●話題を呼んだミステリー小説、夕木春央著「方舟」(講談社文庫)を遅ればせながら読む。えっ、これってこんな話だったんだ、と読後に茫然。形式的にはまったく古典的なミステリーになっている。外部との連絡がつかない空間に総勢11人が閉じ込められる。そこに殺人事件が起きる。この中にだれか必ず犯人がいるはず……という状況。さらに閉ざされた空間から脱出するためには、だれかひとりが犠牲にならなければならないという条件が加わる。登場人物のひとりが探偵役となって、犯人探しが進む……。
●という、あらすじを知って、最初はなんだかイヤな話だなと思って、スルーしてしまったのだ。が、あまりに評判が良いので読んでみたら、抜群におもしろい。イヤな話なんだけどイヤじゃないともいえるし、イヤじゃないけどイヤな話とも言える(どっちなんだ)。
●これって、オペラにも通じるんだけど、様式化されていれば悲惨な話も読める、ってことだと思うんすよね。つまり、オペラって、ひどい事件ばかり起きるじゃないすか。もしオペラの描写がすごくリアルだったら、ワーグナーとかヴェルディみたいに次々と人が命を落とす作品なんて、後味が悪すぎて絶対に観てられない。でもオペラっていう形に様式化されているから、陰惨な話でも受け入れられる。それと同じで、ミステリーっていうジャンル小説内に描写が留まっていれば、殺人事件も読書の楽しみのなかに収まる。なので、古典的な様式というものはちゃんと目的があって使われるのだな、というのが最大の感想。
「方舟」(夕木春央)
シューマン・クァルテット ベートーヴェン・サイクル I
●11日はサントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン 2025で、シューマン・クァルテットのベートーヴェン・サイクル第1夜。会場はブルーローズ(小ホール)。エリック・シューマン、ケン・シューマン(ヴァイオリン)、マーク・シューマン(チェロ)のシューマン3兄弟にヴィオラのファイト・ヘルテンシュタインが加わったクァルテット。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲を6公演にわたって演奏する。初日は弦楽四重奏曲第1番、第7番「ラズモフスキー第1番」、第16番で、初期・中期・後期のヘ長調プロ。初日に最初の作品と最後の作品を組合わせて Alpha and Omega と題を掲げる。休憩は「ラズモフスキー第1番」の後なので、前半が長い。
●きわめてクオリティが高く、練り上げられたベートーヴェン。とくに前半は圧倒的なスケールの大きさ。第1番がまるで中期作品のように雄大に感じられる。白眉は第2楽章で、深く感情を揺さぶる音楽。続く「ラズモフスキー第1番」はさらに巨大な音楽となって、ほとんど交響曲的。重厚な本格派のベートーヴェン。後半、第16番は作品の性格の違いもあり一転して軽やかでウィットに富んだ雰囲気。ふふと笑みを漏らしたくなるような瞬間もたびたび。長い前半に対するエピローグ的な印象を受ける。アンコールはなくても十分かな、とも思ったが、エリックの日本語のあいさつがあって(日本にルーツを持つ)、翌日の先取りで弦楽四重奏曲第2番の第3楽章スケルツォ。今回のサイクルはかなり聴きごたえのあるものになるのでは。
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●同日、天皇杯でマリノスはJFLのラインメール青森に0対2で完敗。1部リーグのチームがホームで4部リーグの相手に負けたことになる。マリノスが情けない? いやいや、JFLの試合をたくさん観てきた自分に言わせれば、これは日本サッカー界の成果。むしろ誇らしい気分すらある。青森にはJFL勢の底力を見せるために、次戦も勝ち抜いてほしい。
ニッポンvsインドネシア@ワールドカップ2026 W杯アジア最終予選
