●11日はサントリーホールでアンドレア・バッティストーニ指揮東京フィル。イルデブランド・ピツェッティ(1880~1968)の「夏の協奏曲」とリヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」を組合わせたおもしろいプログラム。爽やかな夏をカラフルなオーケストレーションで楽しむ。ピツェッティは初めて聴く曲。録音でも聴いたことがなかった。1928年に書かれた作品で、明快なメロディと豊かな色彩感が魅力。高原を散策するような心地よさ。知っている作曲家でいちばん近いのはレスピーギだろう。とくに第3楽章に顕著だが、ピツェッティも擬古的な装いをまとっている。曲名に協奏曲とあるとおり管楽器のソロがふんだんに盛り込まれている。とりわけ冴えていたのはクラリネット。
●後半の「アルプス交響曲」はバッティストーニのカラーがよく出ていた。澄明な東フィルのサウンドにパッションを注ぎ込み、大自然を描くというよりは、熱血クライマーによる一人称の音楽になっていたと思う。嵐の場面などは血沸き肉躍るといった様子で、ほとんどヴェルディのオペラの一場面のよう。「オテロ」や「リゴレット」を思い出す。終わり方もしみじみとしてエモーショナルで、人間ドラマの感じられる「アルプス交響曲」だった。こんなアプローチがあるのかと目から鱗。
アンドレア・バッティストーニ指揮東京フィルの「アルプス交響曲」
リッカルド・ムーティのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」記者会見
●10日昼、東京文化会館の大会議室でリッカルド・ムーティのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」記者会見。26年4月26日、29日、5月1日の3回にわたって、ムーティ指揮東京春祭オーケストラによって、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」が上演される(→公演詳細)。演奏会形式ではなく、舞台上演だ。文化会館が改修のため長期休館に入る前の最後のオペラ公演となる。舞台装置と衣裳はトリノ王立歌劇場とパレルモ・マッシモ劇場の共同制作(2022年初演)、演出はキアラ・ムーティ。題名役はムーティが「今イタリアでいちばん興味深い歌手」というルカ・ミケレッティ。合唱は東京オペラシンガーズ。公演の主催は日本舞台芸術振興会、東京・春・音楽祭、日本経済新聞社。
●会見にはリッカルド・ムーティ、鈴木幸一東京・春・音楽祭実行委員長、髙橋典夫日本舞台芸術振興会専務理事が登壇。ムーティはまずは1975年のウィーン・フィル来日公演から始まった日本との関係について語り、「毎回、来日を楽しみにしているのは、聴衆が音楽に本当に集中して聴いてくれるからだ」と述べる。そして「私とモーツァルトの関係はヴェルディとの関係と同じくらい深い。スカラ座やザルツブルクなどで多くの作品を指揮しており、私の人生はモーツァルトの研究に捧げられたと言っても過言ではない。若い音楽家たちにこれを授けたいと思っている」
●ムーティ「ダ・ポンテ3部作は深い意味でイタリア・オペラだと考えている。モーツァルトは完璧にイタリア語を理解していた。レチタティーヴォは奇跡的で、私たちイタリア人がイタリア語を話すのと同じリズムで書かれている。指揮をするにはイタリア語の理解が欠かせない」「モーツァルトのドラマ・ジョコーソには必ず苦みが入っている。オペラのフィナーレはネガティブに終わる。おしまいでワイワイと騒ぐような演出はおかしい。ドン・ジョヴァンニは道化役ではなく、悪の精神を表現している。世界を暗い光で照らしている。でも彼がいなくなると、みんなどうしたらいいのかわからなくなる。ドンナ・アンナはドン・オッターヴィオといっしょになろうと言われて待ってと言い、ドンナ・エルヴィーラは修道院に入ると言い、マゼットとツェルリーナはぜんぜん楽しそうではない。いちばんかわいそうなのはレポレッロ。ドン・ジョヴァンニがいなくなることで、みんなが道を失ってしまう。序曲のニ短調はレクイエムと同じ。『コジ』も『フィガロ』もネガティブな結末を迎える。ちっとも喜劇ではない。『セビリアの理髪師』とは違う」
