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2026年3月アーカイブ

March 31, 2026

フェスタサマーミューザ KAWASAKI 2026 記者発表会

フェスタサマーミューザ2026 記者発表
●25日午後はミューザ川崎でフェスタサマーミューザKAWASAKI 2026記者発表会。この夏もミューザ川崎シンフォニーホールを舞台に首都圏+αのオーケストラの競演がくりひろげられる。登壇は左より東京交響楽団の廣岡克隆楽団長、福田紀彦川崎市長、オルガニストの松居直美ホールアドバイザー、日本オーケストラ連盟の望月正樹専務理事、さらにモニターにはオンライン参加でピアニストの小川典子ホールアドバイザー、ピアニスト&ヴォーカリストの宮本貴奈ホールアドバイザー。毎回思うけど、福田市長が記者会見に臨席するのは立派。市長からは、音楽祭の来場者アンケートでの満足度96%という驚異的な数字を紹介しつつ、年齢を問わず多くの人々にコンサートを楽しんでほしいというメッセージ。
●オープニングコンサートとフィナーレコンサートには、いつものように東響が登場するのだが、ジョナサン・ノットが去り、今回はオープニングの指揮を新音楽監督ロレンツォ・ヴィオッティが務める。ノットは最高の成功を収めたわけだけど、後任がヴィオッティというのもすごい話。楽員にたっぷりソロで活躍してもらおうという狙いで、ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」、リムスキー=コルサコフの「スペイン奇想曲」と交響組曲「シェエラザード」というプログラムが組まれた。フィナーレは今回も原田慶太楼。ファリャの「はかなき人生」からスペイン舞曲第1番、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番(久末航)、山本菜摘の「UTAGE~宴~」、チャイコフスキーの交響曲第5番という祝祭プロ。
●今年、地方から参加するのは仙台フィル。指揮は常任指揮者の高関健。サマーミューザには2度目の登場。ショスタコーヴィチの交響曲第9番とチャイコフスキーの交響曲第6番を組み合わせたプログラム。
●その他、目を引いたのはヴァイグレ指揮読響によるワーグナー(デ・フリーヘル編)の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」オーケストラル・トリビュート。長大なオペラなので、こういったオーケストラ・ハイライトには独自の価値があると期待。太田弦指揮神奈川フィルはプログラムがおもしろい。アイヴズ(W.シューマン編)「アメリカ変奏曲」、グルダのチェロと吹奏楽のための協奏曲(笹沼樹)、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」(澤菜摘)。新たにホールオルガニストを務める澤菜摘は会見に登場し、「サン=サーンスがオルガニストを務めていたパリのマドレーヌ教会のオルガンを弾いた経験があるので、それを思い出しながら演奏したい」と抱負を述べてくれた。

March 30, 2026

スコットランド代表vs日本代表 親善試合

●今週はインターナショナルマッチウィークで日本代表は英国遠征。スコットランド代表とイングランド代表と連戦する。まずはグラスゴーのハムデン・パークで対スコットランド戦。7大会ぶりにワールドカップ本大会出場を決めた相手とアウェイで戦う。ニッポンはけが人が続出しており、やや選手層が薄い。イングランド戦で現在のベストメンバーをそろえるのだろう、スコットランド戦はかなり新鮮なメンバーになった。
●先発はGK:鈴木彩艶-DF:瀬古歩夢、渡辺剛、伊藤洋輝-MF:藤田譲瑠チマ、田中碧-菅原由勢、前田大然-鈴木唯人、佐野航大-FW:後藤啓介。書き方が難しいけど、布陣はいつもの3-4-2-1。ただし、右ウイングバックにフォワード調の選手ではなく、サイドバック調の菅原由勢を起用しているのが特徴。逆サイドにはフォワードの選手である前田大然がいるのだから、左右のカラーはずいぶん違う。トップの後藤は191cmの20歳、ベルギーのシントトロイデン所属。臆せず堂々たるプレイだが、前線の攻撃のタレントが迫力不足であることは否めず。ボランチの藤田譲瑠チマと田中碧はボールさばきが巧みで機能している。藤田はマリノス時代から足元がしっかりしていて、グラウンダーのパスの質がほかの選手とは一味違っており(かつての上野良治を思い出さずにはいられなかった)、いずれ代表選出は確実とは思っていた。ただ、上手いのだが、リスクを管理しすぎるあまり、攻撃面で物足りなく感じることもしばしば。前田は悪くないが、もっと前でプレイしないと生きない。ニッポンがゲームを支配していたもののシュートが少なく得点の気配がしない。逆にスコットランドに決定機があったが、鈴木彩艶がビッグセーブ。
●で、この試合は11人まで交代が可能だったのだが、森保監督は後半開始から3人を交代、さらに後半17分に4人交代、後半33分に3人交代して、フィールドプレーヤー全員を入れ替えた! 攻撃の中心選手たちが入ったことで、がぜん、プレイの質はあがり、次々とチャンスを作ってスコットランドを圧倒、後半39分に伊東純也がゴールを決めて、これが決勝点に。スコットランド 0対1 ニッポン
●比喩ではなく文字通り途中から別のチームになったわけだが、終わった時点のメンバーは、GK:鈴木彩艶-DF:橋岡大樹、谷口彰悟、鈴木淳之介-鎌田大地-伊東純也、中村敬斗-堂安律、三笘薫-FW:塩貝健人、上田綺世。得点が欲しかったこともあってセンターバックの3枚以外、全員攻撃の選手という極端な布陣で、鎌田のワンボランチ、塩貝と上田の2トップになっていた。代表デビューの21歳塩貝はヴォルフスブルクでプレイ中。日本には珍しい野心満々の選手で、自分がゴールを決めてやるという意欲がプレイににじみ出ている。ゴールのシーンは塩貝がポストになってボールを落としたところに伊東が拾って決めた形だが、おそらく塩貝は自分の足元にボールを留めるつもりが流れてしまい、結果的にポストになったのだと思う。

