amazon

2026年5月アーカイブ

May 29, 2026

アーシュラ・K・ル=グウィンの「暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて」

●「ゲド戦記」の作者として知られる作家、ル=グウィンほど聡明な書き手はめったにいないと思うのだが、数年前に刊行された生前最後のエッセイ集「暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて ル=グウィンのエッセイ」(アーシュラ・K・ル=グウィン/谷垣暁美訳/河出書房新社)を読んでみたら、この人は80代になってもキレッキレの知性を保っていたことがよくわかった。81歳になって始めたブログの記事がもとになったエッセイ集で、老いることや文学や社会について、あるいは飼い猫の話などが自由に綴られている。書名はハーバード大学の同窓会から送られてきた「余暇にはなにをしていますか」というアンケートへの回答に由来する。80代にとって余暇とは? ル=グウィンの回答は「暇なんかないわ、大切なことを考えるのに忙しくて」だった。
●ル=グウィンのもとには、大勢の読者からの手紙が届く。それはそうだろう。そこには作者への質問がたくさんある。なかには作品の意味を問うものもある。それに対してル=グウィンの言っていることが、とてもいいなと思うので、以下に引用したい。

 この本の意味は何ですか? この本のこの出来事の意味は? この物語の意味は? 何を意味しているのか教えてください。
 でも、それは私の仕事じゃないの。あなたの仕事よ。
 私は自分の物語が自分にとって何を意味するのか、少なくとも部分的には知っている。同じ物語が、あなたにとってはまったく違うものを意味することは大いにありうる。そして、1970年にその物語を書いたときに、それが私にとって意味していたことは、1990年にそれが私にとって意味していたこととも、2011年の今、意味していることとも、まったく異なるかもしれない。(中略)

 芸術(アート)における意味は、科学における意味と同じではない。言葉が理解されている限り、熱力学第2法則の意味は、誰がいつ、どこで読んでも変わらない。『ハックルベリー・フィンの冒険』の意味は変わる。(中略)

 それが自分にとって何を意味するのか見定め難いときに、書いた私に訊きたくなる気持ちはわからなくもない。だけど訊かないでほしい。書評家や評論家やブロガーや研究者の書いたものを読めばいい。彼らは皆、本が自分にとって意味することについて書く。そうすることで、本を説明して、ほかの読者にとって役に立つ、適切な共通の理解を打ち立てようと努める。それが彼らの仕事であり、彼らの一部は非常にうまくやってのけている。

●これは文学についての話だけど、音楽もまさにそうだし、芸術とはみんなそんなものだろう。作者に意味を尋ねてはいけないし、作者は読み手の解釈を正しいともまちがいとも言う立場にはない。作者のなかに一義的に定められた答えがあるわけではなく、作者のなかでも意味は変化し続ける。芸術の大前提だ。以前、バルガス・ジョサ(リョサ)の「街と犬たち」(都会と犬ども)について、カイヨワが作者に対して話をまったくわかっていないと断じたエピソードを紹介したが、一脈通ずる話でもある。
●ちなみに音楽についての話題だと、ル=グウィンはジョン・ルーサー・アダムズがお気に入りなんだとか。有名なジョン・アダムズじゃないほうの作曲家。環境とか自然との共生がキーワードになるのかな。まあ、わかる話ではある。

May 28, 2026

ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン指揮フランス放送フィルのブルックナー

ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン フランス放送フィル
●このブログ、演奏会の話題が続くと、茶色っぽい写真ばかり並んで、揚げ物だらけお弁当みたいになる。唐揚げ、トンカツ、コロッケ、エビフライ、メンチカツ、みたいな。うまそう~(ウソ)。
●さて、27日はサントリーホールでヤープ・ヴァン・ズヴェーデン指揮フランス放送フィル。プログラムはモーツァルトのピアノ協奏曲第21番(藤田真央)、ブルックナーの交響曲第7番(ノーヴァク版)。前半、オーケストラは磨き上げられたきらびやかなスイート・モーツァルト。藤田真央のピアノは生気にあふれ、フレッシュ、陰影も豊か。聴きものは独自のカデンツァで、たっぷり。期待にたがわず創意にあふれ、モーツァルトの様式を超えて即興性に満ちている。やっぱり、カデンツァはこうでなくては。カデンツァのおしまいで、ぴたっとオーケストラが入れた。当たり前かもしれないけど、うっかりすると入れないんじゃないか的なタイプのカデンツァだったので。第3楽章のカデンツァも自作(ですよね?)。ソリスト・アンコールは、最初、あれ、なんだろうこの曲と思っていたら、「マイスタージンガー」の旋律がだんだんはっきりと聞こえてきて、最後はオペラの堂々たるエンディングにつながった。会場表記はワーグナー(藤田真央編)「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第3幕より「朝は薔薇色に輝いて」およびフィナーレ。アンコールとしては長いのだが、素直にうれしい。後半のブルックナーにつなげる選曲ということか。
●フランスの楽団が来日公演でブルックナーをとりあげるのは珍しいが、これが期待を大きく上回る秀演。ヴァン・ズヴェーデン、前半のモーツァルトといい、以前のニューヨーク・フィル来日公演といい、自分の好む方向性とはだいぶ違う指揮者だと思っていたのだが、このブルックナーには好感しかない。オーケストラのサウンドが明るく滑らか、ふっくらとして輝かしい。自然体でのびやか、壮麗。深遠さを気取らない感じがいいと思った。実際、ブルックナーの後にアンコールでドヴォルザークのスラヴ舞曲第8番を賑やかに鳴らしてくれたわけで、このあたりのブルックナー観が興味深いところ。日本的な感覚では、ブルックナーにアンコールはまずない。でも、おかげでシンバルとトライアングル奏者の出番が、ブルックナーの第2楽章のクライマックスの一瞬だけで終わらずに済んだ。よかった(?)。
●ブルックナーがメインプログラムなのに、休憩中の男性トイレが空いていた。これは長年のコンサート通いで初めての経験。恐るべし、藤田真央効果、自然の摂理を超越するとは!(違う)。

