●アンソニー・ホロヴィッツの新刊「マーブル館殺人事件」(山田蘭訳/創元推理文庫)を読んだ。アンソニー・ホロヴィッツ、なにを読んでもおもしろいので毎回感心するのだが、今回もまた見事な出来ばえ。ホロヴィッツの名にふさわしい(?)技巧の冴え。今回はカササギ殺人事件シリーズの第3弾で、主人公は編集者のスーザン・ライランド。今回も劇中劇ならぬ「小説中小説」の趣向がとられている。つまり、主人公が担当している本のなかで殺人事件が起きるのだが、どうやらこれは現実の世界で起きた不審死の謎ときになっているのではないかと主人公が考える。巧緻。メタミステリーとして秀逸であると同時に、編集者小説としても読んでいて楽しい。そういえば、今年の大河ドラマの「べらぼう」も編集者ドラマではないか。今、編集者が熱い!(強引)。
●実は今回、序盤はさすがのホロヴィッツも息切れしてきたんじゃないかと思ったんだけど、途中からがぜん話がおもしろくなってきて、さすがと唸らされた。主人公が50代半ばの女性という設定も効いていて、職場を失ってしまい、フリーランスになって奮闘している、そして……という展開がとてもよい。ミステリーとしては変化球だけど、職業人生小説としてはストレート。
●小ネタとして過去の名作をほうふつとさせる要素がいくつか仕込んである。刑務所の面会場面とか、気が利いている。
Booksの最近のブログ記事
「マーブル館殺人事件」(アンソニー・ホロヴィッツ)
「漫画 パガニーニ ~悪魔と呼ばれた超絶技巧ヴァイオリニスト」
●やまみちゆかさんの新刊「漫画 パガニーニ ~悪魔と呼ばれた超絶技巧ヴァイオリニスト」(浦久俊彦監修/ヤマハミュージックエンタテイメントホールディングス刊)を読む。著者のパガニーニ愛がひしひしと伝わってくる一冊で、パガニーニの生涯を知ることができると同時に、純粋にマンガとしておもしろい。逸話や伝説の多いパガニーニだからこそ、こういったしっかりした文献にもとづいて描かれたマンガが有効だと思う。シングルファーザーとして息子アキーレを育て上げた逸話にもグッと来るが、そのアキーレが成長して家庭を持ち子や孫たちに囲まれて暮らしたと知ると、妙にほっとする。
●で、もうひとつ、やまみちさんの著書の話題を。私が監修を仰せつかった「マンガでわかるクラシック音楽の歴史入門」(KADOKAWA)の重版が決まった。全出版界における最高に甘美な言葉、それは「重版」。憧れの言葉であり、近年なかなか聞けない言葉でもある。ああ、世の中のすべての本が重版されたらいいのに!(ムリ)。
「反転領域」(アレステア・レナルズ)
●知らない作家だったが、評判がよいので読んでみたら、まったく予想していなかったタイプの傑作だった。アレステア・レナルズ著「反転領域」(中原尚哉訳/創元SF文庫)。物語は19世紀を舞台とした海洋冒険小説の体裁で始まる。主人公はイギリス人の外科医師で、帆船の船医を務めている。目的地はノルウェー沿岸の極地。ここに古代に建造されたかもしれない未知の大建築物があるという。
●この海洋冒険小説そのものが心地よく読めて、なんならこのまま最後までこの体裁で進んでくれてもかまわないと思ってしまうのだが、主人公の船医は仕事のかたわら、小説を書いている。となると、これは小説についての小説、本についての本という、なんらかのメタフィクション仕掛けになっているのだろうと期待する。さらに主人公は阿片も吸う。ベルリオーズの幻想交響曲じゃないが、これは物語のどこかから主人公の幻覚が始まっていて、現実とは別の時間軸が流れているのかもしれないぞ……と警戒する。そうやって読み進めていると、「えっ」と思うようなことが起きて、予想外の方向に物語が展開し、最後はまさかの美しい結末にたどりつく。鮮やかな手腕というほかない。
●物語中にたびたび出てくるキーワードが eversion(裏返し)という言葉。この小説の原題でもある。登場人物のひとりである数学に長けた地図製作者が、「球を裏返す」という概念に取り憑かれている。もちろん物理的には無理だが、位相幾何学的には自己交叉を許せば可能なのだとか。と言われても、なんのことやらという感じだが、こういった大風呂敷的な演出も効いている。
