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Booksの最近のブログ記事

April 11, 2025

フォークナー「野生の棕櫚」(加島祥造訳)

●先日、ヴィム・ヴェンダース監督の映画「PERFECT DAYS」を紹介したけど、あの映画で主人公がフォークナーを読んでいる場面があった。読んでいたのは「野生の棕櫚」みたい。ということで、中公文庫から復刊したフォークナー「野生の棕櫚」(加島祥造訳)を読む。フォークナーはこれまでに「響きと怒り」「サンクチュアリ」「八月の光」「アブサロム、アブサロム!」を読んできて、このブログでも触れてきたが、「野生の棕櫚」は初読。この作品って、前述の傑作群よりも後に書かれているんすよね(読んだ後に知った)。で、長さはほかの長篇に比べれば短いんだけど、私見では読みづらい。フォークナーはどれも読みづらいよ、って言われるかもしれないけど、他の長篇とはまた違った読みづらさがあって、それはおそらく前半のストーリー展開がしんどいから。
●「野生の棕櫚」でおもしろいのは作品の構造。この本はふたつの中篇が交互に語られる形になっておりて、「二重小説」と謳われる。ひとつは書名にもなっている「野生の棕櫚」。これがホントに救いのない話で、苦学生だった主人公ハリーは、医者になるべく一切の青春を知らないまま爪に火をともすような暮らしをしてきたんだけど、あと少しでインターンが終わるってところでパーティで2児の母であるシャーロットと出会って、恋に落ちる。そこからすべてを投げうって、ふたりだけの世界を求めて転々とするのだが、どんどん境遇がひどくなり、ついにシャーロットが妊娠して、堕胎手術を求められる。
●もうひとつの話は「オールド・マン」。こちらの主人公は囚人。ミシシッピ川で洪水が起きて、囚人たちは住民救助のために駆り出される。ところが主人公のボートが流されてしまい、溺死したことにされてしまうのだが、九死に一生を得て、妊娠していた女性を救い出す。でも、救ったはいいが、洪水で流されて刑務所に戻れない。そのうち、女が子どもを産む。しょうがないからそのまま3人で旅をして、最後にようやく刑務所に帰るという話。
●ふたつの物語は別々に進み、交わることのないまま終わる。だから無関係な話なんだけど、両者はどちらも「妊娠小説」。ただ「野生の棕櫚」は堕胎小説で、「オールド・マン」は出産小説という対照がある。「野生の棕櫚」の恋人たちが安定した生活を嫌い、崖っぷちを全力疾走することでしか生きられないタイプであるのに対し、「オールド・マン」の主人公は自我が希薄で、物語に喜劇的な性格がある。最後に刑務所に帰った囚人が、書類上は死んだことになってるから困ったなということになり、じゃあ脱走を企てたことにして10年の刑期を追加すればいいんじゃね?ってことで話がまとまる。ひどい話だけど、落語みたいなとぼけたテイストの「オチ」にクスッとさせられる。

●フォークナー関連記事一覧
フォークナー「響きと怒り」(平石貴樹、新納卓也訳/岩波文庫)
http://www.classicajapan.com/wn/2021/08/241103.html
「八月の光」(ウィリアム・フォークナー著/光文社古典新訳文庫)
http://www.classicajapan.com/wn/2020/08/172222.html
「サンクチュアリ」に鳴り響くベルリオーズ
http://www.classicajapan.com/wn/2004/04/130333.html
フォークナーの「納屋は燃える」
http://www.classicajapan.com/wn/2021/10/061025.html

●「アブサロム、アブサロム!」についての記事が見当たらないが、書かなかったのか。あれも強烈な小説。フォークナーからひとつ選ぶなら「響きと怒り」、もうひとつ選ぶなら「アブサロム、アブサロム!」にすると思う。

April 9, 2025

「職業は専業画家」(福井安紀著)