May 27, 2026

シルヴァン・カンブルラン指揮読響のメンデルスゾーン、コルンゴルト、ドヴォルザーク

シルヴァン・カンブルラン 読響
●26日はサントリーホールでシルヴァン・カンブルラン指揮読響。黄金コンビが帰ってきた。プログラムはメンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲(イリア・グリンゴルツ)、ドヴォルザークの交響曲第8番。先にカンブルランと読響はデュティユー他の公演があったが、そちらは都合が付かず。ああいったモダンなプログラムが本領だとは思うが、この日のような名曲プログラムでも、このコンビは本当にすばらしい。有名曲をすっきりと洗い直してくれる稀有な存在。
●一曲目のメンデルスゾーン「フィンガルの洞窟」から充実。見通しがよく明快で、キレがあり高分解能。もっさり感ゼロ。整った造形から自ずと奇観がもたらす神秘とロマンが立ち昇ってくる。あらためて完璧な名曲と実感。コルンゴルトではイリア・グリンゴルツのソロが細身で優美繊細。アンコールにタルティーニの30の小ソナタの第2番より第3楽章アレグロ・アフェットゥオーソ。後半のドヴォルザークの交響曲第8番は理想的な快演。整然として爽快、土の匂いどころか清潔感すら漂うスマート・ドヴォルザーク。ドヴォルザークの作品で、自分にとっていちばんグッとくるのがこの曲。あまりにも自然で、人間が作ったものという気がしない。大地に埋まっていたものを作者が掘り起こしたかのような錯覚を覚える。愉悦にあふれ、心の底から楽しめるドヴォルザークだった。拍手はあっさりと止んだのだが。
●カンブルラン、身のこなしがあまりに若々しくて、つい年齢を調べてしまった。77歳とは。カッコよすぎる。

May 26, 2026

ロレンツォ・ヴィオッティ指揮東京交響楽団のシュトラウス&ラヴェル

ロレンツォ・ヴィオッティ 東京交響楽団
●東響の話題が続くが、24日はミューザ川崎でロレンツォ・ヴィオッティ指揮東京交響楽団。音楽監督就任披露と銘打たれた特別演奏会で、リヒャルト・シュトラウスの「4つの最後の歌」(マリーナ・レベカ)とラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」(東響コーラス)。前週のベートーヴェンとマーラーに続いて、練り上げられた完成度の高い演奏。ヴィオッティの音楽監督としての最初のシーズンからは多様なレパートリーに取り組む姿勢がうかがえるが、今回は前半に独唱者、後半に合唱が入るという意味では歌の回。
●「4つの最後の歌」のマリーナ・レベカは声量豊かで、艶やか、雄弁。オーケストラは繊細な響き。後半のラヴェル「ダフニスとクロエ」は鮮烈。色彩感が魅力の作品だが、透明感のある水彩画というよりは滲みのないマットなアクリル画というか。淡い官能性よりも、かっちりとした格調高さを感じる。フルートの冴え冴えとしたソロが印象的。終盤は熱量もありドラマティック。この日も客席は大喝采で、新音楽監督の就任披露としては望みうる最上の結果だったんじゃないだろうか。
●ヴィオッティはとてもカッコいいのだが、早く新しい「アー写」がほしい。「アー写」は露出が大きいほど、賞味期限が短くなるので。

May 25, 2026

東京交響楽団 ロレンツォ・ヴィオッティ音楽監督就任記者会見

東京交響楽団 ロレンツォ・ヴィオッティ音楽監督 就任記者会見
●21日、ミューザ川崎で東京交響楽団のロレンツォ・ヴィオッティ音楽監督就任記者会見が開かれた。コンサートホールの舞台上で行われ、プレス関係者は客席に座るスタイル。新音楽監督のロレンツォ・ヴィオッティ、廣岡克隆楽団長、岡崎哲也理事長が登壇。冒頭に福田紀彦川崎市長のメッセージ紹介あり。すでにベートーヴェンとマーラーを組み合わせた就任披露公演が大成功に終わっており、廣岡楽団長からは「期待を大きく上回る成功」「客席を巻き込む力のある指揮者」とのコメント。
●ヴィオッティは音楽監督を務めることについて「大きな名誉であり責任を感じている。持てるエネルギーのすべてを注ぎ込みたい」と抱負を述べつつ、まずは取り組むべき課題として「若い聴衆を巻き込みたい。楽団員は年々若くなっているが、それに比べると聴衆は若返っていない。若い人々を呼ぶことを大きなミッションとしたい」。ヴィオッティ自身、36歳と指揮者としては若いわけだが、若い聴衆を呼ぶ試みに各地で取り組んでいる様子。なるほどと思ったのは「オーケストラはよく子ども向けの公演を行うが、そうではなく、大学生くらいの年齢の人々にアプローチしたい」
●ミューザ川崎の音響を称賛し、レストランにたとえて「シェフにとって最高のキッチンが最高の料理を作るように、オーケストラにとって最高のホールが最高の音楽を生む」。また、「一般的に日本の聴衆は非常に集中力が高い。先日の就任披露公演の後、ママに電話して『演奏中、あちこちで咳が出ないって信じられる?』と話した。楽章間で静けさが保たれているとき、聴衆との結びつきを感じる」
●新シーズンのプログラムでは、大作、フランツ・シュミットのオラトリオ「7つの封印の書」が目立つ。この作品について「楽団側からこの曲を提案されて、もちろんやらせてほしいと即答した。この曲は、昔、アーノンクールの指揮で合唱団の一員として歌ったことがある。いつかこの曲を指揮したいと思っていたが、どこのオーケストラでやりたいと言っても断られてきた。今日、この曲はウィーンでしか演奏されない。それなのに楽団から提案されたのだから、これは信じがたいこと」
●あとは印象に残ったのは、現代の作曲家として、ひとり名前を挙げるなら、トーマス・アデスと言っていたこと。それから、ヴィオッティは初めてのプロオーケストラの指揮が東響で、当時の記憶については「オーケストラが我慢強かった。また招いてもらえたのだから悪くなかったとは思うが、まだまだ自分は若かった」。プログラミングについて、マーラー・シリーズとかベートーヴェン・シリーズみたいなものは「好きではない。そういったシリーズもの企画は指揮者のため、あるいはレコード会社のためのもので、自分は興味がない」
●全体の印象としては、とても率直な語り口で、誠実で知的。東響は前任者ノットがあまりにも大きな成功を収めたので、次の監督はだれがなっても難しいんじゃないかと思っていたが、最高の人選だったんじゃないだろうか。
東京交響楽団 ロレンツォ・ヴィオッティ音楽監督 就任記者会見

