
●18日はサントリーホールでチョン・ミョンフン指揮東京フィル。ウェーバーの歌劇「魔弾の射手」序曲、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番(岡本誠司)、メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」という王道のロマン派ドイツ音楽プログラム。指揮者とオーケストラがぴたりと噛み合った充実の一夜で、格別の聴きごたえあり。「魔弾の射手」序曲は深い森を思わせるたっぷりとした響き。ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番では、岡本誠司が磨き上げられたソロを披露。技巧と情熱のバランスがとれた望みうる最高のブルッフ。改めて、奇跡の名曲だと思う。オーケストラもしっかりと鳴らして、豊麗なロマンティシズムを表現。これで十分満たされたが、さらにソリスト・アンコールがあって、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調BWV1001よりアダージョ。
●後半のメンデルスゾーン「スコットランド」もブルッフの流れを受け継ぐように、起伏に富み、情感豊か。終楽章にアタッカで入る際に、マエストロが片足を上げて入りを示したのがおかしかった。クラリネットのソロが達者。フィナーレは壮麗。楽員退出後も大勢のお客さんが残って拍手を続け、だいぶ待った後にすでに着替えたマエストロと楽員たちがみんなで再登場。
●余談だけど、「スコットランド」の終楽章、初版スコアだと楽章の頭にAllegro guerriero(戦闘的に、好戦的に)っていう珍しい指示が付いている。聴けばなるほど戦いの場面だっていうのは納得できる。で、ほかにも同じAllegro guerrieroの曲があって、それがブルッフの「スコットランド幻想曲」の終楽章。ハイランドの戦士のイメージが共有されているのかな。
チョン・ミョンフン指揮東京フィルのウェーバー、ブルッフ、メンデルスゾーン
ラ・フォル・ジュルネTOKYO 2026 記者会見

●18日は東京国際フォーラムでラ・フォル・ジュルネTOKYO2026記者会見。会場はホールD1で、ここで会見を行ったのは初めてか。音楽祭の顔だったルネ・マルタン不在での記者会見となり(後述)、ラ・フォル・ジュルネTOKYO2026運営委員会の榑林康治(三菱地所)、長谷川真(三菱地所)、近藤慶太(東京国際フォーラム)、梶本眞秀(KAJIMOTO)の各氏が登壇(写真右から)。
●今回のテーマは LES FLEUVES(レ・フルーヴ)─大河。世界各地の大河を切り口に音の世界旅行へと誘う。たとえば、ドナウ川、モルダウ川、ライン川などは、これに直結する名曲や大作曲家たちの名前がすぐ浮かぶと思う。さらにはヴォルガ川、ヨルダン川、ミシシッピ川、アマゾン川を巡り、多様な文化を背景とした作曲家たちに焦点を当てる。音楽祭のフォーマットは例年同様で、0歳児からのコンサートやマスタークラス、エリアコンサートなども。昨年賑わった弦楽器体感イベントLFJ Strings EXPOの第2回も開かれる。
●出演者陣はアンヌ・ケフェレックやアブデル・ラーマン・エル=バシャ、フランソワ=フレデリック・ギィといったおなじみのアーティストや、アリエル・ベック、ガスパール・ドゥエンヌ、ソフィア・リュウらのピアニスト、初来日となるフランソワ・ラザレヴィチ率いる古楽アンサンブル、レ・ミュジシャン・ド・サン=ジュリアン、セバスティアン・ブヴェイロンとアンサンブル・マニェティス他。日本のオーケストラの参加が多く、大阪フィル、仙台フィル、千葉交響楽団が招かれるほか、新日本フィル、東京シティ・フィル、東京21世紀管弦楽団、東京フィル、横浜シンフォニエッタが出演。全体として海外組が少なめなのは、昨今の目を疑うような円安を考えれば当然だろう(とくにユーロ円がひどい)。
●すでにフランスでの報道を目にしている人も多いと思うが、会見の冒頭にルネ・マルタンの件について説明があった。彼の事務所CREAにおけるハラスメント疑惑を受けてルネ・マルタンは音楽祭を離れており、先にナントで行われたラ・フォル・ジュルネはルネ・マルタン不在のまま開催された。日本のラ・フォル・ジュルネもこれを受けて、ナントと同様の形で開かれることになった。質疑応答の時間に、来年以降の形についてナントでの記者会見でなにか発表があったのではないかと尋ねたところ、ナントでは来年は別の人物をディレクターに立てて(だれかは明らかにされていないが、女性の音楽家であるという)、「ギャラクシー・ベートーヴェン」をテーマに開催すると発表された。今年の企画は出演者陣を見てもまだルネ・マルタンが手掛けたものが多く残っていると思われるので、ナントのラ・フォル・ジュルネが本当に新しい時代を迎えるのは次回からになるのだろう。質疑応答、および会見後の時間帯は、ルネ・マルタン不在の寂しさを共有する場でもあったようにも感じた。
尾高忠明指揮大阪フィルのオール・エルガー・プログラム
●17日はサントリーホールで大阪フィルの東京定期。指揮は尾高忠明で、得意のエルガー・プログラム。前半が「弦楽のためのセレナード」と「海の絵」(メゾソプラノ:林眞暎)、後半がペインの補筆による交響曲第3番。独唱者が当初予定のアンナ・ルチア・リヒターから林眞暎に変更になった。その「海の絵」は急遽の代役にもかかわらず堂々たる歌唱。まろやかで、深く重みのある声が魅力。この曲を聴くと、エルガーはワーグナーの後を継ぐマーラーの同時代人だと実感する。
●エルガーの交響曲第3番はアンソニー・ペインの補筆による問題作。作曲者は未完の草稿を燃やしてほしいと言ったとか。長い沈黙の後に書かれた最晩年の交響曲という点で、シベリウスの交響曲第8番のエピソードを連想するが、シベリウスのほうは暖炉にくべられて燃やされた(かもしれない)のに対し、エルガーは燃やされずに生き残り、ペインのおかげの日の目を見た。補筆といっても、補う程度で完成できる部分はごく限られているはずで、事実上、ペインとの共同作品だろうし、それでいいと思う。この作品の場合、交響曲第1番および第2番とは作曲年代も作曲家の置かれた境遇(アリス亡き後)も異なるわけで、もしエルガーが最後まで書きあげたとしても、新たな作風を見つけていたとしても不思議はない。すべては「ifの世界」。全体の大づかみのストーリーとしては、いくぶん枯れた世界をさまよい歩いた末に、フィナーレで元気いっぱいのお祭りが幻のように現れる。
●曲の終わり方が余韻たっぷりですばらしい。客席もしっかり沈黙して味わった。大フィルは完成度が高く、芯のある音でパワフル。
●なんとなく、ここにアンソニー・ペインのオリジナル作品を貼っておきたい気がする。アンドルー・デイヴィス指揮BBC交響楽団によるTime's Arrow。
確定申告とマイナポータル、e-Tax

