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March 6, 2026

ベルリン古楽アカデミー Bach's Universe I Pure Bach

TOPPANホール ベルリン古楽アカデミー
●4日はTOPPANホールでベルリン古楽アカデミー(AKAMUS)。コンサートマスターは平崎真弓、オーボエはクセニア・レフラー、チェンバロはラファエル・アルパーマン。バッハを巡る2夜にわたる公演で、その第1夜 Pure Bach を聴く。オール・バッハ・プログラムで有名曲がたくさん並ぶ……と思いきや、異稿とか復元作品多めで、微妙に知ってる世界と違うパラレルワールド感あり。
●プログラムは管弦楽組曲第2番イ短調(ソロ・ヴァイオリン付き第1稿)、オーボエ・ダモーレ協奏曲イ長調BWV1055R(ただし第2楽章が「復活祭オラトリオ」のアダージョ)、ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調、オーボエ協奏曲ト短調 BWV1056R、チェンバロと2本のリコーダーのための協奏曲ヘ長調(ブランデンブルク協奏曲第4番からの作曲者自身による編曲)、2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調。全体として、真摯で峻厳で、推進力に満ちたバッハ。しばしば舞踊性も感じる。躍動感あふれる平崎真弓のヴァイオリンがアンサンブルを牽引する。オーボエの音色がたまらない。甘さだけではなくワイルドな酸味もあってパンチが効いている。あと、演奏が始まってようやく気がついたけど、2本のリコーダーのソリストは、ファゴットのクラウディウス・カンプとオーボエのレフラーなのだった。濃密な演奏を堪能し、最後にアンコールとしてエア、いわゆる「G線上のアリア」。
●バッハの協奏曲、どれも最高の作品なのに、数が限られていることだけが惜しい。ヴィヴァルディみたいに600曲書いてくれとは言わないけど、せめて100曲くらい残してくれていればなあ。
●オーボエ・ダモーレ協奏曲イ長調BWV1055R、これはチェンバロ協奏曲第4番イ長調として親しんでいるわけだけど、ほかの独奏チェンバロのための協奏曲と同様、別の楽器からの編曲だったと考えられており、原曲はきっとオーボエ・ダモーレ協奏曲だろうということで復元バージョンもけっこう演奏されている。まあ、でもそう言われても、第1楽章の晴れやかな曲想なんてチェンバロにぴったりで、くすんだ音色のオーボエ・ダモーレが原曲なんてこと、あるかな?って、感覚的には思ってしまうのだが。終楽章もスピード感があって、颯爽としてはじける感じだし……。で、それはともかくとして、この日は第2楽章がなじみのあるものとは違っていて、「復活祭オラトリオ」の序盤のアダージョをもとにした楽章になっていた。なぜそういうことになるのか、ワタシは知らないんだけど、解説を読んでブルース・ヘインズも同様のやり方で録音していると知ったので、該当の音源を以下に貼り付けておこう。と、思ったら音源がSpotifyに見つからなかった! Naxosで NATURALLY BACH をアルバム検索すると出てきます。