May 22, 2026

ジョン・アダムズ指揮東京都交響楽団の「ナイーヴ・アンド・センティメンタル・ミュージック」「ハルモニウム」

ジョン・アダムズ 東京都交響楽団
●21日はサントリーホールでジョン・アダムズ指揮都響。ジョン・アダムズは2024年1月の都響定期で遅すぎた日本デビューを飾って「ハルモニーレーレ」他を指揮してくれたわけだが、今回、ようやく再共演が実現。79歳。あのジョン・アダムズも爺になる。でも、スリムで動きは軽やか、指揮棒の動きは明快。もっとも成功している現代の作曲家のひとり。未来から振り返ったとき、20世紀後半から21世紀初頭のオーケストラ音楽の代表的作曲家としてジョン・アダムズの名が刻まれるのだろうか。
●曲は前半にジョン・アダムズの「ナイーヴ・アンド・センティメンタル・ミュージック」(1999/日本初演)、後半にアイヴズの「答えのない質問」、新国立劇場合唱団との共演でジョン・アダムズ「ハルモニウム」(1980)。「ナイーヴ・アンド・センティメンタル・ミュージック」(日本語表記の揺れあり、「繊細で感傷的な音楽」等)は、曲名を見れば「ナイーヴ」で、しかも「センティメンタル」だというのだから、すごく「ベタな」音楽なのかと思うわけだが、作曲者自身の解説によれば、これは誤解を招くのを承知で使っている言葉なのだとか。本来はシラーの論考「素朴な詩と感傷的な詩について」における意味で使っているという。すなわち、「自分と周囲の環境とのあいだに、あるいは自分自身の内部に、いかなる亀裂も意識していない者」がナイーヴ、「意識している者」がセンティメンタル。このふたつの語を対立する概念として把握する発想がなかったけど、「それって、どっちを選んでも敗北なんじゃね?」って気はする。まあ、この分類でいえば、客席に詰めかけているたいていの人はセンティメンタルの側に立つ……のか?
●シラーとか、「ベートーヴェンかよっ!」って突っ込みたくなるところだけど、でも音楽は完全にジョン・アダムズそのもので、衒学的なところはなく、すこぶる明瞭で爽快。「急─緩─急」の3楽章構成で、中間楽章は瞑想的。第3楽章が壮麗で、前の2楽章に比べると、典型的なジョン・アダムズという意味で新鮮さよりも古典性を感じる。とても楽しい。短いパターンによるリズミカルな反復をもとにすると、いくらでも長大な曲ができてしまうので、ジョン・アダムズ流のポスト・ミニマルはシンフォニーにもオペラにも適しているとは思うんだけど、そのなかで新味となじみやすさのバランスをどうとるかは難しいところなんじゃないだろうか。自分の心のなかのどこかに「ハルモニーレーレ」の再生産を期待する気持ちがないとはいえない。
●「ナイーヴ・アンド・センティメンタル・ミュージック」は45分の大作だけど、合唱入りの「ハルモニウム」は33分ほど。これも十分大作だけど、聴いてみると短く感じる。3つの部分からなり、それぞれテキストはジョン・ダンの「否定でしか表せない愛」(ネガティブ・ラブ)、エミリー・ディキンソンの「私が死のために立ち止まることができなかったから」、同「大荒れの夜」(荒れ狂う夜)。それぞれ英語圏ではとてもよく知られた詩なのだと思う。作曲者がテキストに求めたイメージは「さざ波のような音の波に乗って進む大勢の人間の声」。まさにその通りの音楽ではじまる。これもおおむね「急─緩─急」の構成。第3楽章はバルトークの「管弦楽のための協奏曲」終楽章を思い出させる高揚感あふれる楽想で始まる。これはワイルド・ナイト、嵐の夜として歌われるのは狂おしい愛(字幕はなかったが、プログラムノートに対訳あり)。自分は後から知ったんだけど、この詩はエミリー・ディキンソンが彼女の義理の姉に対する情熱を表現したものという解釈が一般的なのだとか。マグマのようなエネルギーが噴出するが、最後は波が引いて、消え入るように終わる。「愛と死」というもっとも根源的なテーマを扱った全3楽章。
●間に演奏されたアイヴズの「答えのない質問」もたいへん見事な演奏。トランペットを2階席に配置、木管をP席に置いて立体的な音響。始まる前に指揮者の脇に椅子が置かれ、そこに客席に背を向けて合唱指揮の冨平恭平さんが座ったので「?」と思ったが、木管への副指揮だった。よく見たら、プログラムノートに副指揮としてもクレジットされてた。
●ジョン・アダムズのソロ・カーテンコールあり。

May 21, 2026

宇都宮美術館「ゴッホの跳ね橋と印象派の画家たち」展

utsunomiya2026gogh1.jpg
●もうひとつ美術館の遠征ネタを。大型連休の合間の平日に足を運んだ宇都宮美術館の「ゴッホの跳ね橋と印象派の画家たち」。開館30周年記念としてドイツのヴァルラフ=リヒャルツ美術館のコレクションによる印象派をめぐる全70点を展示。初めて来たが、「うつのみや文化の森」という緑豊かな公園のなかに建てられた立派な美術館で、すこぶる快適な空間。

utsunomiya2026gogh2.jpg
●上はゴッホの「跳ね橋」(1888)。人だかりなし。ゴッホや印象派を謳ったら、都内なら平日だろうが休日だろうが大混雑必至だが、ここでは好きな作品を心行くまで見ていられる。演奏会は都心に一極集中だけど、美術館は中規模都市の優位があることを実感する。ゴッホは2点だけなのだが、ほかにモネ、ルノワール、セザンヌ、ゴーガン等々、そうそうたる布陣。