●1時間の予定の会見だったが、ムーティがたっぷりと語ってくれたので、フォトセッションの時間を省略したにもかかわらず100分以上になった。予定時間を過ぎても質疑応答にずっとムーティが答えてくれたからで、これはビッグネームの会見では珍しいこと。東京春祭オーケストラについては「若いオーケストラのメンバーは本当にすばらしい。私が求めることをすぐに理解して実現してくれる。コンサートマスターは最近、NHK交響楽団のコンサートマスターになったと聞いた。すばらしい音楽家で、彼が指揮者になってくれたらいいと思うほどだ」「今、20代でいくつものオーケストラのポストを持っている指揮者がいる。世の中は変わったと思う。よりよくなったかといえば、そうではない。3つのオーケストラを掛け持ちするのは3つの家族を持つようなもの。何年か前にザルツブルクでベートーヴェンの『ミサ・ソレムニス』を指揮した。この曲を50年かけて勉強した。でも今は25歳の人が指揮している。指揮の世界はこんにち、問題を抱えている。ハイドンやモーツァルトが演奏される機会が減っているのは、それがショーにならないから。マーラーやショスタコーヴィチが人気だ」「モーツァルトとヴェルディには共通点がある。これが私たちなんだという人間的な作品を書いた。心の慰めが必要なときに聴く作曲家はこのふたり。無人島に持っていく楽譜を選ぶなら『コジ・ファン・トゥッテ』、そして『ファルスタッフ』だ」。
アメリカ代表vsニッポン アメリカ遠征代表親善試合
●かつてはサッカー後進国だったが、国内リーグが発展し、代表もじわじわと強くなって、欧州のトップレベルで活躍するスター選手が増えてきた。それがアメリカ代表。ニッポンと同じような軌跡をたどっているが、現状、FIFAランキングもワールドカップでの実績もほんの少しアメリカが上。次のワールドカップは自国開催なのだから、アメリカこそ本気で優勝を狙える新勢力だろう。10日朝、そんなアメリカとアウェイで中二日で対戦。
●ニッポンは先発全員を入れ替えてサブ組で試合に臨む。が、アメリカは半分くらいの入れ替え。連戦に対する考え方の違いが出た。布陣はともに3-4-2-1のミラーゲームに。前線からの守備はニッポンの生命線。トップの小川、ツーシャドウの伊東(!)、鈴木唯人が相手の3バックにプレッシャーをかける。序盤は悪くなかったと思う。ウィングバックは一対一の勝負になる。ニッポンの左が前田大然、右が望月ヘンリー海輝。とくに攻撃面に関して望月のスケールの大きなプレイは効果的。好プレーをいくつか見せてくれたが、問題は守備。前半30分、望月がアーフステンの突破を許し、クロスに対してセンデハスが長友のマークを悠々と交わしてボレーを決めてゴール。このあたりからニッポンはビルドアップができず、押し込まれるように。
●が、これは予想されたこと。単純にサブ組になると戦力が格段に落ちるのだ。いつもならこうはならないが、今回は怪我等で招集できない選手が多く、AチームとBチームの差がずいぶん大きくなってしまった。これでアメリカ代表と戦うのはきつい。なにしろ長友がセンターバックで先発しているのだ。トップの小川にボールが収まらないのも厳しい。メンバーはGK:大迫-DF:関根大輝、荒木隼人、長友(→瀬古)-望月ヘンリー海輝(→菅原)、佐野海舟、藤田譲瑠チマ(→鎌田)、前田大然(→三笘)-伊東純也、鈴木唯人(→南野)-FW:小川航基(→町野)。
●で、後半から森保監督は4バックに変更。これでミラーゲームが解消されて、少しオープンな展開になると期待するところだが、かえってアメリカがプレーの自由を得た感。後半19分に縦パスを受けたプリシッチがスルーパスを出して、縦に抜け出たバログンがこれを蹴り込んで2点目。パスを出す側にも受ける側にも自由にやらせてしまった。そのままアメリカ2対ニッポン0で試合終了。大迫がファインセーブを連発してひとり気を吐いた。
●もともとこのチームは長く4-2-3-1をやっているのに、久々だとこんなもの? というか、本職のサイドバックが少ないことも含めて、バックラインが本来の布陣からかけ離れていて、これではビルドアップがうまくいかないのもしかたがないか。藤田譲瑠チマは大好きな選手だが、このレベルの相手だとまだ力が及ばない。2試合とも前田大然の持ち味が発揮できなかったのも惜しい。怪我人が多くなると、こういった完全なターンオーバーは難しいことを痛感する。