●今年は光の速さで確定申告を済ませた。しんどい作業だが、先延ばしにしているとますます気が重くなるので、早く済ませたほうがよい。ま、そうわかっていても、できないときはできないのだが。
●青色申告をする個人事業者は、確定申告の前に、まず青色申告決算書を作らなければならない。一年分の売上も経費もすべて複式簿記で記帳する。これは普段から記帳をこまめにしておかないと、大変なことになる。以前は会計ソフトを使っていたが、今はエクセル簿記/ExcelBを利用している。秀逸なツール。
●かつては社会保険料などの証明書の類を税務署に郵送していたが、今はe-Taxを使えば紙の書類を送る必要はない。原則としてオンラインで完結する。で、その際にマイナポータルと連携すると、国民年金保険料や寄付金、医療費等の証明書が自動的に取り込まれるようになっている(なぜか国民健康保険料は取り込めないっぽいのが謎)。まあ、便利は便利なのだ。ただ、これがかなり煩雑で、事前にマイナポータル側で準備をしっかりしておかないと使えない。ブラウザ側にも用意が必要だし、マイナポータルからあちこちの外部サイトに行ったり来たりして、一個ずつ準備しなければならない。これ、なんとかやってるけど、この仕組みに付いていける個人事業者はどれくらいいるのかな……と思わずにはいられない。
●マイナポータルとかe-Taxとかねんきんネットとか、それぞれ異なる行政サービスの間をうろうろしていると「デジタルたらい回し」という言葉を思いつく。わけもわからず、こっちの窓口に行ったら、はい、次はこの書類を持ってあちらの窓口へ……って言われる感覚。もう少し自分の理解がしっかりしていれば、いいんでしょうかね。
ケレム・ハサン指揮読響のウンスク・チン、ベートーヴェン、マーラー