March 5, 2026

東京文化会館 2026年度主催事業ラインアップ記者発表会

東京文化会館 野平一郎音楽監督
●4日午後は東京文化会館の2026年度主催事業ラインアップ記者発表会へ。5月より文化会館は工事休館に入るわけだが、主催事業は都内各所で継続して開かれるということで、その概要について野平一郎音楽監督(写真)らが登壇して語ってくれた。代替となる会場は多岐にわたっていて、たとえば8月の東京音楽コンクールの本選および優勝者&最高位入賞者コンサートは東京芸術劇場、第2次予選はすみだトリフォニーホール小ホールで開かれる。プラチナ・シリーズやシャイニング・シリーズは浜離宮朝日ホールやサントリーホール ブルーローズへ。
●で、目玉公演ともいうべき野平一郎プロデュース「フェスティヴァル・ランタンポレル」は27年2月24日から3月1日に浜離宮朝日ホールで開催される。3年目を迎える同音楽祭は、現代音楽を限られた専門的な聴衆だけのものにするのではなく、幅広い聴衆に足を運んでもらうことを目的としている。少し先の話になるわけだが、チェコの作曲家オンドレイ・アダメクが来日する。今、大活躍中の人みたい。たしかベルリン・フィルの委嘱作がDCHで紹介されていたと思う。本人のビデオメッセージが流され、かつて京都にもしばらく滞在していたことがあるそうで、演奏される作品のなかには Imademo(今でも)という日本語由来の曲名があった。アダメクとドヴォルザークを組合わせたプログラムなどが用意される。また、現代音楽と無声音楽のコラボレーション「IRCAMシネマ」では、パーカッションのイサオ・ナカムラが出演。
●休館中の音楽資料室の話はどれくらい知られているだろうか。この4月より休室となり、夏以降に移転して再開する。移転先は青海フロンティアビル。
●今回の大規模改修工事に伴う長期休館だが、いつから休館するかははっきりしているが、どんな資料を見てもいつから再開するのか、明確に書かれていない。東京都のサイトには休館期間が令和8年5月7日~令和10年度中(予定)と記されている。再開日について質疑応答で尋ねてみたところ、工事の入札がこれからなのでまだ確定していないという話だった。

March 4, 2026

国立新美術館「テート美術館 YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」

テート美術館 - YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート
●久々に国立新美術館へ。現在「テート美術館 YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」展が開催中。80年代後半から00年代初頭にかけての英国のアートに焦点を当てる。YBAは「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト」の意。大まかなキーワードを挙げるなら、人種差別、格差、エイズ、同性愛、ジェンダー、IRA、サッチャー政権あたりか。閉塞的な空気を打ち破ろうとするような作品が並ぶ。なにせキービジュアルが上のような感じだったので、平日昼間でも年配層はほとんど見かけず、高感度な雰囲気の若者たちでいっぱい。本当に美術展というのは展示の中身で客層がガラッと入れ替わる。
クリス・オフィリ「ユニオン・ブラック」
●上からぶらさげられているのは、クリス・オフィリの「ユニオン・ブラック」(2003)。英国旗の3色、白青赤を、アフリカ系の人々の解放と自由を掲げる汎アフリカ主義運動で用いられる緑赤黒に置き換えている。説明を見ずとも、アフリカが感じられるのでは。

リサ・ミルロイ「フィンズベリー・スクエア」
●これは妙な静けさがあって気になった。リサ・ミルロイの「フィンズベリー・スクエア」(1995)。新築のオフィスということなんだけど、人の気配、生物の気配がなく、「真新しい廃墟」みたいな印象を受ける。ぱっと見、きれいだけど、ゾワッとするタイプの絵。

コーネリア・パーカー「コールド・ダーク・マター:爆発の分解イメージ」
●コーネリア・パーカーの「コールド・ダーク・マター:爆発の分解イメージ」(1991)。これは説明を読まなきゃわからないと思う。IRAによる爆破事件が続いた時期、作者は英国陸軍に庭の物置小屋を爆破してもらい、その残骸を拾い上げて天井から吊るし、中央に電球を配置して、爆発の瞬間を再構成した。大作。

●いちばんおもしろいと思ったのは、上の映像作品、マーク・ウォリンジャーの「王国への入り口」(2000)。これは本当におかしい。映像はロンドン・シティ空港の到着ゲートから出てくる人々をとらえている。で、これに付けた音楽がアレグリの「ミゼレーレ」。笑。空港が礼拝堂のような厳かな雰囲気で満たされ、ゲートから出てくる人たちひとりひとりが特別な思いを秘めているように見えてくる。いや、実際にそうなのかもしれないのだが。なんの変哲もない場面が、入国の儀式として再定義され、すべてが意味深長。この映像を眺めるだけでもおもしろいけど、実際の展示は格段にドラマティック。秀逸なアイディア。
●90年代っていうとアート全体の文脈で見ればモダンってことだろうけど、30年前っていう意味ではレトロでもある。全体としてどっちだって言われたら、レトロかな。古めかしい雰囲気を感じるものもあれば、もちろん切っ先の鋭さを今も失っていない作品もある。

