライブラリがファイル内部に組み込まれているという意味で、このファイル単体で動作する。これらを置いた同じフォルダに、たとえば mozjpeg75.cmd といった名前で圧縮用のバッチファイルを置き、そのショートカットをWindowsのSendToフォルダに放り込んでおけば、エクスプローラーで画像ファイルを選択して、右クリックして「送る」から使うことができる(複数選択可)。以下はChatGPTに書いてもらった mozjpeg75.cmd の中身。少々乱暴だが、既存ファイルを上書き保存する仕様になっている。自分の使い方ではそれが便利なので。

@echo off
chcp 65001 >nul
setlocal EnableExtensions EnableDelayedExpansion

set "DIR=%~dp0"
set "CJPEG=%DIR%cjpeg-static.exe"
set "DJPEG=%DIR%djpeg-static.exe"

if not exist "%CJPEG%" (
echo cjpeg-static.exe が見つかりません:
echo %CJPEG%
pause
exit /b 1
)

if not exist "%DJPEG%" (
echo djpeg-static.exe が見つかりません:
echo %DJPEG%
pause
exit /b 1
)

if "%~1"=="" (
echo JPEGファイルを指定してください。
pause
exit /b 1
)

set /a OK=0
set /a ERR=0

:LOOP
if "%~1"=="" goto DONE

set "INPUT=%~1"
set "EXT=%~x1"

if /I not "%EXT%"==".jpg" if /I not "%EXT%"==".jpeg" (
echo スキップ: "%INPUT%"
echo JPEGではありません。
set /a ERR+=1
shift
goto LOOP
)

set "TMPBMP=%TEMP%\mozjpeg_%RANDOM%_%RANDOM%.bmp"
set "TMPJPG=%TEMP%\mozjpeg_%RANDOM%_%RANDOM%.jpg"

echo 処理中: "%INPUT%"

"%DJPEG%" -bmp -outfile "%TMPBMP%" "%INPUT%"
if errorlevel 1 (
echo デコード失敗
set /a ERR+=1
goto CLEANUP
)

"%CJPEG%" -quality 75 -progressive -outfile "%TMPJPG%" "%TMPBMP%"
if errorlevel 1 (
echo エンコード失敗
set /a ERR+=1
goto CLEANUP
)

if not exist "%TMPJPG%" (
echo 出力ファイルが作成されませんでした。
set /a ERR+=1
goto CLEANUP
)

for %%A in ("%TMPJPG%") do set "NEWSIZE=%%~zA"
if "!NEWSIZE!"=="0" (
echo 出力ファイルが空です。
set /a ERR+=1
goto CLEANUP
)

move /Y "%TMPJPG%" "%INPUT%" >nul
if errorlevel 1 (
echo 元ファイルの置換に失敗しました。
set /a ERR+=1
goto CLEANUP
)

echo 完了
set /a OK+=1

:CLEANUP
if exist "%TMPBMP%" del /Q "%TMPBMP%" >nul 2>&1
if exist "%TMPJPG%" del /Q "%TMPJPG%" >nul 2>&1

shift
goto LOOP

:DONE
echo.
echo 完了: !OK! ファイル
if not "!ERR!"=="0" echo エラーまたはスキップ: !ERR! ファイル

if not "!ERR!"=="0" pause
exit /b

●3行くらいのスクリプトで済むかと思いきや、例外処理をていねいに組み込んできたので、長い。djpegで展開した後、いったん懐かしのBMPで画像を吐き出し、これをcjpegで圧縮して、最後にBMPを削除する、という手順になっている。間にBMPを噛ませなくても同じことはできるけど、元ファイルを上書きすることを考えると、このやり方のほうがトラブル時に追跡しやすいとのこと(ChatGPT談)。実際に使ってみたところ、ひとまず問題なく動作している。Squooshを使うより、さらにお手軽。当面、このやり方で試してみよう。上に載せた写真はjpg100で622KBだったものが、MozJPEG 75で88.2KBに圧縮されている。