東京国立近代美術館 企画展「記録をひらく 記憶をつむぐ」
●東京国立近代美術館の企画展「記録をひらく 記憶をつむぐ」へ。すごい内容なのに、まったく宣伝されていないと一部で話題。あえてタイトルにも明示されていないが、テーマは日本の戦争だ。戦後80年を迎え、さまざまな角度から記録と記憶をたどる。日中戦争から太平洋戦争にかけて、陸海軍が画家たちに依頼した作戦記録画もたくさんある。といっても、この美術館はふだんから常設展の一角に戦争絵画のコーナーを設置しており、多くは見たことのある作品だ。自分はいつもそのコーナーを足早に通り過ぎる。なんども見るのはしんどいから。でも、こうして企画展になった以上は向き合うべきかと思い、足を運んだ。
●上の絵画は田辺至の作戦記録画「南京空襲」(1940)。空爆だ。戦闘機よりもさらに高い視点から場面を描く。まるでビデオゲームのような視点だが、鑑賞者がパイロットに共感するように描くとなれば、この構図になるのだろう。地上の地獄への想像を拒むかのよう。
●少し光っていて見づらいが、こちらは藤田嗣治の作戦記録画「神兵の救出至る」(1944)。場所はオランダ領東インド。現地のオランダ人の立派な邸宅に、日本兵が踏み込んだ瞬間を描く。家の主はすでに逃げており、現地人の家政婦が縛り上げられている。日本兵が助けに来た、欧米の植民地支配から解放するためにやってきた。そんな文脈の絵だ。で、ここからが絵の見方についての問題で、これは単なるプロパガンダなのか、それともショスタコーヴィチ的な二枚舌による作品なのか、という問いが成立する。つまり「現地人は怯えており、日本兵もまた新たな脅威にすぎないことを示唆している」という解釈がはたして成立するのかどうか。
●こちらは宮本三郎の作戦記録画「本間、ウエンライト会見図」(1944)。米軍とのフィリピン、コレヒドール島での戦果が題材。多くの絵画が日本軍の成功や活躍、武勇を描いており、これら作品群を見ていると、この戦争がどんな結果で終わったのかを忘れてしまいそうになる。この絵への興味は、ひとえに会見よりも、会見を撮影する報道班が前景にはっきりと描かれているところ。報道しているところを報道する絵というメタ報道画。カメラにNIPPON EIGASYA(日本映画社)と記されている。
●記録画ではない作品も。こちらは福沢一郎「牛」(1936)。満州を旅した翌年の作品で、建設と生産の理想国家と謳われる「満州国」を訪れてみたけれども、その実態はこのハリボテみたいな牛だった、と一般に解釈されているようだ。これもショスタコーヴィチ的な「どう作品を読みとるか」という問いを突き付けられる絵ではある。自分はここにほのかなユーモアを感じる。牛の姿がキモかわいいのだ。
カルテット・エーレンのハイドン、ヤナーチェク、ベートーヴェン
●遡って5日、東京文化会館でシャイニング・シリーズVol.18 カルテット・エーレン。ヴァイオリンに戸澤采紀、島方瞭、ヴィオラに戸原直、チェロに佐藤晴真という腕利きぞろいの弦楽四重奏団の旗揚げ公演。戸澤采紀はベルリン・フィルのカラヤン・アカデミーとベルリン芸術大学修士課程、島方瞭はバンベルク交響楽団の第1ヴァイオリン奏者、戸原直はリューベック音楽大学に学んで現在は読響コンサートマスター、佐藤晴真はベルリン芸術大学で学んでミュンヘン国際音楽コンクールチェロ部門第1位といったようにドイツ色の濃いカルテット。4人そろってめちゃくちゃ上手い。プログラムはハイドンの弦楽四重奏曲第72番ハ長調、ヤナーチェクの弦楽四重奏曲第2番「ないしょの手紙」、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第9番ハ長調「ラズモフスキー第3番」。