●先週、アウェイのオーストラリア戦でついに敗れたニッポンだが、ホーム(市立吹田サッカースタジアム)に帰ってのインドネシア戦では見違えるほど攻撃の質が上がって、派手なゴールラッシュに。なんと、6対0。ゴールは前半に鎌田、久保、鎌田、後半に森下、町野、細谷。森保監督は予想通り、選手を大幅に入れ替え、新戦力もテスト。新しい選手が多かっただけに、アピールの姿勢が強く、大差がついた後も攻め続けた。
●インドネシア代表の選手たちは、ほとんどが帰化選手。先発11人中9人だったかな。インドネシアにルーツのあるオランダ人選手が中心の模様。かつでオランダ代表の左サイドバックにファン・ブロンクホルストっていう選手がいたじゃないすか。バルセロナでもレギュラーだった名選手。彼がインドネシア系オランダ人で、「アジアの血筋をひいていてもヨーロッパの超一流選手になれるのか」と感心していたけど、それが今は逆流して、インドネシア代表の選手がオランダ人ばかりになった。で、監督まで元オランダ代表のスーパースター、パトリック・クライファートになってた! びっくり。でも選手がオランダ人なら、監督もオランダ人になるのは道理か。
●ほとんどニッポンが攻め続けたという意味では、先週のオーストラリア戦も今回のインドネシア戦も同じ。でも、結果はまるで違う。オーストラリア代表にはポポヴィッチ監督の戦略があった。たとえホームゲームでも、とにかく堅く守って、わずかなカウンターのチャンスに賭けるという戦略。守り切ってドローでもよし、あわよくばカウンターで仕留めて勝つ。その「あわよくば」が試合終了直前の最高のタイミングで実現したわけで、ポポヴィッチ監督は笑いが止まらなかっただろう。一方、クライファートはアウェイなのに、オープンに攻め合って、6失点してしまった。耐えて守る戦術などクライファートのサッカー観に合致しないということなのか、オーストラリアの戦い方を参考にする気はなかった模様。それはそれで立派かも。それにしてもインドネシア代表の選手たちのフィジカルコンディションがもうひとつというか、走り負けている感じもあった。あと、チーム一丸となって戦う雰囲気もぜんぜんなく、個人の集合体みたいな感じ……あ、でもそれがオランダの流儀なのか?
●ニッポンは久保がキャプテン。遠藤がいたのに久保がキャプテンになった。新時代の到来。GK:大迫敬介-DF:高井幸大、瀬古歩夢、鈴木淳之介-MF:遠藤航、佐野海舟-森下龍矢(→細谷真大)、三戸舜介(→佐野航大)-久保建英(→佐藤龍之介)、鎌田大地(→中村敬斗)-FW:町野修斗(→俵積田晃太)。フレッシュなメンバーで、代表デビューは鈴木淳之介、三戸舜介、佐藤龍之介かな。佐藤龍之介はファジアーノ岡山所属の18歳。どのゴールもスペクタクルだったが、4点目の森下龍矢(レギア・ワルシャワ)がスゴかった。逆サイドの町野のクロスに対して、ふつうなら中に折り返すところだろうけど右足のボレーでほとんどシュートコースのないニアを抜いて決めた。あのコースが見えてて、そこを狙えるものなのか。ショパン・コンクールの年でもあるし、ワルシャワの選手が躍動するのは納得(←んなわけない)。
東京フィル 平日の午後のコンサート〈コバケン、200歳を祝う〉
●9日は東京オペラシティで東京フィルの「平日の午後のコンサート」。指揮とお話は小林研一郎、ナビゲーターは朝岡聡。この「午後のコンサート」シリーズは東京フィルの人気企画。名曲の演奏に加えて、軽妙なトークも大きな魅力になっている。この日も事前に集めたお客様からの質問を、司会の朝岡さんがマエストロに尋ねるコーナーがあるなど、とてもフレンドリー。客席も定期公演とはまったく異なる雰囲気。平日の14時開演なのでリタイア層が中心になるのは自然なこと。
