
●13日はサントリーホールでアンドレア・バッティストーニ指揮東京フィル。前半にシューマン~バッティストーニ編の「子供の情景」(世界初演)、後半にマーラーの交響曲第4番(ソプラノは高橋維)。これはうまい組合せだと思った。ともに清らかで無垢な世界を題材に掲げつつも、それぞれの背後にシューマンではロマンス、マーラーではアイロニーが潜んでいる。そして、マーラーはシューマンの交響曲の編曲者でもある。
●バッティストーニ編曲の「子供の情景」は原曲の世界観を壊さない。やさしい眼差しを感じる。指揮者が編曲したピアノ曲の管弦楽版という点で、たまたま直前のシャニ指揮ミュンヘン・フィルの「軍隊行進曲」と続いたわけだけど、あちらは近代兵器を装備した一個師団みたいに化けていたので……。題材的にラヴェルの「マ・メール・ロワ」を連想する。ただ、原曲が簡潔な曲なので、オーケストラで表現するとなると、作品にもう少し密度が欲しくなるかな。ピアノで表現できる余白みたいなものをオーケストラに当てはめる難しさを感じる。マーラーの交響曲第4番は意外と自然体の音楽。前回、同じコンビのシュトラウス「アルプス交響曲」が熱血登山といった独特のスタイルでおもしろかったが、それに比べると抒情性が前面に出たバランスのとれた表現。
●今、東京オペラシティのコンサートホールが休館中なので(6月まで)、東フィル定期はサントリーホールとオーチャードの2公演のみで、公演数が少ない。サントリーはサントリーで2027年3月から6か月間の休館予定。東フィル定期は関係ないけど、東京文化会館は今月から休館中(~令和10年度中)。みんなやりくりが大変そう。
アンドレア・バッティストーニ指揮東京フィルのシューマン&マーラー
ラハフ・シャニ指揮ミュンヘン・フィルのマーラー「巨人」

●今週は演奏会が多い。11日はサントリーホールでラハフ・シャニ指揮ミュンヘン・フィル。昨年、ロッテルダム・フィルと来日したイスラエルのラハフ・シャニが、今回は次期首席指揮者を務めるミュンヘン・フィルと来日。プログラムはモーツァルトのオペラ「後宮からの誘拐」序曲、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番(チョ・ソンジン)、マーラーの交響曲第1番「巨人」。弦は対向配置、コンサートマスターは青木尚佳。
●最初のモーツァルトから活力のある大柄な音楽。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番は、若き日の作品と言うよりは、深遠さを感じさせる表現。バレンボイムを連想する。バロックや前古典派の方向から眺めるのではなく、ブラームスやワーグナーの方向から遡った重くシリアスなベートーヴェン。といっても、オーケストラの音は柔軟で、澄んだ明瞭なサウンド。ソリストのチョ・ソンジンもシャニに歩調を合わせるように彫りの深い表現を展開。軽やかさも力強さも兼ね備えたベートーヴェンに。アンコールにベートーヴェン「悲愴」の第2楽章を弾いてくれた。詩情豊か、本領発揮。
●マーラー「巨人」は練り上げられた演奏で、個々のプレーヤーの技量の高さが際立つ。第3楽章、コントラバスのソロが朗々と歌ってソリスティック。以前はコントラバス一本で奏でる異色のソロにドキドキしたものだけど、最近はみんなうますぎて腕自慢大会の様相。終楽章は一段ギアを上げたかのようにパワフルで、ホルンに続いてトロンボーンも立奏するなどスペクタクル。最強奏でも響きは澄明。最後の一撃がビシッと決まったが、客席がみんなぐっとこらえて一瞬の余韻を味わってから、盛大なブラボーが出たのには感心してしまった。アンコールは以前のロッテルダム・フィルでもそうだったけどシャニ自身が編曲した作品。今回はシューベルトの「軍隊行進曲」を極彩色の編曲で盛大に。このセンスは理解できないが、立派な演奏に客席は大喝采。
水野修孝「交響的変容」

