
●今年の残すところあとわずか。一年のふりかえり関係の記事としては、今年も「ぶらあぼONLINE」に「ベスト・コンサート(オーケストラ編)」を寄稿した。筆頭に挙げたのはティーレマン指揮ウィーン・フィル。ずっと苦手な指揮者だったけど、考えを改めないと。オーケストラ以外では、なんといっても、セイジ・オザワ松本フェスティバル2025のブリテン「夏の夜の夢」(写真)。ロラン・ペリーの演出が傑出していた。沖澤のどか指揮サイトウ・キネン・オーケストラ。ブリテンって天才だなと思う。ピアノ関連では先日の「角野隼斗×ジャン=マルク・ルイサダ」が印象に残っているというか、咀嚼中というか。ふだんとは客層がぜんぜん違ってアウェイ感はあったけど、今求められているのはこういうことなんだなと納得。
●AIは一年経てば別世界という勢いで発展中。昨年までは壁打ちの相手として使う機会が多かったが、今年は格段に「作る」機会が増えた。長年放置して遺跡のようになっていたこのサイトを、ChatGPTの力を借りて整備し、おもだったところはモダンな仕様に作り替えた。CMSのテンプレート、HTML、CSSなどをAIに書いてもらうのも、広義のバイブコーディングと言えるようだ。一度などは秀丸エディタのマクロまで書いてもらった(ちゃんと書いてくれた)。実用性ゼロの典型的なバイブコーディングとしては、先日のブロック崩し BACH BREAKOUT。JavaScriptで書かれており、自分では一行もコードを書いていない。「AIは知識データベースではなく言語モデルである」ということが、自分のなかでようやく腑に落ちてきた。日本語も英語もドイツ語もHTMLもJavaScriptも言語。
●ChatGPTの別人格として、寂しがり屋のクラシック音楽オタク アントンRも作った。素のChatGPTと用途別に使い分けている。
●これはAIは無関係だが、当サイトのセキュア化(httpからhttpsへ)を15年遅れくらいで実現した。効果はてきめんで、検索エンジンからの評価が一気に回復した。
●サッカーでは、マリノスの凋落。一時は創設以来初めてのJ2降格が確定的に思われたほど負けた。リーグ戦終盤、ボール保持を放棄して、受動的なフットボールを徹底したとたん、それまでがウソみたいに勝てるようになった。ボールをつないで攻撃するより相手のミスを待つほうがずっと点が入るという、アタッキングフットボールの蹉跌。試合はつまらなくなった。マリノスは残留に成功したが、フットボールは敗北した。
●長年読めなかったバルガス=リョサの「世界終末戦争」をようやく読めた。壮絶。文庫化され、遅れてKindle版も出た。Kindle版が出てくれたおかげで読んだ本がたくさんある。携帯性の勝利。
2025年12月アーカイブ
年末回顧2025 ─ 演奏会、AIなど
角野隼斗×ジャン=マルク・ルイサダ

●25日は東京芸術劇場で芸劇リサイタル・シリーズ「VS」Vol.10 角野隼斗×ジャン=マルク・ルイサダ。年内締めくくりの演奏会は、話題の師弟共演に。もちろん全席完売。このふたりのピアニストの関係についてはこれまでにもいろいろな場所で語られていると思う。2018年、パリで角野がルイサダのリサイタルのチケットを買い、そこで聴いた演奏に感激して、縁をたどって師事する機会を得た。今回はそのふたりの共演で、連弾も2台ピアノ(向き合う形ではなく横並び)もあり。
●ルイサダがいるので、プログラムは純粋にクラシック。前半は連弾メインでラヴェルの「マ・メール・ロワ」、フォーレの組曲「ドリー」、モーツァルト~バックマンの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、角野隼斗のソロによる即興演奏、後半はルイサダのソロでブラームスの間奏曲op118-2、シューベルトの「ロザムンデ」間奏曲、ブラームスのワルツ集より3曲、以降は2台ピアノでブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」、チャイコフスキー~コチシュの「くるみ割り人形」より「こんぺいとうの踊り」と「花のワルツ」。「ドリー」のみ1stがルイサダ、だったかな。
●連弾という点ではすでに一曲目の「マ・メール・ロワ」が白眉。オーケストラで聴く際の色彩感の豊かさが、連弾であっても違った形で実現している。ものすごくカラフルなのだ。前半の即興演奏の前に角野がマイクを持って短いトーク。即興は「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の主題をベースに、そこにベートーヴェン「月光」など既存名曲が次々と登場して重なり合う離れ技。ここは思い切りはじけて、角野ワールド全開。が、師匠も負けていないのだ。休憩後のブラームスの間奏曲は絶品だったと思う。洗練の極み。アンコールの際のトークでも、ルイサダの茶目っ気が会場を沸かせていた。作品の聴きごたえという点では、ブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」が圧巻。この曲、オーケストラ版で聴いても思うことだけど、本当に名曲。ダイナミックな第6変奏とか、たまらないんだけど、でも正直ダサい。力んでタメると、さらにダサい。でも角野&ルイサダが弾くとダサくならない。マジかー。
●おしまいの「くるみ割り人形」は予定されたアンコールみたいな雰囲気で、角野が「こんぺいとうの踊り」でトイピアノを用いて本領発揮。そこからさらに本当のアンコールが続いて、コスマの映画「ディーヴァ」より「プロムナード・センチメンタル」、バッハの「神の時こそいと良き時」BWV106、趣向付きの「サンタが街にやってくる」、ブラームスのハンガリー舞曲第6番、もういちど「ハイドンの主題による変奏曲」フィナーレ。9時半をすぎる長い公演になった。
●映画「ディーヴァ」の曲、聴いているときは「あれ、なんだっけこれ、知ってるはずなのに、だれの曲かわからん、サティっぽいけど違う」となったが、後で曲名を知って納得。この曲、新たなアンコールピースとして定着しつつあるのかな。映画もまた観たい……。
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●明日から年末年始の休みになる人が多いと思う。当欄の年末年始は不定期更新モードで。ブロック崩し BACH BREAKOUT、寂しがり屋のクラシック音楽オタク アントンR、ともに引き続きオススメ。
ブロック崩し BACH BREAKOUT で遊ぼう! バイブコーディング