utsunomiya2026gogh3.jpg
●こちらはマネ「アスパラガスの束」(1880)。今回の展示でいちばんおいしそうな一枚。購入者が絵を気に入って代金を多めに送金したところ、喜んだマネは後日「束から一本、抜けていました」とメッセージを添えて、一本だけのアスパラガスの絵を送ったエピソードが紹介されていた。

utsunomiya2026gogh4.jpg
●モネの「ヴェトゥイユ上流、春の効果」(1880)。この小さな写真ではディテールは伝わらないとは思うけど、ぼやっとした淡い空気感があって、湿度を感じる絵。

utsunomiya2026gogh5.jpg
●中庭にあったオブジェ。チューブからニュルッと白が飛び出している。こういうのが楽しいのだ。

utsunomiya2026gogh6.jpg
●ぜひまた来たいと思う美術館なのだが、一点、注意が必要なのはアクセス。バスの本数が少ない。宇都宮駅から美術館行きのバスは1時間に1本か2本で、なぜか12時台はゼロ。11時45分の後、13時20分までの空白がある。この時間帯は餃子タイムなのか(駅ビル内においしそうな餃子のお店がたくさんある)。閉館時間とバスの時刻も連動していないので、うっかり閉館の17時まで滞在してしまうと、平日は17時36分、日曜に至っては18時12分までバスがない。ただ、別の路線を使う手はあるかもしれない。検索すると、美術館から徒歩14分にある帝京大学というバス停を使うルートが出てくる。歩行者フレンドリーな道かどうかは知らない。

May 20, 2026

パーヴォ・ヤルヴィ指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団

●19日はサントリーホールでパーヴォ・ヤルヴィ指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団。プログラムはシューマンの「ゲノフェーファ」序曲、ブラームスのヴァイオリン協奏曲(ジャニーヌ・ヤンセン)、チャイコフスキーの交響曲第5番。このコンビをライブで聴くのは初めて。パーヴォの指揮はN響でたくさん聴いてきたけど、来日オーケストラとの共演も多い。ドイツ・カンマーフィル、ロイヤル・コンセルトヘボウ、パリ管弦楽団、シンシナティ交響楽団……。どこのオーケストラを振っても、輪郭のシャープな明瞭鮮烈なパーヴォ印のサウンドが出てくるんだけど、同時にオーケストラのカラーが生かされているのがおもしろいところ。チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団の柔らかくてノーブルな響きを堪能。温かみを感じる。チャイコフスキーの交響曲第5番はパーヴォとしては意外なレパートリーかなと思ったけど、このコンビで録音がリリースされていることに気づいて納得。
●弦は対向配置、コントラバス下手、16型。シューマンの「ゲノフェーファ」序曲、名曲プログラムとしては渋めの曲ながら、パーヴォが振るとシューマンですら鮮やかに。ブラームスではソリストのジャニーヌ・ヤンセンが大熱演。以前にパーヴォ&N響で同じ曲を聴いてパワフルな人だと思った記憶はあるけど、ここまで強烈だったかな。とくに終楽章はダイナミックな表現で、オーケストラの厚いサウンドをものともせずに真っ向から対峙する。燃えるようなブラームス。アンコールにバッハの無伴奏パルティータ第2番よりサラバンド。
●後半、チャイコフスキーの交響曲第5番は期待を大きく上回るおもしろさ。全楽章ほとんど間を置かずに一気呵成。鮮烈なサウンドで、土の香りを感じないきらびやかなスペクタクルではあるのだが、テンポの操作など造形はエモーショナル。録音も済ませ、ツアーでもなんども演奏しているだろうに、フレッシュさを失わない。この曲にはほとんど避けがたい「気恥ずかしさ」があると思うんだけど、パーヴォだと恥ずかしくない。心の底から楽しめる。終楽章、あまりに盛り上がったので、コーダ前で拍手がでないかと一瞬心配になったが、サントリーホールで出るわけないか。客席の盛大な喝采に続いて、アンコールにアルヴェーンの「グスタフ2世アドルフ」より「エレジー」。父ヤルヴィが録音している曲。パーヴォのソロ・カーテンコールあり。
●パーヴォとチューリッヒ・トーンハレ、チャイコフスキーの交響曲全集のほかにもマーラー、ブルックナー、メンデルスゾーンなど、次々とレコーディングをリリースしてすごいなと思うんだけど、こういうのは日本以外でも物理CDが売れるものなんだろうか。どういうビジネスモデルで成り立っているのか、気になるところ。

May 19, 2026

豊田市美術館 「櫃田伸也-通り過ぎた風景」展

豊田市美術館 「櫃田伸也-通り過ぎた風景」
●今さらだけど、連休中の日帰り豊田市遠征の話題をもうひとつ。今回も豊田スタジアムの前に豊田市美術館を訪れた。この美術館はこれで5度目。毎回、すごい場所だなと感動する。今回の企画展は「櫃田伸也-通り過ぎた風景」展。作品もすばらしいし、展示方法も工夫されていて、居心地がよい。広々した贅沢な空間が吉。

豊田市美術館 「櫃田伸也-通り過ぎた風景」

豊田市美術館 「櫃田伸也-通り過ぎた風景」

豊田市美術館 「櫃田伸也-通り過ぎた風景」
●展示はこんな感じ。連休最終日の振替休日の昼頃で、それなりに人はたくさん来ているけど(スタジアムを目指すユニ姿もちらほら)、でもタイミングを狙えば、これくらい人のいない写真を撮れる(広いので)。

豊田市美術館 「櫃田伸也-通り過ぎた風景」
●これ、いいなあと思った「通り過ぎた風景」(1989/2003 東京都現代美術館)。はっ。東京都現代美術館の所蔵作品をわざわざ豊田市まで遠征して見てる!(ほかにもいくつかあり。近美の所蔵作品も)。でも、いいのだ。この展示はこの場所だけのもの。

豊田市美術館 「櫃田伸也-通り過ぎた風景」「緑色のテーブル」
●展覧会のタイトル通り、多くはなんらかの風景なんだけど、テーブルを題材にした作品もいくつかある。これは「緑色のテーブル」(1971)。例外的に色のコントラストが強くて目立つのだが、背景の緑が草地っぽくて、室内の感じがしない。下から見上げるテーブルが、樹木みたいだなと思う。