●最近、SNSとかウェブの文面を読んでいて「あっ、これAIの文体だ」って、気づくことが増えた。もうそうなると先を読む気がすっかり失せる。ふだん、日常的にAIと接するようになって、AIの標準的な文体になじんだおかげで、独特の冗長さ、枠をはみ出ない慎重さ、パターン化された話の展開に対して、敏感になった。もちろん、AIの文体は設定で変えられるが(たとえば「温度」を上げる)、そうはいっても統計的な妥当性に縛られるので限界はある。だれかが「人間は人間の書いた(描いた)ものにしか興味を持てない」と言ってたけど、文でも絵でもAIだなと気づいた瞬間にまともに接しようと思わなくなる。AIがすごいものを書いても、背景に人間の感受性とか物語がないとわかっていると、関心が薄れるのかもしれない。
●で、すべてにおいて枠をはみ出す人間的な夢想の実体化ともいうべき超大作が、水野修孝の「交響的変容」。10日東京芸術劇場で上演。同劇場の芸術監督に就任する山田和樹の指揮とプロデュースによる「史上最大の交響作品の蘇演」。バブル経済の余韻が残る1992年、幕張メッセで総勢700名による出演者で初演された「交響的変容」(1962-87)が、コンサートホールで上演可能な形態で再構築されてよみがえることに。12時開演で、2回の休憩をはさんで終演は16時30分過ぎ。第1部「テュッティの変容」 (1978)、第2部「メロディとハーモニーの変容」(1979)、第3部「ビートリズムの変容」(1983)の後、45分の休憩が入り、全6章からなる長大な第4部「合唱とオーケストラの変容」(1987)の第3章と第4章の間に15分の休憩が入る。12時開演のコンサートは珍しいが、会場ではおにぎり弁当なども販売されていた。全席完売、作曲者臨席。読響、栗友会合唱団、太鼓に林英哲、ティンパニに武藤厚志、ソプラノに熊木夕茉。多数の賛助出演者。
●さまざまな様式の音楽が渾然一体となっていて、一口には語りようがないが、多くの部分で爆音が鳴り響く。過剰さや巨大さそれ自体が作品のエッセンスなのだと思う。実現困難な壮大な構想が現実のものになったときに初めて生まれる芸術があることを知る。とくに強烈だったのは第3部の激烈なリズムの饗宴で、和太鼓とティンパニの応酬による超長大なカデンツァは、ニールセンの「不滅」が霞んで見えるほどの大迫力。壮絶な音響が空間に飽和する。第4部では第4章で「キリエ・エレイソン」に始まるフーガ。合唱が移動し、客席のあちこちで独立して歌う。民謡風の旋律を用いたカオス。オーケストラも3群に分かれ、最大9名の指揮者が劇場内のあちこちに立って、指揮する。情報量が多すぎて知覚の限界を軽く突破。日本語歌詞はあまり聴きとれなかったが、原爆がテーマになっていることに気づく。マーラー他の引用も。ここまででヘトヘトだったのだが、さらにその先も長く、おしまいの第6章ではほとんど感覚が麻痺した状態に。曲を聴いたというより、とてつもないなにかを体験したという実感。
●カーテンコールでは1階席に座る作曲者へ盛大な喝采。山田和樹が客席に降り、しばらくすると客席がドッとわいた。上階だったのでなにが起きたのかわからなかったが、マエストロが作曲者に紙吹雪をまいたのだとか。おもしろい。
ミシェル・タバシュニク指揮新日本フィルのブラームス

●8日はサントリーホールでミシェル・タバシュニク指揮新日本フィル。スイス出身のタバシュニクは83歳。昨年、ブロムシュテットがN響を振った際の一公演(ストラヴィンスキー「詩篇交響曲」&メンデルスゾーン「讃歌」)で、タバシュニクはカバーコンダクターを務めていた。90代の巨匠を80代の巨匠がカバーする驚異の世界線。幸いに出番はなかったわけだが。
●で、そのタバシュニクが新日本フィルの定期に登場。プログラムはラヴェルの「ラ・ヴァルス」、ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番(アンドレイ・イオニーツァ)、ブラームスの交響曲第2番。モダンな音楽を得意とする人という印象があったので、きっと鋭利で即物主義的な音楽を作り出すのだろうなと想像していたら、ぜんぜん違う方向性のアプローチでびっくり。最初の「ラ・ヴァルス」からして濃厚な表現だったが、白眉はなんといってもブラームス。全編にわたって伸縮自在のテンポ設定で、思い切りリタルダントしたかと思いきや、急加速で突進するなど自由自在。全体の傾向としては遅いところはより遅く、速いところはより速く。これは「変態演奏のおもしろさ」に留まるものではなく、きわめて説得力のあるブラームスで、きっと19世紀の指揮の芸術ではこういった主観的表現や大胆なテンポ操作が駆使されていたにちがいないと思わせてくれる。息の長いフレージングで横に大きな流れを作り出す様子も印象的。客席の反応も上々で、驚きと興奮が伝わってくる。特大ホームランが出た、という感触。
●ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番でソロを務めたアンドレイ・イオニーツァは久々。余裕を感じさせる技巧。アンコールは現代スウェーデンの作曲家、スヴァンテ・ヘンリソンの「ブラック・ラン」という超絶技巧特盛の曲。鮮烈。
豊田スタジアムで名古屋グランパスvsガンバ大阪

