●長らくマイケル・ティルソン・トーマスは「若々しさ」「清新さ」のシンボルのような存在だったので、そんな人物にも老いが訪れ、ついに世を去るということが信じがたい。サンフランシスコ交響楽団での功績は文句なしに大きく、来日公演も記憶に残ってはいる。とはいえ、いま思い出すマイケル・ティルソン・トーマスは、もっと若い頃の颯爽とした姿だ。録音はたくさん残っている。思い出深いディスクをいくつか挙げて、追悼したい。
●まずは、ロンドン交響楽団とのブラームスのセレナーデ第1番。自分にとって、この曲のファーストチョイスだった。溌溂としてエネルギーにあふれていて、シンフォニック。第1楽章はなんど聴いてもワクワクする。その後、この曲を何回かライブで聴いているが、なぜかこの録音で受けた印象ほどオーケストラがきれいに鳴らない。
●こちらはセント・ルークス管弦楽団とのベートーヴェン「英雄」。オリジナルのジャケットには若くてカッコいいティルソン・トーマスの姿が載っているのだが、廉価盤シリーズで買ったので、こちらのジャケットでなじんでいる。20世紀後半の重厚な巨匠主義的な演奏の反対側にあるキレのある機敏なベートーヴェンとして気に入っていた。いま聴いたらどう感じるのか、怖いような楽しみなような……。きっと色褪せていないと信じる。
●これぞ、ティルソン・トーマスだ!と言えるのは、この路線だろう。ロンドン交響楽団との「ストラヴィンスキー・イン・アメリカ」。こういうジャケットは今となっては貴重か。なじみの薄かったアメリカ時代のストラヴィンスキーの作品がまとまっているので飛びついた。ストラヴィンスキー編のアメリカ国歌や「サーカス・ポルカ」のような楽しい小品から、バレエ音楽「アゴン」まで。ピエール・モントゥー80歳のための「グリーティング・プレリュード」(ストラヴィンスキー流ハッピーバースデー)には笑った。
●ティルソン・トーマスのディスクを語るうえで、挙げないわけにはいかないのが、ニュー・ワールド・シンフォニーとのヴィラ=ロボス「ブラジル風バッハ」だろう。しばしばクラシックのワースト・ジャケットとしてネタにされるという点で、殿堂入りを果たした名盤。ブラジルだからというだけで過剰なまでに熱帯化されており、巨大なバナナの葉を背景にカラフルなオウムといっしょサングラスをかけてポーズをとる。こんな姿が似合う指揮者がほかにいるだろうか。
●いちばん有名なブラジル風バッハ第5番をルネ・フレミングが歌っている。気品のあるクリーミーボイスで、まったく非熱帯的だが、そこがいい。
マイケル・ティルソン・トーマス
阪田知樹 記者懇親会

●22日は表参道のスタインウェイ&サンズで、ジャパン・アーツによる阪田知樹記者懇親会。デビュー15周年とリスト・コンクール優勝から10周年の節目を迎え、11月10日オペラシティでのオール・リスト・プログラムによるリサイタルや、この春と秋の全国リサイタルツアーへの意気込みを語ってくれた。
●すでに海外20か国以上で演奏し、ピアノ協奏曲のレパートリーは50を超えるという阪田知樹だが、作曲活動も盛ん。7月に世界初演される神奈川フィル委嘱作品では、ソプラノの森谷真理が独唱、自身が指揮を務める。ほかに11月には群響で委嘱作品が米田覚士指揮で初演される。作曲はまったくピアノ曲に偏っていないが、いずれはピアノ協奏曲も書きたいという。目指す理想像はピアノ、作曲、指揮などすべての領域で実績を残す「コンプリート・ミュージシャン」と話していたのが印象的だった。これが本来の音楽家の姿であり、かつては作曲も演奏もいっしょのものであって、分業化が進んだのは長い音楽の歴史のなかではごく最近のことにすぎないと語る。
●一通りの質疑応答の後、演奏も。ラフマニノフ~阪田編の「ここはすばらしいところ」、リストの「忘れられたワルツ」第1番。至近距離で聴く貴重な機会。耳福。
東京芸術劇場ナイトタイム・パイプオルガンコンサート Vol.55 山田由希子

