●話題を呼んだミステリー小説、夕木春央著「方舟」(講談社文庫)を遅ればせながら読む。えっ、これってこんな話だったんだ、と読後に茫然。形式的にはまったく古典的なミステリーになっている。外部との連絡がつかない空間に総勢11人が閉じ込められる。そこに殺人事件が起きる。この中にだれか必ず犯人がいるはず……という状況。さらに閉ざされた空間から脱出するためには、だれかひとりが犠牲にならなければならないという条件が加わる。登場人物のひとりが探偵役となって、犯人探しが進む……。
●という、あらすじを知って、最初はなんだかイヤな話だなと思って、スルーしてしまったのだ。が、あまりに評判が良いので読んでみたら、抜群におもしろい。イヤな話なんだけどイヤじゃないともいえるし、イヤじゃないけどイヤな話とも言える(どっちなんだ)。
●これって、オペラにも通じるんだけど、様式化されていれば悲惨な話も読める、ってことだと思うんすよね。つまり、オペラって、ひどい事件ばかり起きるじゃないすか。もしオペラの描写がすごくリアルだったら、ワーグナーとかヴェルディみたいに次々と人が命を落とす作品なんて、後味が悪すぎて絶対に観てられない。でもオペラっていう形に様式化されているから、陰惨な話でも受け入れられる。それと同じで、ミステリーっていうジャンル小説内に描写が留まっていれば、殺人事件も読書の楽しみのなかに収まる。なので、古典的な様式というものはちゃんと目的があって使われるのだな、というのが最大の感想。
Booksの最近のブログ記事
「方舟」(夕木春央)
最近の音楽書から──「世界史×音楽史 知っておきたい! 近代ヨーロッパ史とクラシック音楽」「クラシック音楽への招待 子どものための50のとびら」「三月一一日のシューベルト 音楽批評の試み」
●音楽書の話題をいくつか。先日、ラ・フォル・ジュルネTOKYOの会場で広瀬大介さん、飯田有抄さんにたまたま会ったら、おふたりとも近著を持参していて「どうぞ」と渡してくれたのだ。えっ、いいんですか……っていうか、そんなうまい具合に持ち歩いているもの? 何冊もカバンに忍ばせてあったりするのだろうか。
●「世界史×音楽史 知っておきたい! 近代ヨーロッパ史とクラシック音楽」(広瀬大介著/音楽之友社)は、音楽の歴史を世界史の流れのなかでとらえ直す一冊。書名に近代ヨーロッパ史とあるように、第1章「啓蒙主義時代」から始まって、第9章「二つの世界大戦と作曲家」で終わる。で、最初から読んでもよかったんだけど、気になったので、まず最後の章を読んだ。ショスタコーヴィチとかブリテンとかバーンスタインの話を読みたかったので。バーンスタインは「キャンディード」がとりあげられていて、これが本書のおしまい。その後、第1章「啓蒙主義時代」に戻って読みはじめたら、ヴォルテールの「カンディード」の話が出てきて、「あっ、この本って最初と最後がつながるんだ」と先に気づいた(堂々とネタバレ)。
●こういう題材だと教科書的な記述になりがちなんだけど、この本はちゃんと読み物として、ページをめくりたくなるように書かれている。どういうことかっていうと、教科書とか講義みたいなものは受け手の側に「学ばなきゃいけない」「聴講しなければいけない」という義務が自然発生しているけど、一般の書籍はそうではない。読者の側は退屈したらいつでもパタンと本を閉じてサヨナラできる。常に読者がNGを出す側で、書き手は出される側。だから読者に「その先を読みたいな」っていう好奇心を抱かせ続けなければいけないのだが、そこに成功していると思う。あと、ライター目線でいえば、「です・ます」体の文章が見事。「です・ます」体は「だ・である」体よりも格段に難しいのだが(本当に)、お手本になる。
●「クラシック音楽への招待 子どものための50のとびら」(飯田有抄著/音楽之友社)は、小・中学生向けの入門書。一見、柔らかそうな体裁だが、実はこれは野心作だと思う。ふつうならイラストやマンガの助けを借りて読ませるところを、この本はとことん文章を読ませるのだ。文章量は子供向けとしてはかなり多い。これは目から鱗で、本好きの小学生はほとんどの大人より本をたくさん読むし、文章を読むのが大好き。本好きの子供に届く一冊だと思う。内容的にも、子供向けの体裁ながら(総ルビ)、実は大人向けの入門書としても立派に機能している。