●6日は豊田市へ日帰り遠征。朝早くに家を出て豊田市美術館と豊田スタジアムを巡る。やや強行軍だが、これで4度目。毎回、豊田スタジアムの観戦環境には感動する。4階まである巨大スタジアムながら、客席の傾斜が急なのでピッチが見やすい! これまでは2階と3階にしか座ったことがなかったので、今回は未知の場所に座ろうと思い、1階席に。1階席でも傾斜が十分にあって感心。その分、足元には気をつかうが、観客席は老若男女で盛況。名古屋グランパスvsガンバ大阪戦、入場者数は38,880人。

●名古屋は経験豊富なペトロヴィッチ監督、ガンバは若いドイツ人のイェンス・ヴィッシング監督。どちらもゴールキーパーからボールをつないでビルドアップする能動的な戦い方で、見ごたえがある。ドリブル突破も競り合いも迫力満点、好調なチーム同士の対戦だけあって、技術、パワー、スピード、すべてにおいてハイレベル。いやー、このクオリティを目の当たりにすると、マリノスの低迷も納得というか……。試合は開始8分に名古屋の稲垣祥が得意のミドル砲を炸裂させて先制、さらに前半のうちに木村勇大が追加点を奪って勝利。終了間際に1失点したが、完勝だろう。

●アウェイ側ゴール裏にもガンバサポがぎっしり。Jリーグがもたらすアウェイ・ツーリズム効果を実感。先に豊田市美術館を訪れたのだが、そこでもユニ姿の人がちらほら。自分と同じようなことをしている人たちがいるのだ。
●いつも豊橋停車の新幹線ひかり(数は少ない)で往復しているのだが、大型連休最終日とあって試合終了後の上り新幹線のチケットを取るのは一苦労。早い段階でこだまも含めて全便で空席ゼロだったが、きっとキャンセルが出るだろうと思ってスマホのEXアプリでときどきチェックしていたら、前々日にひかりの空きを拾えた。このあたりの機動性はスマホアプリならでは。
TACT FESTIVAL 2026 すもう×おんがく「ファソラシどすこい!タコどすこい!」

●4日は東京芸術劇場のTACT FESTIVAL 2026 すもう×おんがく「ファソラシどすこい!タコどすこい!」へ。会場はシアターウエスト。TACT FESTIVALは「こどもからおとなまで誰もが楽しめるフェスティバル」をうたったお祭りで、寄席や大道芸、サーカス的なパフォーマンス、ワークショップ、コメディなど、いろんなタイプの催しが屋内・屋外で開かれる。有楽町のラ・フォル・ジュルネTOKYOとハシゴする。
●「ファソラシどすこい!タコどすこい!」はきわめて独自性の高い公演で、どう説明したらいいのか、とても難しいのだが、テーマは相撲。相撲由来のパフォーマンスと現代音楽と客席参加型キッズプログラムが一体となった公演とでも言えばいいのか。歌あり、相撲甚句あり、三味線あり、笑いありの予測不能な60分のプログラム。構成・作曲・演奏は日本相撲聞芸術作曲家協議会 JACSHA(鶴見幸代、野村誠、樅山智子)で、工藤あかね(ソプラノ)、松平敬(バリトン)、松田哲博(歌、四股/高砂部屋 元一ノ矢)、釘元厚子(歌、三味線/木花相撲踊り保存会)、すがも児童合唱団の出演者勢。すごいメンバーがそろった。すがも児童合唱団の子どもたちがひたすらかわいい。客席参加型なのだが、やはり客席側も子どもたちが元気いっぱいでノリノリ。相撲愛にあふれた楽しくてシュールな舞台。最後に観客向けフォトセッションの時間が用意されていて親切。なお、「どすこいシュトックハウゼン」は出てきません(念のため)。
●客席最前列に本物のお相撲さんが3人陣取っていたので、てっきり出演者かと思ったら観客だった……。
ラ・フォル・ジュルネTOKYO 2026