●プログラムは前半がヨハン・シュトラウス2世の音楽で、ワルツ「春の声」、兄弟合作の「ピツィカート・ポルカ」、ワルツ「美しく青きドナウ」、後半がベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。〈コバケン、200歳を祝う〉と銘打たれた公演なのだが、もちろん小林研一郎が200歳を迎えるわけではなく(85歳だ)、ヨハン・シュトラウス2世の生誕200年を祝っている。そのあたりもトークで話題になっていて、客席に笑いが起きること多数。「春の声」は冒頭の一音から重く気迫のこもった音。「ピツィカート・ポルカ」は軽い演出付き。ステージ脇にピアノが用意してあって、どういうことかと思ったら、「美しく青きドナウ」の演奏の前にマエストロが弾きながら曲について解説。といっても堅い話をするわけではなく、自然体で作品への思いを語る。
●後半の「田園」は演奏前のトークでも触れられていたが、祈りの感情が込められたエモーショナルなベートーヴェン。巨匠の至芸といった趣で、重厚な味わい。終楽章の陶酔感が白眉。曲が終わった後、朝岡さんがアンコールを尋ねたところ、マエストロはこのような音楽の後にできるアンコールはありませんと話して、これでおしまい。まったくもってその通りだと思う。時間もちょうどよい。「田園」の余韻を持ち帰ることができた。
東京オペラシティ アートギャラリー「LOVEファッション─私を着がえるとき」
●東京オペラシティのアートギャラリーで「LOVEファッション─私を着がえるとき」展(~6/22)。入るとすぐに目に入るのが、上の「LOVE」(横山奈美/2018/豊田市美術館蔵)。演奏会のついでにすでに2回、足を運んでいるのだが(Arts友の会の会員なら無料で入れる)、これはかなりおもしろい。ファッションというテーマ、ふつうなら関心外だが、そこは東京オペラシティアートギャラリー、しっかりとアートとしての展示になっている。以前の「髙田賢三 夢をかける」と同様、洋品店っぽくはなってない。批評性があるというか。
●こういう感じで作品が並ぶのは、ひとまずイメージ内だろう。まずは歴史的な作品ということで、右はウォルト店/ジャン=フィリップ・ウォルトのイヴニング・コート(1900年頃)。
●こちらはJ・C・ド・カステルバジャック/ジャン=シャルル・ド・カステルバジャックのコート(1988)。クマちゃんの集合体がコートになっているというパンチのきいた作品だ。クマちゃんたちの声が聞こえてきそう。タスケテ...タスケテ...
●これを着用すれば無敵モードに遷移できる。そんな予感を抱かせる。ヨシオクボ/久保嘉男「オーバードレス、シャツ、パンツ、レギンス」(2023)。
●ハリネズミ的な防御力の高さというべきか、外界を拒絶しているようでいて、色付き玉でポップさをアピールする絶妙のバランス。着てみたい。ノワール・ケイ・ニノミヤ/二宮啓「ドレス、トップ、ショート・パンツ」(2023年)。
●だが、防御力の高さではこちらが最強だろう。バレンシアガ/デムナ・ヴァザリア「鎧」(2021)。コロナ禍という文脈から生まれた作品だということを考えると、甲冑などウイルスには無力という「噛み合わなさ」を読みとるべきなのかもしれない。
●ほかにウィーン国立歌劇場創立150周年を記念して制作されたオペラ「オルランド」の衣裳に用いられた川久保玲作品が集められた一角があって、映像も展示されていたのだが、権利の関係なのか、あいにく音声はなし。添えてあった解説文には、ヴァージニア・ウルフの小説「オルランドー」とかウィーン国立歌劇場とかいった文言は出てくるが、作曲家名オルガ・ノイヴィルトは出てこない。このあたり、オペラとは本質的に作曲家のものであると思っているわれわれとは少し感覚が違うところ。映像は市販品と同じものだったのだろうか。
●客層はファッションに高感度な感じの人々が多かったのだが、そこはうっかり隣のコンサートホールから迷い込んじゃいました的な体裁で乗り切りたい。月曜日は休館なのでご注意を。
オーストラリアvsニッポン@ワールドカップ2026 W杯アジア最終予選