●22日はかなり久しぶりに東京芸術劇場ナイトタイム・パイプオルガンコンサート。19時30分開演で20時30分終演、休憩なしという少し特殊なスタイルの演奏会で「遅く始まって早く終わる」のが特徴。平日対応のひとつの形。オルガンは山田由希子。松本市音楽文化ホールのホールオルガニストで、ローザンヌ国際バッハ・コンクール第3位、バチェーノ国際オルガン・コンクール優勝他の受賞歴。
●近年、芸劇はオーケストラのコンサートだと反響板を下ろしてオルガンが見えないことがほとんどだが、ここのオルガンはルネサンス/バロック面とモダン面の2面構成になっている。この日は上のようなルネサンス/バロック面で始まって、途中でオルガンが回転して(3分かかる)モダン面に変わった。うっすら漂う変形合体ロボ感。
●プログラムはパブロ・ブルーナの「第1旋法による右手のティエント」、ベームのパルティータ「主イエス・キリストよ、われらを顧みて」、バッハのコラール「おお人よ、汝の罪の大いなるを嘆け」BWV622、トッカータとフーガ ニ短調「ドリア調」BWV538、オルガンの回転をはさんでヴィエルヌのオルガン交響曲第3番より第4楽章アダージョ、トゥルヌミールのテ・デウムによる即興曲(デュリュフレ復元版)。最初のブルーナはルネサンス・タイプ(A=467Hz)、ベームとバッハはバロック・タイプ(A=415Hz)、ヴィエルヌとトゥルヌミールはモダン・タイプ(A=442Hz)のオルガンを使用、それぞれ調律も異なる。この変幻自在さも合体ロボ的。バッハのトッカータとフーガ ニ短調「ドリア調」は、あの超有名なトッカータとフーガ ニ短調とは別の曲ということで、「ドリア調」の愛称をつけて区別されている。といってもこの曲は別にドリア調ではなくてふつうにニ短調で、一種の誤解から付けられた愛称のようだが、どうしても超有名なあちらの曲と区別する必要があるので、愛称は必須。超有名なあちらが「本当にバッハなの?」的な疑念から逃れられないのに対して、こちらの「ドリア調」は堂々たるバッハ。フーガに入ると、ぐっと張りつめた雰囲気になり荘厳。
●ヴィエルヌとトゥルヌミールは、ふだん自分が聴かないロマン派オルガン音楽の世界なので新鮮。ワーグナーの楽劇に出てきそうな瞑想的なヴィエルヌから、一転して重厚壮大なトゥルヌミールへとなだれ込む場面がハイライト。トゥルヌミールのテ・デウムによる即興曲は、弟子のデュリュフレが1955年から58年にかけて採譜したものなのだとか。オルガンの世界では20世紀以降も即興演奏が創作の源となっていることに思いを馳せる。
●下は反転したモダン面。こちらのほうがなじみがあると思う。

目黒区美術館 「岡田謙三 パリ・目黒・ニューヨーク」

●目黒区美術館の「岡田謙三 パリ・目黒・ニューヨーク」展へ。なじみのない美術館だったけど、行ってみたらとても居心地のよい場所だった。岡田謙三(1902-1982)の1920年代のパリ、帰国後の目黒区自由が丘、50年代以降のニューヨークでの3都市にわたる創作活動をふりかえる。上は「花売り」(1936)。なんとも言えない目つき。序盤はこんな作風なのに、これがどんどん変遷してゆく。

●こちらは「高原」(1939)。大作。神話的な光景で格調高い。こんなにクラシックなスタイルから、どんどんモダンなスタイルに変わってゆく。

●「シルク」(1947)。画風が一気に新しくなっている。サーカスという題材もモダンな感じ。

●で、こちらは「五人」(1949)。ぐっと抽象度が増して、研ぎ澄まされた雰囲気に。わ、そんな方向に進化するとは。見ていてテンションが高くなる。

●本領はさらにその先にあって、これが「雲と子供」(1966)。完全に抽象画になる。油彩なんだけど切り絵みたいな雰囲気で、色調も日本的。アメリカで自身の作風を「ユーゲニズム」(幽玄からの造語)と称したそうなんだけど、なかなかにキャッチー。