March 27, 2026

東京春祭ディスカヴァリー・シリーズ チュルリョーニス

リトアニア室内管弦楽団
●26日は東京文化会館小ホールで「東京・春・音楽祭」の東京春祭ディスカヴァリー・シリーズvol.12 ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス。リトアニアの作曲家チュルリョーニス(1875~1911)の作品を聴く貴重な機会。というか、チュルリョーニスはまず画家として知られていると思う。まもなく国立西洋美術館で「チュルリョーニス展 内なる星図」が開催されるのだが、チュルリョーニスはわずか35年の生涯で絵画と音楽の両方の分野に作品を残した芸術家であり、展覧会に連動して「東京・春・音楽」で音楽もとりあげられることになった模様。
●といっても、この演奏会、かなり不思議なプログラムでタイトルにチュルリョーニスと掲げられているが、チュルリョーニス作品は前半にしか演奏されず(しかもどちらも編曲作品)、後半に出てくる3人の作曲家、バルトゥリス、マルティナイティス、マルティナイティーテがチュルリョーニスとどういった関係にあるのか、ぜんぜんわからない。曲目解説を見てもどういう人か言及がなく、当日の布川由美子氏のレクチャーでも触れられないままだった。たぶん、3人とも現代リトアニアの作曲家だと思うのだが、詳細は不明。演奏はセルゲイ・クリロフ指揮のリトアニア室内管弦楽団。リトアニア室内管弦楽団というと、サウリュス・ソンデツキスの指揮で録音を耳にしているが、こうしてライブで聴ける機会が訪れるとは。
●そんなわけで、前半はチュルリョーニス(チェピンスキス編)弦楽四重奏曲ハ短調(弦楽合奏版)、チュルリョーニス(ソンデツキス編)5つの前奏曲、後半はバルトゥリス「わたしはシューベルトが好き」(クリロフのヴァイオリン・ソロ)、マルティナイティス「楽園の鳥たち」、マルティナイティーテ「魂の風景」より「春」。チュルリョーニスの作風は大きくいえばロマン派、国民楽派風で、もしもシベリウスやグリーグ、ドヴォルザークがリトアニアに生まれていたらこんな曲を書いたのでは、と思わせるもの。民謡風の楽想もありつつ、独自のポエジーも感じられる。後半の3人は現代の作曲家とはいえ、調性も拍もあって聴きやすいスタイル。ポスト・ミニマル風の短いフレーズの反復と、スマートさとローカル色の融合が基調か。さらにアンコールがあって、指揮者が作曲家と曲名を言ってくれたのだが、聴きとれなかったので公式サイトの情報をそのまま載せると、Jonas TamulionisのTOCCATA DIA VOLESCA
FOR STRING ORCHESTRA、J. NaujalisのSvajone。日本語表記がないと日本では決して広まらないので、表記を定めてほしいところ。
●セルゲイ・クリロフ指揮リトアニア室内管弦楽団の演奏はたいへんすばらしい。会場が小ホールあることを考慮しても、小編成なのに音に厚みがある。野太い音がするというか。日本の楽団にはないタイプの強い香りを感じる。表現意欲も旺盛で、演奏力によって作品価値を一段高めることのできる団体だと感じた。

March 26, 2026

東京・春・音楽祭 ヤノフスキ指揮N響のシェーンベルク「グレの歌」

東京・春・音楽祭 ヤノフスキ N響 シェーンベルク「グレの歌」
●25日は東京文化会館で「東京・春・音楽祭」のシェーンベルク「グレの歌」。これまで同音楽祭のワーグナー・シリーズで名演を聴かせてくれたマレク・ヤノフスキ指揮N響のコンビが、今年はシェーンベルクの記念碑的大作「グレの歌」に出演。これをもってヤノフスキの同音楽祭への出演は最後になるそう。明確にワーグナーの延長上にある後期ロマン派スタイルの作品だけに、一貫性のある締めくくりになった。超巨大編成、舞台上はぎっしり。歌手陣はヴァルデマール王にデイヴィッド・バット・フィリップ、トーヴェにカミラ・ニールンド、農夫にミヒャエル・クプファー=ラデツキー、山鳩にオッカ・フォン・デア・ダメラウ(当初予定から変更)、道化師クラウスにトーマス・エベンシュタイン、語り手にアドリアン・エレート。後半から登場する合唱は東京オペラシンガーズ。休憩あり、字幕あり。
●歌手陣は高水準。ヴァルデマール王は巨大編成の咆哮と戦わなければならないので、基本的には人間の非力さを「聞こえない」ことで表現するものだと思っていたが、デイヴィッド・バット・フィリップはむしろよく聞こえると思った。2019年に「グレの歌」が3公演もかぶった奇跡の年があったが(カンブルラン&読響、大野&都響、ノット&東響)、その「グレグレグレの歌」イヤーの記憶からすると、この王はかなり強く、タフ。ニールンドも文句なし。ダメラウの山鳩も立派。この役はお得かも。
●主役はやはりヤノフスキ&N響で、ワーグナー同様の厳格なスタイル。濃厚なロマンに耽溺することなく、きびきびと音楽が前に進む。豪放磊落な音の洪水ではなく、クライマックスまできちんと制御された音響設計で、明瞭壮麗。87歳なのでさすがに足元は心配になったけど、年齢からすると信じられないほど矍鑠としている。
●で、改めて感じるのは「グレの歌」という規格外の作品が持つ多面性だろうか。イェンス・ペーター・ヤコブセンの原詩にもとづき、ヴァルデマール王とトーヴェの悲恋(?)が描かれる。とくに第1部は音楽的にも物語的にも拡張版ワーグナーであり、「トリスタンとイゾルデ エクステンディッド・エディション1913」を聴いている感覚になるのだが、王とトーヴェは「大地の歌」のように交互にしか登場せず、第2部でトーヴェが王妃によって殺されたことがわかる。王は嘆き、神を呪う。身も蓋もないリアリズムでいえば、王は犠牲者のようにふるまってるけど、王妃のほうこそ犠牲者なんじゃないの、って気もするわけだが、王と王妃の関係は原詩でも描かれていない模様。王妃には王妃の正義があり、王妃の物語があったんじゃないかと思うんうすよねー。
●それで、第3部になると王はもう死んでいて、家臣といっしょに棺桶からよみがえって、暴れる。ここはもう「トリスタンとイゾルデ」的な世界観を超越している。亡霊たちの狩り、ワイルド・ハントだ。これは現代的な解釈ではゾンビの襲来と呼んでいい。でも、どうして王が亡くなったのかは原詩にも描かれていないと思う。どう考えても王にワーグナー的な救済は訪れなさそうだが、音楽的には「見よ、太陽を」で眩暈がするほど輝かしい結末を迎える。これをどう受け止めればいいのか。日が昇り、亡霊たちは消える。個人の救済の物語などには一切の関心を示さず、ただ太陽は大地を照らし、絶対的な存在としての自然がそこにある。そんなアンチ・ロマンに着地するのが「グレの歌」のおもしろさなんだと思う。