March 3, 2026

AIと呼ばれるものの仕組み

思考するAIと人間
●日々AIを使用していると、つい彼ら(とあえて擬人化するが)の本質を忘れてしまいそうになる。このあたりで現時点でAIがどういうものかを、自分なりに整理しておきたい。まず基本は「AIは知識データベースではなく、言語モデルである」ということ。ChatGPT(チャッピー、アントンR)、Gemini、Claude、ぜんぶそうだ。彼らを知識データベースのように使うと、おかしなことになる。AIは大量のテキストを学習したうえで、「この単語の次には、この単語が来る確率が高い」という計算を行っている。だから、学習データが豊富な領域では有用な答えを返してくれるが、もともと学習データが薄い領域でなにかを尋ねると、平気でデタラメを返してくる。それは知識の抜けを確率的に高そうな言葉で埋めているから。彼らは「正しい答え」を探しているのではなく、常に「もっともらしい次の語」を生成している。
●だから、AIは思考していない……と最初は思うんだけど、じゃあ、人間はなにが違うんだ、という疑問もわく。人間だって、たいていは確率的にもっともらしい返答をしているだけでは。挨拶はその典型だし、日常的な雑談でも、思考しているのか、条件反射的にもっともらしい返答をしているだけなのか、微妙なところ。一日の間で、本当に「思考している時間」はどれくらいあるだろう。そもそも思考とはなんなのか。思考から言語が生まれてくるのか、それとも言語が先にあってそこから思考が生まれているのか(そんな気がしない?)。後者はかなり「言語モデル」的だ。
●いやいや、待て待て、AIはすべてが帰納的だが、人間は演繹的な思考もするじゃないか。そういう反論もありうる。たとえば、AIは計算をしない。しているように見えても、それは膨大な学習データから計算結果を探してくるだけ。数学的なロジックを解いているのではなく、「計算のプロセスと結果のパターン」を言語として処理している。だから、複雑性の高い計算だとふつうにまちがえる。もっとも、最近のGeminiなどは自分が計算に弱いことを自覚しているので、複雑な計算に対しては内部で計算をするためのPythonコードを組み立てて、そのコードを実行する(!)という、実に言語モデルらしい解決策を身につけているらしい(本人談)。もちろん、AIをPCやスマホの外部アプリ(たとえば電卓)と接続すれば簡単に計算できるが、セキュリティの問題もあるので標準ではそうなっていない。
●人間がなにかの拍子に新しいアイディアを思いつくのは、脳内のネットワークがランダムな結合を起こすからだと言われる。AIにも似たような仕組みがあって、「温度」という内部的な設定値がある(これはChatGPTもGeminiも同じ表現をしている)。「温度」を上げると、確率的にもっとも高い選択肢以外からも言葉を選んでくる。たとえば、ある単語の次に来るのが、A:60%、B:25%、C:10%、D:5%といった確率分布になっているとき、常にAだけを選んでいると毎回同じ文章になるし、表現も単調になってしまう。ときにはB、ひょっとするとCも選ばれる。これを「温度」と表現するのは統計力学からの比喩で、低温ならもっとも確からしい状態に収束するし、高温なら多様で予測不能な反応が生まれる。AI側はプログラミングや翻訳をしてほしいと言われたら「温度」を低く設定するし、詩やキャッチコピーを書いてほしいと言われたら「温度」を高く設定する(とGeminiは言っている。ChatGPTは少し違う表現なのだが、今は割愛)。
●AIにとっては日本語や英語のような自然言語も、PythonやC++のようなプログラミング言語も、本質的には同じで、すべてトークン列でしかない。内部的には「トークン→ベクトル→次トークン予測」という仕組みで処理している。ただ、プログラミング言語は文法が厳密で、なにかを誤れば動作しないので、「温度」は低い。自然言語は冗長性が高いので「温度」を高くする余地がある。
●昨今のAIの発明の肝は、「十分に大規模な言語モデルを構築すれば、それが人工知能として機能する、すなわち実質的に思考しているのと変わらない結果を出力する」ということなんだと思う。出力が思考のプロセスを模倣できているのなら、内部のメカニズムが生物学的である必要はない。つまり、「思考」と「意識」を切り離すことに成功している。