●3日、ラ・フォル・ジュルネTOKYO 2026が開幕。今年のテーマは「大河」。東京国際フォーラムに足を運ぶ。何公演かハシゴして、いちばんインパクトが強かったのは、初登場のフランソワ・ラザレヴィチ率いるレ・ミュジシャン・ド・サン=ジュリアン。リコーダー、トラヴェルソ、ミュゼット(ふいごを抱えて演奏するバグパイプ状の楽器)を吹き分ける笛の名手によるヴィヴァルディ名曲集。どれもカッコいいのだが、やはりミュゼットは格別。「四季」の「春」と「冬」で、原曲に添えられたソネットを通訳入りで読んでくれたのもよかった。アンコールでチェロの人が歌い出してびっくり。ほかには山下一史指揮千葉交響楽団のベートーヴェン「田園」、五十嵐薫子のピアノによるムソルグスキー「展覧会の絵」(アンコールのサロン風の曲がなにかわからなかったが、後でレスピーギ「6つの小品」の第1曲「甘美なワルツ」と判明)、アリエル・ベックとケンショウ・ワタナベ指揮大阪フィルによるシューマンのピアノ協奏曲ほか。
●どの公演だったか、隣に両親に連れられてきた小学生男子が座った。きっと、この子は幼い頃から音楽祭に来ているのだろう。そしてあと数年で、もう親とはいっしょに来なくなる。この音楽祭、はじまって20年以上経つけど、客席が音楽祭といっしょに歳をとるタイプのイベントではなく、どんどん若い人が入ってきていることを改めて感じる。来年はナントで新しいディレクターを立てるというので、企画側にも新しい風が吹くのだろう。
「名局と名曲のあいだ 将棋と音楽の芸術性をめぐって」(佐藤天彦、広瀬大介著)
●令和の奇書が爆誕!「名局と名曲のあいだ 将棋と音楽の芸術性をめぐって」(佐藤天彦、広瀬大介著/アルテスパブリッシング)。将棋の「名局」と音楽の「名曲」という一見つながりそうもないテーマなのに、両者が有機的に絡みあった内容になっている奇跡の一冊。対談形式になっており、お互いが相手の分野に対して造詣が深いから、話がしっかり噛み合う。で、この本、どちらかといえば将棋本なんすよ。そして、ワタシは将棋を指さないので、読んでも理解できないところがたくさんあるわけなんだけど、それでも興味深く読めた。「美しい棋譜」を後世に残す、という考え方が存在することを知る。そして、いま将棋界がAIによって大きく変化しており、棋士の側に危機意識があるという話が刺激的だった。
●AIが完全に人間を凌駕し、一手ごとにAIによる評価値が示されてしまう状況で、人間はどう将棋を指すのか、全員が同じようにAIの最善手を研究して対局に臨んだとして、それは観戦しておもしろいものであり続けられるのか、将棋に本来あったはずの指し手のインスピレーションから生まれる芸術性が損なわれないのか等々といったテーマはどれもおもしろい。そして将棋だけじゃなくて、広瀬さんもモーツァルトの「ジュピター」について突っ込んで語っていて、将棋本でありつつ音楽書でもあって、そこが稀有。
●第1章を読んでて思ったんだけど、将棋の世界で起きていることって、本当にサッカーの世界にそっくりだなと思った。勝負の世界だから勝つことは文句なしに最優先なんだけど、お客さんのほうは天才肌の選手の芸術性や創造性にあふれたプレイや、意外性のあるアイディア、遊び心みたいなものを期待している面がある。でも、今の時代、勝利至上主義が徹底され、統計に基づくゴール期待値が算出されるようになり、守備戦術がどんどん高度化し、フィジカルモンスターが重用され、天才肌の選手は歴史的な存在になりつつある。勝ち負けがある世界はあちこちで似た現象が起きているのかも。
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●ゴールデンウィーク期間の当欄は不定期更新で。ふだんは原則平日更新だけど、暦通りだと5連休になってしまうので。