March 25, 2026

J1百年構想リーグ、マリノスが川崎フロンターレ相手に大量得点

●昨季に続いて今季もマリノスは茨の道で、びっくりするほどよく負ける。基本、どの試合も負けるのだ。が、先週末の川崎フロンターレ戦ではまさかの大量得点で今季2勝目をゲット。国立競技場の試合で川崎ホームの扱いだったが、川崎0対5マリノスで完勝。実は開始早々に川崎がいきなりゴールを決めたのだが、VARの結果、オフサイドに。マリノスは前半に谷村海那がゴールを決め、後半は天野純、天野純、ユーリ・アラウージョ、ジェイソン・キニョーネスと続くゴールラッシュ。天野は遠野大弥の負傷退場を受けて後半から入ったにもかかわらず、2ゴール1アシストの無双ぶり。
●で、0対5という結果を見ると、よほど川崎が酷かったのかと思うが、DAZNで観戦したかぎりではそうでもない。たしかに運動量やハードワークの面でマリノスが一歩勝っていたとは思うが、内容的にはどうかな。試合終了後の中継で紹介されたゴール期待値(膨大な統計をもとに算出される)は、小数点以下を丸めると川崎2対マリノス3。これが実感に近い。確率的なばらつきによって0対5になったのであって、サッカーではこういうことがたびたびあるものだと思う。
●ちなみにボール保持率は川崎が62%、マリノスは38%。やはり今のマリノスはボールを持たないと勝つ。パス本数はわずか259本、成功率も76%しかない(川崎は569本で83%)。ボールは持たない、つながない。早めに前に蹴って、走って、バトルする。悔しいが、このスタイルが勝利への近道になっている。

March 24, 2026

TOPPANホールで北村陽のチェロ・リサイタル

TOPPANホール 北村陽
●20日はTOPPANホールでチェロの北村陽。前半にサーリアホの「ララバイ~無伴奏チェロのための」(2018)、ショスタコーヴィチのチェロ・ソナタ ニ短調、クレンゲルのチェロとピアノのためのスケルツォ、後半にナディア・ブーランジェの3つの小品、プーランクのチェロ・ソナタという意欲的なプログラム。ピアノは薗田奈緒子。一昨年の同ホールのランチタイムコンサートで北村はリゲティ、三善晃、コダーイらによる無伴奏リサイタルを聴かせてくれたが、冒頭のサーリアホはその続編のよう。全編にわたり、尋常ではない切れ味の鋭さに加えて、パッションが豊か。2004年生まれということだけど、エネルギーにあふれていて、濃密。今だからこそできる音楽を聴いた感。ピアノとの息もぴったり。
●前半のおしまいが重いショスタコーヴィチ、後半のおしまいが軽妙なプーランクというプログラムは、なんだか逆みたいにも思えたのだが、聴けば納得。プーランクの終楽章は軽妙なだけではなく、荘厳だったり、壮麗だったり、いろんな要素が短い音楽のなかに渾然一体となっていて、締めくくりにふさわしい。この楽章の冒頭部分(おしまいでドラマティックに回帰する)が、すごくカッコいい(ブリテンの無伴奏チェロ組曲第1番冒頭に似てるなと思ったのだが、帰ってから録音を聴いてみたらそんなに似てなかった……)。ナディア・ブーランジェを聴けたのも収穫。リリではなくナディエのほう。
●アンコールに祈りのような「鳥の歌」。これで終わりと思ったが、さらにロストロポーヴィチの「ユモレスク」という無窮動風の技巧的小品を爆発的に。本編に劣らず鮮烈で、圧倒されるばかり。

March 23, 2026

ピエタリ・インキネン指揮都響のプロコフィエフほか

ピエタリ・インキネン 都響
●19日はサントリーホールでピエタリ・インキネン指揮都響。日フィル時代になんども聴いたインキネンが、都響に客演。だいぶカラーの異なるオーケストラへの客演だが、都響にぴったりのプログラム。ラヴェル「ラ・ヴァルス」、サン=サーンスのピアノ協奏曲第4番(キット・アームストロング)、プロコフィエフの交響曲第3番。1曲目以外はあまりライブでは聴けない曲なのでありがたい。「ラ・ヴァルス」はダークサイド成分控えめで、さっそうと。サン=サーンスのピアノ協奏曲第4番では、ソリストのキット・アームストロングが恐るべきヴィルトゥオジティを発揮。唖然とするほどのテクニック。これまでリサイタルではなんどか聴いているが、コンチェルトは初めて。映える。ただ、自分が期待する作品像とは少し違ってて、香り立つというよりも華麗さに傾く。ソリスト・アンコールでは、左手だけでフーガ風の曲を弾いて、これも鮮やかな離れ技。曲はサン=サーンスの「左手のための6つの練習曲」第2番「フーガのように」。作曲者の難しそうな人柄を感じるタイプの曲。
●後半のプロコフィエフが圧巻。交響曲第3番は、有名な第5番よりもずっと粗削りでおもしろい。この曲の自分のなかでの愛称は、第1楽章冒頭の反復的なモチーフにちなんで「たまごクラブ・ひよこクラブ」。かわいい+グロテスクが実現。プロコフィエフの音楽が持つ運動性、抒情性、ユーモア、皮肉、暴力性などが、雑然と同居しているのが楽しい。強烈な曲だけど、あまり刺々しくならないのはインキネンゆえか。少し上品。終楽章の終わり方に、あっけにとられる。

March 19, 2026

SOMPO美術館 FACE展2026

SOMPO美術館 FACE展2026
●SOMPO美術館が毎年開催している公募展、FACE展2026へ(~3/29)。場所がいいので、毎年のように足を運んでいる。例年に比べると、抽象画がかなり減ったか。グランプリをはじめ各受賞作にもその傾向が強かった気がする。以下、とくにいいなと思った作品。

「幾千年」(黒澤匠)
●優秀賞に選ばれていた「幾千年」(黒澤匠)。蛍光灯自体が製造中止になりつつある過去の遺物であるわけだけど、さらにこの二重環タイプの照明器具は、ずっと前にシーリングタイプに置き換わっていて、ノスタルジックな存在になっている。なんだか超然として、一種の遺構みたいな趣。「幾千年」という題が効いている。審査員コメントではUFOを想起させるという指摘も。そうなのかな。

「終わりなき旅」(林寿朗)
●こちらは「終わりなき旅」(林寿朗)。異世界というか、ファンタジー小説の一場面のようでもあり。未知の生態系があり、未知の文明がある。反射的に連想したのは、クリストファー・プリーストの「夢幻諸島から」。あるいはリアリズム寄りだと、バルガス=リョサの「世界終末戦争」に出てくる辺境の宗教的理想郷。

「ガザ地区」(原多夫志)
●ぱっと見て地図とわかるが、タイトルは「ガザ地区」(原多夫志)。重いテーマと、洗練された表現。碁盤の目のような整然とした道ではなく、太い幹線道路から細い路地まで複雑に入り組んでおり、そこに人々の営みと歴史の積み重ねを感じさせる。