●13日はサントリーホールでケレム・ハサン指揮読響。ウンスク・チンの「スビト・コン・フォルツァ」、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番(中川優芽花)、マーラーの交響曲第1番「巨人」というプログラム。ウンスク・チン「スビト・コン・フォルツァ」はベートーヴェンへのオマージュ。冒頭、「コリオラン」序曲のモダン化バージョンみたいに始まり、随所にモダンに変容されたベートーヴェン的なフレーズがさしはさまれる。「スビト・コン・フォルツァ」という題からしてベートーヴェン的。初めて聴いたけど、よく似たアイディアで書かれたイェルク・ヴィトマンの「コン・ブリオ」を思い出す。どっちが先に書かれたのかな……。いや、そういう問題じゃないか。
●ベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番では初めて聴くピアニスト、中川優芽花が登場。ものすごく上手い! 第1楽章の冒頭から一気に引き込まれた。粒立ちのよいタッチで細部まで磨き上げられている。ひとつひとつのフレーズが精彩に富み、決してウェットにならないが、陰影は豊か。第2楽章もみずみずしい。終楽章はもう少し覇気があってもとは思ったが、古典派協奏曲でこれだけ聴かせられる人はなかなかいない。機会があればモーツァルトも聴いてみたいもの。アンコールはメンデルスゾーンの無言歌集Op.67-2。後半はマーラーの交響曲第1番「巨人」。まっすぐ爽快。第1楽章は少し抑制的な気もしたが、第2楽章は切れ味十分、第3楽章の「ぐーちょきぱー」はコントラバスのソロで。第4楽章は勢いよく、一気呵成のフィナーレ。
ポケモンと人間の関係について
●雑誌「SWITCH」3月号の特集は、ポケモン30周年を記念して「ポケモン百景」なのだとか。30年でポケモンの世界がここまで大きく広がったことには驚くばかり。実はわりと最近になって知ったのだが、ポケモンの世界には人間以外の動物が存在しない。動物がいない代わりに、ポケモンたちが棲息するという設定なのだ。となると、食物連鎖はどうなっているのか、疑問がわく。ポケモンの世界で食事シーンが描かれた場合、そこで食べているものが一見、肉に見えたとしても、実は大豆ミートなのかもしれない。全員ベジタリアンなのか、あるいは人間がポケモンを食べることもあるのだろうか。
●私たちの世界には動物と植物がいる。ポケモンの世界には、人間とポケモンと植物がいる。が、この設定は少し奇妙ではある。生物には人間、ポケモン、植物の3種がいるとしたら、人間は唯一の動物ということになるが、それではどんな進化の筋道をたどったのか、説明がつかない。となれば、人間もポケモンの一種と考えるのが合理的だろう。実際に、ポケモンのなかかには、ユンゲラーのようにもとはエスパー少年だったとか、ゲンガーのように人間のなれの果てだとか、人間が変化した種がいくつかあり、あちこちで近縁種としてつながっていそう。生物はポケモンと植物の2種類。そう考えると、すっきりする。人間はおそらくノーマルタイプ。
●それで思い出すのは、ジーン・ウルフ著「ケルベロス第五の首」(柳下毅一郎訳/国書刊行会)。注意深く読まないとなにを読んでいるのかわからなくなるタイプの巧緻な小説で、よく難解と言われる作品だが、この物語にはサント・クロアとサント・アンヌという双子惑星が出てくる。サント・アンヌにはかつて姿を自在に変える原住種族がいたが、植民した人間たちによって滅ぼされてしまったとされている。が、異説として、実はサント・アンヌの種族たちは人間に姿を変え、人間を滅ぼして自分たちが人間として生きるうちに、出自を忘れてしまったのだとも言われる。人間とポケモンの間にも似たような関係があるのかもしれない。
東京オペラシティアートギャラリー 「アルフレド・ジャー あなたと私、そして世界のすべての人たち」

●現在オペラシティのコンサートホールが休館中なので、演奏会のついでにアートギャラリーに立ち寄るというわけにはいかない。が、「アルフレド・ジャー あなたと私、そして世界のすべての人たち」をぜひ見たかったので初台へ。アルフレド・ジャーはチリ出身で、ピノチェト独裁政権を逃れてアメリカに渡ったニューヨーク拠点のアーティスト。非常にメッセージ性の強い作品ばかりで、とりわけ社会の不均衡や政治的集団的な暴力を扱ったものが多い。

●で、これは音楽ファンにも気になる作品だと思うのだが、「彼らにも考えがある」(2012)。手前の丸いオレンジ色は別の作品で(スマソ)、後ろのライトボックスに OTHER PEOPLE THINK と書かれているのが本作。これはジョン・ケージ生誕100年を記念して作られた作品で、ケージが15歳の頃にハリウッド・ボウルでのスピーキング・コンテストのために書いた演説文にちなんでいる。ケージの意図はともかくとして、この作品では「彼らにも考えがある(自分たちだけじゃなくて)」っていうニュアンスが込められている、らしい。文面からは別の受け止め方もありそうだが。