豊田市美術館 「櫃田伸也-通り過ぎた風景」 「箱」
●これは「箱」(2003-19 豊田市美術館)。箱らしきものはいくつか見えるものの、題から想像する閉じた空間ではなく、むしろ開けた風景に目がゆく。水のイメージ、というか大雨かな。おぼろげな記憶の一場面のようでもあり。

豊田市美術館 館内
●コレクション展もかなり見ごたえがあり、時間が足りない。14時キックオフのスタジアムと組み合わせた日帰り遠征の弱点は、美術館での滞在時間が2時間をやや切ってしまうということ。東京から豊橋停車のひかりを使うと、豊田市駅に着くのが11時。そこから美術館まで徒歩で10分くらい(あるいはタクシー)。で、サッカーが14時キックオフだと、13時には美術館を出たい。少し、時間が足りない。15時キックオフなら理想的だった。
●豊田市美術館から豊田スタジアムまでは徒歩30分強。初めて行ったとき、そんなに歩くのはしんどいからとタクシーを使ったのだが(美術館にタクシー乗り場がある。要電話)、スタジアム横付けはあまりに味気なくて後悔し(大事なところをすっ飛ばしている感が半端ない)、以後は歩いている。でも、やっぱり美術館で足が疲れた後の徒歩30分強はたいへんなわけで、別の方法としては、いったん駅まで歩いて、そこから路線バスに乗るという手もあるかもしれない。レンタサイクルも少しは検討したけど、なんだか面倒そう。自分と同じように豊田市美術館→豊田スタジアムをハシゴしている人はそれなりにいるはずなんだけど、みんなどうしているのかな。試合終了後は豊田スタジアムから豊田市駅まで徒歩17分。これは大集団になる。シャトルバスがあれば行きも帰りも使うだろうけど、残念ながらないのだ。

May 18, 2026

ロレンツォ・ヴィオッティ指揮東京交響楽団のベートーヴェン&マーラー

ロレンツォ・ヴィオッティ 東京交響楽団
●17日はミューザ川崎でロレンツォ・ヴィオッティ指揮東響。新たに音楽監督に就任するヴィオッティのお披露目。ウィーン・フィル定期に招かれるなど、欧州で大活躍中の気鋭が、ジョナサン・ノットの跡を継いだ。前日のサントリーホールに続いて、この日もチケットは完売。前任のノットがあまりに大きな成功を収めたので、これから東響はどうなるのかなという期待半分不安半分で足を運んだが、コンサートは大成功に終わった。
●プログラムはベートーヴェンの交響曲第1番とマーラーの交響曲第1番「巨人」のダブル「第1番」。これが最初の一歩ということか。ベートーヴェンは弦が10型。対向配置かと思いきや、下手から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスと並べるオーソドックスなストコフスキ配置。いや、今はもうなにがオーソドックスなのか、わからないが。チェロを外に置くのは少数派。音域順にきれいに並んで、なるほど、この並びだと弦楽器全体がひとつの楽器のようにまとまって響くものだなとは思う。モダンで精悍、推進力みなぎるベートーヴェン。意欲満々で完成度が高い。第3楽章から第4楽章へ、間髪入れずにアタッカで入ったのがおもしろかった。
●後半はマーラー「巨人」。第1楽章冒頭は、かすかな弱音で始まる、無から音楽がわきあがる方式。エネルギーにあふれると同時に、ていねいに彫琢された輝かしい音楽。第3楽章のコントラバスの「グーチョキパー」はトゥッティだった。ソロの場合の異様な剥き出し感に比べると、角の取れた幻想的な雰囲気になる。終楽章は一段とテンションを高めてエキサイティング。壮麗なクライマックスを築き、最後の一音が終わるやいなや客席から大喝采。新音楽監督を熱烈歓迎といったムードで、当然のごとくヴィオッティのソロ・カーテンコールに。
●マーラーの「巨人」って勝負曲だな、と思う。大事なところで出てくる。

May 15, 2026

山田和樹指揮NHK交響楽団の山田一雄、ハルトマン、須賀田礒太郎、ヒンデミット

山田和樹 NHK交響楽団
●14日はサントリーホールで山田和樹指揮N響。N響100年特別企画「邦人作曲家シリーズ」と銘打たれた公演のひとつで、プログラムがすばらしい。前半が山田一雄の小交響詩「若者のうたへる歌」、ハルトマンの「葬送協奏曲」(キム・スーヤン)、後半が須賀田礒太郎の交響的序曲、ヒンデミットの交響曲「画家マチス」。すべて1930年代に書かれた日独の作品。大戦前夜、ファシズムの時代から生まれた音楽。前後半で日独日独の相似形になっており、1曲目は「新ヤマカズ・コンダクツ・元祖ヤマカズ」で、2曲目以降はハルトマン、須賀田、ヒンデミットとひとつの音楽的な流れを体感することができる。チケットは完売。
●ヒンデミット以外はなじみのない曲で、元祖ヤマカズ=山田一雄作曲の小交響詩「若者のうたへる歌」を聴くのも初めて。作曲者25歳の作品でマーラーやリヒャルト・シュトラウスの影響を感じる。そもそも山田一雄といえば大指揮者という認識で、作曲家として注目したことがなかった。たしか、初めてN響を聴いたときの指揮者が山田一雄だったような記憶。情熱的な独特の指揮ぶりによるチャイコフスキーの5番に圧倒されたことを覚えているのだが、記憶の捏造かもしれない。後期ロマン派の香りが漂う山田作品の後にハルトマンの「葬送協奏曲」を聴くと、時代をジャンプしたかのような気分になる。独奏ヴァイオリンはキム・スーヤン。ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団の第1コンサートマスターを務める。同曲をインキネン指揮バイエルン・カンマーフィルとの共演でOehmsに録音している。コラール主題で始まるものの、険しく厳しい音楽。ソリスト・アンコールにバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番の第3楽章アンダンテ。
●後半、須賀田礒太郎の交響的序曲は意外と楽しい曲。作曲者32歳の作品。かなりのところヒンデミット風で「画家マチス」に近い世界を描いているのだが、後半は日本のお祭り調に。オーケストラの機能性を生かしたフーガはバルトークの「管弦楽のための協奏曲」風。おしまいの部分のはじけ方はアイヴズ風でご機嫌。とてもよい。メインプログラムは本家、ヒンデミットの交響曲「画家マチス」。こうして聴くと「画家マチス」は生まじめでクールではある。即物的スペクタクルとでもいうか。終楽章は壮麗。ブラスの音色は輝かしいんだけど、ずしりとした重みもあって、作品にぴったり。指揮とオーケストラは終始、噛み合っている印象。珍しい作品を最上質の演奏で聴けて満足度の高い公演だった。