March 2, 2026

N響 ドラゴンクエスト・コンサート ~導かれし者たち~

N響 ドラゴンクエスト・コンサート
●27日は東京芸術劇場で「N響 ドラゴンクエスト・コンサート ~導かれし者たち~」。下野竜也指揮NHK交響楽団により、すぎやまこういちの交響組曲「ドラゴンクエストIV 導かれし者たち」が演奏された。昨年のドラクエ3に続いて、今回もプログラムノートの原稿を執筆させてもらった(感激)。ちなみに、1990年リリースのドラクエ4最初の録音を担ったのが作曲者指揮のN響だった。今回は東京芸術劇場、パルテノン多摩、森のホール21(松戸市文化会館)の3会場での開催。N響の主催公演。チケットは完売。
●ドラクエにかんしては、みんなそれぞれに思い入れがあって、その形はさまざまだと思う。昨年もそうだったけど、開演前から客席にひりひりするような空気が流れていて、雰囲気としては「これからバーンスタインがマーラーの9番を振ります!」くらいの期待感。やはりN響がドラクエを演奏するとなると、一期一会の伝説が求められているというか。ドラクエファン向けの演出とかドラクエトークなどは一切なく、ふつうの定期公演と同じように100パーセント、音楽だけを味わう公演。下野&N響は細部まで磨き上げられた演奏で、定期公演と変わらない集中度。重厚なN響の音がする。ある意味、ゲーム音楽のお客さんのほうがシビアな面もあると思うんだけど、期待通りの壮大かつ緻密なサウンド。満喫。
●もともとのドラクエ4はファミコンソフトで、自分もリアルタイムで「ピコピコ音」を聴きながらプレイしていたわけだが、作曲者の頭にあったイメージは常にオーケストラのサウンド。それをいちばん強く感じたのは「海図を広げて」かな。柔らかく流麗な音の質感はオーケストラならでは。
●ゲームとしてのドラクエ3はシリーズの正典とも言うべき本格派の大長編だったが、ドラクエ4は章ごとに主人公が変わるオムニバス形式を採用した変化球だった。そんなゲームの性格の違いが、音楽にもうっすらと反映されていると思う。ドラクエ4のほうがトリッキーな要素がある。
●アンコールは「ドラゴンクエストV」の「結婚ワルツ」。楽員退出後も拍手が止まず、なんと、下野さんのソロ・カーテンコールが実現。客席の大半がゲーム音楽のファンでも、やっぱりそうなるんだと感動。