「くまの眠り」(本多愛実)
●「くまの眠り」(本多愛実)。ほんわかとした「かわいい」タッチだが、これはどういう状況なのか。ベッドに気持ちよさそうに横たわるくまちゃんがいて、くまちゃんの持ち物らしきぬいぐるがあって、そのすぐそばに巨人が佇んでおり、灰皿には火のついたタバコ。すでにタバコは3本目。くまちゃんの目覚めを待っているのだろうか。灰皿のそばに置かれたオイルライターはタフガイを連想させる。物騒かもしれないし、そうでないかもしれない。この巨人はだれだ?
●合わせて、前回受賞者4名による招待展示「絵画のゆくえ2026」も開催中。

March 18, 2026

野村萬斎 with OEK ファリャ「恋は魔術師」

野村萬斎 with OEK ファリャ「恋は魔術師」
●17日はサントリーホールでオーケストラ・アンサンブル金沢の東京定期公演。今回は「野村萬斎 with OEK ファリャ 恋は魔術師」と題され、狂言師の野村萬斎が演出、出演。野村萬斎はOEKの本拠地、石川県立音楽堂のアーティスティック・クリエイティブ・ディレクターを務めている(石川県立音楽堂にはコンサートホールと並んで能楽堂がある)。指揮はOEKパーマネント・コンダクターの松井慶太。プログラムは前半に徳山美奈子の交響的素描「石川」~加賀と能登の歌による~より「海の男」、シューマン(青島広志編)「蝶々」、後半にファリャのバレエ音楽「恋は魔術師」。「能・狂言×日本舞踊×フラメンコ×オーケストラ」と銘打たれていて、いったいどんな舞台になるのか、さっぱり予想がつかなかったが、驚きの完成度。こういった和洋の芸術の融合を目指したものとしては出色の出来で、すべてにおいて洗練された舞台に仕上がっていた。客席にはOEKのお客さんだけではなく、ふだんオーケストラを聴かない方も多数いた模様だが、どちらのお客さんも満足できたのでは。
●オーケストラは舞台後方に陣取り、前方中央には「サントリーホールにはないので、歌舞伎座から借りてきた」(野村萬斎のトークあり)という所作台が敷かれている。前半のシューマン「蝶々」から舞踊付きで、原曲に物語性はないが、自由な発想から組み立てられたストーリーにもとづいて舞が踊られる。編曲はOEKのコンパクトな編成に応じたものだが、ほどよくあでやかで、無理がなく、見事なもの。ファリャの「恋は魔術師」では歌唱も入る(メゾソプラノ:秋本悠希)。作品に充満する熱く濃密なアンダルシア的世界観と和の世界がどう結びつくのかと思ったら、まったく境目のない調和ぶりで驚嘆。これって幽霊譚なんすよね。浮気者の旦那の亡霊に悩まされて、ジプシー美女に亡霊を誘惑してもらう。幽霊なら狂言の得意技、ということで野村萬斎が亡き夫の亡霊役で場内を沸かせる。カンデーラ役に中村壱太郎。ところどころ、所作台を足でドンと強く打ち鳴らして付ける強いアクセントが、ファリャの音楽をいっそう引き立てる。「火祭りの踊り」で大いに盛り上がる。基礎理解がなさすぎて舞についてはなにも言語化できないのが悔しいが、すこぶる華やか。松井慶太指揮のオーケストラはキレのある明るいサウンドで、見通しがよく雄弁、管楽器のソロも巧み。ファリャの作品世界へと引き込んでくれる。カーテンコールもふだんのクラシックの公演とは違って、演出がついているのが新鮮で、カーテンコールからそのままアンコールの「火祭りの踊り」になだれ込む趣向が冴えている。客席からも「火祭りの踊り」のリズムで手拍子。
●会場内で野村萬斎のアクスタ等のグッズ販売あり。本人トークで宣伝されたこともあって、休憩中に飛ぶように売れていた。
●この日もOEKは18時30分開演。もうみんな慣れた。早く始まって早く終わる。これでいいのかも。

March 17, 2026

東京都美術館「スウェーデン絵画 北欧の光、日常のかがやき」

カール・ラーション「カードゲームの支度」
●東京都美術館の「スウェーデン絵画 北欧の光、日常のかがやき」展へ(~4/12)。スウェーデン国立美術館の協力で、約80点からなる19世紀末スウェーデン美術の展覧会。とくべつ有名な人がいるわけではないと思うのだが、行ってみると意外と盛況。上の絵はカール・ラーション「カードゲームの支度」(1901)。公式サイトでメインでフィーチャーされているのがこの絵なんだけど、ひとつの典型というか、スウェーデンらしい豊かな田舎暮らしを温かいタッチで描いている。こういったタイプが人気なのかな。

アンデシュ・ソーン「故郷の調べ」
●こちらはアンデシュ・ソーン「故郷の調べ」(1920)。今回の展示から伝わるスウェーデン絵画の大雑把な流れとして、まずアカデミックな画壇が確立された後、パリに学んだ次世代が新たな潮流を生み出し、やがて「スウェーデンらしさ」を追い求める民族主義的作風が台頭する、という感じ。音楽の世界とよく似ていて、やっぱりこの時代は国民楽派みたいなものが美術の世界でもあるんだなと思う。これはその典型だろう。伝統的な民族衣装を身につけ、リュートを奏でながら故郷の調べを歌う女性。

アーンシュト・ヨーセフソン「水の精(ネッケン)」
●この絵はまちがいなく以前に見たことがあるぞ。アーンシュト・ヨーセフソン「水の精(ネッケン)」(1882)。その場では思い出せなかったが、帰宅してから、SOMPO美術館の「北欧の神秘―ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画」にも展示されていたことに気づく。セイレーンなど、水の中に男を引きずり込む水の精にはたくさんのバリエーションがあるが、ネッケンの場合はヴァイオリンを弾いているところが特徴的。水中でヴァイオリンを弾くのは無理だと思うが、水の精は物理を超越する。

ニルス・クルーゲル「夜の訪れ」
●こちらはニルス・クルーゲル「夜の訪れ」(1904)。ゴッホみたいな夜空。夜の訪れをこんな鮮やかな色調で表現するのが、いかにも緯度の高い国という感じがする。光あふれる夜。光が馬の体にも降り注いでいる。坂本繁二郎が描く馬を思い出すのはワタシだけではないと思う。