May 14, 2026

アンドレア・バッティストーニ指揮東京フィルのシューマン&マーラー

アンドレア・バッティストーニ 東京フィル
●13日はサントリーホールでアンドレア・バッティストーニ指揮東京フィル。前半にシューマン~バッティストーニ編の「子供の情景」(世界初演)、後半にマーラーの交響曲第4番(ソプラノは高橋維)。これはうまい組合せだと思った。ともに清らかで無垢な世界を題材に掲げつつも、それぞれの背後にシューマンではロマンス、マーラーではアイロニーが潜んでいる。そして、マーラーはシューマンの交響曲の編曲者でもある。
●バッティストーニ編曲の「子供の情景」は原曲の世界観を壊さない。やさしい眼差しを感じる。指揮者が編曲したピアノ曲の管弦楽版という点で、たまたま直前のシャニ指揮ミュンヘン・フィルの「軍隊行進曲」と続いたわけだけど、あちらは近代兵器を装備した一個師団みたいに化けていたので……。題材的にラヴェルの「マ・メール・ロワ」を連想する。ただ、原曲が簡潔な曲なので、オーケストラで表現するとなると、作品にもう少し密度が欲しくなるかな。ピアノで表現できる余白みたいなものをオーケストラに当てはめる難しさを感じる。マーラーの交響曲第4番は意外と自然体の音楽。前回、同じコンビのシュトラウス「アルプス交響曲」が熱血登山といった独特のスタイルでおもしろかったが、それに比べると抒情性が前面に出たバランスのとれた表現。
●今、東京オペラシティのコンサートホールが休館中なので(6月まで)、東フィル定期はサントリーホールとオーチャードの2公演のみで、公演数が少ない。サントリーはサントリーで2027年3月から6か月間の休館予定。東フィル定期は関係ないけど、東京文化会館は今月から休館中(~令和10年度中)。みんなやりくりが大変そう。

May 13, 2026

ラハフ・シャニ指揮ミュンヘン・フィルのマーラー「巨人」

ラハフ・シャニ指揮ミュンヘン・フィル
●今週は演奏会が多い。11日はサントリーホールでラハフ・シャニ指揮ミュンヘン・フィル。昨年、ロッテルダム・フィルと来日したイスラエルのラハフ・シャニが、今回は次期首席指揮者を務めるミュンヘン・フィルと来日。プログラムはモーツァルトのオペラ「後宮からの誘拐」序曲、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番(チョ・ソンジン)、マーラーの交響曲第1番「巨人」。弦は対向配置、コンサートマスターは青木尚佳。
●最初のモーツァルトから活力のある大柄な音楽。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番は、若き日の作品と言うよりは、深遠さを感じさせる表現。バレンボイムを連想する。バロックや前古典派の方向から眺めるのではなく、ブラームスやワーグナーの方向から遡った重くシリアスなベートーヴェン。といっても、オーケストラの音は柔軟で、澄んだ明瞭なサウンド。ソリストのチョ・ソンジンもシャニに歩調を合わせるように彫りの深い表現を展開。軽やかさも力強さも兼ね備えたベートーヴェンに。アンコールにベートーヴェン「悲愴」の第2楽章を弾いてくれた。詩情豊か、本領発揮。
●マーラー「巨人」は練り上げられた演奏で、個々のプレーヤーの技量の高さが際立つ。第3楽章、コントラバスのソロが朗々と歌ってソリスティック。以前はコントラバス一本で奏でる異色のソロにドキドキしたものだけど、最近はみんなうますぎて腕自慢大会の様相。終楽章は一段ギアを上げたかのようにパワフルで、ホルンに続いてトロンボーンも立奏するなどスペクタクル。最強奏でも響きは澄明。最後の一撃がビシッと決まったが、客席がみんなぐっとこらえて一瞬の余韻を味わってから、盛大なブラボーが出たのには感心してしまった。アンコールは以前のロッテルダム・フィルでもそうだったけどシャニ自身が編曲した作品。今回はシューベルトの「軍隊行進曲」を極彩色の編曲で盛大に。このセンスは理解できないが、立派な演奏に客席は大喝采。