February 27, 2026

工藤重典プロデュース 東京チェンバー・ソロイスツ Vol.4

工藤重典プロデュース 東京チェンバー・ソロイスツ Vol.4
●25日は東京文化会館の小ホールへ。重鎮、工藤重典が率いる東京チェンバー・ソロイスツの第4回公演。工藤重典のフルート、森下幸路のヴァイオリン、中村洋乃理のヴィオラ、村井将のチェロ、リチャード・シーゲルのチェンバロによる室内楽の一夜。プログラムが最高で、聴きたい曲ばかり。編曲ものも含むが、前半がJ.C.バッハのフルート、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのための四重奏曲ハ長調op.19-1、大バッハの「音楽の捧げもの」からトリオ・ソナタ、ジョリヴェのクリスマス・パストラル(fl,vc,cemb)、イベールの2つの間奏曲(fl,vn,cemb)、フランセの五重奏曲(fl,vn,va,vc,cemb)、後半がモーツァルトのディヴェルティメント第17番二長調K334より第1、3~6楽章(fl,vn,va,vc)。円熟味豊かな音の語らいをたっぷりと楽しむ。前半は一曲ずつ工藤重典がマイクを持って曲を案内するスタイル。
●クリスティアン・バッハで始まって、モーツァルトで終わるのは意図を持った構成だろう。クリスティアン・バッハからモーツァルトへの影響はよく指摘されるところだが、とくにこのフルート四重奏曲はモーツァルト的。モーツァルトの曲といってもよいほど……と言いたくなるところだが、実際にはモーツァルトのフルート四重奏曲がクリスティアン・バッハ的なんだと思う。細かく言うと、4曲あるモーツァルトのフルート四重奏曲のうち、第1番は正真正銘モーツァルト的なインスピレーションにあふれていると感じるけど、ほかの3曲はだいぶまだら模様というか、ホントにモーツァルトかなあ?的なところもちらほら。ジョリヴェのクリスマス・パストラルとイベールの2つの間奏曲の対比も吉。ジョリヴェ作品はこの題材なので呪術的魔術的雰囲気は控えめだけど、そうはいってもジョリヴェ。ジョリヴェとイベールにフォースのダークサイドとライトサイドの対照を感じる。そして、フランセに感じる量産型洒脱という才気。
●後半、モーツァルトのディヴェルティメント第17番K334は傑作中の傑作だと思うが、ホルン2本が入る原曲に対して、フルートと弦楽器による編成は異質。この編曲ではランパルが録音していたっけ。原曲にある秋めいた色調に代わって、フルートの清爽さが際立つ。第2楽章が省かれていたのは、時間の都合だろうか。この曲、自分は最初にカラヤン指揮ベルリン・フィルの録音で知って大好きになったのだが、今カラヤンを聴くと重戦車みたいなモーツァルトでたじろぐ(好きだけど)。
●アンコールに大バッハのシチリアーノ。カーテンコールの写真オーケーって書いてあったのに、うっかりして撮るのを忘れてた。惜しい。

February 26, 2026

川瀬賢太郎指揮名古屋フィル 東京特別公演 2026

川瀬賢太郎 名古屋フィル
●24日はサントリーホールで川瀬賢太郎指揮名古屋フィルの東京特別公演。プログラムは武満徹の「系図 若い人たちのための音楽詩」(語り:五藤希愛、アコーディオン:大田智美)、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。コンサートマスターは小川響子。「英雄の生涯」に英雄の伴侶が登場するので、この日のテーマは「家族」か。
●武満徹の「系図」は近年演奏される機会の多い曲だと思うが、ライブで聴くと編成の大きさにびっくりする。朗読中心の作品だから、ふつうに考えればコンパクトな編成でよさそうなものだが、厚い響きで、輪郭が少しぼやけたおぼろげなニュアンスを醸し出す。日常と非日常のあわいを感じさせるというか。谷川俊太郎の詩ありきの作品で、少女を通じて描く家族の肖像から見えてくる「平凡な物騒さ」にゾワゾワする。少女らしさを無垢に回収するのではなく、イラッと来る幼さまで表現されているのがこの詩。朗読は五藤希愛、15歳(!)。設定に合致した年齢だが、15歳でこんな大役を堂々とこなせることにひたすら感心。この役、18歳以上なら「若い女性」だと感じるけど、15歳だと本物の「子ども」。等身大の表現が詩に込められた危うさ、生々しさを伝える。
●後半の「英雄の生涯」は壮大でパワフル。完成度が高く、オーケストラの機能性が存分に発揮されていた。川瀬賢太郎らしい前へ前へと進む推進力は健在。気迫のこもった冒頭の後、「英雄の敵」に入るとフルートから始まる管楽器による嘲笑が思い切りよく、痛快。コンサートマスター演じる英雄の伴侶もまれに見る強烈さ、鮮烈さ。すごくうまい。描写性が高く、戦闘シーンはスリリング。全体としては陶酔感は控えめで、精悍でマチズモ的な英雄像が築かれていた。ビターテイストの「英雄の生涯」。