September 16, 2026

ユライ・ヴァルチュハ指揮読響のショスタコーヴィチ他

ユライ・ヴァルチュハ 読響
●15日はサントリーホールでユライ・ヴァルチュハ指揮読響。プログラムはシベリウスのヴァイオリン協奏曲(セルゲイ・ハチャトゥリアン)とショスタコーヴィチの交響曲第10番。前半はセルゲイ・ハチャトゥリアンが粘度の高い濃厚なソロ。久しぶりに聴いたけど、技巧は鮮やか、表現はクセ強めで、好みの分かれるタイプか。オーケストラは彫琢されており、雄弁。ソリスト・アンコールとして、曲の簡単な紹介の後、ナレカツィのアルメニア聖歌「鳥よ、鳥よ」。10世紀の曲と言われ、そんなに古いのと驚く。あとから調べたらナレカツィ(951~1003)はアルメニアの修道士・詩人なのだとか。清澄。
●後半、ショスタコーヴィチの交響曲第10番は引きしまった快演。弦楽器の芯のある深い響きがすばらしい。木管のソロも見事。ことさらに咆哮することなく、作品に込められたさまざまな要素、エゴ、恐怖、ロマンス、内省などを過不足なく伝える。第10番、いろんな点で第5番✕2だなと感じるんだけど、終着点が歓喜ではなく、DSCH音型で示される「自分」っていうところに戦慄する。自己回復の交響曲というか、自分のイニシャルを連呼するオレオレ交響曲というか。第5番の「カルメン」引用とリーリャとの関係、第10番の自己署名とホルンのエルミラ音型、第15番の人生の回想といったように、5の倍数の曲に私的な記号が埋め込まれる傾向を感じる。

September 15, 2026

サラダ音楽祭 メインコンサート「ボレロ」

●遡って11日は東京芸術劇場でサラダ音楽祭メインコンサート「ボレロ」。Sing and Listen and Danceの頭文字をとってSALAD。2018年からスタートした音楽祭で、メインコンサートではNoism Company Niigataのダンスが入るのが毎回の楽しみ。梅田俊明指揮都響、新国立劇場合唱団による豪華な公演で、プログラムは前半がグリーグの組曲「ホルベアの時代より」、ラターの混声合唱、金管楽器、打楽器とオルガンのための「グローリア」(オルガンに室住素子)、後半がラヴェルの組曲「マ・メール・ロワ」(演出振付/中尾洸太)、ラヴェルの「ボレロ」(演出振付/金森穣)。前半は弦楽器の曲と金管楽器の曲が一曲ずつで、後半はダンスが入る。舞台前方にダンス用のスペース。
●梅田俊明指揮都響は冒頭のグリーグから起伏に富み緻密。ふだんの定期公演と同様に充実した演奏。ラターの「グローリア」は特殊な編成なので、ライブで聴けるのは貴重。輝かしく金管が鳴り続けてハイカロリー。後半の「マ・メール・ロワ」では、Noismがキレのあるダンス。淡く柔らかな音楽に対してダンスはテンション高め。圧巻はおしまいの「ボレロ」。楽曲自体がひとつの巨大なクレッシェンドだが、ダンスも音楽に同期して次第に熱を帯び、爆発的なクライマックスを作り出す。エネルギッシュな生の謳歌。ダンスとオーケストラの連動性の高さという点で稀有な舞台だった。
サラダ音楽祭 ロワー広場 ミニコンサート
●開演前、地下のロワー広場で都響メンバーによる無料のミニコンサートがあった。フルート四重奏でトーク入り約30分ほど。モーツァルトのフルート四重奏曲第1番の第1&第3楽章や、ビゼー「カルメン」前奏曲など、親しみやすい名曲で音楽祭のムードを高めていた。