May 12, 2026

水野修孝「交響的変容」

東京芸術劇場
●最近、SNSとかウェブの文面を読んでいて「あっ、これAIの文体だ」って、気づくことが増えた。もうそうなると先を読む気がすっかり失せる。ふだん、日常的にAIと接するようになって、AIの標準的な文体になじんだおかげで、独特の冗長さ、枠をはみ出ない慎重さ、パターン化された話の展開に対して、敏感になった。もちろん、AIの文体は設定で変えられるが(たとえば「温度」を上げる)、そうはいっても統計的な妥当性に縛られるので限界はある。だれかが「人間は人間の書いた(描いた)ものにしか興味を持てない」と言ってたけど、文でも絵でもAIだなと気づいた瞬間にまともに接しようと思わなくなる。AIがすごいものを書いても、背景に人間の感受性とか物語がないとわかっていると、関心が薄れるのかもしれない。
●で、すべてにおいて枠をはみ出す人間的な夢想の実体化ともいうべき超大作が、水野修孝の「交響的変容」。10日東京芸術劇場で上演。同劇場の芸術監督に就任する山田和樹の指揮とプロデュースによる「史上最大の交響作品の蘇演」。バブル経済の余韻が残る1992年、幕張メッセで総勢700名による出演者で初演された「交響的変容」(1962-87)が、コンサートホールで上演可能な形態で再構築されてよみがえることに。12時開演で、2回の休憩をはさんで終演は16時30分過ぎ。第1部「テュッティの変容」 (1978)、第2部「メロディとハーモニーの変容」(1979)、第3部「ビートリズムの変容」(1983)の後、45分の休憩が入り、全6章からなる長大な第4部「合唱とオーケストラの変容」(1987)の第3章と第4章の間に15分の休憩が入る。12時開演のコンサートは珍しいが、会場ではおにぎり弁当なども販売されていた。全席完売、作曲者臨席。読響、栗友会合唱団、太鼓に林英哲、ティンパニに武藤厚志、ソプラノに熊木夕茉。多数の賛助出演者。
●さまざまな様式の音楽が渾然一体となっていて、一口には語りようがないが、多くの部分で爆音が鳴り響く。過剰さや巨大さそれ自体が作品のエッセンスなのだと思う。実現困難な壮大な構想が現実のものになったときに初めて生まれる芸術があることを知る。とくに強烈だったのは第3部の激烈なリズムの饗宴で、和太鼓とティンパニの応酬による超長大なカデンツァは、ニールセンの「不滅」が霞んで見えるほどの大迫力。壮絶な音響が空間に飽和する。第4部では第4章で「キリエ・エレイソン」に始まるフーガ。合唱が移動し、客席のあちこちで独立して歌う。民謡風の旋律を用いたカオス。オーケストラも3群に分かれ、最大9名の指揮者が劇場内のあちこちに立って、指揮する。情報量が多すぎて知覚の限界を軽く突破。日本語歌詞はあまり聴きとれなかったが、原爆がテーマになっていることに気づく。マーラー他の引用も。ここまででヘトヘトだったのだが、さらにその先も長く、おしまいの第6章ではほとんど感覚が麻痺した状態に。曲を聴いたというより、とてつもないなにかを体験したという実感。
●カーテンコールでは1階席に座る作曲者へ盛大な喝采。山田和樹が客席に降り、しばらくすると客席がドッとわいた。上階だったのでなにが起きたのかわからなかったが、マエストロが作曲者に紙吹雪をまいたのだとか。おもしろい。

May 11, 2026

ミシェル・タバシュニク指揮新日本フィルのブラームス

ミシェル・タバシュニク 新日本フィル
●8日はサントリーホールでミシェル・タバシュニク指揮新日本フィル。スイス出身のタバシュニクは83歳。昨年、ブロムシュテットがN響を振った際の一公演(ストラヴィンスキー「詩篇交響曲」&メンデルスゾーン「讃歌」)で、タバシュニクはカバーコンダクターを務めていた。90代の巨匠を80代の巨匠がカバーする驚異の世界線。幸いに出番はなかったわけだが。
●で、そのタバシュニクが新日本フィルの定期に登場。プログラムはラヴェルの「ラ・ヴァルス」、ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番(アンドレイ・イオニーツァ)、ブラームスの交響曲第2番。モダンな音楽を得意とする人という印象があったので、きっと鋭利で即物主義的な音楽を作り出すのだろうなと想像していたら、ぜんぜん違う方向性のアプローチでびっくり。最初の「ラ・ヴァルス」からして濃厚な表現だったが、白眉はなんといってもブラームス。全編にわたって伸縮自在のテンポ設定で、思い切りリタルダントしたかと思いきや、急加速で突進するなど自由自在。全体の傾向としては遅いところはより遅く、速いところはより速く。これは「変態演奏のおもしろさ」に留まるものではなく、きわめて説得力のあるブラームスで、きっと19世紀の指揮の芸術ではこういった主観的表現や大胆なテンポ操作が駆使されていたにちがいないと思わせてくれる。息の長いフレージングで横に大きな流れを作り出す様子も印象的。客席の反応も上々で、驚きと興奮が伝わってくる。特大ホームランが出た、という感触。
●ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番でソロを務めたアンドレイ・イオニーツァは久々。余裕を感じさせる技巧。アンコールは現代スウェーデンの作曲家、スヴァンテ・ヘンリソンの「ブラック・ラン」という超絶技巧特盛の曲。鮮烈。

May 8, 2026

豊田スタジアムで名古屋グランパスvsガンバ大阪

豊田スタジアム
●6日は豊田市へ日帰り遠征。朝早くに家を出て豊田市美術館と豊田スタジアムを巡る。やや強行軍だが、これで4度目。毎回、豊田スタジアムの観戦環境には感動する。4階まである巨大スタジアムながら、客席の傾斜が急なのでピッチが見やすい! これまでは2階と3階にしか座ったことがなかったので、今回は未知の場所に座ろうと思い、1階席に。1階席でも傾斜が十分にあって感心。その分、足元には気をつかうが、観客席は老若男女で盛況。名古屋グランパスvsガンバ大阪戦、入場者数は38,880人。
豊田スタジアム ホームゴール裏
●名古屋は経験豊富なペトロヴィッチ監督、ガンバは若いドイツ人のイェンス・ヴィッシング監督。どちらもゴールキーパーからボールをつないでビルドアップする能動的な戦い方で、見ごたえがある。ドリブル突破も競り合いも迫力満点、好調なチーム同士の対戦だけあって、技術、パワー、スピード、すべてにおいてハイレベル。いやー、このクオリティを目の当たりにすると、マリノスの低迷も納得というか……。試合は開始8分に名古屋の稲垣祥が得意のミドル砲を炸裂させて先制、さらに前半のうちに木村勇大が追加点を奪って勝利。終了間際に1失点したが、完勝だろう。
豊田スタジアム アウェイゴール裏
●アウェイ側ゴール裏にもガンバサポがぎっしり。Jリーグがもたらすアウェイ・ツーリズム効果を実感。先に豊田市美術館を訪れたのだが、そこでもユニ姿の人がちらほら。自分と同じようなことをしている人たちがいるのだ。
●いつも豊橋停車の新幹線ひかり(数は少ない)で往復しているのだが、大型連休最終日とあって試合終了後の上り新幹線のチケットを取るのは一苦労。早い段階でこだまも含めて全便で空席ゼロだったが、きっとキャンセルが出るだろうと思ってスマホのEXアプリでときどきチェックしていたら、前々日にひかりの空きを拾えた。このあたりの機動性はスマホアプリならでは。