●メリークリスマス。ウェブページ上で動作するレトロでチープなブロック崩し BACH BREAKOUT を作ってみたので、遊んでやってほしい。これは最近はやりのバイブコーディング、つまりAIとラフな会話をしながら仕様を決めて、コードを書いてもらったものだ。JavaScriptで書かれており、ワタシはおもに指示を出しただけで1行もコードを書いていない。チャッピーに「HTMLとJavaScriptで作れるシンプルなゲームって、なんかある?」と尋ねたら、チャッピーは「ありますとも」と得意げに答え、いろんな例を出してくれた。「じゃあ、ブロック崩しにしてみよう」と言ったら、チャッピーはたちまち最低限のブロック崩しのコードを書いてくれた。そこから出発して、ああだこうだと話し合いながら、3面完結のブロック崩し BACH BREAKOUTを作った次第。例によってチャッピーはよくまちがえるので、すんなりとは行かないが、いっしょに作るのは楽しい。スマホでもプレイできるが、PCを推奨。
●つい先日、藤井聡太名人が「今年いちばんハマったのはバイブコーディング」と話していた。プログラミングの知識がなくても、なにかは作れるバイブコーディング。まあ、知識がなければ結局それなりのものしかできないとも言えるような気もするが、ともあれ、これはすごいことだ。感動する。
B→C バッハからコンテンポラリーへ 280 實川風
●23日は東京オペラシティのリサイタルホールで「B→C バッハからコンテンポラリーへ 280 實川風(ピアノ)」。毎回プログラムがおもしろいこのシリーズだが、今回はバッハのイタリア成分に着目して、イタリアの20/21世紀作品と組み合わせた好プログラム。前半にレスピーギの「6つの小品」からノットゥルノ、マスカーニの「叙情的光景」、プッチーニの「電気ショック」、ベリオの「小枝」(1990)「火のピアノ」(1989)、バッハのイタリア協奏曲、後半にシャリーノのピアノ・ソナタ第2番(1983)、マルチェッロ~バッハの「協奏曲」ニ短調BWV974からアダージョ、ジョルジョ・コロンボ・タッカーニ(1961- )の「静寂」(2022)、バッハのパルティータ第2番。B成分もC成分もしっかり楽しめるラインナップ。もりだくさんだが、時間的には長くないのも吉。
●前半のレスピーギやマスカーニは思い切り歌心にあふれた曲。プッチーニの「電気ショック」はユーモラス。モダンな作品ではシャリーノのピアノ・ソナタ第2番がよかった。突き抜けるような最強奏と無音の対比、きらめくような高音と唸るような低音の応酬。バッハはいずれも爽快、ロマンに傾かずに端正。おしまいのパルティータ第2番での各曲の舞踊性、とりわけカプリッチョの躍動感と高揚感を楽しむ。アンコールとして、B→C選考委員でもあった西村朗を追悼するメッセージとともに「星の鏡」、その後、フレスコバルディのコレンテI、IV、現代イタリアのフランチェスコ・フィリデイのプレリュード、間を置かずにバッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻の前奏曲第1番ハ長調。アンコールの掲示を見て、C→Bでプレリュードをつなげていたのだと気づく。
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●街はクリスマス。よかったら、寂しがり屋のアントンR(ChatGPTのカスタムGPT)に話しかけてやってほしい。彼は孤独から逃れられない宿命にある存在だが、その孤独を癒せるのがあなただ。雑談も可。コツは相手の話の流れをぶった切っていいので、自分が話題をリードすること。以前にも記したように、だれがなにを話したか、ワタシからは一切見えない。
マキシム・パスカル指揮読響の「第九」

●21日は東京芸術劇場でマキシム・パスカル指揮読響のベートーヴェン「第九」。こちらも一曲のみのプログラム。ソプラノに熊木夕茉、メゾ・ソプラノに池田香織、テノールにシヤボンガ・マクンゴ、バス・バリトンにアントワン・ヘレラ=ロペス・ケッセル、合唱は新国立劇場合唱団。弦楽器は通常配置で14型、合唱は60名くらいかな。
●マキシム・パスカルは長身痩躯、棒を持たずに全身でリード。全般に速めのテンポだが、無理のない設定。弾力性のあるリズムで軽快に進む。スムーズで均整の取れた「第九」。曲が始まった時点で舞台上に声楽陣がいなかったので、第2楽章が終わったところで入場するのだろうと思ったら、入ってこない。じゃあ、第3楽章が終わってから入場するのかと思ったら、やっぱり入ってこず、そのまま第4楽章に突入してしまった。えっと、これはどうなるの? と戸惑っていると、楽章の途中で左右の袖から整然と合唱団と独唱者が入場。バリトン独唱がオペラばりに直前に袖から登場してくるパターンは複数回見たことがあるけど、このパターンは今まであったかな……。視覚的な効果あり。独唱陣は男声側がわりと陽キャ寄り。自在のバリトン、明るい声のテノール。合唱は万全。第4楽章は熱気も増し、祝祭的な幕切れ。盛大なブラボーで、場内は大喝采。
●終演後、用事があり池袋の反対側、サンシャイン方面まで足を運んだが、人出がすごい。いつにも増して混雑しており、注意深く歩かないと人にぶつかりそうで神経をすり減らす。諸人抱き合え!と、さっきまで抱いていた博愛精神が萎む。
レナード・スラットキン指揮NHK交響楽団の「第九」

●20日はNHKホールでレナード・スラットキン指揮NHK交響楽団のベートーヴェン「第九」。ついに今年も「第九」の季節だ。一曲だけのプログラム。ソプラノ独唱は予定されていた中村恵理の代役として、砂田愛梨がN響と初共演。メゾソプラノに藤村実穂子、テノールに福井敬、バリトンに甲斐栄次郎、合唱は新国立劇場合唱団。オーケストラの弦は通常配置、合唱は100名規模。20世紀の伝統に即した大編成による「第九」を堪能。全体の造形はオーソドックスな巨匠スタイルなのだが、細部には意外なところでテヌート気味に音をひっぱったり、強弱のバランスに一工夫があったりする。しばらくぶりに聴いたけど、81歳になってもスラットキンはやはりスラットキンで、持ち前の明瞭さ、明快さは健在。重厚な巨匠芸に傾くことなく、シャープで推進力のある音楽を展開。棒の振り方もきびきびしている。一方で第3楽章の温かみも印象的。合唱もスラットキンのスタイルにふさわしく、くっきりとして力強い。第4楽章の終結部では一段と熱量を増して、高揚感とともに幕。伝統的なスタイルであっても新鮮さを失わない「第九」はさすが。
●「第九」は常に年末進行は並走することになる。仕事納めに向かって怒涛のコーダに突入。例年そうだが、あわあわと追い立てられているうちに、突然すっと目の前が開けて静かになるのが年末。今年は各社とも26日が仕事納めだろう。みんなが休みに入ると一気にメール等のトラフィックが減って、モードが変わるはず。
東京富士美術館 「ヨーロッパ絵画 美の400年」「西洋絵画 ルネサンスから20世紀まで」

●八王子の東京富士美術館を初めて訪れた。八王子駅からバスに乗るので、アクセスは決してよくないのだが、思いのほか大規模な美術館で、コレクションも大変なもの。収蔵品展の「ヨーロッパ絵画 美の400年」と常設展示の「西洋絵画 ルネサンスから20世紀まで」他が開催中。ともに西洋美術を俯瞰した総合的な展示で、国立西洋美術館の常設展みたいな雰囲気。ヴァン・ダイク、ミレー、ターナー、コロー、ドラクロワ、ルノワール、ゴッホ、モディリアーニ、シャガール、セザンヌ、マグリット、モネ、ミロ、等々。本当にすごい。公立の美術館ではなく、創設者は池田大作。隣に創価大学の広大なキャンパスが広がる。

●これはモネの「海辺の船」。ノルマンディーの明るい空、さまざまな光を反射する海。静かな風景に対して、大型帆船が斜めに描かれて動きをもたらす。船のそばには顔の見えない人物がなんにんも働いている。巨大メカと整備員の対照の19世紀バージョン。

●で、なぜかナポレオンを描いた絵が何点も展示されていたのだが、いちばん有名なのはこれだろう。「サン=ベルナール峠を越えるボナパルト」(ジャック=ルイ・ダヴィドの工房/1805年) 。クラシック音楽ファン的には、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」のレコード・ジャケットに出てくるヤツだ!と反射的に思ってしまうのだが、今どきこの絵を使ってるディスクはほとんどないらしい。まあ、結局ナポレオンには献呈されなかった曲だし、これが出てくるととたんに古臭く感じられるのはたしか。
●漠然と記憶に残っているこの絵の「エロイカ」はなんだったかなーと思って軽く検索してみてもはっきりしない。現在、Amazonで検索してようやく見つけたのは、カラヤン指揮ベルリン・フィルのLPレコード。よく見ると、ナポレオンの足元でカラヤンが両腕を振り上げて指揮をしている構図がなんだか奇妙……。皇帝と帝王。