●あー、なんだこりゃ、この悔しい負け方は。昨晩はテレビ中継がなかったW杯予選、オーストラリアvsニッポン。DAZN独占生中継。オーストラリア代表のトニー・ポポヴィッチ監督の策にまんまとやられてしまった。ニッポンはすでにW杯出場を決めていたので、主力選手を休ませ、フレッシュなメンバーを大胆に起用。一方、ホームのオーストラリアはW杯出場のために勝ち点が欲しい。次節はアウェイのサウジアラビア戦なので、なおさら。
●互いに陣形は3-4-2-1。ニッポンがこれだけメンバーを落とせば、ホームのオーストラリアは攻めてもよさそうなものだが、ポポヴィッチ監督はしっかりとミドルブロックで守ってきた。ハイプレスはしない。が、ゴールキーパーからはつなぐ。序盤からほとんどの時間帯でニッポンがボールを持つ。オーストラリアはずっとカウンターを狙っているのだが、チャンスになりかけても五分五分の局面でことごとくニッポンにボールを奪われてしまう。メンバーを落としているのに、びっくりするほどニッポンがボールを回収できてしまうのだ。
●で、根比べが続いて、もうスコアレスドローで十分かなと思った終了直前、90分にオーストラリアがワンチャンスを生かしてゴールを決めてしまった。ライリー・マクグリーが巧みなターンから前に突破、マイナスに大きく折り返したボールをアジズ・ベヒッチが右足できれいに外から巻くボールを蹴ってゴール。1対0。えー、そんなプレイができちゃうの……。オーストラリアに16年ぶりに負けた(意外と負けていないのだ)。
●悔しいが、相手の狙い通りの展開。でも問題はそこまでゴールが奪えなかったこと、より正確にはゴールの可能性のあるシュートシーンがほとんどなかったことか。ボールを持たされていた、というパターン。新戦力はみんな持ち味を発揮していたとは思うんだけど、一方で鎌田あたりは次元の異なるプレイをしていたわけで、やはり差はある。
●GK:谷晃生-DF:関根大輝、渡辺剛(→高井幸大)、町田浩樹(→瀬古歩夢)-MF:藤田譲瑠チマ、佐野海舟(→久保建英)-平河悠、俵積田晃太(→中村敬斗)-鎌田大地、鈴木唯人-FW:大橋祐紀(→町野修斗)。町田と渡辺は負傷交代。平河も大橋も鈴木唯人も奮闘していたのだが、もう一歩及ばず。藤田譲瑠チマはやはり上手い。でも、もう少しチャンスをクリエイトしてほしい。こちら側では藤田譲瑠チマが元マリノスだが、オーストラリア代表のセンターバック、ミロシュ・デゲネクも元マリノス。あと、オーストラリアではともに途中出場のミッチェル・デューク(町田)とジェイソン・ゲリア(新潟)が現役Jリーガーだった。
コメ、いいね!
●昨秋、2024年の9月に「コメがなければ」って話題を書いたんだけど、そのときはお米が生協の宅配で5キロで2700円もするって騒いでいたんすよね。生協のお米、それまでは5キロで1680円とか1780円の無洗米をずっと買っていたので(コシヒカリ等の単一ブランド)、2700円はずいぶん高いなあと思っていたわけだ。それが今や4380円(以上税別)。近くのスーパーだともっと高い。みんな納得いかないわけだ。違うのは、昨秋はスーパーのお米の棚が空っぽになって、代わりにカルビーのフルグラが並んでいたけど、今、品薄感はない。だってまだ6月だし。「コメがなければ、フルグラを食べればいいじゃない」の脳内マリー・アントワネットの出番は今年も来るのだろうか。
●政府が格安の備蓄米を放出している。瞬時に売り切れるとはいえ、需給が改善されるっていう意味ではよいことなのかな。よくわからん。
●で、ここまでは話の枕なんだけど(えっ)、しばらく前からこのブログにfacebookの「いいね数」ボタンを載せないことにしたんすよ。なぜか。以前はそんなことはなかったんだけど、最近、この「いいね数」を引っ張ってくるために、やたらと時間がかかるようになった。当ブログ自体の表示時間よりも長い時間がかかる。おまけに「いいね数」が正常にカウントされないこともしばしば。増えたと思ったらゼロにリセットされることもある。そんな数字のためにページが重くなるのはイヤだなと思った次第。