●こちらはタイトルも抽象化していて「重」(1965)。これも油彩。最終形態まで進化した感。「重」って、どういう意味なんだろう。概念としての重さ、重力のようにも思えるし、単に「お重」みたいにも見える。
「不死の島へ」(クリストファー・プリースト)
●最近読んだ本でぶっ飛んでいると思ったのが、クリストファー・プリースト著「不死の島へ」(古沢嘉通訳/東京創元社)。一昨年世を去ったイギリスの作家クリストファー・プリーストの小説は、これまでにも「夢幻諸島から」「双生児」「魔法」などを当欄で紹介している。SFやファンタジーといったジャンル小説の枠組みで刊行されているものの、いずれもが「小説についての小説」や「現実と虚構の境目」といったテーマを扱ったメタフィクション。今回の「不死の島へ」もまさしくそう。
●主人公はロンドンに住む若者。人生に挫折してロンドンを去り、知人の別荘に引きこもって孤独な執筆作業に没頭しながら、自己と向き合う。自分とは何者か。それを書くためには物語が必要(だからこそ世の人々は小説を書いたり読んだりするわけだ)。そこで、彼は「夢幻諸島」(ドリーム・アーキペラゴ)なる架空の世界を舞台に、自己の物語を書く。夢幻諸島とはもうひとつの地球にある赤道近辺に散らばる無数の島々のことで、それぞれの島には独自の文化が花開いている。この世界で主人公は宝くじにあたり、不死になる処置を受ける権利を獲得する。不死になるとは、すなわち生きる意味を問い直すこと。主人公はその処置を受けるべきか、悩みながら恋人とともに島々を巡る。
●この島々への旅が実に魅力的に描かれているのだが、夢幻諸島とはプリーストが別の作品でもたびたび登場させている世界であり、その様子は連作短編集「夢幻諸島から」でたっぷりと描かれている。ふむふむ、なるほど主人公は作者プリースト自身の投影であり、小説が生まれるプロセスを書いた小説なのだね……と納得しながら読んでいると、途中からの展開に不意を突かれることになる。読書の楽しみを損なわない程度に書くと、夢幻諸島側の主人公は架空の都市ロンドンを舞台とした物語を書いているのだ。現実と思った側と虚構と思った側が鏡合わせになっており、その両者が侵食し、どちらが小説内現実なのかが揺らぎ始める。プリーストの真骨頂だ。
●先に「夢幻諸島から」を読んでいる人は、「ああ、これはあの島だね」と記憶を掘り起こしながら読める。でも、未読なら「不死の島へ」を読んだ後に「夢幻諸島から」を読むという楽しみが待っている。読む順番はどちらでもいいと思う。
ファビオ・ルイージ指揮NHK交響楽団のマーラー5