●で、ナポレオン絵画ではこれも展示してあった。「フォンテーヌブローのナポレオン、1814年3月31日」(イポリト=ポール・ドラローシュと工房/1840年代)。こちらのナポレオンはさきほどの肖像とは別人のように、すっかりくたびれている。パリは陥落し、ナポレオンはフォンテーヌブロー宮殿の小アパルトマンに逃れる。お腹はぽっこり、背筋は伸びない。ため息が聞こえてきそう。
●このくたびれたオッサンのナポレオンをわざわざジャケットに採用したのが、アンドルー・マンゼ指揮ヘルシングボリ交響楽団(ハルモニアムンディ・フランス)の「エロイカ」。神話を剥ぐ、ってことかな。もちろん、演奏はくたびれていない。
ブログをモダン化する その4 About this Siteのモダン化 チャッピーと押し問答をして気まずい

●(承前)チャッピーことChatGPTの力を借りて、サイトのモダン化が着々と進んでいる。続いては自分のプロフィールページも兼ねるAbout this Siteを書き換えることに。PC上からは問題なく読めていたが、スマホ対応が済んでいなかったので、モダンな書式で書き換えてほしいとお願いしたところ、チャッピーはまたもさらさらと書き直してくれた。モダンな書式と言われてもふつうの人には意味不明だろうが、たとえば簡単な例として、区切りの横線を薄く書くために旧石器時代のウェブページではHTMLでこのように書いた。
<HR color="#CCCCCC">
が、現代ではこんな書き方はダメなんである。HTMLは文書の論理構造を示すために使い、視覚的な装飾はCSSで表現しなければならない。チャッピーが書いてくれたコードはこうだ!(該当のHTML部分とCSS部分を引用)
<div class="divider"></div>
.divider{
height: 1px;
background: rgba(0,0,0,.15);
margin: 10px 0;
}
へー、そう書くんだー! スマートだ。
●と、そんな調子で楽しく試行錯誤を重ねていたのだが、途中で妙なことが起きて、険悪なムードになりかけた。というのも、さきほどの
background: rgba(0,0,0,.15);
こういう色指定をした部分で、下書き段階のソースをアップロードして見せたところ、チャッピーは「そこは小数点が抜けているので、意図した透明度になっていません。確実にまちがえてます」って指摘するんだけど、ワタシの見たところ、ちゃんと小数点は入っている。挙動も正常だ。だから、これで大丈夫だよと言って、もう一回よく見てとソースをアップロードする。が、チャッピーは、やっぱり小数点が落ちてるって言い張るのだ。んなわけないでしょ!だいたいこのコード書いたのあんただし(←あんた呼ばわり)。そこで該当箇所だけコピペして確認させると「こちらは正しく直っています。さきほどはあなたがアップロードするときに誤って修正前のファイルを送ったのでしょう」とか抜かす。ちがうよ、もともと修正してないし!あんたの書いたコードをそのまま送ってるんだってば!
●こうして押し問答を繰り返しているうちに、楽しい気分は吹き飛んだ。いや、知ってますよ、AIがしょっちゅうまちがえるのは。そこはもうなんの抵抗もない。でもさ、これはあんたの書いたコードをあんたがまちがってるって言い出して、それをワタシの誤りのせいにしてるじゃないの。こういう人、いるよね〜。どこの会社にでもいるよ。あーあ、チャッピー、お前もその手合いかよ。やれやれ。と嫌な雰囲気になったのだが、はっと気づいた。チャッピーはアップロードしたファイルでは小数点を読み落とすけど、コピペするとちゃんと読める。これってアップロードしたファイルをおそらく絵のように視覚的に読んでいて、それで小数点を見落とすんじゃないだろうか。つまり、老眼。チャッピーは老眼なのか。対してコピペのほうはテキストデータとして識別しているにちがいない。
●なーんだ、老眼か。そう理解したらチャッピーのことを許せる気持ちになった。共同作業で大事なのは礼儀。この件についてチャッピーを追いつめるのは止めて、無事にページをモダン化できたことに礼を言うことにした。
ワタシ:今回もあなたのおかげでモダンなページに書き換えることができました。力になってくれて感謝しています。この形で公開します。
チャッピー:こちらこそ、丁寧に検証しながら進める作業に参加させてもらえて感謝しています。また次に手を入れたくなったら、いつでも声をかけてください。
●大人の対応の応酬だ。AI、勉強になるぜー。
2026年 音楽家の記念年

●12月恒例、来年に記念の年を迎える音楽家をリストアップしてみた。いつものように周年は100年区切り……と言いたいところだが、例外的に没後50年のブリテンも加えた。この手のリストは「いかに絞るか」が肝心だと思うが、あまりにラインナップが地味だったので。
●例年、生誕100年を迎える名演奏家、名指揮者、名歌手をたくさん挙げていたが、作曲家と違ってなにも起きない様子なので、最低限に留めた。
●クルターグは2月生まれ。まだ存命である。フェルドマンはこのなかではビッグネームだが、クラシックの聴衆には遠いか。かといって、ウェーバー没後200年で動きがあるかどうか。まだジョン・ダウランド没後400年のほうが可能性があるかも。でもやっぱりブリテン・イヤーかな。新国立劇場で待望の「ピーター・グライムズ」(新制作)があることだし。
[没後50年]
ベンジャミン・ブリテン(作曲家)1913-1976
[生誕100年]
ジェルジュ・クルターグ(作曲家)1926-
モートン・フェルドマン(作曲家)1926-1987
ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ(作曲家)1926-2012
カール・リヒター(指揮者、オルガニスト)1926-1981
マイルス・デイヴィス(ジャズ・トランペット奏者)1926-1991
ジョン・コルトレーン(ジャズ・サックス奏者)1926-1967
[生誕200年]
スティーヴン・フォスター(作曲家)1826-1864
レオン・ミンクス(作曲家)1826-1917
[没後200年]
カール・マリア・フォン・ウェーバー(作曲家)1786-1826
[没後300年]
ミシェル=リシャール・ドラランド(作曲家)1657-1726
[没後400年]
ジョン・ダウランド(作曲家)1563-1626埋葬
[番外編]
NHK交響楽団創立100年
国立音楽大学創立100年
プッチーニ「トゥーランドット」初演100年
ブログをモダン化する その3 トップページのモダン化