March 16, 2026

J1百年構想リーグ、マリノスは千葉に勝利して最下位脱出

●現在開催中の「Jリーグ百年構想リーグ」は変則的な短期決戦。J1を東西の各10チームずつにわけて総当たりをし、最後は東西の同順位で対決する謎方式、しかもPK戦あり。マリノスは開幕から負け、負け、勝ち、負けと予想通りに黒星を重ねて最下位に沈んでいたが、この週末、JEF千葉相手に2対0で完勝。ようやく2勝目を挙げることができた。
●昨季終盤、降格を避けるためにアタッキングフットボールをかなぐり捨てて、ロングボールを蹴ったら、ウソみたい勝てるようになったマリノスだが、今季は大島監督のもとアタッキングフットボールへの回帰を掲げ、その結果として着々と黒星が積みあがっていた。さすがにこのままではまずいと思ったのが、JEF戦は立ち上がりから慎重で、手数をかけないサッカーに。難しいことをせずに、早めに前に蹴る。おかげで次々とチャンスが訪れる。後半7分に遠野大弥のスーパーボレーが(またも)決まり、後半29分には山根陸のパスをペナルティエリア内で受けた谷村海那が豪快なゴールで2点目。そして今季初の無失点。
●この試合、マリノスのパス本数は337で、成功率は68%。どちらもかなり低い。アタッキングフットボール全盛時は600本くらいのパスで成功率は80%を超えていたと思う。「早めに前に蹴る」だと、パスの本数も減るし、成功率も下がる(でもつながればチャンスになる)。やはり、平均的な戦力だと、つなぐサッカーより蹴るサッカーのほうが勝てる。が、観る側が楽しいのはつなぐサッカー。アタッキングフットボールへの回帰を謳ったのは、集客が求められる巨大スタジアムをホームとするクラブの営業戦略もあってのことなのだろう。伝統的にはマリノスは「堅守」のチームだったはずだが、今や監督が「ポステコグルー監督以来のアタッキングフットボールのDNA」などと口にするようになっているわけで、今季も理想主義と現実主義の間をさまよい歩いている。

March 13, 2026

ルービックキューブを新調する

●最近、ルービックキューブを新調した。スピードを競うようなガチ勢ではないので、なんとなく考え事をするようにくるくると回すことが多く、鉛筆回しとかタバコの代用品みたいなところがあるのだが、この世界もずいぶんと進化していて現代のキューブはとてもスムースに回転する。マグネットを使うタイプと使わないタイプがあって、今回選んだMonster Go MG356 はマグネットありのタイプ。とても回しやすい。「子供や初心者の練習用」と謳われているので、競技用ほどチューニングはされていないのだろうが、一般人はこれで十分。
●あと、プラスチックにもともと彩色されているのも吉。これがシールを貼るタイプだと、使っているうちにシールが剥がれて汚くなる。
●昔、このルービックキューブが日本中に大ブームを起こした頃、近所の駄菓子屋のガチャガチャで「ルービックキューブの攻略法」を記した紙が売られるようになり、子どもたちはこれに飛びついた。あれはだれが作った攻略法だったのだろう。近年になって、その攻略法が中国語に翻訳されてネット上に出回っているのを見かけた。それを見た日本人が「中国ではこんなふうに揃えているんだ」みたいなことを書いていたのだが、それは昭和の日本の攻略法だと教えてあげたくなった。

March 12, 2026

ブログをモダン化する その6 落穂拾い

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●(承前)先日の「AIの仕組み」で、「AIとは、ある語に対して統計的にもっともつながる確率の高い語を続けて文章等を生成することで、実質的に思考した結果と変わらないアウトプットを実現する発明だ」といったような話を書いた。AIは学習データによってはまったく役に立たないこともあれば、恐ろしく役に立つこともある。これまでに「ブログをモダン化する」シリーズに書いたように、このサイトはAIのおかげで各種コードを書き替えて、生まれ変わることができた。今風のメタタグを各ページに出力し、トップページやAbout this Siteのページを現代の書法で完全に書き換え、XMLのサイトマップを自動生成するためのテンプレートをCMSに備えた。HTTPS化に際して.htacessファイルも用意してもらった。ついでに、ふだん使いの秀丸エディタのマクロやら、遊びで使うブラウザ用ブロック崩しのプログラムまで書いてもらった。どれもAIの助けがなかったら実現しなかった。
●ほかの改善点としては、ブログの書式をXHTMLからHTML5に更新した。XHTMLはすでに廃れた書式だが、ブログ誕生時には最新の書き方だった。モダンブラウザでも問題なく解釈されるのでそのままにしていたが、昨年末くらいから新しい記事はHTML5で出力することに。こういうのは自力では面倒でやる気にならない労働だが、AIが伴走してくれると楽しい作業に変わるから不思議。
●あとはブログの新規記事を作成するときに、一定条件を満たすとCMSがエラーを吐き出す現象があったのだが、これもAIと相談して原因を推定し、エラーを回避するためのプラグインを書いてもらった。面倒でずっと後回しにしていた問題を、AIの協力で解決できてすっきり。
●と、ここまで書いた記事を読ませて、これに添えるイラストを描いてほしいとAIにリクエストしたのが上の絵。「あ、これAIの絵柄だな」って一瞬でわかるようになってきた。文章もそうで、よくネット上で「これAIの文体だ」ってわかるものを見かける。人もどんどん「AI臭」に敏感になってくるので、ただAIに描いて/書いてもらったものは、すぐ飽きられるはず。

March 11, 2026

鈴木優人指揮読響のベートーヴェン(成田達輝)、モーツァルト

鈴木優人 読響
●10日はサントリーホールで鈴木優人指揮読響。弦は対向配置、10型、コントラバス4台が後方に横一列に並ぶスタイル。プログラムはベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(成田達輝)、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」。前半、目をひく衣装で登場した成田達輝のソロが、かつて聴いたことのない異次元のベートーヴェンで、すさまじいインパクト。第1楽章、提示部からオーケストラに気迫がみなぎっていて、かなり彫りの深い音楽だったが、ソロが入って納得。慈しむような最弱音から輝かしい最強音まで駆使して、ベートーヴェンと自在に戯れるかのようなソロ。隅々まで表現意欲にあふれ、ときには瞑想するかのようでもあり、ときにはヴァイオリンが白煙を上げそうなほど激烈。ずっとなにかが起きている。カデンツァは未知の世界。途中で主題を朗々と歌いながら弾いたのにはびっくり。ヴァイオリンでさらに一声部を増やす方法として、そんな奥の手があったとは!(以前、コパチンスカヤがリゲティだったかで歌ったことがあったとは思う)。すべてにおいて最高水準の演奏を聴かせてもらったという実感で、もうしばらくはこの曲を聴かなくていいかも。演奏が終わると、感極まってソリストと指揮者が熱く抱擁、客席も大喝采。オーケストラもソリストの音楽にしっかりと寄り添って、ひとつになった。なかなかこういった協奏曲は聴けない。アンコールに成田が「一曲、書いてきました」と言って、「ニコロ・アマデウス・ヴァン・ベートーヴェン」なる題の曲を披露。モーツァルトの「ジュピター音型」やピアノ・ソナタ ニ長調K576の冒頭、ベートーヴェンの「エリーゼのために」など、断片的な名曲がパガニーニ流に超絶技巧で彩られる。
●前半の印象があまりに強すぎたが、後半の「ジュピター」もすばらしかった。機敏で生命力にあふれ、透明感があり、管楽器の動きがよく聞こえる。前半の熱気が後半にも受け継がれていた。開演前は少し短めのプログラムかなと思ったが、終わってみればいつもの時間。
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●本日は3月11日。2011年から15年経った。自分のブログの2011年3月のページを読み返して、あれこれを思い出す。