●同じ版元つながりで、もう一冊。少し発売から時間が経ってしまったが、「三月一一日のシューベルト 音楽批評の試み」(舩木篤也著/音楽之友社)。著者と担当編集者の二人三脚から生まれた渾身の一冊で、月刊誌「レコード芸術」の連載「コントラプンクテ 音楽の日月」を大幅に加筆して単行本化したもの。装幀からして相当なこだわりが伝わってくるが、中身も骨太。これが本来の音楽評論というものだろう。「レコ芸」だからできた連載だったはずで、かつての吉田秀和連載を思い出しながら読んだ。どの章も読みごたえがあるのだが、「メメント・モリ ブラームスと永続性」の章がとくにすごい。これが舩木さん初の単著だというのが意外だったけど、これ以上ない形で著書が出たのでは。今、こういった本はなかなか出せない。
「ヴィクトリア朝時代のインターネット」(トム・スタンデージ)
●これはとてもおもしろかった。トム・スタンデージ著の「ヴィクトリア朝時代のインターネット」(服部桂訳/ハヤカワ文庫NF)。長らく入手困難だったネット業界のカルト的名著が文庫化されて復活。書名を見て「?」となるが、もちろんヴィクトリア朝時代にインターネットはない。が、ある意味でその前身とでも言えるテクノロジー、すなわち電信(テレグラフ)が発明された。モールス信号のトンとツーの2ビットで情報を伝えるという技術は、デジタル通信そのもの。その電信の発明史を記したのが本書。19世紀に即時的に情報を伝える高速ネットワークが発達したという歴史が自分にはまったく見えていなかったので、ワクワクしながら読んだ。そしてこの高速ネットワークに対して、インターネットが世に現れたときとそっくりの反応が起きているのがおもしろい。新しいテクノロジーの途方もない可能性に気づいた先駆者たちが熱狂する一方、世間の理解はなかなか追いつかない。だが、電信がもたらす圧倒的な情報伝達の速度が、戦争やビジネスにおいて決定的な優位を生むことが次第に明らかになってゆく。情報という観点からすると、世界は急速に狭くなったわけだが、これに抵抗を示したのが外交官だったという話も印象的だった。
外交官は伝統的に事にあたっては、ゆっくりと慎重な対応をすることを好んでいたが、電信は即時に反応することを促すので、「これがわれわれの仕事に非常に望ましいことなのかどうかわからない」とクリミア戦争時の英国の外交官エドモンド・ハモンドは警告を発している。彼は外交官が結局は「本当はもっといい考えがあるのに、用意もないままに対応してしまう」ことを恐れていた。
●メールとかメッセージアプリに「即レス」を求められる現代のビジネスマンの姿が重なって見える。
●新しい技術を利用した詐欺が考案されたり、電信のオペレーターが通信を通じて交際して結ばれる「ネット婚」があったり、暗号の開発がありハッカーによる解読があるといった展開は、インターネット時代とまさしく瓜二つ。ワタシたちのインターネットって「2周目」だったんだ、とすら感じる。
「わたしたちの怪獣」(久永実木彦)
●最近読んだ小説のなかで抜群におもしろいと思ったのが、「わたしたちの怪獣」 (久永実木彦著/創元SF文庫)。4篇からなる短篇集だが、すべてが傑作だと思った。表題作「わたしたちの怪獣」では、父と姉妹の3人家族の間に起きたある事件と、東京湾に巨大怪獣が出現する災厄が交叉する。怪獣はしばしば自然災害のメタファーとして描かれるが、ここでは怪獣に父の姿が投影される。学校の国語の教科書に載せるべき怪獣小説の金字塔だと思う。
●表題作だけでも秀逸なのだが、さらに気に入ったのが「ぴぴぴ・ぴっぴぴ」。タイムトラベルが実現した未来で、起きてしまった災害や事故をなかったことにするために時間局が設立され、主人公はその職員として働いている。過去を改変して、災害や事故を未然に防ぐのだ。古典的な物語なら主人公はヒーローだが、この物語での時間局の職員は誰にでもできる仕事をこなす底辺労働者でしかない。労働者小説でもあり、純然たる時間SFでもある。未来から現在に戻る際に、個室トイレのような仕切られた小空間が必要という設定がおかしい。
●「『アタック・オブ・ザ・キラートマト』を観ながら」はゾンビ小説。真っ赤な頭のゾンビたちが豊島区方面から走ってくる。全力疾走するタイプのゾンビだ。「ゾンビ」映画の古典、ジョージ・A・ロメロの「ゾンビ」では主人公らはショッピングモールに留まるが、この小説では映画館に立てこもる。