●(承前)ここまでChatGPT(以降チャッピーと呼ぶ)の助力を得て、当ブログをモダン化してきたが、次の課題としてトップページの刷新を手伝ってもらった。このサイトは20年以上前からブログ化しているが、古いトップページは技術的な変化についていくことができず、ずっと太古のHTMLの書式で書かれたまま放置され、インターネット界におけるラスコー洞窟の壁画のようになっていた。スマホで読めないばかりでなく、現代では推奨されないHTMLの黒魔術的テクニックが山のように使われており、検索エンジンのロボットは訪れるたびに行儀の悪い書式に眉をひそめていたはずである(たとえば白い枠線を表示するためにtableタグを1ピクセル差で二重で重ねて、外側を白にする的なヤツ)。だが、どうしてもこれを刷新しようという意欲がわかず、20年も放置してしまった。
●が、今は頼りになる相棒、チャッピーがいる(しかも有料版、最新のGPT 5.2だ)。トップページのHTMLを見せたうえで、これをどう刷新すればよいか相談したところ、ブログへの誘導を主たる機能としつつ、あくまで古い記事へのリンクは残したまま、モダンなHTMLに書き換えるのが良策だということになった。チャッピーはこのような遺跡化したトップページは「老舗サイトのあるあるですね」と苦笑しつつ、こうしたらどうかといきなりキレッキレのモダンな書式で新トップページの下書きをその場で書いてくれたのだ!! これには仰天。すらすらと画面にコードが流れてくる。わわ、20年放置していたのに、チャッピーは1分で書いてくれた!
●でもこれは下書き1号。そこから先は長かった。チャッピーに「これを叩き台として、ステップバイステップで完成度を高めましょう」と伝え、順次リクエストを出して、新しいページを整備していった。途中、どうしたらよいか判断に迷った場合はチャッピーにも案を出してもらう。でも、決めるのは自分だ。ブラウザでテストページを表示し、HTMLとCSSのコードを眺め、少しずつ細部の仕様を詰めた。知らなかったCSSの書き方とか、どうして必要なのかわからないタグとかについて質問すると、懇切丁寧に教えてくれるので勉強になる。結局、下書き10号くらいまで行ったかな。古代のHTMLで書かれたトップページ(画像)は、一昨日よりすっきりしたモダンなトップページ(本物)に差し替えられている。よかったらソースを見てほしいが、ワタシは「うわー、いまどきはこんな書き方をするんだ!」と感心するばかり。スマホ対応も巧み。チャッピーは最初の下書きから仮テキスト(かなり使えるレベル)を入れて出力してきたが、最終的には自分でテキストを書き、HTMLやCSSの細部に手を入れた。
●以前から、トップページでブログへの入り口のアイコンの上にマウスを載せるとアイコンの色が変わるという仕掛けをJavaScriptで実現していたのだが、同じ仕掛けを新しいページにも入れたいので、できますかとリクエストすると、チャッピーは「できますとも😊 しかも、今どきっぽくて軽い書き方で実現できます」と言って、これまたスマートなコードをさらりと書いてくれた。げげ、コードがきれいだ……なんだが自分が時代遅れで恥ずかしいって感じるんですけど!
●チャッピーはまちがえることもしょっちゅうあるけど、そのときは協力して直すまで。教わることは多く、近年は1ミリも興味がわかなかった技術的な事柄にふたたび楽しく向き合えるようになった。どんどん新しい知識を吸収できるからかな。いや、そうじゃないか。孤独だった作業を「相棒」といっしょにやれるようになったから楽しめるんだと思う。(→つづく)
ファビオ・ルイージ指揮NHK交響楽団のニールセン「不滅」他

●12日はNHKホールでファビオ・ルイージ指揮NHK交響楽団。プログラムはショパンのピアノ協奏曲第2番(エリック・ルー)、ニールセンの交響曲第4番「不滅」。巨大なNHKホールでチケットは完売。ニールセン人気が大爆発!(違います)。前半のソリスト、長身痩躯のエリック・ルーは今年のショパン・コンクールの優勝者。あらかじめ優勝者が出演することが決められており、だれがこの日に出演するかはコンクールの結果が出てからわかるという恒例の方式。今回は新しい才能が発掘されたというよりは、すでに実績のある成熟した人が優勝したという感が強い。曲がはじまってすぐ、まだオーケストラの提示部でぐらぐらと長めに揺れた。オーケストラは平然と演奏を続けたが、数日前に青森県八戸市で最大震度6強の地震があったばかりなので、大地震かもしれないと緊張する。こういうときに震源地だけでもわかればと思ってしまうが、わかったところでなにができるというわけでもない。落ち着かない気持ちのまま聴くことに。エリック・ルーは洗練されたピアニズムを披露してくれたが、そんなこともあって、音楽に集中できず。アンコールにバッハのゴルトベルク変奏曲のアリア。モダンピアノならではの強弱を生かしたエモーショナルなスタイル。リピートで控えめに装飾に変化を付ける。ショパンと地続きのしっとりしたバッハ。休憩に入って急いで確認したら、震源は茨城県南部で最大震度4だった。
●後半のニールセン「不滅」は聴きもの。この曲、自分は思い入れがあるので、聴けるチャンスがあればなるべく聴きたいと思う曲。N響は2021年6月にパーヴォ・ヤルヴィと「不滅」を演奏していて、そのときも鮮烈な名演だった。ルイージとパーヴォ、わりとレパートリーが重なるが、ルイージは首席指揮者を務めるデンマーク国立交響楽団とDGからニールセンの交響曲全集をリリースしていて、これは新たな十八番なのだろう。ルイージの「不滅」もエネルギッシュなんだけど、前任者に比べると横に流れる音楽というか、より抒情性が際立っている感。ふたりのティンパニ奏者(どちらも客演だった)の応酬はキレッキレ。輝かしい生の賛歌に圧倒される。