「ブックセラーズ・ダイアリー3 スコットランドの古書店主がまたまたぼやく」(ショーン・バイセル)
●スコットランドの名物古書店の店主が日々を綴ったシリーズ第3弾、「ブックセラーズ・ダイアリー3 スコットランドの古書店主がまたまたぼやく」(ショーン・バイセル著/阿部将大訳/原書房)を読む。今回も冴えている。これまでに第1弾、第2弾をご紹介しているが、中身は要は日記というか、ブログなのだ。どんな客が来て、どんな本を買った、あるいは売ったという話が中心なのだが、著者の率直なボヤキや日常業務の様子がおもしろい。
●驚くのは奇天烈な客の多さ。日本でも本好きには風変わりな人が多そうだということはなんとなく察せられるが、スコットランドとなるとその数段上を行っている。そもそも普通の人々のわがまま度合いがヨーロッパのほうが日本より高いということもあるかもしれない。たとえば、4ポンドの値札が付いたジョン・ウェインの伝記を持ってきて、ただでいいかと尋ねる客。なぜそう思うのか。定価8.99ポンドの新品同様のペーパーバックを手にして「本当に2.50ポンドなのかい」と客が聞くから、あまりに安くて信じられなかったのかと思いきや、高すぎるから値引きを求めてきたという男性。えー。わざわざ電話してきて「おたくのお店のネット広告を見たら、1817年の競馬記録が200ポンドで売ってるけど、そんな金はないから買わない」と言ってくる人。わけがわからない。世の中にはいろんな人間がいる。
●あと、本の話題が意外とわれわれにも通じる。つまり、スコットランドの話だから知らない本、知らない著者のオンパレードになるかと思いきや(まあ、そういう面もあるんだけど)、知ってる本もたくさん出てくる。たとえば日本でもカルト的な人気がある(ワタシも好きだった)ダグラス・アダムズの小説「さようなら、いままで魚をありがとう」(銀河ヒッチハイクガイドシリーズ)が誤って釣りコーナーの書棚に置いてあったみたいな愉快な話は、日本でもありそう。
●ある常連客についての記述。
二人ともとてもフレンドリーで、熱心な読書家だ──いつも、ぼくが読んでいないことを恥ずかしく思うような本を買っていく。わざとそういう本を選んでいるのではないかと思うほどだ。今日買っていったのは『ユリシーズ』『灯台へ』『ミドルマーチ』(これは読んだことがある)、『キャッチ=22』『おとなしいアメリカ人』(すべてペーパーバック)だった。
この一節は感動した。だって、ぜんぶ日本語訳で読める本ではないか。しかも、どれも文庫で買える。日本の翻訳出版はすごい! と、同時に「読んでいないことを恥ずかしく思うような本」という価値観がかなりの程度、スコットランドと日本で共有されていることも驚き。それが世界文学だといえば、それまでだけど。
「刑事コロンボとピーター・フォーク その誕生から終幕まで」
●これは驚きの一冊。デイヴィッド・ケーニッヒ著「刑事コロンボとピーター・フォーク その誕生から終幕まで」(町田暁雄著/白須清美訳/原書房)。ミステリドラマの大傑作、「刑事コロンボ」シリーズがいかにして誕生し、ひとつひとつのエピソードがどう作られたかをたどる。著者はもちろん「刑事コロンボ」の大ファンであるわけだが、秀逸なのはこれがファンブックにはなっておらず、丹念な取材と一次資料をもとにひたすら事実を追いかけているという点。よくもまあ、ここまで個々のエピソードの成立を克明に追いかけられたものと感心するばかり。自分はごく普通の「刑事コロンボ」好きであって、熱心なファンとは言えないが、それでも読みだすと止まらなくなる。
●とくに一本一本を作る制作過程が興味深い。この業界ではそれが常識なのかもしれないけど、だれかのメモ書き程度のアイディアから始まって、脚本家が書いて、別の脚本家が書き直して、脚本家じゃないだれかが書き足したり削ったりして、長いプロセスをたどって撮影まで行く。と思えば、撮影現場でさらに書き直しがあったり。だれをプロデューサーにするのか、監督はだれを雇うのか、キャスティングはどうするのか、音楽をだれにするのか、人の出入りが激しい。最初期にスティーヴン・スピルバーグが一回だけ監督を務めているのは有名な話だけど、いろんな人がやってきては去ってゆく。でも、コロンボ役のピーター・フォークだけは変わらないし、変えられない。