フォークナー「野生の棕櫚」(加島祥造訳)
●先日、ヴィム・ヴェンダース監督の映画「PERFECT DAYS」を紹介したけど、あの映画で主人公がフォークナーを読んでいる場面があった。読んでいたのは「野生の棕櫚」みたい。ということで、中公文庫から復刊したフォークナー「野生の棕櫚」(加島祥造訳)を読む。フォークナーはこれまでに「響きと怒り」「サンクチュアリ」「八月の光」「アブサロム、アブサロム!」を読んできて、このブログでも触れてきたが、「野生の棕櫚」は初読。この作品って、前述の傑作群よりも後に書かれているんすよね(読んだ後に知った)。で、長さはほかの長篇に比べれば短いんだけど、私見では読みづらい。フォークナーはどれも読みづらいよ、って言われるかもしれないけど、他の長篇とはまた違った読みづらさがあって、それはおそらく前半のストーリー展開がしんどいから。
●「野生の棕櫚」でおもしろいのは作品の構造。この本はふたつの中篇が交互に語られる形になっておりて、「二重小説」と謳われる。ひとつは書名にもなっている「野生の棕櫚」。これがホントに救いのない話で、苦学生だった主人公ハリーは、医者になるべく一切の青春を知らないまま爪に火をともすような暮らしをしてきたんだけど、あと少しでインターンが終わるってところでパーティで2児の母であるシャーロットと出会って、恋に落ちる。そこからすべてを投げうって、ふたりだけの世界を求めて転々とするのだが、どんどん境遇がひどくなり、ついにシャーロットが妊娠して、堕胎手術を求められる。
●もうひとつの話は「オールド・マン」。こちらの主人公は囚人。ミシシッピ川で洪水が起きて、囚人たちは住民救助のために駆り出される。ところが主人公のボートが流されてしまい、溺死したことにされてしまうのだが、九死に一生を得て、妊娠していた女性を救い出す。でも、救ったはいいが、洪水で流されて刑務所に戻れない。そのうち、女が子どもを産む。しょうがないからそのまま3人で旅をして、最後にようやく刑務所に帰るという話。
●ふたつの物語は別々に進み、交わることのないまま終わる。だから無関係な話なんだけど、両者はどちらも「妊娠小説」。ただ「野生の棕櫚」は堕胎小説で、「オールド・マン」は出産小説という対照がある。「野生の棕櫚」の恋人たちが安定した生活を嫌い、崖っぷちを全力疾走することでしか生きられないタイプであるのに対し、「オールド・マン」の主人公は自我が希薄で、物語に喜劇的な性格がある。最後に刑務所に帰った囚人が、書類上は死んだことになってるから困ったなということになり、じゃあ脱走を企てたことにして10年の刑期を追加すればいいんじゃね?ってことで話がまとまる。ひどい話だけど、落語みたいなとぼけたテイストの「オチ」にクスッとさせられる。
●フォークナー関連記事一覧
フォークナー「響きと怒り」(平石貴樹、新納卓也訳/岩波文庫)
http://www.classicajapan.com/wn/2021/08/241103.html
「八月の光」(ウィリアム・フォークナー著/光文社古典新訳文庫)
http://www.classicajapan.com/wn/2020/08/172222.html
「サンクチュアリ」に鳴り響くベルリオーズ
http://www.classicajapan.com/wn/2004/04/130333.html
フォークナーの「納屋は燃える」
http://www.classicajapan.com/wn/2021/10/061025.html
●「アブサロム、アブサロム!」についての記事が見当たらないが、書かなかったのか。あれも強烈な小説。フォークナーからひとつ選ぶなら「響きと怒り」、もうひとつ選ぶなら「アブサロム、アブサロム!」にすると思う。
「職業は専業画家」(福井安紀著)
●コロナ禍以降、美術展に足を運ぶ機会が増えたのだが、たまに若手アーティストの作品を見ながら、ふと思う。「こういう人たちって、絵で生計を立てていけるものなのかな?」。きっと、この道を志す人の99%以上の人は食べていけなくて、ほんのほんの一部の人だけが脚光を浴び、多忙を極めるのだろう。漠然とそう考えていた。
●そんな先入観を打ち破ったのが、「職業は専業画家」(福井安紀著/誠文堂新光社)という一冊。著者は30歳までサラリーマンを務め、その後、絵だけで生計を立てている画家。だが、有名な賞を獲ったわけでもなければ有力な画商がついているわけでもない。ではどうやって絵で身を立ててきたのか。