●コロナ禍以降、美術展に足を運ぶ機会が増えたのだが、たまに若手アーティストの作品を見ながら、ふと思う。「こういう人たちって、絵で生計を立てていけるものなのかな?」。きっと、この道を志す人の99%以上の人は食べていけなくて、ほんのほんの一部の人だけが脚光を浴び、多忙を極めるのだろう。漠然とそう考えていた。
●そんな先入観を打ち破ったのが、「職業は専業画家」(福井安紀著/誠文堂新光社)という一冊。著者は30歳までサラリーマンを務め、その後、絵だけで生計を立てている画家。だが、有名な賞を獲ったわけでもなければ有力な画商がついているわけでもない。ではどうやって絵で身を立ててきたのか。
●その答えは本の最初のほうに書いてあって、全国各地で数多くの個展を開いてきたから。年に4回から8回のペースで個展を開き続け、2020年には13回もの個展を開いたという。もちろん個展を開いても絵が売れるとは限らないし、なぜそんなにたくさん個展を開けるのかという疑問がわくが、そこもかなり詳細かつ具体的に記されている。絵の値付けをどうするか、販促活動をどうするか、など。画家であってもわれわれと同じくフリーランスの自営業者であるわけで、「仕事」としてすべきことはしなければならないという理にかなった話ばかり。
●絵の注文も受けるけど、営業はしないという話にも納得。値付けに大きな幅のある業種では「あるある」だと思うけど、営業で得られる仕事は最低ランクの値段がつきがち。逆に依頼される仕事なら値付けが少々強気でも、むしろ依頼者の見識の確かさを証明することになるってことなんだと思う。

March 19, 2025

新刊「マンガでわかる クラシック音楽の歴史入門」(やまみちゆか著/飯尾洋一監修/KADOKAWA)

●本日3月19日、「マンガでわかる クラシック音楽の歴史入門」(やまみちゆか著/飯尾洋一監修/KADOKAWA)が発売。やまみちゆかさんのやさしいタッチのマンガで、大人から子どもまで音楽の歴史を楽しく学べる一冊。巻末には切り取ってクイズで遊べる大作曲家30名の解説カード付き。
●自分はささやかなアシスト役にすぎないが、前回の「クラシック作曲家列伝」(マール社)に続いて、ふたたびやまみちさんとのコンビが実現。今回もやまみちさんならではの学びと笑いが一体になったスタイルが生きている。なんとフルカラー、なのに価格はリーズナブル。すごい。電子版も同時発売。
●パガニーニとかベルリオーズの絵柄が好き。もう名前を目にすると反射的にやまみちさんの絵を思い出すレベル。

March 10, 2025

「世界一流エンジニアの思考法」(牛尾剛)

●なんのきっかけで手にしたのかは忘れたけど、これほど頷きまくった仕事本はない。「世界一流エンジニアの思考法」(牛尾剛著/文藝春秋)の著者は米マイクロソフトのソフトウェアエンジニア。だがエンジニアに限ることなく、働く人々にとって有用な一冊だと思った。みんなが気持ちよく働くにはどうしたらよいか、という点で納得のゆくことばかり。
●とくに自分にとって響いたのは、生産性を加速するうえで重要なマインドセットとして「リスクやまちがいを快く受け入れる」というくだり。Fail Fast(早く失敗する)っていう標語がすごい。つまり、成功しようがしまいが、まずはやってみて、早くフィードバックを得て、早くまちがいを修正しようという精神。

アメリカでは、失敗や間違いで怒られることが皆無だ。失敗に気づいた後に、本社に報告すると、「フィードバックをありがとう!」と大変感謝される。(中略)
誰かが失敗したところで「あいつはダメだ」とネガティブに言っている人は見たことがない。だから、より難しいことへのチャレンジがすごく気楽にできるのだ。社内のイベントのハッカソンでもその主導者が「今日はたくさん失敗しよう!」と掛け声をかけていたのが印象的だった。

失敗しないことに最大の価値を置くと、なにもしない人が王者になってしまうんすよね。
●あと、会議。日本だと会議にしっかり準備してくるとたいてい褒められると思うんだけど、「準備」も「持ち帰り」も止めて、その場で解決するという流儀。

 インターナショナルチームを観察していると、彼らは常に「会議の場」だけで完結する。ざっくりしたアジェンダ(検討事項)はあるが、準備に時間をかけて会議に臨むことは一切しない。(中略)会議後の「宿題」や「持ち帰って検討すること」もめったにない。必要な「意思決定」は、極力その場で行う。

自分は「準備」にはあまり抵抗はないんだけど、「持ち帰り」はかなり抵抗がある。いちばん困るのは結論が先に決まっていて、責任を参加者全員に分散するためだけの会議。
●うらやましいなと思うのは、部下が「仕事を楽しんでいるか?」を確認する文化。メンバーが幸せに働けるようにするのがマネージャの役割だって言うんすよね。「チーム内ではスキルや経験に関係なく、全員が同じ責任を持っているフラットな『仲間』としてふるまう」っていうカルチャーもいいなと思った。

February 25, 2025

「ブックセラーズ・ダイアリー2 スコットランドの古書店の日々ふたたび」(ショーン・バイセル)