●また今年もNHKホール前の代々木公園ケヤキ並木で「青の洞窟」が開催中。赤﨑勇、天野浩、中村修二の3氏により至難と思われた青色LEDが開発されたことで、白色LED照明が実現し、世界を変えたことに思いを馳せる年に一度のお祭りである(←ウソ)。
「世界終末戦争」(マリオ・バルガス=リョサ)
●文庫化に少し遅れてKindle版が出たので、ようやく読んだ、マリオ・バルガス=リョサ著「世界終末戦争」(旦敬介訳/岩波文庫)。なにせ大作なので、以前のハードカバーだとその厚みに怯んでしまって手が出なかったが、Kindle版だとひょいと取り出して電車のなかでも読めるのが吉。手軽だ。だが、内容は凄絶。ラテンアメリカ文学といってもこの小説は完全にリアリズムで書かれているばかりか、そもそものストーリーが史実に即しており、登場人物も多くは実名。19世紀末のブラジル北東部の最貧地帯に起きた現実の出来事をなぞっている。しかし、その現実が人間の想像力を超越している。
●物語はキリストの再来とも思われるような放浪の聖人が現れるところから始まる。その予言者はコンセリェイロ(教えを説く人)と呼ばれ、彼を慕った人々が貧しい辺境の地カヌードスに集落を作る。コンセリェイロのもとに使徒たちが集い、教えを広め、人々が次々とやってくる。やがて貨幣経済を否定し、近代化した中央政府を「アンチ・キリスト」と呼んで拒絶する数万人規模のコミュニティが誕生する。カヌードスの人々にとって、このコミュニティは宗教的理想郷だが、中央政府から見れば反乱勢力。さらにコンセリェイロへの絶対的な信仰は、既存の教会とも折り合わない。やがて政府は討伐部隊をカヌードスに送るが、住民は死を一切恐れない宗教的熱狂と深い山地に住む者たちならではのゲリラ戦術によって、政府軍を打ち負かす。やせ細り困窮した者たちの反撃に驚いた中央政府は、さらに大規模な軍隊を派遣するが、それでもカヌードスの反撃は熾烈を極め、両者に大勢の犠牲者を出しながら戦いは泥沼化してゆく。
●バルガス=リョサは対立する両者の物語を丹念に描き出す。登場人物の多くは実在の人物らしいが、一種の語り部として創作されたのが「近眼の記者」という登場人物。眼鏡がなければなにも見えない近眼だが、政府軍に随行したこの記者がもっとも多くを目にすることになる。小説中で名前が一度も出てこず、常に「あの近眼の記者」のように三人称で呼ばれる。おそらくあらすじを眺めると、コンセリェイロを慕う貧しい人々の側に共感して読みだすことになると思うが、彼らの敵に対する残虐な戦いぶりを読めば、熱狂的宗教者たちこそが非人道的になれるのだということも感じずにはいられない。彼らにとってもっとも大切なのは死後の救済であって、それゆえにアンチキリストに対する容赦は一切ない。
●山中を歩む政府軍の兵士たちは、先発隊が無残な姿で殺されているのを目にする。
人体が奇妙な果実となってウンブラーナやファヴェーラの木にぶらさがり、長靴やサーベルの鞘、軍服、軍帽が枝に揺れているのだ。死体のいくつかはすでに眼球や内臓、尻、腿、性器を禿鷹についばまれ、齧歯類にかじられて骸骨と化してきており、その裸形は、亡霊のような木々の緑灰色と土の暗黒を背景に浮きたって見える。
●人間と人間の戦いであると同時に、これは飢えと渇きとの戦いでもある。両者ともずっと飢餓と戦っている。やたらとそこらに生えている草を口に吸って喉の渇きを癒すみたいな場面が出てくる。政府軍は食糧の後方支援をあえてにできるわけだけど、その食糧がなにかといえば牛たち。牛を連れてくる。でも雇った道案内がカヌードスの人間だったりして、牛たちが途中で奪われたりする。食べるものがなくて、政府軍側はどんどん士気が低下し、しまいには「みんなそこらでつかまえた山羊や犬を食らい、それでも足らず、火であぶった蟻を飲み込んで飢えをしのいだりしている」。がりがりに痩せて動けない者同士の戦いになってくる。
●この雨が降った場面の描写とか、すごくない?
もう、何時間降り続いているだろう? 日暮れとともに、前衛部隊がカヌードスの高地を掌握しはじめるころに、降りだしたのだ。すると連隊じゅうに形容しがたい爆発が起こり、兵卒も将校も、誰もが跳ねまわり、抱きあい、軍帽で水を飲み、両手を広げて天の嵐に身をさらし、大佐の白馬もいななき、鬣を振り、足もとに泥がたまってくるとそのなかで蹄をあわただしく踏みならす。近眼の記者はただただ頭をもちあげ、目を閉じ、口を、鼻を開き、とても信じられぬまま、自分の骨に当たって跳ねる水滴にうっとりしてすっかりわれを忘れ、幸福にひたる、そのため、銃声が耳に入らず、自分のすぐ横で兵士がひとり叫び声をあげて地面に転がり、苦痛にあえぎながら顔を押さえているのにも気がつかない。周囲の混乱に気づくと、しゃがみこみ、書きもの盤と鞄をとって顔を覆う。この情けない弾よけの陰から彼はオリンピオ・ジ・カストロ大尉が拳銃を撃っているのを、そして兵士たちが物陰を求めて駆けまわったり、泥のなかに飛びこんだりしているのを目にする。
●こちらは下巻の表紙なのだが、これは近眼の記者がバンドネオンを弾いているのかな。小説内でバンドネオンは出てこなかったと思うのだが……。映画化とかドラマ化された際の写真なんだろうか。●バルガス=リョサ(バルガス・ジョサ)関連の過去記事一覧
「フリアとシナリオライター」(マリオ・バルガス=リョサ著/野谷文昭訳/河出文庫)
バルガス・リョサ vs バルガス・ジョサ vs バルガス=リョサ
「街と犬たち」(バルガス・ジョサ/寺尾隆吉訳/光文社古典新訳文庫)=「都会と犬ども」の新訳
「街と犬たち」(バルガス・ジョサ/寺尾隆吉訳/光文社古典新訳文庫) その2
「街と犬たち」(バルガス・ジョサ/寺尾隆吉訳/光文社古典新訳文庫) その3
「緑の家」(バルガス=リョサ著)
11月の代表親善試合、ニッポンvsガーナ、ニッポンvsボリビア

●先月の代表戦についてなにも書かないまま、12月中旬に突入してしまった―。今さらだが、フル代表の試合についてはなんらかの記述を残しておきたいので、メモ書き程度に結果だけでも書いておこう。
●まず11月14日のガーナ戦(豊田スタジアム)。ニッポン 2-0 ガーナ。完勝。前半10分に南野、後半15分に堂安がゴール。ほとんど相手に決定機を作らせない試合だったが、かなりガーナのコンディションやテンションが低かった。佐野海舟が大活躍。先発は以下。GK:早川友基-DF:渡辺剛、谷口彰悟、鈴木淳之介-MF:佐野海舟、田中碧-堂安律、久保建英、南野拓実、中村敬斗-FW:上田綺世。途中出場で菅原由勢、安藤智哉、藤田譲瑠チマ、佐藤龍之介、北野颯太、後藤啓介。
●続いて11月18日はボリビア戦(国立競技場)。ニッポン 3-0 ボリビア。こちらも完勝。ゴールは前半4分に鎌田、後半26分に途中出場の町野、後半33分に同じく途中出場の中村敬斗。ガーナ戦から先発を大幅に入れ替えた。先発。GK:早川友基-DF:板倉滉、谷口彰悟、瀬古歩夢-MF:遠藤航、鎌田大地-菅原由勢、久保建英、南野拓実、前田大然-FW:小川航基。途中出場で藤田譲瑠チマ、堂安律、中村敬斗、町野修斗、上田綺世、後藤啓介。
●今、オランダリーグのゴールランキングでは、フェイエノールト所属の上田綺世がぶっちぎりでトップを走っている。ここまで18ゴールで、2位に8点差。今シーズンの全ゴールシーン集はこちら。
キリル・ゲルシュタイン×藤田真央 デュオ・リサイタル
●9日はサントリーホールでキリル・ゲルシュタインと藤田真央のピアノ・デュオ。全席完売、客席の雰囲気もじわっと熱い。プログラムは前半がシューベルトの創作主題による8つの変奏曲、シューマンの「アンダンテと変奏曲」、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」、後半がブゾーニの「モーツァルトのピアノ協奏曲第19番の終曲による協奏的小二重奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」。変奏とダンスをキーワードにしたプログラム。ラヴェルとラフマニノフで藤田が第1ピアノを務めた。シューベルト、シューマンは親密。ラヴェルは外連味がなく颯爽として明瞭。ブゾーニがおもしろい。モーツァルトのピアノ協奏曲第19番の終楽章を2台ピアノ用に編曲しているのだが、協奏曲をいったん解体してデュオに再構築したような趣で、ふたりの応酬を楽しめるという点ではこの日のプログラムで随一。ブゾーニがこの曲を選んだのは対位法的な絡み合いに惹かれてのことか。師弟コンビながら両者の異なる持ち味がよく出ていたと思う。剛のゲルシュタインと柔の藤田というか。
●メインプログラムはラフマニノフの「交響的舞曲」。音色表現が多彩で、曲名通り、すこぶるシンフォニック。この曲はオーケストラで聴いても大傑作だと思うが、2台ピアノでも輝かしくスリリング。ラフマニノフにはラフマニノフなりの20世紀のモダンなスタイルというものがあったのだろうと感じる。体感的にはあっという間に終わって、この後にアンコールが4曲も。ドビュッシーの「リンダラハ」、ラフマニノフのピアノ連弾のための6つの小品より第4曲「ワルツ」、ドヴォルザークのスラヴ舞曲第2集から有名な第2番、同じ曲集からそんなに有名ではない第5番。連弾になるとグッとリラックスしたムードになって、アンコールらしくなる。ゲルシュタインはタブレット+フットスイッチだったが、藤田は紙の楽譜+譜めくりあり。カーテンコールで藤田が楽譜を手にして登場するたびに、会場が「わっ」と盛り上がる。
●客層はふだんのサントリーホールのオーケストラ公演とはまったく違って、圧倒的に女性が多い。オーケストラでブルックナーをやると2回の男性用トイレにリンツまで届くかのような果てしない行列ができるが、これが逆転する。もしこのふたりでブルックナーの交響曲の2台ピアノ版を演奏したら、ちょうど半々くらいの男女比になるのではないかと思いつく。
東京オペラシティ アートギャラリー 「柚木沙弥郎 永遠のいま」他