●その答えは本の最初のほうに書いてあって、全国各地で数多くの個展を開いてきたから。年に4回から8回のペースで個展を開き続け、2020年には13回もの個展を開いたという。もちろん個展を開いても絵が売れるとは限らないし、なぜそんなにたくさん個展を開けるのかという疑問がわくが、そこもかなり詳細かつ具体的に記されている。絵の値付けをどうするか、販促活動をどうするか、など。画家であってもわれわれと同じくフリーランスの自営業者であるわけで、「仕事」としてすべきことはしなければならないという理にかなった話ばかり。
●絵の注文も受けるけど、営業はしないという話にも納得。値付けに大きな幅のある業種では「あるある」だと思うけど、営業で得られる仕事は最低ランクの値段がつきがち。逆に依頼される仕事なら値付けが少々強気でも、むしろ依頼者の見識の確かさを証明することになるってことなんだと思う。
新刊「マンガでわかる クラシック音楽の歴史入門」(やまみちゆか著/飯尾洋一監修/KADOKAWA)
●本日3月19日、「マンガでわかる クラシック音楽の歴史入門」(やまみちゆか著/飯尾洋一監修/KADOKAWA)が発売。やまみちゆかさんのやさしいタッチのマンガで、大人から子どもまで音楽の歴史を楽しく学べる一冊。巻末には切り取ってクイズで遊べる大作曲家30名の解説カード付き。
●自分はささやかなアシスト役にすぎないが、前回の「クラシック作曲家列伝」(マール社)に続いて、ふたたびやまみちさんとのコンビが実現。今回もやまみちさんならではの学びと笑いが一体になったスタイルが生きている。なんとフルカラー、なのに価格はリーズナブル。すごい。電子版も同時発売。
●パガニーニとかベルリオーズの絵柄が好き。もう名前を目にすると反射的にやまみちさんの絵を思い出すレベル。
「世界一流エンジニアの思考法」(牛尾剛)
●なんのきっかけで手にしたのかは忘れたけど、これほど頷きまくった仕事本はない。「世界一流エンジニアの思考法」(牛尾剛著/文藝春秋)の著者は米マイクロソフトのソフトウェアエンジニア。だがエンジニアに限ることなく、働く人々にとって有用な一冊だと思った。みんなが気持ちよく働くにはどうしたらよいか、という点で納得のゆくことばかり。
●とくに自分にとって響いたのは、生産性を加速するうえで重要なマインドセットとして「リスクやまちがいを快く受け入れる」というくだり。Fail Fast(早く失敗する)っていう標語がすごい。つまり、成功しようがしまいが、まずはやってみて、早くフィードバックを得て、早くまちがいを修正しようという精神。
アメリカでは、失敗や間違いで怒られることが皆無だ。失敗に気づいた後に、本社に報告すると、「フィードバックをありがとう!」と大変感謝される。(中略)
誰かが失敗したところで「あいつはダメだ」とネガティブに言っている人は見たことがない。だから、より難しいことへのチャレンジがすごく気楽にできるのだ。社内のイベントのハッカソンでもその主導者が「今日はたくさん失敗しよう!」と掛け声をかけていたのが印象的だった。
失敗しないことに最大の価値を置くと、なにもしない人が王者になってしまうんすよね。
●あと、会議。日本だと会議にしっかり準備してくるとたいてい褒められると思うんだけど、「準備」も「持ち帰り」も止めて、その場で解決するという流儀。
インターナショナルチームを観察していると、彼らは常に「会議の場」だけで完結する。ざっくりしたアジェンダ(検討事項)はあるが、準備に時間をかけて会議に臨むことは一切しない。(中略)会議後の「宿題」や「持ち帰って検討すること」もめったにない。必要な「意思決定」は、極力その場で行う。
自分は「準備」にはあまり抵抗はないんだけど、「持ち帰り」はかなり抵抗がある。いちばん困るのは結論が先に決まっていて、責任を参加者全員に分散するためだけの会議。
●うらやましいなと思うのは、部下が「仕事を楽しんでいるか?」を確認する文化。メンバーが幸せに働けるようにするのがマネージャの役割だって言うんすよね。「チーム内ではスキルや経験に関係なく、全員が同じ責任を持っているフラットな『仲間』としてふるまう」っていうカルチャーもいいなと思った。