March 10, 2026

金川真弓 無伴奏ヴァイオリン・リサイタル バッハ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲演奏会2日目

彩の国さいたま芸術劇場音楽ホール
●「勝手にバッハ週間」第3弾、8日は久々に埼京線に乗って、彩の国さいたま芸術劇場音楽ホールへ。金川真弓の無伴奏ヴァイオリン・リサイタルで、二日間にわたるバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲演奏会の二日目。前半に無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調、後半に無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番イ短調、無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調。これまで協奏曲や室内楽でなんどか聴いてきた大活躍中の俊英だが、リサイタルは初めて。しかも無伴奏。ヴァイオリニストが舞台にたった独りで立つのは、協奏曲とはまた違った重圧があるのだろうなと想像するが、集中度の高い堂々たるソロ。現代的な美意識にもとづいて磨き上げられたアポロン的バッハといった様相で、構築性や舞踊性とみずみずしい情感が絶妙なバランスで混じり合う。
●この3曲、ソナタ、ソナタ、パルティータという並びだと、頭のほうが重いプログラムになる。ソナタは教会ソナタで、それぞれ第2楽章に恐るべきフーガがあるわけだが、この両フーガが圧巻。とくに最初の第3番のフーガは、いきなりの大クライマックスが訪れた感があり、進むにつれて白熱する様子に息を呑む。対して、おしまいのパルティータは舞曲の連なりでもあり、明るい曲調もあって、肩の力を抜いて楽しむ。
●バッハって、構築性の塊のようなパズルっぽいフーガに人間的な熱いドラマがある一方で、本来身体性を伴う舞曲のほうに幾何学的な美みたいなものがあって、おもしろいなとよく思う。
●アンコールに先月100歳を迎えたジェルジ・クルターグの「サイン、ゲームとメッセージ」より「J. S. B. へのオマージュ」。納得の選曲。クルターグはエリオット・カーター(1908~2012)に続いて、自らの生誕100年に立ち会う作曲家になった。

March 9, 2026

鈴木優人指揮読響のバッハ~メンデルスゾーン「マタイ受難曲」

鈴木優人 読響 マタイ受難曲
●5日はサントリーホールへ。前日のTOPPANホールのベルリン古楽アカデミーに続いて、「勝手にバッハ週間」第2弾として鈴木優人指揮読響によるバッハ「マタイ受難曲」メンデルスゾーン版。この日も変化球なのだ。かのメンデルスゾーンによる復活蘇演にもとづく版で、カットがあったり(正味2時間強)、オーケストレーションが時代に応じて改められていたりする。合唱はバッハ・コレギウム・ジャパン、テノール(福音史家)にザッカリー・ワイルダー、バス(イエス)にドミニク・ヴェルナー、ソプラノに森麻季、カウンターテナーにクリント・ファン・デア・リンデ。前半だけ登場の児童合唱は東京少年少女合唱隊。オーケストラと合唱は左右二群にわかれて配置され、中央に児童合唱が入る。コンサートマスターは日下紗矢子で、胸のすくようなソロ。字幕あり。
●「19世紀のバッハ」という意味ではこれも一種のピリオド・スタイルなのか。メンデルスゾーン版を聴く貴重な機会を得られたということもさることながら、この日の収穫は激しいパッション(文字通り)に貫かれた魂のバッハを聴けたこと。後半はたいへんな気迫で、オペラの演奏会形式を聴いているかのよう。もともと「マタイ」にはそういう要素もあるとは思うが、とてもドラマティック。思わず会衆といっしょになって「バラバ!」と叫びそうになる(ウソ)。優人さんが2020年から務めていた読響の「クリエイティヴ・パートナー」の今月で任期満了。コロナ禍をはさみながら、契約延長を経ての6年間。有終の美を飾った……と言っても、まだ今月の公演が残ってる。優人さんのソロカーテンコールあり。
●よく思うんだけど、作曲当時のスタイルを尊重する考え方が広まる一方、一般的なオーケストラのレパートリーからバッハやバロック音楽がほとんど消えているのが少し寂しい。HIPはHIPで大切にして、それとは別にメンデルスゾーン的な考え方で(あるいはマーラーがベートーヴェンを編曲したように)、21世紀のオーケストラが演奏しやすく、大ホールの聴衆にも喜ばれるように編曲されたバッハやヘンデル、ヴィヴァルディ、コレッリ、テレマンがあってもいいんじゃないかと感じることがある。あえて歴史的情報ゼロで再創造したパワード・バロック、オルタナティヴ・バロック、みたいな。今、シューリヒトがバイエルン放送交響楽団を指揮したヘンデルのコンチェルト・グロッソを聴くと、一周回って胸キュンなんですけど。