September 14, 2026

ファビオ・ルイージ指揮N響のフランツ・シュミット「7つの封印の書」

ファビオ・ルイージ N響 「7つの封印の書」
●12日はNHKホールでファビオ・ルイージ指揮N響。ルイージ念願のフランツ・シュミット作曲のオラトリオ「7つの封印の書」が演奏された。第2000回定期のときに投票で選ばれなかったのがこの曲(選ばれたのはマーラー「千人の交響曲」)。あのときはどう見ても「7つの封印の書」を選んでほしそうなラインナップだったけど、なにしろなじみが薄い。結果的にN響創立100年シーズンの開幕に演奏されて、首席指揮者ルイージ時代のハイライトというべき公演になったと思う。合唱は新国立劇場合唱団(合唱指揮冨平恭平)。ヨハネにテノールのミヒャエル・ラウレンツ、オルガン席で上方から歌った神の声にバスのダーヴィト・シュテフェンス、ソプラノに迫田美帆、メゾ・ソプラノに藤井麻美、テノールに伊藤達人、バスに加藤宏隆、オルガンに新山恵理。
●ライブで聴いたのは初めてなので、ほかとの比較はできないのだが、ルイージならではの壮麗さと澄明さを兼ね備えた「7つの封印の書」を聴くことができた。精緻。この曲、冒頭動機やおしまいの「ハレルヤ」など明快簡潔で力強い部分と、対位法を駆使した複雑で重層的な部分との対比が強烈で、曲想もオペラ風から聖歌までと振幅が大きい。ルイージはこれを型破りなキメラ的大作とするのではなく、古典性を獲得した真摯な宗教音楽として提示していたと思う。弛緩することなくまっすぐなドラマとして黙示録の物語を描く。休憩なし。
●フランツ・シュミットは敬虔に「ヨハネの黙示録」に向き合って曲を書いているので、この作品の難しさは黙示録そのものの受け入れづらさを反映していると思う。外見上の共通性があっても(ヨハネ/福音史家、神の声/イエス)、「マタイ受難曲」とは比較にならない手強さ。予備知識なしに聴くと、なぜ殺戮や飢饉や大地震のような災厄が訪れたのに輝かしいハッピーエンドの音楽で終わるのか、わからないかもしれない。大前提として、これらの災厄は神の意志で行われている。人々が待望する神の裁きが下されているのだ。つい現代人はこれを戦争や飢饉に対する警鐘のように受け止めたくなるが、そうではない。神の意思に従って、大勢の人々が死ぬ。そこには「敬虔な信徒なら生き残れる」みたいな選別はなく、みんなが死ぬ。というのも、ここでは現世的な幸福などに焦点は当たっておらず、問題は死後にある。千年王国を経て、新しい世界が作られる。ここで人々は復活を果たすのだが、だれもが永遠の生を手にするわけではない。そのあたりはちゃんと歌詞に歌われているわけだけど、「命の書」に名前を書かれている神に忠実な人だけが永遠の生を手にするのだ。じゃあ、名前が書かれていない人はどうなるかというと、火の池に放り込まれる。肝心の選別は死後なのだ(異教徒はどうなるんでしょうね……)。ちなみにここでの復活とは、「スター・ウォーズ」のジェダイみたいに霊的存在として天のどこかで生き続けるようなイメージではなく、イエスのような肉体を伴った復活だという理解。
●黙示録的な世界観は実はワタシたちにはポップカルチャーを通しておなじみのもので、アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」やRPGゲーム「真・女神転生」シリーズ等でくりかえし登場している。でも、少なくとも日本で描かれる場合は、「世界の終わりと再創造」のゴールが本来の黙示録と違うところに設定されることがほとんど(あるいはすべて)では。「エヴァンゲリオン」の「人類補完計画」みたいなビジョンが掲げられたとき、「そんな完全かもしれない世界よりも、不完全であっても今わたしたちが有する人間性を失わないほうがいい」というのが主人公のスタンスになりがち。いちばんわかりやすいのが「真・女神転生」で、プレーヤーはゲームを通じて選択を重ねることで、神の秩序にもとづく新世界へと至るLawルート、悪魔による無秩序な混沌が支配するChaosルート、そのどちらでもない人間が今のままの人間として世界に向き合うNeutralルートのいずれかのエンディングにたどり着く。ヨハネの黙示録=フランツ・シュミットの「7つの封印の書」でたどり着くのは、当然ながらLawルート。教徒にとって、神の意志に反するゴールなどありえないだろう。でも、このゲームでもうっすらとした正解ルートのように見えるのは、人間中心主義(ヒューマニズム)のNeutralルート。ワタシたちは黙示録的世界が出てきたら神の意志に従わないのが正解ルートという物語をくりかえし摂取してきたので、本物の黙示録に対して「えっ、そっちがゴールでいいわけ?」的な困惑を抱いてしまうところに、「7つの封印の書」の本質的な難しさがあると思う。なぜそこで「ハレルヤ」なのかを体感的に理解できないというか。信仰とヒューマニズムの間の緊張関係があらわになる部分だ。
●「ヨハネの黙示録」の受け止め方は教派によってずいぶんと違うようだが、この著者ヨハネとはだれかという問題もある。伝統的には使徒ヨハネと同一人物とされてきたが、現代の学説では別人とされているのだとか。えっ、別のヨハネなの?と、びっくり。成立も紀元90年頃で意外と遅い。
●客席にロレンツォ・ヴィオッティの姿。ヴィオッティ指揮東響もまもなく「7つの封印の書」をとりあげる。恐るべき偶然。

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制作者

飯尾洋一(Yoichi Iio)

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