May 7, 2026

TACT FESTIVAL 2026 すもう×おんがく「ファソラシどすこい!タコどすこい!」

ファソラシどすこい!タコどすこい!
●4日は東京芸術劇場のTACT FESTIVAL 2026 すもう×おんがく「ファソラシどすこい!タコどすこい!」へ。会場はシアターウエスト。TACT FESTIVALは「こどもからおとなまで誰もが楽しめるフェスティバル」をうたったお祭りで、寄席や大道芸、サーカス的なパフォーマンス、ワークショップ、コメディなど、いろんなタイプの催しが屋内・屋外で開かれる。有楽町のラ・フォル・ジュルネTOKYOとハシゴする。
●「ファソラシどすこい!タコどすこい!」はきわめて独自性の高い公演で、どう説明したらいいのか、とても難しいのだが、テーマは相撲。相撲由来のパフォーマンスと現代音楽と客席参加型キッズプログラムが一体となった公演とでも言えばいいのか。歌あり、相撲甚句あり、三味線あり、笑いありの予測不能な60分のプログラム。構成・作曲・演奏は日本相撲聞芸術作曲家協議会 JACSHA(鶴見幸代、野村誠、樅山智子)で、工藤あかね(ソプラノ)、松平敬(バリトン)、松田哲博(歌、四股/高砂部屋 元一ノ矢)、釘元厚子(歌、三味線/木花相撲踊り保存会)、すがも児童合唱団の出演者勢。すごいメンバーがそろった。すがも児童合唱団の子どもたちがひたすらかわいい。客席参加型なのだが、やはり客席側も子どもたちが元気いっぱいでノリノリ。相撲愛にあふれた楽しくてシュールな舞台。最後に観客向けフォトセッションの時間が用意されていて親切。なお、「どすこいシュトックハウゼン」は出てきません(念のため)。
●客席最前列に本物のお相撲さんが3人陣取っていたので、てっきり出演者かと思ったら観客だった……。

May 4, 2026

ラ・フォル・ジュルネTOKYO 2026

ラ・フォル・ジュルネTOKYO 2026
●3日、ラ・フォル・ジュルネTOKYO 2026が開幕。今年のテーマは「大河」。東京国際フォーラムに足を運ぶ。何公演かハシゴして、いちばんインパクトが強かったのは、初登場のフランソワ・ラザレヴィチ率いるレ・ミュジシャン・ド・サン=ジュリアン。リコーダー、トラヴェルソ、ミュゼット(ふいごを抱えて演奏するバグパイプ状の楽器)を吹き分ける笛の名手によるヴィヴァルディ名曲集。どれもカッコいいのだが、やはりミュゼットは格別。「四季」の「春」と「冬」で、原曲に添えられたソネットを通訳入りで読んでくれたのもよかった。アンコールでチェロの人が歌い出してびっくり。ほかには山下一史指揮千葉交響楽団のベートーヴェン「田園」、五十嵐薫子のピアノによるムソルグスキー「展覧会の絵」(アンコールのサロン風の曲がなにかわからなかったが、後でレスピーギ「6つの小品」の第1曲「甘美なワルツ」と判明)、アリエル・ベックとケンショウ・ワタナベ指揮大阪フィルによるシューマンのピアノ協奏曲ほか。
●どの公演だったか、隣に両親に連れられてきた小学生男子が座った。きっと、この子は幼い頃から音楽祭に来ているのだろう。そしてあと数年で、もう親とはいっしょに来なくなる。この音楽祭、はじまって20年以上経つけど、客席が音楽祭といっしょに歳をとるタイプのイベントではなく、どんどん若い人が入ってきていることを改めて感じる。来年はナントで新しいディレクターを立てるというので、企画側にも新しい風が吹くのだろう。

May 1, 2026

「名局と名曲のあいだ 将棋と音楽の芸術性をめぐって」(佐藤天彦、広瀬大介著)

●令和の奇書が爆誕!「名局と名曲のあいだ 将棋と音楽の芸術性をめぐって」(佐藤天彦、広瀬大介著/アルテスパブリッシング)。将棋の「名局」と音楽の「名曲」という一見つながりそうもないテーマなのに、両者が有機的に絡みあった内容になっている奇跡の一冊。対談形式になっており、お互いが相手の分野に対して造詣が深いから、話がしっかり噛み合う。で、この本、どちらかといえば将棋本なんすよ。そして、ワタシは将棋を指さないので、読んでも理解できないところがたくさんあるわけなんだけど、それでも興味深く読めた。「美しい棋譜」を後世に残す、という考え方が存在することを知る。そして、いま将棋界がAIによって大きく変化しており、棋士の側に危機意識があるという話が刺激的だった。
●AIが完全に人間を凌駕し、一手ごとにAIによる評価値が示されてしまう状況で、人間はどう将棋を指すのか、全員が同じようにAIの最善手を研究して対局に臨んだとして、それは観戦しておもしろいものであり続けられるのか、将棋に本来あったはずの指し手のインスピレーションから生まれる芸術性が損なわれないのか等々といったテーマはどれもおもしろい。そして将棋だけじゃなくて、広瀬さんもモーツァルトの「ジュピター」について突っ込んで語っていて、将棋本でありつつ音楽書でもあって、そこが稀有。
●第1章を読んでて思ったんだけど、将棋の世界で起きていることって、本当にサッカーの世界にそっくりだなと思った。勝負の世界だから勝つことは文句なしに最優先なんだけど、お客さんのほうは天才肌の選手の芸術性や創造性にあふれたプレイや、意外性のあるアイディア、遊び心みたいなものを期待している面がある。でも、今の時代、勝利至上主義が徹底され、統計に基づくゴール期待値が算出されるようになり、守備戦術がどんどん高度化し、フィジカルモンスターが重用され、天才肌の選手は歴史的な存在になりつつある。勝ち負けがある世界はあちこちで似た現象が起きているのかも。
---------
●ゴールデンウィーク期間の当欄は不定期更新で。ふだんは原則平日更新だけど、暦通りだと5連休になってしまうので。

あなたのためのAI

このアーカイブについて

このページには、2026年5月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2026年4月です。

次のアーカイブは2026年6月です。

最新のコンテンツはインデックスページへ。過去に書かれた記事はアーカイブのページへ。