February 25, 2026

新国立劇場 ヴェルディ「リゴレット」 エミリオ・サージ演出

新国立劇場 「リゴレット」
●23日は新国立劇場でヴェルディ「リゴレット」。エミリオ・サージ演出の再演。ダニエレ・カッレガーリ指揮東京交響楽団で、ウラディーミル・ストヤノフの題名役、中村恵理のジルダ、ローレンス・ブラウンリーのマントヴァ公爵、斉木健詞のスパラフチーレ、清水華澄のマッダレーナ、友清崇のモンテローネ伯爵他。声が強くて立派なリゴレットと、凛々しく抒情的なマントヴァ公爵というコンビ。ジルダは可憐ながらも強い娘。オーケストラは激情を煽るというよりは端正で、響きのバランスがとれており、過不足なくドラマを伝える。舞台は少し不思議なところもあるけど、基本的にはオーソドックスな演出。幕切れで上から降りてくる赤いシャンデリアとか後方に並ぶ女性たちはどう受け止めればいいのか。
●「リゴレット」はこれ以上はないというくらい痛ましい物語なんだけど、実は案外と抵抗なく観れる(「椿姫」のほうがずっとしんどい)。名曲ぞろいだから聴きたくなるというのもあるけど、やはり悲劇の主体であるリゴレットがイヤなヤツだから、結末への忌避感が薄いんだと思う。むしろジルダ側で観るというか。気の毒だけど、リゴレットはすべてにおいてまちがっている。権力者の側に立って他人を嘲笑する。娘を教会以外のどこにもいくなと家に閉じ込める毒親。その教会で公爵に見染められる。娘に止められても復讐のために公爵を暗殺しようとする。そして自分が雇った暗殺者によって、娘が殺される。モンテローネに呪われるまでもなく、最初から破滅が待っていた気もする。
●でも、リゴレットは真実の愛を知る男でもあるんすよね。亡くなった妻とは愛情で結ばれていたわけだし、ジルダという娘もいる。それに比べると公爵は孤独。権力によって放蕩を尽くしているけれども、ジルダと出会うまでは本物の愛を抱いたことがなかった。そのジルダが死んだのだから、モンテローネの呪いは公爵に対しても有効だったのだろう。この人はこれからもずっと権力だけを頼りに生きることになるにちがいない。「女心の歌」って、寂しい男の歌だと思う。
●最後の場面で、死んだはずの公爵が歌う「女心の歌」が聞こえてきて、リゴレットは幻聴かと疑う。でも、幻聴ではなく、公爵は生きている。そこで死体袋を開くと、身代わりになったジルダが入っている。あそこでジルダが歌うじゃないっすか。あのジルダの台詞こそリゴレットの幻聴だと思う。スパラフチーレとマッダレーナが何度も何度も刺してるのに、息があるはずがない。
●合唱がハミングで歌う嵐の場面から、嵐が収まるところの音楽は、いつもベートーヴェン「田園」の第4楽章から第5楽章に移る場面を連想する。
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●宣伝を。昨年に続いて今年もテレ朝POSTに第34回出光音楽賞受賞者ガラコンサートの取材記事を寄稿。長丁場の取材の成果。公演の模様は2月28日の「題名のない音楽会」(テレビ朝日)で放送される。

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飯尾洋一(Yoichi Iio)

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