●今読んでいる本、ショーン・バイセル著「ブックセラーズ・ダイアリー2 スコットランドの古書店の日々ふたたび」(阿部将大訳/原書房)がすこぶるおもしろい。前作を以前にご紹介したが、著者はスコットランドの「本の街」ウィグタウンの古書店店主。その店主の日記で、毎日、客が何人来て、どれだけ売り上げがあったかが記録され、その日の出来事が綴られる。まったくサクセスストーリーではないし、ビジネス書でもなく、身辺雑記に近い(ブログみたいなもの)。日々の仕事から垣間見える客の変人奇人ぶりや、店員たちの癖の強さがなんともおかしい。そして、著者のいじわるなユーモアセンスが楽しい。
●ほしい本をいくつか探し出してきて、レジで値引きを要求する客の多さには驚くばかり。さらに、まけてもらえないとなったら「じゃあ、買わない」といってレジに本を置いていくのが信じられない。逆に、本を買い取ってほしいと依頼されて車で何時間もかけて査定に行き、時間をかけて値段をつけたのに「そんなんじゃ売れない」と言って断られることもしばしば。この時代、古書の値段は下がるばかりで、がっかりされることも多いのだろう。なんと大変な商売なのかと思うが、著者が日々を楽しんでいることはまちがいない。ただ、読み進めると、パートナーと別れたという記述が出てきて、このあたりはビターテイスト。
●古書店が新刊書店と違うのは、売る側としても買う側としても、値付けをしなければならないところ。印象に残ったのはここ。

 本を買い取るときには貪欲きわまりない人間に出くわす。そして、自分のコレクションを売るときに書店からできるかぎりしぼりとろうとする人間こそ、本を買うときになるとぎりぎりまで値切ろうとするものなのだ。ビジネスという観点からすれば道理にかなっているのかもしれないが、不愉快な態度と言うしかない。公正さという感覚がないからだ。
(中略)
 この種の客はまた、なんとか値引きを勝ち取ったという満足感を得ないかぎり何も買おうとしない人間でもある。取引相手としては最悪だ。そう感じる理由は、結局、彼らは一ポンドでも節約したいと考えているのではなく、権力をふりかざしたいと思っているだけだからだろう。こういう人たちにとっては自分が支配者だと感じることが重要なのであり、相手が骨董商であれ、農家であれ、自動車ディーラーであれ、取引では客に主導権があると思いたいのだ。

これはすごく腑に落ちる話。「取引」は相互補完的なものであるはずなのに、勝負事のように臨んでくる人がいる。
●読んでいる途中で、前作「ブックセラーズ・ダイアリー スコットランド最大の古書店の一年」とは版元も翻訳者も違うことに気づいた。そんなこともあるのか。

January 31, 2025

「光のそこで白くねむる」(待川匙)

●評判になっているのを目にして読んだ、「光のそこで白くねむる」(待川匙著/河出書房新社)。第61回文藝賞受賞作。これはびっくりするほどの傑作。一人称の小説で、東京で働いていた「わたし」が勤め先の土産物屋が閉店になったことを機に、久しぶりに故郷に帰り、墓参りに向かう。そんな枠組みで始まるのだが、ぜんぜん予想もしなかった方向に話が向かい、過去の記憶が掘り起こされるにつれて、「わたし」という人物の歪んだ認知がうっすら浮かんできて戦慄する。閉鎖的な田舎の怖さがある一方で、「わたし」の怖さもあり、でも、それでいて「わたし」に共感したくなってしまうような居心地の悪さが肝か。事実はあやふやだが、物事はひとつの真実で語れるものではないということにも思い至る。ここに描かれる田舎にフォークナーを連想しなくもない。あの「祖母」がいい。
●てっきり語り手の性別を女性だと思い込んで読んでいたが、読後にどちらとも明示されていないことに気づいた。なぜそう思い込んだのか。短い話なので、もう一度読んでみてもいいかもしれない。

January 23, 2025

「チーヴァー短篇選集」(ジョン・チーヴァー)