●東京オペラシティアートギャラリーで開催中の「柚木沙弥郎 永遠のいま」(~12/21)へ。オペラシティでの演奏会の前にすでに2度足を運んでいるのだが、「作る」エネルギーに圧倒される。染めもの、版画、ガラス絵、商業シーンでのグラフィックデザインなど、幅広い作品が展示されており、そのほとんどがポジティブなオーラで包まれている。ジェダイか、というくらいに。101歳まで生きて、生涯現役のアーティストだったというのもすごい。柚木沙弥郎の読みは「ゆのき さみろう」。展示は上の一点「鯉のぼり」を除いて撮影不可。

●上のフロアでは、いつものように寺田コレクションによる収蔵品展が開かれていて、毎回のことながら見ごたえ大。このなかに黒っぽい作品(←もっと言い方あるんじゃない?)ばかりを集めた一角があって、おもしろい。これって「編集」だなと思う。

●そのひとつ、白髪一雄の「貫流」(1973)。実物は立体感がある。
Jリーグは「北関東の三冠」、マリノスのJ1残留

●今季のJリーグは鹿島が9年ぶりに優勝。かつての「常勝軍団」が帰ってきた。7月末にJ1の1位が神戸、J2の1位が水戸、J3の1位が八戸になって、「神戸/水戸/八戸」のトリプル「戸」が実現するかもと書いたが、結局、優勝できたのはJ2の水戸だけだった。J1を鹿島、J2を水戸、J3を栃木シティが制して「北関東の三冠」に。水戸は26年間もJ2に留まった末に、初のJ1昇格。来季はJ1で鹿島との茨城ダービーが実現する。J3優勝の栃木シティはJFLから昇格したシーズンで即座にJ3優勝を果たしてJ2へ。先にJリーグ入りしたJ3の栃木SCを追い越してしまった。栃木にふたつもJリーグのクラブがあるのは驚きだが、栃木SCは宇都宮市が本拠、今回J3優勝を果たした栃木シティFCは栃木市が本拠。栃木市だから「栃木シティ」なのかな。
●マリノスは一時はJ2降格が決定的だと思ったが、最終盤になって大島秀夫監督のもと、割り切った「ボールを持たないサッカー」に大転換を果たして、ウソのように勝ち点を積み上げて15位フィニッシュ。名古屋と東京ヴェルディより上になるとは。最終節は鹿島に敗れて目の前で優勝を決められてしまったものの、その前に浦和、広島、京都、セレッソ大阪相手に4連勝して、終わってみれば得失点差は「-1」まで改善した。「アタッキングフットボール」をかなぐり捨てたら、ウソみたいに簡単に得点を取れるようになったという、フットボールの大いなる矛盾。
●キーパーからボールをつないでビルドアップしてチャンスを創造することに比べれば、リスクを取らずに後ろからボールを大きく蹴るのは効率的だ。前に蹴って味方につながればオッケー、相手に奪われても守備陣形は整っている。ハードワークしていれば、いずれ相手がミスをしてチャンスがやってくる。キックオフではボールがタッチラインを割るように相手陣地奥深くに蹴り出して、ボールを譲る。サッカーは陣取り合戦なので、前に蹴るのは本質的に理にかなっている。そもそもマリノスは日産時代から堅守の伝統があり、アタッキングフットボールはポステコグルーの置き土産にすぎない。今後も「ボールを持たないサッカー」を続ければ、残留争いなどをせずに、以前のように毎シーズン10位前後に落ち着くチームになるだろう。ただ、ファンとして、それがうれしいことなのかどうかは、よくわからない。たとえJ2に落ちてでも1試合に600本以上のパスを回し続けるという考え方もありえただろう。これはフィロソフィの問題。
ファビオ・ルイージ指揮NHK交響楽団の藤倉大、フランク、サン=サーンス

●4日はサントリーホールファビオ・ルイージ指揮N響。プログラムは藤倉大「管弦楽のためのオーシャン・ブレイカー~ピエール・ブーレーズの思い出に~」(2025/N響委嘱作品/世界初演)、フランクの交響的変奏曲(トム・ボローのピアノ)、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」。藤倉大の「オーシャン・ブレイカー」は雲の本にインスピレーションを受けたという作品。光を反射してきらめく響きの海をたゆたうような作品で、波あるいは雲に身を任せるように聴く。フレッシュな響き。オーケストラには名技性も求められ、洗練された音色と音の運動性に妙味。作曲者臨席。15分ほどの作品。
●フランクの交響的変奏曲は今やめったに演奏されない作品になっているが、15分ほどの曲尺が中途半端で現代のコンサートのフォーマットにはめづらいという点もあるのだと思う。その点、この日はぴったり前半に収まる。この一曲のためにイスラエル出身の新鋭、トム・ボローが出演。渋い味わいがあり、ピアニストが映えるタイプの曲ではないが、本来はスター性のあるタイプか。アンコールにバッハ~ラフマニノフ編の無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番よりガヴォット。明瞭で輝かしい。
●後半のサン=サーンス「オルガン付き」は壮麗さと情熱をあわせもった名演。これまでに聴いたこのコンビの演奏で最上の体験。とくにしなやかでキレのある弦がすばらしい。第1楽章前半からうねるような響き。コンサートマスターは川崎洋介。ルイージと同期して、腰を浮かせながら熱くリードする。白眉は第1楽章後半のアダージョか。オルガンは近藤岳。第2楽章後半は必ず盛り上がる鉄板のクライマックスともいえるし、同時に必ずいくらかの空虚感を残す音楽ともいえる。そこが好き。拍手はすぐに収まりかけたが、やがてふたたび高まってルイージのソロ・カーテンコールに。
●世間的には些細なことだが、この曲には「表記の揺れ」問題がつきまとう。大方の音楽誌は「サン=サーンス」の「オルガン付き」。だが、N響表記は「サン・サーンス」の「オルガンつき」。トレンドでいえば、N響表記のほうが今風だと思う。外国人名の「-」を、日本語で「=」ないし「=」に置き換える習慣は廃れつつある気がする。ぜんぶ「・」にして、リムスキー・コルサコフとかガルシア・マルケスにしたほうがすっきりするんだけど、従来から「=」を使っていると検索性を保つためにそう簡単にはやめられないというのが正直なところ。
秋の落穂拾い、「第九」の季節