March 6, 2026

ベルリン古楽アカデミー Bach's Universe I Pure Bach

TOPPANホール ベルリン古楽アカデミー
●4日はTOPPANホールでベルリン古楽アカデミー(AKAMUS)。コンサートマスターは平崎真弓、オーボエはクセニア・レフラー、チェンバロはラファエル・アルパーマン。バッハを巡る2夜にわたる公演で、その第1夜 Pure Bach を聴く。オール・バッハ・プログラムで有名曲がたくさん並ぶ……と思いきや、異稿とか復元作品多めで、微妙に知ってる世界と違うパラレルワールド感あり。
●プログラムは管弦楽組曲第2番イ短調(ソロ・ヴァイオリン付き第1稿)、オーボエ・ダモーレ協奏曲イ長調BWV1055R(ただし第2楽章が「復活祭オラトリオ」のアダージョ)、ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調、オーボエ協奏曲ト短調 BWV1056R、チェンバロと2本のリコーダーのための協奏曲ヘ長調(ブランデンブルク協奏曲第4番からの作曲者自身による編曲)、2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調。全体として、真摯で峻厳で、推進力に満ちたバッハ。しばしば舞踊性も感じる。躍動感あふれる平崎真弓のヴァイオリンがアンサンブルを牽引する。オーボエの音色がたまらない。甘さだけではなくワイルドな酸味もあってパンチが効いている。あと、演奏が始まってようやく気がついたけど、2本のリコーダーのソリストは、ファゴットのクラウディウス・カンプとオーボエのレフラーなのだった。濃密な演奏を堪能し、最後にアンコールとしてエア、いわゆる「G線上のアリア」。
●バッハの協奏曲、どれも最高の作品なのに、数が限られていることだけが惜しい。ヴィヴァルディみたいに600曲書いてくれとは言わないけど、せめて100曲くらい残してくれていればなあ。
●オーボエ・ダモーレ協奏曲イ長調BWV1055R、これはチェンバロ協奏曲第4番イ長調として親しんでいるわけだけど、ほかの独奏チェンバロのための協奏曲と同様、別の楽器からの編曲だったと考えられており、原曲はきっとオーボエ・ダモーレ協奏曲だろうということで復元バージョンもけっこう演奏されている。まあ、でもそう言われても、第1楽章の晴れやかな曲想なんてチェンバロにぴったりで、くすんだ音色のオーボエ・ダモーレが原曲なんてこと、あるかな?って、感覚的には思ってしまうのだが。終楽章もスピード感があって、颯爽としてはじける感じだし……。で、それはともかくとして、この日は第2楽章がなじみのあるものとは違っていて、「復活祭オラトリオ」の序盤のアダージョをもとにした楽章になっていた。なぜそういうことになるのか、ワタシは知らないんだけど、解説を読んでブルース・ヘインズも同様のやり方で録音していると知ったので、該当の音源を以下に貼り付けておこう。と、思ったら音源がSpotifyに見つからなかった! Naxosで NATURALLY BACH をアルバム検索すると出てきます。

March 5, 2026

東京文化会館 2026年度主催事業ラインアップ記者発表会

東京文化会館 野平一郎音楽監督
●4日午後は東京文化会館の2026年度主催事業ラインアップ記者発表会へ。5月より文化会館は工事休館に入るわけだが、主催事業は都内各所で継続して開かれるということで、その概要について野平一郎音楽監督(写真)らが登壇して語ってくれた。代替となる会場は多岐にわたっていて、たとえば8月の東京音楽コンクールの本選および優勝者&最高位入賞者コンサートは東京芸術劇場、第2次予選はすみだトリフォニーホール小ホールで開かれる。プラチナ・シリーズやシャイニング・シリーズは浜離宮朝日ホールやサントリーホール ブルーローズへ。
●で、目玉公演ともいうべき野平一郎プロデュース「フェスティヴァル・ランタンポレル」は27年2月24日から3月1日に浜離宮朝日ホールで開催される。3年目を迎える同音楽祭は、現代音楽を限られた専門的な聴衆だけのものにするのではなく、幅広い聴衆に足を運んでもらうことを目的としている。少し先の話になるわけだが、チェコの作曲家オンドレイ・アダメクが来日する。今、大活躍中の人みたい。たしかベルリン・フィルの委嘱作がDCHで紹介されていたと思う。本人のビデオメッセージが流され、かつて京都にもしばらく滞在していたことがあるそうで、演奏される作品のなかには Imademo(今でも)という日本語由来の曲名があった。アダメクとドヴォルザークを組合わせたプログラムなどが用意される。また、現代音楽と無声音楽のコラボレーション「IRCAMシネマ」では、パーカッションのイサオ・ナカムラが出演。
●休館中の音楽資料室の話はどれくらい知られているだろうか。この4月より休室となり、夏以降に移転して再開する。移転先は青海フロンティアビル。
●今回の大規模改修工事に伴う長期休館だが、いつから休館するかははっきりしているが、どんな資料を見てもいつから再開するのか、明確に書かれていない。東京都のサイトには休館期間が令和8年5月7日~令和10年度中(予定)と記されている。再開日について質疑応答で尋ねてみたところ、工事の入札がこれからなのでまだ確定していないという話だった。

March 4, 2026

国立新美術館「テート美術館 YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」

テート美術館 - YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート
●久々に国立新美術館へ。現在「テート美術館 YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」展が開催中。80年代後半から00年代初頭にかけての英国のアートに焦点を当てる。YBAは「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト」の意。大まかなキーワードを挙げるなら、人種差別、格差、エイズ、同性愛、ジェンダー、IRA、サッチャー政権あたりか。閉塞的な空気を打ち破ろうとするような作品が並ぶ。なにせキービジュアルが上のような感じだったので、平日昼間でも年配層はほとんど見かけず、高感度な雰囲気の若者たちでいっぱい。本当に美術展というのは展示の中身で客層がガラッと入れ替わる。
クリス・オフィリ「ユニオン・ブラック」
●上からぶらさげられているのは、クリス・オフィリの「ユニオン・ブラック」(2003)。英国旗の3色、白青赤を、アフリカ系の人々の解放と自由を掲げる汎アフリカ主義運動で用いられる緑赤黒に置き換えている。説明を見ずとも、アフリカが感じられるのでは。

リサ・ミルロイ「フィンズベリー・スクエア」
●これは妙な静けさがあって気になった。リサ・ミルロイの「フィンズベリー・スクエア」(1995)。新築のオフィスということなんだけど、人の気配、生物の気配がなく、「真新しい廃墟」みたいな印象を受ける。ぱっと見、きれいだけど、ゾワッとするタイプの絵。

コーネリア・パーカー「コールド・ダーク・マター:爆発の分解イメージ」
●コーネリア・パーカーの「コールド・ダーク・マター:爆発の分解イメージ」(1991)。これは説明を読まなきゃわからないと思う。IRAによる爆破事件が続いた時期、作者は英国陸軍に庭の物置小屋を爆破してもらい、その残骸を拾い上げて天井から吊るし、中央に電球を配置して、爆発の瞬間を再構成した。大作。

●いちばんおもしろいと思ったのは、上の映像作品、マーク・ウォリンジャーの「王国への入り口」(2000)。これは本当におかしい。映像はロンドン・シティ空港の到着ゲートから出てくる人々をとらえている。で、これに付けた音楽がアレグリの「ミゼレーレ」。笑。空港が礼拝堂のような厳かな雰囲気で満たされ、ゲートから出てくる人たちひとりひとりが特別な思いを秘めているように見えてくる。いや、実際にそうなのかもしれないのだが。なんの変哲もない場面が、入国の儀式として再定義され、すべてが意味深長。この映像を眺めるだけでもおもしろいけど、実際の展示は格段にドラマティック。秀逸なアイディア。
●90年代っていうとアート全体の文脈で見ればモダンってことだろうけど、30年前っていう意味ではレトロでもある。全体としてどっちだって言われたら、レトロかな。古めかしい雰囲気を感じるものもあれば、もちろん切っ先の鋭さを今も失っていない作品もある。