●こちらは「ゴールド・イン・ザ・モーニング」と題されたシリーズの一作。これだけ見てもなんにもわからないが、ブラジル北東部セーラ・ペラーダで金鉱が見つかって、一獲千金を求めて大勢の人々がやってきた。粗末な道具で過酷な労働に勤しむ人々を、撮っている。自発的な労働であるはずだけど、労働者への条件は厳しく、そこには明白な搾取の構造がある、ということを言っている。そう聞くと、じゃあこれはアートなの、素直にジャーナリズムじゃないの、っていう疑問はわく。アートとして読み取ろうとすればいろんな解釈も可能であるにせよ。

●日本を題材とした作品もふたつほどあった。これは「明日は明日の日が昇る」(2025)。ふつうの高さから見ると、床のライトボックスに日の丸があるのが見える。でも、近づいてのぞき込むと、上に星条旗があることに気づく。日米の非対称性がここに。ほかに「ヒロシマ、ヒロシマ」という大掛かりな作品も。

●いちばんいいなと思ったのはこれ。「写真はとるのではない。つくるものだ」(2013)。これは展示の入り口に置かれていて、ポスターが積みあがっている。で、ぜんぶ見た後で、帰りに一枚持ち帰ることになっている(ちゃんと輪ゴムまで用意されている)。減った分は、またスタッフが補充して、立方体に近い形状が保たれるようになっているようだ。喜んで一枚もらって帰った。写真はとるのではなく、つくるもの。みんな、知っている。
Jリーグ百年構想リーグが開幕。マリノスは町田相手に自滅
●Jリーグが開幕。といっても、通常のリーグ戦ではない。8月からの秋春制移行にともなって、今年前半は短期決戦の変則的な「Jリーグ百年構想リーグ」を開くことになった。J1は東西に分けて、地域リーグとしてそれぞれでホームアンドアウェイの総当たりをして、その後、東西同順位のチーム同士で戦って最終順位を決定する。対戦相手が限られているため、あまりワクワクするものではないが、目を引くのは90分で決着がつかない場合はPK戦をするという点。90分で勝てば勝点3、PK戦で勝てば勝点2、PK戦で負けても勝点1がもらえる。初期Jリーグを思わせる懐かしい方式だ。
●現代フットボールでは、勝てば勝点3、引き分けなら勝点1がスタンダード。これは試合の価値が、引き分けでは低くなることを意味する。勝敗がつけばその試合の価値は勝点3だが、引き分けなら両者合わせて勝点2にしかならない。クラシックなサッカーでは勝ったら勝点2、引き分けなら勝点1とシンプルだったので、いかなる試合にも勝点2が割り振られ、全試合が等価だった。で、今回の百年構想リーグでは、引き分けた場合にPK戦の勝者に2、敗者に1が配分されるので、合計の勝点は3。クラシックなサッカーと同じで、引き分けても試合の価値は下がらないのだ。だから数理的には引き分け狙いの戦術の優位性が高まる。とくに個の力で劣るチームは、スコアレスドローを狙ってリスクの少ないサッカーをするのがお得だ。
●となると、つまらない試合が増えそうだが、そこはJリーグもしっかり考えているようで、この大会では降格がない。弱いチームが降格を恐れて引いて守る必要はないのだ。負けても降格しないのなら、おもしろいゲームをしてお客さんを呼んだほうが利益になるかもしれない。
●昨季、マリノスは終盤にボール非保持のサッカーに徹して、残留を勝ち取った。だが、大島監督は今季、アタッキングフットボールへの回帰を掲げている。開幕戦はホームで町田相手に自滅して2-3で敗北。ボール保持率は59%と高かったが、なにせ前半に自分たちのミスだけで3失点したのだから、どうにもならない。そもそもポステコグルー監督以降のアタッキングフットボールとは、個の力で相手を上回っていることが前提になっていた。今のマリノスは、町田との開幕ゲームでも明らかなように、個の力で劣勢なのだ。ただでさえ戦力が足りなかった昨季から植中朝日まで失ってしまった。この戦力でアタッキングフットボールなどやれば、どれだけ失点することか。
●だが、大島監督は圧倒的に正しい。だって、降格がないのだ。フットボールの愉悦を犠牲にして、昨季の終盤みたいなサッカーを続ける理由はひとつもない。3点獲られたのは悔しいが、2点獲れたのはよいこと。思う存分、ハイリスクなサッカーにチャレンジして、ファンを熱くしてほしい。