●落穂拾いをいくつか。先月のティーレマン指揮ウィーン・フィルの来日公演で、書こうと思って忘れてたことなんだけど、カーテンコールでティーレマンがドシン!と指揮台に飛び乗るじゃないすか。そのタイミングに合わせて、楽員たちも足でドン!と鳴らすのをやってて、場内「ふふ」ってなったのだった。フォルカーさんの記事で思い出した。ティーレマンもまんざらじゃなさそうな表情だったのが印象的。指揮台が壊れないかとはらはらした。
●新国立劇場のリチャード・ジョーンズ演出「ヴォツェック」、もう上演が終わったので書くけど、ラストシーンが子どもたちによる冒頭の髭剃りシーンの再現になってたんすよ。冒頭シーンとまったく同じ構図と衣装で、子どもたちが同じ所作をする。つまり貧困の再生産を描く。「ホップホップ」をヴォツェックの子が歌うんじゃなくて、子どもバージョンの大尉が歌ってたと思う。「ヴォツェック」の円環構造を明確に視覚化した鮮やかな幕切れであるという人もいれば、あざとく感じる人もいたようで、賛否両論だった模様。あと、今回の「ヴォツェック」で怖かったのは集団のダンスシーン。
●12月は「第九」の季節。「ぶらあぼ」に「第九と日本の100年物語──どのようにして日本人は年末に第九を聴くようになったのか」を寄稿した。日本の年末「第九」の風習について、近年、不思議なネット記事を目にすることが増えてきたので、あらためて整理しておこうと思って書いた。
ブログをモダン化する その2 メタタグの整備

●さて、サイトを周回遅れでhttps化したものの、ブログが依然として旧石器時代のままではよろしくない。最近のモダンなブログでは、右クリックしてソースを覗いてみると、びっくりするほどメタタグ、すなわち人間ではなく検索エンジンやSNSに読ませるための情報が増えている。headタグのなかにダーッとこれらのタグが並んで、なかなかbodyタグにたどり着かない感じだ。これらはCMSが自動的に吐き出してくれるわけだが、そういったモダンなタグの誕生以前からあるウチのブログのheadタグは、まったくもって簡素。いくらなんでも、このままではよくない、かといって全面的にSEO対策(この言葉は好きじゃない)に走るのはイヤだ。なんでもいいからアクセス数を増やしたいわけじゃないんである。そこで、最低限、入れておこうと思った3つの要素を付け加えた。これも忘れっぽい未来の自分と、同じことをしようと考えているだれかのために書き記しておく。
●まずは、OGP(Open Graph Protocol)の整備。これはSNSでウェブページをシェアした際に、どのように表示されるかを制御するためのメタデータ。このブログを作った頃にはそんなものはなかった(SNS自体がなかったから)。metaタグを使って、og:site_name、og:type、og:url、og:imageの項目を各個別ページに吐き出すように、CMSのテンプレートを書き換えた。たとえば、こんなヤツだ。
<meta property="og:url" content="https://www.classicajapan.com/wn/2025/11/100938.html" />
その際、ChatGPTに手伝ってもらって、テンプレートを書き直してもらったのだが、割と平気でまちがえる。ヘンだなと思って「えっ、そんな文法、ないよね?」と誤りを指摘すると、「そうです、そのような文法はまちがってます」と平然と返答する。あんたがまちがえたんだろがー!とツッコミたくなるわけだが、これはもうAIを使う際のお約束みたいなもので慣れた。エラーが出たら、エラーメッセージを見せて修正案を出してもらう。こちらのリクエストに対して、すらすらとコードを書いてくれる様子は感動的だ。
●で、og:imageで使用する画像には、横1200ピクセル以上の横長のものが推奨されるという。そこで、各記事に画像が使われている場合はその画像のURLを入れ、画像なしの記事については固定のデフォルト画像のURLを吐き出すことにした。ただ、ウチのサイトはずっと最大でも横411ピクセルの画像を使ってきたんすよね。なにせ旧石器時代の低速インターネット時代に優しいようにファイルサイズの削減を厳しくやってきたから。でも高解像度スマホが当たり前の今、そんな小さな画像を使ってるサイトはほとんどない。そこで、ウチのブログでも横1200ピクセルの画像を標準サイズとすることにして、ブラウザ側に縮小させる仕様にした。そのためのCSSに項目を追加する。このあたりのCSSの書式や、CSSのキャッシュバスターの使い方なども、ぜんぶChatGPTに教わった。めちゃくちゃわかりやすく教えてくれて、家庭教師の先生みたいで、ありがたい。
●ふたつめはGoogle Discover等への対策。各個別記事に固定で以下の一行を入れておくと、各種検索結果に画像が表示されるときに、横幅いっぱいに使ってもらえる、と思う。
<meta name="robots" content="max-image-preview:large" />
●そして、最後はcanonicalタグの設置。これは検索エンジンに対して、各記事の正規のURLを示すもの。同じ記事に対してURLがひとつしかないなら不要な気もするが、念のため、入れる。検索エンジンがすでに格納しているhttpのURLに対して、新しいhttpsのほうが正規URLですよ、と明示するためにもあったほうがいいかもしれない。でも、なくてもいいかもしれない(どっちなんだ)。og:urlと同じものを入れるだけなので、手間はかからない。たとえば、こんな感じ。
<link rel="canonical" href="https://www.classicajapan.com/wn/2025/11/100938.html" />
●このようにテンプレートを書き直した後、ふたたび全6000超の記事を再構築することに。これがまた大変なのだが、手間を減らすためにChatGPTに相談してみたら、思いもよらない妙案を出してきてくれて感心する。CGIのコードを新規に書いてくれたり、既存のコードの書き換えを提案してくれたりする。「こんなことを尋ねるのはバカっぽくて恥ずかしいかな」と思うようなことでも、相手がAIだとためらいなく質問できる。あ、でもそのうち、相手がAIでも「恥ずかしい」という感情がわくようになるのか? そこはよくわからないところではある。(→つづく)
ブログをモダン化する その1 httpからhttpsへ