●とはいえ、従来通り、facebookページには更新情報を流しているので、まだの人はぜひフォローしてほしいし、そこで「いいね」をしてくれるとワタシはうれしい。「いいね」が付くと、本当に読んでくれている人がいるのだと実感できる。
アレクサンダー・シェリー指揮国立カナダナショナル管弦楽団
●3日はサントリーホールでアレクサンダー・シェリー指揮国立カナダナショナル管弦楽団。40年ぶりの来日で、初めて聴くオーケストラ。N響ゲストコンサートマスターでもある川崎洋介が長年にわたってコンサートマスターを務めており、今回の来日公演の宣伝用ビジュアルには指揮者でもソリストでもなくコンサートマスターの写真がドーンと使われていた。会場にはカナダ関係者多数。ちなみに指揮のアレクサンダー・シェリーはハワード・シェリーの息子。
●オーケストラの入場は北米方式で、一斉入場はなく、いつまにか楽員がそろっているスタイルなのだが、その後コンサートマスターが登場すると拍手とともに客席のあちこちから「ヒュー!」と歓声があがった。珍しい光景。珍しいといえば、最初に両国の国歌があったのも珍しい。かつてはウィーン・フィルも「君が代」を演奏したけど、なんだか懐かしい感じだ。国歌ということで奏者は立奏、客席も多くが立ち上がる(立たない人もいる)。サッカーの代表戦みたいな気分になる。さすがに歌わないが、演奏が終わると脳内ニッポンコールが響きだすのは不可避。ドドドン、ニッポン、ドドドン、ニッポン……。
●プログラムはケイコ・ドゥヴォーの「水中で聴く」、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(オルガ・シェプス)、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。一曲目のケイコ・ドゥヴォーはモントリオール拠点の作曲家で、「水中で聴く」はこの楽団の委嘱作。2023年初演。海中で響く音楽といった趣で、海面の波やゆるやかな水流、海面を照らすきらめくような太陽の光、ゆったりと泳ぐクジラやイルカたちによる対話といった情景を思わせる。緻密で深い響きがたゆたうように流れて、すこぶる幻想的。明快なメロディはなくとも、聴きやすい作品。さすがに演奏は見事。作曲者臨席、演奏後にステージ上で喝采を浴びた。
●ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番ではロシア生まれドイツ育ちのオルガ・シェプスがソロを務めた。遅めのテンポでじっくりと。オーケストラのたっぷりとした豊麗な響きを向こうにして奮闘。華のある人。ソリスト・アンコールに、モーツァルトの幻想曲ニ短調K.397を内田光子の補筆版で弾くと話してから演奏。これはびっくり。この曲、一般的には未完の曲と認識されていないと思うが、ニ長調の終結部のおしまいの部分は他人による補筆なので、内田光子は補筆部分を使わずに、冒頭のニ短調の序奏を回帰させて静かに終わるという独自の形でフィリップスに録音を残している。これを再現してくれた。演奏スタイルはロマンとドラマのモーツァルト。
●後半のベートーヴェン「運命」はオーケストラの本領発揮。管も弦も明瞭で輝かしく、エッジの立った演奏。冒頭の「運命の動機」からして弦がリッチでシルキー。磨き上げられたサウンドによるスペクタクル。うまい。第4楽章の提示部リピートありも吉。スタイリッシュで、眉間にしわを寄せないからりとしたベートーヴェン。コンサートマスター川崎洋介は、N響で見せる姿と同様に、ひんぱんに腰を浮かして熱くリード。シェリーの造形はモダン、スマート、シャープ。最後の一音が終わるよりも前からパラパラと拍手が出て、客席側にも文化の違いを感じる。アンコールにブラームスのハンガリー舞曲第5番、さらにもう一曲、指揮者の「お国もの」であるエルガーの「エニグマ変奏曲」より「ニムロッド」。
●カーテンコール時、客席のあちこちでスマホで写真を撮る人が多数いて、「撮影禁止」の札を持った係員の方は大忙しだった。ルールが現状に追いついていない感じ。