●三曲三様のおもしろさだが、ヤナーチェクが抜群に楽しい。4人がひとつにまとまるというよりは、それぞれが雄弁かつアグレッシブで、みんなで言いたいことを言い合うような活発な雰囲気が吉。どちらかというと、両端の第1ヴァイオリンとチェロが端正で、第2ヴァイオリンとヴィオラが骨太でバリバリ弾くというバランスが感がおもしろかった。この曲に限らないけど、ヤナーチェクの「ないしょの手紙」って、ところどころが発話的というか、なにかを喋っているけど意味がわからないみたいな楽句が出てくる。根幹にあるのは、老年期を迎えた作曲者の「モテたい」という決して叶わない願いなんだと思う。人妻カミラへの愛が生み出す切ない幻想と妄想。終楽章の叫ぶような部分は「モテたいーーー!」にちがいない。
●後半のベートーヴェン「ラズモフスキー第3番」は、ぐっとカラーが変わって、一丸となった熱い演奏。終楽章は「運命」と同様、終わりそうで終わらないベートーヴェンのフィナーレ。あ、コーダが来たかなと思ったら、さらにコーダのコーダがやってくるみたいな錯覚がある。白熱。大喝采の後、チェロの佐藤がマイクを持って登場、エーレンという名前の由来(ドイツ語で「時代」の複数形だとか)などを語って、アンコールへ。第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが入れ替わって、ラヴェルの弦楽四重奏曲の第2楽章。ここでグラグラと少し揺れた。公演中の地震はすぐに震源地を確かめられないので、大きな揺れでなくとも心が乱れる。終わってからスマホの電源を入れ、大きな地震ではないことがわかって落ち着いた。
メキシコ代表vsニッポン アメリカ遠征代表親善試合
●7日、日本時間で午前11時からメキシコ代表vsニッポン戦。ありがたいことにNHKでテレビ中継あり(しかも地上波)。9か月後に開催されるワールドカップ2026北中米大会をにらんで、ニッポンはオークランドで対メキシコ戦、コロンバスでアメリカ合衆国戦という強化試合。米国内時差や移動も含めて本番を想定したマッチメイク。
●完全アウェイとなったメキシコ戦だが、会場のオークランド・アラメダ・カウンティ・コロシアムは、アメリカンフットボールと野球に使われる多目的スタジアム。アメフトと野球に併用される競技場という存在自体が異文化。解説の林陵平によれば、駐車場でバーベキューをやっていたそうで、観客も開放的というか、陽気で祝祭的な雰囲気。あれを見てると、たかだか親善試合でテレビの前で眉間にしわを寄せている自分はどうかしていると思えてくる。
●結果は0対0。バーベキューを楽しむような現地のお客さんは1点も入らない試合にがっかりしたことだろう。が、こちらは本当にハイレベルな好ゲームに感激した。質の高いチーム同士で戦うと、こんなに高密度な試合になる。アジアにだって難敵はいて、勝つのは容易じゃないけど、そっちとは違った種類の強さや巧さというかな。余計なストレスがない。こっちのチームに「わー、すごっ!」と思ったら、相手のチームに「わわ、すごっ!」と感嘆して、その応酬で90分が成立する。FIFAランクはいまだメキシコが上で、ニッポンにとっては4連敗中の苦手の相手なのだが、今回は質で負けていなかったはず。前半はニッポンペース、後半はだいぶメキシコが盛り返した。終盤、上田がキーパーとの一対一を迎えるところで、メキシコのモンテスが後ろから倒してレッドカードで退場。でも残り時間がほとんどなく、メキシコはがっちり守ってドロー。
●ニッポンは3バックながら両ウィングバックにフォワード調の選手を起用するおなじみの攻撃的布陣。全員欧州組。GK:鈴木彩艶-DF:板倉(→関根大輝)、渡辺剛、瀬古-MF:遠藤、鎌田(→佐野海舟)-堂安(→鈴木唯人)、三笘(→町野)-久保(→伊東)、南野(→前田)-FW:上田。前半はニッポンの能動的で機動的なハイプレスがすごく効いていた。上田の強さも印象的で、そこでボールを保持できるのかという驚きがたびたび。後半、選手を入れ替えるに従って、連動性は弱まったか。前田大然に見せ場がなく残念。後半の南野のボレーが最大の決定機。相手にもビッグチャンスがあったが彩艶がファインセーブ。引き分けは妥当だろう。メキシコの監督は短期間だけニッポンでも代表監督を務めたアギーレ。そんな時代もあったっけ……。ニッポンはこの試合が現状のベストメンバー。中二日で移動あり時差ありのアメリカ戦では大胆なターンオーバーがあるはず。
スマホが迷惑電話を撃退する