●17日はサントリーホールでファビオ・ルイージ指揮N響。プログラムはモーツァルトのクラリネット協奏曲(松本健司)とマーラーの交響曲第5番。かねがねマーラーの5番とセットになる曲はモーツァルトの「ハフナー」交響曲が多いと思っているのだが(少し短いのでちょうどいい)、この日の前半はクラリネット協奏曲で少し長めのプログラム。ソロはN響首席奏者の松本健司。ふだんからともに演奏する仲間たちとの共演らしく、ソロとオーケストラがすっかり一体となり、流麗優美。アンコールが同じクラリネット五重奏曲の第2楽章で、ヴァイオリンの郷古廉、森田昌弘、ヴィオラの中村翔太郎、チェロの藤森亮一がその場で加わる。これは絶品。全曲聴きたくなる。
●後半のマーラーは壮麗。やっぱりルイージら巨匠クラスが指揮台に立ったときのN響はすごい音が出てくる。響きの質感、密度、解像度に圧倒される。造形は決して中庸ではなく、意外性のあるテンポの変化やたびたびの管楽器のベルアップなど、ルイージ印のマーラーなのだが、以前のマーラーの交響曲第3番と同様、ポジティブなエネルギーにあふれている。ルイージが猛烈に煽る場面もあるとはいえ、鳴っているのはライトサイドのマーラーで、アイロニーやグロテスクさなどダークサイド成分はあまり感じない。高揚感あふれる終楽章が終わると、客席から大喝采。
●客席が盛大にわいたのに、カーテンコールを待たずにすぐに立ち上がる人が目立ったのは、終演が遅かったからだと思う。21時20分くらいだったかな。気持ちはわかる。
●舞台上にたくさんマイクが立っていた。なんらかの形でリリースされるのだろうか。
カフェインレスコーヒーなら眠れる
●最近の小さな感動、その1。今まで一度も試したことがなかったのだが、カフェインレスコーヒー(デカフェ)を試してみたら、本当に眠れるということを発見した。ふだん、コーヒーは自家焙煎のお店の豆を毎回ミルで挽いて飲んでいるのだが、だんだんカフェインの代謝に時間がかかるようになってきたらしく、夜に飲むとうまく眠れなくなった。そこで導入してみたのが、お手軽なドリップバッグのカフェインレスコーヒー。ミルクを足してカフェオレにしているが、思ったよりおいしく、ちゃんと眠れる。すごい発明だ(←今さらすぎ)。
●最近の小さな感動、その2。PCでは秀丸メール(と秀丸エディタ)を愛用しているのだが、秀丸メールの最新バージョンで、迷惑メールの判定にGoogle Geminiを利用する設定ができていた。これがよいのだ。GeminiのAPIキーを自分で取得しなければならないが、やり方は簡単。全メールをGeminiに投げるわけではなく(それはリソース的にムリ)、秀丸側のSPAM判定で白黒つかなかったものだけをGeminiに問い合わせる方式で、スマート。いにしえの定番シェアウェアながら、しっかりAI時代に対応してくれている。
東京・春・音楽祭 東博でバッハ vol.81 山澤慧(チェロ)

●15日は東京国立博物館の法隆寺宝物館エントランスホールで「東京・春・音楽祭」のミュージアム・コンサート「東博でバッハ vol.81 山澤慧(チェロ)」。プログラムが魅力的で、バッハの無伴奏チェロ組曲第1番ト長調、西村朗の「チェロのためのオード」、バッハの無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調、休憩をはさんで黛敏郎の「BUNRAKU」、バッハの無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調。まるでオペラシティの「B→C」みたい。あるいは「C→B」というべきか。アンコール前に奏者本人のトークにもあったように、西村作品と黛作品の選択は東博という会場に合わせたもの。場にふさわしく、音楽的な流れという点からもコントラストが効果的。残響がとても多い会場なので、なにを弾いても朗々と響き渡る。バッハは颯爽としてのびやか。停滞することなく、前へ前へと進む。西村朗「チェロのためのオード」は91年に堤剛が委嘱した作品。前夜に堤剛による矢代秋雄のチェロ協奏曲を聴いたばかりだが、ここでもレジェンドの存在感。この曲からほとんど切れ目なく、バッハにすっと入る瞬間がいい。圧巻は黛敏郎「BUNRAKU」。力強く雄弁。着想源の文楽、太棹三味線がチェロ独奏曲として完全に昇華された名曲。作品が古典として受け継がれていることを改めて実感。

●「東博でバッハ」の会場は、この法隆寺宝物館エントランスホールと平成館ラウンジの2か所が用いられている。響きがたっぷりとしているのはこちら。エントランスの入り口側にステージを置いて、奥の階段の方向に向かって椅子が並べられるのだが、天井も高く、反響も十二分にあって、まるでシューボックス型のコンサートホールのよう。ここでバッハを聴く醍醐味は、われわれが音楽を聴くすぐそばで、たくさんの飛鳥時代の観音菩薩立像や如来立像もバッハも聴いているというシチュエーションにある。7世紀前後の菩薩像から見れば、18世紀のバッハは遠い未来の音楽。