●で、誕生した当初は「刑事コロンボ」は原作者のリチャード・レビンソンとウィリアム・リンクのものだったと思う。それが進むにつれて、ギャラの高騰とともにピーター・フォークのものに変わってゆく。途中からはピーター・フォークが全権を握って、気に入らないシーンがあれば何度でも撮り直し、製作費も膨れ上がってゆく。スタイルを確立し、ファンが定着し、勢いのある時代が続いた後は、ゆっくりと下り坂を降りていく。終盤の作品はあまり記憶に残っていないんだけど、ある頃からコロンボの老いが目立ってきたのは覚えている。かつての盟友たちが次第に引退し、人が少しずついなくなり、やがてピーター・フォークが取り残されるような雰囲気になるのが味わい深い。
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●18日(月)の当欄はお休みです。お盆休み。
「プロジェクト・ヘイル・メアリー」(アンディ・ウィアー著)
●同じ著者の前作「火星の人」に感心したので、この「プロジェクト・ヘイル・メアリー」(アンディ・ウィアー著/小野田和子訳/早川書房)も大いに気になってはいたのだが、ようやくKindleで読んだ。もうびっくりするほどおもしろい。伝統的なスタイルの純然たるSF小説、つまりサイエンスフィクションの「サイエンス」の部分がストーリーの核心をなしているのだが、それでいて万人向けの上質なエンタテインメントになっている。ジャンル小説としてこれ以上は望めないくらい完璧。上巻の途中で予想外のダイナミックな展開が起きて、思わず「うおぉ!」と声が出た。
●物語は主人公が宇宙船のなかで目を覚ますところから始まる。長期の睡眠で記憶が曖昧になっているのだが、次第に自分のミッションを思い出す。全人類に深刻な危機を及ぼすある種の環境問題を解決するために、恒星間宇宙船に乗っているのだ……。その先の展開はあらすじすら紹介できない。巻末の解説でもしっかり配慮されているのだが、そこらのレビューとか紹介文は遠慮なくネタを割っている可能性が高いので、これ以上なにも知らないまま読むのが吉。圧倒的に。
●かなり物理や化学に強くないとこの話は書けないと思う。アイディアも思いつかないし、思いついたところで自信を持って書き進められない。
●読み終えた後に、いちばんいいシーンを読み返して反芻している。やっぱり上巻のあの場面だな。
「成瀬は天下を取りにいく」(宮島未奈著)が文庫化
●これは青春小説の名作だと思う。シリーズ累計135万部(!)を突破した2024年本屋大賞受賞作ということで、今さら紹介するまでもないが、「成瀬は天下を取りにいく」(宮島未奈著/新潮文庫)はとてもよい。連作短編集の形をとっており、滋賀県大津市に住むヒロイン、成瀬あかりの中学2年生から高校3年生までのエピソードが描かれる。成瀬は自分をナチュラルに信じることができる人間で、やりたいと思ったことをなんでもやってしまう。とてもまっすぐで優秀な子で、他人の目を一切気にしない。特徴的なのは各ストーリーごとに視点が入れ替わり、周囲の人物から見た成瀬が描かれるところ。成瀬は常に他者から見つめられる存在で、本人の内面は一貫して描かれない。そこがいい。読後感は爽やか。子どもは子どもの読み方で、大人は大人の読み方で楽しめる。
●で、クラシック音楽ファン的に見逃せないのは、これが膳所(ぜぜ)を舞台にした物語であるところで、膳所で思い出すのはびわ湖ホール。びわ湖ホールはJR膳所駅から徒歩圏内。駅を出ると、小説の舞台にもなったときめき坂だ。びわ湖ホールに向かう途中にあるショッピングセンター、Oh!Me大津テラスの食料品売り場、フレンドマートで成瀬がアルバイトをしていたという設定。惜しい、一昨年、びわ湖ホールに遠征した際には、まだこの本を読んでおらず、Oh!Me大津テラスには立ち寄ったものの、食料品売り場には行かなかった。今だったら、聖地巡礼できたのに!