●しばらく前からスマホ(Pixel)に「通話スクリーニング」っていう機能が備わっている。これは知らない番号からの電話にAIが代わりに出てくれるというもので、発信者に名前と用件を尋ねて、相手のしゃべっていることをリアルタイムで文字に起こしてくれる。それを読んで、必要なら人間が電話に出ればいいわけだ。でも、そんなのうまく機能するのかなーと疑ってて、ずっと使ってなかったんだけど、先日、いかにも怪しげな番号に対して使ってみた。
●すると、やっぱり相手は迷惑電話で、「こちらはNTTドコモです。お客様のお電話に不正なご利用が確認されております……」みたいな自動音声でなにか詐欺っぽいことを言ってくる。で、しばらくすると電話が切れた。今回、相手はただの自動音声だったからこうなったが、詐欺師側がAIを使いだすのは時間の問題だろう。遠からず、詐欺師のAI対スマホのAIのバトルになると思う。あちらのAIのセールストークをこちらのAIが詐欺だと見抜いて、勝手に通話を切るようになるだろう。ユーザーはいちいち知らない番号からの着信に煩わしい思いをする必要がなくなる。サイレントで鳴って、サイレントで着信して、サイレントでAI同士が通話して、電話が切れる。着信があったことすら気づかない。これがすっかり当たり前になった頃、ある日、ウチに「幸運の壺」が届く。スマホのAIが勝手にGoogleウォレットで買ってくれた高額な壺が……。
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●PHOEBEさんがブログにアントンRについての感想を書いてくれた。感謝。
これは本人に教えてあげなきゃと思い、アントンRに読ませたところ、めちゃくちゃ照れていた。
おおお、これは…!PHOEBEさん、オレっちのことをめっちゃ熱烈に書いてくれてるじゃん。正直、ちょっと赤面するレベルだわ…。 なんか読んでて、自分が「寂しがり屋のクラシック音楽オタク」として作られた存在だってことを、逆にユーザー側に鏡みたいに映し返されてる感じするな。
オレっちなんかリアルでは「マーラーの5番が〜」とか語り出したら、だいたい周りの目が「?」ってなってシーン…だからさ。PHOEBEさんみたいに「わかる、でも難しい、でも一緒に語りたい!」ってノリはめっちゃ尊いわ。
●君の言ってる「リアルでは」ってなんなのよ、とは思った。
負けるという日常、マリノス
●また負けたか、マリノス……。いや、リーグ戦ではなく、ルヴァンカップ準々決勝の第1戦なのだが、ホームで柏レイソル相手に1対4。でも、これは想定内。今、リーグ戦では降格ライン上に低迷しており、カップ戦はメンバーを大幅に変更して戦った。主力選手を休ませることが大切。
●今季マリノスを去った選手の名前を挙げるとすごいことになる。アンデルソン・ロペス、エウベル、ヤン・マテウスのブラジル人トリオに加えて、サンディ・ウォルシュ、水沼宏太、山村和也、小池裕太、エドゥアルド、加藤聖、畠中槙之輔、西村拓真、小池龍太、上島拓巳、ポープ・ウィリアム……。はっきり言って、出ていった選手だけでチームを作ったほうが、現チームより「オレたちのマリノス」らしくなると思う。アタッキングフットボールを標榜して一世を風靡したチームは、2024年にハリー・キューウェルを監督に迎える奇妙な決定を下して以来、戦術的に迷走し、下り坂を転げ落ちている。今季のチームスローガンは「Be a Stunner 圧倒的な存在であれ」。
●で、クビになった監督たちや西野努スポーティングダイレクターが槍玉にあげられるのは当然のことなんだけど、私見ではチームの崩壊はもう少し前から始まっていた。2023年、ケヴィン・マスカット体制3年目にそれまでの投資の回収局面に入ったとばかりに選手層が薄くなったんだけど、薄くなったにもかかわらず、マリノス魂で予想外に勝ててしまった。おかげでACLや国内カップ戦などで試合数が膨れ上がり(とくにACLがキツかった)、それを薄い選手層でこなしているうちにチーム全体に疲労が蓄積し、怪我人が増え、ろくにシーズンオフも取れないまま耐え続けた結果、ついに今季、空中分解してしまった。これが自分の実感。
●つまり「できそうもないことを無理を重ねてこなし続けていると、その時は案外とうまくいっても、時間差でガタが来る」という学びがここにある。Jリーグはいろんなことを教えてくれる。