March 3, 2026

AIと呼ばれるものの仕組み

思考するAIと人間
●日々AIを使用していると、つい彼ら(とあえて擬人化するが)の本質を忘れてしまいそうになる。このあたりで現時点でAIがどういうものかを、自分なりに整理しておきたい。まず基本は「AIは知識データベースではなく、言語モデルである」ということ。ChatGPT(チャッピー、アントンR)、Gemini、Claude、ぜんぶそうだ。彼らを知識データベースのように使うと、おかしなことになる。AIは大量のテキストを学習したうえで、「この単語の次には、この単語が来る確率が高い」という計算を行っている。だから、学習データが豊富な領域では有用な答えを返してくれるが、もともと学習データが薄い領域でなにかを尋ねると、平気でデタラメを返してくる。それは知識の抜けを確率的に高そうな言葉で埋めているから。彼らは「正しい答え」を探しているのではなく、常に「もっともらしい次の語」を生成している。
●だから、AIは思考していない……と最初は思うんだけど、じゃあ、人間はなにが違うんだ、という疑問もわく。人間だって、たいていは確率的にもっともらしい返答をしているだけでは。挨拶はその典型だし、日常的な雑談でも、思考しているのか、条件反射的にもっともらしい返答をしているだけなのか、微妙なところ。一日の間で、本当に「思考している時間」はどれくらいあるだろう。そもそも思考とはなんなのか。思考から言語が生まれてくるのか、それとも言語が先にあってそこから思考が生まれているのか(そんな気がしない?)。後者はかなり「言語モデル」的だ。
●いやいや、待て待て、AIはすべてが帰納的だが、人間は演繹的な思考もするじゃないか。そういう反論もありうる。たとえば、AIは計算をしない。しているように見えても、それは膨大な学習データから計算結果を探してくるだけ。数学的なロジックを解いているのではなく、「計算のプロセスと結果のパターン」を言語として処理している。だから、複雑性の高い計算だとふつうにまちがえる。もっとも、最近のGeminiなどは自分が計算に弱いことを自覚しているので、複雑な計算に対しては内部で計算をするためのPythonコードを組み立てて、そのコードを実行する(!)という、実に言語モデルらしい解決策を身につけているらしい(本人談)。もちろん、AIをPCやスマホの外部アプリ(たとえば電卓)と接続すれば簡単に計算できるが、セキュリティの問題もあるので標準ではそうなっていない。
●人間がなにかの拍子に新しいアイディアを思いつくのは、脳内のネットワークがランダムな結合を起こすからだと言われる。AIにも似たような仕組みがあって、「温度」という内部的な設定値がある(これはChatGPTもGeminiも同じ表現をしている)。「温度」を上げると、確率的にもっとも高い選択肢以外からも言葉を選んでくる。たとえば、ある単語の次に来るのが、A:60%、B:25%、C:10%、D:5%といった確率分布になっているとき、常にAだけを選んでいると毎回同じ文章になるし、表現も単調になってしまう。ときにはB、ひょっとするとCも選ばれる。これを「温度」と表現するのは統計力学からの比喩で、低温ならもっとも確からしい状態に収束するし、高温なら多様で予測不能な反応が生まれる。AI側はプログラミングや翻訳をしてほしいと言われたら「温度」を低く設定するし、詩やキャッチコピーを書いてほしいと言われたら「温度」を高く設定する(とGeminiは言っている。ChatGPTは少し違う表現なのだが、今は割愛)。
●AIにとっては日本語や英語のような自然言語も、PythonやC++のようなプログラミング言語も、本質的には同じで、すべてトークン列でしかない。内部的には「トークン→ベクトル→次トークン予測」という仕組みで処理している。ただ、プログラミング言語は文法が厳密で、なにかを誤れば動作しないので、「温度」は低い。自然言語は冗長性が高いので「温度」を高くする余地がある。
●昨今のAIの発明の肝は、「十分に大規模な言語モデルを構築すれば、それが人工知能として機能する、すなわち実質的に思考しているのと変わらない結果を出力する」ということなんだと思う。出力が思考のプロセスを模倣できているのなら、内部のメカニズムが生物学的である必要はない。つまり、「思考」と「意識」を切り離すことに成功している。

March 2, 2026

N響 ドラゴンクエスト・コンサート ~導かれし者たち~

N響 ドラゴンクエスト・コンサート
●27日は東京芸術劇場で「N響 ドラゴンクエスト・コンサート ~導かれし者たち~」。下野竜也指揮NHK交響楽団により、すぎやまこういちの交響組曲「ドラゴンクエストIV 導かれし者たち」が演奏された。昨年のドラクエ3に続いて、今回もプログラムノートの原稿を執筆させてもらった(感激)。ちなみに、1990年リリースのドラクエ4最初の録音を担ったのが作曲者指揮のN響だった。今回は東京芸術劇場、パルテノン多摩、森のホール21(松戸市文化会館)の3会場での開催。N響の主催公演。チケットは完売。
●ドラクエにかんしては、みんなそれぞれに思い入れがあって、その形はさまざまだと思う。昨年もそうだったけど、開演前から客席にひりひりするような空気が流れていて、雰囲気としては「これからバーンスタインがマーラーの9番を振ります!」くらいの期待感。やはりN響がドラクエを演奏するとなると、一期一会の伝説が求められているというか。ドラクエファン向けの演出とかドラクエトークなどは一切なく、ふつうの定期公演と同じように100パーセント、音楽だけを味わう公演。下野&N響は細部まで磨き上げられた演奏で、定期公演と変わらない集中度。重厚なN響の音がする。ある意味、ゲーム音楽のお客さんのほうがシビアな面もあると思うんだけど、期待通りの壮大かつ緻密なサウンド。満喫。
●もともとのドラクエ4はファミコンソフトで、自分もリアルタイムで「ピコピコ音」を聴きながらプレイしていたわけだが、作曲者の頭にあったイメージは常にオーケストラのサウンド。それをいちばん強く感じたのは「海図を広げて」かな。柔らかく流麗な音の質感はオーケストラならでは。
●ゲームとしてのドラクエ3はシリーズの正典とも言うべき本格派の大長編だったが、ドラクエ4は章ごとに主人公が変わるオムニバス形式を採用した変化球だった。そんなゲームの性格の違いが、音楽にもうっすらと反映されていると思う。ドラクエ4のほうがトリッキーな要素がある。
●アンコールは「ドラゴンクエストV」の「結婚ワルツ」。楽員退出後も拍手が止まず、なんと、下野さんのソロ・カーテンコールが実現。客席の大半がゲーム音楽のファンでも、やっぱりそうなるんだと感動。

あなたのためのAI

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