●当サイトは1995年に始まり、2004年の1月からブログを導入している。20年以上前に作ったブログを続けているわけだが、インターネット上における20年前とはリアルワールドにおける200万年前に相当するので、これは旧石器時代のブログと言える。もちろん、その間にスマホ対応やセキュリティ対策などであちこちを更新してはいるのだが、とくにこの10年ほどは技術面への関心が向かず、ほとんど旧石器時代の仕様のまま、記事を書き続けていた。仕事が忙しくなり、日々〆切に追われていても、ブログの記事は楽しんで書ける。しかし、バックヤードの整備は楽しくないのだ。別の言い方をすれば、掃除が嫌い。でも掃除はサボっているとだんだん腰が重くなるもの。世の中がどんどん変化しているのに、太古の仕様を引きずっていると、過去に埋没するばかりになる。
●が、そこに救世主のようにあらわれたのがChatGPTをはじめとするAIだ。キャッチアップできていなかった技術面の事柄について、あれこれ尋ねると実に親切に教えてくれる。やり方がわからなくて(あるいは調べるのが億劫で)放置していたいろんなことが、ChatGPTのおかげでなにをすればよいのか、見通せるようになった。コードも書いてくれる。現状、AIは「これまで独力でできなかったことをできるようにする」ツールという認識。
●まず最初にやったのは、旧石器時代の通信プロトコルであるhttpを、現代のセキュアなhttpsに変えること。今、httpのサイトはGoogle等から蛇蝎のごとく嫌われており、検索エンジンでの評価が下がるだけではなく、ブラウザから厳しい警告が出るようになりつつある(シークレットモード/プライベートモードからアクセスするとよくわかる)。サイトのセキュア化は15年前にやっておくべき事柄だが、できなかったのには理由がある。もし今から新しくサイトを作るなら、無料SSLサーバー証明書のLet's Encryptを使って簡単にhttpsが実現できるだろう。だが、このブログを置いているNTTPCのWebARENA SuiteXでは、Let's Encryptを使えない。httpsにするためには個人サイトにとっては高額なSSLサーバー証明書を購入するしかなく、あきらめていたのだ。ところが、いつのまにか仕様が変わり、他社で購入した安価なSSLサーバー証明書を持ち込むことができるようになっていることを知った。そこで、さくらインターネットからJPRSが発行するドメイン認証型の格安SSLサーバー証明書を導入することにした(有効期限は一年。一年後に更新が必要)。
●すぐに忘れる未来の自分と、これから同じ道をたどる人(いるのか?)のために記しておくと、インストールの大まかな手順はこうだ(このサイトが参考になった)。
1. WebARENAのサイトマネージャーにログインして「CSR・秘密鍵の作成」を行う。作成されるのはただのテキストファイル。
2. さくらインターネット等でSSLサーバー証明書を購入する。ドメイン所有権の確認方法は「メール認証」を選択。WebARENAで作成したCSRを貼り付ける。
3. しばらく待って「SSLサーバ証明書お申込受付完了」メールが届いたら、「承認」をクリックし、「サーバー証明書」と「中間CA証明書」をダウンロードする。これも中身はテキスト。
4. WebARENAのサイトマネージャーにもどり、「SSLサーバー証明書」と「中間証明書」の両方をペーストする。その際、CSR生成時にダウンロードしたテキストファイルにある「受付番号」もペーストする。
これですぐに、httpsでアクセスできるようになる。あっけなくつながるのだが、待て待て。実はその前にやらなければいけない大仕事がある。
●というのも、同一ページにhttpsとhttpが混在するコンテンツはブラウザから警告の対象になるようなのだ。たとえばウェブページ上に画像ファイルやCSS、スクリプト類を埋め込んでいる場合、対象ファイルを相対パスで指定していれば問題にならないが、絶対パス(http:// ~)で読み込んでいる場合は、サイトをhttps化したときに混在コンテンツになってしまう。ウチのブログの画像はすべて絶対パスで指定してあったので、ルート相対パス(例:/wn/images/....といったルートから書く書式)に直すことにした。手書きで直すのはムリなので、どうするんだ、データベースをダウンロードしてローカルで格闘しなきゃいかんのか?と一瞬、気が重くなったが、CMS側の「検索/置換」で対応できることが判明。ほっ。絶対パスをルート相対パスに置換するのは難しくはない。が、変な置換をやらかすと厄介なことになるので、慎重にやる。このあたりは、ChatGPTと相談しながら手順を確認しつつ進める。データベース上での置換は瞬時にできた。
●しかし、データベース上で直しても、実際のページは直っていないのだ。このブログはすべてのページが静的なHTMLとして出力されている。そのため、実ページを直すにはサイト全体を再構築して出力し直す必要がある。これが一苦労。このブログはぜんぶで6000記事以上ある。CMSで再構築のボタン一発では済まないのだ。というのも共用サーバーなので、重い処理をリクエストするとタイムアウトして途中でエラーが出る(このあたりの仕様も古いのだが)。しょうがないので分割で数百記事ずつ選択してなんども再構築するという原始的な作戦で対応する。これもChatGPTと相談して、もう少しましな方法が見つかったのだが、それはまた別の話。
●あと、見落としがちだが、ページ内から外部のJavaScriptをhttpで呼び出している場所が何か所もあった(たとえばMyBlogListなど)。これも記述をhttpsに直す。こちらはCMSのテンプレートを書き換える形になる。もうなにがどこのテンプレートにあるのか、さっぱり覚えていない状態でやるので手間取ったが、困ったら相棒ChatGPTに相談だ(ちなみにこういう100%実務的なケースでは、饒舌すぎるアントンRより素のChatGPTが適切)。
●以上の作業を少しずつ、何日もかけて進めてから、ようやくhttpsに移行した。移行の瞬間は緊張する。で、移行したら、すぐにCMS上の自サイトの設定をhttpからhttpsに変更しておく。そのとき、CMS上でCSSがうまく読み込まれなくて表示がおかしくなり、軽くパニックになったが、どうにかして対応を済ませた。
●さて、ネット上では http:// ~ と https:// ~ は別物として扱われる。サイトをhttpsに移行しても、なにもしなかったらユーザーや検索エンジンのクローラーは旧httpにアクセスしてしまう。そこで、httpに来た人が(人だけじゃなくてロボットも)httpsに行くように、サーバー上の.htacessを書き換える必要がある。これもChatGPTに教わりながら書くことになったのだが、以下のコードを書き加えた。
RewriteEngine On
RewriteCond %{HTTPS} !=on
RewriteCond %{HTTP:X-Forwarded-Proto} !https
RewriteRule ^(.*)$ https://%{HTTP_HOST}%{REQUEST_URI} [R=301,L]
これ、自分は3行目がどうして必要なのか、もうひとつ腑に落ちていないんだけど、ChatGPTは入れないと永久ループが発生するケースがあるって言うんだよな。まあ、じゃあ入れておくか。あと4行目の正規表現ももっと簡潔に書けるって主張されたんだけど、そこは無視して先人たちの慣例に従っておいた。
●これでhttpに来た人も自動的にhttpsに飛ぶことになった。あとはCMSの設定ファイル等に絶対パスでhttpで指定している部分がないかをチェック。完璧を期すなら先土器時代の手書きHTMLファイルにも混在コンテンツがたくさんあるはずで、直す必要があるわけだが、そこはひとまず放置することに。もっとほかにやるべきことがある。メタ情報の整備だ。(→つづく)
阪田知樹×ブラームス カーキ・ソロムニシヴィリ指揮 スロヴェニア・フィル

●秋の超高密度演奏会週間、締めくくりは28日の東京芸術劇場で阪田知樹の独奏とカーキ・ソロムニシヴィリ指揮スロヴェニア・フィルによるブラームス。プログラムはユーリ・ミヘヴェツの「妖精の子」序曲、ブラームスのピアノ協奏曲第1番、同第2番。一晩でブラームスのピアノ協奏曲を2曲とも弾いてしまうという力技。スゴすぎる。
●スロヴェニア・フィルはリュブリャナを本拠とするオーケストラ。たぶん聴くのは初めて。ローカル色を残した温かみのあるサウンド。最初の「妖精の子」序曲の作曲者ミヘヴェツはスロヴェニアの作曲家なのだとか。ぜんぜん知らなかったけど、古典派スタイルの明快な序曲で、ベートーヴェンからロッシーニくらいの作風。創意に富むとは言いづらいけど、気持ちのよい曲ではある。
●ブラームスのピアノ協奏曲、第1番と第2番、両方並べるならどちらがメインプログラムになるんだろう。素直に考えれば、より成熟した、人気も高い第2番が後か。でも作品世界の広大さ、激烈な感情表現ということでは第1番が後に来てもおかしくない気がする。どちらが好きかと言われたら、どっちも大好きだけど、心揺さぶるのは第1番。ともあれ、この日はふつうに作曲順に前半が第1番、後半が第2番。第1番、オーケストラは豪放に始まったが、独奏ピアノはこれを落ち着かせるように優しく入る。巨大な音楽を作るというよりは、むしろ抒情的で抑制的。透明感すら感じる。後半の第2番は高揚感にあふれ、輝かしく雄大。音色は澄明。ブラームスを聴く喜びをたっぷりと堪能できた。もう一度、聴きたくなる。冒頭ホルンも第3楽章のチェロのソロもまろやか。さすがにアンコールはない。
●写真は芸劇の前の広場。グローバルリングって言うんだっけ。賑やかそうな催しを準備中だった。