●続編の「成瀬は信じた道をいく」もおもしろい。成瀬は大学生になる。フレンドマートにやってくるクレーマー主婦と成瀬の交流が秀逸だと思った。
「フリアとシナリオライター」(マリオ・バルガス=リョサ著/野谷文昭訳/河出文庫)
●未読だったバルガス=リョサの「フリアとシナリオライター」(野谷文昭訳/河出文庫)を読む。夏に岩波文庫から「世界終末戦争」が刊行されると聞き、その前に軽く読めそうなものを一冊と思って。いやー、怖いくらいに傑作。こういう軽快なタッチの小説を書いても、やっぱりバルガス=リョサは偉大だ。後にノーベル文学賞を受賞する(そしてペルー大統領選に出馬してフジモリに敗れる)作家の半自伝的青春小説。主人公はラジオ局で働く作家志望の大学生で、義理の叔母であるフリアとの恋がストーリーの軸になっている。フリアは実在の人物で、このロマンスは実話なんだとか。びっくり。
●が、ロマンスだけではバルガス=リョサの小説にはならないわけで、主人公のストーリーが描かれるのは奇数章だけ。偶数章ではぜんぜん関係のない奇想天外な物語が混入してくる。これが妙に通俗的で、でもやたらとおもしろい。なんなんだこれはと思って読み進めていると、やがてこれらのサブストーリーは、登場人物のひとりである天才シナリオライターが書いているラジオ劇場なのだと気づく。一種の枠物語なんである。で、この天才シナリオライターがまたとびきりの奇人で、やはり実在のモデルがいるのだとか。メタフィクション的な仕掛けを施し、さらに作家志望の主人公と奇人のシナリオライターというふたりの物書きを登場させることで、これは「書くことについての物語」になっている。
●そういえば「都会と犬ども」(街と犬たち)でも章ごとに複数の視点が使い分けられ、そのなかで一人称の「僕」がだれなのかわからないまま進むという趣向がとられていた。あれに比べればシンプルだが、「フリアとシナリオライター」でも語りの構造のおもしろさは健在。
●笑ったのは、放送局がラジオ劇場の台本を目方で買っていたというくだり。70キロもの紙の束を読めるはずがないから、中身なんか読まずに台本を買う。読まないのだから、中身の質もわからないし、単語数やページ数を数えることもできない。だから牛肉やバターのように目方で原稿を買うというわけ。
●関連する過去記事
「街と犬たち」(バルガス・ジョサ/寺尾隆吉訳/光文社古典新訳文庫)=「都会と犬ども」の新訳
「街と犬たち」(バルガス・ジョサ/寺尾隆吉訳/光文社古典新訳文庫) その2
「街と犬たち」(バルガス・ジョサ/寺尾隆吉訳/光文社古典新訳文庫) その3
「緑の家」(バルガス=リョサ著)
バルガス・リョサ vs バルガス・ジョサ vs バルガス=リョサ