●文庫化された「チーヴァー短篇選集」(ジョン・チーヴァー著/川本三郎訳/ちくま文庫)を読む。チーヴァーの短篇集は以前に村上春樹訳の「巨大なラジオ / 泳ぐ人」(新潮社)を紹介した。基本テイストはこの「チーヴァー短篇選集」でも同じで、ニューヨーク近郊の住宅地に住む中産階級の人々の孤独と憂鬱が描かれる。「巨大なラジオ / 泳ぐ人」ではリアリズムから逸脱した表題作の2作が強烈な印象を残したが、こちらの「チーヴァー短篇選集」はより現実に即した、ややひりひりとした手触りの話が多い。でも少々手厳しいんじゃないかなと思って読んでいると、予想外の方向からユーモアや不条理が忍び寄ってくる。「美しい季節」とか「父との再会」なんて実におかしい。
●いちばんの傑作は冒頭の「さよなら、弟」かな。この短篇は村上春樹訳の「巨大なラジオ / 泳ぐ人」にも「ぼくの弟」の題で収められていて、異なる翻訳で二度読んだことになる。二度読んで、なおさらおもしろく感じられる。成人した四人兄妹がそれぞれの家族を連れて母親といっしょに夏の休暇を楽しむという話。さあ、休暇に入った、みんなせっかく都合をつけて集まったんだからたっぷり楽しもうぜっ!ていうモードのなかで、久々に顔を出した弁護士の弟だけは打ち解けず、感じが悪い。酒も飲まないし、ボードゲームにも参加しない。雇った料理人に対して、安月給で働きすぎていると憐れんで、相手を怒らせる。弟の妻もあくせくと洗濯をしたりして、休暇を楽しむ様子ではないし、子供たちも委縮していて場になじめない。で、家族みんながだんだんこの弟が嫌いだということを思い出す。そんなくだらない遊びよりもっとやるべきことがあるだろうみたいな態度があからさまで出ているのだ。
●この短篇の秀逸なところは、そんな嫌なヤツを描いているにもかかわらず、読み手である自分は弟のほうに共感してしまう、っていうことなんすよね。最後に主人公は弟に対して怒りを爆発させて、それがまた笑ってしまうくらいスカッとする場面なんだけど、それでもなお弟側に共感して読んでいる自分に気づく。
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●宣伝を。ONTOMO連載、五月女ケイ子の「ゆるクラ」が久々に更新。第13回のテーマは「推し活」。お助けマンとして参加中。

January 16, 2025

「ママは何でも知っている」のオペラマニア殺人事件

●ジェイムズ・ヤッフェ著のミステリに「ママは何でも知っている」(小尾芙佐訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)という短篇集がある。いわゆる安楽椅子探偵(アームチェア・ディテクティブ)もののシリーズで、主人公は刑事なのだが、いつも事件の解決役はそのママ。ママが息子から話を聞いただけで、事件を解決してしまうという趣向の短篇が並ぶ。アイザック・アシモフの「黒後家蜘蛛の会」シリーズでいえば老給仕ヘンリーの役柄を、ここでは「ママ」が担っている。
●そのなかの一篇「ママ、アリアを唄う」では、ニューヨークのメトロポリタン・オペラが事件の舞台となる。ママは土曜日の午後のメトロポリタン・オペラのラジオ中継は欠かさず聴くというオペラ・ファン。そのママに向かって、息子である刑事が事件のあらましを話す。事件の登場人物となるのは、長年対立してきたオペラマニアの老人ふたり。ひとりはコーエン、もうひとりはダンジェロ。ふたりは立見席の常連で、熱狂的なオペラ・ファンなのだが、ことごとく趣味が合わない。刑事である息子はこう語る。

コーエンとダンジェロの口論は近年はとみに激しさを加えていたそうなんだ。全世界のオペラ・ファンのあいだで議論沸騰している論争が、ふたりの仲を悪化させていた。現存のソプラノでもっとも偉大なのはだれか──マリア・カラスかレナータ・テバルディか?

●ダンジェロはテバルディ派。コーエンはカラス派である。

ダンジェロはある日こう宣言した、テバルディはかぐわしい、カラスの声はおんどりだ──すぐさまコーエンがやり返した、カラスは神々しい、テバルディの歌はひびの入ったレコードだ。

一般向けのミステリ小説で、登場人物がこんなケンカをしているのだ。カラスが「椿姫」を歌ったときなど、ダンジェロは「カラスのへたくそ椿姫を聴かずにすめば、一生幸せに暮らせる。今晩ここにやってきたのは、テノールのリチャード・タッカーを聴くためだ」とまで言う。で、後日、テバルディが「トスカ」を歌った際に、コーエンが劇場で急死する。毒殺されたのだ。刑事である息子は、犯人はダンジェロにちがいないと考えるが、ママは……というお話。
●これを読んで、いったいいつ書かれた小説なのかと奥付を見たら、マルC表示は1952年から1968年にかけて。カラスがメトに初めて出演したのが1956年なので、その頃に書かれたものだろうか。時代の空気が伝わってくる愉快なミステリ。

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